Strange Days

2003年09月30日(火曜日)

こんなにいい天気に

00時00分 暮らし 天気:秋晴れ

 仕事の合間に空模様を眺めると、これがまた嫌になるくらいの快晴だ。なにが嫌って、こんないい天気なのに、窓も無い部屋の中で黙々仕事をする自分が嫌だ。今日こそ自転車日和だぜ。でもまあ、これが浮世のしのぎという物さ。
 今日も疲労感は拭えず、時々意識ボーっとしてしまう。本当なら、こういう時はちょっと体を動かせばいいんだけど。

2003年09月29日(月曜日)

南会津後遺症

00時00分 暮らし 天気:いいの?

 疲労に体が鈍りきった一日だった。やはり、全身くまなく疲れていたのだろう。食欲もいまいちで、今日は一日中ダメ人間のまま終わるだろうなと思いつつ出社し、その通りダメ人間のまま帰宅した一日だった。
 MTBの清掃を、と思ってはいたのだが、気分が乗らなかったので、週末にでも回すかと考え中だ。
 あまりに疲労していたからか、ついつい新しいロードフレームを発注してしまった(つうか、なんの関連が?) そう、スペシャのカーボン/アルミバイク、Tarmacを発注したのである。入荷は年末、ということは走れるのは来年になるだろうか。とりあえず、TCR-2のコンポを総移植して、来年の10速デュラに備えるつもりだ。来年の南会津は、これで走るか。

2003年09月28日(日曜日)

第3回東京・南会津サイクルトレイン2日目

00時00分 自転車 天気:いいのだ

唐沢峠越え


 朝、6:30に起床。昨夜はぐっすり眠られたので、気分的には楽だ。だが全身に疲労感が漂っている。特に膝にストレスを感じる。やっぱ、ちゃんとアイシングしておけばよかった。次回への課題だ。
 7:00から朝食ということだったので、大広間に向かった。朝食は温泉卵、鮎の甘露煮、肉じゃがなど。ご飯はきのこご飯だった。食が進む。
 8:00に玄関に集まり、昨夜の大型犬(パルという名前だった)を前に記念撮影。ここもいい宿だった。
 自転車を置いたガレージに徒歩で移動し、ここからはめいめいの自転車で唐沢峠を上って行くことになる。
 唐沢峠は全線ダートの上りで、まさにMTBの為の道という観がある。ダートが始まる場所までみんなで上り、そこからは各自のペースで上っていった。自分の体力を鑑み、真っ先にスタート。
 昨日も感じたことだが、ダートの上りは舗装路の上りとは違うスキルが必要で、体力を余計に使う傾向がある。軽いギアを回して上っていったが、昨日の疲労がたまって、次第に足が回りにくくなっていった。それでも頑張って上っていったが、最後の方で力尽き、数人にパスされる。それでも、なんとかトップグループで峠の頂上に到着した。残念ながら、山間の切通しという感じの道で、見通しは良くない。それでも、周囲の緑がすがすがしい。

大規模林道


 唐沢峠を下り、少し走ると、木賊温泉に到達する。ここで大規模林道を前にした、最後の小休止があった。道端にずらりと自転車を並べ、ボトルのドリンクで喉を潤す。
 さて、いよいよこのツーリングのメインイヴェント、大規模林道の踏破だ。確か800mくらい上るんだな、と憶えていたので、高度計を横目に見ながらの上りになりそうだ。
 ちょっと準備が遅れたので、身支度して先行グループを追い始めた。ずっと前方にhai氏の後姿が見える。ねず吉氏と、つらいねえ、などといいながら上って行く。
 先行するグループにはすぐに追いつくつもりだった。だが、あれ、離されてゆきますよ? 全然足が回らないではないか。心拍がすぐに上がるので、これはもう燃え尽き寸前? この大規模林道では、費やせる時間が限られているので、バシバシと足切りがかかるらしい。あんまり下位の方にいると、お声が掛かるかも。危うし、俺様! 必死に登りに掛かる。が、足は思うようには回ってくれないものだ。当たり前だな。いつでも思うように回ってくれるものなら、今頃は日本一周でもなんでも出来てるよ! 思うように回らないからこそ、自転車は面白い、のか?
 そんなのん気なことは言ってられない。上位に追いつくどころか、どんどん抜かれてゆく状況だ。マジにツライっす。足が回らなくなると、他にも気になるところが出てくる。たとえば直前に換えたサドルが硬すぎて、尻が痛すぎることとか(定期的に尻を上げて対処)、右手に血行障害が出て、痺れてきたこととか(しばしば片手運転して対処)。あまりにつらすぎるので、無休憩という目標は放棄し、高度200m程度で小休止を取ることにした。ストレッチして、固まってきた体をほぐし、なんとか動かそうとする。
 そろそろ半分かな、という辺りで、先行集団が休止しているのに追いついた。GPS表示を見ると、この先も九十九折れが続いているようだ。一瞬、タイヤの気圧を3.5BARから最高(確か5BAR)まで上げようかと思ったが、Crank Bros.のインフレーターでは日が暮れてしまうので、諦める。
 適当に休んだところで、先行集団はもう出発していってしまった。すぐに出る気力は無く、少し間をおいて再出発した。
 また汗だくになりながら、上り続ける。上りでは、ドロップハンドルみたいに姿勢を変えられるハンドルが欲しいな。EPICに着けているライザーハンドルは、ハンドルが曲がっている場所をシフターのクランプ部が通れない関係で、僕にとっては幅が広すぎる。だから、ダンシングするのがかなり難しい(というか楽しくない)自転車になってしまっているのだ。これも、もっと幅を詰められるストレートの、それもカーボンのハンドルに換えてしまいたい所だ。
 高度計を横目に、上り続ける。確か1700mくらいまで上るんだったか。正確な標高は分からないが、さっき木賊温泉で『700m上り』という情報があったので、その時の標高から逆算すると、この高度計では1650mまで上がれば頂上のはず。しかしまあ、相変わらずつらい。そういえば、木賊温泉を出た頃に比べると、ずいぶん人が減ってしまった気がする。先ほど、自転車を満載したサポートカーが上っていったので、下位グループは続々と足切られているのだろう。それが背中に迫ってくる気がして、慌てて足の回転数を上げた。
 高度が上がると、木立もまばらになり、楽しい景色が広がってくる。もちろん、そっちに目をやる余裕は無いが。後ろからやってきた二人連れに抜かれるとき、『後200mくらい上りです』と言っておいた。もちろん、自分に言い聞かせるために。最後まで上りきれるように、さらに体力温存モードに退行する。要するに、7km/hの世界から、6km/h、さらには5km/hの世界へと
 この辺りで、少しアップダウン気味になってくる。もちろん上りが圧倒的に多いのだが、少し山肌を縫う観も出てきた。これはきついなあ、という急坂を登りきると、目の前にトンネルが口を開けていた。高度計の読みは1550m。まだまだだな、そう思った。
 トンネルは結構長く、照明の類が一切無い。対向車も皆無なので、自分の走行音が反射して聞こえるだけだ。ふと思いついて、『ヒョ!』などと声を出して、反響を楽しんだりして。『にょ!』じゃないだけ、自制心は残っていたようだな(なにがだ)。
 やがてトンネルを抜けた。さあ、下りだ。えっ、下り? 高度計によれば、少なくとも100m以上の上りが待っているはずだ。しかし、この先はどう見ても下りだ。とどめに、少し先にある駐車スペースに、先行した全員が待っている。あはは、どこかで大きく読み間違えたようだ(この場合は嬉しい方に)。
 自転車を止めて、やっと一休み。これでもう、大きな上りは残ってない。飲み物で喉を潤し、トマトが振舞われていたので齧り付く。南郷トマトなる名産品で、確かに汁気たっぷりで大層美味であった。

