Strange Days

2002年07月31日(水曜日)

スプリング交換BD-1試走

22時00分 自転車 天気:晴れったら晴れ

 今日は5日ぶりに朝トレ。麦草をにらんで、MR-4Fでざっと走ってきた。相変わらずウォーキングに励む人は多い。
 会社で空を見ない時間を過ごし、帰宅してからBD-1の試走に出た。替えたサドルが前下がりになっているように感じたので、その調整をしたのと、フロントサスのスプリングをハードタイプに替えたのだ。
 走ってみると、サドルの調整はばっちりで、効果が感じられた。が、スプリングの方は、そんなに硬くなった気もしない。むしろ、柔らかく感じたくらいだ。1kmばかりの試走では違いが分からない程度なのかもしれない。また1年以上使ってきた前のノーマルタイプは、新しいハードタイプに比べて2cmほども縮まっていた。それが影響していたのかもしれない。
 つくづく思うんだけど、僕は自転車に乗ることより、いじることの方が好きなようだ。自分でいじった自転車に乗って、その前後の違いを感じる瞬間がいいのだ。BD-1も、ずいぶんいじったもんだ(まだスプロケットのクロスレシオ化が控えているが)。

2002年07月30日(火曜日)

今日も気力湧かず

22時00分 暮らし 天気:晴(むしむし雲の多い日)

 今日も今日とて疲労が取れないでまいっちんぐな日だった。やっぱり朝トレをさぼり、フレックスで出社し、昼からはリポDで気力を維持する始末だ。どうも、暑いと立っているだけで体力を消耗する気になる。いや、寒い場合にもなんだろうが。
 今日はさっさと帰宅して、寝ることにした。寝ることは最大の娯楽だ。

2002年07月29日(月曜日)

BD-1のフロントサスペンション交換

22時00分 自転車 天気:くもりかなはれかな

 2chを見ていたら、BD-1のフロントサスのスプリングを交換するやり方が載っていたので、その通りに作業して交換してみた。
 まずスプリングの中に入っている黒いスポンジを抜く。次にエラストマを貫通しているボルトを抜き、エラストマを取り外す。固いので、ディグリーザーを振りかけてやるとよいようだ。これでやっとBD-1のフロントをハードタイプに交換できた。いや、赤いというのが味噌なんだけど。

2002年07月28日(日曜日)

NHKスペシャル「巨大穴の謎に挑む」

23時00分 テレビ 天気:晴れ(やはり雲量大)

 今夜のNHKスペシャルは、「巨大穴の謎に挑む」。南米はギアナ高地に点在する巨大な穴の話題。
 なつかしいなあ。たぶん、僕と同年代の方は、NTVの木曜スペシャルでの放映を覚えてらっしゃることだろう。サンデーだったかマガジンだったか、少年誌でも盛んに特集されたものだ。今回は、あの巨大穴に再び調査に訪れた研究者たちに同行する。
 この巨大穴は、ギアナ高地の上面に点在する、直径50mから300mに達するものだ。ギアナ高地のサリサリニャーマという台地に存在するこの穴は、40年近く前に航空機によって偶然発見された。今回の番組に登場するブリュワー氏も、発見直後の巨大穴に降り、調査を行ったという。ところが、その時には数日の時間しかなく、十分な調査を実施できなかった。そこで今回は、ベネズエラ政府の特別な許可の元、数人の科学者チームと共に3週間の調査を行うことになったのだ。
 このギアナ高地自身、人跡未踏の地であり、ヘリコプターによる移動がもっとも確実だ。一行はサリサリニャーマの台地上にヘリコプターで機材を運びあげた。
 調査の主目標としたのが、巨大穴の中でも最大のもの、直径、深さ共に300mを超える穴だった。穴の周囲は切り立った断崖になっており、探検家であるブリュワー氏はともかく、他の研究者たちには自力での降下は難しい。そこで、ヘリコプターでの着陸が試みられた。しかし、ヘリコプターでも、鬱蒼とした木立をかいくぐってのランディングは難しい。結局、ヘリコプターを地面すれすれにホバリングさせ、そこからおのおの飛び降りる形になった。
 穴の内部には、台地上とはまた違った生物相が見られる。ここはギアナ高地の断崖によって下界から隔絶し、さらにそのギアナ高地とも穴の断崖によって隔絶している。二重の孤立地なのだ。それ故に、今まで知られてなかった新種の生物が、相次いで発見された。
 穴には不思議な場所がいくつもある。その一つが、ある断崖に沿って存在する「種の山」だ。植物の種が、何メートルにもわたって降り積もり、山をなしているのだ。この映像を見て、これは確か昔の放映でも見たぞと思い出した。その時には、確か成因は謎とされたんだっけ。
 しかし今回、その謎が解き明かされた。この場所の断崖に、大量のヨタカの一種が生息している。彼らは夜になると巣穴を出て、ギアナ高地へ、さらに下界へと去り、食料を調達してくる。この食料として最も多いのが、木の実の類なのだ。ヨタカは巣穴に帰ると、消化できない種だけを巣穴の外に出す......つまり、その種が巣穴の下に積みあがっていたのだ。
 これにより、巨大穴内部の不思議な植物分布の謎も解明できる。ここには、ここ固有の植物がある反面、下界にあるありふれた植物も存在しているのだ。後者はヨタカなどによって、下界から持ち込まれたものだったのだ。
 ところで、この巨大穴はどのようにして生まれたのだろう。ブリュワー氏は一つの仮説を立てた。
 このギアナ高地自身は、1億年程前、南米が超大陸の一部だった頃、湖に堆積した土砂が固まった堆積岩で出来ている。やがて超大陸が分裂し始めると、ギアナ高地の真下にホットスポットが生まれ、そこから上昇するマグマの圧力で、この地が高々と押し上げられた。さらにその堆積岩が雨などに浸食された結果、この奇観が生まれたのだという。
 では巨大穴は? 巨大穴の内部を観察すると、大きな岩塊が散乱しているのが分かる。そのことから、穴は空洞が生じ、それが崩落することで生じたと推測される。その空洞を穿ったものは? ブリュワー氏は、それは地下水だと推測した。ギアナ高地は雨量が多く、その多くは隙間の多い堆積岩の性質から、地下深くに浸透し、地下水脈を形成しているはずだ。その地下水脈の豊富な水流が、地下深くで空洞を穿った。その空洞は、内部に水が充満している間は、その水圧で保持されていた。ところが、ある時になんらかの理由でその地下水が放出され、水圧で支えきれなくなった空洞の上面が崩落したというわけだ。
 もしもこの仮説が正しいのなら、巨大穴には地下水脈の痕跡が見つかるはずだ。調査団はそのありかを探し始めたが、最大の穴では見つからない。恐らく、最大であるだけに、堆積した岩石の層も分厚いのだろう。そこで別の穴を調査した。すると、水量の豊富な泉が断崖から湧き出しているのが発見されたのだ。さらに、この水脈の行方も推測された。最終的には台地の外周のどこかで、下界へと流れ落ちているはずだ。その地点をヘリコプターで調査したところ、確かに台地のふもとへと、大きな水流が湧き出しているのが発見されたのだ。
 これらの証拠から、恐らくは巨大穴同士は地下水脈でつながっており、最終的には台地の外周から流れ出ているのだろうと推測された。
 ブリュワー氏は、いつかこの地下水脈を探検したいという。そんな狭くて暗くて危険な場所は、僕ならごめんだが。元気なおじさんである。

BD-1で湘南海岸まで

20時00分 自転車 天気:晴れ(やはり雲量大)

 しかし、あっついなあ。脳みそとろけそう。連日30度を大きく越す暑さだ。こんな日に自転車で出かけるなんて、なんて物好きな奴だろう。
 ということで、今日も自転車でお出かけな我輩である。
 今日の相棒はBD-1。出かける前にちょいちょい手を加え(またかよ)、サドルを取り替えた。今までは去年取り替えた、スペシャライズドのレーシングサドルS-WOKSを使っていた。これが細身で赤くて(ちよパパ爆)ちょーカコイイサドルなのだが、居住性がすこぶる悪い。ようするに硬い素材のみで構成されているので、尻肉が負けてしまうのだ。もっと柔らかいのが欲しかった。もちろん赤いの(爆)。
 TCR-2に着けたエラプロ・チタンがすこぶる調子いいセラ・サンマルコのラインナップを見ていると、アラミという比較的低価格のサドルが目に入った。細身の穴開きサドルで、赤くてカコイイ。早速注文して取り寄せたのだ。
 届いたサドルは、やはりスペシャに負けず劣らずでカコイイ。しかし、クッション無しで、想像より硬い素材で作ってある。少なくともスポンジではない。しかし、スペシャのS-WORKSよりは柔らかい素材だ。尻肉が助かりそう。さっそく取り付けた。ほんの少し(30g)の重量増にはなるが、S-WORKSよりちょっとツーリング向きっぽい面構えになって、BD-1には似合いそう。今日は、荷物を背負うのはやはり嫌なので、セキサイダーにBD-1バッグを取り付けた。
 まずは腹ごしらえにと思い、長後のCoCo壱番屋で飯を食った。一部で話題のライスカレーってのを試す。このざっくりして煮えきってない野菜など、昭和の頃の一般家庭用カレーを思い出させるものがある。
 カレーの後はアイスだ。飯田牧場に寄ろうと思い、六会辺りまで走ってから、境川に出た。立場~湘南台線の交差を渡るのが嫌だったので、それを回り込んだ形だ。
 飯田牧場では、最初牛乳を飲もうかと思っていたのだが、結局抹茶アイスに落ち着く。暑い。食べる側から溶けてゆく。
 この先のことをあまり考えてなかったのだが、海(というか水着のねーちゃん)が見たくなり、江ノ島まで走ろうと決定。
 サイクリングロードを終端まで走り、藤沢市街経由で江ノ島まで走る。江ノ島から鵠沼方面に方向転換し、辻堂辺りまで車道を突っ走った。辻堂から海岸に出て、太平洋岸サイクリングロードをまったりと走った。人出は思ったほどではない。そしてビキニのバカそうな感じの姉ちゃんがうろついてる。いいねえ、実に(しみじみ)。
 今日はサドルを試すという意味で、わざとパッド入りレーパンを履かなかったのだが、ここまで走っても特に痛くなる兆候はない。いいねえ、このサドルは。しかし、ちょっと前下がりの感じがする。手持ちのツールでは調整できなかったので、これは帰着するまでどうしようもない。
 帰路は、引地川沿いに走る。道は悪いが(あちこちで補修してはいるようだが)、緑に囲まれていて、走っていて気持ちの良い道だ。
 買物をしようと思い、湘南台に出て、本屋で自転車雑誌4種を買う。さらにスタバで休憩。クールカフィーをヤル間にパラパラとめくってみた。
 その後は、かなりヘロヘロになりながら帰宅。なんとなく、疲労感が募っている。寝不足かな。

2002年07月27日(土曜日)

