Strange Days

2002年12月31日(火曜日)

今年最後の一日

00時00分 暮らし 天気:晴れ気味

 昼前に起き出し、しばしボーっとする。この時間が幸せ。どういうわけか、アパートよりも、実家の方がよく眠れるようだ。あの忌々しいPCの唸り声が聞こえないからだろうか。来年は1号機の消音化を検討しよう(もう、こんなことを書いても鬼は笑わないと思うが)。
 昼前に、またママチャリを駆って外に出た。中通でモリスに入る。今日も多い。昼前なのに、早々と行列が出来ていた。大盛りといなり寿司を食す。うまいっす。
 店を出て、自転車関係の店に行きたくなって、トップバイクに向かった。が、12/30からお休みだった。年末だもんな。
 帰りにフライケーキを買って行こうかと思ったが、こちらも今日からお休みだった。
 本屋に入って、自転車雑誌を買って帰った。
 それらを読みながら、半分眠りつつ夜がふけて行く。22:30ぐらいに@niftyはSFフォーラムにアクセスした。今年もRTのメンバーが凄く少ない。とりあえず飛び込んで、少ないねえなどと話しているうちに、懐かしいメンバーが揃い始めた。しかし、往時の平日夜程度の賑わいだ。『この先どうなるんだろう』なんて声も聞かれた。
 ちょっと悲しかったのが、ここで飛び交うジャーゴンやお約束の多くを理解できなかったことだ。自分がSFファンダムからどんどん遠ざかっているのが如実に分かって、少し悲しい。でも、この分だともうすぐいい小説を書けそうな気もする(なぜだ)。僕はSFファンダムを失ったが、SFそのものは手に入れつつあるというか。
 だらだらとチャット中に、遂に年越し。今年もだらだらと年を越してしまった。なんだか意気が挙がらなかったので、『また今年の12/31に』(爆)と言い残して落ちた。そしてさっさと寝た。というわけで、気づいたら2003年に。

2002年12月30日(月曜日)

二河峡

20時00分 自転車 天気:よく晴れてる

 ママチャリ号を二河峡へと走らせた。二河峡は呉の市街地を流れる二河川の上流、約3kmほどの所にある渓谷だ。こんなに市街地に、そして河口に近い渓谷は珍しい。子供の頃はよく遊びに行ったものだ。去年の夏にも訪問したのだが、大雨や地震で大岩が流されたり倒壊したりして、その景観は随分変わっていた。かつてはこんなに雑然としたものじゃなかったはずだが......。そんなことがあって、足は遠のいていた。
 今日、訪れたのは、ただの気まぐれだった。が、おかげでいろいろ面白いものを見つけることができた。
 ママチャリ号でえっちらおっちら遡上する。このママチャリ、背の低い母に合うサイズゆえ、僕には思い切り小さすぎる。特にペダルが近すぎるのがつらい。サーカスの熊のような塩梅で、ペダルを必死に回しながら走った。
 やがて二河峡公園に着いた。自転車をかつての茶屋跡に止め、すぐ近くの鉄橋で対岸に渡り、上の方に登る階段に進んだ。落ち葉が深く積もり、人通りは少なそうだ。登りきったところには鉄の門があり、この辺りに水道施設があることをうかがわせた。
 さらに進むと、展望台があり、テーブルと椅子がいくつか設けられていた。そこからは雄滝が見下ろせる。雄滝は大きな岩の一枚板を流れていて、その景観だけで公園を作るに値すると思った。惜しむらくは、場所が奥に入りすぎていて、ちょっと気軽には来れないという点だろう。
 展望台の脇に水が轟々と流れ出る水路の出口がある。近代水道の最初期の設備だとかいった銘板が貼ってある。その脇に岩をえぐった階段があったので、登ってみた。ちょうどトンカラリンみたいな感じで数メートル登ると、もう終点で、行き止まりだった。金網がめぐらされ、ここも水道設備の一環だということがうかがえた。というか、そう書いた表示がやはり掲げられていたのだが。
 展望台に戻り、来た方向を見ると、その脇に川の方に向かって階段が続いているのが見えた。この階段は、やはり落ち葉が積もり、また壊れかけてもいたので、やや危なっかしい。幸い、履いているのはライトトレッキングシューズだ。
 下って行くと、滝見橋という吊り橋に出た。その名の通り、雄滝を見上げるには絶好の場所だ。対岸に渡り、さらに道は上の方に続いている。そのつづら折りの道を歩いて行くと、岸壁に不動明王が彫られ、その回りにたくさんの像が並べられた地点に差しかかった。滝に不動明王はつきものだが、ここの像たちは人気もないため、かえって神秘的に写る。デジカメにその光景を納めていたら、上の方でなにかが動いた。よく見ると、不動明王像の上の方にも細い道が続いている。そこを歩いて降りてくる人がいたのだ。
 その細い道には立ち入らず、手すりで補強してある比較的立派な道(とはいえ苔むし、やや危なっかしい点に変わりない)を登っていった。途中、さっき上の方から降りて来ていた男性とすれ違い、挨拶を交わす。散歩中のおじいさんでした。
 道を50mほどの上り詰めると、なんと車道に出てしまった。この辺では旧道という細い道だ。ここから二河峡公園に戻るにはどうすればいいのだ? 簡単には戻れそうになかったので、苦笑いしながら来た道を戻る破目になった。
 滝見橋を渡ったところで、さっき降りてきた道と別に、下流に向けて道があることに気付いた。ここを降りて行くと、さっきの鉄橋まで戻れた。
 ママチャリまで戻り、近くの案内板でさっきの順路を確認した。さっきの不動明王ゾーンは観音堂というのだと思っていたのだが、それとは位置が違う。どうも別に観音堂という本格的なものがあるらしい。
 ママチャリにまた乗って、今度はいつもの河口の公園へと走った。いつも人気のないここに、珍しく先客が。公園の真ん中には、昔の庭園の名残で枯れ山水風になっている場所があるのだが、なんとその岩の上にトライアルバイクでよじ登っている連中がいたのだ。いやはや、こんな場所で見かけようとは。こんな小さな公園でさえ、公園トライアルは行われているのだった。しかし、この先復元するかもしれない庭園を使ってやるのはやりすぎだ。
 日も暮れてきたことだし、踵、いやホイールを返して、家路を急いだ。

ママチャリ復活の日

17時00分 自転車 天気:よく晴れてる

 実家には母が買った24インチのママチャリがある。これ、母が通勤に使うつもりで買ったはいいが、そもそも自転車に乗れないので、練習もしないでほったらかしになっていた。どうせなら僕が使ってやろうと思った。
 昼前に中通りに出て、モリスで中華そばを食す。12:00前に行ったのだが、既にけっこう並んでいた。相変わらずうまい。盛りつけも麺の茹でもいい加減だが、スープの旨みはすばらしい。家系ラーメンだと残してしまうが、ここは全部飲み干してしまう。これで帰省の目的は果たした。
 帰宅して、ママチャリのタイヤに空気を入れ、外に連れ出した。いつもスポーツバイクばかり乗っているので、ママチャリのサドルに体重の大半をかけるポジションは新鮮だ。安定性もすばらしい。BD-1とはちょうど逆だ。安定性はいいが小回りは利かず、ペダルを踏んでも反応が鈍い。その代わり、10km/hくらいでトロトロ走るのは非常に楽だ。こんな自転車に慣れている人が、いきなりBD-1に乗れば、そりゃあ『不安定だ』という感想も抱くだろう。それもBD-1に慣れるまでのことではあるけれど。

2002年12月29日(日曜日)

俺様帰省ス

23時00分 暮らし

 17:00前に荷物を背負って地下鉄に乗り、そのまま新横浜で降りた。既に切符は取ってあるので、気は楽だ。のぞみの車内は満席ではあったが、立っている客がいないので余裕があった。そうか、全席指定だから、デッキも空いているのだ。これならMobillyでも持って帰ればよかった。まあ、寒いしあんまり乗るまい。今年の正月みたいに雪三昧でも困るし。この休みは休輪日にしようと思う。
 21:30に広島に着き、呉線に乗り継いで呉に到着。寒い、故郷の町をとぼとぼ歩いて実家に到着した。今日はもう寝るだけにしよう。

締めくくりは、やはりBD-1で

17時00分 自転車 天気:なかなかいい天気

 今年一年もよく走ったなあ。しみじみと感慨にふける我が輩である。思い出すだけで、三浦半島数回、真鶴数回、大山、ヤビツ、しまなみ海道、麦草峠、南会津、大島、その他シングルトラックやらロングライドにも挑戦したなあ。万年虚弱体質の僕には想像もつかないような日々だった。
 自転車も相変わらず買いまくった。MR-4FにBikeE、そして大物のEPIC。最後のは予想外だった。パーツもたくさん買って、改造もしまくったなあ。おかげで金が無くなったぜ。後悔半分、諦め半分の境地だ。まあ、金は天下の回りものというしな(どうも僕に縁のないところを回っているようだが)。
 昨日、今年一番の距離を乗ったに違いないTCR-2を走らせて、走り納めの気分になっていたが、起きてみるとどうも走り足りない。もう一走りして、それで終わりにするか。今日帰省するのだが、今回はそんなにいないので自転車は持ち帰らない。だから、今日ちょっと走って、それでおしまいということにしよう。最後を飾るのは、やっぱりBD-1ではないか。最初に買った自転車だし、最近は他の自転車にかまけて乗ってなかったから、最後はこれに乗ってやろう。思い起こせば、武蔵の森林公園オフ以来だ。
 タイヤに5BARまで入れ、長後のCoCo一番へと走った。久しぶりに乗ると、ロードバイクとの姿勢の違いがよく分かる。BBが前方にあるので、ペダルを前方に蹴り出すような感じになるのだ。ロードバイクに比して、上体を起こし気味にしないと、かえって呼吸がつらい。だいたい、ハンドルバーとサドルが同じ高さになるのがいいのだろうか。あまり低すぎるのは考えものだ。しかし、ロードバイクに比べて路面の荒れに鈍感だし、サスペンションもうまく働いている。こいつのサスペンションは、前のコイルスプリングの振動を、短いフレームと後ろエラストマで減衰させる、いわば前後一体の設計になっているようだ。
 ペダルをくるくる回しながらCoCo壱番屋まで走る。昼食を取り、そのまま帰宅した。

2002年12月28日(土曜日)