南会津を駆け抜けて


 苦しい上りの後は、ご褒美の下りが待っている。下りではEPICは最強だなあ。ほとんどダウンヒルバイクだ。もう少しリアタイヤの空気圧か、リアサスのそれを下げたい気もするが。また、どんな状況でもガツンと利いてくれるVブレーキは頼りになる。逆にジャックナイフが怖いくらいだ。というのを、この後で思い知ることになる。
 『みんなビョーキ』と和田(夫)氏が評するダウンヒルを楽しんだ後は、この辺りの景勝地をいくつかつないで走った。屏風岩という大きな一枚岩が立ちはだかるポイントで小休止。この辺りは、いかにもな渓谷美あふれる場所が散見された。
 ドライブインのような観光設備で長めの休憩を取った時のことだった。先に到着して、目に付いた"ゴマソフト"の文字に惹かれ、さっさとそれを買い求めて、外で味わっていた。ゴマの風味が利いて、これは大層美味だった。やっぱり自転車にはアイスだよな、などと再認識したりして。
 ふと、来た道に目をやると、なぜか隊列の後半が、この施設直前の橋梁の上で止まったきりだ。なにか、問題があったようだ。ようやく動き出し、こちらに到着する。どうやら参加者の一人がコケてしまったようだ。実は、先ほどの橋の上からは、真下を流れる渓谷のおいしい眺めが得られる。だから、多くの人が自転車を止め、一時魅入ってしまうのだ。かく言う僕もそうだった。その人は、前の隊列がそんな風にして停止したとき、反応が遅れてしまい、パニックブレーキ気味にレバーを引いてしまったらしい。Vブレーキがガツンと効いて、ジャックナイフ気味に前転してしまったのだという。肩や手を打ってしまったが、走行には支障無さそう。やっぱり、とっさの時に自制できるよう、十分気をつけないと。効きすぎるブレーキも怖いものだ。
 トラブルがもう一つ。なんと、ゴマソフトのコーンがさっさと切れてしまったとかで、買いそびれた人が出てしまったのだ。たかが30人程度(買い求めた人はもっと少ないだろう)の客を捌ききれなかったとは。ゴマソフト、おいしかったんだけど、売れてないのかな?
 ここから先、時間がますます押してくる。慌しく隊列を組んで、会津の田園風景を走り続けた。やがて、小学校の一角にある、風格ある大樹の傍に来た。これが天然記念物に指定されている、古町の大イチョウだった。もっと樹勢が盛んだった頃は、校庭に大きな影を作っていたそうだ。この前で記念撮影。あまりに大きなイチョウをバックに、なんだか30人の参加者もまばらに見えたとか。
 昼食場所は、久川城址公園の予定だったが、グラウンドが付随した何かの施設での昼食になった。そのグラウンドを見下ろす芝の上で、仕出し弁当の昼食をとった。これはこれで、遠くまで盆地を抱きながら連なる山並みが見渡せて、魅力的なロケーションではある。第1回の時、観音沼のほとりで幕の内弁当をいただいた時にも思ったのだが、この地ではただの弁当さえもおいしいものだ。

きらら温泉に


 食後、あまり時間を取らないで、出発。先ほどまでの山間部とは異なった、盆地の田園風景の中を駆け抜けてゆく。平地では元気に走る我輩であった。しかし、あまりに尻が痛いので、少しの坂でもダンシングで上ってゆく羽目に。決して元気が余っていたわけではなく、ダンシングでもして体力を搾り出さないと、とても走っていられなかったくらいだ。
 大規模林道を下って以降、きらら温泉(なんちