Strange Days

2001年05月31日(木曜日)

さらばVJE-Pen for Windows

23時51分 コンピュータ

 VACSのウェブページを見に行くと、VJE-Delta4.0発売の他にVJE-Pen for Windows開発終了というニュースもあった。VJE-PenにはDOS時代から随分世話になってきたもんだ。Windows版も軽くてよかったんだけど、Pen for Windows(MSのWindows95ベースの奴ね)がこけたのに巻き込まれたのだろう(いや、そんなことはない)。マシンスペックが今ほど向上してしまうと、軽いという点もそれほどアピールしないのかもしれないな。なにせ、世の中にはMS-Word(それも2000)をエディタとして使って不自由を感じてない人々もいるのだから。
 DOS版3.1の方は「今後も店頭販売を続けます」という発表内容にはビックリ。長生きなワープロだよ。でも、もうそろそろ対応したプリンタが無くなるのでは。
 さらに、VJE-Delta for PalmOSという嬉しい発表も。Palm+PPKで快適な入力環境を構築できるのなら、大いに期待したいのだが。

連夜の吉牛

20時50分 暮らし 天気:雨のちくもり

 アパートの近くの吉野家は、250円セールを5/末までやっていた。新規開店の店なので、宣伝の意味があって延長したのだろう。昨夜、「並250円セールは明日までか」と思いつつ特盛490円を食らったのだが(なんでや)、今日は「並250円セールは今日までだ」と思ってまた食らいに行ったら、20:00まででキャンペーンは終わってたんでやんの。空しい気持ちでけんちん定食を食らう俺様だった。
 しかし、外食すると楽だわ。食器も調理器具も片付けないでいいし、飯タイム自体がすごく短縮されるから。しかし吉牛過ぎて腹部装甲が増すのもイヤだ......。夜食(21:00過ぎると夕食とはいえんな)は麺類で軽く済ますのが吉ではないか。いっそ、食わんほうが健康には良いのであろう。しかし、真夜中に目覚めた時に感じるひもじさ、あれは耐えがたいのだ。人はこうして栄養過多に陥るのであろう。

2001年05月30日(水曜日)

いよいよ梅雨到来!

22時49分 暮らし 天気:くもりのち雨

 梅雨の季節がやってきた!(いやエクスクラメーションを付けるほどでは) 次第に晴れ間よりも雨が降っている時間の方が長くなってきた気がする。まあ6/末くらいにはまた空梅雨なんて事になるのかもしれないが。
 しかし、これで困るのが、組んだまま放置してあるKT-10だ。架台の製作中なので完成状態でのファーストライトもまだなのだが、空が晴れないので架台を作るというモチベーションを維持できないではないか。などと天候のせいにしたりしてな。実際にはずぼらなだけだが。
 今夜も雨なので、のんびりゲームして過ごしたもんだ。

2001年05月29日(火曜日)

通り雨

20時43分 暮らし 天気:晴れ時々豪雨

 14:00頃だったろうか。別の棟で会議を終え、さて自席に戻ろうという時、突如として豪雨が降り注いできた。大粒の雨が、叩きつけるように降り注いできた。最初、これは消防隊が放水でもしているのかと思ったくらいだ。
 この雨では傘を差していっても濡れそうだったので、雨脚が弱まるのを待ち、しばらくして小降りになったところで自席に戻った。ちょうど外を歩いていた人たちには、大変な災難だったに違いない。
 昼の間は、結構晴れ間が見えていたが、夜になるともう雲量8くらいになって、星が見えなくなっていた。

2001年05月28日(月曜日)

今日の星見

23時41分 星見 天気:ややくもり

 昼頃、昨夜の雨が上がった空には、淡い青空が広がり始めていた。やっぱ、水蒸気が多いようで、すっきりした青空ではない。しかし、このところ、徐々に空の青が鮮やかになってゆくようだ。
 夜、しらゆり公園~例の丘コースをBD-1で突っ走った。残念なことに雲が多く、双眼鏡を持っては出なかった。しらゆり公園は樹木が多くて、やはり星見には適さないようだ。街灯も多すぎる。やはり、例の丘に勝る場所は、今のところ見つかっていない。
 帰って、ベランダから18*50ISを火星に向けた。今夜はシンチレーションは安定しているようだ。火星はくっきりした円盤状に見える。M7はかなりよく見えたが、微光星がそれほど多くは見えなかった。M6もやや寂しい。ちょうどNGC6087が見えている。辛うじて星の集団らしきものが見える程度。M8はそらし目を使うと散光がやや感じられた。目を球状星団に向けると、M4は識別できなかったものの、M22はちゃんと見えていた。時間があれば、望遠鏡を出したかったな。

2001年05月27日(日曜日)

NHKスペシャル「宇宙 未知への大紀行」

23時40分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは、「宇宙 未知への大紀行」第2週。"地球外生命を探せ"の巻。
 近年の生命科学の進歩は、人類の生命観に大きなインパクトを与えている。従来、生命など存在しないと考えられていた超深海、極地、さらには大深度の地中から、従来ではその存在が考えられていなかった生命たちが見つかっている。それぞれ、過酷極まりない環境に適応した生命が息づいていたのだ。
 これに意を強くしているのが、地球外生命に思いを馳せる科学者たちだ。彼らは地球の外に生命が存在することは"当然"だと主張する。しかし、その形態、生態は、人間の想像を越えるものになるだろうと考える科学者が多い。
 天文物理学的な分析などから、宇宙には生命が利用しうるリソースが、想像以上に豊富に存在していると分かっている。ある種のアミノ酸が星間物質の中に多量に蓄積されていることは、第1週でも取り上げられた。火星の地表に多量の水があったことは、既に事実として明らかにされつつある。今も、その地下には氷が埋蔵されていると考えられている。木星の衛星エウロパは、多量の氷に覆われた大型衛星だ。このエウロパの表面に走る、無数の亀裂を観察した研究者は、この亀裂の形成に液体の水が必要であると主張している。もしそうなら、少なくとも亀裂が形成される瞬間には液体の水が存在することは明らかであり、さらには氷の下に広大な"海"が広がっていると主張する向きもある。隣のイオの内部が木星の潮汐力で融解し、無数の硫黄火山が形成されているように、エウロパの内部も高温になっているはずだと見積もられているのだ。
 木星、土星などのガス巨(惑)星に、ガスで浮力を得て大気中を漂う生命を夢想したのは、確かカール・セーガンだったのではなかったかな(スターリングも「スキズマトリックス」で登場させていたっけ)。彗星のような氷塊の内部には、宇宙線との反応で酸素などの生命が利用可能なリソースが生じ、その上に特異な生態系が築かれているかもしれないと考える学者もいる。もちろん、SF作家たちは更に奔放な想像を働かせているのだけれど。
 一部科学者たちの楽観的な予想を支えているのは、宇宙の広大さと生命のしぶとさだろう。つまり地球上の苛酷環境でも繁栄する生命が見つかるのだから、宇宙全体からすればそれよりはるかに快適な環境は数多くあるはずであり、故に生命は宇宙に普遍的に存在しているはずだ、と。地球外生命の存在を確信する科学者の中には、「その存在確率は"1"(つまり100%)だ」と主張するものまでいる。こうなると、僕としては地球外生命探査は一種の宗教活動か、と揶揄したくもなる。
 なるほど。宇宙は広大で、生命の材料には事欠かないだろう。生命が存続できる環境も無数にあるには違いない。それならば、なぜ生命活動そのものを見つけることが出来ないのだろうか。それほど普遍的に存在しうるのならば、なんらかの形で生命現象そのものの証拠(例えば、生命活動によってしか生成されえないような複雑な分子)が見つかって良いはずではないだろうか。その理由を"宇宙の広大さ"に求めてしまうのは、僕にはあまりに無責任な態度に思える。もしかしたら、生命という現象が、本質的に不安定なもので、永続し得ないものなのかもしれないではないか。地球が貴重な例外だったのか、ありふれた一例に過ぎないのかは、いまだただ一つの観察事例(つまり地球生命)しか持たない僕たちには、答えを出しようのない問いだ。そもそも、僕たちは生命の"発生"しうる条件を充分に把握しているだろうか。地球生命発生のシナリオでさえ、二転三転しているのだ。「それほど容易に生命が生じるのなら、なぜ科学者の試験管の中で発生しなかったのか」という聖書至上主義者の指摘は、まあ措くとしてもだ。
 こうした地球外生命の存在論議に影を投げかけるのが、フランシス・ドレイクの公式と呼ばれる、銀河系に相互通信可能な文明が同時にいくつ存在しうるかを導く、例のアレだ。ドレイクに悪気は無かったのだろうが、なんとも意地悪げな公式ではないか。大半が人類にとって未知の変数で成り立つこの公式は、地球外生命の存在を確信する人々にとって希望の星となりうる。徐々に科学的に明らかになりつつある変数を埋め、残りは思い思いの数値で埋めてゆく。なんとか科学的に推定できるのはfp(惑星系を持つ恒星の比)までで、以降は全て"思い思い"としかいいようがない。確固たる根拠がないからだ。その結果、楽観主義者のはじき出した数値には希望的観測が満ち溢れている。公式の結果は"1000万"とするものもある。逆に悲観論者の答えには"1"(つまり地球だけ)というものもある。なんだか、楽観主義者は鼻でもほじりながら、利き腕とは逆の手で鉛筆を握り、机に投げ上げた足で紙を押さえながら適当に変数を埋めていったような感じがする。逆に悲観論者は、公式を一瞥すらせず、厳しい表情で言下に「"1"だ」と言い切った、などと想像したくなる。ドレイクの公式って奴は、なんだかむやみにこうした楽しい想像を誘発するのである。こんな想像をするのは僕だけだろうか(そうだろうな、たぶん)。
 ともあれ、実際に地球外生命の存在が確認されない限り、このいる/いない論争は決して根絶できないだろう。たぶん、楽観主義者と同じくらいの割合で、へそ曲がりな悲観論者(僕みたいな)もいるのだろうから。
 いるかいないか分からんが、それを直接探してみようじゃないか、というプロジェクトがSETI。かれこれ30年の歴史を持つこのプロジェクトは、インターネットの普及によって新たな段階に突入しつつある。それがSETI@homeだ。これはSETIの最前線を、アレシボ/大学間から、全世界の一般家庭に広げようという試みともいえる。近年、各個人が持つパーソナル・コンピュータの遊休時間を統合し、膨大な計算能力を持つ仮想スーパーコンピュータを成立させる試みが、相次いで実行されている。SETI@homeは、こうしたトレンドに乗るものだ。アレシボで受信したある周波数帯の電波信号を、小さな単位に切り分けてインターネットで配布する。そしてあちこちのコンピュータに仕込まれたクライアントで、遊休時間を使って解析、結果はやはりインターネットを通じて集めるというものだ。SETIというテーマの明快さもあり、非常に多くの参加者を集めている。もっとも、僕はSETIにそれほど血道を上げなければならない状況か、という点が疑問なので、あえて参加してないのだが......。
 たぶん、地球外生命の実在が確認されたとすれば、それは今世紀(いやいつの世紀でも)最大の事件となるだろう。人類に与えるインパクトは計り知れない。しかし、逆にその非在が明らかになることも、やはり巨大なインパクトを与えるだろう。いや、恐らく、後者のインパクトの方が大きいはずだ。いずれにせよ、地球外生命探査というテーマは人類の関心の焦点となりつづけることは確かであり、恐らくは何世紀にも渡って追求されてゆくことだろう。人類が存続するならば。

