Strange Days

2002年08月31日(土曜日)

久しぶりに三浦半島の旅

22時00分 自転車 ( 自転車散歩 ) ,

 しばらく使うのを忘れていたけど、前に"旅"ってカテゴリーを使ってたんだな。ということで、今回のカテゴリーは、"自転車"で"旅"だ。
 今朝は妙に早い時刻に目覚め(3:00前)、それから改めて寝なおすも、ほとんど眠れないまま夜明けを迎えるというパターンだった。昨日も睡眠時間が短かったし、今日は三浦半島を久しぶりに回ってくるつもりだったけど、延期するか? いやいや、こんなに天気はいいんだし、三浦半島コースは途中輪行が簡単だし、少々しんどくても行くことにしよう。それでも、風呂に入ったりしていたせいで、出発は10:30になった。
 乗車はMR-4F。今日は雨の心配が無さそうだったので、ヒップバッグ(ブラックホールのニュートロンって奴)を吊るして出た。このバッグ、ヒップバッグのくせにボトルホルダー、ヘルメットホルダー、バンジーコード、おまけにコンプレッションコードまでついている。上はユニクロのクールマックス長袖Tシャツ、下はレーパンの上に短パンを履き(やはりポケットが無いと不便だ)、左手にプロトレック、右手に心拍計を着けておいた。いったい、こいつは何の酔狂で時計を二つもはめているのか、と思える格好だ。
 立場駅前の日陰で、その日陰でバス待ちしていた人々にじろじろ見られながら輪行準備を整え、地下鉄で上大岡に向かった。上大岡から京急で久里浜に出る。最初は横須賀から走ろうかとも思っていたのだが、時間的に遅めで、やや気分が萎え気味だったので、走り慣れた久里浜からの道を行くことにした。
 駅前でMR-4Fを展開し、ヒップバッグのヘルメットホルダーから、LASのヘルメットを取り出し(ヘルメットを保持できるのはいいが、このホルダーはひどく使いづらい)、駅前から海に向けて走り出した。
 ペリー公園の前を通過し、発電所近辺の坂を越える。ずっと海が左手に見えていて、しかも車が少ないので、爽快なサイクリングだ。足の回転は重く感じるのに、意外に良く回りつづけている。南風が強くて、三崎に着くまでに疲労が蓄積しないか心配だ。
 一度、内陸に入り、R16と合流する。再び海が見えるようになり、三浦海岸を突っ走る。この辺も爽快。爽快じゃないのが、引橋への登りだ。前回、三浦半島完全周回(時計回り編)に挑んで、延々と吹き続ける南風にめげてリタイヤした悪夢が蘇る。しかし、まだ走り出して間もなく、なんら問題なく坂道を登りきった。どうやら、適切にサプリメントを摂取しつづければ、かなり足は回りつづけるように思える。今日はこぐ氏お勧めの3Actionスポーツドリンクをボトルに作り、出掛けにVAAMパウダーとアミノヴァイタルプロを飲んでおいた。なんというか、ヤク漬けもいいところだ。
 各種クスリの威力で引橋を越え、三崎へと(概ね)下ってゆく。今日は城ケ島に寄るつもりはない。そういえば、油壷に寄ったこと、まだないな。
 三崎港に下り、MR-4Fをお目当ての店、ちりとてちんの前に停めた。先日、MR-4Fに取り付けたスタンドだが、やはり便利だ。
 入店する。昼時の客がさばけ、一段落したタイミングだったのか、すんなりカウンターに座れた。頼んだのは、とりとてちん丼という丼物のセットと、やっぱこれでしょう、ビール!
 まず、ビールと丼物の付け合わせが出てきた。ビールは樽生の小ジョッキを頼んだのだが、グラスジョッキではなく陶器のジョッキで出てきた。このジョッキが良く冷えていて、とにかくんまい! 喉越しがたまらん。なぜか自転車での運動の後は良く回るという前例の通り、今日も350ml程度のくせに回る回る。
 ほどなく、お目当ての鮪丼が出てきた。このちりとてちん丼(なんちゅう賑やかな響きだ)、小さな丼物3種のセットなのだ。鮪の切り身、鮪のミンチ、そして焼き物がそれぞれ載っている。鮪のミンチ(ねぎ鮪丼とか)だけしょうゆをかけていただくのだが、それ以外は下味がついている。
 鮪の切り身の丼は、歯を乗せた途端に切れてゆくような鮪の食感がたまらない。ねぎ鮪丼は、下敷きののりの味わいも深く、鮪の旨味を程よく感じながらいただける。そしてまぐろの焼き物。切り身を焼いて、ごま醤油で味付けしてある。意外にも、鮪の旨味を一番感じられたのはこいつだった。焼いた切り身は柔らかい。歯を乗せるとトロッととろけるように柔らかいのは、赤身と同じだが、同時に表面がさくっと心地よく砕ける点が違う。これとご飯の相性は絶妙だ。これだけで、きっとどんぶり3杯はいけるだろう。
 あっという間に平らげてしまう。ビールの酔いもあり、快適だ。こう書きながら、また行きたくなった。
 店を後にし、おやつを求めて商店街に向かった。神奈川支部の三崎ツアーのとき、商店街の出店でとろまん、あんとろまんを買い食いしたんだっけ。その店を探してみた。すぐに見つけ、店内に入る。前とは店内のレイアウトが変わっている。あんとろまん二つ、というと、ここではお召し上がりはやってないんですが、といわれた。蒸かしたのはやってなくて、冷凍の持ち帰りようしか無いのだという。蒸かしたものはうらり、という直販センターみたいなところでやっているといわれ、そっちに寄る事にした。
 うらり、は、要するに真新しい直販センターで、三崎に下る道を直進した先にあった。コンクリート打ち抜きのでかい施設だ。1Fに駐輪場があり、屋内には各種物産の店が軒を連ねていた(いや屋内だから軒は無いか)。その中に、お目当ての蒸かしとろまんを売っている店があった。ちなみに、氷もある。二つ買い、2Fに向かう。
 2Fは催事場や休憩室がある。休憩室から屋外のデッキに出る。日差しが強いが、風も強く、日陰だとまったく汗ばむことが無いほど涼しい。気持ちいい。快適だ。とろまんをぱくつきながら(あっ、あんとろまんを買おうと思ったのだが、間違えた)、冷たいお茶をぐいぐいやっていると、心地よさに眠くなってくる。
 自転車が心配だったので、下に降りて、自転車のそばでごろ寝しながら、心拍数が下がるのを待った(まだアルコールがぐるぐる回っていた)。海から強い風が吹いてくる。こんなに日差しがあるのに、日陰にあることもあってすこぶる涼しい。快適だ。
 自転車の側に寝転がり、すぐ側の岸壁を行き交う小船を眺めながら、『フィールド・オブ・ドリームス』の1シーン、「ここは天国かい?」という奴を思い出した。僕なら「いや、三崎だよ」と答える。いやはや、魚くさい漁港だとばかり思っていた三崎に、こんな快適なリゾート空間があるなんて。馬鹿に出来ないものだ。昨日、僕が轢いて死なせてしまった猫も、こんな天国に生まれ変われるのだと信じられたら、もう少し気持ちの整理がつくのに。
 うらり、を出て、引橋に戻る坂道を登り始めた。十分な休養とマグロのパワーが漲っているのか、それほどしんどくなく上ってゆく。心拍は180を超えたが、ここまでならなんとかもつ。引橋を過ぎ、以降は葉山、逗子、鎌倉と、迷うことなく走れるはずだ。
 足が良く回る。上り坂を20km/h超で、平地は30km/h超で突っ走ってゆく。高ケイデンスを維持するように努めると、意外なくらい消耗しない。なにかを掴んだ気がする。
 葉山を過ぎ、R16と別れて、海沿いの細い道を行く。途中、結構な数のサイクリストと行き交った。特に、ロード*2、MTB*1という構成の中高年らしき一団とは、途中何度か抜きあいながら(こっちが小休止を挟むので)、逗子まで良く見かけた。ハイライトは、葉山から逗子に抜ける小高い坂を越えるときだった。前方にその一隊が走り、僕はそれを抜くとちょっとスピードアップしなければならないので躊躇していたのだが、後ろに車が迫っていた。しかもその車、どうも僕がその一隊を抜くのを待ってくれているようだ。ええい、仕方ない。上り坂で増速して、一気に抜き去った。45km/hは出ていたが、意外なくらい楽に抜き去った。やっぱり、MR-4Fはたいした自転車だ。剛性が無いので少し不安になるが、走りそのものはTCR-2に負けないくらい軽い。
 R16への再合流点で、またその一団と行き会い、それがお別れとなった。
 逗子から鎌倉まで、車の交通量が激増している。白線ぎりぎりを突っ走り、トンネル二本をエイコラと越えてゆく。この辺では、さすがにつらくなっていた。が、それでも足は回る回る。アミノヴァイタルプロの威力か。
 やがて材木座を過ぎ、鎌倉に入った。鶴岡八幡に立ち寄って、自転車は近代美術館に止め、石段を登った。今まで、何度もここに来ていたのに、自転車を離れるのが嫌でお参りせず引き返す、などというなめた真似を重ねてきたが故に、やや丁重にお参りする。ついでに猫の冥福も祈る。まあ八幡信仰は仏教と深く結びついてきたので、そんなに間違いでもあるまい。これで、気持ちに区切りが着いた。
 江ノ島に向かい、そこから藤沢市街を経由して、境川サイクリングロードに入った。途中、飯田でアイス休憩。暮れ行く空を眺めながら、今日も走ったなあと思い返す。
 帰宅してサイクルコンピュータを見ると、距離は70km超になっていた。センチュリーにはこの倍以上走らなければならないのか。いつか、挑んでみようと思う。

2002年08月30日(金曜日)