NHKスペシャル

23時00分 テレビ 天気:晴れ(雲量大)

 今夜のNHKスペシャルは倒産企業の復活戦の話題。ここ数年、戦後最大規模の倒産が相次ぎ、件数的にも高原状態を保っている。件数的に多くを占めるのが、中小企業、さらには個人経営の零細企業だ。多くは中国からの安価な輸入品に押されている製造業だ。
 一度倒産した企業の建て直しは難しい。豊富なリソースを持つ大手企業でさえ、しばしば再建に失敗するのだから、限られたリソースしか持たない零細企業の再建が難しいのも道理ではある。
 番組では、残った社員たちが、未払いの給与などを債権として、企業の工作機械などを入手し、操業を続けながらの再建を目指す、自主再建企業を追っていた。企業再建という課題に対し、最大の壁として立ちふさがるのが、失われた信用の回復だ。信用が低ければ、金融機関から資金を得ることは難しい。また顧客を得ることも困難だ。倒産からの復活戦は、限られた資金をやりくりしながら、少しずつ信用を取り戻してゆく戦いともいえる。
 番組中、自主再建企業同士が手を組み、新しい製品開発に挑む姿も紹介されていた。しかし、乏しい資金のやりくりがつかず、開発は順調には行かない。
 一度倒産した企業のうち、復活できたのはわずか1割だといわれる。製造業への逆風が続く中、人々の血のにじむような努力は続く。

横浜~三ツ境~境川と周回

22時00分 自転車 天気:晴れ(雲量大)

 来週、いよいよ麦草行きだ。どういう装備で行くのが楽か。今回はやはりMR-4Fで行こうと思う。走りの軽さは、どうあがいてもMR-4Fの方が上だ。荷物は背負ってゆくか。とりあえず、一泊分の荷物くらいなら背負ってもいいかなと思うが。輪行のことを考えたら、そうせざるを得ないかも。キャリアを着けたい気もするが、輪行袋を吊るとキャリアをつける余地が無くなる。あるいは、輪行にはちび輪バッグを使うか。
 今ひとつ考えがまとまらないので、14:00頃からMR-4Fで横浜に出かけた。本当は三浦半島かヤビツに行こうかと思っていたのだが、起きるのが昼前だったのでもう無理だ。そこで、自走で横浜、三ツ境と回る周回コースを探ることにしたのだ。
 アパートを出て、長後街道を戸塚まで走ってゆく。んむ? なんというか、クランクに遊び感がある。首をひねりながらも1号線に出て、東進していると、そのうちにクランクがあきらかにぐらぐらするようになった。うわ、こりゃあかん。クランクが抜けかけている。
 ふつうの多機能ツールを持ち歩いているだけなら、ここでお終いだ。なぜなら、8セレーションタイプのクランクの増し締めに必要な8mmのヘキサゴンレンチは、たいていの多機能ツールには付属してないからだ。だが、ふふふ、僕が持ち歩いているクランクブラザースのものには着いているのだ! 早速増し締めして、緩みは解消された。勝利だ。こんなものが役に立つとは思ってなかったけどな。恐るべし、クランクブラザース。
 暑い中、交通量の大きいR1をひた走り、やがて西区に入った。ちょいとジャック・モールのスポーツ店を冷やかそうと思い、みなとみらいに入った。最近、自転車とは違うフィットネス用装備として、インラインスケートに目が行っているのだ。値段を見ておこうかと思った。が、人手の多さに嫌になり、またうかつに見るとスタパ魔道(物欲道と読め)に堕ちるやもしれず、今日は通過した。
 ジャックモールの西、いつもなら空き地になっている辺りで、ハーレーの試乗会が大々的に開催されていた。
 本当の用事はハンズにある。そこで横浜駅西口に出ようと思い、そっちにホイールを向けた。最近工事が終わった、みなとみらい大橋辺りを通過する。をを、この辺の眺めはいい。周りが開けていて、前方に横浜駅周辺のビル群が、左手には運河(だっけ、ただの川かな)が、右手には川とその先の海が、そして背後にはみなとみらいの超高層ビルが、それほど威圧的ではなく姿を見せている。楽しい場所だ。
 ここから平沼橋を超えるのにちょっと迷走し、ようやくハンズに到着。地階から丁寧に見て回る。といっても、必要なものはただ一つ、12mm前後の椅子足ゴムだ。しかしながら、ハンズという店、やたら物欲を刺激するものが多くて困るのである。
 件のゴムは、金物などが置いてあるフロアで無事に発見した。BD-1のセキサイダーの前2輪を、これに替えてしまうつもりだ。
 ハンズを出たのは16:00ごろ。ここから西に向かい、16号に入る。そして16号を北上し、厚木街道まで突っ走るのだ。アップダウンが多めだが、最近はこの程度の坂は坂だと感じなくなってきている。慣れというものは恐ろしい。体は、相変わらずきつく感じているのに。
 やがて三ツ境着。サガミサイクルセンターを冷やかし、ハンガーノック気味だったのでコンビニでゼリー食を仕入れ、境川に出た。そして今日は飯田牧場には寄らず、ダイクマに寄って帰宅した。このルートで50km弱。なんだ、こんなもんだったんだ。
 早速、セキサイダーの2輪化を実施した。キャップはぴったりはまり、折り畳んだ状態で床に置いても勝手に散歩に行かず、また後ろ2輪側での移動も快調だ。この状態で使うことにする。

2002年07月26日(金曜日)

今日も遅いので

22時00分 暮らし 天気:晴れっぽい

 今日も夜遅くまでお仕事が続き申し候。拙者、いささか草臥れ申し候故、帰宅早々床に就き申し候。ついでに暑さに脳みそが発酵中。
 それにしても、夜になってもすっきり晴れない。

2002年07月25日(木曜日)

ちょいと出張のはずが......

22時00分 暮らし 天気:晴れでもありくもりでもあり

 忙しい日だったが、昼から桜木町である会議に出席するため、この好天の最中を出張した。空は意外に曇りがちで、サイクリングによさげな天気だった。あー、サボりたい。
 出張は15:00から17:00の予定だった。しめしめ、帰りにハンズに寄って、椅子足にかぶせるゴムキャップを見繕ってこよう。BD-1のセキサイダー前2輪を換える工作のためだ。
 ところが、会議は長引きに長引き、解放されたのは20:00になってのことだった。もう行けんやんけ。世の中、甘い話なんて、そうは転がってないものである。

2002年07月24日(水曜日)

今朝も早朝トレーニング

23時55分 自転車 天気:くもりのち雨

 なにやらでかい台風が二つも南海をうろついているようだ。その影響なのか、梅雨明け宣言があったにしては、雲の多い湿っぽい朝だった。
 今朝も早朝トレーニングに出た。いつもTCR-2でばかり走っていたのだけど、今度の麦草にはMR-4Fを持ってゆく可能性が大だ(まだ迷ってます)。本番と同じ自転車に慣れるのが筋だろうと、今朝はMR-4Fで出動。
 サスが効くので体は楽だ。しかし、手首に衝撃がガツンと来る。24インチだし、サスも無いからか。ミズノがラインナップしているらしい24インチカーボンフォークが入手できればいいのだが。
 坂道はまあ楽なのか。なんとなく、つらいのは精神的な問題でもあると思えてきた。坂の終わりが見え、「ああ終わりだ」と安心した後が凄くつらくなるのだ。まだまだ続くと思い込んで踏みつづけると、意外に楽な感じがする。
 会社で窓の見えない時間を過ごし、23:00前頃に帰宅しようと建物を出ると、いつの間にやら雨が降っていた。なんだか梅雨が戻ってきたような塩梅だ。

2002年07月23日(火曜日)

あれ、BBSが使えません

22時00分 インターネット 天気:晴れ

 朝から暑い一日だった。昨日、昼の間だるだるだったので、今朝のトレーニングは無しにした。
 さてさて、困ったことに我がBBSが使用不能になっている。アクセスしてもエラーが返るばかりだ。まあ別に無くて困るものではないが、急に使えなくなるのも気味が悪い。
 はてさて、最近なにかしたかなあ、などとメールを読んでいたら、レンタルスペースの運営会社からのメールが目に入った。いわく、「サーバをより高速のプロセッサに換える」とのこと。INTELのXEONは、少なくとも最近のはPentium系列とマイクロコードの互換性が無くなっているはずだ。そのメールでも、「Cで組んであるものなどはリコンパイルが必要かもしれない」云々と書いてあった。問題のBBSは、まさにCなんだな。
 取り急ぎ、あちゃいんさんち(トップ絵から18Kってなんなのよ(;_;))で最新版をもらって来た。が、最近日記に画像を張りすぎてて、100MBのうち90MB弱まで埋まっている(笑)。えーっと、多分大丈夫だとは思うが、空きスペースが心配だ。というわけで、気長に、画像ファイルの追い出しなんかもにらんで対策することにしました。
 本当は、そろそろおうちサーバに日記などの動的コンテンツ(というか他に動的なコンテンツなんて無い)を置きたいのだけど、セキュリティを確保できるようにイントラを組みなおすのが面倒だ。Big-netが200MBまで増やしてくれれば、問題無いんだけどな(・_・)
 というわけで、とりあえず、BBSは使えません。面倒なのでトップページも変えません(めんどくさがりすぎ)。悪しからず。

2002年07月22日(月曜日)

なついあつです

22時00分 暮らし 天気:あっついぜ晴れ

 朝、4:30起床。そそくさと身支度して、走りに出る。この三日間でかなり疲労が溜まっていたので、今日は湘南台までで引き返そうかとも思っていた。が、案外に足が良く回る。結局、いつもの飯田牧場辺りで467号線に乗るコースを走った。この時間はまだまだ涼しい。しかし、もう真昼の猛暑を予感させる日差しが、そろそろ照り始めている。今日も暑い日になりそうだ。
 帰宅して、風呂に入り、身支度をして、会社に向かった。黒の長袖Tシャツ一枚ででも、その薄い生地の中に熱気がこもっているような気になる。このシャツ、涼しくていいのだが、胸ポケットがないのでチト不便だ。携帯電話は、いつも胸ポケットに入れてるのだ。胸ポケット付きのクールマックスな長袖Tシャツなんて、どこかで売ってないのか。
 勤務先も、アパートも冷房を入れてるので、まあ快適な環境ではある。しかしその間が問題だ。自転車通勤なんて、夏場はとてもやる気になれない。やはり地下鉄は良い。

2002年07月21日(日曜日)

暑い最中(もなかではない)の荒川オフ

22時00分 自転車 天気:晴れ

 荒川オフもかれこれ一周年だ。確か、去年の今ごろ、初めて参加した自転車関係のオフが、この荒川オフだったのだ。そのとき、にち氏の知己を得たんだっけ。
 今朝は早くに起きていたので、風呂に入り、さっさと準備をして、出発した。今日もBD-1で出動。三日連続でBD-1だ。MR-4Fが不貞腐れそう(ならMTBなんてどうなる)。
 浮間舟渡に着き、自転車を展開して公園に入る。今日も既に25人は集まっている。間もなく、40人近くになった。この人数がふつうになってきたな。
 強い日差しの下、一行は南に向けて出発した。
 走りながら、にち氏、hai氏と話す。みんなセキサイダー装備で、既に標準装備状態だ。そのうちにミズタニ扱いになってりしてな(笑)。今回はchallenge-speedmachineが3台も参加していたりして。BD-1も相変わらず多い。
 途中、いつものように赤い水門で休憩を取る。50人弱ともなると、はっきりいって通行の邪魔だ。次回からは少し離れた草地で休憩することになった。
 水門の直前で、ロードの男性に「こんにちは」と声をかけられ、抜かれた。誰かと思えば、ミキ氏だった。ミキ氏はパナのチタンロードでトレーニング中らしい。このフレーム、まき氏に売却交渉中だが、「それが決裂したら、竹本さん買わない?」といわれた。ううむ、魅力的だが、サイズは合うかな。
 ミキ氏とはここでお別れ。再出発し、何度かの休憩を挟みながら南下していった。途中の休憩で、多段化トレンクル(持ち主はフォリナーな男性)のハンドルに、妙なものがかかっているのに気づいた。霧吹き。「なにするものぞ?」と持ち主に尋ねると、それを向けられてプシューッとやられた。ようするに、これで涼を得ようということなのだ。なるほど。ふつうのボトルでもかまわんではないかと思わなくもないが(笑)。
 この陽気、夏真っ盛り、となると、当然南風が凄い。20km/h出すにも結構覚悟がいるような塩梅だ。リカンベントだと楽だろうなと思う。が、こちらはこちらで日差しをもろに受けるのではないだろうか。
 コンビニ買出しを挟み、南風に負けないで突っ走る。さっきのトレンクラーに海際でサッと抜かれたので、ふんばって着いていったらもう公園だった。
 ここに来るまでで、500mlのボトル3本を空にしている。汗も凄いが、ちと食欲が減退している。実はコンビニ前でちとゼリーとバナナとジュースをつまんでいたせいでもありそうだ(それはチトではすまない量だ)。
 今日の色物自転車。ただのバイキーなのだが、上に日除けがついている! 合理的といえば合理的。だが、そのフォルムは東南アジアの人力タクシーを思わせるものがある。
 ここでの解散前に、重要な提議がなされた。まず前出の途中休憩所の変更。これは問題なし。問題になったのが、「コンビニ買出しのときになんらかのルールで振り分けてしまおう」という提案だ。現状、40人以上がコンビニに押し寄せているので、とても混雑するのだ。これに対する意見として、「しかし既にコンビニ側で対策されてしまっている」というものがあった。件のコンビニでは通常レジ1名体制なのだが、毎月第3日曜日前後(つまり荒川オフのある日)にはなぜか5名体制になっているという情報が、地元民から寄せられたのだ。この提案は、「まあ参加者が70人くらいになったら考え直そう」ということになった。70人か。しかし、ありえない話ではない。
 ここで解散。直帰組み、浮間舟渡戻り組みなどに分かれ、三々五々散ってゆく。にち氏は横浜に帰るという。僕は和田サイに16インチハブダイナモホイールを受け取りに行かなければならない。hai氏も、実はスタンドが折れて難儀しているので、付け替えたいということで、共に輪行で和田サイを目指すことになった。セキサイダー付きの場合、スタンドを少し削らないとならないのだ。
 hai氏と共に西葛西駅まで走り、ここで輪行体勢に移行。西荻窪まで半分眠って移動した。西荻窪近くで銀行に寄り、和田サイまで突っ走る。西荻窪から青梅街道へのルートは、なぜか北向き車道だけいつも空いている。不思議だ。
 和田サイに着き、ふと近くの路上を見ると、なんとこぐ氏が座り込んでBD-1をばらしている。聞けば、ブレーキをXT化して、タイヤをStelvioに換えるんだとか。まさに決戦仕様だ。以前はウルトラマンのベルだったのに、今日はパフパフホーンに変わっていた。これで本当に決戦仕様か?(爆)
 和田店長の手が空くまで、店先でこぐ氏の作業を生温かく見守る。ブレーキ交換を少し手伝い(邪魔)ながら、缶コーヒーなどを飲む。風が吹き抜けてゆくのと、街路樹の陰ということもあり、涼しい。
 今日は、他にも60T化している人、MTBの整備をしている人などで、店先は混雑している。路上で作業をしているのだが、通行の邪魔にならないように気を遣う。誰か有力者が働きかけて、土日には店先の車道を1車線分閉鎖して、青空整備場として開放してくれないか。そういう政治力ありそうな人は、タムラーにいそうにないが(笑)。
 和田店長の手があいたのを見計らい、件のホイール、ケーブル類を買い取る。12000円なり。少し和田店長と立ち話をする。昨日、たか氏もセキサイダー搭載が済んだんだって、と聞くと。昨日はさらに2台ほど売れたのだとか。セキサイダー、すげえ勢いで売れ始めているようだ。
 ふと、なんとなく見覚えのある男性が店頭に現れた。もしやこの方は、セキサイダーの原型開発者、サイダー氏ではないだろうか。直接面識がなかったので目礼だけにとどめたが、ちょっと時間をもらってお話すればよかったとやや後悔した。あなたの子供たちが、こんなに増えましたよと。
 サイダー氏が去ってしばらくして、今度は加藤み夫人が登場。まだ腰が悪いとかで、ママチャリでの登場だ。実は、浮間舟渡にも見送りに来ていたのだが。
 こぐ氏の方は、ブレーキ換装を終えて、Stelvio挿入に挑戦しているところだった。レバーを入れず、手だけで入れる。一生懸命手でもみこんで、ビード部をはめようとするのだが、なかなか前進しない。というか、全然進展がない。胃が悪くなりそう。なんだってこんなにはめにくいんだろう。
 時刻は18:00前。自走隊は遅いなー、と思い始めた頃、ようやく自走隊の一部が到着した。しかし、僕のほうはここで時間切れ。こぐ氏の作業の行方を見届けられないまま、西荻窪まで舞い戻った。
 新宿までの車中。「ちょっとすいません」と初老の男性に声をかけられた。持っているのはBD-1かと聞かれたので、肯定すると、いろいろ聞かれた。ご夫婦でBD-1を買おうかと考えておられるのだとか。1台目にはいい自転車ですよ、と推薦しておいた。なんだか、BD-1は中高年の注目を集めているようだ。
 完全にヘロヘロになりながらも、なんとか帰宅。

2002年07月20日(土曜日)

セキサイダー化BD-1でお散歩

22時00分 自転車 天気:晴れっ

 今日はMR-4Fでヤビツか、三浦半島周回に再挑戦(いや再々挑戦か)するつもりだった。しかし、昨日の暑さにうんざりした僕は、明日の荒川オフのことも考えて、今日はポタる日に決定。相模サイクルを冷やかして、少し走ることにした。
 早速BD-1の出番だ。最初はバックパックをキャリアにくくりつけるつもりだったのだが、上手い載せ方が見つからない。バックパックが大きすぎて、必ず踵に当たってしまうのだ。かといって、後ろにずらすと、そのままずり落ちそうだ。
 バックパックの搭載は諦め、替わりにBD-1専用リアキャリアバッグを載せてみた。これは良くマッチする。BD-1用キャリアより低位置なので、振動で左右に振られることも無さそうだ。この状態で、出発することにした。おっと、もう一点。クリートを少し下げてみた。これでシューズが前に出るので、ローラーと接触しなくなることが期待された。しかし、完全に接触しなくなることはない。それでも、接触の可能性はかなり低くなった。
 まずは東回りルートでサガミサイクルに立ち寄る。今日の買物は特になし。つい先日、CBあさひでまとまった買物をしたので、今日は我慢我慢だ。目を付けていたMOZERの5万円フレーム(510)が売約済みだった(涙)。
 サイクルセンターの1Fでスパゲッティを食らい、燃料補給。次にどこ行こうかと考える。時間的にもう遅めだから、泉の森公園で和んでくるか。
 境川まで出て、東名まで走る。東名に沿って西に少し走り、R246に出る。ここからはひたすら走るだけ。
 今日は久しぶりになにも背負ってないので、こんな暑い日にはやはり快適だ。リアキャリアバッグもその存在を感じさせない。やはり、低位置なので振動することが少ないのだ。純正折り畳みキャリアの場合、位置が高いので左右に振れて脱落する場合すらあるからなあ。
 R246を突っ走り、泉の森公園に到着。駐車場から古民家園に立ち寄る。こんな猛暑の中でも、間口が広い日本建築の民家は、風が良く通って涼しい。思わず昼寝したくなる。が、ここで昼寝はまずいだろうと、危うく思いとどまる。人気が無ければ、昼寝もいいのだが。寝てる間に顔に落書きされたりしてな。
 古民家で和んだ後は、あやかしのいえ、いやしらかしのいえに立ち寄って、トイレ休憩。トイレを使い、自販機コーナーで一服していると、展示中の鈴虫の声が......うるさい。いったい、何匹いるんだろう。もはや落ち着けないくらいの大音響で迫ってくるぞ(笑)。もしも夏の夜、和んでいるときにこんなに鳴かれてしまったら、僕なら躊躇無くバルサンを炊くぞ。
 しらかしの家を出て、R246に戻り、さらに境川沿いに戻って、南下していった。ずーっと下り、下り、突っ走り、湘南台を越えて飯田牧場に向かった。こんな暑い日にはアイスだ。日差しを避けて、木陰でアイスを堪能する。
 そろそろ日が低くなってきたので、湘南台に立ち寄り、さらにダイクマに向かった。椅子の足にはめるゴムキャップを探してみた。セキサイダーの前2輪の替わりに、ゴムキャップをはめると、BD-1様が勝手に散歩しなくなって良いのだとか。ところが、ここでは見つからなかった。ハンズで見繕ってこよう。
 まだ明るいうちに帰宅し、明日に備えてさっさと就眠。

2002年07月19日(金曜日)

