Strange Days

2001年11月30日(金曜日)

今日は順路を

23時02分 自転車 天気:晴れ

 今日も今日とて帰宅後に1時間弱ほどTCR-2で走った。
 公園の周りをぐるぐる回っているばかりでは、いい加減飽きてくるなあと思った。必要に応じて、長駆境川辺りまで走るコースを開拓する必要ありか?
 それと、自転車を替えながらというのも良いかもしれない。今度は、久しぶりにMTBで走るか。

2001年11月29日(木曜日)

帰省時に持って帰る自転車は

22時00分 自転車 天気:晴れだが雨が降った形跡も?

 帰省する時に持って帰る自転車はどうしようと考えた。あんまり出歩かないだろうし、キワチャリでいいかなと思った。しかし、キワチャリは、現状では乗って気持ちよい感じではない。BD-1を持って帰ってもいいのだが、ちょっとしんどいな。いっそ、持って帰らないで、実家で母が買ったままほったらかしにしているママチャリを使おうかと思ったりして。
 あるいは、長駆輪行のための車両を購入するか。14インチでコンパクトに折りたためるものがいくつかある。しかし、来年にはもっと強力なのが出そうだし......。
 あるいは、ロードバイクを持って帰るか。重量はBD-1の場合よりむしろ有利だ。が、大きさが相当のものになるので、混雑が予想される年末年始の移動には気が引ける。やはり、輪行には折りたたみが向いているのはいうまでも無いことだ。
 結局、BD-1を持って帰って乗り回すことになるのか。
 今夜も10周コースを回ってきた。効率的に脂肪を燃やすには、もう少し距離を稼いだ方がいいのだが、寒すぎる。

2001年11月28日(水曜日)

今日は逆走

22時58分 自転車 天気:晴れ

 一日休んで、今日も10周コースをこなしてきた。この間の荒川オフで転倒したときに打った左ひざが、まだ時々痛むようなので軽くこなす。距離を伸ばすのは治った後だな。
 いつも同じように走っていたら飽きるので、今日は逆走してみた。いつもは左回りなのだが、今日は右回りに走ってみた。全てのコーナーを外から回るので、ある意味では楽だ。しかし、車との交差が辛いこともある。また地勢の関係で、短いが急な上りと、長い下りがある。上りは人気の無い公園の周回路だが、下りは街中なので飛ばせない。左回りの場合は逆の傾向になる。どっちがフィットネスに向いているのだろうか。
 さすがにぐるぐるコースだけでは飽きるので、一周10km程度の別のコースを開拓しようと思う。

2001年11月27日(火曜日)

冬がやってきた

23時55分 星見 天気:晴れ(それにしても寒くなってきた)

 左手薬指の右腹に、なにかしこりのようなものが出来ている。なんだか捻挫したような塩梅だ。今日は自転車は自粛しましょう。
 風呂に入っていると、やたらと寒気が染みてくる。こうなってくると冬だなと感じる。
 日付が変わる頃、アパートの廊下に出て頭上の昴に18*50ISを向けた。冬が深まるにつれ、昴の輝きも深まるようだ。少し視線をずらしてゆくと、コンパクトにまとまったスバルとは逆に、雄大に広がるヒアデス星団が目に入る。土星がその近くに輝いている。さらに東に進むと、オリオン座、おおいぬ座が目に入ってくる。M42は散光が揺らいで見えた。やや風があるせいか。M41は慣れないと一発では発見できないくらい、ささやかな輝きだ。そして東のはずれに、木星の強い輝きがある。もう、オリオン座も夜半には南中するようになっている。冬本番だ。

2001年11月26日(月曜日)

健康のために走りましょ

22時48分 自転車 天気:晴れ

 さてさて、ようやくTCR-2を買った目的を果たすときが来た。帰宅後の夜中に、立場運動公園の周囲を走って、健康のために運動量を稼ぐのだ。
 TCR-2にお茶のボトルを載せて(二つのボトルケージが役に立った)、公園へと走り出した。
 公園の周囲をぐるぐる回る。1周1km程度なので(正確には960m位のようだ)、ペダルを踏み気味にすると、あっという間に周回してしまう。しかし運動するのが目的なので、飛ばさずに20km/hくらいで、ゆっくり走った。
 寒いなあ。ジャージの上下に、ウィンドブレーカを重ね着し、グローブは厚めのフルカバー型なのに、寒さが染みとおってくるようだ。たまらん寒気です。
 白い息を吐きながら、5周ほどすると、所要時間は20分くらい。よくフィットネス関連のページで目にする表現に拠れば、有酸素運動の効率が上がる、すなわち脂肪の燃焼が速まる頃合だ。一度止まって柔軟体操をして、また5周を走った。40分程度、この頃にはさすがに体がぽかぽかしてくる。しかしさっさと家に帰りたい。指がかじかんで、痺れたようになってきている。ドロップハンドル故、手首に負荷がかかっているせいもある。この点は、STI部に上から指を掛けるように握ることで、結構楽にはなった。
 帰宅して、ビールを飲みつつ食事したら、てきめんに眠くなって爆睡モードに移行。

2001年11月25日(日曜日)

NHKスペシャル「宇宙 未知への大紀行」

23時37分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは、「宇宙 未知への大紀行」第8集、"宇宙に終わりはあるか"。
 僕たち人間がどこから来てどこへ行くのか、それは様々な思想、思考体系にとって、そして人間の活動を通して永遠のテーマといえよう。そしてそれは、宇宙の終末はどうなのか、という大テーマへと必然的につながってゆく。
 かつて、人類は宗教を通し、さまざまな終末に思いを巡らせた。キリスト教者のヨハネ(聖ヨハネ)は、地上に怪異が溢れ、空からは星が降ってくるという終末の光景を語って見せた。
 現代の天文学、物理学は、宇宙の"一生"をある程度解き明かし始めている。
 宇宙は、120~150億年ほど昔、ビッグバンとして知られる爆発的な拡大により、無限小に近い一点から始まった。最初、物質の密度が高かったために光は直進できず、光そのものを目にすることは難しかったはずだ(つまり宇宙が『光あれ』という宣言と共に始まったという物語は眉唾物だ)。やがて宇宙が"晴れ上がり"(密度が下がったので光が直進できるようになった)、それと共に密度に濃淡が生じ始めた。やがて濃い部分は凝縮し始め、星が生まれ、重いものは恒星として自ら光り始めただろう。さらにそれらが集まって大きな構造が構築され、それは銀河となっただろう。恒星は重いものほど寿命が短い。自らを構成している水素とヘリウムを燃やし尽くすと、縮退して矮星と化したり、あるいは華々しい大爆発を起こす超新星となる。その時、恒星の内部で生産された重い元素(生物にとって欠かせない炭素など)が放出され、それらは徐々に蓄積されていった。やがてそれら重い元素を豊富に含む惑星が、平凡な主系列星の周りに生まれ、その一つが生命を、そしてやがて僕たち人間をも生み出す地球となったのだ。
 宇宙の"半生"を書くとすれば、以上のようなものになるだろう。
 では、宇宙のこの後は、"後半生"は、どのようなものになるのだろう。
 宇宙は拡大している。この事実を明らかにしたのは、宇宙天文台に名を残すエドウィン・ハッブル博士だった。彼は長い間天空に散らばるいくつかの銀河を観測し、それらが全て、地球から見て遠ざかっている事を突き止めた。その事は、宇宙全体が拡大しているからだとしか説明できない。そしてその論理的必然として、宇宙は無限小一点から生まれたというビッグバン宇宙論も導き出された。宇宙は永遠不変のものではなかったのだ。
 従来、そのビッグバン宇宙論では、宇宙の未来を決定付けるものは、宇宙自身の総質量と、最初に拡大し始めたときの速度だとされてきた。もしも総質量が大きければ、宇宙自身の引力が大きくなり、拡大する速度がそれだけ早く低下する。一方、速度が大きければ、宇宙の拡大するスピードはそれだけ長く維持される。もしも速度が十分に大きければ、宇宙は徐々に速度を落としながらも、永遠に拡大しつづけるだろう(開いた宇宙のモデル)。逆に質量がある程度大きければ、ある時点で宇宙は縮退し始め、やがて1点へとつぶれてしまうだろう(閉じた宇宙のモデル)。この二つのシナリオの間のどこかに、宇宙の運命があると信じられてきた。ところが、長い間支配的だったこれらのモデルに、今、大きな疑問が投げかけられている。~
 近年、大型の望遠鏡が世界のあちこちに設置され、深宇宙の探査手段は、ハッブルの時代からは大きく進歩している。他ならぬハッブルの名を冠した宇宙天文台もその一つだ。これらを動員して、宇宙の拡大する速度が精密に調べられた。すると、思わぬ結果が出た。宇宙が拡大する速度は、次第に減速するどころか、高まっているという結果が出たのだ。予想とは正反する結果だ。
 もしもこれが正しいとするのなら、宇宙は決してクランチしないという事になる。ビッグ・クランチ、収束する宇宙は、ビッグバンが考えられ始めてきたときから多くのSF作家の心を捉えてきたシチュエーションだ。ところが、宇宙の本当の後半生は、ひたすら拡がって希薄化するだけの、おおよそ詩的でないものだというのだ。いやまあ、この予測も人間が目にする範囲で仮定を積み重ねて推測されたものだから、あっさり覆ってしまうかもしれない。しかし、科学の最先端に目を向けている作家たちには、ちと書きづらい状況が予想されるわけだ。
 この未来像が正しいとすれば、宇宙の未来はどうなってしまうのか。
 事を地球に限れば、その寿命は太陽のそれに束縛される。太陽は、いずれ核部の水素、ヘリウムを使い尽くし、巨星化するだろう。すると、そのぶよぶよ太った太陽の外殻は、ほとんど金星軌道にまで達する。地球は間近に迫った太陽の高熱に焼き尽くされ、決して生命の存在できない世界になる。その前に人類なり他の知的生命なりが軌道を変えて、迫る危難を乗り越えるかもしれない。しかし、なんらかの人為的操作を加えなければ、この時点で生命の星、地球はおしまいである。やがて太陽は燃え尽き、矮星化し、太陽系は暗く冷たい星の墓場と化す。
 銀河系にも終わりの時は来る。銀河系の中核などで活動しているブラックホールが成長し、周囲の星を飲み尽くしてしまうのだ。また太陽と同様に、恒星たちも燃え尽きて行く。あるものは超新星化し、あるものは燃え尽き、あるものはブラックホールに飲み込まれる。やがて銀河系は、一つの巨大なブラックホールに飲み込まれてしまうかもしれない。
 宇宙がさらに拡大しつつあるということは、銀河系間の距離も広がっているということだ。銀河系は、他の銀河とは行き会わず、また他の銀河すらも見えなくなる中、孤独な死を迎えるのかもしれない。
 死は宇宙全体を満たす。星の進化が進めば、やがて燃料である水素とヘリウムが尽き、明るい恒星は死滅してしまうだろう。後にはブラックホールと、燃え尽きた暗い星だけが散らばる、荒涼とした世界がやって来る。さらに、ブラックホールにすら死はやって来る。ブラックホールは全てを飲み込む存在とされているが、実際には事象の境界線付近で一対の光子が生成され、その一方が地平線の向こうに逃れることでエネルギーを失って行く。表面積と質量の比は、質量が大きいほど小さくなるので、大質量のうちはさほど急にはエネルギーを失わない。ところが小さくなるに従って表面積/質量が大きくなるので、エネルギーも早く失われるようになり、最後の瞬間には爆発的に蒸発してしまうのだ。さらに、物質の基本構成要素である陽子にも寿命があることが予言されている。こうして、宇宙には数種類の素粒子だけが残る、本当に暗黒の未来が待ち受けているのだ。
 こうした宇宙の急拡大をもたらしているものは、真空のエネルギーだといわれている。真空のエネルギー、基底エネルギーは、本来なら0エネルギーであるはずの空間に、それでも量子効果で絶えず素粒子が生成、消滅することから存在するものだ。このエネルギーは、ビックバン直後には豊富に存在し、空間へと変換されることで急激な空間の拡大、インフレーションを起こした。その後、大半は熱へと変換され、ほとんど消えてしまったのだが、ごく一部が残っていた。基底エネルギーは、空間が拡大しても、単位容量辺りの密度は変わらないという性質がある。宇宙が拡大すれば、そこに潜む基底エネルギーの総量は、その分だけ増えるというわけだ。それが宇宙の現在でのインフレーションを起こしている原因だとされている。この先、基底エネルギーがまた熱に変わるのかどうかは分からない。
 いずれにせよ、この宇宙に終わりが来るのは間違いない。しかし、その時までに誕生した生命には、あるいはこの宇宙の寿命を越えて生き延びるチャンスがあるかもしれない。
 宇宙論は、この宇宙から別の宇宙、ベビーユニバースが生成されては成長して行くという予言をしている。もしもそうなら、その子宇宙と連絡する手段があるのなら、知的生命が移住するチャンスもあるかもしれない。その手段として考えられているのが、ブラックホールなどの超越的現象により生じるワームホールだ。ワームホールは空間を別の空間へと短絡させる事が出来る。これを人為的に操作すれば、この宇宙から別の宇宙へと移住鵜することも可能かもしれないのだ。
 しかしまあ、本当のところ、人類は太陽系からの脱出すらも難しいと考えざるを得ない。夢想は、人間の現実を遙かに越えた世界を垣間見させてくれるのだが。

自転車を整備する

20時35分 自転車 天気:晴れですな

 昨日の三浦半島サイクリングで疲れきった俺様は、昼頃までぐっすり眠り込む。寝ても寝ても眠気が取れない。完全に起き出したのは、14:00頃のことだった。
 この時刻にどこかにサイクリングに出かけても、あまり遠くへは行けない。それは諦めて、酷使していたMTBを含む自転車ズを整備し始めた。
 TCR-2のチェーン周りのオイルをクリーナーで落とし、それが乾く間に今度はハードロックのチェーンを洗い始めた。いやはや、嫌になるくらいに真っ黒なチェーンだこと。拭う手先が、あっという間に真っ黒になってゆく。チェーンクリーンツールを何度も通して汚れを落とすが、完全に落とすことは出来無さそうだ。程ほどのところで諦める。まあ、何度かクリーニング、ルブ塗りを繰り返せば、状況は改善されるだろう。
 ハードロックを乾かす間、TCR-2のチェーン周りにルブを塗布していった。こちらは届いたばかりなので、まだきれいなもんだ。さらにフレームにもワックスがけしておく。あ、グリスアップを忘れてた。まあ、それほど頻繁にやる必要も無いだろう。雨の日に走るわけじゃないんだから。
 ハードロックもルブをたっぷり塗布し、ワックスがけして乾かす。チェーン周りが、かなり軽くなった感じ。一番ハードなコースを走るのだから、こいつのルブ化が最優先のはずなのだが。どうしても価格順(TCR-2>BD-1>Hardrock A1-FS)に世話してしまう。
 まだ日があるうちに、と、TCR-2で漕ぎ出した。とりあえずライトは置いておく。やっぱりどう考えても40km/hは出てる状況で、表示は20M/H......ん、待て、これはマイル表示じゃないか。それで数値が小さく思えていたわけね。帰宅して、マニュアルを参照して、スピードメーターの表示を切り替えた。ライトを着けて疾走。今度はちゃんと40km/h以上を表示する。うん、体感と合っている。いい気になって走っていたら、ライトが電池切れ。あらら。
 帰宅して、3台の自転車をスタンドに吊るす。なにやら壮観である。ここにもう一台を加えるとしたら、モールトン・スポーツかCrusoeだろう。円安進行中の状況を鑑みれば、モールトンの方かな。10万円台前半で売りに出るなら、即座に買うのだけれど。
 吊り下げ状態のBD-1にもチェーン部にルブを塗布し、ワックスがけしてやる。さらに、ハードロックから外して放りっ放しだったフロントバッグを着けてみた。着けるとライトが使えなくなっていたのだが、スペースグリップを下に出すと、うまい具合にバッグの下から前方を照らすことが出来るようになった。ちょっと満足。
 その余波を駆って、BD-1にもフロントキャリアを復活させた。赤いアヘッドが見えなくなるが、致し方ない。こちらもスペースグリップのおかげで、ライトがバッグに隠されることは無い。これで前後ともバッグを着けられるようになった。リアキャリアバッグの方は、下はベルクロで止めてるだけなので、振動が多いとずれることが多かった。前の方はそういうことも無いのだが、ハンドリングがちょっと変わりすぎて好みじゃない。一長一短あるもんだ。これで、30lの容量を誇るドイターのバックパックと合わせ、ツーリングでうどんどころかカツオのたたきすら出来る容量を確保できたはずだ(するのか?)。
 TCR-2には、付け忘れていた前方用フラッシュライトを着けた。このライト、予想に反して黄色いLEDを使っているんだな。これで電池切れのときにも、自分の存在をアピールできるだろう。

2001年11月24日(土曜日)

三浦半島東岸を走る

22時29分 自転車 天気:快晴

 10:00前、目覚まし時計にたたき起こされた。前に北鎌倉から三崎口まで走った続きで、今日は三崎口から三浦半島東岸を走るつもりだった。
 なんやかんやで11:00に家を出て、BD-1を担いで地下鉄で上大岡まで、さらに京急で三崎口に向かった。京急の列車は、入り口辺りの座席が折り畳み式で、BD-1を置いてもあまり邪魔にならない(ラッシュアワーには顰蹙ものだろうが)。
 三崎口でBD-1を組み立て、まずは城ヶ島へと走った。しばらくのだらだらした上りを経て、道は下り基調になる。途中にいくらでもコンビニがあるので、干上がって死ぬことは無さそうだ。なんの気なしに途中のパン屋さんでおいしそうなパンを仕入れておいた。
 三崎港への下りはかなりのもので、思い切り踏むと60km/hを記録した。港周辺は観光客で賑わっている。いくつかあるまぐろ関係の料理屋には、驚いたことに行列が出来ている。しまった、まぐろ丼でも食えばよかった。まあ待つのは嫌だから、パンでもいいけど。
 ここから城ヶ島大橋に上るルートを探し、しばしさ迷う。昭文社のエリアマップを参照するに、どうもあの下りを行かず、途中で別れると城ヶ島大橋に到達できたらしい。ここからあの高さまで上らなければ復帰できないのか。愕然とする俺様だった。果たして、復帰ルートは凄まじい激坂だった。さっさと負けて、押し歩きモードに入った。
 橋の上からはこんな眺めが。灯台方面に走る途中、Pacific18とCoribriに乗った男女を見かけた。サイクリストは多くなさそうだ。灯台のあまりもの観光地然とした光景に興味を失った僕は、県立公園で昼食を取ることにした。県立公園は、橋から降りる途中で分岐する。この辺でも押し歩きモード。結構きつい坂だ。
 公園に入り、海が(立てば)見えるベンチで、パンと沸かしたコーヒーの貧しくも心豊かな昼食を取った。パンがおいしい。まぐろなんかメじゃ......いや、やっぱりまぐろ丼は惜しい(爆)。
 公園でしばしくつろいでいるうちに、時刻は3:00前になる。さっさと行かねば、日が暮れてしまう。BD-1に荷物を載せ、また城ヶ島大橋を渡った。
 橋を降り、進路を東に取る。途中で、城ヶ島からも見えた巨大風車の側を通った。実験用なのだろうか。
 この辺、坂が多くて結構厳しい。下りではかなりスピードを出せるので、上りで溜まった憤懣を、下りで一気に爆発させながら突っ走る。危ない走りである。
 やがて、三浦半島の東岸、三浦海岸に達した。ここからはほぼ平坦な海沿いの道を突っ走る。車道を快調に飛ばすと、右の海岸線がどんどん流れて行く。快適だ。しかし時間がない。あまり休憩せず、そのまま一気に野比辺りまで走った。
 野比からは"久里浜港"と"久里浜"に道が分岐している。なにも考えずに久里浜に向かったが、こっちは丘を越えるのでちょっと辛い。久里浜港に向かい、そこから久里浜に走った方が平坦で良かったかもしれない。
 16:30、暮れなずむ京急久里浜駅に到着。ちょっとビールで一杯と思ったが、早く帰宅して寝たかったので、さっくり輪行モードに移行、列車を乗り継いで帰宅した。心地よい疲労感がある。
 これで、久里浜から大磯、横浜周辺は走った。残りの海岸線も少しずつ埋めて、神奈川県の海岸線を走破してしまおうと思っている。いつまでかかることやら。