猫踏んじゃった

22時00分 自転車

 4:00、またもや良く眠れないまま(早起きしようとすると熟睡できないのはなぜだろう)起き出す。4:30にTCR-2にまたがって部屋を出た。今朝は雲が無いせいか、この時間なのにもう薄明かりが始まっている。そんな中、ロードバイクの軽い走行感を楽しみながら、境川へと漕ぎ出した。これから災難に見舞われるとも知らずに......。
 区役所沿いの低地に出る直前の十字路だった。少し先の車道に注意しつつ進んでいたとき、12Wのライトに照らされた白いものが、突然民家の生垣から飛び出してきたのだ。どうにもならない。ブレーキを引くも、全く間に合わなかった。ガツン、という衝撃。意外に衝撃は弱く、姿勢を崩すことも無くその白いものを乗り越えていたが、その一瞬、その白いものが猫であることを見て取っていた。猫は前輪が乗り越えた瞬間にサッと走り去り、僕が減速しつつ振り向いたときには、もう姿を消していた。衝撃はたいしたこと無かったし、すぐに走っていったので、しっぽでも踏んだのかと思っていたのだが......。
 サイクリングロードに入り、やや重いギアで突っ走ってゆく。をを、今朝は意外に足が回るなあ、などと思いつつ、俣野橋に到達。今朝は空に雲一つ無いせいか、この時間でも既に明るくなっている。ライトを消し、R467への上りを、今朝はアウターのまま、さりとてダンシングもしないで、黙々と踏んでゆく。重いけどがんばって20km/h以上を保って登る、登る、登る......。うきゃきゃー! だめだ、足が速攻で売り切れました(;_;)(ダメすぎる)。最後の50mはいつも以上にヘロヘロで、結局インナーに落としてのろのろと足掻くようにして登る破目になった。持久力無いなあ。裏アームストロングと呼んでくれ(爆)。
 R467を突っ走り、湘南台公園で一休み。こんな時間なのに、いつも東屋で談笑している人たちがいる。早起きだ。
 サイクリングロードを取って返し、上飯田団地、環状4号を越え、急坂を下って区役所近辺に出たときだった。視界に、車道に横たわる猫の死骸を片付けている、どうやら散歩中だったらしい男性が入った。車に踏まれないよう、道端に引きずっていた。その瞬間はさっきの遭遇とその猫の死骸が結びつかず、『ああ、かわいそうに』などとのんきに考えつつ、でも親切な人に見つけてもらえて、猫よ良かったじゃないか、などとも考えていた。
 100mほど走り、さっきの遭遇地点に到達した。そこを通過しながら、ふとさっき遭遇した猫も、今見た死骸も、同じ黒斑だったように思えてきた。もしかして、同じ猫? その瞬間、いわく形容しがたい不快感がこみ上げてきた。
 そりゃあ、僕は猫には思い入れが無いし、野良猫も危険な街暮らしでは死ぬことも多いだろうと、やや冷淡に達観することは出来る。ようするに、奴らの大半は、ある日、突然に、不条理な死を遂げる運命にあるのだと。だから、街中で猫などの死骸を見ても、かわいそうに、以上の感想など持ちようが無いのだ。しかし、自分の手で殺したとなると別だ。
 恐らくは、あの猫は轢かれたときに致命傷を負っていたのだが、なんとか力を振り絞り、あの場所まで行き、そこで死んだのだろう。あるいは、轢かれた時の怪我で体の自由が利かず、車にでも轢かれてしまったのか......。
 アパートに帰り着き、風呂に入る用意をしながら、さっきの事件を思い出しては、嫌な想いを何度も反芻していた。
 猫よすまん。だが同時に、轢いたのが猫でよかったとも思っている。もしも人間の子供だったなら......。そして自分が無事なのにも、ホッとしてもいる。
 とりあえず、TCR-2は"猫踏み一号"と命名し("猫スレイヤー"ではブラック過ぎる)、この事件を記憶にとどめるようにしよう。そして、自転車で走るときは、常に20km/hで走る70kgの凶器に乗っていることを意識するように努めよう(今までも注意していたのだが)。
 ごめん、猫。冥福を祈る。

明け方の観望

22時00分 星見

 会社で仕事し、朝の嫌な気分のまま帰宅し、酒をかっ食らっていたら、いつの間にか寝床で寝てしまっていた。意識を失うほど飲んだわけではないが(というか缶1本)、眠くて横になってるうちにそのまま眠ってしまったらしい。
 起き出して、今日は口直しのツーリングにでも行こうかと思いつつ、外に出てみたら、東にオリオン座が掛かっているのが見えた。そうか、もう3:00前にはオリオン座があんなに高く昇っているんだ。早速、CANON18*50ISを抱えて、廊下に出た。
 M42はと......よく見える。夏のどの星座でもお目にかかれないくらいの散光が、たくさんの微光星を取り巻いている。これを見ると、冬が近づいているなと感じる。
 ここで18*50ISは電池切れ。代わりにMIZARの20*80を引っ張り出した。さすがに散光は18*50よりも口径分明るく映える。大三つ星に向けると、そこにうじゃうじゃと群れる明るい輝星、そして無数の微光星が敷き詰められている。きれいだ、と思った。ひたすらきれいだ。
 昨日、僕の自転車に轢かれて逝った猫のことを思い出した。つくづく、可哀想なことをしたと思う。だが猫が死のうが、僕が死のうが、その辺の親父が死のうが、この星の輝きはいささかも曇ることはないだろう。残酷なくらい、超然と輝いているだろう。指輪物語でサムワイズ殿が確信したように、どんなに願っても望んでも、決して人の手が届かない美というものもあるのだ。

2002年08月29日(木曜日)

フレックスです

23時00分 暮らし

 今朝はフレックス10:15で出勤。朝方8:00に起き、風呂に入っても、余裕で間に合う。
 帰宅は21:00前になった。明日は早朝ランの日(当面月水金励行)なので、22:00過ぎには寝た。つまらない日だ。でも、日常なんて、こんなもんだ。

2002年08月28日(水曜日)

自転車と味噌煮込みうどん

22時00分 自転車

 いや、タイトルは今日の話題を並べただけなんだけど(走りながら味噌煮込みを食ったとかボトルに味噌煮込みうどんを詰めて走ったとかではない)。
 今朝もなぜか良く眠れず、結局4:00前に起きてしまった。蒸し暑いのだ、エアコン効かせているのに。いや、エアコンが効いてないのかな。とにかく眠りが浅いので、あまり眠った気にならない。まあ、今日は定時退勤日だからいいか(いいのかよ)。
 今朝も早めに早朝ランに出かけることにした。4:30にアパートを出て、ライトを着けたまま俣野橋まで突っ走った。雲が多く、日の出後も空はかなり暗い。しかし人出は多いので、ややイライラしながらのランになった。
 俣野橋近辺でようやく払暁したため、ライトを消して坂を登っていった。やはり、何度登っても上り坂はつらい。上り坂や峠越えが楽しいという他人の心理を、いまだに理解できないというのはどういうことだろう。さっぱりわからないのだ。
 湘南台公園で休止。汗を拭きながら、足の腱を伸ばす。この間が一番暑く、また気持ちいい。
 帰宅して風呂に入り、そして会社に出勤した。
 定時で退け、帰宅して、夕食を作る。今日は、この暑い最中(もなかではない)に、なぜか味噌煮込みうどんなのである。本当はもっと涼しげなものを食べようと思っていたのだが、帰りに立ち寄ったスーパーでなぜか猛烈に食いたくなり、思わず材料を買い込んでしまったのだ。先に材料を出汁とみりんで煮込んでおくと、後で入れる八丁味噌の渋味が和らぎ、いい感じに仕上がる。ビールでやると、んまい! ああ、こんな食生活してるから、体力が着かないんだよな。

夏空ともそろそろお別れ

22時00分 星見

 出勤のとき、見上げた空は青かった。夏の間の白っぽいそれではない。秋の鮮やかな青だ。それが夏らしい積雲の間にのぞいているのだから、なんだかよけいに夏の終わりを感じてしまうのだ。
 帰宅して、ベランダに出ると、まだ日が暮れきらない西の空に、異様に輝く星が見えた。宵の明星だろう。CANON 18*50ISを向ける。すると、鋭い輝きを放つ、半月状の金星が見えた。望遠鏡なら、もっとくっきり見えただろうが、位置が低く、望遠鏡を向けづらかったので、諦めた。
 目を宵が深まってゆく南の空に向けた。そろそろ、明るい星は輝き始めている。ちょっと白んで見えたのだが、双眼鏡でうろついてみると、案外に透明な空のようだった。シーイングは8/10くらいか。
 18*50ISでさそり座を探す。時刻からして、南から少し西に傾いたあたりにいるはずだ。しばし探すうちに、薄明かりが消え、また闇に目が慣れたので、ようやくたくさんの星が見え始めた。
 やっと探し当てたさそり座のしっぽをたどってゆくと、ほら見えた、M7。意外なくらいたくさんの微光星が見える。やはり今夜の透明度は高い。しばらく見つめつづけると、中心部の横にさらに細かい微光星の群れが見えてくる気がした。そらし目を使っても、それらしいものが見える。こんなんあったっけ? 全体的にも、かなり良く見えた。
 M7から少し上を見ると、M6のこじんまりした姿が見えた。こちらも微光星が集まっている様子が、きっちり見えた。
 さらに上(北)に向かうと、M8があった。こちらも微光星が集まっているのが分かる。今夜は散光も感じられた。
 ここで100EDを引っ張り出して、M7に向けた。20*50ISに比較して、少し微光星が増えるくらいで、あまり変わり映えの無い見え方だ。バックグラウンドが明るすぎるのだろうか。
 M4、M22も探してみたが、残念ながら見つからなかった。この夏の星座たちとも、もうすぐお別れだ。

2002年08月27日(火曜日)

夏の終わりとキャノンデールと

22時00分 自転車

 暑い。夏が戻ってきたようだ(いやまだ終わってないんだが)。しかし、8月最初の頃の酷暑に比べれば、幾分か迫力に欠ける暑さである。もうすぐ、夏は終わりそう。
 新車発表会の相次ぐ秋が目前のせいか、あちこちから新車の情報が飛び込んでくる。BD-MLを駆け巡った、BD-1にシマノの新コンポを採用したバージョンが出るという情報もそうだ。しかし、折り畳みは、後はSat'R'Dayくらいで十分だと思っている僕は、もっぱらロードバイクに目が行く。
 今、愛用しているTCR-2は、かなり剛性のあるアルミバイクで、50km以上走るといささか膝に来る。バイクに負けちゃうのだ。それと、手首にも厳しく当たる感じがある。ドロップハンドルで局所的な負荷が減っている分、手首全体に疲労が蓄積する感じだ。この膝、手首への負担を減らしつつ、ロードバイクの走行感を楽しみたい。
 そんな都合の良い代物が、キャノンデールのラインナップにある。ロードレーサーにフロントサスが着いたようなデザインだ。このような構成の車両はビアンキ、フォンドリエストのラインナップにもあるのだが、キャノンデールのものは独自のシングルサスをヘッドパーツ直下に挿入している点だ。見た目がすっきりするし、滅多やたらと動くわけでも無さそうで、美味しそうなのだ。
 問題は値段か。20万を越えるのは、ちょっと手が出そうにない。やっぱ、TCR-2でなんとかあがくしかないのか。

2002年08月26日(月曜日)

暗いうちに朝トレ

22時00分 自転車

 昨日寝すぎたのか、なぜか3時間くらいしか眠れず起き出してしまった。時間は4:00前。今から寝なおしても、4:30には起きるつもりだったので、あまり寝られない。
 ちょっと早めに朝トレに出ることにした。外は真っ暗。ライトを着けての走行だ。
 出掛けにアミノヴァイタル(非プロ)と、ボトルに作ってあった3Actionスポーツドリンクを1/3ほどごくごく飲んでおいた。
 裏道を抜けて、境川まで走る。今日はアウターから落とさないで走る。区役所近辺から相鉄の高架へと抜ける急坂は、ダンシングでよじのぼる。
 境川サイクリングロードに入ると、こんな時間なのに散歩する人がたくさんいる。空はやっと白み始めているというところ。ライトを着けて走ると、さすがに歩行者が気づいてくれるのが早い。
 俣野橋まで走っても、まだ夜は明けきってない。俣野橋からR467まで、ずっとダンシングで登ってみた。結論、ダンシングは1分以上続けられません(ダメすぎ)。心拍数が上がりすぎるのと、膝が疲れてくるのである。結局、途中からはシッティングで登ることに。
 湘南台公園まで突っ走り、そこで一休み。いつもより早い時間ゆえか、客層がいつもと違う。空手の稽古着を着た男性が、黙々とシャドウトレーニングに励んでいた。
 さすがにこの辺で夜が明けきったので、湘南台からの帰りはライト無しで帰った。

2002年08月25日(日曜日)