白昼ポタリング

19時38分 自転車 天気:くもりのち雨

 蒸し暑い夜だった。思わずタオルケット一枚で朝まで過ごした。今朝は朝方になっても気温がそれほど下がらない。
 さて、昼頃に、昨夜深夜ポタリングで通ったルートを、もう一度なぞってみた。迷子分は除いてだけど。
 さすがに昼に走ると、景色がよく目に入って気持ちがいい。しかし車も人も多いので、そんなに飛ばすことは出来ない。痛し痒しである。
 昨夜のように汗だくになってしらゆり公園に至り、細い道を下っていった。人通りがあるので気を使うが、しかし夜道の怖さはないので楽でもある。汗を飛ばしてくれる風が爽快ナリよ。
 このコースだと一周5km。アップダウンがあるので運動量に少し上積みも期待できる。今後はこっちのコースを行ってみようと思う。なんて思ってたら、今夜は雨でやんの。

2001年05月26日(土曜日)

深夜ポタリング

23時55分 自転車

 真夜中、ふと自転車で近所のしらゆり公園に出かけた。近所、とはいえ地下鉄では隣の駅だ。一応、地図を確認して出たのだが、途中の路地で迷う迷う。真夜中の路地で迷うというのはビューティフル・ドリーマー(うる星のね)でもあったモチーフだが、そこはかとない異世界感がたまらない。しかししらゆり公園がある高台はずっと見えていたので、最終的には到着できた。高台にあるしらゆり公園に到着した頃には、全身から汗が噴出す状態だった。しばし、夜風に当たって涼んだ。
 それから、ここから我が家方面に一直線(といってもトポロジー的)に延びている、長い下りを行ってみた。真っ暗な中で、スピードの出る細い下り坂を行くのはスリルがある。下りきると、また別の路地に接続しているので、これまたしばし放浪。最終的に、いつもの丘を上り、鎌倉みちの向こう側をちょっと冷やかして帰宅した。8kmくらい走ったかな。面白かったが、もしかして近所迷惑かもしれないな。

NHKスペシャル「たった一人の医師として」

22時34分 テレビ 天気:晴れ

 今夜のNHKスペシャルは、「たった一人の医師として」。辺地医療を志し、医療砂漠といえる襟裳町で11年間を過ごした1女医の話題。この人は、元々は大阪で平凡な主婦として過ごしてきたのだが、ある時に辺地を巡回して回る老医師の姿に感動し、辺地医療を志すようになったという。30台半ばで医大に合格し、40代に入ってついに医師免許を取得、総合病院で経験を積んだ後、'90年についに襟裳町に赴任し、念願を果たした。そして実に10年間、襟裳町ただ一人の医師を勤めてきたという。
 ひさびさにズンと来た。冒頭、間もなく襟裳を去ろうというこの女医さんが、11年間欠かさず続けてきた巡回往診で、あるお年よりの家を訪ねたとき、このお年よりが女医さんの手を握りながら涙を流すのだ。もちろん、別れが惜しいから。NHKの事だから演出(というか素人への"指導")は入っているのだろう。しかしこの涙は本物だと思った。そして悟ったね、この人は、僕なんかとは比較にならないことを成し遂げた人だと。一体、この僕がこの場からいなくなったとして、果たして何人が涙を流して惜しんでくれるというのか。最大限に希望的観測を積み重ねても、まあ皆無だろう。例えこの場で頓死したところで、肉親以外に惜しんでくれる人がいるとは思えない。いや、現代社会のドライな関係性の中では、大体そういう場合が多いのではないか。このご老人にとっては、この女医さんは涙を流して惜しむべき人なのだ。
 10年間、全住人の命を預かるたった一人の医師として過ごすことは、想像以上に過酷な日々であったらしい。全住人の健康管理を始めとする日常業務はもとより、いつ急患が運び込まれるか分からないという緊張感。まったく休みの無い日々。この人以前、2年以上仕事を続けられた医師が皆無だという事実が、辺地医療の過酷さをうかがわせる。そしてこの女医さんも、大阪に帰ろうと思うようになったという。しかし、ご子息に腫瘍が見つかり、その癌の疑いが晴れる経緯から、一人一人の住人に今までに無い親しみを感じるようになったという。自分が息子に対して抱いているような愛情を、この地域の人々一人一人が、互いに抱いているのだろう、と。そしてとうとう10年間も過ごすことになった。
 長年、医師はこの女医さん一人だった襟裳町の医療スタッフに、最近もう一人の医師が加わった。大病院の評価システムに疑問を抱いた医師が、やはり辺地医療を志してやってきたのだ。新しい医師が一人で切り盛りできることを確信した女医さんは、遂に大阪に、家族の下に戻ることを決意した。別れの日には、多くの人々の歓送に送り出された。
 それにしてもタフな人だ。30代で医師になることはもとより、志を貫徹してなおかつ60歳になるまで毎週の巡回往診を欠かさず続けるとは。単なる義務感だけでなく、一人一人に対して愛情を持つことが出来たからではないだろうか。そしてこの女性の志を支えつづけた、家族の応援も大きかったのだろう。~
 この女医さん、今後は淡路島で小さな診療所を開き、辺地医療を続けてゆくという。

2001年05月25日(金曜日)

ドラクエ6進まんやんけ

20時17分 ゲーム 天気:くもりっぽいぞ

 ドラクエ6は行き詰まり気味。このゲーム、各キャラクタのレベルという概念のほかに、選択した職業のレベルという概念もある。キャラクタレベルの方は従来どおり経験値を蓄積してゆくことで上昇してゆく。しかし職業レベルの方は、あるキャラクタレベルにとって適正な戦闘経験を積む必要がある。この"適正"というのは、自分とモンスターのレベルによって決まる。ありていに言って、自分より弱いモンスターを片しても、職業レベルは上がらないのだ。職業レベルは様々な呪文、特技の習得に必要で、かつ後半になるとある職業の習熟度が高くないと突破できないイベントもあるので、適当に上げておく必要がある。キャラクタレベルを上げるだけではかなりつらいのだ。
 このシステムは良く出来てるよなあ。従来だと、一ヶ所に留まってひたすら雑魚キャラと楽な戦闘を積めばよかったのだが、職業レベルのおかげでどんどん先に進まなければならなくなったわけだ。さすがにゆう坊は考えたもんだ(かどうかは分からんが)。しかし、序盤で思い切りレベルを上げてしまった俺様は、おかげで全然職業レベルが上がらんやけ、という破目に陥っているのだ(やむなく笑)。こうなると、逆にキャラクタレベルを尋常でないところまで上げて、無理やり突破するしかないかもしれないなあ;-o-)

2001年05月24日(木曜日)

なにもしないこと

23時16分 思考

 立花隆がまとめた、例の石器発掘捏造事件に関するムックを読みきった。前半は確かに捏造事件に関するレポートなのだが、後半になるとなにやら現代科学論じみた科学者自身のエッセーや、立花以外のライターによるレポートばかりになるという、なんだか奇怪な造りのムックだ。後半1/3は、「どの辺が捏造事件と関わってくるのだ」と突っ込みを入れたくなって来るようなものだ。いや、面白かったけど。
 ムックでは、「日本にも旧石器時代が存在したこと自体は(つまりそういう遺跡があること自体は)間違いない」としているが、学会や自治体による遺跡洗い直しは始まったばかりだ。今は全てが「限りなく黒に近い灰色」だが、ここからどれだけの黒を排除できるのか、さらにはどれほどの白が抽出できるのかが問われることだろう。
 このムックで面白かったのは、もちろん捏造事件に関するレポートも面白かったが、むしろ後半1/3の辺りが面白かったように思う。この辺では、「科学と発見」というテーマを取り上げ、科学者自身による"発見"の経緯に関するエッセー、そして様々な科学的発見に関するサイエンス・ライターたちのレポートが全てを占めている。ああ、"発見"という点で、メインテーマ(捏造事件)と一応つながっているのだな。別に全く切り離してもいいような内容だが。実際、もしかして別の本をまとめるためのネタを急遽流用したのかしらという観も無きにしも非ずだ。
 この中で、発見は長い継続と、瞬間的な中断の後にやってくるという事が書いてある。例えば、あるテーマに関して延々と研究を続けていたが、業績が上がらない。しかし旅行とか、手続き上の都合で研究が中断し、ふと空虚な時間が空いたときに、突然問題を解く鍵が手に入る、という事例が語られている。これは気分転換という単純な言葉で片がつくことではないだろうと思う。重要なのは、ある発見の契機は一時の中断(による視点の変動)ではあっても、それ以前に長い蓄積があるということだ。つまりある問題に関して(例えばクロスワードパズル)出来るだけの考察(解けるだけのクイズを解く)を行った後、初めて解への道を発見するような種類の事例だと思うのだ。
 まあ蓄積は個々にやってゆくしかないだろう。で、この"中断"として"なにもしない時間"が良いなどとされているのだが、結局なにかを解決した時間が"なにもしなかった時間"などといえるだろうか。要するに、人間はなにがあっても、なにかしらの思考に取り付かれ続けるという事ではないかいなと。正確には、そうしないではいられない人間が居るということか。僕も温泉にでもつかりに行くか。

そろそろマシンを落とすか

20時13分 暮らし 天気:雨

 今日は、出勤時には雨脚が鈍り、このまま上がるかなと思っていたのだが、あにはからんや昼過ぎからまた降り始めた。湿度が上昇して不快ナリよ。帰宅すると、案の定、「むあっ」という熱気が襲い掛かってきた。たまらんです。
 別に窓を開ければすぐに散る程度の熱気だけど、デスクトップ5台+ノートブック4台の状況では、熱暴走が怖い。っていうか、どうしてこんなにたくさんあるわけだ?
 熱暴走してハードウェアにダメージが及ぶとたまらんので、翌朝からマシンを落として(といってもベランダからマシンを投げ落とす様を想像してはならない)出ることにした。いや、寝る前にそうした方が良いか。しかし、マシンを全部落としちゃうと、部屋が凄く静かになっちゃうんだな。するとありもしない足音や誰かのささやき声が聞こえてきて、ってオマエ神経症か。ともあれ、そうした方が安眠できそう。
 去年はと思い検索してみると、去年も5/24頃に落とすようになったのが分かった。ある意味、地球温暖化の指標になりうるかもしれない(なるかっ)。

2001年05月23日(水曜日)

クロスバイクはどうじゃいな

22時12分 自転車 天気:雨

 雨、雨、雨。雨が上がらないから自転車も乗り回せない、もちろん星も見えない。梅雨は憂鬱な季節だ。特に会社づとめで、ほとんど一日中外が見えない場所で仕事してるとなあ。
 前は結構好きな季節だったな。本をたくさん読めるから。だが今は、わがマシン群が熱暴走する危険性が上昇するのとあいまって、少々嫌いな季節に入ってきた。帰宅した時に感じる「むわっ」という熱風がイヤ。それとマシン群を確認する時のドキドキ感もイヤ(なら切って出ろよ)。いやほんと、そろそろマシンはシャットダウンして出るべき頃かもな。Athlon1GHzの機械は、温度センサの数値を信じるならば、そろそろ危険水準だ。どっちかというと、そろそろD.netで当りを引かないかと思ったりして。
 こんな雨の日には、ついつい望遠鏡だの自転車だののサイトを巡ってしまう。少々の雨でも乗れる安い自転車でも買おうかと思ってたりして。少々の雨でも、BD-1みたいに可動部が多い自転車の場合、乗った後のお手入れが大変だ。そういうことを気にしないでいられる、安い自転車が欲しいのだ。できるだけシンプルな奴が。
 近所には荒れた路面が多いし、かといってMTBはちと大げさに感じる。そこで、そこそこの位置付けであるクロスバイクに目が行くわけだ。前サス付きでも5万円程度からある。割とよく効くBD-1の前サスでも、大型トラックに痛めつけられたような荒れた路面はつらい。前サスは欲しいと思うんだな。しかしここ数年は、前後サス付のものもたくさん出ている。中には坂道でつらそうなものもあるが、アシストしてくれるようなものもあるらしい。そういう機種は大体7万以上。しかし今一番気になっているのは、ビアンキのクロスバイクだ。ビアンキ特有の緑がかった水色がいいのだ。そそるぜ。しかしこいつらは大体10万近くする。そうするとBD-1より高いやん! 本末転倒もいいところだ。
 しかし、あれこれカタログを見ているときは一番楽しいかも。梅雨時のささやかな楽しみだ。そろそろ紫陽花、咲かないかな。

2001年05月22日(火曜日)

いまさらドラクエ6か

22時10分 ゲーム 天気:くもり

 なにを思ったか、数年ぶりにドラクエ6をやり始めてしまった。数年前、出てすぐにやり始めたときは、全然入り込めないで途中で投げちゃったっけ。当時、QuakeだのDiabloだのといった殺伐とした(笑)洋ゲーの世界に洗脳されていた頃で、浪花節漲る和製RPGには魅力を感じなくなってしまったのだ。
 しかしまあ、毎日洋ゲーをやりつづけていると、今度は和ゲー特有の臭みが好ましくなるわけだ......。ほら、毎日コカコーラを飲んでいたら、ふと抹茶を口にしたくなるじゃないか(いや、そんなことはない)。それと同じように(どの辺がだ)、ふと和ゲーもやりたくなる。そんなわけで、我が家にはコンシューマーゲーム機も結構あったりするのだ。
 しかしながら、6をやりながら「全然おぼえてねー」というのにびっくりするやら呆れるやら。1~3はほぼ完全に筋を思い出せるのだが、少なくとも途中までやったはずの6はカケラも憶えちゃいない。そういえば、4以降のドラクエは全部そういう調子だ。4以降つまらなくなったというより、元々筋の単純な3までが記憶に残りやすいということかもな。しかし、記憶に残っている=良いゲームと短絡してしまえば、「4以降はどうもつまらん」という声もなんだか納得できる。いや、4以降も面白いという声も、もちろん多いのだけど。
 6が終わったら、PS2買って7もやろうかと思う今日この頃。

2001年05月21日(月曜日)

そろそろ夏かもな

20時09分 暮らし 天気:晴れてるうちにはいるかもな

 風呂上がりに、ふとこの間買った扇風機をつけた。まだ5月だが、そろそろ熱が室内にこもりやすくなってきた。まだ少し風があれば抜けるのだが、今夜は風の凪いだ夜だ。風呂上がりの上昇した体温が、なかなか発散しない。不快だ。というわけで、早速2980円扇風機に活躍してもらったわけだ。この扇風機、ちゃんとした独立型の中型のもので、良くあるクリップ式の小径のものではない。しかし、スイッチ類が(首振りを除き)すべて電子スイッチ化されている。こいつだと電気系統がいかれると一気に使えなくなる。でも機械式はかえって壊れやすい気がするしな。どっちがいいのか分からない。電子式でなければこの価格は出せなかったろうと思うが。
 今夜は雲が多くて星の見えない夜。気力が湧かなかったので、さっさと寝てしまった。

2001年05月20日(日曜日)

星見ではなく星座見

23時55分 星見

 真夜中、いつものように散歩に出かけた。実は土曜の深夜にまたしてもこけてしまい、右のバーエンドに取り付けてあったミラーが明後日の方向に向いてしまった。改めて締めなおし、さらにサイクルコンピュータのマグネットが、またもやずれていたのも修正した。なんだか、だんだん傷だらけになってゆくような......。しかし、色んなオプションが緩衝材になり、それほど深刻な傷はついてないようだ。
 今日からコースを少し変えた。前のコースでは本気で走ると10分程度で一周できるので、かなり物足りないのだ。いったん東に走り、そこから御霊神社に北上してから例の丘へと至るコースにすると、適度なアップダウンがあって適度な運動になる。また物足りならなくなってくるだろうから、そうしたら更に距離を伸ばそう。しかし、もう幹線道路を通らないで距離を伸ばすのは難しいかも。
 御霊神社からアップダウンを繰り返し、最後の坂を登りきると、相変わらず荒涼とした丘の上だ。今日は18*50ISではなく、ワイドビノを持っていった。18*50ISだと、高倍率に過ぎて夜空でも星座でもなく星を見るという感じだが、ワイドビノの低倍率広視界なら、まさに星空散歩というにふさわしい眺めになる。
 あいにく、シーイングは4/10程度だったが、目が慣れるとさそり座の全景がほとんど一望できる。火星はいて座との境目にふんぞり返っている。目を天頂へと投げ上げると、夏の大三角形がほとんど視野に入ってきた。北東に目をやると、そこにははくちょう座の十字形が浮かんでいる。もちろん、本当に十字があるわけではないけれど、そう見えるのも不思議じゃないくらいの、整った星の配列だ。これを見たかつての人々は、これを配列した"意思"の存在を感じただろう。

天気がいいのでお出かけ

19時06分 暮らし 天気:晴れ

 昼頃まで寝ていたが、起き出して外を見ると天気が良い。実に良い。誘われるようにして湘南台に出かけた(頭の中身まで誘われんようにな)。
 湘南台公園ではボール遊びに興じる一団、散策する人々、涸れ池で遊ぶ子供、そしてただ寝転んでいる人々が、陽気を一杯に受けている。今日は、シャツにGジャンだと汗ばむくらいだ。
 その足で(いやだからいちいち付け替えてるんじゃね~よ)図書館に寄り、何を思ったかウォーターフロントに関する本を読み漁った。なんか、行くたびに全然違う系統の本を読んでいるな......。なんだか、たくまずしてレキオスの作者と同じような、行き当たりばったりの知識収集をしているような気がしてきた。
 それからウェーブアイに寄ると、また店舗を改装していて、以前以上にパーツ系にシフトしている。また中古品の扱いも増えていて、相当に注力しているようだ。ちょっと客の入りが悪いようにも思えたが、近場にあって非常に便利なので頑張って欲しいものだ。などと書きながら、今日は何も買わずに出た。
 次にダイエーに寄り、あちこちぶらつく。1階食料品売り場で出前一丁を発見。これで食いたいときにはここに来ればよいと分かった。というか、袋ラーメンの扱いが少なすぎるぞ>ヨークマーク立場店
 ここでは最上階をうろつく間に、なぜかラチェット式ドライバセット、扇風機、靴が増えてしまった。扇風機は2980円なんだもんな。そりゃ買うよ(買うか!)。ドライバは、工具をかなり持っているのに、まともなドライバセットを持ってないので購入した。T字握りのタイプで、トルクを掛けやすそうだ。途中で中断しているKT-10架台製作のためでもある。手許に、木ネジに合うドライバが無かったのだ。おかげでネジを舐めてしまった。
 帰宅して、架台の舐めてしまった木ネジ2本をレンチで回しぬき、改めて架台製作を進めた。が、バンド部の製作までで力尽きることよ。

2001年05月19日(土曜日)

BHU公演に

22時03分 レジャー 天気:晴れ時々にわか雨

 昨夜は夜明け頃にまた寝たのだが、それから4時間程度で起き出し、風呂に入って身支度した。今日は、高円寺であるBHUという劇団の公演を見に行くつもりだった。この劇団は、ぽんちえこと岡見氏主催の、どっちかというとギャグ系が得意らしい劇団だ。
 高円寺までは新宿経由で1時間半ほどだろうか。開場前に着いてしまったので、とりあえず場所を確認の上、近所を散策した。自転車屋が2軒もあるではないか。かなりうらやましい環境である。
 さて、時間になったので入場した。会場は50席程度、開演までにその7割くらい埋まっただろうか。開演前の前説が数回あったが、そこから既に劇中に入っている。
 劇はというと、時間遡航だの管理局だのといったSF的ガジェットの登場する、ストーリーもSF仕立てのナンセンス劇という感じだ。そうだなあ、カジシンのナンセンスものの香りがする。前にやった「しようがないひと」は、とんでもないどたばたの奥底にシリアスなシチュエーションが潜んでいたわけだが、この「ベンジャミン」ではどこまでもスラップスティックに徹していて、お気楽に見ていられた。ミュージカル"風"だったので、いきなり登場人物たちが歌い出す(しかし一人だけはその唐突さに気づいている)のも楽しい。ETV的歌のお兄さん風、EW&F風、テクノ風、メタル風など、バラエティに富んでいて楽しい。この辺ではかなり笑えた。
 1時間半は十分楽しめた。いちおう、最後まで進んで時点で謎は残るものの、解釈可能な範囲にとどまっていた。しかし、最後の最後までわけがわからんがええじぇないか、などと堺正章が踊り狂いながら登場するような締め方でも良かったかもな(どんなんだ)。
 終演後、スタジオの前でぽんちえ氏としばし談笑し、その場を辞した。
 それから秋葉に寄った。またキーボードを探したのだが、気に入るものが無い。そうこうしている内に、不気味な雷鳴が何度も轟き始める......。湿度の情報を我が鼻で検知した我が輩は、そそくさとJRで帰路に着いた。東京辺りで早速雨が降り始めた。ああ、鼻を信じてよかった。
 夜はNHKスペシャルを見た。白川郷の合掌屋根葺き替えを取り上げていた。これ、前にも同じようなのをやらなかったか? 伝統を守るのはしんどいというのが伝わってくる番組だった。

2001年05月18日(金曜日)

アルビレオを分離できました

23時55分 星見

 夜、ふと気を抜いた隙に気絶してしまい、目覚めたのは3:00前だった。また変な寝方しちまったい。風呂に入るのを諦め、18*50ISを持っていつもの丘に向かった。
 今夜のシーイングは5/10くらいだろうか。低高度の空は真っ白で見えないが、天頂に近づくとそれなりに透明な夜空を拝めた。M7は良く見える。微光星がそれなりに光って見える。M6も見える。M8はどうしたことか、かなりよく見えた。散光も感じられる。
 さて、この間は分離できなかったアルビレオに再挑戦した。こいつは天頂近くにあるので、手が震えてはっきり見えないのだ。さしもの防震機構も、この種の震えには効果がない。それでも、気合いを入れてじっと見ること数度、やっと手の震えを抑えたときに、アルビレオをきれいに分離できた。この口径では、宝石といえるほどの見栄えではない。それなりの倍率でないと映えない天体だ。

HPUXのパッチ地獄

20時01分 コンピュータ 天気:晴れですか?

 職場のHPUXな機械にJava1.3を入れようかと思った。さっそくHPのウェブページにアクセスする。......なんぢゃこの必須パッチの量は。入れる対象が11.00なのだが、こいつの場合はなんやかやで20個以上のパッチを当てなければならない。HPの場合は、Solarisのようにパッチクラスタが用意されてないので、パッチ一つ一つを、しかもその依存パッチに注意しながら持ってくる必要があるのだ。はっきりいって、パッチのダウンロードだけで燃え尽きたぜ。なんとかしてくれ、フィオリーナ! こういう事態に遭う度に、HPUXはエンドユーザ自身による保守を全然考えに入れて無いなと思う。本当のエンタープライズサーバのような、専用の保守員を置くような運用しか考慮してないのかもしれない。これでも、2年前に較べるとパッチが探しやすくなってはいるのだが。

2001年05月17日(木曜日)

アルビレオはどうですか

23時55分 星見

 夜、自転車で星を見に出かけた。晴れてはいたが、霞が掛かった状況で、星見にはあまり適した夜ではない......。まあ、それでも見えるものが見えりゃいいんだけど。
 早速火星を眺める。間もなく接なので、双眼鏡の中でもかなり円盤状に見えている。さすがに"運河"は見えないけれど。M4は見えません。M7はしばらく目を凝らしているとようやく見える程度。M6は無理だろう。M8はもしかしたら散光を感じている?という程度。
 目を北東の天頂近くにやると、そこには夏の大三角形が浮かんでいる。火星が入り込んださそり座~いて座方面がにぎやか過ぎるせいで、いまいち地味な印象だ。
 18*50ISをデネブに向け、白鳥のくちばしに向けると、アルビレオがある。でも双眼鏡では分離できてないような......。今夜は天体の色が褪せたような見え方なので、さしものアルビレオも地味な印象だ。帰宅して、望遠鏡で見ようかと思ったが、もう遅かったので就眠。

地下鉄で事故?

22時59分 暮らし 天気:晴れですか?

 帰宅中、地下鉄に乗っていたときのことだ。戸塚を出てすぐ、突如として車内の照明、空調が停止した。プツン、という感じで、なんの前触れも無かった。出入り口付近の照明のみ残されている。乗り合わせた人々の中に、オヤッという表情がぽつぽつ見られた。僕も顔を上げたが、ちょうど残された照明の真下に立っていたのと、本を読んでいたのとで、それ以上気にせず読みつづけた。
 やがて、電車は踊場駅のはるか手前で停止してしまった。アナウンスが入り、「立場駅にて人身事故が発生したため」停止したと分かった。さすがに日本人だ。誰も騒ぐものはいない。不気味なくらい静まり返っている。いや、ボソボソと携帯電話で話す声が聞こえてくる。そして残された照明の下に移動する人もいた。それ以上の動きは無い。車内は完全に無音(空調と走行音があんなにうるさいかったなんて)なので、隣の車両で咳払いする声さえも聞こえる。
 停車は案外に長引いているようだ。同じアナウンスが数分ごとに繰り返された。この辺で、「どんな人身事故であれ、これは死んだな」という不謹慎な考えが浮かんだ。車両の下に入り込んで(つまり轢かれて)引き出すのに手間取っているとか、いずれにせよ自力では動けない状態になったのではないかと思ったのだ。また停電した理由も、地下鉄の送電線レベルが低い(レールの脇にある)事から、感電防止のために切ったのではないかと思った。
 10分くらい待っただろうか。ようやく動き出した電車は踊場駅に滑り込んだ。この先の運行は分からないというのだ。まあ、事故が我が目的地の立場駅で起こったのなら、しばらくは到着できまい。素直に地上に出て、歩いて帰ることにした。
 もう一つ立場寄りの中田からなら何度も歩いたのだが、踊場から歩くのは初めてだ。この辺りに共通した場末感漲る、しかし開発が進み始めている場所で、資材置き場などが散在する中に、各種店舗がポツポツとやはり散在している。しかし、店舗は新しいものが多いので、これから中田周辺のように開発されてゆくのだろう。
 立場まで歩いてゆく間に、戸塚消防署からの緊急車両が何台も立場方面に向かっていった。結局、どういう人身事故だったかはわからず終いだった。

2001年05月16日(水曜日)

BD-1が活躍しそうなシチュエーションは

20時57分 自転車 天気:雨のち曇り

 今日は前夜から降り始めた雨が明け方には止んでいたものの、その後また昼過ぎにかけて降るという安定しない天気。しかし傘を差して歩くことは免れた。
 夜には晴れ間も見えていたので、いつものように自転車でお散歩。風が強かったので、またしても向かい風に立ち向かう俺様の雄姿があった。体感温度もやや低めだろうか。
 それにしてもこの自転車、面白いな。まっすぐ走らないし(爆)。18インチのくせに良く進むし。しかしどう考えても、近所を乗り回すだけなら、適当なクロスバイクの方が楽だっただろう。
 BD-1の折り畳めるという点を生かすには、やっぱ輪行するしか無いよな。そういうシチュエーションを二つ考えている。
 一つは富士山への携行星見。自動車で行くのではなく、バスで5合目まで登り、そこで持ち歩きサイズの小口径望遠鏡で星を眺めるのだ。そして夜が明けると、一式をBD-1に積んで駆け降りる。きっと爽快だろうな!
 これをやろうとすると、どう考えても100mm級の望遠鏡は持って行けないので、小口径のものを別途入手することになるだろう。高橋のFS-60なんてどうかいなと考えたりして。とにかく、誰もやってなさそうなので(そりゃそうだよ。別にバスで帰ってもかまわないのだし)、いつかやってみたいもんだ。
 もうひとつは、自転車による東京(ところどころ)縦走。鉄道網の発達した首都圏では、輪行は結構有利そうだ。鉄道である地点まで出向き、そこからBD-1で街中を走り抜ける。頻繁に折り畳み、展開するというのなら、BD-1は圧倒的に有利ではないか。
 まだこいつを生かす使い方を全くしてないと痛感する、今日この頃なのだ。

2001年05月15日(火曜日)

Diablo2のアイテム保管が......