横浜ポタ下見行

00時00分 自転車 天気:いい天気になったよ

 朝7:30起床。寒い。洒落にならんぞ、こりゃ。今日は来年1/4決行予定の横浜ポタの下見があるのだ。いや、下見という名目での、事実上の乗り納めオフになりそうだが。適当に飯を食いながら、天気予報をチェックした。今日一日、晴れが続く模様。雨具も輪行も考えなくてよさそうだ。ならば、ということで、TCR-2で自走することにした。
 9:00ぐらいに家を出て、桜木町まで突っ走る。勝手知ったるR1だ。やはりロードバイクはこういう舗装路には強い。1時間弱で桜木町駅の近くに到着した。桜木町駅の改札に向かっていると、階段の側で輪行解除をしているおのひろき氏とその松女史の後ろ姿が目に入った。サープライズ!(爆) 背後から急襲しようと近づくが、あえなくその前に発見されてしまった。一緒に集合場所のみなとみらい口に出ると、同じく輪行解除していた@nak(た)女史と会う。しばし待つうちに、残るにち氏、こぐ氏、その奥方のこぐやまのかみ女史が相次いで到着する。こぐやまのかみ女史(これ、早くいいハンドルをつけないと定着しちゃいそう)、(た)女史はそれぞれUKブロンプトン(インター7仕様)というブルジョワジーの乗り物で参加。それ以外のメンバーはだいたいBD-1系だ。
 適当に体が冷えきったところで(爆)、まずはみなとみらい方面へと走り出した。まずは隣港パークへと。インターコンチネンタルホテル(それにしてもなんという名前だろう)と国際展示場の間を走り抜け、午前の白んだ明かりの中の隣港パークに到着した。この時間にここに来るのは始めてだ。だいたい、黄昏時にやってきて、その通りに黄昏れるのが通例だったから。人気も無く、明るい日差しに溢れるここは、初めて訪れたように新鮮な印象だった。
 近くの新港パーク(それにしても"x港"という公園が多すぎる)まで走り、ここでしばし休憩。この間に、(た)女史はワールドポーターズに走り、お茶を買ってきたようだ。ここも人が少なく、のんびりした雰囲気。
 さて、お昼時が近いので、先を急ぐ。赤レンガパークを通過し、山下公園に駐輪した。ここから、中華街に歩いて入り、そこで食事することになっている。中華街の入り口ですずきなおし氏と待ち合わせ、一緒に店を探しながら歩いた。やがて裏通りにある(た)女史お薦めの店に入った。ここでの昼食は、全員が1000円コースを選択し、人数分の分量を持った大皿が出てくるというアバウトな、しかし中華料理の醍醐味を味わえそうな物となった。全員の漠然とした総意により、1/4の昼食場所もこことなった。
 駐輪場に戻ったところで、財布の中身が乏しくなっていた僕は、銀行に行ってこようと考えた。にち氏らと相談し、結局はすずきなおし氏に案内の労を取ってもらい、石川町のUFJに立ち寄ることになった。行ってみると、クレイジー・ダボのすぐ近くだった。なあんだ。金を下ろし、トンネルを越えて、産業道路の適当な地点で後続との合流を図った。が、しばらく待っても来ない。どうも先に行ってしまったらしいと判断し、シンボルタワーへと急いだ。
 案の定、一行は既にシンボルタワーに到着していた。ここでお茶休憩。なぜか火器は出ず、揚げギョーザ風のお菓子(いや惣菜?)、胡麻団子を、自販機の缶を供に食すお茶タイムとなった。今日は霞はあるものの、空はよく晴れている。日差しが暖かい。
 今年の実績では、ここから磯子方面に走り、不動坂という激坂を通って丘に登るルートを通ったという。だがこの不動坂、坂がきついというよりも、交通量が多いのが問題。そこで、目的地である「港の見える丘公園」まで、本牧の大通りに沿った裏道から上がるルートが、すずき氏によって提案された。すずき氏の先導により、一行は湾岸道路を通り、本牧ルートから裏道に入った。しばし、二度と通れなさそうな生活道路を通過し、やがてかなりの坂に差しかかった。小径車と700Cロードバイクとでは最適な走行速度がまるで違う。失礼を承知で、先行車の右をパスして一気に駆け上がった。ゆっくり登ると、かえってつらいのだ。
 この辺で(あ)氏と落ち合うことになっていた。携帯電話で連絡を取り、丘を越えた所にあった「港の見える丘公園」(ベタなネーミングだ)で落ち合うことになった。公園に入ると、黄色いブロンプトンを従えた(あ)氏が待っていた。これでメンバーが揃う。
 公園の広場で、どうやら練成途上らしき大道芸人の男女カップルが、それぞれに芸を披露し、まばらな拍手を受けていた。それにお構いなく、我々はなぜか試乗会へと突入した。きっと、暮れ行く横浜の空がそうさせたのだろう(まさに宇宙の神秘だ)。
 我がTCR-2にも試乗していただく。ロードバイクの乗り味を知ってもらい、ロードバイクを買わせてしまおうという目論見だったが、狭い公園での試乗には限界があったようだ。あまり積極的な反応は得られなかったようだ。
 一方、その松女史がSPDなビンディングペダルを装備してきたことから、俄にビンディングペダル体験大会にも発展した。その場にSPDシューズが3足(その松女史、おの氏、僕)ほど揃っていたので、合うサイズも探しやすい。まず(た)女史が体験。事前に散々に脅かされていたせいか、最初はなかなかはまらなかったようだが、最後には危なげなく試乗を終えた。『足を回すのが楽』との感想。これは、来年最初にはビンディングでデビューか? 次ににち氏。こちらはサクッとクリートをはめ込み、サーっと公園の出口、こちらからは死角になっている方向に向かっていった。と、そこからなかなか戻ってこない。『こけたか?』と話していたら、にち氏が戻ってきた。やっぱりこけたとのこと。早速ビンディングの洗礼を受けたわけだ。なんでも、走ってるときに携帯電話を落とし(この日、4回ぐらい落としたのと違うか?)、それに気を取られた結果、自分がビンディングを着けていることを忘れてしまったとか。
 にち氏の失敗をじっくりと眺めていた(あ)氏は、真打ち登場とばかりにその松's BD-1にうちまたがった。サクッとクリートをはめ、サッと走り出す。まるでビンディングを履きなれているかのようにスムーズではないか。(あ)氏はいったん公園の出口方向に消え、またすぐに戻ってきた。トイレに行きたくなった僕は戻ってきた(あ)氏とすれ違う。氏は『こんなのなんでもないじゃん』という顔をしていた。氏は減速し、ゆっくりと仲間たちの方に近づいていった。それを思わず見送っていると、氏がなかなかビンディングを解除しないのが気になった。ペダルの上に立ち、すぐには外せそうにない体勢だ。(あ)氏はおの氏らにぎりぎりまで接近し、ほとんど止まる寸前まで減速していた。(あ)氏がなにかを口にしようとした。その瞬間、氏はBD-1もろとも傾き始めた。その時のおの氏の慌てた表情は忘れられない。おの氏も(あ)氏がすぐにはビンディング解除できない体勢であることに気付いたのだが、口にしようかどうしようか迷っているうちに(あ)氏が倒れはじめたのだ。周囲の皆が慌てるなか、(あ)氏はなす術もなく転倒した。ペキンパーばりのスローモーション効果付きだった。(あ)氏いわく、ビンディングを着けていることを一瞬忘れたとか。こうして約3名へのビンディング洗礼は終わった。これが港の見える丘ビンディング試乗事件の顛末です(一部想像、誤解を含むかも知れず)。
 日暮れ時まで港が見える丘公園で過ごした後、一行はお好みハウスへと向かった。ここでとりあえずの締め。今日はけっこう混んでいたため、お任せモードで烏賊、焼きそば、お好み焼きなどを食す。20:30から予約が入っているとかで、約2時間で辞す。来年1/4の予約は入れた模様。
 その後は、お好みハウスで買った八朔ゼリーの賞味をすべく、スターバックス(横浜秘境店)に移動し、しばしまったり過ごした。
 22:00過ぎに解散。これで年内のオフはもうない。今年はよく遊んだねえといいながら、三々五々散っていった。
 僕はR1経由で家路を急ぐ。こういう道はロードバイクだと楽だ。帰宅した頃には、寒気もなくなって汗ばむくらいだった。しかしまあ、もう少し暖かかったらいいのだが。

2002年12月27日(金曜日)

仕事納め

00時00分 暮らし 天気:晴れでしょ、そうでしょ

 今日は仕事納め。今日は定時退勤日でもあるので、泣いても笑っても8時間弱しか仕事できない。そう、力一杯、年内最後の勤務に打ち込むのだっ。などとなるはずもなく、既に昼過ぎから気もそぞろである(笑)。
 定時前から煤払いが始まり、定時後しばらくしてから納会となる。一人頭500円の低予算であるため、かなりしけた催しとなった。遥か以前には真夜中までやってる凄まじい宴席であったらしいが。これも日本型経営の終焉を象徴しているのだろう(そ、そうなのか)。
 早々と帰宅し、しばらくしんみりとした気分に浸った。今年も激動の一年だったなあ。仕事だけは平穏無事だったが。来年はどうなることやら。早速、新春に向けて大仕事が進んでいるのだが。無事に済んでくれればいいのだが。

2002年12月26日(木曜日)

ブレーキの効き改善は続くよ

00時00分 自転車 天気:快晴

 寒波がやってきたのだろう、夜になって急激に寒くなってきた。あまりの寒さに天体観望はお休み。ええい、根性無しめっ。
 だが、そんな夜にも、夜トレには出動するのだ。昨日交換したブレーキの効きを見たい。期待を込めて、MR-4F改を持ち出した、のだが......。
 んーむ......やっぱり効かない。ブレーキのタッチは向上したのだけど、効きは全然改善されてないのだ。これはどういうこと?
 帰宅してから、ブレーキの動作を良く観察した。アーチが接触するまではスムーズだ。が、接触してからも、把握力が弱いのか、リムが滑ってしまう。TCR-2の場合、接触して、少し握力を掛けると、すぐにリムの滑りは止まる。が、MR-4F改の場合、相当握力を掛けないと、リムが止まってくれないのだ。リムの状態はどちらもそこそこきれいだし、シューの汚れも軽度だ。
 よく観察すると、リムのシューが当たってから、強く握力を掛けると、バーテープの一部がググッと持ち上がる。TCR-2ではほとんどそういうことはない。これで思い出したのが、MR-4Fをドロップ化したときの作業だ。実は、ストレートバーから交換したとき、STIレバーから補助レバーまでの間に挟むブレーキアウターを短くしすぎて、上からバーテープで抑えてごまかした経緯がある。あれがブレーキの把握力に影響しているようだ。やはり、またバーテープをはがして、アウターを入れなおすしかないか。
 実は、もう既に黒いアウターを発注してある。買い置きのシルバーのものがあるのだが、やっぱりMR-4Fには黒だろう。というところで、ふと思いつく。黄色いアウターはどうだろう。結構いい感じになりそう。どこかで探して見繕ってくるか。

2002年12月25日(水曜日)

MR-4Fブレーキ換装

00時00分 自転車 天気:晴れ

 以前から懸案だったBD-1のブレーキ換装に手を着けた。といっても前ブレーキだけ。TEKTROのブレーキを外し、ULTEGRA化したTCR-2から外してあった105グレードのものに替えた。これだと右シューだけトーインが着くという現象は出ない。どうも、TEKTROのものは、なんらかの原因で歪んでしまったようだ。
 取り替えたブレーキだと、シューが左右ともリム面と並列になり、ちゃんと効きそうな雰囲気だ。それと、なぜかブレーキタッチが劇的に改善された。前はグニャッという感じで最悪だったが、今はTCR-2と同じくコクッという感じになったのだ。やっぱりTEKTROのものはなんらかの原因で壊れてしまったようだ。
 今日は風が強すぎて外に出られないのだが、明日の夜トレで効きを試してみようと思う。ブレーキが改善されたら、後はハンドルの高さという問題が残る。

2002年12月24日(火曜日)

クリスマス・イブですが、それがなにか?