生麦でビールウハウハオフ

23時00分 暮らし

 大急ぎで家に帰り、徒歩で地下鉄に向かった。今日は生麦にあるキリンビールの工場で、工場見学がてら色んなビールを味見しようという、いささか意地汚いオフの日だ。
 予定の電車より一本遅れ、横浜着は予定の5分後。急いで京急のホームに上がり、来た電車に何気なく飛び乗った。『次は京急川崎』。遥か向こうやないかい!(滅) 目的地の生麦は、横浜と京急川崎のちょうど中間という素晴らしさだ。
 結局、生麦には10分遅れで到着。やれやれ、遅刻しちまったと思いながら改札に急ぐ。そこにははるだぁ氏が待っていた。が、案の定、久遠の旦那はいないぜ!
 はるだぁ氏と共に、久遠氏を待つも、なかなかやってこない。こりゃあ、あざみ野周辺で局所的に活動している裏組織にやられたか、などと話していると、40分遅れでようやく現れた。
 工場見学は17:00までだという。それが受け付け終了時刻なのか、見学の終了時刻なのか気になったが、ともかく工場に急いだ。
 工場はきれいに整備された公園のような空間だった。そりゃ、これだけ外部に開放されているわけだし。受付は入った門とは全然別の方にあった。そこまで歩き、ガイド無しでの見学を申し込んだ。
 おやぢ3人での工場見学は、休日ということもあってややつまらないものだった。実際、平日に稼動しているラインを眺めながら歩くなら、もっと興味深いものになったろう。
 見学コースの終わりに、試飲コーナーがある。本当は途中に熟成途中のビールを試飲するスペースがあるのだが、ここはガイド付きコースでなければ利用できないらしい。
 試飲コーナーでは、受付でもらったチケットを差し出すと、ビール3種、またはジュースをグラスで飲めるのだ。しかも、おつまみ付きで、気の利いたことにお代わり券までついてると来たもんだ。僕の中でのキリンの株は急上昇だ。
 ビールをやりながら、いつもの通りバカ話をぐだぐだと続ける。その一つが、本を食べられるようにしてはどうかという愚案。こうすれば本が新古書店に売られることもなくなるだろうということ。しかし、いったいこの世の誰が、手垢で汚れた本なんか食いたがるだろうか。その上で食用本を確立するためには、やはり本の味の向上が望まれる。誰もが食として魅力的な本。それが実現できるかどうかが、これからの文学界の浮沈を定めるであろう(そんなばかな)。
 試飲の後は、工場内にあるビアガーデンでさらに飲みつづける。僕は黒ビールを頼んだ。ちょうど蒸し暑かったので、冷えたビールの喉越しがたまらん。しかし、さっきの試飲2杯(700mlくらいか)+黒ビール350mlで、酒に弱い僕はとうに限界に達していた。ややへべれけ気味に、眠気と戦いながらなおもバカ話に花を咲かせる。やはり工場が稼動している平日に来たいねえなどという話が出たら、平日の昼間から試飲コーナーでただ酒に酔っ払っていたらダメ人間じゃないかという意見も出た。それも楽しそうだ。
 20:30くらいまで飲みつづけて、お開きに。いっそ、定例にするかという話も出るくらい、好評なオフだった。
 フラフラしながら帰宅し、速攻で布団に入った。

湘南家に行ってみたのさ

20時00分 暮らし

 今日は久遠氏らと生麦でビールウハウハオフの日だから、自転車で遠くに出かけるわけには行かない。そこで昼飯を食いに、湘南台までひとっ走りすることにした。
 今日もまたTCR-2での出動である。時間が無いときには、どうしてもこれになってしまう。昼飯に立ち寄ったのは、湘南台にあるラーメン屋、湘南家だった。
 この店、比較的新しい、小奇麗な店舗で、かなり繁盛している模様だ。裏には駐車場もあり、もちろん自転車も停められる。
 料金は食券制で、ラーメン600円、チャーシュー麺800円というところ。カウンターに空きがあるので勝手に座ったら、客あしらいの女性に「ちょっと待っていただけますか」と断られた。基本的に、客が来たら店員が清掃、冷水、手拭を整えて、初めて座れるシステムらしい。うーん、効率悪そう。
 ともあれ、席につき、10分ほど待ってチャーシュー麺にありついた。スープは家系のものだが、臭みが少なくて好みの味だった。しかし、ねぎ家よりちょっと薄いかなと感じたが。麺はふつうに固め。大きな海苔とチャーシューが載っている。いずれもだし家っぽい。

2002年08月24日(土曜日)

国宝探訪

23時55分 テレビ

 寝る前にETVの国宝探訪を見た。今夜は高野山は金剛峰寺に集まった、仏教芸術の数々を取り上げる。
 金剛峰寺は、平安時代に空海によって開かれた、密教の根本道場だ。空海は、既に雑密と呼ばれる初期密教と修験道の修業地であった高野山を整備し、自らが日本に持ち込んだ純密の中心地としたのだ。人々の空海への信仰は厚く、その死後も実は生きているという空海信仰まで広まっている。
 そんな金剛峰寺も、空海の死後は荒廃が進んだ時期があった。それを立て直したのは、真言僧ではなく、他宗派の僧侶たちであったという。その証拠の絵画として、釈迦入滅の情景を描いた大幅の絵画が残されている。空海の密教では、信仰の中心は大日如来であり、それが様々な形に具現することで、この世の森羅万象が形作られると説く(超ひものひもみたいなものか)。それなのに、あえて仏陀入滅をテーマとする絵を書かせたのは、他宗派の僧たちも共に信仰できる対象であったからだと思われる。
 空海以降、密教はもっぱら加持祈祷を主として、朝野に数多くの信者を獲得する。その結果、貴族、皇族から数多くの宝物が、金剛峰寺へと収められることになった。今日、それらの宝物の多くが残存しているのは、歴代の真言僧らの政治手腕が優れていたからだといわれている。この事は、空海以降、もはや理論的に発展することが出来ず、加持祈祷による現世利益ばかりに走った真言宗の姿に重ねて、なにか皮肉なものを感じざるを得ない。

エアコン修理

22時00分 自転車

 前日夜遅く、かなりの雨が降っていたので、今日はどこにも出かけられないかと覚悟していた。ところが、雨は真夜中には上がったようで、明け方には既に道路が乾き始めていた。じゃあ、どこかに出かけようか。TCR-2で横浜に出撃するか、などと考えながら昼を迎えた。そろそろ飯を食って、それから出かけよう。そう思った矢先、携帯電話にどこからか掛かって来た。実は水曜日と今朝(風呂に入っていたとき)にも非通知の番号から掛かって来た形跡があったので、いったいなんだろうといぶかしんでいたのだ。出てみると、この間エアコン修理にきた日立家電の人だった。部品が揃ったので、今日修理したいとのことだった。ちょうど今日は気温が高くなりそうだなと思っていたので、一も二も無く承諾した。
 昼過ぎ、昼食後にコーヒーを飲んでいたら、日立家電の人がやってきた。さっそく、ベランダにある室外機をばらし、モーターと基盤を取り替えていた。かなり高くつきそうだなあと思いつつ、また暑くなりそうなこの時期に、修理が間に合ったことを喜んでもいた。
 修理が終わり、久しぶりにエアコンのスイッチを入れる。うん、快調。少々暑さになれてきたとはいえ、エアコンの冷気はまた格別のものだ。あー、文明の利器。
 いちおう、しばらく様子を見ても動いているので、修理完了となる。で、修理費だが。家電の人いわく、部品代をもらうとかなり高くつくので、それは社内の調整で流用したという形にして、調整費という名目で12000円だけにしましょうと。替えた部品からみて、3万は取られると見ていた僕には、これはうれしい誤算だ。
 再び稼動したエアコンのおかげで快適になった部屋を出て、かなり暑くなっている外に遊びに出かけた。時刻は14:00を回っているので、結局はサガミ経由で境川、飯田牧場で折り返しという、いつものコースになった。
 TCR-2(最近こればっかりに乗ってるなあ)で東回りコースを取って、サガミに。サガミ3でアヘッドにコラムスペーサー代わりに付けるベルを買おうかと思ったら、なんと売り切れ。前に買っておけばよかった。その代わりというわけではないが、サガミ本店で3Actionのスポーツドリンクを購入した。こぐ氏お勧めの品だ。
 サガミを出て、境川沿いに飯田牧場まで突っ走る。ここ1週間と逆に、かなりの南風を感じた。夏が戻ってきた。たぶん、最後の足掻きだろうな。
 飯田に着く。こんな陽気な日なのに、なぜか客が数えるほどしかいない。駐車場もがらがらだ。珍しいこともあるものだ。
 店内で牛乳小ビンを飲み、ジェラードをぱくついていたら、急に客が増え始めた。店内があっという間に一杯になったので、いつものように外に出た。チョコチップのジェラードは、かなりでかいチョコの破片が入っていて、ある意味食べ応えがある。
 ボーっと向かいの寺を眺めながら食っていたら、あれよあれよという間に車が入ってきて、あっという間に駐車場が一杯になった。なんか、極端だな。
 帰り、湘南台のダイエーでダイヤル式のワイヤーロック(こぐ氏が同じようなのを使っていたのを思い出して)を買った。さらに、ダイクマで、荷造り用の紐とロックのセットを購入。自転車のキャリア用の紐は固定長なので、場合によっては使いにくい。そういうときにはこんな可変長のものが使いやすいのではないかと思い、買ってみた。
 ダイクマを出るときにはもう19:00前で、そろそろ暗くなり始めている。サドルバッグからHL-1500を出してスイッチを入れてみると、あれ、点かない。長い間使わなかったので、自然放電したのか。しかし、必要なときにこうでは困るなあ。
 幸い、まだ暗くなりきってなかったので、HL-EL100の明かりを頼りに、家路を急いだ。

2002年08月23日(金曜日)

今朝も朝トレ

22時00分 自転車

 今朝も今朝とていつものコースを20km。今朝はとうとうライトを点けて走った。12Wパワーでおっちゃんおばちゃんも道を開けるぜ(危)。
 ライトはサイクリングロードに入ってしばらく、完全に夜が明けた頃に消した。HL-500クラスだと30km/hで走行中に、前方を歩行中の人を確実に識別するのは難しいかもしれないと思う。動態視力が低いせいもあるが、左右に生い茂る雑草にさえぎられたり、視認性が低い暗色の服を着ている人もいるからだ。やはり、12Wの威力は心強い。問題は、電池容量の少なさだが。
 帰宅して、一風呂浴びて出勤。また一日が始まる。

2002年08月22日(木曜日)

エアコンの無い生活

22時00分 暮らし

 エアコンの無い生活が続いているせいか、外気の変化を敏感に感じるようになった。風が止まれば淀みを感じ、風が吹けば清涼さを感じる。なんだか快適だ。ちょうど太平洋高気圧が弱まってよかった。しばらく、我がエアコンの修理がなるまでは、この気圧配置で一つ頼みたいものだ(誰にだ)。

2002年08月21日(水曜日)

エアコン修理に来る

22時00分 暮らし

 明け方、どうにも目が冴えて眠れなくなる。また体が冷えて、体温が下がった感じだ。出勤前に、体温を上げておこうと思い、いつものトレーニングコースに走った。
 こんな体調なのに足は不思議に回り、暗い中を散歩している人々を器用に掻き分け、快調に突っ走る。そろそろライトが必要かも。今日は、とりあえずEL-100を点灯して走った。
 俣野橋辺りで完全に夜が明けた。長い坂道を這い登り、湘南台に向けて突っ走る。この道、飛ばせるのでいい感じ。
 湘南台公園に着いて、自転車を降りた途端、悪寒が足元から這い登ってきた。こんな汗をかいているのに、なんで(X_X)? もう、どうにもダメダメな感じ。足がいきなり回らなくなり、自宅までひぃひぃいいながら帰った。
 帰ってぐったりしていると、携帯に日立家電から電話があった。今日の16:00に来るという。まあ、こんな状況だし、今日も休むか(いいかげん首になりそう)。
 扇風機に当たりながら、なにやら悪夢にうなされていると、玄関の心臓に悪いチャイムが鳴った。飛び起きると、もう16:00過ぎ。扉を開けて、修理屋さんを招き入れた。
 修理屋さんに症状を話すと、やはり室外機が怪しいと見たのか、おもむろに室外機の外装パネルを外し始めた。のっぺらぼうで何のスイッチも見当たらない室外機だが、実は各種スイッチが隠されていて、LEDの点滅で故障個所を知らせるようだ。結果、ファンユニットと制御部を取り替えなければならないと判明。そんな大物は持ってきてないので、今から手配して、後日再修理ということになった。またしばらく、エアコン無しの生活が続くのか。
 修理屋さんが引き上げて、なんだか疲れ果てたので再爆睡する。夜中に起き出すと、やっと夏風邪の症状が治まり、自律神経も再起動されたような感じがした。やっとエアコン無しの生活に体が切り替わったのだろう。

2002年08月20日(火曜日)

平日に自転車散歩

22時00分 自転車

 今朝もどうにもしんどくて、ぐてっとしていた。体を起こすと偏頭痛が厳しくなるので、ふとんに横になるか、PCの前に座り込んでいるかぐらいしか出来ない。食欲もなし。
 こんな時に、エアコンが壊れてしまった。どうも効きが悪いなあと思っていたら、室外機がすぐに停止してしまうようなのだ。室温が30度を大きく越しているのに。こんな時に壊れなくていいのにな。いや、酷使しているときに壊れるのは当たり前か。買った店に修理依頼すると、明日修理に来るという手筈になった。幸い、空気が乾燥して、気温も(ここ数週間に比べれば)高くは無いので、エアコン無しでも凌ぎやすい。なんていってたら、いきなり猛暑がぶり返したりしてな。
 夕方までうだうだしていたが、一向に気力が蘇らない。これは体温が低すぎるからだろう。まるで変温動物みたいな話だが、自律神経失調中はこんな感じなのである。ちょっと体温を上げたいので、しんどいのに自転車で出かけることにした。
 TCR-2で、この間のガネーシュオフで迷いまくった緑園通り方面に向かった。この間、迷った理由は明確だ。後で思い出したのだが、緑園通りから二俣川に直接走ったことは無く、かならずこども自然公園に立ち寄っていたのだ。だから、うろ覚えな道順をたどると、二俣川からこども自然公園に抜けてしまうのも当たり前なのだ。
 緑園通りまでは、国際親善病院の通りをまっすぐ下り、そこから嫌になるような丘をしばらく越える。鍛えられそう。
 やがて緑園都市駅の近くに出たので、緑園通りまで登り、二俣川方面にTCR-2を向けた。既に体温は上がりきり、頭の調子はいい。しかし足の調子はよくない。この緑園通り、いくつもの丘を越えてゆく格好で、かなりのアップダウンがある。さっきのアップとあわせ、こりゃあかなりのトレーニングになるぞ。
 緑園通りを素直に走ると、やがて新幹線沿いの道に行き当たる。そもそも、二俣川には直接到達できないわけだ。この道を通ったことは無かったので、今日は境川まで抜けてみることにした。今日はサガミが休みなので、厚木街道には用は無い(爆)。
 平日の昼という時間帯ゆえか、案外に車が少なくて走りやすい。しかし、信号の多さには参った。西に向かうほど少なくなるのだが。そういえば、緑園通りの信号サイクルは、自転車にとっては絶妙だった。一つのブロックが青になって発進すると、次のブロックでかならず赤になって捕まってしまうのだ。自転車では走りにくい通りだ。
 走りながら、この辺の信号も明け方には黄色点滅になっているのではないかと思った。もしそうなら、休日の朝にでも走れば、かなり快適に走り抜けられそうなのだが。
 道は新幹線と並走しているので、なんとなく位置をつかみやすい。ああ、ここはかまくらみちとの交差点だ、などと考えながら走る。
 やがて境川に行き当たった。少し下流の橋を渡り、ちょっと足を伸ばして飯田牧場に立ち寄った。今日は牛乳小ビンを飲み干し、コーヒーのジェラードをやる。
 さらにダイクマに立ち寄って帰ると、足がふらふらするくらい疲れていた。ダメだ。なんかますます症状を悪化させてないか。
 食欲も全くなくなったので、そのままぐでーっと寝込んでしまった。

2002年08月19日(月曜日)

寒い朝

22時00分 暮らし

 夜中まで頭痛で眠れず、いらいらしていたわりには、なぜかさわやかな目覚めだった。外がようやく白み始めた頃、どうしてもTCR-2のハンドル換装結果を試してみたくなり、いつものルートを走った。
 結果からいえば、確かに脇がより締まり、ひきつけやすくなったように感じた。STIレバーの位置を前よりさらに上げたせいもあり、ダンシングへの移行がよりスムーズになった。が、さらに2,3cmほど手前にしたいとも思う。自然に手を伸ばしたとき、まだ少し遠いように感じるのだ。しかし、前より良くなったように思う。スプリントポジションも、そんなに窮屈な感じではない。
 補助レバーの存在は絶大で、リラックスポジションでもなんらプレッシャーを感じることなく、散歩中の人々の脇を抜けてゆける。前はいちいちSTIレバーに手を戻していたものだが。
 しかし、今朝は涼しい。というより、かなり寒い。短いレーパンなので、膝が剥き出しだ。その膝が冷えすぎて、少し痛むくらいだった。こんなに冷えたのは久しぶりのことだ。なんというか、秋が夜のうちから忍び寄り、明け方まで影を残していったような按配だ。
 ここで体を冷やしたのがまずかったのか、帰宅してすぐに咳と熱が出始めた。これはもう、自律神経失調症の典型的な症状だ。僕の場合、しばしば喉にも来る。体を動かすことが出来なくなり、部屋の中でぐたーっとしているだけになった。
 昼になり、体温が上がると、また調子よくなってきた。どうにかならんか。苛々することおびただしい。
 寝ていても仕方ないので、起きだして自転車整備の続きにかかった。
 MR-4Fは麦草以来整備してなかったので、ざっと清掃し、新たにスタンドを取り付けた。やはり、立ち止まることの多いツーリングでは、あった方が便利だ。あまり丈夫なスタンドではないが、実用には十分だろう。また折り畳みにも支障ない。
 次はBD-1。これもざっと清掃する。
 最後にMTBをと思っていたが、またしんどくなってきたので、布団に逆戻りである。なにか、夏風邪の症状も出てきた。

2002年08月18日(日曜日)

いろいろ整備

22時00分 自転車

 8月前半までの行事目白押しで、整備に手が回らなかった自転車に手をつけた。
 まずBikeE。これはざっと清掃するだけ。マッドガードが効いて、雨中の走行にもかかわらず、それほど汚れていない。
 次はMobillyで、これはブレーキレバー(アルホンガからシマノに)、ブレーキアウター(グレーから青に)を変えた。
 次にTCR-2。こいつのハンドルを交換したい。
 まずバーテープをはぎ、STIレバーを外そうとした。が、こいつの外し方が分からない。ハンドルバーには金属製のクランプで止めてあるのだが、そのクランプをどうやって締めているのかが分からない。あーでもないこーでもないとやっていたが、最終的にはシマノのウェブページで説明書(PDF化されている)を閲覧して、レバー外側のボルトで止めていることを突き止めた。シマノ、えらい!
 ようやくSTIレバーを外し、新しいハンドルバーを取り付ける。新しいのはITMの外-外420mmで、前の芯-芯420mmに比較して、実質10mmのサイズダウンになる。ステムのクランプ径とちょっと合わないが、強引に止めてしまう。さらにSTIレバーを取り付ける。この後に新しい装備を。テスタッチから出ている補助ブレーキレバーだ。これを着けると、リラックスポジションのままブレーキをかけることが出来、安全性が非常に高まるはずだ。取り付けは、ブレーキのインナーを抜き、アウターをカットして補助レバーを挿入、再びインナーを通す簡単なもの。バーテープだけははがす必要があるが、ブレーキレバー等を抜く必要は無い。クランプ部が大きく開くからだ。最後にバーテープを巻くのだが、これが難しい。あちこちにブカブカした部分やはみ出した部分が残ってしまった。特に左側はひどい。最初に巻いた右側はまあまあきっちりしているのに、なぜ?
 これで補助ブレーキを試してみると、意外にしっかりしたタッチで反応する。外は雨なのでテストは出来ないが。
 というところで日没。時間切れ。それにまた熱が出てきた。冷房病か、エアコンが効いた部屋に戻るとぶり返すのだ。困ったもんだ。

2002年08月17日(土曜日)

今日も飯田でアイスコース

22時00分 自転車

 昨夜の雨は上がったようだが、相変わらず雲行きは怪しい。
 夕方、飯田でアイスの短い散歩コースに走った。乗車はお手軽なMobillyたん。途中、ドロップ化したBD-1を目撃する。そんな物好き、世の中で5人くらいかと思っていたのだが、その一人をまたしても目にしてしまった。
 飯田ではコーヒー味を楽しむ。牛乳が欲しかったが、これは小ビンが売り切れ。おばさんいわく、『寒い日は良く売れる』のだとか。
 相変わらず体調が不良だったので、帰宅後伏せってしまった。

2002年08月16日(金曜日)

