Strange Days

2002年11月30日(土曜日)

鎌倉をポタろう

00時00分 自転車 天気:いい天気

 一昨日の夜、ふと思い立って、鎌倉をポタリングすることにした。ついでに、神奈川支部で暇人を招集すると、にち氏が乗ってきた。今日は二人で、鎌倉をさまようことにした。
 朝11:00に西鎌倉駅というゆっくりしたスケジュールだったので、それにあわせて9:45分くらいに出動。するつもりが、いろいろ忘れ物をしていて、結局は10:00間近に出る。
 今日は輪行は無しだろうと見て、EPICで出動だ。境川を南下し、俣野で東岸に渡り、環状4号に入る。ここからは大船を目指して突っ走っていった。意外にアップダウンが多い。一箇所、漕がなくてもすぐに40km/hに達し、しかも1分くらいは続くという恐怖のダウンヒルがあった。いや、下ること自体は気持ちいいのだが、登ることを考えると......。
 大船近辺から横須賀線沿線を走り、集合場所の西鎌倉駅に到着。ちょっと遅刻気味。人出が凄い。紅葉を見に来る模様。むう、寒い日が続いていたので少ないと見ていたのだが、好天が災いした模様。
 にち氏と落ち合い、まずは腹ごしらえだ。この近くにある「鎌倉五山」という店で、けんちん汁を食すのが今日のメインイヴェントだったりする。有名店なので、もしかしたら行列が、などと考えていたのだが、そんな形跡は無かった。ところが、店内は満席。しばらく店外で待ちぼうけだ。しかしギリギリのタイミングでもあった。というのも、我々が並んだ後から、次々に待ち行列が延び始めたからだ。我々が店内に招き入れられた頃には、6、7人になっていた。
 注文したのは、薄味の炊き込み御飯とけんちん汁のセット、紫陽花セットという奴だ。これで1000円。割高感が強い。相席で、騒然とした雰囲気で寛ぐことも出来ず、味わうという感じではなかった。観光地の店だから、仕方ないか。とにかく、けんちん汁を建長寺の門前で食すという目的は果たした。
 この後、高いところから鎌倉を一望したい、という俺様の願いにより、北鎌倉駅前から闇雲に道を走り始めた。無計画もいいところである。登るうちに、今まで見たことも無いような激坂(なにせ滑り止めの加工が施されている)に突入。ダンシングで駆け上ろうとすると、角を曲がった途端にさらに凄い坂が待ち構えていた。漕ぐ気力が失せて玉砕する俺様! しかしにち氏は登り切った。登り切った先は学校の正門っぽい。この先どこにいけるかなあなどと考えていたら、学校の警備員らしき男性に、
「この先はどこにも抜けられませんよ。どちらに?」
と聞かれた。俺様はきっぱり、
「いえ、あても無く走ってます」
と答えた。
 すると警備員氏は、この近くから源氏山公園に登るルートがあると教えてくれた。待望のトレイルか! しかし、にち氏のBD-1Wでは山道はチト辛かろうと、その場を辞した。
 それから地図を見ながら、これまた適当に走って行く我々であった。知らない町内を抜けると、いつの間にか大船近くに出てしまったらしい。モノレールの軌道を追いかけながら、江ノ島まで抜けようということになった。この道は案外なヒルクライムになり、ヒィヒィいいながら上り詰める我々であった。どこいっても坂ばかりなのか?
 腰越に出て、海沿いのルートを鎌倉に向かって走る。風は追い風。道はいい。30km/h以上で突っ走る場面もあった。途中、鎌倉の大仏を見たいという僕の希望により、高徳院に立ち寄った。駐輪場(というか単なる空き地)に駐輪したところ、謎の小動物を発見。台湾リスか? 拝観料200円を払って、敷地内に足を踏み入れた。鎌倉の大仏は実物を拝むのは初めてだが、でかい。こんなでかいのを鋳造するには、さぞかし筆舌に尽くしがたい苦労があったろう。さらに、胎内にも入った。鋳物が意外に薄いのが印象的だ。そうでもないと、凄い重量になり、自重で潰れてしまうのだろう。
 高徳院を後にし、江ノ電の線路の周囲をうろうろしながら、次第に鎌倉に近づいていった。なんでそんなことをしていたかというと、この辺に線路沿いにしか侵入できない甘味屋さんがあるはずなのだ。しかし、今回は発見できずだった。
 鎌倉の大通りに入り、適当な糖分補給ポイントを探し回る我々は、適当に選んだ喫茶店に転がり込んだ。給仕のおばちゃんは「お茶だけの注文はダメ。ケーキセットが最低ランクよん」などと申す。これだけ地価が高そうな(鶴岡八幡宮の間近)場所で営業を続けるには、それなりにあこぎに稼がなけりゃならないのいだろう。だがケーキセット(小さいケーキとふつうのコーヒー)で800円はボりすぎだ。恐らく、一見さんのお上り観光客(我々のごとき)をネタに食っているのだろう。二度と行くまい。
 真正面にある和菓子屋さんは、対象的に回転で稼ぐタイプらしい。単品の値段がリーズナブルだ。ここで適当に6品ほど買っておいた。ここはリピーターになるかも。
 山の上の方に鎌倉中央公園というところがあるので、そこでお茶しようということになった。それには、まず北鎌倉まで登らねばならない。ようするに、北鎌倉~江ノ島~鎌倉~また北鎌倉と一周した形になる。
 北鎌倉までは、それなりにきつい登りが待っている。しかし、EPIC号のインナー22Tを発動させれば問題無いわいと、早速インナーに落とした。が、その途端、チェーンがフレームを擦る異音が。チラリとチェーンホイールに目をやると、しかしチェーンはインナーに落ちている。また漕ぐ。異音は続いている。自転車を止め、よくよく見て驚いた。チェーンステーを挟む形になるはずのチェーンが、どちらも上側に来ている。どうも、なんらかの理由でチェーンをチェーンホイールが巻き上げ、EPICの場合はとても狭いアウター、後ろフレーム間(5mm以下)を通り、上に来てしまったようなのだ。フレームのその周辺が傷だらけだ。恐らく、ふつうのフレームの場合、たとえチェーンが巻き上げられても、十分広いフレームとの隙間からすぐ落ちるだけなので、問題にはならないのだろう。
 ともかく、インナーは使わないことにして、ミドルギアでゴリゴリと上がって行った。これでも、この程度の坂なら問題はない。
 多量の車と歩行者の間を縫うようにして走り、やがて最初に訪れた鎌倉五山の前で待っているにち氏の姿が目に入った。合流して理由を説明する。ああ、EPICのフレームにまた傷を付けてしまった。
 ここから鎌倉中央公園に上るには、南側の山岳地帯に突入しなければならない。緩やかな坂を上ってゆくと、かなり急な坂が待っていた。これは歯ごたえあるなと思いつつ上ってゆくと、カーブの先にさらに凶悪な坂が待っていた(滅)。しかしミドル・ローをがしがし踏んで、なんとか踏破。
 坂を登りきった辺りは高そうな家(といってもミドル・ハイレベルだろうか)が立ち並ぶ住宅地。そこから鎌倉中央公園への入り口を探してうろうろする。結局、坂とは公園を挟んで反対側で、やっと公園への入り口を発見した。守衛さんに駐輪場を尋ねると、そのすぐ側のスペースを指差した。ここなら、盗難される可能性は低そうだ。
 公園内に入った。園内はきれいに整備され、少し下ると駐車場も整っている。いくつかの池を挟んで、遊歩道がずっと南の方に続いている。しばらくにち氏と高台に登ったり、遊歩道を歩いたりしていたが、やがて奥まった高台にある東屋に腰を落ち着けた。ここからは、山に囲まれた公園の、まるで箱庭のような風景が見えて、素晴らしい。紅葉の季節に間に合ってよかったと思う。
 さて、火器タイムだ。それぞれに火器を取り出して、お団子に供する飲み物を作る。にち氏は伊豆大島で味を占めたコンソメスープ、僕はいつもの小パックドリップコーヒー。全然和菓子に合いそうに無いやんけ。しかし、我々は茶(あるいはスープ)を飲みながら、まったりとした時間を過ごしたのだった。お団子は美味だった。次も寄ろう。
 夕暮れ時が迫っていた。公園の入り口に戻り、守衛氏と少し話す。この公園は6年前に出来たばかりなのだそうだ。どうりでまだきれいなはずだ。また体験水田の類もあるとか。舞岡公園に似た性格も持たされているらしい。さらに、蛍も見られるという耳寄りな話を聞いた。なんでも、蛍の季節、西にある山崎口から細い川沿いにかけて、蛍が出没するのだそうだ。にち氏と、蛍の季節に蛍見物も良いねと話した。
 帰り道は、北に下り、道路沿いに大船方面に走った。途中で北上するにち氏と別れる。しかし、ここから迷い始めた。というか、にち氏のGPS頼りで、自分の現在位置をちっとも把握してなかったのだ。地図を見ながらどうやらここらしいという位置を推定し、やがて柏尾川にぶつかった。ここで少し南下すると境川までの直通ルートに当たるはずだが、気づかないまま南下してしまい、結局は藤沢駅周辺にまで出てしまった。ここからはなれたルートで境川まで復帰し、自宅へと帰還した。今日はポタるはずだったのだが、案外にハードに走ってしまったような。
 帰宅すると、クロネコのおじさんが荷物を持ってきてくれた。
「自転車何台買った?」
「8台だよ。......買いすぎかな」
 なぜか、しばし大笑い。我ながら多すぎるよな、これは。

2002年11月29日(金曜日)

緊張の一日

00時00分 暮らし 天気:くもりかな

 仕事の上で、ちょっとヤな打合せがあり、緊張気味の一日だった。気力があがらず、かといって手を抜くことも出来ず、ズーッとWord文書とにらめっこだ。書類の仕事はダメなのだ(文章を起こすのは好きなのにな)。
 帰宅して、もやし炒めを作って、ビールで一杯をやった。お好みハウスの観察から、油の量(たっぷり)と魚粉が決め手だとにらみ、早速真似してみたのだ。うん、多少は近づいたぞ。しかし、まだ遠い隔たりがある。なにが違うんだ。鉄板か、熱いハートか(爆)。鉄板焼きの道は遠く険しいのである。

2002年11月28日(木曜日)

今日もナイトラン

00時00分 自転車 天気:快晴

 今夜もナイトランに出かける俺様だった。
 昨日と同じ格好だが、今日は膝が余計に冷える。もう、夏用CWXではいかんなあと思った。
 いつもと同じく、境川まで出て、境川沿いに南下し、俣野からR467によじ登る。この時、なんの気なしに太ももの筋肉を使う感じでペダルを踏んでみた。をを、なんか楽だ。上り坂なのに、アウターを踏めそうなくらいだ(事実はインナーローまで後一歩というところなのだが)。これが腰踏みという奴だろうか。
 R467に乗り、湘南台まで一気に走った。いつもより足が軽く、アウターでもガンガン踏める。これはいい感じ。何かをつかんだかも。
 帰宅して、汗を拭いながら夜空を見上げると、オリオン座がもうずいぶん高いところに登っていた。真冬も間近である。

2002年11月27日(水曜日)

ちょっとだけ、ベランダで

23時55分 星見 天気:快晴

 久しぶりの澄んだ夜空に、CANON 18*50ISをベランダに持ち出した。
 暗闇に慣れるために、コーヒーを飲みながら夜空を見ていた。澄んだ大気の中、静かに光る星たちが妙に嬉しい。いやもう、典型的ささやかな喜びって奴だ。つましい暮らしをしてるな(しかし自転車では浪費しまくっているが)。
 少し目が慣れたので、M42、M41と眺めた。M47も見えたかな。昴は天頂にあって、直視型のこの双眼鏡では首がおかしくなりそうだ。しかし、美しい。地上から超然としている。
 そうだ、木星が昇っているはずだ、と思い、ベランダの軒先の向こうを必死にのぞいて見たが、全然届かないでやんの。しかしアパートの正面に回るのも面倒なので、今日はここまでだ。

ナイトラン

00時00分 自転車 天気:快晴

 どうでもいいことだが、ジャニス・ジョプリンのアルバムにNightrainってあったよなあ。僕らの世代ではG'N'Rだろうが。
 今日は久しぶりに雲一つ無い青空が広がった。公園で昼寝すると気持ちよさそう。
 夜、家に帰ると、にち氏からお好みハウスへのお誘い電話が入った。が、給料日前日で、金が全く無いので断る。17:00前だったら、本屋に寄る前だったのでなんとかなったのだが。
 20:00過ぎ、久しぶりにナイトランに出ることにした(やっとタイトルの話題になった)。
 TCR-2で境川沿いのいつものコースを走る。上は長袖Tシャツ(綿)、その上にサイクリングジャージ、さらに風止めなジャケットを着ていたので、全く寒くはない。しかし下半身はCWXだけなので、スースー風が通ってしまう。冬場にクールマックスは自殺行為か。
 俣野の上りは、夜なので産業用車両も多いが、交通量の絶対数は少ないので、あまり危険を感じずに登っていけた。以前は苦しく感じたこの登りも、冬場はそれなりに楽、だがやっぱり最後の方ではチトつらい。
 湘南台公園で小休止し、また家へと走って戻った。

2002年11月26日(火曜日)

つかの間の青空

00時00分 暮らし 天気:くもりのち晴れのち雨

 朝、会社に向かう途中、見上げる空に青い部分が見えた。曇りがちだが、晴れそうに思えた。
 昼頃にはその予感が的中し、空の方々に晴れ間が広がった。冬の、深く青い空だ。ああ、こういう日にツーリングに出たら楽しいだろうなと思った。
 が、夕方になって、ふと外を見たら、なんと雨が降っている。それも、結構な勢いだ。昼間に空を見たときにも、頭の真上にどよどよした暗い雲が掛かっているので、少し気になっていたのだが。
 傘はあるが、雨の中帰るのは嫌だな。などと思いつつ、1時間後に外に出たら、ちょうど止みかけているところだった。チャンス。大急ぎで電車まで走り、帰宅した。
 帰宅後、また雨が降り始め、どうやら夜半まで降っていたようだ。春夏の雨は、まあ悪くは無いが、冬の雨はつらい。

2002年11月25日(月曜日)

安い夕食

00時00分 暮らし 天気:雨りましたね

 寒い、冷たい雨の一日。南からの風が入って、多少気温は上がったものの、寒いことに変わりない。
 今日は飯を作るのも面倒だったので、コンビニで焼きうどんを買って、ビールで流し込んだ。最近、麺類がとても多い。いきなりEPICを買ってしまったので(後悔はしてないが)、財政的に大ピンチなのだ。しかし、安いとはいえ、コンビニで買えば500円は取られる。頑張れば200円くらいで、そこそこの飯も自炊できるのだが。こんなに寒いと意気が挙がらないなあ。
 まあ、給料日まで頑張れば、すぐにボーナスだけど。忘年会が問題だ。出るの止めようかな。

2002年11月24日(日曜日)

海軍道路

00時00分 自転車 天気:くもりだがや

 昨日、東京までの完全自走を目論んだものの、復路は雨に阻まれて挫折。ナイトランは基本的に危険なので、まあ結果的にはあれでよかったのかと思う。
 しかし、久しぶりにロードバイク乗りたい欲に取り憑かれていた僕が、東京までの60kmで満足できるはずも無く、物凄く欲求不満になってしまった。そこで今日は適当に100kmばかり、などとなるわけも無く、近所でお買物とあいなった。とはいえ、いつものコースは面白くないので、ちょっと別のコースを。
 国際親善病院をかすめる東寄りコースで、まずはサガミに向かっていった。乗るのはもちろんTCR-2。実は、先週末に、巻き方がひどすぎてダメダメだったバーテープを巻きなおし、外見的には大幅な改善を見ていたのだった。昨日走った限りでは、一度巻きなおしたにも関わらず、しっかりと固着していた。が、やっぱりテープの端の方はめくれ始めてるな。ブラケット周りは、わざわざ八の字に巻かなくても、そのまま巻きつづければ問題なかった。
 走りながら、やっぱりロードバイクの走行感が好きなんだとつくづく思い返した。MTBでは、どう頑張っても、この滑らかな走行感は得られそうにない。MTBはシチュエーションを楽しむバイクで、ロードバイクは走ること自体を楽しむものなのだと思う。
 サガミN0.3で、EPICを買うときにお世話になった店員さんと少し話す。大島に行ったというと、別のツアーのパンフをくれた。MTBツアーの話はよく聞くが、このツアーのパンフはカタログ風できれいだ。
 No.3では26*1.25のチューブを買う。スリックを履く場合の予備だ。
 サイクルセンターでも買物。冬は耳が冷えるので、イヤーウォーマーが欲しかったのだ。
 ここからはいつものルートと違う道を走ってみた。三ツ境から境川方面に走る途中、瀬谷駅で北に転じ、そのまま相鉄の踏切を渡った。ここから北に伸びているまっすぐな道路が、通称海軍道路と呼ばれる道だ。道の程度は良く、幅の広い歩道もある(たまに狭くなるが)ので、気持ちよく走れる道だ。街路樹がずらっと並んでいる。紅葉の季節にはさぞかしいい眺めなのだろうが、生憎なことに少し遅く、すでに落葉が進んで丸裸の樹が多かった。春には桜並木になるそうな。
 道の両側には開けたスペースが多く、原っぱでは犬に関するなんらかの催しが開かれてもいた。フリスビーを追っかけて走る犬たちがラブリー。
 この海軍道路、名前からして旧帝国海軍が、交通の必要から作ったものだろうと思われる。しかし、今この近辺に駐屯しているのは、米海軍の瀬谷通信隊だ。軍事上の必要性は、たとえ国が違えども変わりが無いということか。
 この気持ちのいい道を北まで走りきると、終端は丁字路になっている。とてもわかりやすい。ここで西に進路を変えて、走りつづけた。市街地を走ってゆくと、やがてR16に合流する。R16は北向きに進路を変えてゆく。さっき、境川を越えたなと思っていたら、「つきみ野入り口」の標識を発見。この辺かと思い、東向きに進路を変えた。と、すぐに下りのトンネル発見。同時に「歩行者自転車通行禁止」の標識も発見。間に合わん。このまま突破。ほどなく、なんとなく見慣れた場所に出た。ああ、境川だ。猫販売機地点から少し下った辺りだ。
 ここからはいつものように町田に向かい、しかし来はしたものの特に目的も無く(ダメ)、ダイソーで安い食材などを買っただけだった。
 帰路は境川沿いにずっと下り、湘南台に立ち寄ってもうすぐ切らしそうなアミノヴァイタル素人(爆)の大箱を買う。アミノヴァイタルプロは、なんだかえぐ味があって、飲みにくいのだ。
 さらにダイクマに立ちより、安いワインを買って帰った。なんか、安い一日だった。

2002年11月23日(土曜日)

東京サイクルショーを見に、東京まで自走した日

00時00分 自転車 天気:寒い曇りで、しまいにゃ雨が

・東京まで走る
 昨日、ガネーシュで、たか氏と『東京サイクルショーの会場まで自走しよう』と言う話をした。さらに、こぐ氏、にち氏もこの話に乗って来たのだが、今朝方にかけてばたばたと予定が変わり、結局僕と、たか氏で有楽町まで走り、そこでhai氏と合流するという話が決まった。
 8:00に西谷で落ち合うという予定だったので、7:15頃に家を出た。今日は走行距離を考慮して、TCR-2での出撃だ。ロードバイクの走行感が素晴らしい。
 昨日も通ったコースで緑園通りに出て、二俣川近辺で相鉄の線路を越え、鶴ヶ峰経由で西谷に着いた。30分強で走ったので、結構汗をかいた。
 たか氏が8:10頃に到着したので、その先導でR16を走り始めた。
 少し走ったところで、今度は市道環状2号に入る。少々アップダウンがある道を、まあ25km程度で走りつづけた。道幅は広く、走りやすい道だ。走っても楽しくは無いが。
 たか氏はBD-1で来ていたので、引き離される恐れもなく、快調に走り続ける。日差しも全く無く、寒い日なのだが、走っている間は全然問題がない。
 川崎近辺でR15に乗り、さらに走り続ける。負荷が低いせいか、ハンガーノックになる気配もない。川崎までだいたい2時間で着くと分かったのは収穫だった。
 鎌田、品川と抜け、やがて銀座に入った。ここで迷子になりかけるも、地図を参照して免れる。
 間もなく、有楽町に到着。hai氏と落ち合い、ビッグサイトへと向かった。途中、豊洲のコンビニでおやつ休憩。僕はビッグサイトで昼食にありつけるかどうか分からなかったので、とりあえず焼きうどんなどを腹に入れておいた。
 やがて、11:00過ぎにビッグサイトに到着した。ここまで3時間。意外に早く着いた。が、走って楽しいという道でもなかったな。
・東京国際サイクルショー
 受付に手間取り、入場できたのは11:15頃。11:30から始まるリカンベントMLトークショー(やや違う)になんとか間に合った。イベント会場はホールのど真ん中で、既に見たような顔がぞろぞろと揃っていた。意外だったのが、どう見ても無関係者としか思えない一般人風の人々も、結構詰め掛けていたことだ。
 トークショーの内容は、リカンベントに関してあまり突っ込んだ話は聞けなかったが、話し手のおの、まき、片岡各氏が楽しそうに話していたので、好印象ではあった。残念なのは、ステージ上のリカンベントに試乗したコンパにゃーがミニスカじゃなかった点だ(爆)。サイクルショー運営側には猛省を促したい(マジかよ)。
 トークショーが無事に終わり、その後は会場を見回りたいところだ。しかし、なんでもリカンベントMLで出している試乗会ブースに配布された昼食が余りそうだとかで、ただ飯をせしめに我々単なる顔見知り組も、おの氏らに連れられて会場内を右往左往した。正確な場所を誰も把握してなかったのだ......。
 見事にただ飯をせしめ、我々は寒風吹きすさぶ屋外で、昼食タイムに突入した。飲み物も着く。寒いが、タダなので文句は言えない。しかも、弁当の内容も、結構良いものだった。仕出屋に一括大量発注したものだと推測される。
 飯後、試乗コーナーでお目当ての試乗車に乗ってみた。まずは、会場で落ち合ったにち氏と、タンデム版バーディ、Birdy Biに乗ってみた。吾輩はストーカー側である。正直、まっすぐ走るのも怖い自転車だった。ましてや、狭い試乗コーナーでは。しかし、乗るのが妙に楽しく、結局は2周ほどしてしまった。
 次に乗ったのが、ルイガノの小径車MV-3。フルサス、20インチの細いタイヤを履いた、走行性能では期待できそうな自転車だ。乗ってみると、700Cで走って来た感覚が残っているのか、ハンドリングの物凄いクイックさに閉口した。が、走行感そのものは軽い。乗り心地もよい。1時間ほど走ってみたい気分だった。
 その他、特にめぼしいものは無かったので、試乗スペースの隣に設けられたリカンベントMLの試乗会場に乗り込んだ(ほんの数歩だが)。飯を食う前に、軽く顔を出していたのだが、その後にまた自転車が増えている。リカンベントもそうだが、かつて荒川一派(バッテン荒川ではない)を騒がせた水陸両用リカンベントの横に、巨大なホイールを持つオーディナリ自転車が停まっていた。そして持ち主のフィリップ氏も。
 オーディナリを指差して、初めて新幹線を見た子供のようにスゲェ、などと騒いでいたら、おもむろにフィリップ氏自身によるデモ走行が始まった。さすがに危険なので、試乗は無いようだ。36インチの車輪の上に座るので、こけると大変だ。
 フィリップ氏は、服装も乗馬服に乗馬帽と決まっている。それで、試乗会場の近くを、スイーッと走ってみせるのだ。その時ばかりは、場内の注目を一身に浴びていた。最新鋭のリカンベントが走り回る側を、悠然とオーディナリ車が走る様は、自転車という趣味の奥深さを実感させるものがあった。
 その後、会場内を一通り(でもないが)回ってみた。
 シマノはSPD-SLと、新XTRを前面に打ち出していた。待ち行列があってSPD-SLは試せなかったが、ステップ感は非常に軽快で、かつかっちりしているような雰囲気だった。
 新XTRは、試乗車にまたがって操作感を試してみた。レバーを下げる操作はともかく、上げる操作はやりにくそうだと思った。が、シマノの説明員にいわせれば、手首で返すようにすればすぐ慣れるとの事。しかし、それならば、グリップシフトとどう違うという話になりそうだ。レバーが手首の動きと同期して上下するので、違和感は少ないかもしれない。
 新色の105を見たかったので、説明員に聞いてみたのだが、色が変わった程度ということで展示はされてなかった。その色を見たかったのだが。
 ジャイアントブース。TCR-Compositを見る。フルカーボンの軽量フレームだ。TCR-2のフレームをこれに替えれば、スケルトンが代わることなく軽量化、高衝撃吸収性化が果たせる。しかし、高いなあ(カーボンにしては安いが)。カンパのレコードで組んだONCEレプリカは、我がTCR-2がデブに思えるくらいに軽い。実売で50万を越えるが。
 このブースの奥の方に、見慣れぬ試作フレームがあった。MR-4のように中折れするのだが、フロントホイールに片持ちサス(キャノンデールのような)が着いていて、リア側がやや斜めに畳まれるため、左右のホイールを揃えて畳めるというものだ。履いているタイヤは20*1.5のやや太いもので、性格的にはHalfWayとMR-4の中間的なものに思えた。各部とも華奢なMR-4に比べて強化されており、ある程度(林道程度)のオフロードも走破できる、という性格付けに思えた。
 スペシャライズドのブースでは、やはりブレインショックが前面に押し出されている。おなじみの御子柴氏も、忙しそうに接客している。なかなか解放されないので、声をかける機会を失った。そういえば、大島の参加者とも、何度か再会したのだ。
 そのうち、いつの間にか登場した竹谷選手によるデモが始まった。みな、ブレインショックの威力を思い知ったことであろう。ガハハハ(なぜオマエが勝ち誇る?)
 そしてサイン会を経て、スペシャライズドのブースを去った。
 最後にミズタニのブースに寄ってみた。ここではCapreoを採用したBD-1が前面に押し出されている。今までの、大径チェーンホイールを着けたBD-1に比べ、印象がかなり和らいでいる。しかし、部品を交換して楽しむという点では、やや心許ない。
 ブースの外側に、面白い自転車が展示されているのに気づいた。BD-1を14インチ化して、シングルにしたような性格のFrogだ。畳まれた状態のものもあったが、恐ろしく小さくなる。それを前にあーだこーだ言っていると、ミズタニの社長とともに、背の高い欧州人が登場した。この人が、バーディの設計者の一人、ミューラー氏だ。ミーハーな諸氏はミズタニのカタログにサインをもらっていたようだ。僕は、帰りの荷物が増えるのがいやだし、もらってもすぐに部屋のどこかに埋もれさせるだけなので、それは遠慮した。
・帰りは輪行で
 さてさて、もう15:00を過ぎたので、帰ろうという事になった。来た道を戻り始める。しかし、まだR15にも差し掛かってない地点で、なんと雨が降り始めた。それも、かなり大粒のものだ。これは、自走は不可能と判断し、浜松町駅から輪行で帰ることになった。
 ロードバイクの輪行は二度目だが、MTBで慣れたこと、道具が揃っていたことなどから、意外にあっさりと準備完了した。
 浜松町から京浜東北線で横浜に戻り、ここでたか氏と別れ、自走するつもりで外に出た。
 また降ってるやんけ。
 打ちのめされた僕は、地下鉄で立場に戻り、ここからぱらつく雨の中、アパートに自走した。なんとか、ひどく濡れないで済んだが、やや欲求不満気味だ。
 アパートから東京まで、走行距離で60km程度だったろうか。頑張れば、2時間弱で行けそうだ。でも、そうやって頑張っても、あんまり楽しい道ではないんだな。

2002年11月22日(金曜日)

秋だカレーだガネーシュだ

00時00分 天気:ええのか?

 うちの会社は、なぜか今日から三連休だ。金曜日の今日は、カレンダー上は平日なので、観光地も空いているだろう。だから、早く起きて、ロードバイクで三浦半島をぐるっと回ってこようと考えていたのだが......。
 朝、ふと目覚める。時計代わりの携帯電話を見ると、なんと9:00を過ぎているではないか。携帯のド派手なアラームを前に、目覚めないなんてありえないから、寝ぼけながらフリップを開き、アラームを停めたのだろう。なんと器用な俺様。操作しやすいのも考えものだ。
 なんて考えているうちに、ふと意識が遠のいた。ガバッと飛び起きると、今度は時刻が12:00過ぎにタイムスリップしている。超常現象だ!(二度寝、いや三度寝しただけだと思うがね)。
 これでは三浦半島なんて冗談にもならない。なにせ、今日の夕方から、ガネーシュでウハウハ第二弾があるのだ。
 それでも、ちょっと横浜まで出かけようかな、境川を下って海を見てくるかな、などとうだうだ考えていたが、予想通りどこにも出かけず、そろそろ緑園都市に向かわなければならない時間が来た。
 時刻は夜。電池式だともったいないので、ハブダイナモ式ライトを使えるBikeEで出かけることにした。もう一式、26インチ用があるが、こちらで使うと少し暗い。しかしフロント側16インチに適用すると、回転数の関係でかなり明るく使うことが出来る。
 真っ暗な道を、国際親善病院の方に向けて走った。そして前に通った平坦な道(ただし緑園通りへは激坂を登る破目になるが)を走り、18:45くらいに緑園都市駅に到着した。既にhai氏、かぜ氏が待っていた。
 雑談しながら待っていると、@nak(あ)氏、@nak(た)女史らがパラパラとやってきた。残りのメンバーは遅れそうだ。しかし、わざわざ千葉からやってくるふじか氏が、なかなか現れない。やきもきしていたが、そろそろ移動しようという話していたところに、無事到着した。時間は19:00を過ぎていたので、ガネーシュに移動する。
 かぜ氏が予約を入れておいたため、すんなり席に着く。まずは飲み物ということだったので、やはりこれでしょう、ビール。頼んだのはギネスだが、泡が非常にクリーミーで、後味にほのかな甘味が残るものだった。市販のギネスとは微妙に違う気がした。
 さて、今日はカレー特集ということで、まずはレモン果汁をまぶしたライスと、かにのカレーが登場する。このカレー、かにを一匹つぶしてカレーに煮込み、それとは別にゆでたカニをあしらったもの。まだ来てないこぐ氏が泣いて喜びそう。
 と、この辺で、にち氏、たか氏が相次いで到着。なんとかカニに間に合う。
 カニに続き、マトン(?)のカレー、揚げジャガイモのカレー、卵カレーが出される。それぞれ、辛さに差があり、香辛料の馥郁たる香りと、食材の旨味とが絶妙にマッチしている。卵カレーなど、辛目のカレーと甘い卵が絶妙にマッチしていて、人気が高かった。この辺でこぐ氏も到着。心やさしいみんなは、こぐ氏たちのためにコースを一式分残してあったのだ。誰も食いっぱぐれのない夕食会。スバラシイ。
 ライスの他、ナンも登場した。このナン、蜂蜜がかかっていて、カレーを載せてよし、そのまま食べてよしで、ほのかな甘味がたまらないうまさだった。これだけでもお代わりいけただろう(というかお代わりが数度あった模様)。
 デザートにチャイのアイスが出て、最後はインディアン・カフィー(たか氏はチャイを所望)で締め。いやあ、なんか、自転車乗るようになって、豪華な食事会に望むことが多くなったなあ。
 9:00頃、それぞれに家路についた。僕はBikeEを駆って家まで坂道を上り下りする。やっぱり、もっと軽いギアが欲しいな。

2002年11月21日(木曜日)

低調なり

00時00分 暮らし 天気:いいのか?

 どうも体調が低空飛行を続けておる。外気温の低下に体がなじみきってないのか、まるで冬の水田から発掘されたかえるのように、ノロノロと足掻くばかり。睡眠時間は短くなっていないはずなのだが、どうやら新陳代謝が正直に低下している模様。やはり、冬でもトレーニングで体を刺激しておかねばならないのだろうか。
 ごく近所に、公営のスポーツセンターがある。自転車に乗っていて痛感するのが(そりゃあ、まあ、ありとあらゆる身体的能力が不足しているのは確かだが)上半身のパワー不足と、持久力の無さだ。これをなんとかしたい。持久力はLSD(クスリの方じゃない)や自転車以外の滑走系スポーツで鍛えられそうだが、上半身を鍛えるにはトレーニングマシンを使うのが効率よさそうだ。一度、偵察にいってみようと思う。
 っつうか、まずは腕立て伏せと腹筋から始めるのが楽か?

2002年11月20日(水曜日)

超眠い日

00時00分 暮らし 天気:快晴

 なぜか超眠い一日。前日は6時間程度寝たんだが、それ以外の要因で体が眠りを欲しているようだ。体の調子が崩れかけている。
 会議中も必死に眠りをこらえる。どういうわけか、こういう日に限って会議が連続するのである。ワシャたまらんよ。
 帰宅して飯を食うなり、睡魔が襲ってきた(読み上げソフトを使っている方に注:水泳者に襲撃されたという意味ではありません)。バタンキューで布団に突撃だ。今夜は久しぶりにナイトランに出て、星も見ようと思ったんだが。無駄に短い日だった。

2002年11月19日(火曜日)

まだまだ悩むぜMR-4F前3枚化(まだ悩んどったのか)

00時00分 自転車 天気:くもりですかね

 未だにすっきり決まらないMR-4Fフロントトリプル化。今日も今日とて試行錯誤してみた。
 今、FD-443-F(フラットバー対応フロントトリプル対応FD直付けタイプああ長い)を取り付けているのだが、よく思い出してみるとULTEGRAのFD(フラットバー未対応)をつけていた時と、引きがあんまり変わってないような気がした。そこで、一度FDを取り外し、工具箱に入っていたULTEGRAのFDを着けてみた。ふむ、やはり引きは変わらないくらい重い。いや、多少重いくらいか。だが、FD-443でも軽く引けるという感じではない......。しかし、ミドルギアのときに、どうしてもチェーンとの接触が起こる。しかも、トップ側でもロー側でも。よく見ると、さらに前に着けていたTIAGRAなフロントダブルFDを、ULTEGRAのFDと間違えていたことが判明。トリプル対応は、チェーンガイドに段が着いているのだ。しかし、こいつでもアウター、インナーそれぞれ使用可能だったぞ。
 ULTEGRAのFDを取り付ける。フラットバー対応との差は、チェーンガイドを繰り出すピボッドから、ワイヤをクランプする部分までの長さが短い点にある。フラットバー用の変速レバーは、一回の操作での移動量が大きい代わり、小さなトルクしか出せない(レバーが短く、しかし首振り量は大きいので)。そこでFD側のクランプ位置を長く取り、引きは軽く、ワイヤ移動長は長くなっているわけだ。実際、STI用のULTEGRAに替えてみると、シフトレバーのインジケータ上、ミドルまでの半分の位置でまずクリックがあり、ここでFD自体はミドルにシフトできる。さらにもう一回操作すると、本来のミドルギアの位置で、アウターまでシフトできるのだ。この場合、引きは重くならない。しかし、FDと、シフトワイヤのテンションの調整幅を目いっぱい使って調整すると、なんとかインジケータ表示と実際のギア位置を一致させることが出来る。だがこの場合、引きは非常に重くなり、特にミドルからアウターへの変速は、走行中にはとても操作できないくらいに重くなるのだ。ではインジケータ不一致を忍んだ場合、それで万万歳かというと、今度はアウターからシフトダウンすると、一気にインナーまで落ちてしまうのだ。一応、フラットバー未対応コンポでも緊急用に使えるような考慮はされているようだ。が、やはり不具合がある。
 一通り試してみて、やはりフラットバー対応のものを着けておこうと思い直し、FD-443-Fに戻した。これを再度取り付ける過程で気づいたことがある。インナーギアの調節ボルトを目一杯締めると、引きが物凄く重くなるということだ。このボルトの締め込みが、どうもシフトワイヤの引きに関係しているようなのだ。前はかなり締めた状態で取り付けていた。というのも、MR-4のボディにFD-443-Fを取り付ける場合、シートチューブと干渉してしまい、かなり無理な状態でしか取り付けできないからだ。それを解消しようとFDを少し後ろにずらすと、今度はワイヤをクランプする部分が、シートステーと干渉してしまう。いうまでもなく、フラットバー対応FDでは、この部分が長くなっているからだ。ふつうの、フラットバー未対応のコンポでは、なんら問題にならないのだろう。
 ちょっと疲れてしまった。どうも、MR-4Fをそのままフロントトリプル化すると、少々無理が出てしまうようだ。
 ここはやはり、ドロップバー化に踏み切るべきだろうか。STI対応のFDなら、シートステーとの干渉は起こらない。また、インジケータ(STIにはインジケータは無いが、本来のインデックス)との不一致が起こらないはずだ。
 MR-4Fのヘッド部は、22.2mm(ノーマルサイズ)のノーマルステムが着く。それごと換えてしまえば、ハンドルも自由に選べるわけだ。
 フラットバーで楽に乗るという用途にはBD-1があるわけだから、棲み分け上もこれが望ましい策ではあるのだが。
 まあ、金も無いし、もう少し考えてみようと思う。

2002年11月18日(月曜日)

大島の残務整理

00時00分 自転車 天気:晴れ

 昼前に目覚めた。空は恨めしいほどの快晴。しかし、今日は遠出するつもりはない。
 EPIC号を玄関から出し、分解して出来るだけ清掃した。覚悟はしていたが、やはり傷だらけになっている。特に、フロントサスのアーチ部は、無数の引っかき傷でざらざらだ。チェーンステーの付け根も凄いことになっている。その他、ボトムチューブ下面など、跳ねた石が当たって傷ついている。まあ、これはやむをえないか。
 出来るだけ汚れを落とし(割と楽だった)、ホイールセットをスリックを履かせたものに戻しておいた。これで一月くらいは、シングルトラックはいいかなと思う。

2002年11月17日(日曜日)

この期に及んでお好みハウスですか?