00時00分 暮らし 天気:くもり

 うー、寒い。寒気が脳天に染みてくるわい。今週は、さらに寒気が入ってくるとか。雪、降るかな。
 今夜も宴会続きで鈍ってしまった体に喝を入れるべく、20:30くらいにナイトランに出かけた。
 走りながら、足が回らないなあと感じた。今日は寒さ対策にアーム、レッグウォーマを着けていたのだが、それだけではない。微妙に疲労を溜め込んでいるように感じた。酒飲み過ぎですか?
 R467を北上して、湘南台公園で一休み。ヘルメットを脱いで、街灯に手を掛けて足の腱をゆっくり伸ばしていると、自分の頭から立ち上る湯気が見えた。寒さが一段と厳しくなってきた。

2002年12月23日(月曜日)

MOBILLYたん受け取り

00時00分 自転車 天気:晴れました

 今日は結構な天気になった。できればツーリングに出かけたいところ。しかし、朝の寒気に早起きの道は阻まれ、結局昼になってから起床する。
 今日は改造したMOBILLYを受け取りに、和田サイに出向かねばならない。しかし明るい時間に自転車に乗りたい気持ちも強かったので、長後のCoCo壱番屋まで昼食に出かけた。明るい空の下、乗り回すロードバイクは、やはり気持ちいいものだ。
 15:00過ぎ、身一つで電車に乗り、和田サイクルを目指した。
 和田サイ着は18:00前。和田店長に声を掛け、我がMOBILLYを受領した。和田店長の話だと、僕のMOBILLYはUGO14より重いリアハブを使っていたらしい。あまり重量増にならなかったかもしれない、とのこと。早速試走する。うっきー氏のものと同じく、幅広い速度域に対応できる、頼もしい足応えだった。
 和田店長に礼を言い、家路に着いた。もう少し待つとタムラーがぼちぼち出現する頃だが、気力が下がり気味だったのでそそくさと引き上げた。
 このMOBILLY改で鎌倉往還、さらには三浦半島往還をやってみたい気分だ。その前に、もう少し軽量化しないとな。

2002年12月22日(日曜日)

BD-ML/RECUMBENT-ML合同忘年会

00時00分 音楽 天気:くもり

 今年最後の3連休の中日は、BD-ML、RECUMBENT-ML合同の忘年会がある。なんか宴会続きなので、走りに行けないのが微妙にストレスの溜まるところ。
 忘年会の開始は19:00だが、その前に用事があるので13:00過ぎには家を出た。用事というのは、MOBILLYたんを和田サイクルに預けに行くのだ。ちょっと前、BD-MLにて、和田サイクルに20穴の内装3段ハブが多量に入荷したとの情報が流れた。そしてうっきー氏が早速UGOマイクロ14を預け、無事多段化されたとの事。この件を和田店長に問い合わせると、15K\、納期三日程度で可能との事だった。それならやらずばなるまい!
 MOBILLYを抱えて東海道線に乗り込む。最初、品川で山手線に、新宿で総武線各停に乗り換えるつもりだったのだが、秋葉乗り換えの方が座れるかなと思い、東京で山手線、秋葉原で総武線各停に乗り換えた。
 西荻窪に降り立ち、和田サイまで走った。店頭にMOBILLYを停め、店内をのぞくと、加藤直之氏の背中が目に入った。加藤氏と和田店長の話が終わるのを待ち、早速MOBILLYの改造を依頼すると、アルバイト氏がスポークをバシバシ切り始めた。なんと、19:00くらいには出来上がるというのだ。しかし、今日は宴会があるので、受け取れるかどうかは微妙だ。後で電話を入れることにした。
 店頭には、もう既に2台のUGOマイクロ14が、改造を終えて駐輪されていた。一台はうっきー氏(まだ取りに来てないとか)、もう一台はねず吉氏の所有らしい。うっきー号に試乗させてもらう。ミドルで軸直結(つまりギア比1)、これをロー側にするとかなり軽くなり、坂も楽々登れそうな感じがする。トップ側もかなりギア比が変わり、高速巡航も楽々という感じ。これはいい。走れるシングルギアのMOBILLYたんが、走れる3段変速に大変身だぜ。試走から帰ってくると、小十郎氏がUGOマイクロ14を持ち込んできたところだった。予想した通り、次々に改造に持ち込まれているようだ。
 和田店長にMOBILLYたんを預け、加藤氏に挨拶し、その場を辞す。
 西荻窪まで今度は歩き、総武線各停で秋葉原まで出た。秋葉に出かけるのは久しぶりだ。
 昭和通り口から出て、スターベースの方に歩いていった。うっかりスターベースに入ると金を使いそうなので通り過ぎ、ZOA21辺りから攻め始める。いつの間にかアプアプの新店が出来ていた。品揃えは面白そう。980円で売ってるCDラベルなんかに印字できるミニミニプリンタが面白そうだった。しかし、Windowsでいちいちコントロールしなければならないようだし、いまいち使い道が思い浮かばなかったので、かろうじて思いとどまった。
 裏通りを一通り舐め、今度は表を歩く。裏通りもそうだが、こちらにもヲタ系のショップが大挙進出している。通りの東側など、数年前の面影がほとんど残ってないくらいだ。
 一番大きな変化は、かつてミナミデンキ、次にT-ZONEミナミ、しまいにゃT-ZONE本店になったあのビルに、今はLaOXが入っている点だろう。今の秋葉を象徴したような、ホビー方向に大きく振られたショップだ。半年来なかった僕は、ほとんど浦島太郎のようなものだ。そう思いつつも、しばらくうろつくのであった。
 結局、秋葉では、千石で大容量の単3Ni-Cd充電池と充電器を買っただけだった。手元の充電池ズがそろそろへたり始めたので、これで一気に置き換えるのだ。
 時刻は18:00を過ぎたので、そろそろ会場まで歩くことにした。
 場所は両国橋の近くで、秋葉原駅から少し南下し、大通りをずっと東進すればいいはずだ。寒い中、てくてく歩いて行く。しかし、歩くにつれて空模様が気になり始める。雨は降らないという予報だが、時折ポツポツと水滴が顔に当たる感じがするのだが......。幸い、それ以上は悪化しなかった。
 歩いて歩いて、やがて浅草橋に到達した。ここで迷い始めた。あれ、目的の橋は浅草橋だったっけ? 地図を持ってこなかったので、全てはうろ覚えの世界なのだ。が、こういう時に役立つハイテク武装が。au携帯のGPS機能だ。自転車ツーリングではいまいち使い出が無いこれも、街中での迷子救済には威力を発揮できる。目的の店周辺の地形はなんとなくおぼえていたので、GPSで現在位置を表示し、地図を見ながら東へと歩いていった。そうだ、橋の名前は両国橋だったのだ。真北に浅草橋が架かっていたので、迷ってしまったのだ。
 この近くだよな、と思いつつ歩いていると、一台の自転車がツーッと通過した。暗がりでもその極端に小さなタイヤは間違えようがない。ハンディバイクだ。そんなものに喜んで乗るような連中は、BD-MLくらいだ。というわけで、この近くの可能性が高い。そんな風に考えながら角を曲がると、ガラス越しにおのひろき氏と目があった。あ、ここか。入店すると、既に大多数のメンバーは揃っていた。ほどなく、待つのもなんだからということで、忘年会が始まった。
 店はふつうの1F席の他、それを見下ろすようにして2F席が囲んでいる。厨房の壁面にはプロジェクターがあり、そこでビデオを上映したり、PCでスライドショーすることも可能だ。
 まずは自己紹介。2F席に陣取った関係で、僕から始まった。「今年もまた自転車を衝動買いしてしまった」という誰もが出しそうなネタを出す。
 一通りの自己紹介が済んだ後は、やはりプロジェクタを生かしたネタということで、まき氏らが参加した軽井沢でのオフ、ドイツでのR&Mミーティングの画像が紹介された。昨日もおでんオフにてわかば女史らが赴いたドイツ紀行の画像が紹介されたのだが、自転車にはいい土地のようだ。行ってみたいが、金が無いです。
 宴会は22:00にはお開き。店を出ると、当然のように店の前での試乗会が催される。さっき見かけたハンディバイクは、なんとドロップハンドルになっている。いくらなんでもやりすぎで笑える。
 さすがに今から和田サイには行けないので、僕は帰宅することにした。ちょうど小十郎氏に和田店長から電話が入っていたので、明日取りに行く旨、伝えてもらう。一行は自走組、それでも和田サイに行く組(元気というかなんというか)、そして帰る組に分かれ、三々五々駅まで歩いていった。にち氏らと馬喰町駅まで歩き、そこから横須賀線で戸塚に戻った。地下鉄はなんとか終電に間に合い、日付が変わる前に帰宅できた。今日も充実したような、なにか抜けているような、そんな一日だった。

2002年12月21日(土曜日)

おでん@nak

00時00分 天気:雨雨雨

 朝方、目を覚ました。予想通り雨が降っている。それもかなりの量が。晴れ、そうでなくとも雨が降らなければ鎌倉に出かけるつもりだったのだが、この空模様ではダメだ。諦めて、また寝てしまった。
 昼前になって、本格的に起きだした。天候は変わらず。15:00くらいから@nak主催のおでんオフがあるので、それに間に合うように出かけないと。その時、前に鎌倉で立ち寄った店の団子が美味だったので、ぜひ買っていきたい。身支度をして、13:00過ぎに家を出た。
 地下鉄、JR横須賀線と乗り継ぎ、鎌倉に降り立った。そういえば、鎌倉駅で乗降するのは、ずっと前に久遠氏らとオフった時以来ではないか。
 目的の店は、鶴岡八幡宮の大鳥居前の道を道なりに東に進んだところにある。5分あれば着くだろうと思ったのが大間違い。歩いて15分以上掛かってしまった。想像以上に、駅から鶴岡八幡宮までは離れているのである。いや、自転車なら確かに5分の距離なのだが。
 雨に濡れ濡れになりながら、件の店で団子を買い、駅に引き返した。こんな日なのに人通りが意外にある。ということは、晴れていたら物凄いことになっていただろう。
 横須賀線で横浜まで引き返し、地下鉄であざみ野に向かう。あざみ野から田園都市線に乗り換えて、と思っていたのだが、一つ手前の中川から歩いていけそうだ。中川で降り、地図を見ながら@nak家を目指す。丘を越え、もう一つ登って、ようやく到着。40分くらい掛かってしまった。15分くらいかなあと思っていたのだが、自転車ならもっと短時間で走れそうなのだが(もういいですかそうですか)。
 マンションに着いて、さて入り方を聞こうと(あ)氏の携帯に電話を入れたのだが、ちっとも取ってくれない。あれぇ、電波が弱いのかな。仕方ない、他の参加者、にち氏辺りに電話してみよう、と思いつついったん外に出ると、ちょうどやってきたにち氏と鉢合わせする。にち氏が入り方を知っていたので、インターホンで連絡をつけて入れてもらった。
 おでんバトルの会場となった@nak家には、既に自転車なつわもの達が集っていた。僕は早速おでんにとりかかる。たまご、はんぺん、牛蒡天、烏賊天、竹輪、竹輪麩、大根、などなど。おでんはやはり大鍋で作るに限る。いろんな食材の味が染み出して、大層美味なのである。しかし、僕がおでんに不可欠と考えている食材、ジャガイモがない。あれはたっぷり入れると、あっという間に砕けてしまい、汁が濁ってしまうからなあ。なんとかという品種だと砕けにくいとか、そういうことは聞いたのだが。
 その場にはかぜ氏が持ち込んだらしい2002年ツール・ド・フランスのビデオが流れていた。音声が外国語で、聞き取れないのでBGVにはちょうど良い。画面を見れば、世界最高峰のレースをじっくり拝めるというわけだ。
 ビール、ワイン、ウーロン茶が並べられていたので、まずビールとワインを、眠くならない程度に飲みながら、おでん、その他の料理を楽しんだ。その横で、にち氏はビールとワインを交互にがぶ飲みしている。大丈夫か、と懸念したのだが、やはり大丈夫ではなかったことが後に判明する。
 話題は、自転車の話も結構出たが、わかば女史の強烈な追及に、数名のターゲットが私生活の秘事を白状する凄い展開になった(笑)。そうか、みんな自転車のおかげでラブラブなのね(爆)。
 20:00頃、(なぜか?)おの氏が出迎えに行って、その松女史を連行、いや招き入れてきた。わかば女史の追及がさらに激烈になる。安物のスタンドライトと刑事さんのカツ丼に頼るまでも無く、みんな次々に白状する羽目に(笑)。そのテンションに釣られ、みんなかなりハイトーンになっていたようだ。
 が、おや、なぜかにち氏の姿が見えない。ちょっと眠いからと横になっていたミキ氏と入れ違いに、隣室で横になっている。こちらは仮眠というレベルではなく、爆睡している模様。やはり、ピッチが早すぎたのね。
 15:00から続くこの宴、なんと8時間ほども盛り上がりつづける。自転車関係の宴会は、なんというかすげえエネルギッシュだ。最後は多量のシュークリーム、僕のお団子で占め。シュークリームは、おの氏がアイスクリームを買うはずだったのに間違えて買ってしまい、予定の倍量となってしまったもの。その結果、お団子はかなり売れ残り(泣)、その後に控えていたアイスクリームなども登場できなかったらしい。8時間も食って飲んでしゃべって、もうお腹一杯だ。
 そろそろ散会、という時刻になっても、にち氏は回復しないので、そのまま@nak家に見捨て、他のみんなは三々五々家路に着いた。僕はたか氏の車で送ってもらった。
 しかしまあ、鍋にせよおでんにせよ、大人数で大鍋を囲むのが楽しいなあ。