ガネーシュオフ

23時00分 自転車

 朝から体調が思わしくない。というか、悪い。どういう状況かというと、30分くらいで、高熱と悪寒がパッパとやって来ては消えてゆくのだ。明らかに、昔馴染みの自律神経失調症だ。
 思い当たる節はある。今年も猛暑が続くので、エアコンをかけっぱなしにして寝ていたのだが、最近の朝方はむしろ涼しくなっているので、体を冷やしすぎていたのだと思う。参ったな、今日はガネーシュでオフなのに。
 仕事が暇なのをいいことに、勝手に休みを決め込み、夕方からのガネーシュオフに備えることにした。その甲斐あって、昼前にはかなり復調した。
 昼過ぎまで寝て、神奈川支部のBBSを見ると、にち氏らがサガミに立ち寄る様子。そこで合流しようと思い、BikeEでサガミまで走った。
 サガミ3にBikeEを停め、サイクルセンターに向かうと、hai氏とばったり出会った。2Fににち氏、@nak(あ)氏がいた。氏らはすでにサイクルセンターを見て回ったあとらしい。少し待ってもらい、3Fでバーテープを買った。
 時刻は17:00前。余裕を見ると、オフ集合場所の緑園都市に向かうべき時刻だった。
 いちおう、緑園都市方面からサガミには何度も抜けたことのある僕が先導し、BikeEで突っ走った。
 逆方向には何度も走ったんだから、まあなんとか分かるだろうと思っていた。ところが、これが大間違い。まず二俣川で相鉄の線路を渡る地点をオーバーランしてしまい(これはリカバリできたが)、次にそこから緑園都市方向に向かうつもりが間違え(しかもかなりの登りの後で)、とどめにそこからリカバリするつもりだったのにこども自然公園に連れて行ってしまった。最後のはかなり自分に効いて、かなりの坂道をプレッシャーを感じて登ったせいもあり、口も利けないくらい疲労困憊した。
 役に立たない僕に代わり、残りメンバーがリカバリルートを選定。後はその指示で走るという情けない状況に陥った。全然、道案内になってない。
 しかも、この辺から相当の雨が降り始め、視界が悪化する。一応、雨具は持っていたのだが、目的地が近いということもあり、それを着ないで突っ走った。しかもこの辺、笑えるくらいに坂道が続く。なんというか、坂道に呪われているのか。
 やがて、交通標識に『緑園都市駅』の文字を見出し、なんとか集合場所にたどり着いた。全員、濡れ鼠の悲惨な状況だ。
 体が乾くのを待ちつつ、参加者の集合を待つ。ほどなくやってきたたか氏は車で、@nak(た)女史、まき氏、今回のオフで骨折ってくれたかぜはるか氏は電車で来た。そりゃそうだろうな......。
 最後の参加者、こぐ氏が遅れそうということで、揃ったメンバーで入店することに。
 ガネーシュは南インド料理の専門店で、かぜ氏は常連だ。雨具の上だけ着て雨を凌ぎながら、自転車は店の前に駐車した。屋根があるのがうれしい。
 遅れるこぐ氏以外のメンバーが席に着いたところで、早速本日のメニューに入った。まずは前菜。鶏肉のから揚げ(ペースト状のペッパーチャツネでやる)、そして希望者にビール。僕も希望者入り(笑)。インドのビールで、確かキング・フィッシャーを注文したと思う。とにかく、よく冷えたアルコールに身震いしながら口にする鶏肉はたまらん。
 メインディッシュはインドの定食料理、ミールスだ。基本は各種穀物を配合したおかゆで、これに各種スープ、乳製品などを混ぜ合わせながら食べるのだ。おかゆ自身も十分においしいが、これに辛いのやスパイシーなのを混ぜ合わせて食べると、非常に食が進む。飽きがこないのだ。ほとんど遅刻しないで登場したこぐ氏も、いつしか堪能しているようだった。基本的に辛いものがダメな僕は、恐る恐るだった。が、一口目には激辛だったものがすぐに退き、逆に口にした瞬間は平気なのに、呼気と共に辛味が這い上がってくるというインド料理の奥深さに翻弄され、またやがて楽しめるようになっていった。
 時宜を心得て追加される新しい添え物を試しているうちに、いつしかかなりのメンバーが満腹モードだ。そんな中、激辛スープなども黙々と食すこぐ氏の姿が、その食への尽きぬせぬ探究心と共に印象深く残った。柔な関西舌の持ち主である僕にすれば、いったいどんなに鍛えたらああなるのかが興味深い。
 やがておかゆが尽き、追加の白米も尽きたところで投了。全員の顔に浮かんだ満足の色を見れば、これはもう次回もあると見て間違いあるまい。というか、僕はまた来たい。
 締めはデザートと茶。デザートはチャイのアイスクリーム。茶はそのチャイかインディアンコーヒー。僕はコーヒーを選択した。チャイのアイスクリームは、濃厚な甘味が辛味をさっぱりとさせ、コーヒーが最後に後味を整理してくれる。
 さて、帰る時刻になっても、まだ雨は降り続いている。BD-1で来ている他のメンバーはともかく、僕は雨の中を走るより無い。幸い、雨具はあるので、このまま突っ走ることにした。
 他の参加者に別れを告げ、家までのうろ覚えな道を走り出した。案の定、フェリスのグラウンド付近で迷う。地図を確認し、国際親善病院に出るつもりで走り出したら、なぜか領家方向に出てしまった。結局、長後街道に出て、そこから帰宅した。
 帰ると同時に熱が出て、偏頭痛に悩まされるようになった。雨に濡れたせいか、ひどくなったような。
 ともあれ、初体験のミールスに大満足なオフだった。

2002年08月15日(木曜日)

BikeEのハブダイナモ装着

22時00分 自転車

 BikeEにハブダイナモを取り付けた。正確には、ハブダイナモで組んだホイールに換装したのだが。
 このハブダイナモ、そもそも24インチ超級のホイールが対象なので、16インチホイールではちょっと回転数が高すぎ(発電量が多すぎ)かもしれない。しかし、26インチではかなり暗い印象があり、またBD-1で特に不都合があったとも聞いてないので、同じ程度の輪径のBikeEでも大丈夫だろうと思う。
 取り付けて、手で回すと激重だが、かなり明るくていけそうな印象がある。
 明日のガネーシュオフにはこれで出て、ナイトランで使い物になるかどうか試してみようと思う。
 そういえば、今日は終戦記念日。

2002年08月14日(水曜日)

朝トレ

08時00分 自転車

 今朝も朝トレ。おなじみのコースを走る。しかし、既に5:00過ぎにようやく黎明が終わるというくらいに、日の出が遅い時期になっている。そして、まだ8月というのに涼しい。暗いのはライトで凌ぐとして、寒いのは堪える。気持ち良く走れるのは、10月くらいまでかもなと思う。

2002年08月13日(火曜日)

人の少ない職場

22時00分 暮らし

 職場に人が少ないせいか、とても快適だ。電話も少ない。世間では盆真っ盛りなのだな。ああ、これくらいならあんまり鬱にならずに暮らしてゆけるなと思っていたら、いきなり仕事で問題発生。こればかりは人数の多寡に関係ないようだ。鬱。

2002年08月12日(月曜日)

また日常に

08時00分 自転車

 朝、4:30に起床。身支度して、TCR-2で朝トレ(というか朝ダイエット?)に出発した。まだ8月半ばなのに、朝の風は既に涼しくて秋めいている。実は、出かける前にちょっとハンドルを数度起こし気味にして、より上体を起こし気味にできるようなポジションを取れるようにしてあった。その効果はあり、よりノーマルポジション(というのか、ブラケットを持つポジション)で楽になったような感じがする。逆にスプリントポジションは少し窮屈になった感じがする。まあ、僕の場合は、ノーマルポジションやリラックスポジションを取ることが圧倒的に多いので、それほど悪いこととは思ってない。
 より上体を起こしたポジションといえば、実は麦草の最中からいろいろ試しているものだ。麦草に登っている最中、苦し紛れにMR-4Fのステムを3cmほども上げてみたら(MR-4Fはスレッドステムにアジャスタブルアヘッドステムが取り付けられ、ステムのトップ位置、ステム角度ともに変更可能だ)、呼吸がかなり楽になり、またハンドルも引き付けやすく感じたものだ。それから下がる一方だったハンドル位置を見直すことにしたのだ。
 呉にいるときにBD-1のハンドルも、数cm上げてみた。なんだか具合がいい。あるいは新鮮味を感じて、そう錯覚しているだけかも知れないから、今しばらくこのポジションで試してみるつもりだ。
 朝トレから帰ったら、即風呂。そして出勤だ。また日常に戻る。

2002年08月11日(日曜日)

久々にMobillyたんで走る

22時00分 自転車

 今日も晴れか。いいかげん飽きてきたよ。
 今日はあんまり遠出したくなかったので、飯田でアイスして、ちょっと買い物するくらいのつもりで、午後遅くに家を出た。最初はBikeEで行くつもりだったが、持ち出すのが面倒だったので、Mobillyたんを引っ張り出した。久々の遠出である。
 境側まで裏道経由で出て、サイクリングロードをまったり走ってゆく。時速20km/hだともう足が忙しくなるので、もう少し大きいチェーンホイールを着けるべきかもしれない。が、そうすると坂を登れなくなりそうで。
 こんなちびっこい自転車なのに、乗ってるシルエットはなぜかかっこいい(気がする)。小径車のシルエットは、なんというか引き締まっててかっこいいなあと思う。
 最初、素直に飯田牧場で折り返そうと思っていたのだが、走っているうちにウィトリッヒの森に寄る気になった。前回は北から行ったので、今度は南側から回りこんでみよう。
 西俣野から少し南の橋(東側の岸にかなりの段差があるので注意)を渡り、近くの道を適当にたどりながら向かう。が、かなりきつい坂を登り、たどり着いたのは、国道1号線だった。あれ、こんなところに出てしまうとは。
 ちょっとこの近辺をさまよい(ついでに自転車屋も発見)、なんとなく見覚えのある大きなアパートの前を通り過ぎると、「ウィトリッヒの森」の看板を発見した。結局、前と同じく北東の入り口(一番高い場所)から入った。
 ちょうど、小中学生くらいの女の子たちが入ってゆくところだった。昨今の時勢を鑑み、妙な疑いをもたれるのもヤなので、ちょいと間を空けてから入っていった。
 自転車を東屋の側に止め、前は歩かなかった西回りの道を歩いてみた。蛍が出そうな湿地を発見。しかし、今はただの藪だった。
 東屋の南にあるベンチに腰掛け、しばらく茶などを喫していた。そういえば、実家の裏にある山も、こういう雑木林だった。セミの声もなぜか控えめに聞こえる。近所の道、特にR1から騒音が届くのが残念だ。
 足を虫に食われそうだったので、この辺で帰る事にした。
 西側にある凄い坂を下り、さっき渡った橋を通って、飯田に寄って帰宅した。

2002年08月10日(土曜日)

横浜帰還

22時00分 暮らし

 故郷での5日間も過ぎ、とうとう横浜に帰る日が来た。
 出る前、昼飯はどうしようかと思っていたのだが、母が「そうめん食べてないね」といったので、家でそうめんを食ってゆく。うむ、そうめんだ(そりゃそうだ)。時間があればモリスでもう一杯くらいはと思っていたが、微妙に満腹感が募ってきたので、駅に直行することにした。
 新幹線は切符を買ってあったので余裕で乗れる。が、窓際に座ったら、通路側2列にヤンちゃっぽい二人連れが座り、かなり鬱になる。話してみたら、実はいい奴だったりしてな。ほとんど、CLIEで音楽を聴いて過ごした。
 新横浜から地下鉄で立場まで戻り、アパートに帰着した。片づけする気にならず、そのままベッドに入った。

2002年08月09日(金曜日)

墓参りと公園ビールと雨と

22時00分 自転車

 午前中、これが帰省の目的である墓参りに出かけた。まだ盆前ゆえか、墓地には僕と母の他には二家族くらいしか見ない。炎天下、頭が煮えそうになりながらも墓掃除に精を出す。最初は盆灯篭(たぶん中国地方特有のものだろうか、墓の周囲に竹と紙で作った灯篭を立てるのだ)はいらないかと思っていたのだが、母が気にして買ってきたので適当に立てる。数日のうちに雨やらなにやらで朽ちてゆくだけなんだけどな。
 帰りにモリスでまた中華そばを食らい、昨日立ち寄った場所でマルチツールを探しながら家に帰ったが、やっぱり見当たらない。買いなおすか。
 14:00頃、またBD-1で遊びに出かけた。まずはトップバイクに寄って、マルチツールを買いなおす。改めて観察すると、まだ比較的新しい店のようだ。
 呉ポートピアパークまで走る。途中、またたこ焼きを買っていった。そして呉ポートピアに着いたら取るものもとりあえず生ビール。ちょうどどこぞの家族連れが券売機の前であーだこーだいいながら邪魔していたので、俺様は5分くらい待たされる羽目に。さらにはマシントラブルまであったりしてな。しかし、待たされれば待たされるほど美味いのだ(気分的にな)。ようやく生ビールにありつく。うますぎ。今日はビールが温まないようにさっさと飲んでしまった(いちおう学習機能ON)。
 さーて、昼寝でもするかと広場のベンチに寝転がっていたら、なにやら雲行きが怪しい。これは、もしかして......。野生の勘で危機を察知し、管理棟にある休憩室に避難していると、果たして、間もなくかなりの雨が降り始めた。プールで遊んでいた家族連れも、この雨で潮が退くように去っていった。雨に濡れながらBD-1を走らせるつもりは無いので、BD-1ともども、屋根の下で雨が過ぎるのを待つ。ほら、もう西のほうは明るいし。
 果たして、しばらくすると雨が止んだ。空には所々青空が見える。ただの通り雨でよかった。地面が乾くのを待ち、海岸までBD-1を走らせ、しばらく対岸の江田島の山容を眺めていた。
 さて、そろそろまたベンチで寝転がろうか、などと考えていると......。その江田島の山並みに、嫌な感じの霞がかかり始めた。これはもしかして、雨? 果たして、間もなく再び雨粒が目に付くようになってきた。自転車を走らせ、また管理棟に避難すると、まもなく驟雨が降り注ぎ始めた。またここに足止めか。まあエアコン効いてるからいいけど。
 この雨の中でも、のうのうとプール遊びに耽る家族連れもいる。どうせ濡れちゃうんだから、同じか。
 この雨も30分ほどしたら止み、時間的にも日暮れ前だったので、帰宅することにした。
 また呉への坂を登っているとき、二人連れの自転車乗りを抜いた。一人はママチャリだが、もう一人はドロップハンドルにビンディングペダルの本格的なもの。呉で見た始めての本格的サイクリストだ(トップバイクにもいたけど、走ってなかったからな)。なんの気なしに抜き、坂の頂上に向かってトロトロ走っていたら、ドロップの方がいつの間にか増速してきて、スパッと抜かれた。抜かれると抜き返さなければならない性分なのか、あるいは単にママチャリとペースが合わないので偶然増速したのか。
 なんとなく二河川の河口で黄昏てから、帰宅した。
 そういえば、今日は長崎の原爆記念日。