2001年11月23日(金曜日)

TCR-2とうとう/やっと到来

22時26分 自転車 天気:晴れっ

 午前中に目覚め、しかしいまひとつ意気が挙がらず、夏休み夕刻のゆかり先生のような顔で過ごす(つまり寝ぼけてた)。が、そんな眠気もあきれるほど青い空の前に、徐々に消散して行く。
 昼過ぎ、外にトラックが止まる音がして、やがてドアのチャイムが鳴った。来た! 黒猫のおじさんだ!(さくらの黒猫バトルスーツを着た気色悪いおじさんを想像してはならない) ドアを開けると、しかしどう見ても運送屋には見えないお兄さんが立っていた。なに? すると、すぐに黒猫の人もやってきた。先のお兄さんは新聞の勧誘らしい。どうやら、凄い偶然の一致だった模様。新聞屋さんにはお引き取りいただき、黒猫の人からでっかいダンボールを受け取った。間違いない。TCR-2だ。ティセはまだ買ってないので(まだ、か)TCR-2以外には考えられない。
 ダンボールを外で開封すると、そこには確かにTCR-2が鎮座していた。箱から取り出してみる。軽い! MTBとはもちろん、BD-1に較べてもかなり軽い。8.8kgしかないのだから、当然か。ハンドルバーが90度回転して取り付けられているので、六角レンチで調整する。
 さて、色々取り付けてみよう。あらかじめ買っておいた物がある。というか、TCR-2と同時にC.B.あさひに頼んでおいた物なんだけど。
 まずバック用フラッシュライト。取り付け部のネジ長が足りずに着かず。キャットアイの充電式ヘッドライト。これは問題無し。ボトルケージ。予めペットボトル用のを着けるように依頼していたので、あるいは無駄になるかと思っていたのだが、ちゃんと取り付け穴が2か所あったのでどっちも無駄にならなかった。BD-1で使っていたスペシャライズドの無線式スピードメータ。センサー部を取り付けるのにインシュロックの長さが足りず不可能。色々買い足さないといけないなあ。さらに、TCR-2の付属品であるベルが、なんとハンドルバーに着かなかった。明らかに太さが違うのだ。ロードバイクにベルをつける人などいないと思っているのだろうか。しかし、見通しの利かないカーブなどで、警告に一発鳴らすのに必要なのだが。
 ひとまず、TCR-2を持ちだしてみた。漕ぎ出す。軽い。漕ぎが軽くて、どんどんスピードが乗って行く感じだ。これは気持ちよい。クラウチングポジションがシビアで、手首に負担がかかる。手首に爆弾を抱えた僕には、これはかなり厳しい。
 パイプカッターも必要だったので、夕方にハンズに出かけた。今日も人通りが多い。
 ハンズでは地下でベル、サドルバッグ(リクセン・カウルのもの。MTBに着けている物と共通性がある)、チェーンウォッシャーを買った。さらに上階で8*50のボルト、パイプカッター、長いインシュロックを購入、速攻で帰宅した。
 まず、BD-1のステム切断に取りかかった。このアジャスタブルステムは、標準状態だとかなり長く、上側がすぐに底を突いてしまう。後、5cmは下げたいので、カットすることにしたのだ。パイプカッターを使えば、安全かつ簡単かつきれいに切断できた。バリを取り、ステムをはめて一番下まで下げ、ポジションを見る。うん、良さげ。
 次にTCR-2の取り付け再挑戦。後ろのフラッシュライトもスピードメーターも問題なく着く。ベルも問題無し。しかしハンドルバーに取り付ける位置が狭いので、ミノウラの取り付けバーを使ってライト、メーターを着けた。良さそうだ。(現時点でのTCR-2の姿)。早速、走りに出た。
 10Wの出力を誇るライトは十分に明るく、高速を出すのにも問題無さそうだ。いつもの運動公園周回コースを走った。下りで思い切り踏み、スピードメーターに目をやると、20km/h......えっ? スピードメーターがおかしいなあ。電波を拾えてないのか。手首が厳しい。負担がかかりすぎる感じだ。おかげで強い向かい風にも対抗できるのだが。しかし、手首の負荷が高すぎて、ツーリングには使いたくは無い。速く走るには楽しいので、フィットネスには良さそうだが。
 一度帰宅して、今度はハンドル位置を下げたBD-1で出走した。をを、低い、しかし高い。今までのBD-1からするとかなり下がったのだが、直前に乗ったTCR-2の印象が残っているので、高いやら低いやらなんだかわからん感じだ。しかし、ポジション的にかなりスポーツライドっぽくなったので、ツーリングにはこいつがよさげだ。明日、三浦半島を走ってこようと思う。

2001年11月22日(木曜日)

TCR-2の所在確認

23時55分 自転車 天気:晴れ

 今日は遅くまで仕事をして、帰宅したのは23:00頃だった。仕事してる俺様は男だぜ~(そうか?) ともかく、疲れ果てた身をアパートまで運ぶと、そこには黒猫からの(いや、道を歩いている小動物ではなく運送屋だ)不在通知が入っていた。いわく、『一日遅れちゃったけど明日荷物届けるからね』。オマエが遅らせたんかい! しかも『朝はきついので再送は昼以降にして』とまでぬかす。ちょっと、客をなめてないか? しかし、そんなことも気にならない俺様だった。明日、明日こそ届く! ちょうど3連休に間に合って良かった。なんていって、また来なかったりしてな......(疑心暗鬼)。

2001年11月21日(水曜日)

いろいろ届いた、が

22時24分 暮らし 天気:晴れ

 19:30には退けて、速攻で帰宅した。本当はまだ仕事があるんだけど、今日は駄目だ。なぜならば、今日こそはTCR-2が届くはずの日だからだ。昨日、C.B.あさひから発送されたとすると、昨夜辺りに東名経由で神奈川着、そこから最寄りの営業拠点までは既に余裕で着いているはずだ。そう、今日こそTCR-2が届く日なのだ! ......そのはずだが......。
 帰宅して待っていると、20:00過ぎに荷物が届いた。届いたが......TCR-2ではない、別の荷物だ。肝心のTCR-2は、と、待っていたが、とうとう届かなかった。なんでや! もしかして発送ミスだろうか。C.B.あさひからの発送通知が3通もあったことをいぶかしく思う、今日この頃だった。

2001年11月20日(火曜日)

やっと来るのか、ロードバイク

18時20分 暮らし

 一月も前から注文していた安いロードバイク、Giant TCR-2だが、やっと発送したというメールが入った。しかし、なぜか同じ内容のものが3通も来たんだよな。なんだか不安を感じる展開だ。
 今週の金曜日は休みなので、こいつを駆って境川を北上してみようと思う。どこまで行けるかな?

2001年11月19日(月曜日)

一日寝てすごした

19時17分 暮らし 天気:晴れ

 昨夜のしし群騒ぎの反動で、今日はぐっすり寝て過ごした。どうせ会社は予め休むことにしていたのだ。
 昼過ぎにようやく起き出し、キワチャリでちょっと出かけた。境川までの裏道を見つけようと思ったのだ。予め地図で当たりをつけておいた。
 一度、運動公園からかまくらみちを過ぎって西進する。地図上、ほぼまっすぐのはずだが......。少しして、どうも西に進んでない気がしてきた。それと、キワチャリのステム固定用クイックが滅多やたらと外れるので、かなり危険を感じる。夕暮れ時になったのもあり、帰宅した。このクイック、最大テンションで止まるようになっているので、振動であっという間に緩んでしまう。ふつうのクイックのように、最大テンションを過ぎたところで止まるようになっていないのだ。ふつうのクイックに換えてやろうか。それと、前輪がやはりフォークに接触するためか、漕ぎも重い。これは、シートピラーが後3cmくらい上げられれば楽になるのだが、もう限界だ。走っていて低い段差でこけそうな感じがするし、あまり楽しくは無い乗り物だ。なら乗るなよ(笑)。まあ後輪側はもういけてる気がするので、前フォークを調整してもう少し何とかするとよさげなのだが。

2001年11月18日(日曜日)

しし座流星群は

23時55分 星見

 帰宅して、すぐ寝込んだ。22:00に起きだし、食事、風呂、洗濯を済ませる。左ひざが痛い。幸い、表面の打ち身が痛いだけで、骨に異常は無いようだ。
 こうしてしし座流星群に備えているのに、空は腐ったようなくもり空だ。わずかな切れ目はあるが......。
 こうして1:00くらいから空を見上げていたが、全然晴れる気配も無く、流星も目に付かない。
 状況に変化が起きたのは、3:00を過ぎた頃だった。雲の切れ目に突如として明るい流星が見え始めたのだ。それも、かなり頻繁に。見える度に、近所でやはり観測しているらしい女の子たちの歓声が上がる。しかし、空は無常にも曇ったままだった。がっかりした僕は、極大が過ぎた4:00には寝てしまった。夜明けまで遂に雲が切れることも無く、僕のしし座群は終わった。