23時55分 天気:相変わらずくもりだが

 横浜港で他のメンバーと別れる。にち氏とは、あらかじめお好みハウスで締めようと話が決まっていたので、僕は自走、にち氏は鉄道で向かうことにした。他にすずきなおし氏、hai氏も参加することになっていた。
 途中、ハンズに寄って、いくつかの小物を買ってから、お好みハウスに入った。既ににち氏、hai氏は始めている。後にすずきなおし氏も加わった。大島でかなりアルコールを注入したこともあり、ここではレモンサワーだけで打ち止め。後はひたすら食うだけだった。
 自走で帰る吾輩、すずきなおし氏、徒歩で帰れるにち氏は何時までもOKだったが、hai氏はそうも行かないため、23:00に締めとなった。明日は平日だし。もっとも、僕は年休を取ったが。
 横浜駅までhai氏、にち氏を見送り、すずきなおし氏とともに引き返し、平沼橋を越える。そして1号線を突っ走り、戸塚、そして我が家へと戻った。車が少ないため、存外に走りやすいものだった。
 帰宅して、風呂に入ってから寝た。今回も、充実したツアーだった。

伊豆大島ツアー三日目

19時00分 自転車 天気:相変わらずくもりだが

・シングルトラックをのんびり
 朝、6:45に起床する予定だった。いつもなら携帯電話のアラーム(一発で目がさめる)を使うところだが、なんと昨日の時点で電池切れになってしまったので、やむなくPalmのアラームを使う。いまいち音が小さいので懸念していたのだが、案の定、7:00過ぎになってようやく目がさめた。携帯電話の電池、もうへたってきたのか?
 慌てて大広間に向かい、朝食に間に合わせた。
 みんな宴会続きで(ほとんど宴会の合間に走っている)疲れているのか、あまり声が出てない。丹羽氏が今日の予定を説明する。朝食後、海沿いのシングルトラックを走るのだ。その際、うまい人、それなりの人、初めての人と、三つにグループ分けしたいという。僕はシングルトラックは2回目だが、前回とはバイクが違うので、躊躇無く初心者コースを選択。他ににち氏、71歳のご老人、女性二人、そして普段はロードに乗っているというMTB初心者の男性(昨日怪我をしているのもあるんだろう)がグループを作った。引率は和田ハジメ氏と、山アドスタッフ二人。
 それぞれのグループに(だいたい)分かれ、昨日登った道を途中まで行く。途中で海沿いの遊歩道へ下る道に折れ、記念碑の前で全グループ集まっての記念撮影となった。その後、各グループに分かれ、散歩道に侵入して行く。
 散歩道は、大半がダブルトラック、一部シングルトラック程度の道幅で、海沿いにアップダウンしながら続いている。轍が刻まれ、大小の岩がゴロゴロしているものの、難敵である木の根はほとんどない。段差に阻まれたり、轍にはまって立ち往生したりすることはあるものの、概ね乗って行ける道だ。10/26のコースよりは、難易度は思い切り低い。それと、バイクが違うのも影響しているのだろう。サイズが合っているので、重心移動がやりやすいし、ブレインショックの威力で、上りのペダリングも、下りも非常にやりやすい。なんか、10回くらい挑んだら、かなり上達できそうな手応えだ。
 シングルトラックの終点は、大島公園に続くトンネル(後でBコースの参加者に聞くと、この長いトンネルを抜けて公園に入ったところで折り返したそうだ)の手前、丸石が敷き詰められたような海岸だった。そこで一休み。折り返してきた他グループを見送った後、我々も帰途に着いた。
 その途中、Bグループの激坂チャレンジに遭遇。僕もチャレンジしたが、スタッフのアシストでやっと上がれる状態だった。しかし、頭で「体重を前に」と分かっていても、体は着いて行ってないことが良く分かった。
・さらば伊豆大島
 宿に戻り、風呂で汗を流した後は、庭でバーベキューパーティだ。まずは厨房で中ジョッキをせしめて、外に出てバーベキューに加わる。様々な海鮮、定番の肉、野菜、焼きそばがうまそう。丹羽氏が漬け込んでいた牛、豚が大人気。焼く側から売れて行く。
 今日は気温が低いので、火の側はありがたい。南会津でもご一緒した菅原氏が、小手を手に肉を捌いている。意外な妙技は、さすが関西の生まれ。「帰るときの方が、体重は増えている」と聞いていたが、このパーティで完全に駄目押しされたようなもんだ。
 パーティの後は、マイクロバスに分乗して、港まで移動する。しばしの待ち時間の後、各自の自転車を積み、再び船上の人となった。出港時間がきて、みるみるうちに港が遠くなって行く。この期に及んで空が晴れ始めたのが憎い。しかし、次回はきっと晴れ渡った空の下で、スーパーダウンヒルができるだろう。
 帰りは2等船室で、ほとんど寝て過ごした。気が付くと、デッキでの宴(まだやっとるのか)に加わっていたはずのにち氏も、隣で寝転がっている。船酔いしたとか。
 僕は船酔いも無く、気が付くと横浜港は間近。デッキで下船準備をして、お世話になった人たちに別れを告げ、船を下りる。振り返ると、僕らを運んだ船が、次第に遠ざかって行く。船上に見える東京行き組に手を振って、見えなくなるまで見送った。

2002年11月16日(土曜日)

伊豆大島ツアー二日目

00時00分 自転車 天気:鉛色

・大島上陸
 夜中、暑苦しさに何度か目覚めた。暖房が効いてて、しかも密閉された空間なので、風が全く通らない。おかげで、やや寝苦しい思いをした。しかし、にち氏は快眠だったという。僕もそれ以外は快眠だった。何度か船の揺れを感じたことがあったが、別段眠りを妨げるほどではない。
 荷物をまとめ、デッキに出た。まだ真っ暗だ。しかし、薄明かりの中に、大島の島影がすっくと立って見える。徐々に港の岸壁が近づいてきた。
 船は静静と接岸する。次々に自転車を下ろし、伊豆大島に降り立った。朝の冷たい空気が心地よい。空は鉛色だが、ところどころ明るい部分もあり、なんとかもってくれるのではないかと思えた。
 にち氏を含むレンタルバイク組は、マイクロバスで宿に向かう。マイバイク組は、それぞれ乗車して宿に向かう。しかし、この宿が結構な高台にあるのだ。いきなり、朝飯前の運動である。
 宿は民宿的な造りで、僕とにち氏は同室希望したため、二人だけで一室を与えられた。
 荷物を部屋に置いたら、大広間で朝飯だ。卵に魚に納豆(食えません)にご飯、付け合せと、ごく当たり前なニッポンの朝食である。ところが、この朝食がうまいのなんの。なぜだかなぜか、ご飯が無性に美味しいのである。幸せな気持ちで食べていたら、南会津参加組のみなさんから『幸せそう』といわれた。
・いざ、火星へ
 食事の後は、各自着替えや入浴を済ませて、9:00に宿の前に集合した。いよいよ、伊豆大島裏砂漠(通称火星)ツーリングが始まる。メインイベントだ。
 とにかく突っ走る快走組(そんなに飛ばさないといってたが、どうだか)、まったり組、バスで砂漠入り口まで組に別れた。僕とにち氏はまったり組である。にち氏のレンタルバイクは、最近のRockHopper FSRだと思えた。結構いい自転車。EPIC号と同級グレードだ。400m弱の上りなので、あんまり苦労することも無くするすると登ってゆく。
 裏砂漠の入り口までは、大島一週道路という舗装道路を走ってゆく。とても状態のいい道で、その上、一般の車両がほとんどいないという好条件だったので、この上り自身も楽しめた。しかし、この道、なんのために造ったんだろう。僕らのため?(爆)
 今回ツアー参加者中、最高齢は71歳の御老人だ。なんでも、パラグライダーを楽しんでいたのだが、家族にもっと安全なスポーツをといわれ、MTBを始めたのだそうな。
 高所にある橋やトンネルを気持ちよく抜け、多少のダウンと多大なアップをこなして行くと、やがて砂漠入り口に到着した。ここで記念撮影。にち氏に撮ってもらった。
・火星の極冠に
 砂漠のこの辺は、まだまだ草木が多く、火山灰の露出が少ない。この火山灰が曲者だ。表面は風雨にさらされ、やや硬く締まっているのだが、その下にはさらさらと柔らかい火山灰が顔をのぞかせる。自転車で走り抜けるには、この表層を割らないように、少々テクを用いながら上ってゆかねばならないのだ。平地ならまだしも、でこぼこした上りだから、余計に気を遣う。一部のベテランメンバーを除き、かなりの参加者が押し主体で上っていった。
 三原山の火口に近づくにつれ、草木が少なくなってゆく。荒涼とした火山灰の露出が増え、次第に風景が火星らしくなってゆく。『火星』などといい始めたのは丹羽氏だが、この光景を見て、深く納得した。確かに、これは火星っぽい。
 丘をいくつも越えて行く。だんだん砂地が締まり、なんとか乗車して行ける距離が伸びていった。コツをつかんだのもあるのだろう。最後の方は、ほとんど乗車したまま、丘を登ってゆけた。表層が砕け、火山灰に足を取られても、辛抱して乗り越えて行くと、また締まった砂地に乗り上げることが出来るのだ。
 次第に霧が広がってくる中、最後の丘を越えると、低い尾根に囲まれた、今までに無く荒涼とした場所に出た。たぶん、ここは三原山のカルデラだろう。一木一草生えてない、なんて事は無いが、ほとんど生命の形跡が見られない場所だ。その辺にマース・ランダーが着陸して、探査肢を伸ばしていてもおかしくはない。そんな雰囲気。
 ここでランチ。宿のマイクロバスが追いついてきて、スタッフお手製のサンドイッチと、暖かいお茶、お湯が配布された。サンドイッチの主役は、なんといっても丹羽氏お手製のベーコンだ。肉の香りのする、ちゃんとしたベーコンは、南会津の木林森以来だ。
 しかし寒い......霧が濃くなり、風が強まってきた。こんな中で口にする暖かい飲み物は、本当にありがたい。その辺で売ってる、顆粒状のコンソメを溶かしただけのコンソメスープも用意された。なんというか、コンソメスープがこんなに美味しくて良いのかといいたくなるくらい、この状況ではありがたかった。体が冷える。南会津組は四人揃って風上に座り込んでいたのだが、僕は居ても立ってもいられず、バスの陰に避難した。バスの中は、いつの間にか満員になっている。
 後で聞くと、この日は、ここ数日のうちでは風が弱い方だったらしい。丹羽氏いわく、木、金と風が強すぎて、ダウンヒルは不可能だと思ったくらいだったらしい。ある意味、やまアドは天気に強い。
 上っている途中は暑くて汗をかくくらいだったのだが、この風ですっかり冷えてしまった。この冷気、まるで火星の極冠地帯という感じだ。
 風見鶏のようにバスの陰に回りこみながら、風をやり過ごした。
・スーパー・ダウンヒル
 ランチの後は、いよいよ火星ツアーのメインイベント、砂漠へのダウンヒルだ。それぞれのバイクを押して、最後の丘を越えた。越えた先は、外輪山の割れ目。裾野への視界が広がる、はずだが、霧のためにままならない。
 のぞき込んでみると、半端じゃない傾斜で、急激に落ち込んで行く崖だった。その向こうは、やや緩やかになりながら、遥か下方の霧の中に消えてゆく。おぼろげに見える下界の情景からは、まるで距離感がつかめない。逆に上るのは不可能だろうと思われる。ここを駆け下りるというのだ。
 和田氏のレクチャーを受け、ここから引き返す組(傾斜緩)、ダウンヒル組に分かれる。僕は弱気になりかかっていたが、にち氏に「竹本さんは行かないの?」と問われ、決心がついた。やろう。せっかくいいバイクに乗ってるんだし、ここまで来たのにやらないなんて手はない。引き返す組を選択したにち氏と別れ、ダウンヒル組に加わって、さらに傾斜を上っていった。ダウンヒルの開始地点は、さらに上だと......。
 突入地点に到達し、下界を見下ろす。霧で向こうの方が見えず、視界300m程度という感じ。しかし終点は何kmも先だ。とにかく、ブレーキを掛けすぎないで、気合で走れとの助言があったが、この傾斜は恐怖だ。
 それぞれ、十分な距離を開けて、駆け下りて行く。何人かこけた模様だが、霧の向こうで何が起こっているかは分からない。気を張り詰めて、気合を込め、行け、ダウンヒル開始だ。
 突入口から下り始めてすぐ、フロントが左に傾ぐ傾向を抑えきれなくなった。あれーっ、と思う間もなく、コテンとこけかかった。が、なんとかこらえる。場所は突入口から50mも無い地点。しかし再発進が難しい。砂がフカフカなのだ。周りを見渡すと、5m横にちょっとしたピークがあり、そこからなら水平に発進できそうだった。そこまで移動し、やや横向きに再発進、GO! なんとかフロントとリアを抑えつつ、さっきより快調に走り出せた。が、すぐに左向きの力が生じる。その時、いつもの癖で、左ペダルに深く足を掛けているのに気づいた。これ、僕がダウンヒルする時の癖なのだ。このため、左に重心が移り、左にハンドルを取られそうになっていたのだ。とっさにペダルを水平に戻すと、後は安定して下れた。
 しかし、進路には様々なものがある。特に、先行車の残した轍は、まともに突っ込むとハンドルを取られそうになる。これもこらえる。
 次第に傾斜は緩やかになり、スピード感を楽しむ余裕もうまれてきた。下っている時間は2分程度だったろうか。まるで砂地の上を滑空して行くような感覚があった。やがて、ほぼ平坦な場所に、車が通って出来た踏み跡が見え、そこがこのダウンヒルのゴールだった。ブレーキを深く掛け、文字通り滑り込んだ。振り返ると、今降りてきたのが信じられないような傾斜が、霧の中をずっと上まで上っていた。そしてそこから後続車が次々に降りてくる。
 面白かった、というより、快感だった。こんな体験は、日常では全くありえないことだ。また、いや何度でもやりたい気分だ。
・地球へ
 全員が無事にダウンヒルをこなし、その余韻をかみ締めながら、引き返し組との合流点に移動した。ここでマイクロバスで追いついてきた宿のご主人から、「その辺を一周してみれば」といわれ、適当に踏み跡をたどって走っていった。途中、丘の上から見下ろせる別の踏み跡に、合流を急ぐ引き返し組を発見。丘から駆け下りて、それに追いついた。参加者の一人がこけて両足をすりむいたとかで、応急手当を受けている。にち氏は「こっちも面白かった」といった。こっちは適度なダウンヒルが、ずっと続いているらしい。
 合流して、舗装道路まで緩傾斜を下っていった。このダウンヒルは、和田氏いわく『一番好き』だそうな。確かに面白い。快調に、30km/hくらいで走っていった。
 やがて、舗装道路に合流。まさに地球に帰還した気分だ。
 この舗装道路を少し下ると、砂漠への突入地点だった。なるほど、こういうルートを通ったのか。
 宿への帰路は、行きとはちょっと違う道を行った。どうやら台風などで寸断されたまま、放置されている道らしい。自動車は通行禁止、だが自転車は問題無い。海際の気持ちいい道を走り、やがてかなりの上り坂を経て、行きのルートに合流した。
・温泉でウハウハ
 一度宿に戻り、希望者は温泉までマイクロバスが出るということになった。着替えを手に、バスに乗り込んだ。
 温泉は露天風呂と、スパウザ風(ところでスパウザってどういう意味?)の大規模公衆浴場とに別れている。先に露天風呂に入ってみた。ここは水着必須だ。宮本氏は肩ひも付きレーシングタイツを着たまま入ったので、やたら怪しい雰囲気になった。
 この露天風呂、水温は高めなのですぐにのぼせそうになるのだが、外に出ると風ですぐに冷えるので、体を斑無く温めるのに苦労した。
 お次は屋内の浴場。それぞれ別料金だ。ここではふつうに風呂に入り、ふつうに体を洗う。そして出た。ただの温泉だなあ。しかし、体を洗えてよかった。さっぱり。
 その後は、休息室で、戻る時間まで待ったりと和む。ビールを頼む人が多かったが、そんな気分じゃなかったので、缶コーヒーを飲んだ。異様にうまい。体がコーヒーを欲していたのか。
・宴会でさらにウハウハ
 18:30からは大広間で夕食。やはり魚介類主体の献立だったが、明日葉のてんぷらというのが、揚げたてで非常に美味しい。オプションのイセエビの刺身も、身がぷりぷりして非常に美味だ。食が進む。
 一通り食べ終わったら、懇談という名の宴会が始まる。生ビールを宿の御主人に注いでいただくのだが、泡がほとんど無い、冷凍庫で凍らせたジョッキで飲むそれは、ほとんど反則すれすれのうまさだった。
 バカ話で盛り上がる。最初、南会津組で盛り上がっていたのだが、ちょっと座がばらけているうちに御子柴氏が参入、さらに宮本氏が呼び寄せられ、だんだん訳のわからない状況になってきた。にち氏は御子柴氏の連続おやぢギャグ攻撃に理性が飽和したらしく、エヘエヘと笑いっぱなしである。なにか、凶悪な脳内アヘンでも分泌されているようだ。
 宮本氏が始めたのが「なにか手に持って人に食べさせるとドキドキする」ゲーム。なんじゃそれは? 要するに何か(もちろん食えるもの)を手に持って、人にそれを食べさせるとドキドキする、って全然説明になってない。だがしかし、まさにそのままなゲーム(???)なのである。なんじゃそれはと思っていた僕だが、実際にやってみると本当にドキドキする!(核爆) なんというか、人の呼気が指にかかり、食い物を引っ張られる感覚が、妙にドキドキするのである。釣り師感覚というか。こんなバカすぎるネタで、やたら盛り上がるのである。終いには和田氏までやってきてSPECIALIZED勢が勢ぞろいしてしまった。
 僕もバカ話に加わっていたが、23:00頃に眠くなってきたので、自室に戻って爆睡した。やたら充実した一日だった。

2002年11月15日(金曜日)

伊豆大島(火星)ツアーへ

00時00分 自転車 天気:薄雲かかる晴天

 会社を15:00前にフレックスで退け、大急ぎで帰宅した。今日から三日間、伊豆大島へのツアーに参加するのだ。このツアー、
やまみちアドベンチャー
の主催するツアーで、走って消費する以上のカロリー摂取が売り(そうだったのか)。たか氏の紹介でやまみちアドベンチャーを知って以来、参加しようか悩んでいたのだが、南会津ツアーの印象があまりに素晴らしかったので、ぜひ参加しようと考えた。
 10/26にシングルトラックに初挑戦して、明らかにサイズが合わないHARDROCK号ではダメだと見切りをつけ、話題作EPIC号を購入。これで参加することにした。
 18:30まで風呂に入ったり食事したりしながら準備をして、19:00頃の地下鉄に間に合うように家を出た。
 地下鉄で戸塚へ、戸塚から東海道線で品川へ、品川から山手線で浜松町に向かった。浜松町駅の近くでEPIC号を組み立て、後はしばらく南下するだけだ。
 その前に、船に乗ってからの酒盛りのためにビールと、軽食を買っておこうと思った。途中で見かけたコンビニでなんぞや買おうと自転車を停めた途端、声を掛けられた。なんと、同じツアーに参加するにち氏だった。家を出る寸前に水上バスで行く旨伝えられていたのだが、結局は僕と同じく浜松町駅経由で来たんだとか。自転車組み立ての時間を考えると、どうも同じ便で来ていたようだ。
 コンビニでお好み焼きとつまみ(ラヂオのではない)を買い、隣の酒屋で缶ビールを買っておいた。
 竹芝桟橋の建屋に着くと、交番の近くに設けられた受付が目に入った。早速、受付を済ませておいた。
 周りを見渡す。参加者が三々五々集まってきている。他にも釣り客や、このツアーではない自転車乗りが輪行袋を抱えて待っている。
 待っている間、にち氏をEPIC号に乗せて、営業活動(爆)に勤しむ。他の参加者の方からも声を掛けられた。EPIC号は、やはり注目を集めるのである。
 乗船時間になると、まずは各自の自転車を船に積み込んだ。デッキの一部が仕切られ、そこに自転車を並べるのだ。次に各自の乗船だ。にち氏はレンタル自転車なので、ちと手持ち無沙汰な感じだ。
 船室は特二等というグレードで、列車の寝台車のような上下2段のベッドが、八つほど並んでいる部屋が割り当てられた。これならぐっすり眠れそうだ。
 荷物を各自の部屋に置くと、事前に「やるだろう」と教えられていた宴が、デッキで始まっていた。寒風吹きすさぶ中、それぞれの得物を並べての酒宴が始まった。
 このツアーには、実は南会津の参加者も何人か含まれていた。宴会でお話した女性二人組は、やはりそれぞれ南会津ツアーに参加し、この伊豆大島ツアーで再会したのだとか。なんとなく見覚えあるなと思っていたが、声を掛けられて初めて判明した事実だった。
 このツアーには、Team Ford Specialized所属のプロ選手が参加している。インストラクターや登録選手エリートクラスとして参加している人たちばかりだ。この宴会の間盛り上がった相手は、ランキング20位前後という宮本氏。とてもフィールドで切れる走りをしている人とは思えない、面白い兄ちゃんだった。なぜか被っている帽子を取るのを嫌がるし(本当になぜよ?) 他には和田ハジメ氏、いつもの御子柴氏が引率している。やまみちアドベンチャー側3名。
 宴会は消灯間際まで続き、各自部屋に戻って就寝となった。ベッドに入って目を閉じた途端、とても心地よくストンと眠りに落ちた。

2002年11月14日(木曜日)

なぜか無性に眠い日々

00時00分 暮らし 天気:ちょっと雲が多いかな

 寒いせいか、朝方起きるのがつらい。それだけではなく、昼の間にも眠気に悩まされている。睡眠時間は6~7時間は確保しているのだが。
 寒いせいか、っていっても、なんで眠くなるのかは謎だな。寒いと体温を上げるためにエネルギー消費が増えて、その分他の活動を抑えようとするのか。あるいは、冬眠を求める本能か?
 去年までは夏も半分死んだようだったので、あまり差異は感じなかった。が、今年は激しく走っているので、走れなくなった冬場との差を大きく感じるのかも。

2002年11月13日(水曜日)

深夜の観望

23時55分 星見 天気:くもりやら晴れやら

 明日はフレックスで遅く出社する予定なので、夜は少し余裕がある。23:00頃、ベランダに経緯台とBORG100EDを出しておき、0:00くらいから冬の大三角形周辺をうろつき始めた。
 まずは、あんまり出番の無いLV40を取り付け、M42を......。あ、忘れてたけど、こいつの場合、裸眼だとピントが出ないんだ。めがねを掛けて、ようやく見える。あまり使いでの無い接眼鏡になっちまったな。というのも、もっと広視界で、かつ長焦点の、LVW-42が手許にあるからだ。アメリカンサイズのスリーブ用コンバータを外し、2インチ天頂ミラーに取り付けた。視界は、広いぞ。なにせ、100EDに取り付けると15倍、4.7度の実視野が得られるのだ。しかも、眼鏡を掛けたままでも問題なく全視野を見渡せる。
 問題は、背景が明るくなりすぎることだ。結構高高度に上っていたのだが、それでも光害は避けられない。M42は蝶が羽を広げたような形がくっきりと見える。しかし、背景が明るいので、散光が背景に溶け込んでくる辺りが曖昧だ。
 大三ツ星に向ける。視界一杯に大三ツ星がすっぽり収まってしまう。この辺、まさに宇宙に開いた窓だ。CANON18*50に比べ、背景の微光星がさらに見える。経緯台による高安定性の故か。
 しかし背景の明るさはいかんともしがたい。そこで、前に買ったミザールの光害防止フィルタを思い出した。これは2インチ径のLVW-42には着かないので、MEADEのSW24.5に取り付けることにする。その前に、裸のSW24.5でM42を眺める。やはり光害があるが、LVW-42ほどには気にならない。M42は、トラペジウムが重星であることがようやく分かる程度。M41は20個以上は見えている。
 フィルタをつける。背景が一気に暗くなる。M42は散光星雲の広がりがよりくっきりと見え、明るい散光の中心に向けて貫入する暗黒星雲の形までも見える。散光を愛でるなら、この組み合わせがベストだと思った。大三ツ星周辺に向けると、この周辺でも散光が感じられるのには驚いた。筒内で反射してるのか?
 接眼鏡をUW6.7に換えてみた。M42はトラペジウムが分離でき、少なくとも四つの星が確認できた。今夜は、大気の状態がいいようだ。試しにフィルタを着けてみると、星が暗くなりすぎて、トラペジウムの星たちを分離できなくなった。こいつには向いてないようだ。やはり大量の光を処理する広角、低倍率の接眼鏡との相性がいいようだ。
 フィルタを外し、M41に向ける。ちょっと導入に苦労したので(高橋の30mmファインダーは異様に良く見えるが、M41がはっきり分かるほどではない)SW24.5の助けを借りたが、ほどなく導入。比較的明るい星(それでもCANON18*50ISくらいだと微光星にしか見えない)の背後に、もっと暗い星がじっとうずくまっているのが見える。ちょうど、視界一杯に広がって、なかなか愉快な眺めだ。
 今、つかえないアイピースが多い(2インチ天頂ミラーを通すと焦点距離が長すぎる)ので、100EDに着くより短いスリーブを入手して、なんとかしてやろうかと思ってはいるのだが。

自転車いぢり

00時00分 自転車 天気:くもりやら晴れやら

 Mobillyのブレーキの引きが短くて、すぐに指に当たるので、前から気になっていた。Mobillyを引っ張り出して、ブレーキワイヤを付け直した。しかし、問題はここではないようだ。そもそも、ブレーキレバーの開き幅が小さいのだ。ブレーキレバーを観察すると、ケーブル取り付け位置の側に青い緩み止めを塗った、怪しいビスが刺さっている。これを締めこんでやると、レバーが大きく開くようになった。ブレーキレバー取り付け位置の問題で、大きくは開かないが、引いても指に当たらない程度には開いた。
 次にEPIC号をオフロード仕様に戻す。といっても、前後のホイールをブロックタイヤを履いたものに変え、キャリアを外すくらいだが。EPICに元々着いていたホイール(MAVICリム)からシマノM540に変わるのと、スプロケットもTIAGRA12-25TからXT11-34Tに変わるため、RDの再調整が必要かと考えていた。が、案外にそのまま使用できる。思ったより精度が高いみたい。
 後は、スリック(T-Serv1.25インチ)からブロックに変えると、タイヤ周長も変わるので、サイクルコンピュータCN-200の周長設定を切り替えておいた。これで完璧だ。明日、金曜日からの伊豆大島行に備え、荷造りしておかないと。
 あ、ペダルもSPDからデカペダルに変えないと。

2002年11月12日(火曜日)

朝トレできません

00時00分 暮らし 天気:雨?

 今朝は朝トレするぞ、とばかりに4:30に起床。が、室内の寒さに撃墜され、出る気が失せてしまった。ダメダメ。
 やっぱ、今の時期になると、早朝のランはナイトランと全然変わらないというのが大きいな。この時期ならクモの巣も無いだろうし、早朝より夜の方がかえって暖かいだろうし、ナイトランに切り替えるか?
 そもそも寒いのがダメなのだから、室内でローラーでも回すか。しかし、ローラー台を置くスペースが捻出できるかさえも怪しい我が部屋であることよ。
 ともあれ、早朝ランは朝が早い時期になるまで休みだ。

2002年11月11日(月曜日)

控えめな鍋

00時00分 暮らし 天気:晴れ

 昨日、今日と、鶏鍋で一杯という夕餉。鶏鍋とはいうものの、ふつうの寄せ鍋に鶏の胸肉をちょろっと入れただけのモノ。あんまり肉類を取りすぎるのもなあ、と野菜主体の鍋にしたのだ(もっとも、練り物も大量に入っているのは国家機密だ)。
 最近、あんまり走れてないので、栄養控えめにしておこう、などと守りの姿勢に入る俺様であることよ。

2002年11月10日(日曜日)

久しぶりにBikeEでお出かけ

00時00分 自転車 天気:晴れ

 昼前に目覚める。今日は相模川の川原でも走ろうかと思っていたのだが、気分が乗らず、近場を走ることにした。BikeEを久しぶりに引っ張り出す。最近、アパートの部屋の前に係留していたので、タイヤが傷まないか、なにかパーツを盗まれないか心配だが。
 子供自然公園に寄りたかったので、まずは北に向かう。国際親善病院のT字を右に折れ、下りきったところでさらに右に折れて進む。適当な所で左折すると、なんとなく見覚えのある細い道に入った。前に、ガネーシュオフのときに通った道ではないか。細い川沿いに走ってゆくと、やがて激坂を登るような苦行に直面することも無く、緑園都市駅の近くに出た。しかし、ここから緑園通りに出るには、結構な激坂を上らなければならなかった。
 このBikeE、前に44Tだかのチェーンホイールが着いていて、リアが内装3段に11-28Tのスプロケが着いている。しかし、内装のトップを使ったことなんて一度も無いし、もう少しクロスしたギア比が欲しい。そこでチェーンホイールを35Tくらいにして、リアは13-28T位にしたい。すげえ軽くなるな。どのみち、クランクを165mmにしたいので、ぼちぼち考えはじめなければ。
 現状のギア比でも、のんびり走れば緑園通り程度なら問題無い。しかしまあ、なんだってこんな坂ばっかりの街を作っちゃったんだろうね。この街には、BikeEが妙に似合っている。
 パーツオフで逸れ、子供自然公園の正面側に向けて上っていった。ここはまさに激坂。笑えるほどの急傾斜を、じりじりと上がっていった。一度止まったら、再発進できそうにない。それでも、なんとか坂を越えて、子供自然公園の正面に下っていった。
 適当にBikeEを停め、カメラ片手に公園内をうろついた。そろそろ紅葉が始まっていた。が、本格的な紅葉はまだ先のようだ。
 今日の密かな目的は、公園内のシングルトラックを探ることだった。思った通り、少し藪に入った辺りには、人の踏み跡が豊富にある。が、それほど長くは続いてない。それより、公園南部にある未舗装の激坂は、オフロードの激坂特訓には良さそうに感じた。
 子供自然公園を出て、二俣川駅への道を下っていった。その時の俺様の格好は、カンパの黒いジャージ、パールイズミのバイカーズパンツ(黒)、黒い帽子と、黒ずくめだ。それで、BikeEのシートに身を預けて、優雅に下っていったってもんだ。すると、通りすがりの女子群れが、「なにあれ」、「かっこいー!」などと声を上げるではないか。
 我輩は褒められることが好きだが、事実に基づいて褒められることはさらに好きだ。もっといってくれ、もっと誉めてくれ、褒め歌を歌ってくれ、頌歌を作ってくれ、世界中に発表してくれ!(沢田研二爆)
 頭の中に湧き上がる様々な妄想を楽しみつつ、我輩は三ツ境まで一気に突っ走ったのであった(事実は20km/h以下でのんびり走った)。が、サガミは休みでした。なんかレースでもあったのかな。
 サガミの休店で少しシオシオな気分になりながらも、境川沿いに出て下っていった。今日は日没まで時間があるし、飯田に寄ろう。飯田牧場まで、20km/hそこそこで、のんびり走っていった。少し風はあったが、リカンベントの場合気にならない。前面投影面積はMTBと大差ないと思うのだが、なぜか気分的に楽なのだ。
 飯田ではモカチップなるものを食す。チョコチップ同様、ざっくりと割ったモカチップの食感が良い。
 帰路はライト類を着け、ダイクマに寄って缶ビールを半ダース買い、さらにヨークマートで鍋の材料を買って帰った。晩秋には鍋が似合う。

2002年11月09日(土曜日)

三崎に自走で往復したのよ

00時00分 自転車 天気:晴れ

 朝、5:00にいったん目覚めた。が、その後、なぜだかなぜか、時間は8:00へとタイムスリップしてしまった。宇宙の神秘だ! いや、二度寝しただけか。ともかく、飛び起きて、風呂に入り、出発準備をする。今日は、三崎まで、完全自走で往復してくるつもり。
 今回のツーリングの目的は、EPIC号に慣れること、12/8予定の三崎マグロツアーの下見、の2点だ。
 EPIC号にはスリックタイヤを履かせ、TOPEAKのキャリアをシートポストに着けておいた。そのキャリアに、TOPEAKのリアキャリアバッグをカチリとはめ込んでおくと、ぐらぐらしないでいい感じだ。もっとも、キャリアがストレートタイプなので、少し腰高な感じになるのだが。
 あれやこれやで10:00過ぎに出発。7:00前に出ようなどと考えていたのは、どこの誰だったのだ。既にかなり高くなっている太陽に向かって、境川を下っていった。
 この時刻、気温がぐんぐん上がってくる。長袖Tシャツ、カンパのジャージ、カステリのジャケットという構成なので、結構暑くなってくる。胸元のジッパーを開けておくと、いい感じになった。一方、下り坂や日陰なんかでは寒くなる。その時にはジッパーを上げて調節した。
 藤沢市街を抜け、江ノ島へ。鎌倉、厨子、葉山と走って行く。EPIC号は、ロードバイクの加速感こそ味わえないものの、走行感は十分に軽い。予想外だったのが、ギアが想像以上に軽かった点だ。最初、ミドルギア主体に使うことになるのかと思っていたのだが、実際にはアウター主体で、坂に来るとミドルも使うという程度だった。リアは、このホイールに関してはティアグラの12-25Tに換装してある。ロード用スプロケでこれなら、MTB用11-34Tで上れない坂は無いだろう。
 このところ、走りこんでなかったせいだろうか、葉山から先、坂が増えてくるにつれ、だんだん疲労をおぼえるようになってきた。また右膝が痛み始めてる。これは負荷を掛けられないと思い、軽めのギア主体に使い始めた。
 三崎口駅寸前に、かなりつらい坂が連続する。ようやく、インナーギアの出番だ。かなりの急坂でも、ギアを軽くクルクルと回せるので、どこまでも登って行けそうな感じだ。一人旅ならではのマイペースで登って行く。こんなに軽く回せるのに、リアのギアはまだ数枚余裕があるので、気分的に一気に楽になった。この自転車、BD-1より坂が楽かも。
 やがて三崎口駅を通過、さらにダラダラした坂を登りつづけ、引橋の三崎高校前に到達する。ここからはアップダウンしながらも、やや楽な道行になる。
 この辺で、ハンガーノックの兆候をおぼえる。補給食で凌ごうかどうしようか迷ったが、結局は引橋に近いぢんげるに久しぶりに入ることにした。
 ぢんげるでは中おち丼にビール! 一気に体調が蘇る(笑)。少し酔いを醒ますために、駐車場でEZウェブアクセスしたりしながら、時間を置いた。
 再び出発。時刻は13:00前だ。まあまあのペースだと思う。しかし、まだアルコールが残っていたのか、足が回らない! まあゆっくり行くさと思い直し、上りも下りもゆっくり走っていった。
 大きなスーパーの前で、油壷への分岐に差し掛かった。しばし信号を待ち、油壷への坂を下っていった。突き当たりに、油壷マリンパークがあったが、その点だけを確認し、また引き返した。海に出る道が良く分からなかったのと、特に見たいものが無かったので(後で三浦導寸の墓でも見とけばよかったかと思い返したが)。
 登り返しの途中で、適当に南向きの道に折れ、海沿いに三崎を目指した。交通量が少なく、また小さな入り江にヨットハーバーもあり、心安らぐ風景だ。が、三崎の手前ぐらいに、海を埋め立てて工業団地を造成する現場があった。
 やがて、なんとなく見慣れた港町に出たなと思ったら、三崎港に到着していた。
 うらり、に入った。相変わらず、観光客で賑わっている。あんとろまんを買おうと思って、売店を訪ねたが、おばちゃんいわく、まだ10分かかるとか。10分後に再訪することにした。
 ちょっと外で風に当たっていると、空模様が気になってきた。雲が多い。特に東に多い。まあ西は明るいようだが。また売店に寄って、今度こそあんとろまんを手に入れた。
 岸壁まで走り、車の影に座り込んで、ペットボトルのお茶とあんとろまんでおやつにした。空は暗く翳っている。西と、南には青空も広がり、時々日差しもあるのだが。あんとろまん、うまいのだが、マグロチップは入ってても入って無くてもどっちでもいいのでは?
 あんとろまんを片付け、次に登場するのは今シーズン初の火器、ガスストーブ。シエラカップにお湯を沸かし、マグカップにコーヒーを淹れた。心安らぐ一時。
 が、俺様の安穏な時間を叩き壊すように、北の空から低い轟音が響いてきた。なんだって、雷鳴? さらに、ぽつり、ぽつりと雨粒が顔に当たってくる。ひどくなるわけではないが、繊細な俺様の心を動揺させるには十分だ。西は晴れている。東は曇っているが、これ以上は悪化しないだろう。たぶん。だが、前回、にち氏とマグロしたときの悲劇が思い返された。一応、合羽だけは持ってきているが......。
 少し思い悩み、結局は即座に帰還することにした。北は内陸部だ。内陸部ではさらに天候が悪化するかもしれない。その前に帰ってしまおう。
 帰路は、いつものコースを通っていった。引橋まで、上り基調のアップダウンが続く。雨粒がぽつぽつと増え始めた。早まったか! しかし、それ以上に悪化することは無かった。
 引橋を越え、その先は下り基調になる。路面が案外に濡れているのに気づいた。どうも、僕が上ってくる寸前くらいに、通り雨があったようだ。なんとか切り抜けたか。
 その先は、順調に走っていった。慣れない新車なので、やや疲労感はあったが、のんびり走って戻った。今日も風は強めだが、ハンドルを取られるほどではなかった。
 葉山、厨子、鎌倉と走り、藤沢市街に入った頃には、遂に日が没していた。ライトを着け、境川沿いに北上する。
 気分的に、なぜかラーメンを食いたくなったので、湘南台の湘南家でラーメン&ギョーザを食らい、真っ暗な中帰宅した。
 本日の走行距離は105km程度。100km走りたいという時には、このコースは良いかも知れない。

2002年11月08日(金曜日)

久々に朝トレですか?