2002年08月08日(木曜日)

蒲刈を巡る

22時00分 自転車

 今日はちょっと足を伸ばしたい気分だったので、前から行ってみたかった蒲刈に向かうことにした。
 子供の頃、主に下蒲刈に、よく釣りに行っていたのを思い出す。重い竿を何本も背負って、平気だったものだ。その下蒲刈に、本土との連絡橋である安芸灘大橋が架橋されたのは、比較的最近のことだと聞く。
 いつものように、ほとんどなんにも考えないで、BD-1を走らせた。おっと、夏なので、日焼け対策と水だけは注意したが。
 春にも通った広トンネルを通って広に出る。ここからは国道を通って、ひたすら東進するのだ。道は案外に広く、大体走りやすいものだった。
 広、仁方を通り、道路標識を見ながら、安芸灘大橋方面に進んでいった。途中、コンビニで水とおやつを仕入れておいた。この辺、ややアップダウンがある。
 やがて安芸灘大橋に差し掛かった。新しい橋で、自転車と歩行者は無料だ。ただ、本土から下蒲刈に渡る歩道は、向かって右側にしかないので要注意だ。
 橋は、しまなみ海道の巨大な橋たちに比べれば、大きいとはいえ親しみやすい大きさだ。しかし、橋の中央に向かってアーチ状に盛り上がっており、舐めると結構きつい目に遭う。
 橋を渡りきり、島に下りてみる。昔とは様変わりしている。かつては鄙びた島の風景が残っていたのだが、今は観光目当ての開発が進んでおり、島の小さな川に渡った橋の欄干なんぞも、ケバい極彩色に塗られている。俺の蒲刈を返せ!(爆)
 橋のすぐ側でおやつにする。あんまり人気は無い。が、なぜか駐車場には車が一杯だ。いったい、この車の主たちはどこにいるんだろう。
 BD-1を再び走らせる。島を一周するつもりだった。橋の周辺ではあちこちで開発が進んでおり、盛んに工事が行われていた。海沿いの道は工事の関係で通行止めだったので、低い峠を越えて向こうに抜けた。
 しばらく走るうちに、また別の橋が見えてきた。これは安芸灘大橋よりかなり前に架橋された、蒲刈大橋。その名のとおり、上下の両蒲刈島を結ぶ橋だ。アプローチをよじ登り、上蒲刈島に渡ってみた。橋の近くに真新しいレストハウスなどがあり、こちらも開発が進んでいる模様だ。だが、二つの橋、その他の新事業の費用と釣り合う効果はあるのだろうか。橋や公園整備はあるいは地元民の熱望するところだったかもしれないが、費用対効果という点では疑問だ。呉ポートピアだって破綻したのに。レジャーだけで回収は出来まいとも思える。
 蒲刈大橋を戻り、下蒲刈島一周に戻る。島の南側は、これという施設も無く、鄙びた海岸の風景が続いているだけだ。なんとなく楽しい。ひたすら走りつづける。車も滅多に見ない。
 結局、1時間弱くらいで一周してしまい、安芸灘大橋を通って本土に戻った。建設中の施設が全部完成したら、どういう感じになるのかな。
 帰り、広トンネル近くにあるトップバイクという自転車屋に寄ってみた。所詮は地方の、と思いきや、案外に侮れない品揃えの店だった。e-ショックマスターブラスターもここにはあった。入り口には売り物なのか預かり品なのか、2001年型Bianch MiranoCDが停めてあった。そういえば、呉ではサイクリストをほとんど見なかったが、どこを走っているのやら。
 実家に戻り、そこで初めてCrank Bros.のマルチツールを無くしていることに気づいた。蒲刈のどこかで落としたのかな。便利で使いやすい奴なのに。そういえばトップバイクでも売ってたので、もしも明日になっても見つからなかったら、買ってこよう。

2002年08月07日(水曜日)

今夜の動物モノ

23時00分 テレビ

 夏休み中だからか、今夜21:00からのNHK総合は、特別番組っぽい動物モノをやっていた。
 月夜の晩、無数の帆立貝が海面に浮かび上がり、開いた貝殻に風を受けて走る......そんな話を聞いたことがあるだろうか。僕は初耳だったのだが、アイヌの民話や、それを聞き取った江戸時代の本には、そんな話があるそうだ。
 かなり嘘っぽさを感じる帆走帆立貝話だが、ある研究者は十分ありうることではないかという。航空力学を専攻してきたこの研究者は、帆立貝が長距離を移動する必要があるのなら、貝殻の開閉による水流で進むより、風を受けて走ったほうが遥かに省エネルギーであると考えた。
 研究者は、帆立貝について調べるうち、「飛ぶイカ」の存在を知った。スルメイカの近縁種で、図鑑によれば確かにそのように記述されている。研究者は鹿児島県、さらには離島に足を運び、漁師からも裏づけを取った。研究者は、トビイカの外形から、足の間になんらかの膜を張っているはずだと考えた。
 トビイカを求めて連絡船で粘ること二日、ついにトビイカにめぐり合った。後にその映像、さらには入手した現物からその飛行シーケンスを推定し、大筋では正しいと確信する。が、足の膜をどのように実現しているかが分からない。研究者のトビイカに対する研究は、まだ続きそうだ。
 また、沖縄には大潮の干潮時にだけ現れる「海に浮く花」があるとも聞き、現物を確かめに行く。それはもともと陸棲だったものが水棲に移行した水草で、大潮の干潮時、ほんの数ミリほどの白い雄花が浮かび上がり、風に乗って走り回るのだ。
 この雄花が決して風によって横転しないことに興味を抱いた研究者は、水棲生物の研究者の協力を得て、その構造を明らかにした。この雄花は、外側は疎水性の、内側には親水性の表面を持っている。その結果、雄花は内部に水を抱え、外部は水の表面張力を受け、かならず直立するようになっていたのだ。
 本題の帆立貝に関しては、なかなか情報が集まらない。帆立の水揚げがある港の漁協に尋ねても、否定的な意見ばかりだった。しかし、過去のコラムや、民話などからは、帆走する帆立貝の話題を見つけることが出来た。研究者は、いつか必ず帆走する帆立貝を目撃できるのではないかと期待している。

呉ポートピアパークでビールウハウハ寝

22時00分 暮らし , 自転車 ( 自転車散歩 )

 昼前、中通にBD-1を走らせた。やっぱこれでしょう、モリス。相変わらずうまいっす。しかし、盛り付けはいい加減だし、麺の湯切りも本当に適当なので、目の肥えた関東地方のラーメン好きからは高い評価を与えられないかもしれない。だがいいのだ、このスープある限り、モリスはモリスなのだ。さらにフライケーキも買っておいた。
 一度、実家に帰ってごろごろしてから、15:00くらいにまた出かけた。呉ポートピアパークで夕涼みするつもりだった。
 その途中、実家近くの谷という総菜屋さんで、たこ焼き(激ウマ)を買っていった。時々、母が買ってきてくれるのだが、キャベツと小麦粉が充実していて、しかもトロッとした食感がたまらない。今日は目の前で焼きあがった焼き立てを包んでくれた。15個入りで250円。関東でたこ焼きを買うのがあほらしくなる。
 呉ポートピアパークまでは、海岸沿いの道路を10kmくらい突っ走ることになる。途中、長いトンネルを避けて、その上の坂道を越えてゆく。なんだかんだいいながら、だんだん鍛えられてはいるようだ。らくらく越えて行ける。
 呉ポートピアパークは子供用の浅いプールがある関係で、子供連れが多かった。しかし、プールを離れた芝生などには、人気がほとんどない。
 自転車を海側のテラスに停め、売店で生ビールを買う。500円とチト高いが、500mlは入る紙コップに一杯一杯に入れてくれるので、なかなか気分はいい。こぼれないように一口飲んでからテラスに歩む。その瞬間、これだ、これが欲しかったんだという充実感がみなぎる(笑)。ああ、僕はこっちの方が峠よりずっと好きなのだ。僕は楽に走るために自転車に乗っているのだ。こういうグータラな、小さな旅がたまらなく好きなのだ。
 さっきのたこ焼きを取り出し、ビールをやりながらつつく。もー、たまらん。ビールが熱風にすぐ温んでしまうのも許せるくらいだ(早めに飲めばよかった)。
 ビールの後は、アルコールがさめるまで芝生でごろ寝。風が強い。気温は高く、日差しがじりじりと焼きつくようなのに、体感温度は低くて快適なのだ。芝生に寝転がったり、ベンチに横になったりしながら、心ゆくまで酔っ払いモードに浸る。
 17:00頃になり、さすがに帰ろうという気になった。またBD-1走らせ、二河川河口の公園で少し和み、それから帰った。

2002年08月06日(火曜日)

帰省する

22時00分 暮らし

 昼過ぎ、BD-1で立場駅まで移動し、輪行状態にする。セキサイダー2輪化の効果は大きく、勝手に散歩に行かないし、漕いでいる時にも足が当たることはない。また、サドル部を持って2輪だけで移動させるのは、4輪状態よりも制御しやすいようにも思う。
 まだ盆には早い、しかも平日ということで、新幹線の乗車状況は空席が目立つ。指定席を買っておいたのだが、これなら自由席で十分だったかも。ついでに、帰りの切符も取っておいた。
 車中、隣に座った方(仕事で出張中の模様)から「自転車に乗ってらっしゃるんですか」と話し掛けられ、少し話す。スペシャのグローブをしていたから、気づいたらしい。その方は、子供も自転車を持っていて、親子で走るのが楽しみらしい。7台持ってますというと驚かれた(そりゃそうだろう)。ああ、こういう人が、ふつうに自転車を楽しんでる人なんだ、僕はなにか間違っているのだ。麦草のことでちょっとへこんでいたので、少し気が晴れた。
 呉に着いて、再度BD-1を展開し、セキサイダーにバックパックをくくり付けて走る。なんというか、路面も継ぎはぎだらけ、歩道との段差も大きく、地方自治体の財政事情をうかがわせるものがある。と、リアハブに何かを巻き込んだ感じだ。停めて調べてみると、なんとバックパックを固定するゴムひもが巻き込まれていた。平たいゴムひもで、なかなか具合良かったのだが。短い命だった。
 実家に帰り着き、ふかふかの布団を有難がりながら、早めに寝た。
 ああ、そういえば、広島の原爆記念日だったんだ。