キワチャリのホイールテープ処理

22時10分 自転車

 前回、リムテープの処理が杜撰で、スポークネジが露出していることに気づいて愕然としたキワチャリだが、ガムテープで処理してみた。なんと杜撰な修理だこと。しかしキワチャリ如きにはお似合いかも。
 BD-1のフロントバッグをつけ、シートサスとスリングで武装したキワチャリは、をを、なんだかかっこいい。調子に乗って輪行袋(材料:透明ゴミ袋*1、ガムテープ少々)も作ってみました。こんな物持ち歩いたら、さぞかしいい笑い者になるだろう(^o^)(って持ち歩く気かっ)。
 少し近所を走ってみたが、結構乗れる。しかし、歩くのとどっちが楽だろう......。

荒川オフ

19時08分 自転車 天気:晴れのようなくもりのような

 今日はBD-1 MLの荒川サイクリングオフがある日なので、朝は6:00起きだった。普段でもこんなに早くは起きないぜ。しかし5時間以上は寝たせいか、そんなに不調ではない。さっさと身支度を済ませ、BD-1を駅まで走らせた。
 前回参加したのは7月の終わりだったか。葛西橋を渡るときにかなり危険な思いをしたので、その後は不参加が続いていた。しかし、どうやら新ルートが開拓された模様。また参加者も少なめに思えたので、いろいろ話が出来るかと思い参加することにしたのだ。
 前回、渋谷駅での東急とJRの乗り換えに懲りたので(外に出て自転車を走らせた方がマシ)、今回は戸塚-品川-新宿-浮間舟渡と、素直にJRを乗り継ぐことにした。しかし、今度は乗り継ぎが順調すぎて、集合時間の30分も前に到着してしまう。うむ、遅れるよりはいいのだが。
 駅前でBD-1を組み立て、コンビニで飲み物を買っておいた。ポップアップ式飲み口が合わないので、最近はVolvicを避けていた。ところが、今日買ったお茶の飲み口も、微妙に合わない。なんてこった。
 公園内に乗り込むと、既に何人かが集まっているところだった。挨拶しながら合流し、しばらく雑談する。今日は前に参加したときと異なり、いろいろバラエティに富んだ種類の自転車が参加している。前はほとんどBD-1特集だったからな。
 人様の自転車をいろいろ試させていただく。まずはBridgestone BSM-179。モールトンの血が流れる小径車だ。ハンドルが狭くてクイックだが、石畳の段差をうまく吸収してくれるので、走るのが楽だ。前後のサスペンションが良く効く。これはBD-1よりいいかも。輪行をあまり考慮しない、純粋な小径車として見ても良いかもしれない。そういう意味では、間もなく発売される分割不可フレームのドロップハンドルモデルはそそる。
 もう一台、これも前から関心があったBikefriday AirLlamaにも乗ってみた。これはヤバイ。BSM-179よりさらにサスペンションが効き、ほとんどMTB的な乗り心地だ(というかMTBなんだけど)。全体的なバランスの良さ、高度さが印象的だ。やばいなあ、凄く欲しくなっちゃった。どこにでも持っていって、どこでも乗れるバイクだ。
 やがて14、5人ほど集まり、9:30に公園を出発した。出発して最初の坂で、いきなりステムの固定部が回転してしまうトラブルに見舞われた。このステム、止めてるクイックをスクリューに換えちゃいたいな。そうそう調整するものでもないし。
 その後は順調に走り、いくつかの休憩点を経由して荒川の中洲に移った。この辺の道を走っているとき、僕が段差に引っかかって転倒。またやっちゃったよ。鉄板が敷いてあって、埋没していたので段差があるようには見えなかったのだが。この時、左膝を打っていて、後でだんだん痛み始める。しかし、このオフが終わるまでは平気だった。
 やがて葛西橋を渡る。前回はここで転んだんだっけ。上流側の狭い歩道を走ったので、とても危険だった。しかし、今回は下流側の広めの歩道に中州から乗り入れたので、前回ほどの危険は感じなかった。
 川を渡りきり、コンビニで昼食を確保。今回は火器を持っている人が多いらしく、アルミホイル鍋のうどんを買う人までいた。
 臨海公園に入り、ベンチがある東屋を確保する。そして昼時タイムだ。火器が幾つか並ぶ。ガスバーナーを持ち込む人もいた。またアルコールバーナーを広げる人も。最大勢力はエスビットの携行ストーブで、僕を含め三つ並んだ。季節柄、次回はさらに増えるんじゃないかしらん。しかし最大の驚きは、昼食中にやってきた。途中参加の人(SHIGさんだっけ)が、Pacific18でトレーラーを引いてきたのだが、こいつで土鍋だのカセット式ガスコンロ(一般家庭で鍋する奴)だのを運んできたのだ。湯豆腐からだんだん本格的な鶏鍋に発展するのをみて、これは既にサイクリングという範疇を超えていると思えた。
 昼食が済んだ人が増えてきたところで、再び試乗会となり、さらには折りたたみ方法の披露会にまで発展する。AirLlamaがBB近辺で水平に折りたためるというのは初めて知った。分解してしまえば本当にスーツケースに収まるし、簡単に折りたたむことも出来る。乗り味はまさにMTBという感じらしい。うう、まずいなあ、日本円で40万ほどするのだが......。
 BSM-179はまさに分割式という感じ。しかし、前後のホイールを抜くだけでも、フルサイズのバイクよりかなり小さくなりそうだし、その場合でも輪行も楽そうだ。
 しばし歓談し、この後でメンバーは逆走組と和田サイクル行き組に別れた。僕はここで輪行モードに入り、帰宅した。

2001年11月17日(土曜日)

湘南海岸を走る

20時06分 自転車 天気:晴れだかくもりだか

 明日はBD-1 MLの荒川オフ、夜にはしし座流星群極大期と、ほとんどお祭り騒ぎが連続してやってくる。その前に、一人で湘南海岸を走ってこようと思った。
 昼頃、馬車馬MTB HardRock A1-FSで走り出す。ろくに整備しないで乗ってるので、本当に馬車馬扱い。重いけど、丈夫な奴だ。ヒップバックにウィンドブレーカ等を詰め、出発。
 境川サイクリングロードを南下し、途中で飯田牧場に寄る。今日は立っていると肌寒いほどの気温だったので、寄るかどうか迷ったが、走っているうちに汗をかくほどになったので、ソフトクリームに惹かれた。今日はコーヒー味を試してみた。これでソフトクリームは制覇だ。次は種類の豊富なジェラルドだな。
 藤沢の市街地で引地川まで走り、その脇のサイクリングロードをさらに南下。最終的に鵠沼海岸に到達した。
 鵠沼から西走してゆく。夏場の悲惨さが嘘のように走りやすい。砂があまり溜まってないのと、人出が少ないのが嬉しい。それでも、元気なサーファーたちが波と戯れていた。散歩している人も多い。
 前のように大磯まで走ろうかと思っていたのだが、明日もあるしキャンプ場で折り返した。そしてここらでお茶しようと思った。
 下が固くて平らな場所を求め、少し走った。テトラポットと護岸壁で編まれた海岸線にMTBを止め、護岸の上でエスビットのポケットストーブを取り出し、コーヒーを淹れる。チョコパイをかじりながらコーヒーをすすると、なんだか豊かな気分になるな。客観的には明らかに貧乏くさいのだが。このエスビット、コンパクトで便利なのだが、なんだか貧乏くさく見えるのが欠点だ。でもいいのだ、合理的なものはなんだか貧乏くさく見えるものと決まっているのだから(決まっているのか?)。
 ここから往路を正確に逆走し、次第に暮れてゆくなかをダイクマに立ち寄った。本格的な雨具が必要かなと思ったのだが、雨のときはそもそも走らんからな。
 ダイクマを出た時点で、既に日は暮れきっている。ライトを着けて走り出すも、すぐに明かりが暗くなってしまう。こんなタイミングで電池切れか。しかも、今日に限って予備のライトも電池も持ち合わせてない。やばいなあ、これじゃ普段怒りをもって指弾しまくっている無灯火逆走ズとなんら変わるところの無い危険人物だ。こわごわ走って、アパートまでたどり着いた。
 やっぱり予備のライト、せめて電池は必要だな。キャットアイのLEDライトは電池切れの危険が少ないだけ、こういう場合に有利なのかもしれない。

2001年11月16日(金曜日)

晩秋でんなあ

20時58分 自転車 天気:くもり時々晴

 ふと気づいたら、11月も半ばなのである。今年も後2カ月を切ったのである。しかし、意外に長く感じた一年だった。特に自転車を買ってからは、なんだか新しい世界が展けたようなのであった。うん、来年はなにを始めようか。
 ところで、せっかくデジカメを買ったんだから、今のBD-1の姿を記録にとどめておこうと思う。買った当時の姿も併せて載せておこう。かなり激変しているのが分かるだろうか。

2001年11月15日(木曜日)

行きて帰りし物語

20時56分 暮らし 天気:くもり

 なんというか、平日はなにもする余裕が無くなってきている。訳の分からない雑用ばかりが積み上がって行く。まあ、これが仕事なんだろうが。
 今年の年末はキワチャリを持って帰ろうか、それともシャア専用BD-1を持って帰ろうか。BD-1のフロント多段化を睨んで決めよう。

2001年11月14日(水曜日)

TCR-2発送予定だって

23時55分 自転車

 C.B.あさひから『金曜日にTCR-2が入るので、発送したらまたメールします』というメールが来た。やっと来るのか。この一月は長かったぜ。オオヤマさんところにBD-1を予約したときは4カ月待ったが、あれはあくまで予約であって、金は実際に発送する前に入れたからな。今度の場合は金を振り込んで待たされたわけだから、長く感じた。ともあれ、これで代表的な自転車のタイプが揃うわけだ......。ん、ママチャリは?