セキサイダー搭載に和田サイクルを訪問したのさ

22時00分 自転車 天気:晴れ晴れ

 今日は、このきなんのきの創立記念日(正確にはその振替休日)なので、会社はお休み。3連休だ。初日の今日は、昼までぐっすり眠り、睡眠時間を確保した。最近、6時間前後は確保しているのだが、それでもまだ眠い。きっと、毎日8時間寝たってこうなんだろうな。
 14:00になって、BD-1を抱えて外に出た。懸案だった、セキサイダー搭載のために、和田サイクルを訪問するつもりだった。セキサイダーが何者かというのは、まあインターネット検索すれば分かるだろう。BD-x系専用の、ローラー付リアキャリアだ。ミズタニが用意している純正品にもローラ付はある。僕も最初は使っていたのだが、重い、転がらない、重心が高いといいところが無かったので、すぐに同じく純正の折りたたみキャリアに替えてしまった。これは軽くてかっこよくていいのだが、重心が高くなるという難点がある。もちろん、ローラーは付いてない。結局、冬の間はバックパックを背負って走っていた。
 ところで、神奈川支部ではセキサイダーが流行していて、今年の初めの時点で、未装着車は僕のシャア専用BD-1とたか氏のものだけだった。まあ、そうなると逆に着けたくなくなるのだが、夏場はやはり背中に荷物を背負いたくはない。それと、平地を折りたたんだまま転がしてゆけるのは、やはり楽だ。特に、帰省時や長駆輪行のことを考えると。ということで、あっさりセキサイダーの軍門に下ることにしたのだ。
 西荻窪までは湘南ライナーに乗れたせいもあり、1.5時間程度だった。駅前で(暑い中)BD-1を展開し、青梅街道まで走る、走る、突っ走る。おや、どこかで見覚えあるファミレスが。青梅街道を行き過ぎてました(笑)。慌てて後戻りする俺様であることよ。
 平日の和田サイクルでは、やはりいつもほどの人ではなく、それでも何人かのお客を和田店長が対応中だった。ちょうど、多段化したトレンクルが売れてゆくところだった。後で和田店長に聞いた話では、多段化したトレンクル6500を店頭に置いてあったら、あっさりと売れてしまったんだとか。価格はなんと25万! そういうものがあっさり売れてゆく店なのだ。
 和田店長に、セキサイダーを取り付けに来ましたというと、僕の要望する黒いタイプを奥から引っ張り出してきてくれた。ただし、台形タイプしかない。本当は長方形タイプがすっきりしててよさげだったのだが、荷物の搭載を考えると、台形のタイプも悪くはない。さっそく、工具を借りて取り付けにあたった。
 基本的に、左右のダボ穴と、折りたたんだ時にシートポストを受けるプラ板を止めているネジとで固定する。この時、スタンドの一部と干渉するので、スタンドをサンダーで削らなければならない。そういうつもりで仮に取り付けてみると、確かに干渉する。それと、僕の場合、ディレイラーハンガーが少し干渉してしまう。和田店長によれば、こういう事例は初めてだという。とりあえず、セキサイダー側を少し削って、これは回避した。さらにスタンドも削って取り付ける。さらに、折り畳む際、例のシートポスト受けがセキサイダーの厚み分前進するため、シートが下がりきらなくなる。ここは和田店長ががんがん削ってくれた。これで畳むと、うん、完璧だ。折り畳んでコロコロ感を楽しんだりして。
 とりあえず2万円を和田店長に支払い、ついでにちょっとした相談をもちかけた。BikeEにハブダイナモを着けたいと思っていたのだ。すると、話を聞いていた和田店長、「16インチのハブダイナモ付きホイール、現物あるよ」と店の裏から取ってきた。なんでそんなものがあるんですか(爆)。なんでも、人に頼まれて組んでおいたのだが、一向に取りに来ないのだとか。こいつと電源ケーブル、HL500II用台座も揃いであるんだとか。本当に、何でもある店やなあ。とりあえず、今日は重いものをもって帰りたくなかったので、取り置きを頼んでおいた。
 さらに、Mobillyの多段化を持ちかけてみた。これはたぶんトレンクルの多段化と同じ手法で行けると思われた。しかし、そのためのフリーハブ(20穴)がデュラエースグレードのものしかなく、18000円もすると聞いた日には......。さすがに29800円のMobillyへの適用は躊躇する。まあ、金があれば出来そうだという感触はつかめた。
 少したむろしたかったけど、腹が減ってきたので、19:00頃に店先を離れた。早速、セキサイダー化BD-1W'の乗り味を楽しみながら、近くのファミレスを目指す。おや、左のかかとが、ローラーに干渉してしまう。そういう事例、前にもどこかで聞いたなあ。まあ、前ローラーは外すつもりだったので、とりあえずはいいか。
 ファミレスで飯を食らい、一休みして英気を養い、帰宅した。まだまだBD-1で楽しめるなあ。他の自転車にBD-1並に手をかけられるようになるのは、いつのことになるのやら。

2002年07月18日(木曜日)

今朝も早朝ラン

22時00分 自転車 天気:晴れ

 今朝も今朝とて早朝ランに励む。飯田牧場への道をR467方向に上りきり、ヘロヘロになりながら湘南台にたどり着く。ここで飲むお茶のうまいこと。とりあえず、アミノバイタルが効いているような感じはある。足が結構回るのだ。問題は、峠に登る間ぐらい、もってくれるかという点だが......。
 これを半年も続けたら、どれくらい鍛えられるかな。

2002年07月17日(水曜日)

オーマの正体

22時00分 思考 天気:晴れ時々雨

 朝はくもり、昼になって雨が降り始め、ヤヤヤ、と思っているうちに、今度は日が差してきた。なんとも忙しない天気だ。
 今日は定退日なので、さっさと帰宅する。帰宅するが、夜になって雲が出てきた結果、天体観望というわけにはいかなくなる。また、自転車の方も早朝ラン遂行中なので、夜は我慢だ。となると、本を読むかゲームをするか小説を書くかしかない。
 最近、小説に対するリビドーが減退しているように感じていたので、それを補うべくいくつかの本を買いあさり、読んでいた。ほとんどはノンフィクション系の本なのだが、一つ、大昔に手をつけて、そのまま中断していたある漫画も読んでいる。なにかというと、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」だったりするのだが。
 「ナウシカ」は、だいたい土鬼神聖皇帝と絡み始める辺りまでリアルタイムに読んでいたのだが、映画が公開されると急に興味を失って、それっきりになっていたものだ。映画化の前後に休載があり、そこで興味もまた中断してしまったようだ。
 今、改めて、通しで読んでみて、いやはや驚いた。映画とは全然別物になっている。映画ではクシャナは背景や描写に含みはあるが、権力を従えた悪として描かれている。しかし原作(というか時期的には"漫画版"とするべきだろう)では、ナウシカと絡み、土鬼領内での様々な体験を通して、優れた統治者として目覚めてゆく女君主として描かれている。同じようにナウシカも、ただ人々に希望を伝える不思議少女ではなく、絶滅の運命を悟りながら("清浄の地"に生きてゆくことが出来ない以上、人類の滅亡は必然だ)、それでも人々に明日を生きることを説くという重い十字架を背負った、一人の"救世主"として描かれている。
 しかし、もっとも大きくその位置付けが変わったのは、ペジテで発掘された巨神兵、漫画版ではオーマと名づけられた彼ではないだろうか。
 映画では、彼は単なる兵器だ。それも、なんの感情も思考も持たず、持ち主(この場合はクシャナ)の命令通りに"火"を吐き、すべての物を焼き尽くす、究極の兵器だ。
 一方、漫画版では、彼は感情も思考もあり、その上、人の感情や思考を読み取り、思いやりすら見せる不思議な"兵器"として描かれている。さらにいえば、彼はナウシカによって名前すら与えられた。彼は何者なのか。
 オーマは、彼が目覚めたときに、ナウシカを母だと認め、その言(『小さき母の願い』)に従って行動する。ここで、なぜナウシカを"母"と認めたのかという問題が出てくる。それは、作中の出来事を表層的に拾ってゆけば、ナウシカをたまたま最初に目にし(つまりインプリンティングされ)、さらにナウシカが"秘石"を持っていたことで、ナウシカの意味が彼の内部で補強されたように見える。だが、それだけではないのかもしれない。
 ナウシカは彼に「オーマ」という名を与えた。その瞬間にオーマは知恵のレベルが急発展し、人語を解し、発するだけではなく、人の表情を読み、その思考すら推測するようになる。彼は日常的に嘘を吐きつづけているようなトルメキアの王族たちの真意を喝破し、その言質を取って思い通りに事を運ぶ知恵すら身に着けた。オーマは自らを『調停者にして戦士、そして裁定者』と名乗る。そして実際に、トルメキア軍を母国へと追い返す工作をし、戦争を止めさせようともするのだ。彼は「調停する者」であり「裁く者」なのだ。その目的がなんであれ、「調停」し「裁く」ためには、複数の対立する勢力それぞれの位置付け、その価値を理解する、高度な知性を持たなければならない。オーマがかくあるのも当然というわけだ。だがそんな高度な知を獲得するに至ったオーマが、なおもナウシカを「小さき母」とするのは不思議ではないだろうか。彼には、自分とナウシカに生物学的なつながりが無いことなど、すでに分かっているはずだ。実際、オーマは王子たちを「母さんと同じ種族」と呼び、自分とナウシカを生物学的に分け隔てるカテゴライズを行っている。それでも、ナウシカのことを"母"と呼ぶのはなぜだろう。
 恐らく、オーマは高度な知を与えられはするのだが、それに見合った倫理観を与えられていないのではないだろうか。そして、そのように作られた存在なのではないだろうか。
 オーマは、名を与えられる瞬間まで、「小さき母」のいいつけだけを守る、強暴だが幼い存在にとどまっていた。彼は力を制御する動機に欠け、機会さえあればあらゆるものを破壊しようとする。ところが、名を与えられた瞬間から、彼の暴力は抑制され、目的に添って発揮されるようになる。例えば、トルメキアの王子たちの船団を脅迫した時、彼は誰にも損害を与えない明後日の方向に"火"を放ち、警告としたのだ。また、シュワのトルメキア軍の前に姿を現したときも、攻撃を受けながらも止めるように説得し、それが功を奏さないと見たところで初めて"火"を用いた。このように、名を与えられた後で、彼の力には抑制が備わるようになったのだ。
 それでは、オーマの力に抑制をもたらしたものはなんだったのだろう。それは、ナウシカの倫理観では無かったろうか。ナウシカは戦争を止めさせ、無益な殺生をやめさせようとする。そしてシュワの墓所を封印しようとする。こうしたナウシカの意図は、オーマに対して直接的に、間接的に伝えられていたように思う。ナウシカはしばしばオーマの暴力を諌め、力を抑制することの重要さを教えようとする。オーマは、これに驚くほど従順に従っている。そして、彼はナウシカと王子たちとの会話、そしてナウシカのいくつかの命令(シュワまで飛べ)から、その最終的な意図をも理解していたはずだ。彼にとってナウシカは、守るべき対象というより、彼の行動を方向付け、意味を与える存在だったのだ。行動に方向と意味を与えるもの、それは倫理観ではないだろうか。ナウシカは、彼にとって"母"だった。しかしそれは、生物学的な意味ではなく、彼を善導し、彼の行動の意味を与える、倫理的な教師としての"母"だったのではないか。ナウシカは彼に善と悪を教えたのだ。
 こうしてみると、オーマたち巨神兵は、それ自身が自律的に行動するようになるまで、優れた人間の善導を必要とする、いわば教育期間が必ず必要な存在だったのではないだろうかと考えられる。彼らが「裁定者」だったという意味は、おそらくある人間集団の"倫理"を学び、それを実践するための強大な力を持たされているという意味での「裁定者」だったのだろう。裁定の基準は、オーマたちに与えられた教育の結果なのだ。オーマたちは、ボタンを押されれば必ず破壊に至る兵器への反省から、いわば高度な安全装置としての心を持たされた兵器として作られたのではないだろうか。名は彼らが兵器から調停者へと進む、きっかけを与えるものなのだ。
 すると、火の七日間の間、オーマたちが世界を焼き尽くしてしまったのも、彼らを教育した人々が邪悪だったためなのかもしれない。破壊を好む人々がオーマたちに破滅的な倫理観を与えてしまった結果、オーマたちは純粋な殺戮マシンと化してしまったのではないか。あるいは、あまりにも多量のオーマたちが造られた結果、なんら教育を受けていない、善悪の区別の無い彼らが大量に暴走してしまったのではないか。肝心の心が歪むか、無くされるかしてしまった彼らには、世界を破滅させることしか出来なくなってしまったのだろう。
 なんて宮崎駿に聞いたら「んなこと考えるわけねーだろ」といわれそうな妄想だが。しかし、映画版の後で、ナウシカのグランドデザインに修正を加えるとき(「清浄の地」の意味付けの右往左往振りから、それが最後の最後まで続いていたのは明らかだろう)、宮崎駿は案外にこれに近いことを考えたんではないだろうか。ナウシカとの絡みを考えるとき、僕はそういう気がしてならなくなるのだ。