2002年08月05日(月曜日)

帰省準備

22時00分 暮らし

 だるい。土日の麦草ツーリングで限界を超えたのか、今日は12時間を超える爆睡の日となった。本当は今日のうちに実家に帰省するつもりだったのだが、とてもそんな気になれなかったので、火曜日にずらすことにしたのだ。
 昼過ぎまで寝てしまい、しかし妙に走りたい欲が横溢していたので、夕方にTCR-2で飯田まで走り、湘南台に立ち寄って帰った。
 明日はBD-1を持って帰るつもりなので、簡単にチェックして、荷物を少しまとめ、それから寝た。

2002年08月04日(日曜日)

麦草峠ツアー二日目

22時00分 自転車 ( 自転車旅行記 ) ,

 朝、他の人が起き出す物音で目覚めた。また目を閉じて、浅い眠りに落ちていると、今度は自分の携帯電話のアラーム音で目覚めた。ぐっすり7時間ほどは寝ただろうか。
 起きて、外を見ると、なにやら雨の形跡がある。幸いにして、我輩のMR-4Fは、屋根の下に移動しておいたので、濡れることは無かったようだ。昨夜は雷鳴も激しかったとか。
 7:00から朝食である。うまいパンにサラダ、スクランブルエッグというところ。パンもバターもうまいので、瞬く間に売り切れてしまう。特にミキ氏は、これだけ食うからあれだけ走るんだなと、納得の健啖ぶり。
 部屋に戻り、一夜を過ごしたベッドを引き払い、出立準備をする。空は雲が多いものの晴れ、早朝の雨が畑の作物に宿り、きらきらと輝いている。気持ちのいい朝だなあ。
 まずは野辺山の電波望遠鏡を見ようということで、こっつぁんに別れを告げて走り出した。いきなり坂を登るものの、既に足にキテます(滅)。こりゃあ、峠越えなんて無理無理である。
 しばし走り、電波天文台に到着。その名の通り、電波望遠鏡が集結した、日本の電波天文学の一大拠点だ。守衛所から見学者コースを進んで行くと、まず移動式の5m鏡が出迎えてくれる。これは多数の5m鏡をレールに載せ、移動できるようにしたもので、開口合成により、見かけ上数百メートルという大きな口径を実現するものだ。電波天文学は、可視光を対象とした天文学に対しては新しい分野だが、固有の歴史と輝かしい業績を持つ分野だ。宇宙が膨張しているという直接的な、確かな証拠を提示したのも、そもそもは電波天文学だ。エドゥイン・ハッブルの観測はそれ自身偉大な業績ではあるが、観測した天体が少なすぎ、どうしても疑念を拭いきれなかったのだ。AT&Tの技術者が偶然に宇宙の背景輻射を発見したことで、ようやくハッブルの観測結果に間違いが無かったことが確証されたのだ。
 5m鏡群の側を抜けて行くと、遠くにより小さなパラボラ鏡が並んでいるのが見えた。干渉計の一部らしい。そしてさらに歩いて行くと、目の前に45m鏡が偉容を現した(いや、ずっと前から見えてたんだけど)。でかい。付帯設備にそのまま住めそうだ。戦艦の主砲塔というものも、こういう威圧感満載な代物だったのか(あれは駆逐艦載せてるようなもんだからな)。
 見学者用の視聴覚室をざっと見て、再び正門に取って返す。次はJR鉄路最高地点だ。おっと、その前にトイレ。
 再びちょっとした丘を越えると、もうそこはJR鉄道最高地点。以前は鉄道最高地点だったらしい(つまりより高々度に私鉄の鉄道が通ったわけだ)。その記念碑かなんかのところで、なんの集まりか小学生くらいの少年少女集団が記念撮影をしていた。そしてその脇を通りすぎて行く、我々奇特な小径車集団に歓声を挙げるのだ。まき氏など「手もちぎれんばかりに振った」そうである(本当かよ)。
 ここでアイス。ソフトクリームを試す。うむ、ソフトクリームである。
 それぞれアイスだのなんだのをやりながら、今後の経路を話し合った。おの氏らの提案の一つは、約めて申せば峠を二つ越えようというものだった。他にあんまり高いところを行かないで、お気楽に行こうというコース、少し上りがあるかなというコースだった。峠*峠コースの志願者は、結局おの氏、ミキ氏、吉田氏だけだった。残りはお気楽コースに雪崩れ込んだ。やっぱり、体力は有限だからね。
 おの氏らとはここで別れ、一行は清里へと進路を取った。清里から美し森までは、公園の中の曲がりくねった道を登って行くのだ。入ってすぐ、こぐ氏に「先にどうぞ」と道を譲られてしまった。というわけで、俺様が引く破目に。斜度はそれほどでもないが、果てしがない。走っても走っても次のカーブが見えてくる。ペースが合わないからか、いっとく氏はさっさと前に行ってしまう。延々と走りきって、ようやく出口に着いたときにはヘロヘロになっていた。最後の数周など「まだ先があるのか!」と絶叫しながら走っていた。しかしまあ、むやみに面白いコースだ。
 後続が来るのを待ちながら、疲れを癒す。平野氏がなかなか来ない。元気な者を偵察に出そうと話が決まりかかった頃、ようやく平野氏が登ってきた。話を聞くと、手製のマッドガードの間隔が狭すぎて、泥が詰まってしまったのだとか。マッドガードならぬマッドキーパーになってしまったわけだ。
 平野氏のトラブルが解決したら、また少し上り、展望台に上った。一番上までは徒歩で登るのだが、これがなかなかつらい。
 展望台からの眺めは、周囲のなだらかな斜面に広がる森が見え、その名の通り美しい。天気がよければ、八ヶ岳はおろか、富士や北アルプスも見えるとか。
 ここでもアイス。ただし、かき氷にソフトクリームをトッピングできるという情報を得たので、それを試してみる。うみゃ~! しかし量が多すぎ。すぐ持て余す俺様である。なんとか食いきるが、この影響かその後腹の調子が悪くなる。
 美し森から八ヶ岳高原ライン、八ヶ岳公園道路とつないで走る。アップダウンがあり、アップの度に苦しむが、長さはそうでもないのでなんとか乗り切れる。沿道には人家が全くなく、木立がずっと続いている。交通量もそれほどではない。いろんな意味で楽しい道だった。
 しばらく、後続を待ったりしながら、公園道路の終端まで走る。そこから少し行くと、きょう最後の目的地、スパティオ小淵沢があった。まずは温泉で一休み。体を流し、熱い湯船に漬かったりしているうちに、いつの間にかみんな露天風呂に集結し、今回の麦草越えの反省や、トレーニングについてなど話し合った。空からは時々雷鳴が聞こえてくる。時々雨もぱらついている。しかし露天風呂に漬かったり涼んだりしながら、なんとなく長旅が終わったような気分に浸っていた。二日間、峠を越えてアイスを求めて走っていただけなのに。
 風呂から上がり、上階の中華料理レストランで遅めの昼食を取る。なぜだか飯物を食いたかったので、中華飯と、そしてこれでしょう、ビール。うますぎる!(ビールがな)
 それから小淵沢駅に移動し、臨時急行を待つ。これがまた、いつの間にか乗客が増え、果たして全員乗り込めるのだろうかと心配になってきた。しかし、車両は二階建てで、しかもここ始発なので、ほとんどがら空きという感じだった。自転車を置いた場所とは別の場所に座席を確保したとかで、いっとく氏に荷物の監視をお願いして、そっちで一眠りすることにした。しかし、窓の外の風景を見ているうちに、眠気は飛んでしまう。
 僕は新宿まで乗って行くことにしたのだが、ほとんどのメンバーは途中の駅で降り、だんだん残り少なくなって行く。結局、新宿まで行ったのは僕といっとく氏だけだった。僕はさらに湘南ライナーを捕まえ、戸塚経由で帰宅した。
 帰宅して、MR-4Fを清掃しなけりゃとも思ったのだけど、あまりに疲れすぎていてその気にもなれず、さっさと爆睡した。

2002年08月03日(土曜日)