新デジカメ購入

21時53分 デジタルカメラ 天気:晴れ

 E950が逝って早一月。どうやらシャッター周りが逝っているらしく、シャッターボタンを押してもシャッターが下りないのだ。半押しでフォーカスロックまでは掛かるので、機械的な故障だと思われる。これ、修理に出したいのだけど、横浜のNIKONサービスは平日しかやってないんだよな。それに修理にいくら掛かることか......。使い勝手の点で他に換えがたい機械ではあるので、修理には出すとして、サブ機は持っておくべきかもしれない。今なら、200万画素以下のクラスなら、相当安いものもあるはずだ。
 出来るだけ安く、かつそこそこの画像を作れる機種となると、100万画素以上、200万画素以下のクラスに目が行く。あんまり安いと必要な機能すら満たせないものもあるので(例えばCFスロットは欲しい)、1万円以下で売られているクラスは避けたい。
 このクラスのデジカメは、フジとオリンパスの独壇場に近い。つまり、ほとんどスマートメディアベースの機械ばかりなのだ。CFが手許にいくつもあるので、いまさらスマートメディアには手を出したくない。
 一つ気になったのが、三洋の100万画素級の機械だ。三洋のデジカメは、起動時間やレスポンスタイムの短さで好評だった。サブ機はポケットに突っ込んでおいて、いざという時にすぐ使えるものが望ましいから、これは良いかも。そもそも、国産デジカメの生産を請け負っているのは、三洋が一番多いそうだ。しかし、唯一気に入らなかったのは、いかにもポケットカメラを思わせるデザイン。長さがややあるのも気になった。それに、この機械は本当の初心者向けで、余計なものも多少ついているかも。
 そういう目で見ると、もう一つ上のクラスのDCS-MZ1は良さそうだ。この機種はUSBケーブルなどが最初から付属していて、ズーム機で、CF2スロットが着いている。CFメディアが付属してないのも、かえって潔くてよい(8MB程度のものを着けられても困るだけだ)。動画や音声も撮れるなど、小技が使えるのもサブ機として考えると良い。主力はE5000だのE10だのといったクラスで考えるとして、こいつは一つ持っていても損は無さそうだ。
 会社からの帰り、横浜まで出て、ヨドバシで購入。税込みで50000円ちょっと。13%のポイント還元があるので、かなり安く買えたと思う。さらにハンズでなにやら小物を買った。
 帰宅して、さっそくMZ1を使ってみた。起動時にはレンズカバーが開き、レンズが突き出してくるので、ちょっと時間が掛かる。電源オフ時にも同じだ。しかしシャッターを切った時のレスポンスタイムは、かなり高速だ。これならさっと出してすぐに撮影できそう。ただ、インタフェースがE950とはぜんぜん違うので、慣れるまで大変そうだ。
 欲を言えばもう少し小さくなって欲しいな。でも動画も撮れてこれなら文句無い。
 土日にあちこち走って、こいつを試してみようと思う。

2001年11月13日(火曜日)

また睡魔に負けました

23時55分 星見 天気:雨? 晴れ? くもり?

 帰宅したのは結構早かったのだが、外気温が低いせいか帰って早々に眠ってしまった。外は雨が降ったり止んだりのはっきりしない天気だ。
 日付が変わる頃に起き出し、外に出てみると、天頂辺りはもう晴れている。18*50ISをM41に向けてみる。今日もその奥ゆかしい姿を見せてくれる。M42に向けると、打って変わって賑やかな光景が。オリオン座全体は繁華街、おおいぬ座は大きな尖塔(シリウス)のある村というところだろうか。

2001年11月12日(月曜日)

深夜の観望

23時55分 星見 天気:雨のち晴れ

 昼の間は、雨が降ったり止んだりで、はっきりしない天気だった。いやはっきりしてるか、悪いという意味では。
 真夜中、雨が止んだ外に出てみると、天頂近くにかけて、びっくりするような透明な空が広がっていた。霧は出ていたが、高度があれば邪魔になりそうにない。アパートの廊下に経緯台を出し、100EDを載せた。
 LVW42を着け、小三ツ星周辺に向けた。散光が見事。大三ツ星にかけて、無数の星が光っている。SW18に替えてトラペジウムに向ける。今日は4つ、くっきりと分離できた。
 木星。縞が濃く見え、ガリレオ衛星もくっきりと見えた。
 土星。低倍率なのでカッシーニの間隙は確認できなかったが、外形は非常にくっきりと見えた。
 さらにシリウスの南方に向けると、すぐにM41が飛び込んできた。少し低高度なので、霧の影響をもろに受けているのか、さほど明るくは見えない。でもささやかな微光星の集団は、僕が一番冬を感じる眺めだ。

2001年11月11日(日曜日)

キワチャリのパンク修理

23時49分 自転車

 風呂に入り、気力が回復してきたので、キワチャリの後輪外しに取り掛かった。こういうフィクスの車輪を外すのは大変そうだ。そう思っていたら、確かに大変だった。
 まず左右のボルトを外す。次にチェーンのテンションを決めているギア側エンド後部のボルトも外す。しかしこれでもチェーンのせいで外れないので、最終的にはクランクも緩めてやらねばならなかった。おかげでBBのボールベアリングがでろんと露出する破目に。
 これでようやく外れたので、後輪からタイヤを外した。小径なので覚悟していたのだが、いともあっさりと外れてくれた。タイヤレバーなんて要らなかったくらいだ。さらにチューブを外し、風呂場でパンクを調べた。最初は良く分からなかったのだが、空気を多めに入れて様子を見ると、一箇所にピンホールが見つかった。なるほど、これなら一晩がかりで空気が抜けるはずだ。そこを昨日買ったパンク修理キットで修理する。
 十分にパッチをなじませ、後輪に付け直した。そこでギョッとしたのだが、このホイール、リムテープが凄くいい加減に張られている。幅が2インチ強あるのだが、それよりぜんぜん狭いテープを張っているので、片側のスポーク穴がもろに見えているのだ。もしかして、ピンホールもこれで出来たのか......。
 ともあれ、今はリムテープも無いから(つうかふつう手元に用意なんかしないよな)、そのまま取り付ける。
 取り付け終わり、外をちょっと走ってみた。うん? なんだかちょっと漕ぎが重い。チェーンにテンションがかかりすぎでした。テンショナーを緩めると、かなり楽になった。もう少し詰める必要はある。後はリムテープとBBをなんとかするくらいか。ああ、フロント側のエンドもかさ上げしないと(やはり、少し接触している)。
 いろいろ課題が残って気色悪いなあ。でも大体実用的な段階には至った。

NHKスペシャル「日本人はるかな旅」

22時47分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは「日本人はるかな旅」第4集"イネ、知られざる1万年の旅"。
 従来、日本列島で稲作が始まったのは2000年余り前、弥生時代の始まりの頃だと言われていた。その説に拠れば、日本に稲をもたらしたのは、中国や朝鮮半島からの渡来人だったとされてきた。しかし、こうした従来の定説は、いくつかの新発見によって覆されつつある。
 中国雲南省。ここは稲作文化発祥の地とされてきた土地だ。雲南省には、多種多様な品種の米がある。その種類の豊富さは、この地で営まれてきた稲作文化の長さを直感させるものだ。実際、雲南省では5000年前の稲が発見されている。ところが、日本の稲作は、実に6000年前まで遡れることがわかってきたのだ。
 近年、縄文遺跡の土壌を解析すると、米に含まれる珪酸化石が存在している事例が見出された。このことは、縄文早期から前期にかけて、既に米を食料としていたことを暗示している。
 この稲作の技術はどこから伝わってきたのだろう。
 雲南省から東、長江中下流域に、古い穴居時代の遺跡が発見されている。1万年近く前のそれらの遺跡を調査したところ、驚くべきことに古い稲が発見された。それも、野生種ではなく、明らかに栽培された種だった。この頃、既に稲作が始まっていたらしい。
 やがて長江河口では、この稲作を中心に大規模な村が作られるほど、稲作が盛んになっていった。この頃は水田耕作ではなく、畑作だったらしい。この稲作が日本へと伝わった背景には、この河口域の人々の生活様式があった。彼らは農耕民であると同時に、海で魚を獲る漁労民でもあったのだ。彼らは稲作の技術を身に着けていたが、同時に海の真っ只中に乗り出し、魚を獲って生計を立てていたのだ。そして、東シナ海の台風や季節風は、時に彼らを日本へと流し去ってしまった、というわけだ。
 だが、この時に日本にもたらされたのは、熱帯ジャポニカという種の稲だった。熱帯ジャポニカは、その名の通り熱帯地方に適した種で、温帯の日本列島ではなかなか根付かない。事実、この時期の稲作は、温暖な西日本を中心に行われていたようだ。
 縄文時代の稲作は、今に伝わる水田の技術で営まれていたわけではない。今も熱帯地方で行われている、焼畑農業によって栽培されていたようだ。
 では、現在日本に根付いている、温帯ジャポニカはどのようにしてもたらされたのだろう。これは従来の説と同様、中国大陸からの渡来人によってもたらされたようだ。そして、わずか300年ほどの間に、本州北端にまで達している。この異常な普及には、実は熱帯ジャポニカの経験が生かされている。
 熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカを交雑させ、雑種を作る。その雑種は、親たちよりも遥かに早く生育するという習性を持つ。この特徴は、寒く、夏が短い北の地では、必須のものだったろう。日本列島が稲実る国になった背景には、こうした思いがけない稲の性質が働いていたのだ。