2002年07月16日(火曜日)

やっぱりナイトランはいまいちだ

22時00分 自転車 天気:大雨のち晴れ

 台風7号が接近する中、なぜか雨に降られないまま出勤。雨は9:00過ぎくらいから強まり、10:30前後にピークを迎えたようだ。外では風に煽られて横殴りの雨が吹き荒れている。そんな中、外出する用事がある人たちが、いつもと変わりなく、しかしずぶ濡れで行き来している。強いぞ、ニッポンのサラリーマン。
 せっかくレインコートを持ってきたのだが、雨は昼前には上がり、それからなんともいい天気になった。
 帰宅時刻はやや遅く、22:00過ぎ。朝4:30に起きて早朝ランしようとすると、23:00に寝たとしても6時間弱しか眠れない。明日はフレックスで出ることにして、久しぶりにナイトランに出かけることにした。
 今夜は久しぶりに持ち出すBD-1だ。いや、2週間ほど前にも乗ったっけ。一番久しぶりなのはMTBだな。雨天装備のまま、一月以上乗ってない。
 今夜は軽く湘南台往復で済ませることにした。右ひざを打ってしまい、ちょっと痛むので、無理したくなかった。アミノバイタルのせいか、足を回しつづけても、それほどつらくはならない。BD-1のギアが軽いというのもあるかもしれない。なにせ、平地を25km/h巡航するだけで、もうアウター・トップまで2枚くらいしか残らないのだ。
 境川サイクリングロードに入る。やっぱり、クモの糸が絡んでくるな。それにしても、やたら虫が多いこと。滅多やたらと衝突する。
 湘南台に至り、駅への長い坂をえっちらおっちら上って行く。足を回すのは、ギアが軽い分だけ、ロードバイクより楽だ。しかし、速くはない。BD-1は、やはり30km/hまでの世界で楽しむ自転車なんだろうな。
 湘南台公園で一休み。しかし、この辺り、日付が変わる頃だというのに、ヤンちゃな人々がたむろしている。トラブルに巻き込まれるのも嫌なので、さっさと帰宅した。
 どうも、視界が狭くて思い切り走れないし、虫は多いしで、やはりこの時期のナイトランは楽しくない。出来るだけ早朝に走ろうと思った。

2002年07月15日(月曜日)

早朝サイクリング

08時00分 自転車 天気:晴れ

 通勤時間帯のサイクリングが、まったく楽しくないことが分かったので、今日は再び4:30起床で、即走り出した。おっと、出る前に、アミノバイタルを飲んでおいた。
 やはり、この時間のサイクリングは快適だ。人通りが少なく、車がほとんどいないので、境川まで快調に突っ走る。
 境川サイクリングロードでは、ウォーキングに勤しむ人々がやや多い。僕と同じ理由で、早朝のこの時間帯が快適だと感じているのだろう。
 昨夜、ハンドルの角度を数度上げておいたのだが、そのおかげでブレーキブラケットを持って走るのが凄く楽になった。親指への負担が少し減った感じがする。
 西俣野まで出て、R467への坂道を登ってゆく。意識して軽めのギアで、着実に上ってゆく。こうすると、比較的楽なのだ。が、やっぱり苦しい。
 R467に出て、湘南台まで一気に走る。やはりアップダウンがある分、中田中央公園をぐるぐる回るよりは、確実に運動量を稼げていると思う。このコースにも慣れてきたのか、あるいはアミノバイタルが効いたのか、結構楽に走っている。
 湘南台公園で一休み。振り返ると、太陽がかなり高い。まだ夏至を過ぎたばかりなのだ。でも、これからだんだん日の出が遅くなると、夜間サイクリングと変わらなくなりそうだ。夏の間はこの時間帯で続けようと思った。

2002年07月14日(日曜日)

今日はBikeEで右往左往

22時00分 自転車 天気:晴れ

 今日は、本当ならば独逸行の赤井女史の壮行会兼久遠氏の泰旅行報告会に出るつもりだった。しかし、昨夜寝る前に、八月の麦草&帰省のための装備を考えていたら、いろいろ買物しなければならないと気づいた。タイヤチューブの予備の予備、エアサス兼用ポンプ、そして実家で腐っているママチャリ用パーツ。最後のは、帰省したときに、近場への足にするつもりなのだ。
 本来なら、昼過ぎに開店直後の和田サイクルを襲い、セキサイダーを搭載、次に久遠氏らと合流する予定だった。しかし、和田サイで全パーツを買うのも不経済だろうから、近場を回ることにした。壮行会その他には行けたら行くモードに変え、久遠氏にメールしておいた。
 今日は買物に便利なBikeE。行けたら行く、などといいつつ、すっかり行かないモードになった僕は、時間とも風とも坂とも車とも他の自転車とも戦わないことに決め、20km/h程度でペダルをくるくる回しながら、のんびり走る。ぉぅ、これだ、この安楽さなのだ。リカンベントに乗っていて一番楽しく感じるのは、こんなに安楽で、空が良く見える走りをするときなのだ。
 サガミでは24インチのチューブは発見できず。ママチャリに使えそうなパーツをいくつか仕入れておいた。サガミを出て、境川に向かう道を走る。信号で、たまたま並んだ警官から、「珍しい自転車だね」と声をかけられた。
 境川沿いに下ってゆく。今日はサイクリストがかなり多い。天気がいいし、また来週は台風が来そうだしで、走りに出た人が多いのだろう。
 湘南台にまっすぐ向かおうかと思っていたのだが、天気がいいので、飯田牧場に向かった。連日のアイスである。
 湘南台に戻り、ダイエーでママチャリパーツを入手しておいた。24インチのチューブは未発見だが、和田サイで見つかるかな。
 湘南台の薬屋を巡り、VAAM、アミノバイタルを探してみた。アミノバイタルはミスド前の薬屋が、VAAMとアミノバイタルプロはマツキヨが安かった。
 腕時計を見ると、既に18:00過ぎ。もう久遠演説会には出席できないだろう。途中、久遠氏のものらしい着信はあったのだが、焦っていたので切ってしまい、かつ相手が公衆電話なので折り返しは出来なかった。まあ、次の機会に。「天国の味」は遠慮したいが(笑)。
 ダイクマに寄って、自転車の傷をリタッチするためのペイントを買い、帰宅した。

2002年07月13日(土曜日)

TCR-2の大掃除

22時00分 自転車 天気:雨だか曇りだか晴れだか

 雨に濡れまくったTCR-2を、まだ日があるうちにばらして、隅々まで清掃した。
 BBに水が溜まる話を聞いていたので、BBまでばらすことにした。チェーンを切り、チェーンホイールを外し、BBを抜いた。すると、確かに水がちょろっと落ちてきた。確かに溜まっているのだな。BB周りをきれいに清掃し、グリスアップする。
 チェーンも良く洗い、その他の細部も出来る限り汚れをふき取り、ワックスがけした。前後ホイールも、リム部をソフトストーンで磨き上げた。全部組み上げると、もう記念撮影したいくらいにピカピカだ。しかし、どうしてもチェーンはすぐに汚れてしまう。こりゃあ、超音波清浄機でも買おうかね。

三浦半島周回リベンジ......また失敗!