2002年12月20日(金曜日)

止まらぬブレーキの恐怖

00時00分 自転車 天気:悪くなる一方

 今日はMR-4F改で夜トレに出動。空は雲が多く、明日はやはり雨になりそうな雰囲気だ。今年の冬は天候が安定しない。
 MR-4F改の悩みは、ブレーキの利きが悪いこと。本当に、なんでやねんといいたくなるくらい止まらないのだ。ブレーキケーブルのルートに無理があること以外に、ブレーキ本体になにかが起こっているような気がする。時間があれば前ブレーキだけでも105に替えて試してみたいところだ。
 例によって明かりはEL300だけなので、西俣野までトロトロと走っていった。西俣野の上りをミドルギアでえんやこらと越え、R467に入った。30km/hから、時には40km/hくらいまで出して、ブレーキの調子を見るが、あらゆる領域で止まらず、フィーリングもグニャッとしたもので、良くない。アルテグラを着けたTCR-2だと、短い距離でシュッと止まってくれるのだ。走っているときの安心感が段違いなのだ。MR-4F改は、ケーブルを全面的に張り直そう。
 交差点を過ぎたところで、一台のワゴンに右から抜かされたところだった。そのクルマ、こちらを抜きざまに突如として左に変針したのだ。しかも、なにを思ったのか、曲がる先の脇道に鼻を突っ込んだところで、急に一時停止してしまったのだ。ぶつかる、と、思いきや、なんとかブレーキで停止できた。そのドライバー、どうも自転車がどんなスピードで走っていても、2m以内に止まれると信じ込んでいるようだ。こういう手合いが多いので嫌になっちゃうぜ。
 しかし、止まらないブレーキはやはりヤバすぎると思い知ったので、なんとかなるまでMR-4F改は出走停止にせざるを得ないなあ。ブレーキシュー交換とか、ブレーキ本体交換とか、いろいろ試してみよう。もしかしたら、ケーブル張り替えだけで済んじゃうかもしれないのだが。

2002年12月19日(木曜日)

まとめてみんなの歌感想

21時00分 音楽 天気:晴れ時々雨

 ふと思い返すに、去年の8月(そう、傑作『ひよこぶたのテーマPart2』の節)以来、みんなの歌の感想を書いてなかったな。
 その頃の事情を思い起こせば、そろそろ自転車にはまり始めた頃で、家でビデオ見てるより、外を走る方が楽しくなっていた時期だ。いちおう、ビデオ撮りは心がけていたのだが、天敵の相撲中継、国会中継にやられるというパターンが多かったような。最近は自転車を相手にするにも効率が良くなってきたので、また他のことにも目が行くようになったのだが。そんなわけで、後で放映リストを見ながらチェックすると、抜けている節があったりするのです(しかし僕はこの日記で誰を相手に語りかけているのだ)。
 ともあれ、思い出す限りの感想スタート!
・2001年10~11月
 「夢見る朝」 朝の気だるい、しかしどこかうきうきするような雰囲気が出てますな。クラシックに詩をつけるパターンは結構多い。
 「青い童話」 意外にハードな展開だったりする。
 「天下無敵のゴーヤーマン」 ちょっと時期を外してないか?(朝の連続ドラマは先月で終わってるのだが)
 「おいらに惚れちゃ怪我するぜ!」 つんく、お前こそそのうち怪我するぜ。
 再放送分の中で未見のもの。
 「魔法の絵の具」 惜しくも亡くなった川島英五の歌。そのまま思い描くと、そうとう気持ち悪い世界のようなのだが......。子供向けなのに、妙に荒っぽい言い回しが笑える。
・2001年12月~2002年1月
 「ばぶるばす」 わー、見られませんでした。
 「ゆきかがみ」 同じく。
 「ハピハピバースデイ」 このお父さん、出来た人だ......。愛を振りまく人々が楽しそう(笑)。
 再放送分も未見......。
・2002年2~3月
 わー、ぜんぜん見られませんでした(;_;)
・2002年4~5月
 「Happy Weekend」 謎の生き物たちに何の違和感も無く溶け込むKONISHIKIが笑える。
 「ぱっぱらパパ」 こういうおとっつあん、おっかさんになりたいねえ。
 「2002年ばあちゃん音頭」 あれ、ぜんぜん印象に残ってないよ?(間違いなく見たはずだが)
 「ブーアの森へ」 清志郎は自転車で野性に目覚めてこういう歌を作ったのか。絵本も出た模様。
 再放送分は全部既出。
・2002年6~7月
 「幸せきょうりゅう音頭」 つんく、図に乗るな! だが妙に耳に残る曲である事は認めてやろう(ある意味悪夢に近いが)。
 「夏恋歌」 紫陽花がきれい。
 「ママの結婚」 この歌が心に響く家庭が増えているのだろう。
 再放送分唯一の未見、「赤い花白い花」を撮り忘れていた!
・2002年8月~9月
 「大きな古時計」 話題作。もともと、平井堅がステージ上歌っていたのを、NHKの番組で取り上げたのがきっかけだったとか。100年動く機械式時計というのは、エンジニアの夢だな。
 「ちっちゃなフォトグラファー」 ぅぉぉ、夏美萌え~!(爆) こんな娘がいたら、お父さんは毎日萌えて萌えて、しまいにゃ萌え死んでしまうに違いない。
 「恋花火」 中島潔の絵は久しぶり。
 再放送分。
 「カメレオン」 なぜだ、なぜ疲れたら金色になるのだ。なぜそれがハッピーエンドなのだ!(不条理だ)
 「バナナ村に雨が降る」 バナナだのイチゴだのは痛みやすい果物だ。そんなのが大量に降ってきた日にゃ、その時は幸せでも、後で鬱になると思うのだが。
・2002年10~11月
 「テトペッテンソン」 話題作(笑)。謎な歌詞に謎なアニメ。これ、みんなで歌えるんだろうか。あ、歌詞に意味が無いので、本当の意味での「みんなの歌」になれるのかも。傑作。
 「そっくりハウス」 脳内フェスティバル年中開催中の谷山節炸裂。しかしカルト度は往年の作品より下がり気味か。
 「くまんばちがとんできた」 これは怖い。昔、スズメバチが部屋に入り込んで、どうしても逃げてくれないので、エアガンで射殺したことがあったが。あの時の緊張感を思い出すぜ。
 「Time」 夜、窓から星でも見ながら聞きたい歌だね。
 再放送分は全部既出。
・2002年12月~2003年1月
 「今日も茶ッピーエンド」 デューク・エイセスの皆さま、ご苦労様です;・_・) 静岡農協とのタイアップソングかと思ったよ。
 「ワン・ニャン物語」 キンキン・ケロンパのお二人、ご苦労様です(爆)。
 「ブレーメンのマペット音楽家」 要するに『へへん、俺様ほどの天才なら王様を笑わせることなんて......おっと、しくじっちまったい! だが俺様ほどの天才なら速攻でトンズラだぜ』ってなダメダメ野郎のお話なのですな(爆)。マペット使いなら逃げ出してもいいのか、そんなことで人生に真剣に向き合っているといえるのか。
 再放送分。
 「悲しきマングース」 本当に奄美大島のマングースは気の毒です(ブラックバスもな)。だが駆除しなければますます生態系が壊されるからな。うーむ。
 「ぶたまんごころ」 見逃したコレを見られて幸せ。ぶたまんのおっかさん、いいこといいますなあ(;_;)。
 「赤鬼と青鬼のタンゴ」 傑作!

いきなりですか、雨さん

00時00分 自転車 天気:晴れ時々雨

 火曜日に夜トレをやったから、中一日置いて今日もやろうかと思いながら、会社の建屋を出た。途端に目に入ったのは、濡れた地面。アイヤー、雨が降っていたとは。路面が濡れ濡れで、我がTCR-2の2000km超(たぶん2500km弱)の酷使に完全スリック状態の('の'が多すぎ)タイヤではスリップ三昧であろうと思い、今夜の出走は取りやめだ。明日走ろう。
 あんまり毎日走りつづけていると、筋繊維に超回復が起こる前にまた疲労がたまるので良くないそうな。しかし間を置きすぎると超回復のピークを逃すのでこれも良くは無い。要するに一日置きくらいがいいんじゃないかと思っているのだが、なかなかうまくいかないもんだ。雨の日に備えて、ローラー台か、雨の日仕様の自転車を作るか(BD-1にマッドガードを着けりゃいいのだが)。

2002年12月18日(水曜日)

気力無し無しの夜

00時00分 暮らし 天気:晴れ

 いつもなら隔週定例お好みハウスの日だが、にち氏から止めよう宣言が出たので中止になった。最初は行くつもりだったのだが、週末に宴会が連続するし、なんか面倒だなあと思っていたところだったので、ある意味ちょうど良かったのだった。
 帰宅して、パン屋で買ってきたパンを食し、なんとなく布団に横たわっていたら、真夜中に時間が飛んだ。なんという驚異!(転寝しただけだがね) なんか妙な夢を見た気もする。
 夜中に怪しい活動を行いながら、ちょいとMR-4Fの前ブレーキを外してみた。ブレーキは臼様の金具を挟んで固定されていたので、なんとか調整できそうにも思える。固定しなおしてみると、前よりはややマシな状態になった気がする。これでダメでも、この金具を加工すれば位置を矯正できるんじゃないかな。ブレーキアーチを買いなおすのは後回しだ。
 その後は、雲が多かったので星を見ることも出来ず、なんとなくうだうだと夜更かしをしてしまった。ダメだ、きっぱりと寝ればよかった。

2002年12月17日(火曜日)

フォークがぐらぐらする?