23時55分 ゲーム

 Diablo2を最新パッチ1.06にしてから、別マシン間のアイテム受け渡しがどうもうまくいかない。世の中で騒ぎになってないことから、他に誰も困っている人がいないか、我が環境固有の問題なのか。とりあえず1.05bに戻して使っていたのだが、これほど話題にならない点を鑑みると、世界中でここだけでしか発生していない可能性も出てくる。ということで再検証。再び1.06パッチを当ててみた。......やっぱりダメじゃん。ゲストメンバが抜けた時、それまでのステータスが保存されないようなのだ。ではB.net経由ではどうかというと、これは同時に接続できない。ログインは出来るのだが、二つ目のメンバを参加させることが出来ないのだ。打つ手無しである。1.05に戻すしかないようだ。
 その前に、Realmのキャラでしばらく遊んでみた。依然としてタイムラグも謎の遠隔攻撃(近接攻撃キャラが画面の反対側で武器を振るうとこっちに当たる)も解消されてない。やっぱ、ADSL導入しないと解消できないか。いや経路の問題だとすれば、ADSLでも同じだろう。
 とりあえずキャラの保存条件である5分以上ずつ遊び、1.05に戻した。1.07は出るのかな。それで解消されればいいのだが。

いきなりの下痢

05時54分 暮らし 天気:晴れのちくもり

 明け方、突如として目が覚めた。寝入ってからそんなに経ってない。不審に思っていると、おなかから昨夜0:00頃に長後街道を荒らしていた珍走族(俺的には笑えた)のような爆音が発生したではないか。心霊現象だ!(そんなわけない) あせってトイレに駆け込むと、粘性の低い半固形物が次から次へと......。どうしたことだ。昨日変なもの食ったかなあ。晩飯はそうめんでさらりと済ませたんだが......。
 とにかくたまらんので、会社に休む旨電話を入れ、梅干を一つ食って横になった。それ以上モノを食わなかったせいか、さらに下ることは無かったのだが。
 そういやあ、職場で「食中毒に注意」なんちゅうアナウンスがあったな。それでいきなりこれかい。注意力ゼロの男なのである。

2001年05月14日(月曜日)

日記更新リンク

20時52分 インターネット 天気:晴れ(雲量多)

 昨日辺りから突然アクセス数が増えている。不審に思って(誰がこんなページを見に来るというのか)アクセスログを調べると、SF系日記更新時刻というページにリンクが張られたことが分かった。するとこのくだらな~い日記もSF系と認知されたわけか。めでたいことだ(どの辺がだ)。
 そういえば、僕も日記を読みに行く相手が限られている関係上、適当な自動更新チェッカーを導入しようかと思ったことがある。しかしそうなると、毎日日記を読みに行かなけりゃならんような気がしてのう。やっぱりやめにしたわい(なぜ老人語)。アクセスログから目に付く参照元を見物に行ったり、そうやってだらだら適当かつ行き当たりばったりに動き回る方が性に合ってるのかも。
 インターネットは、いかに手を抜きつつ必要な情報を手に入れるかという点で、今も進歩を続けているのだな。

2001年05月13日(日曜日)

NHKスペシャル

23時50分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは「被爆治療83日間の記録」。
 一昨年の9/30、東海村で国内初の臨界事故が発生した。事件の経緯は述べないが、科学技術社会の真っ只中にあっても、命に関わるような知識の欠如はいくらでもあるということを再確認させる事故だった。
 このとき、作業者の一人、大内久さんは健常者の平均被爆量(自然界には微量の放射線が常在している)の2万倍という莫大な放射線を浴びている。純粋な被爆であり、核兵器による被爆の場合と異なって高温火傷などの障害は無かったため、即死は免れた。しかし、通常の2万倍だ。医療関係者は2週間以上の生存は難しいのでは......と考えていたらしい。
 東大付属病院の緊急医療チームに大内さんの命運が委ねられたのは、事故から三日後のことだった。世界最先端の医療技術を誇り、豊富な経験を持つこのチームにとっても、これほどの放射線被爆というのは経験が無い。
 被爆直後の大内さんは、見た目は健常者と変わりが無い。わずかに日焼けしたような軽度の放射線やけどを負っているだけだった。しかし彼の内部では、はるかに深刻な事態が起きていた。高速中性子を浴びたため、全身の細胞核にある遺伝子が破壊されていたのだ。細胞は増殖することも、正常な活動することもままならないことを意味する。
 最初に立ち現れた危機は、白血球の激減に伴う感染症の可能性だった。健常者なら多少の雑菌が身近にあっても問題は無い。体内に入り込んだ外部の雑菌は、白血球などの免疫機構が働いて除去してしまうからだ。ところが、大内さんは白血球を生み出す造血機能を損なわれ、日々消費されてゆく白血球を補うことが出来なくなったのだ。この問題に対し、医療チームは大内さんの妹さんの血中から造血細胞をろ過し、それを移植することで対処しようとした。
 次に皮膚の脆弱化、腸壁の損傷の拡大が発生した。皮膚も、腸壁も、日々その表面から剥がれ落ちている。しかしその分を新しい細胞で補っている。ところが大内さんは新しい細胞を作り出すことが出来なくなったので、それらの皮質によって保護されている筋肉が露出し、わずかな刺激で出血などを起こすようになったのだ。体表に関しては人工皮膚の移植で対処しようとしたが、定着することが無かった。そして腸壁の損傷は、毎日リットル単位での体内出血を引き起こすようになった。失われてゆく血液と体液を補うべく、小刻みに輸血、輸液が行われた。
 組織の脆弱化は肺機能にも及んだ。急激な肺機能の低下に対処するため、人工呼吸器の取り付けが行われた。これ以降、大内さんは自らの意思を表現することが困難になった。
 一度は心停止という危機を乗り切った大内さんだが、医療チームにも打つ手無しという思いから、無力感が広まっていた。家族も回復を祈りながら千羽鶴を折りつづけたが、大内さんの容態から一つの決断に達した。次に心停止があっても、もう回復させない、と。
 臨終前の夜、大内さんの妻子が最後の面会に訪れた。そして最後の心停止。大内さんと家族、医療チームの83日間の戦いは終わった。
 大内さんが運び込まれたとき、医師団の中には治療不可である事を見抜いている者もいた。が、それを口にすることは医療チームの士気に響く。それ以上に、快復を(いかに絶望的とはいえ)祈っている家族の気持ちを思えば、決して口に出来なかったのだろう。
 しかし、大内さんの壊れてゆく過程(これは"死に向かう"などという生易しい事態ではない)を目の当たりにしたある看護婦は、「これはなんなんだろう」という根源的な疑問をおぼえたという。そこには、既に死界へと赴いてしまったにも関わらず、最新の医療技術に支えられてなおも"延命"されている事への、根源的な疑問が込められていると思う。最後に「これ以上の延命はしない」と決断したのは、望んでいるかどうかも(あるいは既に望む能力すら失われているかもしれない)患者を、生存日数というスコアで図る現代医療の現実に対し、医師たちが良心を選択した結果なのだと信じたい。

今夜は星見日和

22時47分 星見 天気:晴れ

 昼の間、Diablo2したりウェブ文書のお手入れを久しぶりにやったりして、ダラダラ過ごした。その挙句に昼寝までする始末。うぁ、もうダメダメ。
 しかし、見上げる青空は昨夜よりなおも青い。昨夜の星見はやや不本意な結果に終わったが、この分なら......。
 夜が更けてくると、思ったとおり透明な夜空が広がっていた。5月にしては上々。シーイングは6/10くらいだろうか。
 18*50ISを担いで、自転車でいつもの丘に登った。既にさそり座は南中している。さそりの配列をなぞりながら、まずM4を探してみたが、これは良く見えなかった。次にM6。これはすぐに分かった。昨夜より星たちが明るく、かなり明瞭に見えた。月がさらに東にずれているのも好条件だった。M7も結構くっきり見分けられた。M8はすぐに発見できたが、散光はまるで感じられない。
 ここでふと気になったものに目を向けた。さっきM6を探す時、さそり座の尻尾の付け根にある二つ並んだ星の真下(南)辺りで、散開星団と思しき物を見かけていたのだ。もう一度さそり座の半ば辺りの星の並びから、南の方にあるさらに小さな二つの星の並びに目をやると、その少し北に散開星団らしき天体を確認できた。やはり、小振りな散開星団に思える。
 帰宅して、星図で確認すると、じょうぎ座のNGC6087のように思えた。結構明るい(6等星相当)星団で、さそり座の南方にある。カノープスほどではないが、地平線に結構近い、低高度の天体だ。じょうぎ座なんて、存在は知っていたが意識したのは生まれて初めてのことだ。
 ベランダに100EDを出した。こいつを出すのは久しぶりだな。C8EXとの比較でちょっと評価を下げていたのだが、C8EXに較べれば取り回ししやすいのは助かる。
 まずSW24.5を着けてM4に挑んだ。うん、おぼろげに見えている。今夜のシーイングは、やはり悪くは無い。次にM6。さすがに双眼鏡で見るより明るく、迫力ある眺めになる。M7もはっきり見える。M8も微小な星が見え、またわずかに散光が感じられた。M22も見ようとしたが、置いた位置が悪くてのぞき難く、さっさと諦めた。
 さて、例のNGC6087(?)だが、ちょうどじょうぎ座が、ベランダ正面の家の間に顔を出している時だったので、さっきの手順で探してみた。やはりある。位置的にはNGC6087に間違いないように思える。100mmで見ると、微光星が10~20ほど群れているのが分かる。その広がりは、視直径でM6の1/5程度というところだろうか?
 今までM天体くらいしか追ってなかったけど、Mナンバー外のNGC天体もこれだけ見えるのなら、まだまだ星見の材料はつきまじという感じだ。

2001年05月12日(土曜日)

久しぶりに晴れた夜空

23時55分 暮らし

 昼の間、真正面の中学校ではテニス大会が盛んに行われていた。それに似つかわしい青空が広がっているぞ。今夜はそれなりに星見出来そうだと思いつつ、駆け回る女子中学生たちの生足に見入った(をーい!)。
 日付が変わる頃、そろそろ南中するさそり座を眺めに、いつもの丘に自転車で登った。
 明るい月があるせいか、18*50ISをもってしてもM6すら見難い。さそり座の配列を確かめ、M6の位置を割り出して凝視すると、ようやく見慣れた、整然とした星団が目に入ってきた。そこから少し右上に目をやると、M7も辛うじて分かった。一方、M8は明るい火星の真横にいるので、すぐに発見できた。しかし散光はまるで感じられない。やはり霞が邪魔しているようだ。実は少し霧が出ていたようで、帰宅すると自転車のサイクルコンピュータに水滴がこびりついていた。出立前にボディクリーナとチェーンオイルで手入れしていたのだが、その上に水滴が着いていたのだ。
 ベランダに20*80を出して、もう一度M6を視界に入れた。やっぱり凄く見にくい。M7も18*50ISと同じくらいしか見えない。M8も同様。春だなあ(嘆息)。
 明け方、寝る前(4:30くらいだったか)に自転車でまた同じルートを走ってみた。外はもう明るくなっていて、散歩している人もいる。さわやかな朝だ(寝るけど)。