00時00分 自転車 天気:晴れだっちゃ

 久しぶりに朝トレに出動した。どれくらい久しぶりかというと、先週の木曜日以来だから、かれこれ8日ぶりということか。全然トレーニングにならんわ。
 今朝も、目覚めた途端、寒さに挫折しそうになったのだが、まあ週末だしということで(意味不明)なんとか走り出せた。
 下はCWX、上は長袖Tシャツにカンパのレーシングジャージ、その上にカステリのウィンドブレーク・ジャケットという寒がり仕様だ。ちょっと膝が冷えすぎるが、上半身はこれで完璧だ。ニーウォーマーでもつければ、氷点下にでも下がらない限り大丈夫そうだ。
 今日は4:45に家を出て、6:00前に帰宅したのだが、全工程をライト点けっぱなしで走らざるを得なかった。ライトの電池、予備が欲しいなあ。

2002年11月07日(木曜日)

さっさと帰って寝るにゅ

00時00分 暮らし 天気:これはくもりだな

 昨日のお好みハウスでの飲み食いがあった割に、体調は良好。だが凄く眠い。毎年、秋になると一日中眠さが横溢するようになるのだが、日照時間の短縮に体が正直に反応しているのだろうか。森の動物かね?
 とにかく、やってられないと思ったので、19:00過ぎに退勤して、22:00には寝た。当面、夜はカロリーカットモードだ。ああ、鍋が恋しい。

2002年11月06日(水曜日)

オンロード仕様EPIC号試走

00時00分 自転車 天気:晴れだが雲が増えてきた

 今日は午後から東京駅近くのビルに出張して、担当製品の作業打ち合わせに参加した。といっても、概ねボケーっとしていただけだが。
 会議が思いの他早めに終わったので、これからどうしようか迷う。会社に帰っても、今日は定時退勤日なので即帰宅することになるだけだ。なら、アパートに直帰しちゃえ。実は、今日もお好みハウスに行こうという話をにち氏らとしていたのだ。その前に、ちょっとした用事を済ませたい。
 帰宅して、EPIC号を駆っていずみ野のダイクマへと急いだ。今、履いてる靴が汚れすぎなので、新しい靴を買っておこうと考えたのだ。
 T-Serv1.25インチを履いたEPICは、当然だがブロックタイヤを履かせた状態より全然軽く走る。タイヤに5BAR入れてやや高圧にしてある点、タイヤの重量が軽い点が効いている。とはいえ、やはりロードバイクの走行感とは違う。ロードバイクほどには加速感が無く、替わりにいくらでも軽いギヤを使えるという感じだ。前後サスは確かに効いていて、ロードバイクだとガツンと来るような衝撃も、角を丸められて凌ぎやすくなる。なんとなく、BD-1のそれをずっと高級にした感じである。BD-1も確かに前後サス(後ろはアブソーバか)なのだな。
 ダイクマでGTのトレッキングシューズを購入した。サイズは25.5がぴったりだった。ちょっと大きめに作ってあるように思った。
 それから、またもや大急ぎで帰宅し、身支度して出かけたのだが。

今夜もお好みハウスで大騒ぎ

00時00分 天気:晴れだが雲が増えてきた

 買ったばかりの靴を履き、立場駅へと向かった。前に履いていた2500円の靴に比べると、9000円のこいつはずっと靴底が固く、またフィット感が高い。歩きやすい。これは良かった。
 立場駅に着くと、改札口の前で駅員と女性がなにやら話しこんでいる。気にせず自動改札に定期券を突っ込もうとすると、駅員に止められた。なんでも、人身事故で地下鉄の運行が止まっているのだとか。がびーん。どうすりゃいいねん。駅員によれば、バスしかないということだ。ううむ。
 しかし、僕には折り畳み自転車がある。あれで戸塚まで行けば、後はJRで横浜に出られる。しかしまあ、折り畳み自転車を持ち歩くことになるのだが。
 他に選択の余地は無さそうなので、帰宅してMobillyで出撃だ。こいつを持ち出すのは久しぶりだ。
 戸塚までの坂をいくつも越えながら、去年はBD-1で越えるのにも苦労したなあと思いだした。今はかなり楽に感じる(実は単に苦しさに慣れただけだったりして)。
 無事に戸塚に到着し、横須賀線で横浜に出て、西口でMobillyを展開した。そして人込みを抜けて、20:00前におこのみはうすに到着した。
 既ににち氏とこぐ氏が始めている。僕も加わり、後にすずきなおし氏もやってきて4人での宴会となった。
 今日はこぐ氏が参加しているせいか、獣系のモノが良く出ていた。砂肝、鶏レバー(レア)、キム玉、イカ、尾道焼きそば(メニューに無かったが醤油味)などなど。中でも、前回大好評だった秋鯖は、今回こぐ氏にも好評だった模様。やはりしっぽ近くより、腹の方が脂が乗り切っていて美味しい。
 マスターにまだ煮込み中のスジ肉を試食させてもらった。まだ味付けが弱く、もっと煮込まないとゼラチン状にはならない。明日か、明後日が食べごろか。
 散々飲んで食って、0:00前にようやくお開きとなる。これだけ飲んで食って、料金は一人3400円。安く上がるなあ。
 しかし、0:00という時間は終電ぎりぎりだ。地下鉄湘南台方面は既に終電で、JRで戸塚に出て(これも終電間近)、さらに戸塚で湘南台行き(終電)を捕まえるというギリギリのスケジュールだった。
 あれだけ飲んで食った割に、中ジョッキ2杯でビールを打ち止めにした事もあり、意外に気分は良かった。が、眠気が襲ってきたので、さっさと寝ることにする。今夜もお安く楽しめました。

2002年11月05日(火曜日)

なぜか疲労の一日

00時00分 暮らし 天気:相変わらず良し

 朝から体の節々が重い。なんだか、昨日の鎌倉往還(時の風)が、意外に効いていたようだ。50kmも走ってなかったのにな。
 おかげで、階段を登るのにもサーカスの熊のように、のろのろとぎこちなく蠢く俺様の雄姿をさらす破目になったわけだ。今日はリポDでドーピングだ。

シェフィールド逝く

00時00分 SF 天気:相変わらず良し

 「マッカンドルー先生お大事に」じゃなくて「マッカンドルー航宙記」、「ニムロデ狩り」などのSF作品で著名だったチャールズ・シェフィールド氏が亡くなったそうだ。緻密なハードサイエンス描写が得意で、なおかつ9月に逝ったフォワード博士よりは人を描けている作家だった。
 フォワード、シェフィールドと、ハードSF界の2大巨頭が相次いで逝ったわけで、因縁めいたものを感じなくもない。
 さらば、マッカンドルー先生。

2002年11月04日(月曜日)

鎌倉に行ってきた

00時00分 自転車 天気:これでもかというくらいの快晴

 3連休も今日で終わり。ツーリングに行けず、完全に欲求不満だったので、今日は鎌倉まで走ることにした。
 まだ午前中に出発した。乗車はTCR-2。風が強い。境川を南下する間、ロードバイクだというのに20km/hをキープするのが精一杯。あまつさえ、多数の自転車を追い抜いた。みんな、この風にやられているようだ。
 藤沢市街を抜け、江ノ島に。ここから鎌倉までは、追い風のおかげで40km/h巡航も楽々だった。しかし、帰路のことを思い、ややブルーになる吾輩であった。
 美術館にTCR-2を置いて、鶴岡八幡宮に参拝だ。七五三の余波か、着飾った子供たちが多かった。
 さて帰り道。果たして猛烈な風を浴びながら、ノロノロと帰る破目になった。真正面から来るならともかく、横風に煽られるのは、大型トラックが疾走するR134では恐怖だった。かなりのストレスだった。
 さらに砂嵐の目潰しも加わるという、豪華な惨状に苦しみながら、七里ガ浜の西端に差し掛かったとき、をを、向こうに富士山が見える! こんなにくっきり見えたのは久しぶりだ。風による苦労も吹き飛び(なわけない)、藤沢市街に舞い戻った。
 北上し、R134から藤沢市民病院近くの境川筋に抜けようとしたときだった。R134から外れた道に抜けるため、対岸に渡る信号を待っているとき、その対岸のわき道をリカンベントが走っている! サイドバッグが着いていた。信号が変わるのももどかしく、大急ぎで追いかける。が、追いついたと思った十字路で、こちらの進行方向とは違う向きに逸れてしまった。ああ、無念。無理やりに追いかけて声をかけるのもなあ。
 境川を遡上し、飯田牧場で一休み。紫芋のジェラードを試す。ほっかりした甘さが良い。
 ここで、遅い昼食を取ることにした。前から行ってみたかったへっころ谷という甲州料理の店に入ってみた。ここの売りは、無農薬野菜を使った、手打ちほうとうだ。店の外見も、店内の雰囲気も、どうも暗い。しかし、客と店員の会話を聞いていると、常連が大半のようだ。
 料理は注文してから作り始めるようで、出てくるまで結構待たされる。その間、手持ち無沙汰でいらつく。今度来るときは、CLIEを持ってきて日記でも打とう。
 店内にはバザールのチラシとか、環境に関する能書きとかが散乱している。NGOご用達という雰囲気もかもし出されている。
 さて、やがて出てきたほうとうは、野菜がごろりと入っていて、しかもじっくり煮込んであるので、柔らかく、食べやすい。一杯800円は割高感があるが、無農薬野菜という能書きをどれくらい買うかによるか。
 店を出るとき、店主らしい人と少し話した。雰囲気は気さくで良いなあ。でも、店の外見が少し入りにくそうなので、客を選んでしまっているかも。
 へっころ谷からは国道を北上し、マーシュに立ち寄った。ここで26インチのスリックタイヤ、エンドバーを見繕う。スリックとしてはタイオガの幅1インチのものがあった。でももう少し幅がある方がいい。少し考えて、やはりサガミに行ってくることにした。T-Serv1.25インチがあるのは分かっていた。しかし、3連休中、毎日サガミ詣でか。
 サガミNo.3で首尾よくT-Servを購入。色は青を選んだ。が、後で赤が良かったかと少し後悔したが。
 昨日話した店員と、EPICの調子はどうですか、いやー、クランクが長すぎて、などと話す。なんか、凄く欲しそう。自分で買うかもといってた。
 今日一日、『我が赴く先は向かい風』という感じで疲れた体に鞭を打ち、アパートに程近い中田中央公園の北東に差し掛かったときだった。富士山が見えてる! しかも、びっくりするくらいくっきりと見えている。こんな近くで富士山が見えるとは。この地に3年近く暮らしていたが、初めて知ったぜ。というか、いつも見えていたあの辺の山は、てっきり丹沢山塊だと思い込んでいたのだ。秋晴れ万歳。