00時00分 自転車 天気:晴れ

 今夜も夜トレ。妙に足が回って、西俣野の坂をのぞけばアウターで踏んでいけた。超回復したのか?
 帰宅して、TCR-2を部屋に入れようとしたときだった。階段を上がる前後からどこかガタガタすると思っていたので、ヘッド周りを揺さぶって確かめてみたのだ。すると、フロントフォークがガタガタと揺れるではないか。どういうこと?
 とりあえずステムを締めなおしたりしたのだが、解消できない。そういえば、フォークはどう止められてるんだっけと思い、メンテナンス本を読んでみた。それによれば、フォークはキャップを貫通している長いボルトで固定されているのだと分かった。なるほど、勘違いしていた。てっきりステムで止めているのだと思っていたのだが、それは間違いだったのだ。
 ステムを緩め、キャップ部のボルトを締めると、ガタつきは解消された。ついでに玉当たりも調整しておいた。やっとヘッドパーツの構造が分かってきたな。

2002年12月16日(月曜日)

MR-4F改の改良点を考える

00時00分 自転車 天気:晴れのち雨

 ここ数回のサイクリングで、MR-4F改の問題点が明らかになってきた。一つはハンドルの位置が低すぎること。これは既に分かっていたこと。もう一つはブレーキがまるで効かないことだ。なんだかフラットバーの頃より余計に効きにくくなっている。リムを掃除しても解消されないので、原因は別にありそうだ。
 ハンドル高さの件は、応急処置としてステムの位置をさらに少し上げた。限界点を超えているが、この程度なら折れたりしないだろうと思う。この時に、ブレーキケーブルの経路もずらした。いままでは真ん中でフラッシュライトを挟むようにして交差させていたのだが、これを左右に分け、交差を止めた。これで余裕が多少出来たのか、ブレーキフィーリングが少し向上した。ステムを動かしたついでに、回りやすいハンドルバーのクランプ部を、十分に脱脂しておいた。
 ブレーキフィーリングも影響しているのだろうが、ブレーキの利きにはパッドの取り付け方も関係しているように思えた。前の右パッドが、見たところトーイン付き過ぎの状況だったのだ。その修正を試みたが、どうしても強いトーインがついてしまう。もしかして、ブレーキが歪んでいるのだろうか。ブレーキ本体が歪んでいるのか、取り付け部が歪んでいるのかは不明だが、そういう話は何度か聞いた事がある。
 もしもブレーキが歪んでいるのなら、ブレーキ取り替えるのも手だ。だがMR-4Fの後ろブレーキは、後ろに突き出したシートチューブに干渉する関係で、シマノのアルテグラなどのグレードのものはつかない。デュラエースならイケそうという話もあるが、高いからなあ。
 とりあえず、前ブレーキを前にTCR-2で使っていた105に替えて様子を見ようかと思う。いくら良く走っても、止まらない自転車は怖いからな。

2002年12月15日(日曜日)

吉例、荒川サイクリング

00時00分 自転車 天気:チョット雲多いかな

 朝5:45起床。前日にほとんどの支度を終えていたので、すぐにサイクリング装備に身を固め、とりあえず吉牛で牛鮭を食らった後、立場駅まで走った。立場駅前で輪行態勢を整え、地下鉄で戸塚に向かう。戸塚でちょうど湘南急行を捕まえ、後は池袋まで直通できると安心し、シートでゆったり休んだ。
 今日の服装は、下はパールイズミのレーシングタイツ、上は長袖Tシャツの上に、カステリのウィンドストッパー・ジャージ、同じくウィンドブレーク・ジャケットを着込んでいる。これが非常に快適で、軽いのに冬の寒気をほとんど感じないで済む。特にジャージが秀逸で、前方からの風を防ぐように腕、体の前面にはウィンドストッパー素材を貼り、それ以外の部分は薄いジャージ地になっている。放熱性がいいのだ。暑くなっても、ジャケットのジャンパーを開放すると、ジャージの非ウィンドストッパー素材の部分からスーっと熱が逃げて行く。これはいい。かぜ氏が熱心に薦めるわけが分かった。もう一着買うかも。
 少しうつらうつらしてるうちに新宿到着。ここで降りる予定は無かったが、時間的に早すぎ(7:40くらい)なので、時間調整のつもりで、ここで一度降りた。
 埼京線で大宮行きを捕まえ、余裕ありすぎだなあと思う間もなく着。なんと8:15に着いちゃったよ。いくらなんでも早すぎである。
 集合場所に移動し、MR-4F改を組み終わっても、まだ8:20くらい。全然時間があまってしまった。どうせ、大半の参加者は8:55以降に到着するのだろうに。
 この寒さでは寝て待つわけにもいかない。仕方ないので早速火器を出し(間違いなく今日の一番乗り)、コーヒーを沸かし始めた。と、そこに最初の参加者が。BD-1に乗った青年で、BD-MLで"駆け出し前の自転車屋"と名乗っていた人だった。名乗りは"た~くん"だが、この日記での慣例に従えば"た~氏"となるのか。彼はCBあさひの関東店舗に就職する予定なんだとか。僕も通販はよく利用するよなどと話しているうちに、だんだん人が集まり始める。変わったミキストフレームの折り畳みに乗った女性が現れた。実はミキストの折り畳み、ブリヂストンのグランテックが欲しかった時期があったのだが、その自転車はその24インチ版、今は作ってないバージョンらしい。女史のハンドルはひとりしつか。なんて意味なんでしょ。
 9:00頃にはまあ過半数かなという人数が集まっていた。ふと、うー氏と目が合うと、「ミラーあるよ」と声を掛けられた。えっ、間に合ったの? 実は、BD-MLでうー氏の骨折りによる眼鏡取り付け式バックミラーの共同購入の話があり、一口乗っていたのだ。返事が遅れているとかで間に合わないかなと思っていたのだが、ギリギリに来たらしい。早速受け取り、ZEALのサングラスに取り付ける。一応、背後の視界は確保できるが、慣れが必要だ。それと、アップライト、しかも我がMR-4Fのように戦闘的な前傾姿勢では、肩が邪魔になって背後が見えない。リカンベントでの使用がよさそうだ。
 9:15頃、ようやくほぼ全員揃、った雰囲気(爆)。ドタ参、ドタキャンが相次いだので、正確な人数はいまいち不明だが、60人近い模様。それにしても、この寒空に60人も集まるなんて。
 スタートが宣言されて、三々五々走り始める。最初のうちはた~氏、hai氏と並走する。MR-4F改は意外に疲労も少なく、股間への負担もフラットバー時代から減ったような気がする。しかし、寛いで走れるという感じではないな。
 最初の休憩は、以前は青水門の上で取っていたのだが、最近はその先の草地で取るようだ。60人ともなると、水門の車止め周辺に固まっていると、ずいぶん迷惑になるからな。
 ここで、今回参加した業者の方が持ち込んだ、スクーターバイクという新しいリカンベントの試乗などが行われた。リアサスを持つこのリカンベントは、外装8段、シートが比較的立った、親しみやすい形態のものだった。次々に試乗するのだが、BikeEより不安定、いや安定しているなど、意見が分かれる。普段、リカンベントに乗っている人ほど、寛容な感じを受けた。人の自転車を眺めながら寛いでいたら、寝坊したまき氏が猛然と追いついてきた。RecumbentMLの方で作ったジャージの配布を今日やるつもりだとかで、サイドバッグがパンパンに膨らんでいた。
 さらに虹の広場まで走り、また休憩。今日は休憩時間が長め。寒いのと、人が多いのとで、自然に集団の動きが少なくなってしまうようだ。
 ふと、妙にレトロなベルの音がしたと思ったら、48インチのオーディナリ車にまたがって、フィリップ氏が登場。たちまち人だかりだ。高い乗車姿勢もあり、目立ち度では随一である。
 虹の広場を出て(いつもよりペースが遅い)、kit氏が乗っているLOOKのKG381をうらやましがったら、試乗させてもらえた。サイズはほぼ近かったようで、サドルがチト高かったことをのぞけば、比較的楽なポジションを取れた。短い試乗だったのでどうこうはいえないが、BBからの衝撃がTCR-2より軽い感じがした。それと、なぜかダンシングが楽しい。kit氏が以前所有していたOCR-Xに比べると、長距離でも疲れにくいそうだ。参ったな、ますます欲しくなっちまった。
 最後の休憩を挟み、葛西橋を下流側から渡ると、いつものコンビニで昼食の買出しだ。今日は火器を所持していたので、アルミ箔鍋のきつねうどんを買ってみた。これだけでは寂しいので調理済みウィンナーも買い、バックパックに入れた。
 買物が終わった人から順次、葛西臨海公園に向かった。海沿いの道に出たところで後続を待つ。後続が現れたところで、腹もすいたし、時間も遅いのでアタックだ、と増速して走り出したが、誰も着いてこない。ロンリーな道行となった。
 いつもの東屋には先客が居た。一瞬、今日は使えないかと思ったが、実は先客は寝坊して直行してきた参加者の一人だったのだ。やがて、後続も到着し始め、東屋周辺に変わった自転車と参加者が満ち溢れることになった。
 きつねうどんは見事に出来た(当たり前)。しかし物足りない。鶏鍋にでもすればよかったかな。それと、愛用のプリマスガスバーナーは、五徳が三本足で、しかも径が小さいため、大き目の鍋を載せた場合に不安定になりやすい。シエラカップで湯を沸かすぐらいなら気にもならなかったのだが。
 とりあえず解散が宣言された後、hai氏とともに御徒町のOD-BOXに寄ろうという話になった。途中まで、西葛西に行きたいが道がわからないひとりしつか女史らを先導する。西葛西駅前で一行は分散し、僕はhai氏の先導で御徒町へと向かった。
 交通量が多く、快適とはいえない道行きだったが、やがてhai氏の骨折りにより無事到着。OD-BOXを探し出し、下のフロアから順次見て回った。アウトドアフロアでは、今日の葛西臨海公園での火器大会とでもいう状況に触発されたhai氏が、携帯ストーブと食器を見て回った。イワタニのジュニアバーナーがよさげ。僕も五徳の広い、煮炊きにも使えるサイズのものが、一つ欲しくはなった。でも今のプリムスでもなんとかなるしなあ。
 東京駅までhai氏とともに走り、ここでMR-4F改をたたんだ。走行距離は60km足らずだったのだが、なぜか疲労感が強い。

NHKスペシャル「大河出現」タクラマカン砂漠、ホータン川

00時00分 テレビ 天気:チョット雲多いかな

 今夜のNHKスペシャルは、久しぶりの自然もの。タクラマカン砂漠に夏の間だけ現れる大河、ホータン川の姿を追う。
 タクラマカン砂漠は一年を通じて雨がほとんど降らない、カラカラに乾ききった砂漠地帯だ。特にその中央部は動くものの姿も稀な死の地帯だ。当然、水を連想させる川、湖など見当たらない。ところが、6月末から3ヶ月だけ、この砂漠の真ん中に大河が忽然と姿をあらわすのだ。
 タクラマカン砂漠の南部には、崑崙山脈の丈高い姿が聳え立っている。白く雪をまとった崑崙山脈には、氷河が発達している。氷河は一年中消えることが無いが、日照時間が伸び、気温が上昇する夏には、その先端部が溶け出して氷河が後退する。溶け出した水はどこに向かうのだろうか。そう、崑崙山脈から見ると低地にあるタクラマカン砂漠に向けて流れ出すのだ。
 五月。この一帯の気温が上昇すると、徐々に増える雪解け水が、砂漠に向かって流れ始める。この頃にはまだ地表を流れる水流はない。しかし水は地下に浸透し、タクラマカン砂漠から遥か北のタリム川に向けて流れて行く。五月下旬、ホータン川出現の先触れとして、タリム川へと向かう地下水路の帯が観測される。この地下の川の水位が上がりきったとき、初めてホータン川が姿を現すのだ。地下水位が低ければ、いくら大量の流水を地表を流れようとしても、すぐに乾燥し切った大地に吸い込まれるだけだ。しかし地下水位が十分高ければ、水は乾燥地帯でも地表に消えることなく、川として流れて行けるわけだ。
 6月。流路に近い町や開拓村では、人々の動きが慌しくなる。タクラマカン砂漠で水を豊富に入手できるのは、ホータン川が現れている3か月の間のことでしかない。それにあわせ、作物の栽培計画を進めなければならないし、灌漑施設も整備しなければならない。開拓村では、入植以来作物の栽培に失敗しつづけてきた農家が、今年の作物に期待をかけている。それがうまく育つかどうかは、ホータン川からの水が一日でも早く引けるかどうかに掛かっている。
 地下水位が上昇すると、乾ききっていた川床が湿り始め、靴で踏んだだけで水が染み出てくるようになる。間もなく、"川"がやってくる。
 上流から生き物のように川床を這いまわりながら下ってきた水流が、人家の近くにまで姿を現した。川の出現は、いつになっても大事件だ。たまたま川床で放牧中だった羊飼いは、大急ぎで羊たちを岸へと避難させた。
 ホータン川は、盛夏にかけてその勢いを増してゆく。方々で堤防が決壊し、その度に近隣の住民が対応に追われる。一日以上道路が使えないと、その近隣に住民に罰金が課せられるのだそうだ。日本とはえらい違いだなあ(日本だと住民が提訴して国が金を払うことになるのだろう)。
 ホータン川は、数百キロの距離を流れて行くのだが、その高低差は僅か100mくらいだという。そんなわけで、川は僅かな低地や障害物で流れを変えながら、離散、集合を繰り返して行く。だが、タリム川が近づくと、次第に一つの大きな流れにまとまって行く。そして、やがてタリム川へと合流する瞬間を迎える。ホータン川貫流の瞬間だ。
 ホータン川は9月に入ると勢いを失い、次第に川床へと消えてゆくのだろう(番組ではここまでは放送しなかった)。しかし、大河が現れ、消えるという驚異を毎年目にしている人々は、他の地域の人間たちとは自然観が異なっているのかもしれない。