14時00分 自転車 天気:雨だか曇りだか晴れだか

 朝、4:30に起きる。夜はかなり明けている。雲は多めだが、天気予報によれば降水確率は日のある間は10%とのこと。気になるのは、18:00以降は50%と増えていることだ。
 今日は、たか氏、かぜはるか氏とともに、三浦半島周回に挑戦することになっている。先週、時計回りルートでの単独行に失敗した僕にとっては、屈辱を晴らす絶好の機会だ。
 今回は、一番長距離を走って、一番疲労の少ないロードバイク、TCR-2で出動だ。最初、輪行装備は持っていかないで、かつ晴れなら雨具も持っていかないで、ウェストバッグ一つで出かけるつもりだった。しかし、雨も考えると、どうしたって最低ヒップバッグは持っていかなければ。
 ブラックホールのヒップバッグに雨具、輪行装備を入れると、目一杯になってしまう。雨が降りそうなら、途中でエスケープしても良いのだ。雨具は諦めて、しかし日差しの無さそうな今日は背負うほうが楽だろうと思い、クェーサーを背負ってゆくことにした。
 例によってうだうだしているうちに、出発の時間が迫ってくる。タイヤの気圧をチェックし、出発した途端、雨粒が顔にポタポタと。をいをい、もう雨ですか? 慌てて引き返し、やはり雨具を放り込んできた。
 このどたばたのせいで、集合地点の高鎌橋到着は7:00を数分過ぎた頃になった。雨はまだ降っている。が、激しくはない。
 高鎌橋の下流側に到着すると、上流側で待っているかぜ氏の後姿が見えた。車の流れ越しに声をかけるが、なかなか届かないようだ。三度呼んで、やっと気づいてくれた。
 かぜ氏が渡ってきてすぐ、たか氏も到着。やはり、雨具を取りに戻って、遅れたようだ。ともかく、雨はこの程度なので、決行することにした。
 僕が先頭を引いて、境川サイクリングロードを下ってゆく。すぐに雨は止むだろう、一過性のものだろうと考えながら。
 たか氏と話しながら並走する。さすがに雨中に散歩する人は少なく(でもいる)、かなり走りやすい。気がかりは、タイヤがスリックであることだ。
 たか氏に、「そのポジションは苦しい」と指摘される。やはり、横から客観的に見ると、そういうことも分かるのか。ハンドルが遠すぎる気はしているのだが。早急に、きちんとしたポジションを出さなければならないと思った。
 藤沢市内の国道に合流し、江ノ島へと向かう。雨は止むどころか、徐々に雨脚を強めている。上半身はずぶぬれだ。
 市役所の近くを通過したところで、たか氏が「今日は中止しよう」と提案してきた。うむ、この雨では、続行は危険だ。そのうちに雨が上がる方に賭ける道もあるが。ともあれ、雨の江ノ島商店街を抜け、海岸の道を潜る地下道に避難した。
 ここで、本当に中止するかという話になった。たか氏は「続行するというのなら続行する」。かぜ氏は「どっちでもいい」。後は僕次第。うーん、と悩むが、この時点ではまだ雨の害をそれほど感じてなかったので、鎌倉まで走って、そこで決めることにした。
 再び、鎌倉へと走り始める。車の量は雨にもかかわらず多い。白線に乗らないように、その横5cmを走るつもりで、ペダルを回しつづけた。そんな我々を嘲笑うが如く、雨脚はますます強まる。なぜだ、降水確率20%じゃないのか! なにか、三浦半島の神に呪われているような気分だ。
 レインコートの上だけ羽織っているのだが、下半身は無防備だ。とうとう、SPDシューズの中にまで侵入してきた。これがもう、気持ち悪いのなんの。とうとう、ここでギブアップする決意を固めた。
 鎌倉への入り口で、自転車を停め、ギブアップを宣言。三浦半島周回は、またしても中止とあいなった。うぉぉ、なんという屈辱、そして挫折感。
 とりあえず、雨が上がるまで雨宿りしようということになり、ガストに入った。ドリンクバーと往復ながら、自転車やその周囲の雑談をしながら、天候の回復を待った。かぜ氏も、僕と同じくTREK5200を狙っていたようだ。ところが、たか氏の話によれば、こいつはアルミフレーム並に硬いんだとか。その代わり、ALANのフレームは柔目だとか。
 サプリの話も少々。そんなもん、VAAM飲んで飯食ってりゃいいだろうと思っていたのだが、講習会にまで出かけたたか氏の話は、やはり気になる。とりあえず、アミノヴァイタルを試してみようかなと思った。
 11:00前になって、ようやく雨が上がった。この時刻から続行する気分にはなれない。まだ濡れた路面を注意深く走り、来た道を戻り始めた。やけくそで、飯田牧場に寄る。三浦半島周回ツアー改め、アイス味わいツアーだ。
 高鎌橋まで走り、ここで解散。サガミに行くというかぜ氏をかまくらみちまで先導し、ここでお別れ。不完全燃焼のまま、帰宅した。
 なにか、三浦半島の神に弄ばれているような気分だ。今度こそリベンジしてやる。

2002年07月12日(金曜日)

今夜は20*50の出番だ

22時00分 星見 天気:快晴

 今夜も晴れてくれた。明日は三浦半島周回リベンジの予定なので、ざっと見るだけにしよう。そう思い、カメラ三脚を出して、MIZAR20*80を出そうとした。と、その上に載っている高橋のフィールドスコープ、20*50に目が行った。最近、その存在自身を忘れていた。カバーに積もったほこりが悲しげだった。出してくれと言ってるみたいだった。今夜の星見はこいつに決定。45度対空なので、直視型の双眼鏡より楽だし。
 がっしりと安定しているカメラ三脚に載せると、このフィールドスコープも取り回しやすくて悪くはない。でも、見かけ視野が狭いし、固定倍率だし。値段が値段(9800円)なのでしようがないのだが。
 まずアンタレスを視界に入れ、ピントを出す。めがねをかけたままだと、見かけ視野の狭さもあって、横から入射する光がうっとうしい。メガネを外した。
 少し苦労しながらM7を入れる。やっぱり、100EDとは勝負にならないな。でも、50mmなりに散開星団が再現されている。これはこれで悪くない眺めだ。M6はそれっぽいのがあるようなないような、という程度の眺めだった。
 M8に向ける。一生懸命そらし目を使うと、微光星がいくつか見えるかなという程度だ。散光は感じられない。
 やっぱ、こいつはフィールドスコープとして使うべきかな。ミニ・ボーグの見え方も、なんとなく想像がついた。

通勤タイムのサイクリングは恐怖

08時00分 自転車 天気:快晴

 今朝は6:00起床で、前回よりやや遅い時間帯での早朝サイクリングを遂行した。
 この時刻は、そろそろ通勤族で道があふれ始めている。境川に出るまでの裏道でも、ほとんど休日の夕刻並みの交通量だ。あんまり裏道の意味がない。
 ようやく境川サイクリングロードに出る。この時刻、空は既に白々と白み、昼間の物憂さがやや流れ始めている。ウォーキングに勤しむ人は、早朝に比べればかなり少ない。
 西俣野まで走り、R467への坂道にさしかかる。これがまあ、出勤する自家用車と、工事現場に向かう工事車両とで、洒落にならない混雑振り。坂道を必死に登っていると、カーブででっかいトレーラーが横に来て......。おーい、内輪差でこっちに寄ってくるよ(;o;) 危険を感じた吾輩は、とうとう漕ぐのを止め、やりすごした。その後も、充満する車の横を、あまり気持ちよくないまま走っては止まり、走っては止まりを繰り返した。R467は少し空いていて、やや救われた気分にはなったのだが。
 どうやら、早朝ランは6:00までに終わったほうが良さそうだ。

2002年07月11日(木曜日)

台風一過の星空は

22時00分 星見 天気:快晴

 朝、6:00に起床して、空を見る。すげえ青空。こんなに澄んだ空は、かれこれ何カ月ぶりだろうか。まさに台風一過の青空だ。
 残念なことに、まだ路面が濡れていたので、早朝サイクリングは取りやめだ。会社に行っても、時々すっきりした青空を見上げては、ため息をつくばかり。
 会社から帰って、熱気のこもった部屋に風を通して一休み。そういえば、今日の夜空はかなり暗く見えたな。久しぶりに100EDをベランダに出した。
 ちょうど、さそり座のしっぽ辺りが南中している時刻だった。SW24.5を着け、さそりの心臓を視界に入れて、M4を探してみたが、案外に空が白っぽいので、見分けがつかない。昼の熱気と昨夜の降雨のせいで、水蒸気がかなり多いようだ。
 さそりのしっぽを伝ってゆくと。M7はすぐに見つかった。なにせ、6*30のファインダーでも、その存在がわかるくらい大きな散開星団なんだけど。しばらく見つめていると、微光星がぽつぽつ浮かび上がってくる。今夜はなぜか、星団全体が立体的に見えた。
 M6が見つからなかったので、次にM8を探す。これもファインダーですぐに発見できる。ちょうど南中しているところだった。しかし、背景が真っ白なせいで、散光がまるで判別できない。
 こういう時には、と思い、SW18に光害防止フィルタを着け、M8に向けた。うん、やはり散光がはっきりする。全体が散光に包まれているのが良く分かる。しかも、コントラストが向上するので、微光星も良く見えるようになるのだ。M8にある微光星の集団が、目が慣れるにつれて徐々に増えてゆくのが楽しい。ただし、十分に暗順応させないと、かえって星が暗くて見難くなるのだが。
 M22を探してみたが、これは見つからなかった。またM6を探したら、今度はあった。M7とM8の位置を見ながら、さっと向けてみたのだが、案外に位置をおぼえているものだ。M7に比べると小さな散開星団だが、光害防止フィルタのおかげかコントラストが上がり、なかなかきらきらと輝いてくれる。
 最後にM7。光害防止フィルタと、十分な暗順応のおかげで、さっきフィルタ無しで見たときよりも明るく見え、微光星がそれぞれ分離して見える。もっと澄んだ空の日に見たら、さぞかし見事に映えるだろうな。

2002年07月10日(水曜日)

台風6号襲来

22時00分 暮らし 天気:風と雨

 さあ、台風6号がやってくる!(いやそんなエクスクラメーションまでつけなくても) ここ数日、日本の南からいやし笑いを浮かべつつひたひた迫ってきた彼奴は、ついに今夜半、関東地方をその毒牙にかけるのだ! 東海地方では物凄い大雨で、毎度おなじみ揖斐川の氾濫が床上浸水にまで被害を拡大しているようだ。はたして、僕のアパートはどうか。境川、いや泉川が氾濫することは無さそうだが(もう完全に飼いならされた川だし)。しかし、風と雨と雷が荒れ狂う一大天候イヴェントが近づいている。
 僕は期待を胸にいそいそと定退し、彼奴の到着を待った。そして21:00に速攻で寝た。だって眠かったんだもん。だから風が荒れ狂っていた時間に起きてなかったのだ。なんのためにあれだけ盛り上がっていたのだ! おのれのアホさにあきれ返る夏の夜であることよ。

2002年07月09日(火曜日)

おこのみハウスで狂乱

23時00分 暮らし 天気:晴れときどきくもり

 ニュースが台風の接近を告げる中、僕はさっさと定時で退社し、横浜駅西口に出た。今日は、にち氏のなじみの店である「おこのみハウス」で飲み食いしようということになっていたのだ。ハンズに向かい、陸橋の脇を進んでゆくと、それはあった。
 店では既ににち氏が待っていた。さっそくビールをやり始める我々。付き出しにモヤシを天カスと炒めたものが出てきた。うまい。ビールのつまみにいい。家でも作ってみたくなった(が、横浜ではいい天カスが手に入らない。お上品な揚げ玉ばかりだ)。
 にち氏と少し話していると、すずきなおし氏が登場。想像より若い人だった(なぜか40、50代の人だと思い込んでいた)。今日、初めて分かったのだけど、すずき氏もZOBのIDを持っているんだそうな。「どこかで会いませんでしたか?」といわれたが、僕はZOBのオフには一度も出たことがなかったので、アスキーネットかあるいはNIF辺りでしか機会はなかったはずだ。うーん、どうだったかな。後で調べてみようと思った。
 この店は、鉄板で作れる諸々の創作メニューが売り。鳥の軟骨をこりこりかじっていると、こぐ氏が登場。こぐ氏は珍しいスーツ姿。さらに珍しいことに、自らワインを注文していた。酒を飲むこぐ氏を見たのは、多分初めてではないだろうか。
 酒を飲み、その酒をさらに進める効果をもつ様々な料理をつまみながら、色んな話に花が咲く。やっぱり、自転車の話題が主だ。にち氏がSat'R'Dayを買うつもりらしいことは知っていたが、吉田信生氏もそうだったとは。これはもう、秋ぐらいにikd経由で一括購入するか(安くはならないと思うが)。しかし、自分の稼ぎを思い出して、ふと我に返る俺様であった。
 22:30にお開き。結局、4時間くらいやっていたことになる。途中から眠くて、あんまり料理を堪能できなかったのがチト残念。特に、最後に出た広島風お好み焼きは、広島に生まれた者として、ぜひ批評しなければならないと思っていたのだが。別に構えることもなく長居出来そうな店なので、今度また一人でもいいから行ってこようと思う。
 地下鉄で半分気絶しながら帰宅し、即座に意識を失った。

早朝サイクリング

07時00分 自転車 天気:晴れときどきくもり

 昨夜、バタンキューで寝たので、4:00に起きだした。最近、深夜のサイクリングを続けてきたが、やはり夜は危険だと思った。ライトの電池がなくなると視界が悪くなるし、無灯火で走っている自転車はいるし、歩行者は見分けにくいしで、ずっと緊張を強いられるのだ。珍走団の脅威もある。しかし、この季節は朝方は十分に明るいし、暑さもそれほどではないだろうと考えた。
 4:30過ぎにTCR-2で出発。境川を目指す。当たり前だが、とても走りやすい。まだ朝早いので通行人、車両は少ない。境川サイクリングロードもそうだ。夜には無灯火自転車の宝庫であるここも、この時刻には明るく走りやすい。ジョギング、ウォーキングに精を出す人が多いが、声を掛ければ避けてくれる。腹減り気味なのを除けば、快適だ。
 飯田牧場への車道に出て、R467への坂をハアハアいいながら登ってゆく。登るうちに苦しくて足が止まりそうになるが、それに耐えて回しつづける。乳酸耐性を高めなければ、それと、根性を鍛えねば。脚が売り切れそうになりつつもR467に合流。湘南台公園まで一気に突っ走った。
 公園で、汗を拭きつつ、まだ冷たさの残る紅茶を飲んだ。甘露、甘露。これで空が抜けるような青空ならいうことないんだけど。そうすると、今度は暑くてやりきれなくなるか。
 汗を拭いて一服し、アパートへと走り出した。すると、自分が起こした風で、汗が冷えて心地よい。気分は爽やかさんね♪(音符はやめとけ)
 寒くなるまでは、朝のサイクリングを主体にしようかと思う。

2002年07月08日(月曜日)

今日は早寝

22時00分 暮らし 天気:晴れ

 もう梅雨が終わったかのごとき快晴の一日だった。実際には、まだ南方の策源地でくすぶっているようだけどね。
 土日と元気に遊び、両腕が真っ赤だ。数日すると、真っ黒になるのだろう。日焼け止め、今まで使っていたUV33のものに替えてUV50を買ってみた。長袖シャツとこれの併用で、余計な日焼けは防止できるだろうか。
 今日は眠かったし、夜走っても楽しくないと思うようになったので、早々と寝ることにした。明日の早朝、いつもの境川コースを走ってみようと思う。

2002年07月07日(日曜日)

BikeEで突っ走れ 境川遡行

22時00分 自転車 天気:晴れ(雲は多いけどね)

 昨日は敗北感に打ちのめされた一日だった。自分の限界があんなに低いとは。気分的にそのリベンジに打って出たかったから、今日はTCR-2で再挑戦しようかと思っていた。が、神奈川支部の掲示板でたか氏が「来週周回するから付き合わんかね」と書き込み、それに乗るのが良さそうだと思ったので、今日のリベンジは延期だ。三浦半島、命冥加な奴め(いや、たぶん僕の方が)。
 しかし、昨日の敗北感を払拭したい。というわけで、ベトナム戦争の敵をグレナダで討ったアメリカのように、今日はBikeEでツーリングに出かける吾輩であった。
 BikeEたんで楽なのは、わざわざレーパンを履かないでいいことだ。あの股間を締め上げる感覚は、時間が経つにつれてつらくなってくる。
 BikeEには数日前にマッドガードを取り付けてあった。しかしリア側の取り付けが甘く、悪路を走るとガタガタいう。あまつさえ、取り付けボルトが緩んでくる。とうとう、途中で取り外してしまった。完全に締めるには、ホイールを完全に外さなければならないのだが......。
 空は青く、風は強い。南風のはずなのに、なぜか強い向かい風を感じながら、進路を北に取った。今日はラッテを再訪したい。それと、相模原にあるサイクリング用ウェア専門店を訪問したい。
 とろとろと、25km/h以下で走りつづける。脚は昨日の疲れもみせずに回ってくれる。なぜだか絶好調だ。BikeEはアップライト並みの前面投影面積のはずなのだが、なぜだか風があまり気にならない。アップライトのように風に向かってゆくのではなく、風を上に逸らすように感じるのも一因なのかもしれない。
 R246を越え、やがて町田に差し掛かる。この辺の意地悪なモーターサイクル止め(というか自転車止めに等しい)に難儀しながら、町田を越える。ここからは人手も少なく、快適に突っ走る。しかし、西岸ではすぐに舗装が途切れるので、やむなく東岸に移る。
 やがて、とうとう両岸とも舗装が途切れた。地図とGPS携帯で位置を確認。例の常盤橋の近くのようだ。一度、横浜線に向かって走り、線路を越えるランプを越した。
 相模原駅に向かって、横浜線沿いに走る。道は1車線で、やや不安になるくらい店も少なかったが、地図によれば間違いない。やがて、沿道にビルが増え、道も2車線ずつに広がった。ほどなく、道の東側に目当ての店を発見。バイシクルウェアショップ・ザマ。その名の通り、自転車用ウェア類をメインにしている奇特な店だ。レジでは店主らしき男性が、PCに向かっていた。品揃えはやはり豊富で、サガミのアパレルフロアを圧縮したような感じだ。モノによってはサガミより安そうな感じもする。あいにく、これといって入り用なものは無かったので、今日は買わずに出た。
 さて、これからどうしよう。時刻は15:00過ぎで、まだ日は高い。だが、昨日今日と連続で走ったせいで、やや疲労を感じる。今日はリカンベントだしな。新しい店も訪問したし、引き返すことに決定。
 駅近くのロッテリアでカツレツバーガーセットを買い、帰り道で食おうと思いつつふらふら走り、境川へとあてずっぽで向かった。やがて行き当たった地点は、因縁の常盤橋。この上流の工事はまだ終わってないようだ。橋のたもとに座り込み、さっき買った帰りの燃料を腹に収めた。
 細い橋で、1車線しかないから、待ち合わせで交互に通ってゆく。びっくりしたことに、バスすら通ってゆく。明らかに路線バスだ。さすがカミカゼ神奈中。
 一度、川沿いの住宅街を走り、やがてまた舗装区画へと出た。そこからは順調に南下してゆく。今日も南風が凄い。だが、BikeEだとなぜか気分的に楽なのだ。アップライトだと、風に煽られると上体を支える筋力も変化させなければならないので、ややつらく感じるのだが、リカンベントではそうでもない。
 R246を越して、さらに南下しているときだった。向こうからロードレーサーを引き連れたやけに低い自転車が......。をを、なんとBikeEだった。あんな風に見えていたのか。こっちがBikeEに乗っているときに、他のBikeE乗りに会ったのは初めてだ。思わず、手を振り交わす我々だった。
 風の中、順調に走りつづけ、ダイクマに立ち寄って帰宅した。今日はずっと足をくるくる回すだけで進めたので、非常に楽だった。

2002年07月06日(土曜日)

南風に完敗 三浦半島周回失敗

22時00分 自転車 天気:くもりときどき晴れ

 朝9:00に起床。窓から外を見てみると、雲ってはいたが十分明るく、雨になりそうな気配はない。今日は前から考えていた三浦半島完全自走周回を実行しようと思った。
 出発準備をしながら、天気予報を見ると、今日一日雨になりそうにない。出かける前に吉野家で朝飯を食らい、ちょっとPCに向かっていたら、いつの間にか11:00が迫っている。慌てて出発準備をして、11:00過ぎに家を出た。予定よりかなり遅れてしまった。
 戸塚まで走り、環状2号線を南下してゆく。前3枚化MR-4Fは絶好調で、アップダウンも難なく越してゆける。今日は、雨具などの荷物は、ブラックホールのヒップバッグに収めて腰に吊っている。バックパックと一長一短あるが、一番発汗する肩甲骨付近が開放されるのはありがたい。いちおう、輪行準備も怠りない。
 磯子に着き、ここからは横須賀方面に向かう。ずっと湾岸道路沿いに走ったが、歩道も車道も状態が良く、かつ交通量も少ないので走りやすい。
 磯子と八景島の中間辺りで正午を迎えた。やはり2時間は前に出発しないと、三崎に昼到着というスケジュールは難しいようだ。
 さらに海岸沿いに走り、野島という小さな島に渡った。ここの南半分は公園になっていて、バーベキューを楽しむ家族連れなどで賑わっていた。
 野島を抜け、R16に入る。道幅は広いが、市街地をいくつも貫通しており、その度に路上駐車の車に悩まされる。
 昼を迎えたせいもあるのだろうが、段々脚が弱ってくるのを感じた。ここまでずっと強い南風に吹かれつづけている。最初は景気良く突っ切っていたが、段々堪えてきたようだ。先行きに段々不安を感じ始めた。
 横須賀市街を抜ける。道沿いに米太平洋艦隊司令部なんてのもある。途中、コンビニで軽食を仕入れることにした。このまま突っ走っても、三崎到着は15:00近くになりそうだ。それまで、腹がもたない。菓子パンを二つほど買い、ボトルが乏しくなってきたので麦茶も買っておく。
 ちょっと走ると、三笠公園への案内が目に入ったので、道を折れた。三笠公園近くの街路は気持ちの良い小公園になっていたので、ここで食事をとる。
 さて、三笠公園へは自転車乗り入れ禁止なので、ゲートにMR-4Fを縛り付け、徒歩で三笠に歩み寄った。三笠は、サイズはおおすみと同等だと思われるが、基準排水量で15000トンと重い。戦艦というものの性格が良く分かる。武装は前後主甲板に連装砲塔を装備し、舷側にスポンソンがずらりと並んでいる。最下層の砲員など、艦がなにと戦っているのかも知らないまま、ひたすら射撃に明け暮れていたのだろう。小ぶりにも思える船なのに、鋼鉄の迫力がある。
 三笠公園を出て、さらに南下する。16号線は結構アップダウンがあり、またトンネルが多い道だ。そのトンネルに入るたび、南風が増幅されて襲い掛かってくる。次第に脚に堪えてきた。
 ここはどうしても外せないと思い、観音崎公園にも寄った。浜辺ではフジテレビの27時間TVの関係だろうか、清掃隊のテントが目立っていた。
 観音崎の緩い坂を越え、さらに浦賀、久里浜と走った。ペリー公園で一休みしながら、ここでエスケープしちゃうかと考えた。時刻は既に15:00。寄り道が多かったこと、出発が遅かったこと、そして南風にやられたことから、想像以上に遅れている。しかし、やっぱり鮪丼は食って帰ろうと思い直し、また走り出した。
 火力発電所近くの緩い坂でさえ脚にこたえる。難儀しながらも越え、三浦海岸を走りきると、引橋へのつらい上りだ。引橋まで上り、もうどうにもならなかったなら、下りだけの三崎口に向かって帰ろう。まだなんとかなりそうなら、三崎に下って鮪丼を食おう。そう考えて、引き橋へののぼりに入った。
 山を越えてくる風が吹き降ろしてくるせいもあり、風が凄い。勾配が緩やかなうちはなんとかなったが、きつくなってくるともう前をインナー30Tに落とし、リアもローに入れた状態でも回せなくなった。あんなに軽く感じていたのに、もう回せないくらい重いのだ。自分が情けなくなる。
 こんな状態で上りつづけても効率がよくないので、止まって、道端で小休止。想像以上に紫外線が強く、両腕がひりひりする。薄ぐもりなのに、こんなに日焼けしたとは。これも消耗の一因かもしれない。しかし、やっぱり意地を張らずに、途中でまともな飯を食えばよかったかな。
 日が差したり翳ったりする空を見ながら、どうやらここが僕の限界らしいとしみじみ考えた。なんだか、坂に対する抗力が、他の人に比べて弱いようなのだ。坂を越えること自身を楽しめなくても、越えて行ければ行動範囲が広がる。しかし、越えられなければ、行動範囲がかなり狭まるのが日本の土地だ。でも、その低い限界なりに楽しめる道はあるはずだ。他の人が峠を制すること、長距離を行くことに価値を見出すのなら、僕はそういうサイクリングの王道を外れ、そのわき道を行くことにしようと思った。そういう多様な楽しみ方が、自転車という趣味にはあるはずなのだ。
 また坂道を登ってゆく。休んでも回復せず、結局は6km/hという笑うような遅さで、それこそ這うようにして上らざるを得ない。しかし、なんとか引橋に至った。選択の余地はない。躊躇無く三崎口へと下っていった。
 三崎口でしばし座り込んで、少し回復してから輪行で帰宅した。今日は南風に泣かされた一日だった。