じゃあEPICのクランクをなんとかしよう

00時00分 自転車 天気:これでもかというくらいの快晴

 帰宅して一息つき、EPICのクランクをHARDROCK号につけたXTのものと交換することにした。長さ167.5mmのこっちの方が、回しやすく踏み込みやすい。
 最初、EPICのものは、BBも含めてスペシャの自社品(OEMだろうが)で、クランクも四角錐型だろうと考えていた。ところが、いざ取り外してみると、実はシマノタイプの8セレーションであることが分かった。どうも、シマノのPCD104系と互換があるようだ。なら、クランク交換だけでいけたか。でも、もうHARDROCK号から取り外しちゃってるんですけど。
 調べてみると、EPICの詳しいスペックが分かった。やはりBBはシマノのES30というもの。聞いたことの無い型名だ。かなりグレードが低そうだ。
 実は、EPICについているBBは軸長118mmと長いもので、クランクが突き出しすぎてチェーンラインが厳しくなっている。これをXTの113mmに替えたら、かなり改善されるのではないか。ともあれ、BB、クランク、チェーンホイール、ついでにチェーン(HARDROCKの方はXTRグレードのものが、EPICにはLXグレードのものがついていた)も交換してしまった。
 思った通り、チェーンラインがかなり改善される。しかし不安もある。後ろフレームのボリュームがかなりあるので、ペダリングのときに当たるかもしれない。
 ともあれ、EPICへの組み付けを終え、EPICについていた方はHARDROCKに組み付けた。こっちはBB軸長の拡大がもろに影響したようで、チェーン鳴りが解消できない。むむむ、まあ気長に解消して行こう。
 さて、最後は3組に増えたMTBホイールの使い分けだ。HARDROCKについていたもの(フロントはハブダイナモホイール導入)、EPICについていたもの(結構安そう)、そしてシマノのM540だ。最後のものだけがディープリムなので、手持ちのロングバルブチューブが2インチ幅のモノしかない関係で、こいつにはEPICに着いていたスペシャのブロックを履かせることにした。EPICに着いてきたホイールには、ブロックタイヤをM540に移設した後で、T-Servを履かせた。M540にはXT(11-34T)スプロケットを、EPIC付属のものにはTIAGRA(12-25T)をつけた。HARDROCK号はとりあえずへミスファーを履かせ、XT(11-34T)をつけておいた。まあ、風雪に負けず走るバイクにするか。
 全作業を終えた頃には、もう日付が変わっていた。

2002年11月03日(日曜日)

買っちゃいましたか? 買ったのです

00時00分 自転車 天気:まったく快晴

 さて、一晩寝て決意が固まった。EPICを買おう!(大丈夫ですか?) 高価なプロスペックハードテイルを買うより、お気楽にも乗れるフルサスバイクを買うほうが楽しいはずだ。
 そういえばスプロケットを25Tに替えてから、まだ乗ってなかったMR-4Fで出撃だ。サガミへにまっしぐらに向かう。No.3にて昨日のバイクが売れずに残っているのを確認。店員とモノを前にして話す。サイズはMらしい。またがってみると、ハンドルがやや遠い。それにハンドルが広すぎる。またクランクが175mmもあるようだ。問題のリアサスだが、またがってシートに尻を落としたくらいでは、ほとんど動かない。下からの入力があったときだけ、ちゃんと動くのだ。またフロントサスはマニトウのロックアウト付。なんか、ことごとくいい感じ。残念なのは赤が無かったことだが、黒も精悍な感じでいい。買いだ!
 店員と詳細を詰める。まずステムをもう20mm詰める。これはリッチーの80mmステムに交換してもらえることになった。またハンドルバーを左右60mmずつカットする。元々が凄く長いのだ。それにこのハンドル、ダウンヒル的な用途を重く見たのか、アップライズタイプなのだ。好みはストレートタイプなので、しばらく使ってて合わないと感じたら、プロファイルのカーボン辺りに替えるかも。
 1時間半後に取りに来る約束をして、大急ぎで家に戻った。ちょうど、ロードバイクとママチャリという良く分からない組み合わせの二人組みが、30km/h超で突っ走っていたので、しばらく後ろに着かせてもらう。
 帰宅して、大急ぎでライトをバッグに放り込み、またサガミに向かった。地下鉄、小田急、相鉄と乗り継ぐと、予想よりかなり早くについてしまった。
 サガミNo.3で金を払い、持ち込んだライト(EL300)を取り付けてもらい、さらにバックのフラッシュも着けてもらおうと思った。店にあったキャットアイのフラッシュを着けようとしたのだが、このバイクのシートピラー、チェーンステーがいずれも太すぎて、うまく着けられない。結局、ユニコの超小型フラッシュをシートピラーに巻いてごまかすことにした。なんか、うまい手を考えないと。
 日没が迫っていた。とりあえずナイトランの最低限の準備を整え、EPIC号を走らせた。やはりクランクが長すぎる。回しきれない。サスの作動感は不思議なもので、動いている感じはしないのに、ピストン部のパッキンの動き方を見る限り、かなり動いているようだ。ペダリングのロスになるという感じはしない。
 しかしまあ、このクランクは替える必要があるな。HARDROCK号のBB部を、そっくり移植しようと思う。
 ああしかし、また自転車増やしちゃったよ。HARDROCK号は売らないと。

2002年11月02日(土曜日)

今夜もオリオン座などを

23時55分 星見 天気:快晴

 日付が変わる頃、ベランダに出てCANON18*50ISを空に向けた。今夜もオリオン座の眺めはすげえ。大三ツ星の周辺など、空に空いた宇宙への窓かといいたくなるほどだ。M42も、蝶の羽のような散光が濃い。冬が近づいてきたな。空気の透明度が違う。こういう瞬間だけ、寒気団様様だと思う。
 M41を探す。こちらも20前後の微光星が、うっすらと見えている。息を詰めて、じっと眺めなければならないくらい、ささやかな散開星団だ。
 目を天頂に転じると、肉眼でもボーっとした光の塊が見える。プレアデス星団。明るい星と暗い星が何十と無く群れているのを見ると、なぜか立体的に見えてしまうから不思議だ。
 最後に、ヒアデス星団を眺め渡す。こいつはワイドビノで見るのが一番楽しい。全天一の雄大な天体だ。冬のこの辺の空は、一年を通じて一番豪奢な眺めだ。もう少し東を見れば土星が、そして木星が見える。土星はようやく楕円が分かるかなという程度だ。しかし木星は、完全に円盤に見え、周囲のガリレオ衛星もくっきり見えた。
 ちょっと暇を作って、望遠鏡で見てみようと思う。

揺れる心

00時00分 自転車 天気:快晴

 ほとんど昼過ぎまで寝て、今週中に失われた体力の回復に努めた。寝すぎて、かえって頭が冴えない。
 昼飯を食いに、TCR-2で長後のCoCo壱番屋にでかけた。パワーが無いときは、麺類よりカレーに限る。
 カレーを食って、境川沿いに北上して、サガミサイクルセンターに向かった。風は弱く、日差しが心地よい。
 No.3でMTBのフレームを眺める。天井から吊ってあるのは、スペシャのM5フレームだ。フレーム単体で10万円だが、SID World Cupが着いて22万程度のものもある。ううん、悩む。別にスペシャでなきゃいかんというわけではないのだが、この時期に出回っているのはスペシャくらいだし、今のMTBもスペシャなので、気分的にはそれを継承したい。
 22万かー、などと思いつつうろついていたら、同じスペシャのブレインショック搭載フルサスMTB、EPICが目に入った。黒い、精悍なモデルだ。これなら23万円。もちろん、すぐに乗れる。パーツもそう悪いものではないようだ。最悪、今のHARDROCK号のものと交換しても良い。
 ブレインショックは、この間のやまみちアドベンチャーに参加したとき、スタッフの御子柴氏も盛んに誉めていたものだ。まあセールストーク分は割り引くにしても、雑誌のレポートを見る限り期待できそうだ。しかも、店にあったのはVブレーキモデルで、重量がディスクブレーキモデルより軽い。カタログスペックで11.3kg。リジッドバイクのHARDROCK号より軽いやんけ。うっかりするとBD-1より軽いかも(セキサイダーが着いてるしなあ)。
 大いに悩みつつ、本店に入った。アパレルコーナーをうろつくうちに、カステリのウィンドブレーク・ジャケットを抱えていた。黄色い奴。薄いのに、風を通さなくて快適そうだ。
 環状4号線経由で帰宅した頃には、既に日が落ちていた。早いなあ。まだ冬至までは一月以上あるのに。

NHKスペシャル

00時00分 テレビ 天気:快晴

 今夜のNHKスペシャルは、アフガニスタンのテレビ放送再開に関する話題だった。
 アフガンには、20年以上前にカラー放送設備が導入されたが(旧ソ連の援助だろうか)、その後は度重なる内戦に設備が破壊され、さらにタリバンによって放送自体を禁止されるという状況に陥っていた。よくタリバンが「厳罰主義で治安を回復させた(から支持を受けていた)という話を聞くけれど、言論という基本的な部分を統制していた状況を見る限り、長い目で見れば結局自壊したようにも思える。
 アメリカの介入によって、(一応)内戦が終結し、テレビ放送もようやく再開される運びになった。
 一時、離散していた技術者も戻り始め、市場にはテレビ受像機が出回っている。アフガンでは、比較的裕福な家庭にとっても、テレビはかなり高価だ。だが、かなりの勢いで売れているという。一応、治安が回復され、生活以外の娯楽に目が向くようになったのだろう。
 タリバンによるテレビ放送禁止の間、技術者、ジャーナリストたちはあるいは別の職に、あるいは難民として国外に逃れ、散り散りになっていた。ある女性プロデューサーは、もともと子供番組の担当だった。しかし、内戦の激化によって、家族ともども国外へと逃れざるを得なくなった。この女性プロデューサーは、避難先のパキスタンでも、難民の子供を対象に取材を続け、ラジオ放送でその状況を訴えていた。
 内戦が終わり、カブールに舞い戻った彼女は、再び子供番組の制作を手がけるようになった。しかし、子供番組のプライオリティは低く、機材が不足している現状では、取材用の機材借り出しも、ままならぬ有り様だ。
 地道な取材を続けるうちに、彼女は地雷の被害に遭う子供が非常に多いことに気づいた。アフガンでは、まず旧ソ連が大量の対人地雷を散布し、それに続く内戦で各勢力が大量の地雷を使用したため、実に数千万発も潜在していると言われている。対人地雷の中には、子供の気を引きやすい形をしたものもある。女性プロデューサーは、地雷の危険を訴える必要があると考え、スタジオ製作の番組を放送した。しかし、一番被害が多発しているのは地方の、テレビ受像機を持ってないような層だろうから、どれほど効果があるものだろうか。
 放送が続いていた頃、テレビの花形はやはり音楽番組だった。中でも著名な音楽家たちが出演する番組、「みんな集まろう」(日本でも同じようなタイトルがありそうだ)は、高い人気を誇っていた。ところが、タリバン政権下では音楽家は活動を禁じられたため、多くは国外への脱出を余儀なくされたのだ。
 内戦終結と共に、やはりこの番組の再開も目論まれた。ところが、音楽家の多くは国外にとどまったままであり、またタリバンによって楽器も破壊されていたため、大きな困難を伴うと思われた。
 一時帰国したかつての出演者を中心に、若手音楽家を加え、やっと番組の再開にこぎつけることが出来た。再び、アフガンに音楽が流れるようになった。
 内戦は、アフガニスタンの諸民族を分裂させてしまった。その爪痕は、テレビ放送ネットワークにも残されている。中央局と地方局の直接配信が、アンテナなどの破損で不可能になっている現在、地方局は独立性を高めている。中央にせよ地方にせよ、その地方の軍閥のカラーが強くにじみ出るようになっている。
 こうした状況の改善には、テレビ放送ネットワークの修復が必要だ。これは諸外国の援助でようやく進み始めている。
 それにしても、旧ソ連の侵攻はあまりに多くの困難を残してしまった。多民族国家を再構築するには、強力な経済の裏づけが必要だ。アフガニスタンの混乱収拾にテレビが一役買うのか、それとも混乱に拍車をかけるのか。現地ジャーナリストたちの頑張りにかかっている。って、なんか紋切り型に締めたりしてな。

2002年11月01日(金曜日)

まだ腹の調子が戻らねえ

00時00分 暮らし 天気:いいかも

 体温、喉の調子等は良くなったのだが、腹の調子が未だに悪いままだ。激しく下るわけではないのだが、口に物を入れた分、下から出て行ってしまうという感じなのだ。それでも、だんだん下痢から軟便というくらいには復調している。
 問題は、これではツーリングに出かけられないという点だ......。走ってるときに便意に襲われたら、これはもう恐怖そのものだ!
 明日からの3連休、どうしようか。