ついに麦草に

23時55分 自転車 ( 自転車旅行記 ) ,

 予定通り、朝4:00に起床。慌ただしく朝食を摂り、MR-4Fの点検をして、荷物を背負って立場駅へと出発。しかし急ぎすぎたのか、立場駅はまだ閉まっていた(爆)。MR-4Fを輪行態勢にした頃、ようやくシャッターが開き始めた。
 戸塚からJRに乗り換え、新宿まで、新宿で中央線特急のホームに到着すると、既にこぐ氏を初めとするかな支部の面々+αが待っていた。僕が挨拶していると、@nak家も姿を現した。
 程なくホームに入ってきた特急あずさ81号に乗り込み、一行は車中の人々となった。ところでおの氏は? 不安を感じた誰かが電話してみたところ、「今起きた」とか。間に合わないぞ、こりゃ。
 車中、少々寝ておこうとも思っていたのだが、結局はちょっとウトウトした程度だった。
 9:20頃、目的地茅野に到着。駅の東に出ると、自転車を組み立てている人々がちらほら。それがBD-MLの麦草アタック隊だった。合流して、各々の自転車を展開する。
 おの氏はやはり1時間以上遅れそうだということで、速攻で見捨てていくことになった(笑)。
 一行はかれこれ15人以上だろうか。とても2000m超級の峠を攻める連中とは思えない人数だ。それがズラズラと連なって登って行く様は壮観だ。
 何度かの小休止を取る。上りはまだ序の口。出発点が1000m前後で、今は1300mくらいだろうか。(た)女史が土地の農家の人にいろいろ話しかけられ、お土産にじゃがいもをもらってしまった。今から1000m近くも登るんですけど。かわいそうに、夫君の(あ)氏が運ぶことに。
 まだまだ序の口で、この辺までは元気があった。この程度の斜度なら、なんとかいいペースで登って行けると思えた。ところが、これからいよいよ斜度が上がり始めるのである。
 別荘地を過ぎ、人家もまばらな中を上がって行く。この辺でもかなりきつい。もう一番軽いギアを踏んでいる状況だ。それでもペダルを回すというには程遠く、一歩一歩踏む感じなのだ。それなのに、まだまだ本当にきついのはこの先だという。
 ずっと下を見て進んで行く。もう最後尾だったので、臨時幹事に就任したミキ氏が後ろに付き、なにかと話しかけてくる。それさえほとんど耳に入らない。一度、あまりにつらくて立ち止まったところで、ミキ氏が手持ちの非常食を恵んでくれた。親切が身に染みる。というのも、その後、少しだけ足が回るようになったからだ。その隙に、いつの間にか後退してきた吉田氏をパスし、ついにゲートまで進んだ。そこで自転車を降りたことは憶えているのだが、気がつくと寝転がって空を見上げている自分がいた。けっこうやばい......。そう自分で気づいた時、『ここで引き返そう』と決断しかかっていた。死にそうになるまで自転車のペダルを漕いで漕いで登って行くなんて、なにかが間違っている。自転車には楽しく乗りたいのに......。見たところ、周りにこんな危機的な状態に陥っている人はいない。それぞれ苦しげな顔は見せるが、基本的に顔はまっすぐ前を向き、僕のように下を向きっぱなしというわけではない。どうも、僕と周りの人々との間に、なにか大きな違いがあるようだ。直感的に、僕の苦しさは分かってもらえないのではないかと思った。
 止めようか、どうしようか。いつの間にかおの氏がやって来ていて(そういえばさっき見た気もする)、17人にもなったメンバーの楽しげな表情を見ているうちに、やはり苦しくても登っておこうと思った。いまだかつて、BD-MLのこの麦草アタックで、途中で引き返した者はいないはずだ。その最初の一人になる屈辱には耐えられそうにない。
 やがて、このゲートから一斉にアタックが開始された。いっとく氏はもう先にいっているという。その他のメンバーが、勇躍上りに飛び出して行く。僕は内心忸怩たるものを抱えて、その後をのそのそと上りはじめた。
 やはり、きつい。今までの上りなんか楽なものだった。斜度が上がり、いよいよ本格的な峠越えの雰囲気だ。みんな、あっと言う間に見えなくなる。初参加の人々さえ、ずっと先の方を進み、二度とその後ろ姿を見ることが無かった。ああ、あれが世間の標準なんだな。やっぱり、僕はなにかがおかしいのだ。いやおかしいのは、そもそもこんな峠を自転車で越えようなどと思った人間の頭の方だ。と、いい加減、八つ当たりモードに突入しつつあった。しかしそれも長続きせず、むしろ中に落ち込むような怒りがくすぶっている。力になるような怒りさえ湧いてこないのだ。全く顔は上がらず、下を流れる白線を見つめるばかりだ。時々顔を上げては、スピードメーターの表示が7km/hから4km/hをふらつくのを見て、下がりすぎないように必死にこらえる。
 つらい。たかが坂を上ることが、こんなにつらいだなんて。いくらなんでもつらすぎる。自転車の選択を誤ったのだろうか。そもそも、足が全然鍛えられてないようだ。なんという疎外感だろう。自分だけがこれほど劣っているとは......。もう自転車に乗るのは止めようかとさえ思い始めた。それは大げさにしても、峠を人とともに越えるのはごめんだ。二度とやりたくない。
 一度、立ち止まって、前方を呆然と眺めていると、後ろからなぜか一人で登ってくる人が。ああ、平野氏だ。そういえば、ゲートを出たとき、まだなにかやってる雰囲気だった。立ち止まっているので、平野氏は先に進んでいってしまう。ものすごくゆっくりだが、着実に登って行く。よし、僕も、どれほど時間がかかっても、ペダルを踏み続けるぞ。
 再び、ペダルをじわりと踏み、白線が苦痛なほどゆっくり視界を流れて行くだけの時間が戻ってきた。が、気がつくと、すぐ前に平野氏の後ろ姿が見えている。ゆっくり、ゆっくり追いついて、しかし追い抜く気力はないので、そのまま後続して走り出した。時速5km/h。自転車って、こんな速さでも走れるんだ。結成、チーム5km/h!(爆)
 5km/hをキープしながら、ペダルを一歩一歩(もう一回一回という踏み方ではない)踏みながら登って行く。すると、なんとか続けて行けるような気がしてきた。これなら上まで上がれそうだ。はじめてそういう気になった。それでも、カーブはあまりにも苦痛だった。斜度が一気に上がるからだ。できるだけ緩やかなアウトコース寄りに出たり、さらには蛇行したりしながら、なんとかカーブを一つ、また一つパスして行く。平野氏との間に、会話する余裕さえ生まれた。高度2000mの看板を確認。まだ200mも登るのかよ! 頭がトビそうになる。
 また一つカーブをパスした。すると、急に道がなだらかになる。しかし気を抜かない。最後の最後に、一番急な斜面を通ると聞いていたからだ。案の定、まもなく最後の上りに突入。これは、厳しい......! 頭がトビそうになる。時速4km/hに落ちつつも、なんとか坂を登って行く。そして、再びなだらかな直線に出た。今度こそ最後の直線だ! 僕は平野氏をさっさと見捨てて(笑)、再び回せるようになったペダルをくるくる回しつつ、最後の直線を突っ走った。平野氏、ごめん。
 そして、ふと右を見ると、先行していた面々が固まっている。そこがとりあえずのゴールらしい。もう走らなくていいんだな。もう坂を上らなくていいんだな。そう自分に確認しつつ、僕はその一団に歩み寄った。
 自転車を降り、本当の頂上(それはまだ先にあるが、もうなだらかな坂だ)に目をやり、それから衝動的にミキ氏にカメラを差し出して、撮影のお願いをした。そして、登頂記念のスナップをパチリ。これは確かに麦草峠を極めた証として、そして再びこんな暴挙に乗り出す前に考え直す戒めとして......。
 ほどなく、平野氏も登ってきて、全員がそろった。ようやく、なにがしかの余裕を取り戻した僕は、周りと和気あいあいと会話しながら、フュッテでの昼食になだれ込んだ。しかしながら、内心はどうしようも無い屈辱感に苛まれてもいた。なんでみんなが平気でできることを、僕だけはこんなに苦しんでしまうのだ。いわく言いようのない疎外感も感じていた。しかしまあ、冒険は終わった。後は楽しむだけだ。
 フュッテでは、遅刻したおの氏が全員におごるという話も出たのだが、金額のでかさに驚いたおの氏が日和、なぜか吉田氏のみにおごることになったそうだ。吉田氏に対しては、前に遅刻をネタにおごらせた手前、勘弁してくれとはいえなかったようだ。
 フュッテでの休息もそこそこに、今度は反対側へのダウンヒルだ。高速組と低速組に分かれ、それぞれ隊列を組んで降りて行く。これがもう、爽快で爽快で。各カーブで速度を少し落とし、また速度が上がるまでの間、周囲の風景が目に入る。こんな植生のところにいたんだ、ああ、もう木立が増えてきた、などといちいち感慨にふけりながら降りて行くのだ。風で体が冷えるが、日差しもあるので寒くなるほどではない。念のためにウィンドブレーカーを着ていたのだが、今回は不要だったかもしれない。
 途中、低速組の先頭を追い越してしまい、高速組を追いかけて突っ走る間、完全な単独行になった。誰にも合わせる必要がなく、自分のペースで突っ走る。ああ、これだと思った。これがいいのだ。
 と、道が三叉路になり、その近くで先行組が待っているのが目に入った。合流して、低速組を待つ。なんか、けっこうおいしいポジションにはまったな。
 合流して、さらに下って行く。小海線の駅近くまで下り、さてこれからどうしようということになった。今回は、夏ということもあって消耗した人が多く、自走して宿泊地の野辺山まで行こうという人が少なかった。おの氏ら数名だけが自走で出発する。草津のkei氏もここでお別れということで去り、残りは少し話し合い、結局すぐ輪行ということになった。駅まで降りると、先に輪行するつもりで降りていたkei氏がポカンとしていた(笑)。
 小海線は、四国の予讃線以来乗ったワンマン車で、バスのように降り口が一つしかない。野辺山で降りるときは大変な混雑になるぞと思った。過ぎて行く車外の風景が美しい。車内の女子学生のスカートが、関東ではここ10年もお目にかかってないような長さだった。これが本来の標準なんだろうが。
 やがて野辺山駅着。駅員がいるので、結局全ドアが開き、スムーズに降車できた。
 駅前で本当にkei氏とお別れとなる。残ったメンバーで話し合い、適当に分かれて近くの温泉で汗を流す組、その前に宿に荷物を置いてくる組に別れた。僕は直行組。宿に行く途中の旅館で温泉に浸かり(といっても銭湯と変わらない)、ようやく一日の疲れを癒した。
 温泉を出て、酒を買おうということになり、まずは駅近くに引き返した。自販機で酒を買い、さらに駅前のみやげ物屋で酒やつまみを買い揃え、今夜の宿、こっつぁんちを目指す。
 こっつぁんちに着くと、もじゃもじゃした白髪頭のおじさんが出迎えてくれた。これがこっつぁんか。人なつっこい感じのおじさんである。
 宿はまさにユース的で、家構えは民家そのもの。ユーティリティスペースに、客室がいくつか。その一つに適当に荷物を置き、ベッドメークなどしているうちにもう夕食である。
 夕食はここで取れた野菜を中心に、シチューやサラダ、揚げ物など。なぜかシチュー食いたい欲が最強に強まっていた僕は、一も二もなくシチューに飛びつく。うまい。欲を言えば、シチューのお代わりしたかったな。
 その後はビールを取り出し、酒盛りの始まりだ。昼間の疲れに舟を漕ぐメンバーもいたが、概ね盛り上がりながら23:00までバカ話に耽る。いいねえ、こういうわけの分からん状況は。
 そして各々のベッドに入り、明日の起床時間に携帯電話のアラームをセットした途端、ストンと意識が途切れた。
 ずいぶん長かった一日も、ようやく終わったのだ。

2002年08月02日(金曜日)

麦草準備

23時55分 暮らし 天気:晴れでしょうか

 いよいよ明日に迫った麦草峠越えに向けて、会社を午後半休で帰って荷物の準備をする。といっても、結局大きめのバックパックを背負うことにしたので、いつもの輪行態勢とそう変わりはないのだが。おまけに少し昼寝したりして。麦草を嘗めすぎである。
 置いて行くつもりだったレインスーツ(上下)をうっかりバックパックの底に詰めてしまったりして、しばしバスター・キートンばりのドタバタを演じていたところ、黒猫のお姉ちゃんが荷物を持ってきてくれた。CBあさひに頼んでいた物だ。メインはTOPEAKのe-ショックマスターブラスターという、米仏式タイヤバルブも、米式エアサスバルブも面倒見られる便利なものだ。早速試しに入れてみた。......むぅ、どうもうまく入らないなあ。仏式のバルブにもスクリューで止めるのだが、これが面倒だし、思うように空気が入らないし。使いやすさではロードモーフの方が遥かに上だ。エアサスはどうか。これまた、使いにくいのなんの。米式バルブのエアサスの悩みは、バルブの造りが思い切りチャチなためか、インフレータを外す瞬間に空気漏れしてしまうことだ。こいつの場合、スクリューが固いこともあり、思い切り空気漏れする。使えん! それにしても空気が入らないなあと思っていたら、なんと口金(ゲージ込なので高級なものだ)とホースのつなぎ目がスコスコ動き、空気が漏れているではないか。だめだこりゃ。早速CBあさひに交換依頼のメールを打った。
 こいつを持っていくのが楽しみだったのに、この始末では......。いずれにしても思いのほか使いにくいものだったので、本当にこれを持ち歩くかどうかは思案のしどころだ。
 明日に備えて、早めに寝るつもりだった。が、「そういやああれを持っていかないと」などと荷物のことが気になったり、結局就眠は0:00過ぎだった。4:00起床の予定なのに......。

2002年08月01日(木曜日)

雷鳴来る

22時00分 暮らし 天気:晴れ(雨への期待つき)

 それにしてもむしむし暑い日が続く。気温が高いのはいいとして、湿度が高止まりなのが堪える。会社と家はエアコン大活躍中であるだけに、その間を移動している時がつらい。携帯ストーブは普及している(のか?)のだから、携帯クーラーも開発されんことかね。
 帰りはやや遅くなり、22:00過ぎに立場駅からとぼとの歩いていると、やたら空に閃光が走る。空気も濡れてきた。雨が近いぞ。雨が降れば気温が下がるだろうと思い、期待して待っていたのだが、なかなか降らない。0:00過ぎに寝る頃になっても、まだ雷鳴が聞こえるだけで、雨は降らなかった。この界隈だけ雨に見放されたような格好だ。
 夏の夕暮れ時に夕立がサーっと来て、凌ぎやすい涼しさになる、というのが理想なんだが。