横浜でポタ

19時46分 自転車 天気:快晴

 昼前に目覚める。久しぶりに横浜港周辺を走ろうと思った。BD-1改(シャア専用)の初披露だ。
 ちょっと経って、13:00過ぎに駅に向かった。地下鉄で関内まで出て、地下鉄からの出口でBD-1を組み立てる。今日はリアキャリアバッグだけで出動。これが一番バランスよく走れる感じがする。
 県警本部前からまっすぐ南東に走り、延々とシンボルタワーに向かった。途中でマックに寄り、おやつをゲット。
 シンボルタワー辺りは、今日も家族連れが多かった。場所を探し、見晴台に上って、おやつをぱくついた。空は呆れるほど晴れているが、水蒸気が多いのか霞も出ている。冬になって深みを増した海の上を、港に出入りする貨物船が行き交う。目を北に転じると、つばさ橋がすっくと立ち上がっている。
 さっきから何度もアナウンスしているので、耳を澄ませて聞いてみると、『展望台への階段は16:30に閉鎖される』という旨だ。冬時間にシフトした模様。
 まだ暗くならないうちにと思い、シンボルタワーを後にした。ちょうど海釣り公園への出口が、なんと閉鎖されている(バス停がある場所)。
 山下公園に達し、BD-1を押して入った。なにかの催しがあったのか、ちょうどテント類を撤収しているところだった。その他の場所は通常営業で、今日も人出が凄かった。特に遊覧観光船乗り場は、今まで見たことがなかったくらいの行列ができていた。
 山下公園からランドマーク方面に走り、臨海公園に達した。
 日が暮れてゆく。それを見ながら、僕の人生も折り返し地点を過ぎたなと、ふと思った。人生70年としても、ついにその半ばを過ぎようとしている。これまで大したことはできなかった。まだ日は高いと思っているうちに、朝は過ぎ、日の盛りも過ぎようとしている。やがて日は傾き、夕暮れ時を迎えるだろう。それまで、もうたいした時間はない。なんらかの科学的なブレークスルーで寿命が一気に延びる可能性はあるが、そうした期待はほとんどの場合裏切られるものだ。僕もまもなく、残りの時をどう過ごしてゆくか決めなければならなくなる。なんてことを、さして暗くなるでもなく、しみじみと考えた。誰にだって夕暮れ時はやってくる。静かに暮れてゆく時が......。
 ......ちょっと待て、なんでこんなに騒がしいんだ? 国際展示場を背に座り込んでいた僕が振り返ると、屋内から高校生くらいの連中が、なぜか管楽器を手にぞろぞろ出てくる。姦しいという言葉がどういう状況を指しているか、良くわかる(男も混ざっているが)。思い思いにポーズをとり、記念写真を撮っているようだ。察するに、高校生クラスの吹奏楽全国大会でもあったのだろう。皆一様に若々しい。地下鉄で見かける高校生たちのような無気力さはない。なにか、興味の対象を持っている強みだろうか。
 そういえば、僕だってここ数年、急に興味の及ぶ範囲を広げてきたような気がする。まあ決して寂しい生活ではないということだ。僕の死んでゆく世界は、しかし新たな命が次々と生まれる、馬鹿騒ぎと命に満ち溢れた世界に違いない。

2001年11月10日(土曜日)

深夜の天頂で

23時55分 星見

 寝る前、1:00過ぎだったろうか、アパートの廊下に出てみた。既に雨が上がっていて、空の隅々まで冴えた星空が広がっている。水蒸気のせいで北天に霞が出てはいたが、全く気にならないくらいだ。
 18*50ISを首に下げ、既に高々と上っているオリオン座に向けた。小三ツ星から大三ツ星にかけて、数え切れないくらいの星が群れ、それぞれに瞬いている。瞬いているので観測にはいまいち向かない、風のある夜なのだろう。だが観望のためには、こういう日の方が風情があっていい。M42の散光が鮮やかに広がっている。アパートの廊下が濡れてなければ、望遠鏡も出せたのだけど。
 オリオン座の足元に、そろそろとおおいぬ座が上り始めている。ひときわ明るい、青い星、シリウス。そこから南方に双眼鏡を下げると、ひっそりと群れている小さな散開星団が入ってきた。M41。今シーズン初めて見た。
 双眼鏡を思い切って天頂に向けると、天頂近くをやや行き過ぎた地点にすばるを見つけた。まさに星の塊という感じ。大きく広がるヒアデス星団とのコントラストが見事だ。

なにもしませんでした

23時43分 テレビ 天気:寒い雨

 暗い、寒い、雨の日。あんまり寒いので、布団から出る気がしなくなる。急に気温が下がったようだ。夜に至っては今秋初めて暖房を入れた。
 昼過ぎにようやく起き出し、キワチャリのタイヤチェックをしようと思ったが、タイヤを外すのが死ぬほど手間がかかりそうなので挫折。じゃあどこかに出かけようかと思った。実は、Librettoの最新機種を買おうかと思って、金まで用意していたのだ。ノートPCを買うのは、実に3年ぶりだ。でも、TP235でもそんなに困ってはいない。最近は、ノートPCを持ち歩くこと自体が少なくなっている。シグマリオンもある。まあ、急いで買うことも無いかと思い直した。この金は、もう少し考えてLibを買うか、あるいはE5000の購入に当てるかを決めよう。そんなわけで出る気が無くなった僕は、また布団に入って昼寝してしまった(をい)。寝るのはいい。最も金のかからない娯楽だ。今週一杯の寝不足も解消できる。
 夕方になってようやく起き出し、テレビで聖徳太子のドラマを見る。ははあ、これがあるから、先週辺りから聖徳太子特集がバンバンあったわけか。
 ドラマでは聖徳太子がやたら耳がいい(そりゃ良かったんだろうが)異能の人として描かれていた。本木雅弘がなんだかいい役者になってきたのにはびっくり。元々俳優向けの人だったんだろうか。モックンと呼ばれていた頃(今でも呼ばれてはいるが)からすると、隔日の観があるな。大河ドラマの主演に抜擢されて、なんにせよ一皮剥けたのだろう。

2001年11月09日(金曜日)

小物買い

23時42分 自転車

 帰りに横浜に出て、目覚し時計用の電池、パンクの修理道具を買って帰った。キワチャリにパナのパッチはもったいないと思ったので、安い、通常のゴム糊式の物を買った。これ、虫ゴムもついているので、もしも虫ゴムが傷んでいても、これ一つで直せそう。
 雨がしょぼしょぼと降り続いていて、星を見るのは無理だ。

眠い

22時40分 暮らし 天気:くもってたかな

 このところ、帰宅すると睡魔に襲われる日が続いている。今日も今日とて、吉牛をカッ食らって帰ったら、強烈な睡魔にバタンキューだ!(そんな勢いをつけなくても) 睡眠不足とデスクワークの増加が響いているのだろう。
 そういうことなら早く寝ろよ。

NEW 出張未満

20時41分 暮らし 天気:雨

 今日は東戸塚所在の部署で会議がある(と思っていた)ので、会社の連絡バスで東戸塚の某ビルに移動する。さて、会議の場所に出向くと......あれ、別の会議やってるよ。会議の時間と場所が変更されて、今日になったはずなんだけどなあ。自部署に電話して聞いてみても、場所はそこのはずだがなあ......という回答。と、「あっ」と電話の向こうで声があがった。「11/16だよ......」 なんと変更されたのは時間、場所だけではなく、日にちも変更されていたのだ。それに気づかない(それも二人とも)とは、なんと間抜けな話か......。自分にあきれつつ、スゴスゴと引き揚げた。ついでに戸塚の有隣堂に寄り、サイクル・スポーツ誌をはじめて買ってみた。~

2001年11月07日(水曜日)

BD-1改装完了.......か?

22時38分 自転車 天気:晴れ

 会社を定時で退けて、早速横浜に出た。ハンズではシマノのチェーンカッターをもう一度買いなおし(ホーザンのでも良かったけど)、さらにシマダサイクルでおばちゃんにチェーンを売ってもらう。「シマノの9速用のちょうだい」と聞くと、おばちゃんはテックの人に聞いてHG92を出してくれた。うむ、これだ、これが欲しかったのだ。
 帰宅して替えようと思ったが、そういえば今日、C.B.あさひに注文してあったアウター(赤)が届くのだと思い出し、それを待つことにした。
 20:00過ぎに黒猫の人(だから黒猫のコスプレをした奇矯な人のことじゃないんだってば)がやってきて、細長いダンボール箱を置いていった。来たな、と安心した僕は、この後すぐ寝てしまった(爆)。
 2:00過ぎに起きだす。結構きれいな星空だ。しかし、雲が次々にかかってくる。木枯らしの季節の運命だ。
 さて、早速改装の詰めにかかった。まずシフトケーブルのアウターを赤いのに変える。これは結構苦労した。BD-1のアウターは2分割され、後半は後部フレームを貫通しているからだ。
 なんとかこなし、次にいまいち決まってないような気がするリアディレイラーを再度詰めた。その上で、昨日届いたチェーンルブを塗りこんだHG92をかける。やはり一コマ足りない気がするが、気にせずそのまま回す。この状態で変速すると、小気味良くカチカチ決まってゆく。大きな問題はなさそう。
 さらに、やはり昨日届いたベルクロ締めのボトルケージを、BD-1のトップチューブ(っつうか他にはないが)に着けてみた。問題なし。これで、ステムに着けたものと合わせてボトルケージ2本体制だ。ロングツーリングも大丈夫。
 このまま外を走ってみたかったが、もう深夜なのでヤメ。
 次にほっぽってあったキワチャリに手を着けた。といっても、空気の抜けていた後輪に空気を入れただけだが。一応、前輪にも空気を入れられるか、届いたばかりのTopeak RoadMorphを使ってみた。思ったとおり、入れ口がパナのフロアポンプより細いので、なんとか入れられるようだ。しかし、ゲージがちゃんと表示できてないような気が......。
 これで、久しぶりにキワチャリを外に出し、アパートの前をちょっと走らせた。買ったときの状態に比較すると、飛躍的に良くなっている。ようやく自転車だなと思えるレベルだ。しかし、後輪がパンクしているような気がするんだよな。

2001年11月06日(火曜日)

チェーン固着の原因は、もしや......