Airnetサイトに手をいれましょ

20時44分 インターネット 天気:晴れ

 とりあえず、昨日文字化け原因を究明したので、airnetサイトのhnsを入れ換えた。
 以前はtelnetを使えたので、hns2.0をmakeしたのだが、airnetがシェルを開放しなくなったので(ケチッ)、今回からhns-liteを使うことにした。ついでにテーマもjikenbo+にして、他のサイトに合わせた。ちゃんと転送すれば、文字化けはしてないぜ。
 検索は、big-netで出来るからいいか。ここは僕の書式確認用にしか使ってないしな。

2001年05月11日(金曜日)

Airnetサイトの文字化け原因判明(いまさら)

23時41分 インターネット 天気:晴れです

 このところ、HNSづいている俺様であり申す。
 今日も今日とて、以前から気になっていた問題の原因究明に取り組んだので熱田神宮。
 まず文字コードの扱い方に目を向けてみた。AirnetのサーバはAIXらしいので、EUCで良いはずだが。というところで、日記の実体はちゃんと表示されているのに、日付とかの"日"など、恐らくテンプレート化されているだろう部分が化けているのに気づいた。ではサーバ上のファイルを見てみると、確かにテーマファイルの文字が化けとる......。転送ミスか?
 これを直せば問題解決だろう。が、これを機にhns-liteに入れ換えるつもりなので、後でごっそりやろうと思う。

2001年05月10日(木曜日)

BD-1のシートレベル調節

20時39分 自転車 天気:くもり

 今日はくもりというか、晴れ間も見えるが雲量の非常に多い日。そのくせ、全体的に雲そのものは薄い感じで、雨には発展しそうに無いものだ。視界の邪魔に徹しているようなもんだ。腹立たしいことこの上なし。
 代わりにというわけではないが、BD-1を少々いじる。サドルの高さをもう少し上げたのだ。本当に"少々"でしかないな(レバー一本だ)。走りながら、どうもペダリングがスムーズでないのが気になっていたので、もう少し(3cmほど)上げてみたわけだ。すると効果は顕著で、ペダリング時に感じていた膝への負担が軽減され、さらにどうしても発生していた左右のブレも同様に軽減された。その代わり、足つきはほとんど無くなった。バレエよろしく、つま先で接地しているような塩梅だ。
 しかしまあ、この程度でこれだけ乗り心地が変わるのだから、自転車という代物も奥が深いもんである。

2001年05月09日(水曜日)

wakwakでhns-liteを使おうぞよ

23時37分 インターネット

 前日の余韻覚めやらぬうちに(というよりコツを忘れないうちに)と、wakwakサイトのhna-lite設定を詰めた。
 基本的に、ドキュメント通りに設定するとほぼ動いていたのだが、ページ内のボタンやタグで日記の別の日付を呼べないなどの問題が残っていた。
 今回、生成されているHTMLソースを調べてみると、それらのリンク先が"~/diary/?200105011"などとなっているのに気づいた。本来なら"?"の直前に"index.cgi"などが挿入されるはずだが、wakwakでは".htaccess"が使えないためにこうなっているのではないか。そこで、"config.ph"の"MyDiaryURI"に"index.cgi"を書き足してやると、この問題は解消された。
 次にh14mへのリンクで、アイコンが表示されない件。これはwakwakの制限で(制限の多いサーバだこと)、"~/public_html"下に画像ファイルを置かないと表示できないというのが原因だ。この画像ファイルを"public_html"下の適当なディレクトリに移す。さらにhnsで使用中のテーマ(この場合はjapanese)ディレクトリにある"theme.ph"を開き、そこに書かれている画像へのリンク先を先のものに変更すると、表示できた。一応、動いているようだ。
 後で気づいて、hns-liteを最新バージョン0.8にバージョンアップし、さらにテーマをjikenbo+(wakwakサーバは"+"を使えないので適当にリネーム)に変えた。これは近い過去の見出しが一覧できるので便利だ。さらに画像ファイル関係もwakwak制限に従って全て移動させ、それを参照している個所を書き換えた。これでwakwakサイトも完全に稼動した。
 残るはpnamazuの適用だが、これは別途やろう。

n年日記

20時35分 インターネット 天気:くもり

 HNSの方では日付の横に[n年日記]というのがあるでしょう。これは過去の、同月同日付日記を一覧できるという機能で、おおよそ毎年この時期になるとなにをやっていたか知るには便利な機能だ。特に、5/3のSFセミナーのように、毎年同じ日に開催される催しの場合は、そこで毎年何を考えたか分かって面白い。まだhns化して1年なんだなあ。この先蓄積してゆくと、この機能はさらに使いでが出てくるだろう。

2001年05月08日(火曜日)

Namazuついに稼動

22時33分 インターネット 天気:雨

 今日は、昼くらいからまとまった量の雨が降り始め、夕方には路面は水浸しに。小さい折り畳み傘しか持ってなかったから、帰路はけっこうイヤ~ンだった。そろそろ、沖縄、奄美大島では入梅なんだねえ。
 帰宅して、長い間ほったらかしにしていたHNSのNamazu検索機能組み込み作業を実施した。アクセスログを見ていると、検索ページから飛んでくる人は結構多いようだ。作業は難しく無さそうだったので、Namazu組み込みに挑戦してみた。
 前に入れようとして挫折したのは、Namazuやその前提プログラムであるKakasiがインストールにroot権限を必須とすることだった。ふつうのレンタルスペースでは、rootになんてなれないから、無理だと考えていた。
 今回調べてみて、多少の工作でレンタルスペースにも適用可能だと判った。これらのプログラムがインストール時にsuする必要があるのは、実行プログラムなどを/usr/localなどに入れているためだ。しかし、configureの時に"--prefix ユーザ領域"とすれば、その必要はなくなると判った。マニュアルに書いてないNAMAZUを参考にすると簡単だった。
 telnetでbig-net(もうウェブ・コミュニケーションズになったんだっけ)に繋いで、lynxとftpでnamazu、kakasiなどを取得しておく。ついでに、hnsも最新バージョンに入れ替えた。テーマも楽しそうなjikenbo+に変更。右に近日のタイトル一覧が出ているでしょ?
 最初はkakasi。これはconfigureに引数をつけるだけでmake installまで問題なし。次に、必要かどうか判らなかったが、Test::Kakasiも。こちらはMakeFile.plを修正して、perlスクリプトでmakeする時にやはりprefixをつけると良い。しかし、この時に書くディレクトリは、後のことを考えてはいぱー日記システムのNamazu組み込み手順を参照し、そのディレクトリ値に合わせた方が良いと思う。
 最後は、その手順どおりにNamazu本体、hnsのNamazu組み込みスクリプトをインストールすれば、もう大体動くはずだ。hnsの設定ファイルのnamazu関係の変数、URL辺りを変更する必要はあった。
 検索するためには、Namazuの場合はインデックスファイルを生成しておく必要がある。結構な容量を食うので、big-netが領域100MB化してなかったら躊躇したろうなあ。
 これで"ワイドビノ"だろうが"NHKスペシャル"だろうが"女子中学生のスクール水着"(爆)だろうが、検索しまくれるぜ。試してくんな!(何故口調が変わる)
 次は、やっぱり放ってあるwakwakサイトのhns(-lite)と、それへのnamazu組み込みだな。hns-liteはともかく、namazuは無理だろう(telnetできないので)と思っていたら、perlスクリプト化したpnamazuというものがあるようだ。インデックスは別個に作らなければならないが、wakwakでも既に稼動している実績があるので、敷居は低そうだ。

2001年05月07日(月曜日)

休み明けの月曜日は

23時31分 星見 天気:晴れ

 長い休みも終わり、再び会社生活に逆戻りである。
 前日、よく眠れなかったせいもあり、全身に倦怠感が漲っている。とりあえず止めていたサーバ群を起こさないと。
 サーバをなんとかして、会社のメールサーバが休み中に移行していたのに合わせて、MUAの設定なども変更した。案外にスムーズに行った。という感じだったが、最後にボロがでた。イントラのウェブページが読めなくなったのだ。恐らく、そこに書いてある設定目当てにアクセスが集中し、サーバが負荷に音を上げたのだろう。やがて回復したが。
 帰宅して、KT-10の架台の組み立てに取り掛かった。錐で穴をあけ、木ネジで止めてゆくのだが、2本ほどネジを舐めてしまった。鬱です。後でボンドか瞬間接着剤、更に最終奥義「はんだ付け」で取ればいいさと思い直す。でも立て付けの精度が悪くなって、やっぱり鬱。残りは明日やろうか。
 でも、架台の原理は理解できたので、あるいはもっと軽量なオリジナルのを作ろうかと思ったりして。安い望遠鏡キットなのに、凄く楽しめるなあ。

2001年05月06日(日曜日)

KT-10の見え味

23時29分 星見 天気:晴れですね(雲量多し)