2002年12月14日(土曜日)

イトイサイクル相模大野店訪問

00時00分 自転車 天気:けっこう快晴

 明日は久しぶりの荒川オフ参加なので、今日はあまり遠出しないことにした。
 昼過ぎ、やはり自転車に乗れないのはつまらないので、フラフラと出かけてしまった。乗車はEPIC号。漠然と冬用ウェアを欲していたので、在庫豊富なサガミに向かう。
 3号店を冷やかし、また店員さんと話をする。クランク軸幅を詰めて、チェーンを噛みこんでしまった現象のことを話す。その場には赤のSサイズがあったが、赤というよりオレンジに近い印象だ。これなら黒でよかった。我がEPIC号のリアフレームが傷ついた事を話し、いつか折れてしまった場合に取替え可能か聞いたら、前のROCK HOPPERでは可能だったので、多分可能だろうということだった。これで一安心。
 サイクルセンターのアパレルコーナーをうろついていたら、かぜはるか氏激賞のカステリ・ウィンドストッパー・ジャージの在庫が復活していた。早速、持っているウィンドストッパー・ジャケットの色に合わせ、黄色のMを買った。さらに足元の寒さ対策として、シューズカバーも買う。
 サガミを出て、瀬谷方面に走り、海軍道路に入った。相模大野に向かうつもりだった。海軍道路の北端でコースを西に向かい、やがてR16に合流。そのまま走りつづけると、やがて相模大野駅近くに出た。伊勢丹の対面を注意深く探すと、ずいぶん立派なビルにイトイサイクルが入っているのを発見した。ビルの1Fから5Fまで、全部使っているようだ。売り場は1Fから4Fまで。1Fはお買物自転車主体の品揃えで、2Fに本体、3Fにパーツ類が置かれている。完成車の在庫量は多い。が、サガミのようにマニアックな品揃えという感じでもない。サガミの1号店(ママチャリ専用店)から3号店までをまとめ、マニアックな部分を抜いたような塩梅だ。
 品揃えをチェックしてから、もう暮れ始めている空と競争しながら、自宅へと自転車を走らせた。

2002年12月13日(金曜日)

夜トレ行って来た

00時00分 自転車 天気:まだ晴れてる

 今夜も夜トレに出撃。ペダルをガシガシ漕ぎ続け、1時間強で帰着。今夜はなるべく長くダンシングをと心がけたが、やっぱり何分も続けられない。ダメだ、ヘタレだ。シートピラーはなかなか具合良くなってきたが、路面の突き上げをそのまま伝えてくるのにはメげる。やっぱりサス付に戻しちゃおうかな。
 夕食は作るのが面倒だったので、コンビニで買い食いした。

2002年12月12日(木曜日)

出前一丁発見

00時00分 天気:快晴(なぜ平日に)

 水曜日、会社からの帰りに立場のヨークマートに立ち寄った。前日、鍋(実は味噌煮込みうどんを作ろうと思ったのだが、八丁味噌を切らしていたためなし崩し的に寄せ鍋化した)の具材にこんにゃく系が足りないと思い出し、買い足しに寄ったのだ。できれば八丁味噌が欲しかったのだが、なんと売ってなかった。扱いを止めてしまったらしい。まあ今日も寄せ鍋にするかと思い、葛きりを買っておいた。そしてレジに並んでいたときだった。ふと、隣のレジに並んだおばさんのカゴに目が行った。あっ、出前一丁。そこには、久しぶりに目にする出前一丁五個入りパックが入っていたのだ。即座にラーメンコーナーに引き返すと、確かにある。この店はサンヨー食品の勢力が強く、日清製粉の袋ラーメンは新製品くらいしか無かったのだが、最近入れてくれた模様。さっそく、1パック買っておいた。
 今日、会社からの帰り、二日続けて鍋にしたし(食材の都合上、どうしても連日になる)、今日はあまりお腹もすいてないので、早速出前一丁にしようと思い立った。そこでまたヨークマートに立ち寄り、キャベツとベーコンを買ってきた。ついでにまた1パック買っても来たが(なんかまた扱いを止めそうな気がして)。
 早速食す。やっぱ、ごまラー油の香りは好きだなあ。これ以外のにおいが飛んじゃうのが難だが。しかし、キャベツと小ねぎが高く、意外に出費してしまってたりしてな。野菜が高騰しているのだ。野菜が美味しい季節なのに。

2002年12月11日(水曜日)

ボーナス出たからナイトラン(因果関係不明)

00時00分 自転車 天気:快晴

 無事、ボーナスが出た。でも、この前にEPIC号を買ったばかりだから、もう派手な買物は出来ない。来春に向けて、再びじわじわと貯めモードである。
 そんな鬱憤が炸裂したか、久々にナイトランしたくなった。いや、夜走ること自体は、日曜日にもやったか。TCR-2をトレーニングコースに走らせる。
 今日はそんなに負荷をかけてなかったし、実際30km/hなんて全然届かないような低速で走ったのだが、なぜか非常に汗をかく。ああ、ここ数日の暴飲(ビール)暴食(鍋)の分が抜けているのか。いや、今日はCWXの上にパンツを履いたので、やっぱり暑いのかな。
 ここ数回の試乗で、どうしてもずり下がってしまい困らされたカーボンピラーだが、十分に脱脂するともう下がらなくはなった。その代わり、あまりにきつく締めてしまったせいか、もうヒビが入ってやんの。あーあ、安もんだから(なんと6000円)、それほど痛くは無いのだが。
 帰宅して、上着を脱ぐと、汗が額から垂れた。

HNS入れ替えとnamazu再稼動

00時00分 インターネット 天気:快晴

 夜、ちょっと余裕があったので(正確には自転車いじりをする必要が無かったので)、延び延びになっていたnamazu再稼動に着手した。
 namazuが稼動しなくなったのは、Big-Netのサーバ入れ替えにより、旧バイナリが新プロセッサで実行できなくなったためだ。WebBBSもそうだったが、namazuを再稼動させるには、再コンパイルの必要がある。しかし、残っていた環境でmakeを試みてもうまくいかなかったので、その時は後回しにしたのだった。
 今日、再度その手順を思い出しながら、namazu復活に乗り出した。
 作業はBig-Netのサーバにtelnetログインして、直接行った。まず、必要なファイルのget。多少のconfig、そしてmake。基本的に、2001年5月8日の日記の通りにやればいい。ちょっとFile::Magicのインストールに手間取ったが、基本的にエラーメッセージを注意深く見て、その指示の通りに修正すれば解決できた。
 最新版namazuのインストールをして、インデックス・ファイルを作り直す。うん、快調だ。これで時々奇妙な文字列を求めて飛んでくる人々も、これを助けに目的のページを探し当てられるだろう。
 ってな感じでいい気になっていたが。ふと、"du ~"をやってみると、使用量が100MBを超えている。危うし! もしかしてと思い、インデックスファイルを完全に作り直すと、なんとか100MBを切ってくれた。さらに不要になったnamazuのmake環境とかを消して回ると、なんとかしばらくの運用に耐えられそうなくらいの容量に落ち着いた。でもそろそろ静的コンテンツは他のサイトに移すとかしないとなあ。
 ま、ともあれnamazu再稼動には成功したし、気のせいか前以上に検索が早くなってもいるようだ。これで『さくらたん』でも『女子中学生のスクール水着』でも、ガンガン検索してくんな!(またこの落ちか)

2002年12月10日(火曜日)

雪解け中

00時00分 暮らし 天気:くもりかな

 昨日の雪はかなり降り続き、隣家の屋根にも白く積もっている。明け方の気温は氷点下まで下がったようだ(エアコンの室外機いわく)。これでは雪も解けようはずがない。
 しかし、昼の間はいい天気だったので、気温は低かったが直射日光は豊富で、日の当たる場所に積みあがっていた雪は、いつの間にか解けていた。でも、屋根の上の雪はそのまま。ポタ、ポタ、少しずつ、少しずつ解けている。あー、うっとうしい、お前ら一気に解けろや、などと思ったりして。
 夜はいい天気だが、風が身を切るように冷たい。完全に冬型の気候に入ってしまったようだ。でも、このおかげで気候は比較的安定しそう。

2002年12月09日(月曜日)

初雪

00時00分 暮らし 天気:雪!

 朝、寝床で目を覚ました。いつもとなにかが違う。異様なくらいに静かだ。そういえば、いつもの夜なら長後街道を走る車がうるさいのに、昨夜は全然そんなことを感じなかった。雪による消音効果が働いたのだろうか。
 気温の低下と反比例して、僕の体調は下がって行く。全然ダメダメである。こんなんでこの週を乗り切れるのか?

