Strange Days

2001年08月06日(月曜日)

Code Red(X型)襲来

23時10分 コンピュータ

 会社のテスト機の多くは、MS系OSが載っている。今日の午前中くらいから、どうも会社のネットワークが重くなっていると思っていた。それが昼過ぎには、ルータを越えてはいけないくらい重くなってしまった。もしやと思い、テスト機に入れてあったapacheログを見てみると、やっぱりポート80にアタックが来ている。Code Redの変種みたい。その後、社内システム部に連絡を取ろうと四苦八苦(なにせ、電話番号はイントラでないと参照できない)していたら、アタックは増える一方。やっと連絡を取ると、あちらも現象を確認していた模様で、ほどなく『IISは全部停めろ』という前代未聞のアナウンスがあった。しかし、アタックが減る気配は無かったので、たぶん、自分の機械にIISが入っているということに気づかない人が多かったのだろう。IISなんてうっかりインストール時にほいほい"Y"連打してると入っちゃうような代物だから、後で忘れちゃう人は多いんだろうな。
 僕の環境でも、IISはたまたま停めていただけなので、感染しなかったのも偶然にすぎない。ああ、こんな危険なOSと手を切れる日はいつなんでしょう。

ヒロシマの祈り

20時09分 思考 天気:曇り

 なんだか眠れずに明け方にはごろごろする羽目に。どうも眠るタイミングを逸したような。
 会社にうすぼんやりしながらでかけ、食堂で朝食をとりながらテレビを見ていたら、高校野球の始球式かなんかで、原爆記念日に付き黙祷、というのをやっていた。そういえば、平和大行進とかいう催しも耳にした。原爆記念日は夏の風物詩化している。
 自分が広島出身で、日教組の洗脳工作(笑)に苦しめられてきたせいか、長崎や広島で起こった事件を、その悲劇性を認めながらも、やや冷ややかに見てしまう。正確には、"あの日"以降に起こった事件を。原水禁と原水協の分裂劇は、歴史に残るお笑いといえるだろう。イデオロギーの前には、核兵器による死者など物の数ではないのだ。なにしろ、旧ソ連では、スターリンによる粛清だけでも、WW2時の日本人戦死者を軽く上回る人々が死んでいる(統計によって数値は違うが、最低でも600万人は死んでいるらしい)。つまり、イデオロギーの殺傷能力は、核兵器のそれなど軽く凌駕しているといえるのではないか。なんてのはブラック過ぎるだろうか。
 もちろん、だからといって長崎や広島でたいした理由も無く死なねばならなかった、あるいは後遺症に苦しまねばならなかった人々の悲劇性が、いささかでも薄まるわけではない。いやむしろ、南北戦争からこちら累々と積みあがってきた何億という死者の中にあって、その位置を確かに確定できるからこそ、8/6、8/9の死者たちの悲劇性は、やはり際立っているといえるのではないだろうか。そこにはドラマがある。そしてそうだからこそ、様々な修飾が、後世の僕らによって施され、利用されうるのである。
 今年も様々な形で、"人類史上最初の核兵器による死者"と"その日"が利用されている。そのほとんどは、イデオロギー的な修飾を免れてはいまい。せめて、その利用目的が正しくありますように、そう祈りたくなる。
 しかし、たとえこの一週間ほどの間に営まれる様々な行事が、それを主催する人々の思惑に縛られてしまうにせよ、それらに通底する祈りには、無死の、純粋なものが含まれているはずだ。その思いが通じる日は来るのだろうか。広島の外に生きる人々にとって、夕食ほどの注意も喚起出来ないに違いない諸行事を見ながら、なんとなく歯がゆく感じるのは僕だけだろうか。