20時37分 自転車 天気:晴れ

 BD-1のギアとびは、実はあんまり解消されてなかった。今日、BD-1を運動公園の周りに走らせてみたところ、やはり激しくギア飛びしてしまうのだ。もう、チェーンをごっそり変えるしかないかも。
 そもそもの直接原因は、チェーンの一部に間接部の固着があるためだ。手で持つとそんなに固くはないのだが、走行中の駆動系ではこれが大きく影響する模様。しかし、そもそもどうして固着なんてしちゃったのか。
 思い当たることはいろいろあるのだが(2種類のグレードのチェーンが混ざってるとか)、今日はっと思い出したのは、シマノのチェーンカッターの事だ。実はこのチェーンカッター、買ってはじめて使ったときに使い方がわからず、チェーンの真中に入って固定する板(2分割されている)を破損していたのだ。破損したのは片方だけなので、実用は問題ないと思っていたのだが。しかし、実際にはあの板がチェーン(の片側)を支持し、チェーンが歪むのを防いでいたのではないか......。これが原因に思えてきた。
 明日は定時退勤日なので、新しいチェーンとチェーンカッターを買って試してみようと思う。

2001年11月05日(月曜日)

HNSをもう少し活用しましょ

22時34分 インターネット 天気:晴れかなくもりかな

 吾輩の日記に使用しておるはいぱー日記システムは、単に日記のフォーマット出力だけではなく、他にもいろんな表現が可能だ。今のリンク表示もそう。ソースにある書式を使用すると、自動的にhtmlタグを出力してくれるという寸法だ。
 今まで使っていたのはタイトル関係、ユーザ変数("天気"って奴)、そしてリンクタグくらいのものだ。しかし他にも、カテゴリ機能なんて便利そうじゃないか。これを使うと、あるセクションに属性(例えば"自転車"とか"萌え萌え"とか)をつけて、後でカテゴリ一覧からリスティングさせること......は出来ないが、namazuで検索する手がかりにはなりそうだ。最近、検索で飛んでくる人が凄く増えているので、これがあると便利だと思うのだ。
 で、早速使おうと思ったんだけど、今日に日記は内容が無いので、使おうにも使えんじゃないか(いつものことだがな)。無理に付けると、HNS関係ということになるか。というわけで、"HNS"と付けてみた。表示は変わるんだっけ。

2001年11月04日(日曜日)

境川を走りましょ

20時33分 暮らし 天気:晴れ

 なかなか眠れず、朝方までうつらうつらする程度だった。なんとなく、最近カフェイン感受性が高くなったのかと思う。
 今日は、前に荒川サイクリングで同道したにち氏が主催する、小規模なサイクリングに参加するつもりだった。
 5:00過ぎくらいにトイレに立ったとき、外では前日からの雨がまだ降っていた。大丈夫かいな。そう思っているうちに、東の空が急に明るくなってきた。一睡一醒しながら外の気配をうかがっていると、やがて雨が上がり、急激に晴れてきたようだ。
 BD-1は実用上は問題無さそうなレベルではあるが、チェーンがたてるチャラチャラ音が気になる。これはBD-1故なのか。
 昨日、チェーンに一コマ足そうと考えたことを思い出し、今日になって実施してみた。これがまったく裏目に出ることに。実際に一コマ足してやると、新たに打ったピンが物凄く固く、コマ同士がほとんど固着してしまったのだ。この状態で走ると、チェーン一周毎にギア飛びが発生してしまう。これで走るのは辛いぞ......。しかし、もうやり直している時間は無い。走行するうちに、にち氏から出発した旨電話が入った。みんなBD-1で来ているという話なので、ちょっと迷ったが僕もBD-1で出ることにした。ポタリングだし、なんとかなるだろうと思った。
 10:30くらいに家を出て、長後街道を境側との合流点まで走った。やはり、ギア飛びが激しい。しかし、ギア飛びが起こる瞬間に負荷を抜くと、現象が軽減されることに気づいた。
 とにかく境川サイクリングロードに到着し、にち氏らを待ちながらチェーンをなじませようとした。だが固着はまったく解消されない。困ったなあ。
 よく晴れたせいか、サイクリングロードは結構な人がひっきりなしに行き来している。シューズを直してふと顔を上げると、初老の男性が、我がBD-1を興味深げに眺め、そしてすぐに去ってゆくところだった。乗車はバイクフライデー、多分メトロだろうか。もう少し先に気づいていたら、声をかけることも出来たのだが。
 11:00過ぎ頃、上流側から自転車の一団がやってきた。にち氏らの一団だった。にち氏、たか氏、まき氏、@nak夫妻という陣営だ。最近、にち氏の掲示板で盛り上がっていたようだ。
 今日の最初の目的は、飯田牧場に寄ってアイスをお代わりすること、らしい。飯田牧場に行ったことがあるのは僕だけなので、不調のアドバンスドBD-1(今命名)を駆って僕が先頭に立つ。
 長後街道から湘南台に至り、やがて廃止が決まった横浜ドリームランドの塔を見ながら一般道に右折、ほどなく到着した。
 ここで各々思い思いの乳製品を試す。ほとんどはソフトクリームをまず選択する。今日は暖かな日なので、アイスクリームがとてもおいしい。冬場の冷たく冴え渡った青空の下で食すのは、かなり拷問に近かろうと思う。僕はバニラのソフトクリームを。次回はコーヒーのソフトクリームだな。第2ルーチンはたか氏と金を折半してシュークリームを試してみた。クリームが濃厚でとてもおいしい。他にもヨーグルト、チーズ、そして当然のことながら牛乳があり、いつまでも楽しめそうだ。
 この先どうするかというと、とりあえず江ノ島まで走ることになった。しかも、境川沿いをずっと下ってゆけるらしい。いつものサイクリングロード終端から、藤沢市民病院に到達すると、一団は迷うことなくその脇の階段に突入した(当然降りてだが)。そこからはほとんど裏道のような半ばダート、半ば舗装路を通り、時折いつも江ノ島行きで通る国道を走りながら、やがて小田急片瀬江ノ島駅に到着した。この道、少人数のゲリラ戦でしか使えないかも。
 江ノ島にわたり、昼食タイム。しかし、なにせ江ノ島ほどの観光地だ。昼食の場所を確保するのにも苦労する。結局、その辺の海鮮屋に入ったが、ちょろっとしか刺身の着いてない定食で2000円! 2000円出せば、呉なら大皿に盛られて出てくるぞ。昼食は今一だった。
 この後、大船に出て、横浜に走ろうという話になっていた。が、我がBD-1のコンディションでは、相当不安がある。ので、結局ここでみんなと別れ、帰ることに。不甲斐無いワタクシをお許しください。
 帰路、変な漕ぎ方をしていたためか、右膝が痛み始めた。おまけに、シートが固くて尻が痛い痛い。うちに帰るのが一苦労だった。
 後で聞けば、他の諸氏はそのまま横浜まで走ったんだとか。元気やなあ。

2001年11月03日(土曜日)

歴史ドキュメント「隠された聖徳太子の世界」

23時19分 テレビ

 今夜のNHKスペシャル枠は、歴史ドキュメントと称して「隠された聖徳太子の世界」という番組を放映していた。内容的にNHKスペシャルで時々やる歴史ロマンものと変わりなく、なんだって別枠にしたのか不思議だ。
 聖徳太子の死後、妃だった橘大女郎が作らせた、1丁の刺繍がある。天寿国繍帳というその刺繍は、太子没後の1300年もの激動の時代を生き延びてきた、貴重な文物だ。
 もともと、太子が建立した法隆寺に眠っていたものを、鎌倉時代の尼僧信如が発見したものだ。当時、既に痛みが進み、銘文や図案の概略に関しての書写が行われていた。その後、さらに痛みが進み、遂には断片化してしまったため、江戸時代にそれらを縫い合わせたり、足りない部分を継ぎ足したりする補修が行われた。しかし補修は従前の図柄や時代的な背景にまったく無顧慮に行われたため、オリジナルの部分もそれぞれバラバラに継ぎはぎされ、元の図柄が全く分からない有り様になっていた。
 今回、この刺繍を30年も研究してきた早稲田大学の大橋教授を中心に、CGによるオリジナル図案の復元が試みられた。しかし、ほとんど原型を留めていないこの刺繍帳、果たして本当にどこまで再現できるのだろう。
 手がかりは、まず残されたオリジナル部分にある。例えば、同じ幾何学模様を繰り返している細い図案が残されている。これは明らかに帳の四周を囲っていたと考えられる。また飛天、蓮の花が多用されていることから、仏教思想、しかも中国隋代のものに色濃く影響されているものと思われる。また製作の経緯から、原図を描いたのが朝鮮出身の帰化人であったことが分かっており、当地のデザインも影響していると考えるのが自然だ。
 さらに、信如が書き残した概略、特に完全に解読されていた銘文の情報が役に立った。銘文は400文字が100個の亀甲紋に記される形だったとされている。これらの情報を突き合わせることで、最終的にかなり確度の高い復元が可能になった。
 基本的に、寝台などを飾る帳という形態から、同じ図案がほぼ等間隔に散りばめらていたと推定された。帳は二枚一組で、それぞれの中央に最も重要なモチーフが縫いこまれていた。一つは菩薩像、そしてもう一つには蓮華の花から天寿国(極楽)に往生した瞬間の聖徳太子像が、それぞれに縫いこまれていただろう。そしてその周囲には、蓮の花が咲き乱れる池、その蓮華から太子と同じように往生して現れた人々が表現されていたのだろう。
 それにしても、手がかりってのはあるもんだと思った。