2002年07月05日(金曜日)

ミニブーム?

23時55分 星見 天気:くもりですが

 小径車もミニモニもそうだが、人は小さなものに弱いらしい。だからということでも無いのだろうが、トミーからのダイレクトメールに拠れば、ミニボーグという製品が発表されたようだ。これ、口径50mmの小さな望遠鏡で、単体でも11*50のファインダーとして使えるほか、ふつうの望遠鏡のようにアイピース交換式としても使えるのだ。おや、そうなると50ED辺りと製品の性格としてバッティングしないかな。こっちは多分高分散ガラス材なんて使ってないだろうから、それなりの見え味で遊べる望遠鏡という性格付けなんだろう。
 僕の100EDには高橋の6*30ファインダーが着いている。たかがファインダーの癖に異様に良く見える代物だが、30mmの口径では明るい横浜の空には歯が立たない。もう少し大口径のファインダーが欲しいと感じていた。それと、ファインダーでも天頂ミラーを使いたい。望遠鏡で天頂ミラーを使っているのと、ベランダが狭くて延長方向から眺めるのは骨が折れるのとで、どっちにも天頂ミラーを使いたいのだ。そういう意味では、結構魅力的だ。またズームアイピースを使えば、かなり理想に近いファインダーになりそうだ。しかし、単体として使うことはあるだろうか。そういう用途には、さすがに高橋のFS60Cなんかが向いてるように思える。まあ、そういう色んな可能性を広げつつ、それぞれにそこそこの実用性を残すような性格の商品なのだと思う。

2002年07月04日(木曜日)

リアディレイラー調整......これで完璧か?

22時00分 自転車 天気:くもり(昼間は晴れました)

 沖縄は台風5号の影響で、大荒れの天気らしい。関東地方は久しぶりに日が差す天気。こういう日は、会社を休んで遊びに行きたいくらいだ。
 さて、昨夜、クランクとフロントディレイラーを調整したところ、アウター・トップで音鳴りがするようになったリア側の調整だ。説明書を引っ張り出して、RDのトップ側を少しだけ調整したところ、音鳴りはなくなった。
 晩飯にと長後のCoCo壱番屋まで突っ走る。フロントのシフトアップ、シフトダウンに問題はないようだ。しかし、トリプル化って操作感が凄く悪化するな。
 帰宅して、なぜか久しぶりにgldoomを始めてしまい、本当の真夜中に寝た。

2002年07月03日(水曜日)

MR-4F変速不調の原因は

22時00分 自転車 天気:くもり

 夜、今夜もサイクリングロードに走り出した。今夜はMR-4Fだ。TCR-2に比較すると、ギアが十分軽く、BD-1より走りが軽い。期待が持てるバイクになった。
 境川まで出て、サイクリングロードを南下していく。どういうわけか、くもの糸がまとわりついてくる。なぜだ、道に渡してあるのか。僕のように夜中に走る間抜けな獲物を狙っているつもりか。
 最初は、飯田牧場まで南下するつもりだった。が、途中で電池が切れ、ライトが暗くなり始めた。ふふふ、こういうこともあろうと、ウェストバッグに予備の充電池を持ってきていたのだ。差し替えて走り出す。明るい。快調だ。と、数分も経たないうちに暗くなり始める。またですか? この間、TCR-2で走ったときも、やっぱり交換したばかりの電池が使い物にならなかったのだ。この充電池、もう寿命かも(確かに数十回は充電してきたので)。
 気力が萎え、湘南台にコースを変更。駅への長い坂を登り、途中のコンビニで電池購入。この間も買ったんだっけ。なんと無駄なことを......。
 とりあえず、湘南台公園をチェックポイントにしようと思い、さらに北上して湘南台公園をぐるりと回り、その南口で小休止しようとしたときだった。ぽつり、と雨粒が顔に当たった。慌てて帰宅コースに戻る。
 帰宅するまで、ぽつりぽつりと降っていたが、それ以上降ることはなかった。フェイントか。
 まあいい。気になったことを片付けよう。実は、走っている間、クランク軸にガタがあるようで、カクカクする感じがして気になっていたのだ。土曜日にもクランクが緩んでいたなあ。このカクカクのせいか、フロント側がインナーになかなか落ちなかったり、シフトアップに時間がかかったりしていた。
 MR-4Fをリペアスタンドに載せ、クランクの締め込みを確認する。おや、まだ締めこめるぞ。どうも締め込みが甘かったようだ。ヘキサゴンレンチで目一杯締めこんでやると、ガタつきは解消された。
 こうなると、チェーンホイールの位置が変わるので、また再調整が必要になる。テンションが高すぎてシフトアップできないようでは困るので、そこそこのテンションで、各段での使用に困らない程度に調整した。するとアウター・トップで微妙にチェーン鳴りするようになったが、これは明日片付けることにした。

元経企庁長官

18時00分 思考 天気:くもり

 パパイヤ太一。
 いや、「パパイヤ鈴木、浴衣大賞受賞」ってのを見て。

2002年07月02日(火曜日)

BD-1W'のポジションをもう少し詰める

22時00分 自転車 天気:くもり

 くもり。きっぱりとくもりの一日だった。なにやら南の海が騒がしくなってきた。沖縄は台風5号の暴風圏に入りそうだという。
 幸い、関東では夜になっても雨が降る気配はない。
 夜21:00過ぎに帰宅。ふと、猛烈にカレーを食いたくなって、長後のCoCo壱番屋に出かけることにした。その前に、BD-1W'のポジションを変えてみよう。
 我がBD-1は、クランクとの位置関係でサドルを前に出したり後ろに引っ込めたり、いろいろ試行錯誤してきた。最近は、ふつうにサドルの中央に固定してあった。これを前に、目一杯出してみた。
 この状態で、長後まで突っ走る。お、おお、いい! 膝の回転がより滑らかになり、坂道でも踏み込みやすくなった。そのかわり、ハンドルが近すぎるように感じる。ひきつけるためには、もう少しハンドルを離したい。やはり、ステムを換えるか。
 ともあれ、長後のCoCo壱番屋の行き帰りでは、少々の坂道も問題なく(いややっぱり上りは苦しいが)乗り越えていけた。こうなると、縮小を続けてきたチェーンホイールが、52Tでは前々物足りなくなる。平坦な道で、もう既に踏み切ってしまうのだ。56Tに戻そうか。しかし、56Tは赤くないしな(爆)。
 ともあれ、BD-1W'の走行感が激変したのは事実。たかが数センチ前に出すだけで、こんなに変わるとは。自転車に学ぶことは、まだあまりに多すぎる。

2002年07月01日(月曜日)

BD-1は坂道に弱いか?

22時00分 自転車 天気:くもり

 朝のうちは雨が残っていたが、その後はずっとくもり空。きっぱりくもりだ。ずっときっぱり晴れた空というものを見てないような気がする。
 さて、夜になって、ちょいとTCR-2で出かけた。境川まで出て、サイクリングロードを下り、飯田牧場への道を直進して、R467に出る。ここまでの坂道がきつい。きついよ。でも、TCR-2だときつくて重いなりに、踏めば踏んだだけ進んでくれる。というか、軽いギアがないので、踏まざるを得ないということだが。それでも、体感的には、なぜかBD-1やMR-4Fよりも楽に登れるのだ。
 帰宅して、ギア比からクランク1回転辺りの走行距離を計算してみた。これが長いほどギアは"重い"といえる。
 式はチェーンホイール最小ギア歯数/スプロケット最大ギア歯数*タイヤ周長。
 W化BD-1の場合。
  42T/34T*134cm=165.5cm
 トリプル化MR-4F。
  30T/25T*175cm=210cm
 TCR-2。
  39T/25T*210cm=327.6cm
 こうしてみると、BD-1W'はTCR-2(ということはほとんどのロードバイク)よりも"軽い"はずだ。ところが、坂道では全然楽に思えない。いや、どのバイクも楽ではないのだ。しかし、TCR-2は"重い"が漕ぐだけ進んでくれるので気分的に楽、BD-1は"軽い"が回しても回しても進まないので気分的にめげる、というのが正しいだろうか。しかし、BD-1では重いギアになるともはや踏みようがないのも事実。この"踏めない"という事態を招いているのは、ポジションの違いではないかと思われる。ロードバイクのポジションは、きついシチュエーションでは有効に感じる。ドロップハンドルは手首に無理が掛からず、多彩なポジションを取れ、さらに体に強くひきつけられるため、特に坂道では有効に使えるのだ。僕のBD-1W'にはアジャスタブル・アヘッドステムがついていて、これを最低に下げて使っているのだが、まだ姿勢が高い気がする。後、3cmくらいは下げたいのだが。また、BBが前に出ており、シートポストが後傾している関係で、ペダルの最下端、最前方位置でのポジションが、どうもうまく出せない。シートをもっと前に出したい気分だ。こうしたBD-1特有の問題から、「楽でない」と感じるのだろうか。最近、頓にポジションが大切だと感じている。
 しかし、かな支部の人々はあれで箱根の山を越えたんだぞ。個人的にはどんな自転車でもやりたくない偉業だ。最後には個人的な資質に帰着するのだろうか。