2002年12月08日(日曜日)

過酷で楽しい、三崎マグロツアー2

00時00分 自転車 天気:始終小雨降る

 さて、恐れていたとおり、雨はやまない。朝になっても小雨が降っている。ところが三浦半島のピンポイント予報では、昼の間はくもりだという。雨ではない。降雨確率は50%。超絶的に微妙だ。しかし、ものすごく寒くなることは間違いない。迷ったが、いちおう決行のサインを掲示板に出した。悪天候であることから、参加は各個人で判断してくださいと書いた(というか僕が判断することでもないのだが)。すると参加取りやめが相次ぎ、最終的に4人しか残らないという事態になった。まあ、これくらいなら気楽に先導できそうだが。
 ドロップ化MR-4Fを抱えて横須賀中央に降り立ち、しばし待つ。すると、この悪天下にのこのこやってきた
変わり者勇者たちが集まってきた。hai氏、まき氏、そしてにち氏だ。みんな好きだネー(僕もだがな)。
 寒い中、駅前で自転車を展開し、コンビニで買い物を済ませ、いざ出発だ。
 小雨が続いているが、大雨ではない。みんな覚悟して雨具をつけているおかげで、さほど不快な思いをせずに走って行ける。寒いのも、走っている間は気にならない。が、止まると応える。
 R16を馬堀海岸へと向かう。今日は北北西の風という予報だったので、たぶん追い風に乗って行けると考えていた。が、実際にはえらい向かい風だった。こんなはずじゃないのに。しかし考えてみると、馬堀海岸はほぼ東西方向に伸びているので、風はやや左前方から、合成風力としては完璧に向かい風になるのだ。これは盲点だった(というか早く気づけ)。気づいたところで、向かい風は耐え忍ぶしかない。ドロップハンドルを生かしたクラウチングスタイルで頑張る。
 しかもこの日、波がかなりあって、岸壁をしばしば波が乗り越えている。けっこう高く上がる波にヒヤヒヤしながら走っていたところ、来ました、突然、高波が。避ける間もなく、その波しぶきの下に突入だ。どうなる日本! 被りました、しっかりと。「アルミも錆びる」とまき氏に脅かされる。後でしっかり整備しなければ。
 この向かい風は、観音崎を回ったところで弱まった。後はむしろ追い風だ。これは快適。みんな一気に平均速度が上がる。
 浦賀、久里浜と周り、ペリー公園で一休み。雨足は強くなく、弱く降ったりやんだりしている。おかげで、そんなに不快な思いはしない。しかし、止まっていると体が冷えてしまう。トイレに行ったり別の観光客の撮影を手伝ったりしているうちに、震えが来るようになった。危うし、俺様の肩!
 体が冷えきったところで再出発。三浦海岸を走り抜け、いよいよ引橋への上りにかかる。いよいよドロップ化の真価が問われる時が来た。一本道なので、後続にお構いなしに、自分のペースで上り始めた。うん、楽だ。やはりな。このポジションは登り坂に強いようだ。フロントをインナーに落とすことなく(実はこの日一度もインナーに入れなかったのだが)、ガシガシ登って行ける。中間地点で後続を待つふりをしながら休憩を取り(ずるい)、また上り続ける。引橋まで登りきった時点での感想は、この自転車ならこの世のどこにでも行けそう(悪路を除く)、というものだった。頼もしいぜ、ドロップ化MR-4F。
 引橋からだいたい下り基調で三崎港に降り、みんなそろってちりとてちんに突入。ここでいよいよお昼ご飯である。僕はマグロ照り焼き丼、他のみんなはお得なちりとてちん丼だった。これにまき氏、にち氏、僕には黄金の発泡液体がつく。hai氏はリンゴジュースを注文。乾杯! ここでハプニング発生。給仕の女性がhai氏のジュースを倒してしまい、hai氏にジュースが降りかかってしまったのだ。「リンゴの香りのレインウェアだ」などといじめているのか慰めているのか分からない他三名だった。
 マグロに満足した後は、"うらり"であんとろまんをぱくつく。外は寒いが、中は暖かい。勢い、長居してしまいそうな一行だった。しかし、帰路のことが気になる。これ以上天候が悪化する前に、にち氏宅に移動し、すき焼きに備えようという話になった。結局、三崎口駅でエンドだ。
 三崎口まで、いつもの坂をよじ登り、三崎口へと下った。走行距離は35km程度だった。

そして、すき焼きの夜

00時00分 天気:始終小雨降る

 横浜で降り、西口で自転車を組み(hai氏のPacificがパンクしていたので、その修理もあり)、すぐ近所のにち氏宅へと急いだ。途中ですき焼きの具も仕入れておく。@nak組も来る手筈になっている。
 にち氏の部屋に入れてもらい、まずはすき焼き準備だ。白菜だのエノキダケだのをカットしておく。みんな手伝いたいのだが、包丁が一本しかないので執刀者一名しか関与できない。ワイワイやっているうちに@nak組も到着。さらにワイワイやる。
 具が揃ったところで、いよいよすき焼き開始だ。最初の予定では割り下から入れる関東風で料理する予定だったのだが、(た)女史が何の気なしに牛脂を入れ、肉を焼き始める関西風で始めてしまったため、なし崩し的に関西風?になってしまった。だが肉がうまいのはこっちの方だ。
 その後は割り下をジャンジャン入れたので、なし崩し的に関東風になっていった。具は白菜、エノキ、しいたけ、厚揚げ、焼き豆腐、白ねぎ、しらたき、もやし(えっ?)。なんでも(あ)氏の実家では使うそうな。それをみんなで馬鹿にしていたら、実はにち氏の実家でも入れていた事実が判明。一気に態度が大きくなる(あ)氏であった(笑)。
 実は肉は2種類用意されていた。今まで食べていたのが150円/100gの安い方。いよいよ登場する高い方は400円/100gだとか。いつの間にか汁が揮発してしまったので、最終的にはまた関西風に戻ってしまった。割り下も切れているので、砂糖と醤油の純関西風味付けになった。お味の方は、やはり高い方がちゃんとした肉の味がしておいしい。今度、僕も試してみよう(でも金がないからなあ)。
 食後は、コーヒーと@nak組が買ってきてくれたケーキで締める。ごちそう様でした。
 21:00過ぎ、遅くなる前に解散ということになった。僕は自走で帰るつもりだったので、にち氏のマンションの前でみんなと別れ、平沼橋を渡った。そしてR1をひた走る。この時間帯は、案外に交通量が多くて弱った。しかも、だんだん雨足が強まってくるし。幸い、新道との分岐を過ぎてからは、交通量が減ったので、余裕を持って帰着できた。
 帰ってから整備を、とか思っていたら、猛烈に体調が悪化してしまい、ほとんどバタンキューで布団に潜り込んだ。
 真夜中、ふと起き出すと、外が異様に静かだった。雪が降っていた。真冬がやってきたのだ。

2002年12月07日(土曜日)

やはり雨です

00時00分 暮らし 天気:雨ですぜ

 どうも明日も雨が避けられない感じだ。三浦半島のスポット予報では昼の間は曇りで保つ雰囲気だが、路面はウェットなままだろう。それに戸塚とか横浜辺りは夕方から雨になるそうだから、どう考えても降られそうな感じだ。幸い、行程の大半を風を背負って走るため、走ること自体は楽そうだが。
 まあ、ウェットでのMR-4Fの挙動を知るいい機会かもしれない。などと自分を慰めたりして。明日は何人参加してくれることやら......。

NHKスペシャル「変革の世紀」

00時00分 テレビ 天気:雨ですぜ

 今夜のNHKスペシャルは、「変革の世紀」。このシリーズも最終回だ。
 冷戦終結後に明らかに変わり始めた富のあり方は、日本型企業にも大きな変化を強要し始めている。狂牛病対策費を国家からだまし取ろうとした日本ハムでは、若手社員を中心に企業風土を変えようという運動が進められている。従来、日本ハムという企業の中で、いくつもの独立性の高い部門が競い合って、売上高の高さを競うというあり方が続けられて来た。しかしこの形態は、企業内部に縦割り社会を作り出し、企業内部の風通しを悪化させるという弱点がある。今回の不正でも、現場(直轄子会社)による不正は直属の部門で握りつぶされ、内部告発により初めて外部に知られる結果になった。日立という会社も強い縦割り型なので、けっこう耳が痛い話だ。
 直接的に内部告発を奨励しようという動きは、NECなどの電機系大手にも広がっている。内部告発専用のメールアドレスを公開して、内部からの声を直接中枢に吸い上げようという意図だ。これにより、社内の不正が大きくなる前に、対策を打てたという。しかし、これは一種の秘密警察ではないだろうか。インターネットアクセスに対するフィルタリングもそうなのだが、本来は社内の個々人の活動は、その当人の裁量に任されるべきだ。エロいウェブの閲覧がけしからぬということなら、単にその社員のアクセス量が、生み出す利益に見合ってないという事実を指摘して、是正を迫るべきだろう。フィルタリングという非インテリジェントな手段はやりすぎだと思うのだ。同じように告発のような手段も、と書きかけて、告発の場合は告発者、告発受理者というそれぞれの段階で知的な判断が期待できるからいいのか、と自己解決してしまったりしてな(ダメじゃん)。しかし、内部告発はその性質上告発者を隠蔽しなければならないので、社内競争で足を引っ張る手段として悪用されるかもしれない。またそれとは逆に、情報の質から告発者が特定されてしまう可能性も高い。告発者を保護しながら、制度を悪用されない仕組みが不可欠だ。
 番組では音楽産業界からの主張をほぼそのまま取り上げて、「(不正)コピー=悪」という図式を強調しながら、著作権の保護を不可欠とする内容を放送した。だが、いわゆる不正コピー問題の根本には、消費者の側からすれば問題とは思えない行為までの排除を強要されていることに対する、強い反感が横たわっているのではないだろうか。さらにいえば、"権利"というもののあり方自身が変わりつつあるのだ。
 例えば音楽CDをコピーして友人に渡すこと。あるいは歌詞(の一部)をウェブで引用すること、などが、"権利者"の側から"不正"とされている行為だ。しかし、前者はともかく、後者が本当に権利侵害に当たるのだろうか。歌詞を一つ引用する毎に、"権利者"の儲けが減って行くなんて信じられるだろうか。それが『歌詞を引用する毎に課金する仕組みを作れば儲かるはずなのだから、これは侵害である』という主張に基づいているのなら、僕はいくらなんでも権利の濫用に過ぎないだろうと思うのだが。だいたい、自由な引用を拒むということは、自由な批評をも拒むということだ。それは市井に新たな才能が育ちにくいということを意味する。前者の行為も、同じように濫用されれば、自由な才能を育てる機会を失わせることにつながらないだろうか。
 権利者側の主張を言い換えれば、金のない者は音楽を聴くなということになる。タダでは聴かせないと。だが先人たちの無償の膨大な蓄積の上に成り立っているくせに、自分たちの持ち物だけはしっかり有償とする価値観は奇形的ではないだろうか。いったい、ただ単に"今"存在しているというだけで、音楽という巨大な共有財産のあり方を決定付けられるなどと、彼らはなぜ思い上がるのだろうか。
 よしんば音楽産業が成り立たなくなったとしても、それで誰が、どれほど困るというのか。産業界の人々を除けば、誰も困らないのではないだろうか。社会現象として容易に思いつくのが、メガヒットが出にくくなるという点だろう。これという大ヒットは無くなるかもしれない。実際、音楽CDのメガヒットは、このところ急激に減っている。しかし、それらの急激なヒットは、結局は音楽産業自身の作り出したもので、聴く側からすればどうでもいいことだと思う。例えばBeatlesだのDeep Purpleだのだって、あんな大ヒットにはつながらなかったかもしれない。でも僕は、本当に良いものならば常に売れ続け、結局世に広く知られるようになるのだと信じている。今は音楽産業の背後に隠蔽されているCD製作手段が、インターネットを介してクリエータと結びつくようになるまで、あと一歩だと思う。そうなれば、ますます産業界はその存在意義を問われるようなるだろう。音楽産業があるから音楽があるのではない。ハードロックだのポップスだのという産業音楽に音楽産業(なんの洒落だ)が深くかかわっているのは認めるにせよ、結局はそれらだって一つの必然として登場しただろうと思うのだ。音楽産業はプロモーターだったかもしれないが、自身がクリエーターだった例は無いじゃないか。それなのに自らが文化の創造者であるかのように振る舞うとは、なんという思い上がりなのだ、はあはあ(なにを興奮しているのだ)。
 こう考えると、本来の権利者を取り込もうという産業界(音楽に限らず文芸、美術などなど)の動きは剣呑に思える。なぜならば、本来のクリエーターたちが主張するとき、正面切って反論しづらい雰囲気が醸し出されるからだ。しかし、クリエーターたちは、自由な批評を最も必要とする部分であるはずだ。本来ならばクリエーターとコンシューマーがサシで話し合えばいいものを、中間搾取しているに過ぎない産業界が出てくるから話がややこしくなるのだ。コンピュータ産業(特に無形のソフトウェア産業)にも無縁な話ではない。
 そういう意味で、番組中登場していた新しいデリバリーの形を追求するクリエーターたちの姿は興味深い。ある小説家は、10年掛かりで書き上げた小説を1年ほど前に上梓した。しかしその小説の最終的な原稿は、実はインターネットのウェブサイトでも公開されているのだ。その小説は、数年前からインターネット上に公開されており、その読者からのインタラクティブな批評を通じ、完成形に近づいていったという。小説から、その小説を広く読んで欲しいから公開しているという。所得につなげるより、広く読まれることで社会的な知の増大に貢献することを願っている、というわけなのだろう。かっこいいなあ。しかし、餓死の危険性が飛躍的に低減された現代社会において、金銭的な富よりも社会的な富に寄与することを望む層が増えているのは事実だろう。与謝野晶子の"黄金の釘"というわけだ。大昔にだって樽のディオゲネスのような変わり者がいたんだし。
 そんな富に対する市民の態度の変化は、自ら社会に対して行動しようという意思につながって行く。
 近年、NGOに代表される市民グループの活動が全世界に広がっている。今、国境を越えた国際協力、なかんずく難民対策において、NGOの力は不可欠なものになりつつある。国家の枠から自由な彼らは、ごく自然に他国(あるいは多国籍)のNGOと協力体制を取り、結果的に一国家を越える影響力を行使する場合すらある。NGOについてはもう常識の範疇だろう。
 市民グループの活動として面白かったのが、北海道で進められている市民による風力発電プラント建設プロジェクトだ。これは一般市民から出資を募り、17年で償還するという前提で大型の風力発電施設を作るというものだ。従来の市民運動が法制度や援助活動のような無形、あるいは不定形のものを対象にしていたのに対し、これはプラントという有形のものを自らの手で作ろうという画期的なものだ。特に電力政策は国家、産業界の専任事項とされてきたものなのだから、そこに市民層が直接介入し始めたという意義は小さくないと思うのだ。こうしたプラントが、風力発電に限らず満遍なく張り巡らされるようになったとしたら、ある地域の巨大プラントで集中的に電力を生産するという基本政策すら、その意義を問われるようになるだろう。ひいては、市民の側からはつねに否定的な評価を受け続けている原発も、その立場が危うくなるかもしれない。マクロな国家戦略が、ミクロな市民活動の積み重ねで変わるかもしれない。否、その存在意義が失われるかもしれない。そういう面白さと、危うさが共にある。
 番組を通して見て、その狙いはいまいち分からなかったのだが(あるいは番組ホームページとのインタラクティブ性を狙いすぎたのか)、この先に待ち受ける変化の風は確かに感じた。市民パワーが、知の、富のあり方がどう変わるのか、あるいは結局変わらないのか、まだ未来は計り知れない。だがはっきりいえることは、近未来社会においては、行動せざるものに発言の権利無しという倫理が打ち出されるだろうということだ。漫然とそこに座って権利を主張するものに未来はないのだ。こりゃキビシーよ。
 翻って我が身を省みれば、毎日インターネットだの自転車だの本だのに耽溺しているのはどうよ? 僕が社会に関与する手段、それはどうあるべきなのか、それを模索してみたくなった。

2002年12月06日(金曜日)

またまた気になる週末のお天気

00時00分 暮らし 天気:悪化中

 今週末には鮪ツアー2を決行する予定だ。が、なんだか雲行きが怪しい。週末に寒気が入ってくるとかで、雨の予報なのだ。しかも、気温が急激に下がるそうだ。今回のオフ(自転車に乗ることが主体の集まりなのにこっちがオフなのは変な話だが)には初めての参加者が多いので、悪天候は心配だ。参加してくれたはいいが、二度と自転車に乗りたくないなんて話になったら。参加するしないは個々人で決めてもらうしかないが、どうせ参加するのなら気持よく乗ってもらいたいものだ。そういうわけで、週末の天気がかなり気がかりだ。
 僕自身はMR-4F改の調子を見たいので、少々の雨でも走るつもりだが。天気の神は今度こそ微笑んでくれるだろうか。

2002年12月05日(木曜日)

みごと寝不足に

00時00分 暮らし 天気:晴れてますがな

 昨日、お好みハウスからの帰還後に、体調がおかしくなってしまった。どうもビール+ワインで悪酔いしたようだ(こぐ氏も不調になった模様)。お好みハウスでは、最初の一杯だけで我慢した方が無難か(x_x)
 朝方まで全然眠れず、結果、見事な寝不足になっちまった。やむなくリポDドーピングで体を動かす俺様だった。

2002年12月04日(水曜日)

今夜もお好みハウスで(&その余波)

00時00分 天気:雨です

 今日は定例お好みハウス研究会の日。職場の歓送迎会の日でもあったのだが、出ても楽しくないのでこっちは蹴って、お好みハウスに参加だ。20:00からということになったので、いったん帰宅して、1時間ほど寝る。朝からいまいち不調なのだ。
 一眠りの後、いよいよお好みハウスに出動。雨が無ければ自走するところだが、電車で向かった。
 既ににち氏、こぐ氏が始めていたので、合流していろいろヤり始める。牛モツ、鯖(激ウマ)、鶏パリ、トマトチーズなど。最後はお好み焼きで、22:30くらいに上がる。いつもよりやや早めに切り上げた。
 それから地下鉄で帰宅したのだが、アルコールが足に来て、結構大変な思いをしながら帰った。ビールは中ジョッキ1杯しかやってないのだが。ちょっとだけ飲んだワインが効いたのか。幸い、地下鉄では座れたので、ほとんど眠って帰った。
 帰宅して、MR-4Fを調整する。ハンドルは、暫定処置としてかなりアップ気味に付け直した。ブラケット位置が高くなって、少しは楽になるかも。また不調だったRDも、ワイヤのテンションを調整すると改善された。しかし、路面に雨が残っているので、試走はしない。
 もう一つ、TOPEAKのキャリアが着くかどうか試した。これもあっさりと着き、日曜日の鮪2作戦にはこのキャリア(&バッグ)装備MR-4Fで出る可能性が高まった。しかし輪行袋は? 専用のものがでかすぎて取り付けようが無いので、かつてBD-1に使用していたちび輪バッグで輪行しようと考えている。入りきるかな?

2002年12月03日(火曜日)

今夜はダメダメな夜トレ

00時00分 自転車 天気:くもり

 日曜日に、TCR-2のシートピラーを、サス付(ポストモダン・ブレーサーっての)から、スペシャの安いカーボン(激安6000円台)。に替えた。本来はMTB用なのだが、ロード用は250mmがほとんどで、270mmは欲しかったので、350mmのこれを買うことにしたのだ。
 カーボン地のシートピラーは艶やかで、美しい。特に肌触りがたまらん。
 21:30を過ぎた頃、いつものコースに走り出した。
 ......なんか下がってないか? いや、シートの位置が......。どうも、走っているうちに、だんだん下がってくるのだ。カーボンの滑らかさが災いしているのか。停まって、シートを大きく上げ、グリスを拭う。しかし、それでも下がる傾向は止められなかった。いつもと違う足位置、突き上げる衝撃(カーボンとはいえサス付とは比較にならない)から、いつもの倍は疲労しながら帰着した。
 これは、少し残っているグリスのせいかと思い、ディグリーザーでシートピラー、シートポスト周辺を入念に脱脂しておいた。しかし、突き上げる衝撃のことを考えると、もしかしてロックショックス辺りの長めのサス付に替えた方が良いかも。

2002年12月02日(月曜日)

ドロップ化MR-4Fで夜トレ

00時00分 自転車 天気:くもりやら

 昨日改造したMR-4Fで、早速ナイトランに出かけた。
 ポジションのせいかドロップハンドルのせいか、ダンシングは以前に比べて格段にやりやすい。しかし、腰に負担が掛かりそうなポジションではある。
 境川をゆっくり下って行く。メインのライトがEL300なので、前方視界はあまりよくないのだ。そして俣野ののぼりに差し掛かった。ここからがドロップ化MR-4Fの真価を問われる局面だ。
 ギアをミドルに落とし、坂をぐいぐい登っていった。ペダルに力を掛けやすい。本当にぐいぐい上ってゆく感じ。頂上まで登りきっても、余力はTCR-2の場合よりあったかもしれない。意外に好感度高し。
 R467そ突っ走る。ここでも結構なハイペースで走れる。TCR-2並だ。これは、いいかも。しかし、やはりハンドルが低すぎて、背中に負荷が掛かっているのを感じる。背筋鍛えるにゃよさげだが。
 やっぱりステムは替えるかな。それともなんちゃってアヘッドに換えるか。

2002年12月01日(日曜日)

MR-4Fドロップハンドル化(&前3枚化完結編......か?)

00時00分 自転車 天気:寒い雨

 雨のしょぼ降る一日。こういう日には自転車いじりだ。
 昨日届いたのは、TCR-2用のカーボンシートピラー、MR-4Fドロップ化部品、そしてBikeEローギア比&クロスレシオ化セット、その他だ。
 このうち、TCR-2のシートピラーは、昨夜のまだ雨の無い時間に試してはいた。今年の頭に替えたサスペンション付シートピラーにはあまり不満が無かったのだが、極度のスローピングフレームであるTCR-2に、長さ250mmのこれはいかにも短い。実際、インサート限界点を2cmほども越えている。フレーム側にダメージが及ばないか心配だ。次はもっと長いサス付に替えるという手もあったのだが、見た目でカーボンピラーを選んだ。ちょうどスペシャライズドから激安なものが出ていたので、これに決定。でも大丈夫かね。走ってみると、サス付のように沈み込むことがない分、ダンシングとシッティングそれぞれの姿勢に差が少なく、その点は良い。しかし、シッティング時に路面の突き上げはまともに食らう。一長一短ありだ。カーボンのしなやかさがどれくらい有効だろうか。
 今日のメインディッシュは、MR-4Fのドロップハンドル化だ。
 MR-4Fをメンテスタンドに載せ、まずはハンドルをケーブル、ステムごと外した。替わりにつけるのは、プロファイルの80mm/72度ノーマルステム(ノーマルサイズ)、チネリのドロップハンドル(芯芯400mm)。これを組み付け、UltegraグレードのSTIを組み付ける。さらにケーブル類を引いてゆく。従来、ケーブルエンドはキャップで処理していたのだが、外れやすく扱いにくいので、半田で処理してみた。これは結果良好で、大変扱いやすく、見た目もかっこいいぞ。
 それから前後ディレイラの調整をして、またがってみて、ポジションを見た。......こ、これは、ハンドルがすげえ低い。見た目、シートに対して、5cmは低い感じだ。物凄く戦闘的なポジションだなあ。ステムの調整幅が、思っていたより少ないのが誤算だった。わざわざ72度というハンドル位置が低くなるものを選んだのが、裏目に出たようだ。
 とりあえず、走れなくは無さそうなので、バーテープを巻いて、ヨークマートまで買物に行ってきた。
 まだRDのチューンが完璧じゃないので、シフトはスムーズじゃない。それを置いて、このポジションはどうだ。なんというか、物凄く戦闘的だ。TCR-2(シート:ハンドル高低差は3cm程度か)に対し、ドロップ化MR-4Fはほとんど這うようなポジションになる。BD-1に対し、本気で走れる折り畳みと位置付けたMR-4Fには、あるいはふさわしいポジションかも。だが、これで100km走れるだろうか。早くも腰がどうにかなりそうな予感がする。
 サガミで、もっといいステムを探してくるか。