 今日で連休も終わりか。振り返ると、それなりに充実してた気もするが、出来なかったことを数えて寂寥感に浸る俺様であることよ。
 とりあえず、KT-10を仕上げるか。塗装は充分に乾燥しているので、部品の最終組付けをする。ここで光軸調整手順を確認しながら組み立てていったのだが、斜鏡が接眼部のまん前に来てないんでぶったまげた。しかし、スパイダーの調節をするとちゃんと真正面に来ることが判り、一安心。
 全部品を組み付け、光軸を調整する。まず接眼部と斜鏡をまっすぐにする。これは斜鏡支えの調節ネジをいじって、多少手間取ったが大体あわせる。次に斜鏡と主鏡の位置あわせ。予め主鏡の中心に書いてあった印(どのみち斜鏡の影が来るので問題は無い)を見ながら、斜鏡の中心と主鏡の中心を合わせた。更に、上から覗き込み、主鏡と外の軸も合わせた。アバウトな作業だったせいか、そんなに手間取らなかった。まずはとにかく見てみたいのだ。
 夜になって、雲が多いが月が出てきた。接眼部に、付属品のケルナー式12mm(知らない人に見せたら「耳栓?」といわれそうなくらい小さくてチャチな代物。でも役には立つ)をねじ込み、月に向けた。いや、架台をまだ作ってないので、鏡筒を抱えて覗き込むわけだが。
 月らしき光源を視界に入れ、ラック・アンド・ピニオン式接眼部を動かしてピントを出した。想像以上に清澄で、きれいな像だった。やあ、これは愉快。
 接眼部はツァイスサイズなので、手持ちのツァイスサイズ接眼鏡をとっかえひっかえ試してみた。充分なストロークを持っているせいか、全てのアイピースでピントが出せた。
 真夜中、ふと空を見ると、ひときわ明るい星が見えた。苦労して視界に入れると、それは思った通り火星だった。火星を見ながら、ピントを大きく外してみると、斜鏡と主鏡の位置が合ってないものの、他にいびつな狂いは無さそうだ。これでの本格的な観望が楽しみになってきた。でも、その前に架台を作らなきゃなあ。

2001年05月05日(土曜日)

KT-10製作開始

23時14分 星見 天気:晴れてきてますなあ

 この週末は、それなりに晴れ間の多い良い天気になった。子供の日らしい心地よい風に誘われるようにして、KT-10の製作に取り掛かった。
 塗装を先にしようか後にしようか迷ったが、加工の便を考えて塗装は後回し、最初に組み立てまで行ってみた。
 まず説明書を見ながら、鏡筒側面に補助線を描いて行く。基本的に、スパイダー3本が120度ずつの同一断面に、そしてそのうちの一線の中央に接眼部が来る。鏡筒を縦に3等分するような線を引き、そのうち一つの対面にもう1本引く。そして鏡筒から一定のところにスパイダー用の穴三つを、そこからさらに下がった位置に、接眼部貫通用とその固定用の穴をあける。接眼部貫通用のものはかなり大きいので、最初に錐で短い切れ込みを作り、そこから細い木工用ノコで切り出した。断面はやすりで仕上げておく。残りの穴は全てネジ用の穴なので、錐で開け、ネジを通すことで広げておく。それでも足りない場合は、細いやすりで削り広げた。
 一応、接眼部とスパイダーの固定を確認し、次に主鏡に取り掛かった。主鏡を固定用セルに入れ、さらに大きなセルに入れて、間を調節用ネジで繋ぐ。そして主鏡ユニットの固定ネジ穴を鏡筒に開け、仮止めした。この状態で外の目標に向けると、おお、一応見える。まあ微調整は後回しだ。
 次に塗装。まず黒いアクリル絵の具を溶いて、内面に塗ってゆく。想像していたよりはるかに捗る。塗ってみたところ、思いのほか反射するようだ......。とりあえず塗るだけ塗ってみよう。
 次に外面。こっちはオレンジ色に塗ってゆく。これはイメージ通りの鮮やかな発色だった。このアクリルカラー、乾くと耐水性らしい。そんなに濡らしはしないが、心強いことだ。
 一度内外を塗り、乾燥させ、その上に重ね塗りする。こうすると、塗り斑が目立たなくなり、また先に引いた補助線も隠れてくれる......。でもまだ見えてるな。どうしてもということなら、もう1回塗るか。今はこれで良い。
 鏡筒を乾燥させながら、今日はここまで。

2001年05月04日(金曜日)

SFセミナーの余韻

22時12分 思考 天気:くもり

 昨日のSFセミナーの余韻が残っているのか、どうも色々考えてしまう。怖い考えになるわけではないが。
 瀬名氏のSF界への違和感と共感は、共有できるような出来ないような、アンビバレンツな気持ちだ。それはたぶん、僕自身がSF界への帰属意識がある反面、そこはかとなく外から眺めているような部分があるからだろう。
 そんなわけで、大体寝て一日を過ごした(ダメじゃん)。

2001年05月03日(木曜日)

SFセミナー2001へ

22時09分 SF 天気:雨のち曇り

 今年もSFセミナー2001に出ることにした。
 生憎、今年のGWは雨に祟られっぱなしで、今日も今日とて結構な雨が降っている。かさばることを覚悟して傘を持って出た。
 東京着は12:00頃だったろうか。多少の余裕がありそうだったので、秋葉でちょっと探し物をする。1号機のプロセッサを換えたときに、実はキーボードも交換していたのだ。1号機のコンパクト106(89)キーボードと、PC切換機につながっていたIBMのSpace Saver Keyboardとを交換したのだ。ところが、切り換え機にはWindows OSな機械が多いので、邪悪なWindowsキーがあった方が便利だ。そういうわけで、出来るだけコンパクトな109キーボードを探したのだが。生憎、気に入るものはなかった。妙に丸っこかったり、厚みがあったりして、イメージ通りのものがない。今日はあきらめた。気長に探しましょ。
 さて、今年のSFセミナーも全電通労働会館で開かれることになっている。久しぶりにフィールドに持ち出したロカティオを頼りに、15分ほどで秋葉原駅から到着できた。御茶ノ水駅から歩くのと変わらないんじゃないか。
 既に受付が始まっていたので、受付で4000円を支払って名札と資料をもらう。なぜかプログラムはもらえなかった。ホールに入り、まあ中段の上辺りを占拠して、開幕を待った。
 13:00過ぎ、去年と同じ女性二人組によって開幕が宣言された。この時点で入場者は6割くらいだろうか。雨に祟られたのか、去年より少なかった気がした。この時、司会より「手違いで未着なのでプログラムは後ほど配布」と伝えられた。どんな手違いだ。まあ無くちゃ困るものでもないけれど。
 プログラムの最初は『レキオス』の著者、池上英一氏のインタビュー。良く名を聞く本だが、未読だったので内容はよく分からない。が、この作者のキャラクタが楽しかった。『(とある謎音楽で)トリップして理性を飛ばしてから書く』、『書きながら次の行を想像できるようでは(こういう怪作は)書けない』などなど、聞いている方がクラクラしてくるような発言の連発だ(笑)。シノプシスにこだわりすぎて1行も書けないような小説家予備軍は、もしかしたらなにか掴めた気になれたのでは(なれるかっ)。他にも1500枚を1000枚に削ったとか、かなりクるエピソードが語られた。作品もそういう感じらしいぞ(どんな感じだ)。でも軽薄なキャラクタの向こうに案外にしっかりした覚悟みたいなものも見えた気がする。「登場人物が構造を飛び越える瞬間を信じている」とかな。そういう意味では、インタビュアーの人にもう少し頑張って欲しかった。
 途中と最後にトリップ用謎音楽が掛けられたが、10分聴いていると耳から脳みそが流出しそうな代物だった。
 次は『アンソロジーの新世紀』。最近、創元社から『影が行く』というSFホラーアンソロジーを出した編者の中村融氏、更に同氏とのコンビで河出文庫から『20世紀SF』を出した山岸真氏、加えて河出の編集者伊藤靖氏、司会に創元の小浜徹也という4者がアンソロジーに関して語り合った。
 印象に残っているのは大出版社では上層部は「なにが売れているかも知らない」という発言だった。そりゃいくらなんでもやばい状況だ。いくら会社がでかいといえ、例えばトヨタの幹部が売れてる車種に関して無知だとは思えないからだ。出版業界が特殊なのだろうか。
 「アンソロジーはリスキーだ」というのも印象的。目立つほどには売れないものらしい。
 中村氏は高校の頃から読書ノートを付け続けているそうだ。日付や原題、枚数まで着けているそうだ。この膨大な蓄積が、アンソロジーを編むに当たり役立っているようだ。そうだよなあ、一つのアンソロジーを編むだけで何十という候補が必要になるし、それをすぐに比較できる資料も必要なのだろうから。
 「『20世紀SF』は(博覧強記で有名な)水鏡子を怒らせるようなものにしたかった」との発言も。水鏡子氏は、アンソロジーに編者の個性が読めるようなものが良いと述べているそうだが、それに反して"お得な詰め合わせパック"的なアンソロジーで良いじゃないかと考えたのが『20世紀SF』なのだそうだ。確かに、たくさんのアンソロジーが登場し続けているような状況でなら編者の個性も大切かもしれないが、滅多に登場しない状況では意味がないかもしれない。
 このプログラムで残念だったのは、音声の調整がなってなかったことだ。司会の小浜氏の声はやたら大きく聞こえるのだが、他の三方、特に小浜氏に次いで発言していた中村氏の音声が小さかった。もう少し小浜氏は絞ってよかったのでは。
 この辺まで休憩の度にトイレに行っている。あれ、こんなに水分取ってたっけ。ふと気づくと、入場者は7割くらいにまで増えていた。最初はいなかった左手奥の方にも増えていたので、明らかに増加している。~
 次は『SFにおけるトランスジェンダー』。性別越境者で大学講師でもある三原順子氏(女史、か?)を招いてのインタビューだった。ホモセクシャルとトランスジェンダーの最大の違いは、性別が誰にとって問題かという点にある、とのこと。ホモセクシャルは相手の性別(がたまたま自分と同じ)、トランスジェンダーは自分の性別(が元々間違っていた)という点で異なるとのお話。なるほど。また脳(意識)と身体が性意識を巡ってせめぎ合っているというモデルの立て方も興味深い。
 性はSF的問題として古くから扱われては来たが、三原女史はその探求範囲の狭さに不満を抱いているようだった。例えば谷甲州の『エリコ』は、まさにトランスジェンダーな主人公を置いたことで話題を呼んだ作品だが、SF的舞台設定としても既に古いという。今、男性を女性にほぼ完全に(妊娠/出産を除き)改変することは可能だという。未来の情景として、『エリコ』の描写は既に不適切なのではないかというわけだ。全般的に、SFにおける性の追求は努力不足という感じだ。ティプトリーはどうなんだと思ったりもしたが。確かに、日本のSF作家が性を扱うとき、変な平等主義(あらゆる職種を両性に折半してみたり)を持ちだしてみたり、逆に極端に無頓着だったりする点は気になってはいた。そういう意味では、SFのなすべきことはまだまだ膨大に残されているという指摘だとも思える。
 このプログラムでは、『SFにおける』というのは外してしまっても良かったのでは無かったろうか。トランスジェンダー(というか現代社会での性意識の最先端)に対して、多くの視聴者は無知に近かったはずだ。「性別越境者」なる者が目の前で語るというだけで、十分SF的な事件だったようにも思えた。
 最後は『パラサイト・イブ』、『ブレイン・ヴァレー』などSF的要素の強いホラー小説を発表し、SF読み達に賛否両論を巻き起こした小説家、瀬名秀明氏の講演だった。これはピンでやる、まさに講演スタイルで、プロジェクターまで使用された。
 瀬名氏によれば、自身とSFとの関わりは無くもなかったという。子供の頃、読書の習慣がついた頃にはSF作品にも手を伸ばしていたらしい。しかしなぜかのめり込むことなく、その後は意識することなく様々な本を読んだという。しかし一部のSF作家、特に眉村卓の文体に強い影響を受けていると自己分析している。
 この講演は、(先の三原女史よりも更に)SFの外に立っているという意識を持つ瀬名氏が、SF作家/読者/出版社にSFへの"違和感"を語るという形を取っていた。そのため、瀬名氏は「なぜSF界とその外とは様々なものを共有できないのか」という命題を掲げていた。しかし豊富な内容に対してあまりに時間が足りなさすぎた印象がある。倍の時間をかけねば語り尽くせなかったのではないだろうか。夜の部に参加しなかったのは、ちょっともったいなかったかなと、今回は思った。
 瀬名氏は自分に対する「SFファン」からの抗議の多さに驚いたという。「義憤に駆られているような方もいた」ともいう。実際、抗議の中には『パラサイト・イブ』の非科学的描写が社会的悪影響を及ぼす、というものもあったらしい。これに対し、瀬名氏は「『パラサイト・イブ』はホラー作品だ」と言い切り、SFとしては宣伝などしてないし、評価軸も違うと主張していた。それはSF界からの一方的な言い分だというわけだ。この言い分を飲めば、思うに、これはいささかゆがんだ形のラブコールだったのではないだろうか。つまり、『パラサイト・イブ』ほど売れた、科学的知識も豊富に盛り込まれた作品は、是非ともSFであって"欲しい"という意志表明が、抗議の形を取って現れたのではないか。つまり、これはSF界からの修正要求(SFへの適合性を高めるための)だったのではないだろうか。これに関連して、瀬名氏は「作品の前半、後半で大きな乖離がある」という指摘を不思議に思ったという。どうにも直感的に理解できなかったのだ。しかし、あるホラー映画を見ているとき、敵の正体が割れた場面で観客が失笑したのを目にして、やっとその感覚を理解できたという。前半まではよくできたホラー映画だったそうだが、敵の正体があろうことか"ゴキブリ"だったのだ。そこで観客は失笑したのだが、瀬名氏はこの落差も含めてのホラーだという。たとえ前後に大きな落差があろうとも、それがホラーの文法に従っているのなら問題ないということではないかと受け取った。~
 考えてみると、SFでは科学的な文法がそのまま作品の文法に適用されるから、ある時点までの科学的事実(作品中の)が突如として無視されてしまうようなものは、SF作品として無価値と見なされる傾向があると思う。一方、ホラーは人間の心理に衝撃を与えることを狙ったものだから、たとえなんのただし書きも無しに筋書きががらりと変わったとしても、ホラーとして効果があれば問題はないと見なされるのかもしれない。
 瀬名氏は科学ノンフィクションも手がけているが、それは『パラサイト・イブ』に対する諸反応を見て、フォローアップの必要があると感じたからだという。瀬名氏は業界人にインタビューしたり、ウェブでアンケートを募ったりしてSFを巡る読書傾向を調査したそうだが、それによれば、SFファンは案外に科学ノンフィクションを読んでないそうだ。僕は科学ノンフィクションの方が多いのだが、それでも月に5冊程度だろうか。SFファンは、こともあろうにSF作品そのもので科学知識を得ているのではないかという疑いが出てくる。しかし、なにせ小説なのだから、どのような荒唐無稽な嘘八百が並べ立てられていても、少しもおかしくはない。もしもSFファンが、小説の記述の多くは事実である(べきだ)と思い込んでしまっているのなら、瀬名氏に対する抗議の多さも理解できなくはない。しかし、小説をまるごと作り事として読めないという姿勢は、大きく恥じるべきではないだろうか。
 最後の方で、瀬名氏は「XXはSFである、YYもSFである」という戦略は迷惑だと述べていた。出版、読者層の現状として、SFというラベルは本の評価に対してマイナスになりかねない状況だということらしい。そんな現状で、「XXはSFである」という声は、それによってその作品になにかを付加できないならば無意義ではないかということらしい。これには、SF関係者の一部からも賛同の声が上がっていた。
 僕はまさに「XXはSFである」と指摘し続けることが大切だと思っているので、多少の反論を試みたい。まず読者の立場からすれば、「XXはZZである」とジャンル(前に書いたような、作品の要素としての広義のジャンル)が付加されることに問題を感じない。そもそも、ある本を読むにあたってはジャンルを意識しないか、あるジャンルを意識するかの二つに一つだ。どっちにしても、読書中の本に感じている"価値"に変化があるわけではない。むしろ新しい読み方(ZZならではの読み方)を指摘されたという意味で、読書としてはより豊穣になりうる可能性があると思う。
 一方、問題があるとすれば狭義のジャンル(一冊の本を本屋のどの棚に置くかという意味でのジャンル)への波及だろう。ある本をホラーとして売りたいのに、しかしSF業界からは「あれはSFだ」と攻撃される。これは出版社、小説家とすれば、戦略の混乱をもたらすという意味で迷惑な話だろう。しかし僕は出版社でも小説家でもないので、こういう迷惑などどうでもよいことなのだ。ある本にある(広義の)ジャンルの要素があると感じたなら、そう主張することに特段の問題があるとは思えず、またその主張によって読書という行為がより豊穣なものになりうるとも思う。またあるジャンルにとって利にならなくとも、別のジャンルがそれを利用するという行き方もアリだと僕は思う。ホラー小説にSF的設定が氾濫してしまうのは、まさにそのようなパラサイトの結果だとはいえないだろうか。そのようにしてジャンル同士がせめぎあい、食らいあっても、結果的にパイが大きくなれば業界にとっても問題にはならないだろうと思う。そういう厳しいせめぎあいにSF関係者は非常に寛容だった(もしかしてお坊ちゃんお嬢ちゃん集団だったのかも)のがSFの価値低下(つまり他ジャンルによるSF的価値の濫用)につながったのではないかと思うのだ。そうであるならば、ここでSF側から他ジャンルの利用へと触手を伸ばすということは、実に今とるべき戦略だと思うのだ。そういう意味では、瀬名氏には悪いが、『パラサイト・イブ』への一方的ラブコールも、やり方さえ間違えなければ有効なものに思えてくる。実際、「作品の依頼はSFばかり」という瀬名氏のぼやきにも似た発言は、そうした戦略の正当性を反映しているのではないか。
 瀬名氏はこの日の発表資料や内容を、後日まとめて掲載してくれるという。それを見てから、さらに詳細を追ってみたい。
 会場を出ると、もう19:00だった。そこから秋葉まで歩き、JR経由で帰宅した。来年もまた出席しようと思う。

2001年05月02日(水曜日)

ハンズで買い物

23時07分 星見 天気:まだ雨か

 そろそろ、買いっぱなしだったコルキットKT-10の製作に取り掛かろうと思う。説明書を眺めていい加減な方針を立て、ハンズで色々買い集める。
 まずはB1でチェーンオイルとボディクリーナ、タイヤ外しレバーを。いや、これは自転車用だけど。
 望遠鏡製作用には、この前に木工用ノコ、カッターなどを買い揃えてある。今日はそれに買い足す形だ。
 まず本体加工用に分度器を。それから塗装用に絵筆と筆洗い、絵の具の皿、そして絵の具としてアクリルの黒、オレンジ色を。中に遮光紙を貼ろうかと思ったが、そこまですることはないかと思って黒く塗ることにした。また外装はオレンジに塗って、適当なデカールを貼ってやろうと考えた。オレンジ色の鏡筒って、ちょっとオシャレだと思うのだ。
 さらにドブソニアン架台の塗装用に、クリアニスを。木目を生かした塗装にしようと考えた。
 これで一応の道具は揃った。が、いざ取り掛かろうという気力が湧かない。明日はSFセミナーだから、明後日くらいから作り出すか。

2001年05月01日(火曜日)

今節のみんなの歌

23時06分 音楽

 そういえば今節分のみんなの歌の感想を書いてなかったな。
「アキストゼネコ」。パラパラとあいまって悪評紛々な代物だが、まあいいんじゃないだろうか。元々、みんなの歌では最近の流行に沿った曲もやってきたわけだし。視聴者ほぼ全員が名曲認定するであろう「愛だったんだよ」にしても、'60年代基準では随分下品な曲に映るだろう。それにしても能天気な歌だ。
「うじゅくじ」。これも変な歌だ。これ、みんなが歌える歌なんだろうか。でも猫可愛い(二足歩行してますけど)。
「パパとあなたの影法師」。パパの、最後のガッツポーズが良いね。
 再放送分のうち、初見2曲。
「トレモ・カモミロ」。初見といいながら大昔見た記憶あり。「男の中の男」だけど「ねぼすけ」ってのがいいね。「男の中の男」だけど、というのは男のロマンだ。でも「男の中の男」だけど「男が好き」というのは個人的には問題があるように思うな(どんな問題だ)。このアニメは、先に亡くなった毛利厚氏の作品。
「メトロポリタン博物館(ミュージアム)」。これも有名。最後に大好きな絵の中に閉じ込められた、というのが一部に恐怖心を煽っていたようだが、この曲調だと明晩にはまた動き出すだろうな。

休みだから休む

19時05分 暮らし 天気:雨だったり曇だったり

 相変わらず雨が降ったり、寒い曇だったりで、外出する気になれない。まだゴロゴロしております。でも休みだからこれでいいのだ。