BD-1の擬装完了する.....が

21時18分 自転車 天気:雨

 雨の日。今日はBD-1の調整をしようと思っていたのだが、この雨では試走することは難しい。ディレイラーをチョコチョコいじる。どうもチャラチャラ音が減らないのだ。なんでだろうなあ。新品スプロケットに新品チェーンの組み合わせなのに......。チェーンもHGチェーンで問題ないはずだけど。短いのか。実は、新品HGチェーンをフルに着ける時、チェーンの長さが1コマ分足りない気がしたのだが、そのまま着けてしまった経緯がある。前後の最大スプロケットに直接回し、2コマあまるくらいが目安だというのだが、1コマしか余らなかったのだ。もう一式、チェーンを買い足す必要がありそうだ。
 そういうわけで、またしてもハンズに出撃。いや、自転車店ならどこでもよさげだが、それなりの品揃えがあって、自転車以外にも楽しめるというと、ここくらいしかない。気軽に出られるのもいいのだ。どういうわけか、ここ1年の僕はハンズ激ラブ状態だ。
 ハンズでは、HGチェーン(DX用グレードのものしか無かった)、ハンド式のボトルケージ、キャットアイの新型LEDヘッドライトを買った。さらに上階で、8mmの穴が空いた物を物色。そのココロは、キワチャリのフロントタイヤのフォーク当たりを解消するためだ。タイヤとフォークの隙間をチェックすると、ぎりぎりクリアランスを解消できそうではある。しかし、フォークがゆがんでいるのか、タイヤが片側のフォークにちょっと当たってしまっている。これはワッシャーなどを噛ませて、タイヤを反対に寄せるのが良いように思えた。
 しばし金物コーナーを放浪する。8mmのワッシャーのほか、四角い金物も買った。四角いのでタイヤのズレを止めるつもりだ。
 帰宅して、キワチャリ復興に取り掛かった。ワッシャーと四角いのとをいろいろ組み合わせて、ようやくそれなりのパターンを発見した。一応、通常はタイヤのこすれは無い。が、ちょっと斜めに力をかけたりすると、またこすれてしまう。エンドをかさ上げするか、フォークを削るかだが......。この状態で乗ってみる。前輪は空気入れがはまらないので(問題満載なタイヤだな)、チューブに空気を入れてリムをはめるという手を使った。いつの間にか後輪の空気が抜けているので、こちらも入れておいた。またがって見ると、前輪が擦れてない限りは問題無さそうだ。しかし、一度擦れ始めると、ほとんど漕げないくらいになる。まあ、あと一息って所かな。その一息がえらく長かったりするのだが。
 次にBD-1。チェーンを買ってきたのはいいのだが、気が変わってこのままで行ってみることにした。今のところ、チェーンが外れるとかいったトラブルは出てないし、下手にいじるとどうなるか不安だ。
 チェーンはおいといて、ボトルケージをステムに装着した。アジャスタブルステムの右側面に着けると、折りたたんでも支障が無くてよい感じ。
 さらに、ライトをHL-1500からHL-EL100に換えた。HL-1500の方が光量が大きくて見やすいようだが、非常用と考えるとHL-EL100の持続時間30hは頼もしい。ツーリングの時には滅多にナイトランはやらないし。フィットネスの一環として(といっても他に何をしているわけでもないか)近所の公園をぐるぐる回るときだけで、しかもその時にはMTBに乗る。
 これで、BD-1の改装は大体終わりか。昨日乗った感じでは、なぜか漕ぎが凄く軽くなっていた。他方、アジャスタブルステムの最低高が高すぎて、ちょっと前傾姿勢を取り難い。これは、パイプカッターで一部切断するしか無さそうだ。

2001年11月02日(金曜日)

BD-1赤化計画(いちおう)完了

22時16分 自転車 天気:晴れだか曇りだか

 昼過ぎまでぐっすり寝て、もそもそと起きだした。今日こそBD-1赤化計画にけりをつけるのだ!
 今日残された作業は、駆動系のXT化、ハンドル周りの詰め、その他残作業だ。
 まずは駆動系。最初にスプロケットの交換をやってしまおう。前日買ってきたロックリング外しをセットし、スプロケット回しとモンキーレンチで回して外す。専用工具があったせいか、あっさり外れてくれる。半年間の酷使(でもないか)に耐えてきたAceraの8段スプロケットは、もう真っ黒だ。一度、完全に洗ってやらなければと思いつつ、今日まで来たのだが。
 真新しいXTの9段スプロケットをセットする。そうだ、この最小の11tには欠陥があって、シマノからリコール(自転車に正式なリコールはないが)がかかっているというニュースをC.B.あさひで見たので、早速「どうしたらええねん」とあさひにメールしておいたのだ。ところが、一向に返信がない。まあ後で正式な11tと取り替えればよいだろうと思い、今日はその不良がある11tを組みつけようと思っていたのだ。ところが、いざ組みつけしようとアパートの部屋を出ると、なにやらクロネコのメール便が置いてある。開くと、例の11tでした(爆)。まあ結果的には間に合ったわけだが。メールくらいよこせよ。しかし対応が早かったのにはびっくり。○です。
 さて、スプロケットをあっさり組みつけ、今度は問題のディレイラーだ。ここは今までに買った整備本を参照しながら、慎重に取り替えた。前のAceraはもう真っ黒だ。そこに真新しいXTを組みつけてやる。当然、チェーンも真新しいものだ。このチェーンの長さ、ディレイラーの調節が、一番時間を要した部分だ。整備本は、チェーンの取り替えの場合はディレイラーが、ディレイラーの場合はチェーンが、それぞれまともな状態であることを仮定している。同時に取り替えることは想定してない(というか、実はディレイラーの取り替え自体を想定してなくて、調整のみ取り上げているのだが)。そこで、ディレイラーの可動部分をあれこれ動かし、チェーンの張りを見て、フルに使う必要があると読んだので、1コマも切らずにピンでつないだ。むしろ、後1コマくらいあった方が良さそうなのだが。
 チェーン長が出たので、今度はディレイラーの調節。まずディレイラーの可動範囲をハイ、ローとも調整し、シフトグリップからのワイヤーを調節する。これは試行錯誤が必要だった。最終的に、ほぼ問題なくシフトできるようになった。
 駆動系の作業をしながら、まだ固定してなかったハンドル回りのレバー類を固定した。左右ブレーキレバー、SRAMのシフトグリップを固定する。シフトグリップとブレーキの関係がいまいちなせいで、やはりグリップとブレーキの間が開いてしまう。実用上は問題無さそうだ。しかし、前よりハンドルバーの空きが少なくなった。スピードメーターやライトを固定するスペースに乏しくなる。そこで、ミノウラのスペースグリップが登場する。これはグリップ程度の丸棒を長い固定具でハンドルに止めるもので、この丸棒に色々固定することが出来る。今回からサイクロコンピュータとして、キャットアイの200Nを使用することにしたので、これとライトとを固定した。
 さらに前後の車軸、シートステイを止めているクイックを、おそろいの赤い(というかワインレッド)のものに替えた。これで完成だ。
 渋いグラファイトのフレームに、赤いパーツ類が映える。カコイイ! 早速試走するぞ。
 今回からBD-1もビンディングペダルになった。これをちょいと調節する。
 夜道を、ライトを着けて走り出す。にゅ? ハンドルが高すぎる。それにちょっと横に回っているようだ。止まって再調整して走り出すと、ハンドルがふらついた。危ない危ない。どうやら、ハンドルの高さ調整用クイックが緩くて、ステムが左右に回ってしまうようだ。きつめに締める。他には、駆動系から擦れるような音がするのが気になった。
 まあ概ねいいだろう。細かい調整は、明日やろうと思う。日曜日はデビュー戦だ。

2001年11月01日(木曜日)

ブレーキ着く

23時14分 自転車

 BD-1赤化計画だが、遂に前後ブレーキ、ブレーキレバーが赤化した。今着いているテクトロのブレーキとそう変わらない能力の物だが、色が濃い赤なのでフレームのグレーに映えてカコイイ。既にハンドル回りの赤化は完了しているが、予想通りのカコヨサだ。すげえぜ俺様のセンス、カコイイぜ俺様! 早く、一刻も早く、世の愚民どもに俺様の素晴らしいスーパーBD-1を拝謁させてやらねばな。おっと、そういえば、このブレーキブースターって、どうやって取り付けるんだ?(爆) 早くも無駄なパーツになりそうな気配が濃厚である。

うなる旋盤!

21時14分 自転車

 帰路、ハンズに寄って(というか横浜までわざわざ出たのだが)、旋盤用のドリルチャック、8mmのドリルを買った。今日こそ、旋盤を駆使してのキワチャリ復活計画を成就させる時なのだ。
 帰宅して、早速KS-200にかじりついた(本当にかじりついたら歯が欠けると思うね)。既に外周17mmに仕上げてある丸棒を、8mmドリルで貫通するまで掘削する。これは簡単だった。ドリルが比較的長いし、精度も出ているようだ。仮にタイヤにはめてみると、いい感じにはまり込んだ。もう一方も仕上げ、タイヤの軸とともにはめ込んだ。そしてキワチャリのフォークにはめてみた。むむ、きつい。タイヤの幅が、というより軸に通っているベアリングが飛び出ている分だけ、前のタイヤよりも幅があるようだ。そこで、ナットを少し削ってみた。幅は良し。しかし、それでも滑りがよくない。どうやらこのタイヤは、幅だけでなく高さも少し大きいようだ。今度はエンドかさ上げパーツを製作しなければならないのかっ。僕とキワチャリとの戦いはいつまで続くのだっ!(激しく吐血中)

新しい人

17時13分 暮らし 天気:晴れてます

 職場に新しく人員が配置された。席が俺様の隣なので、ついつい世話を焼いてしまう。女の子だったらよかったんだがなあ。とりあえず、面倒な仕事はなんでもやっつけてしまえるように鍛えてあげよう(要するに自分が楽したいのだね)。しかし、新人の定着率が低い職場だからなあ。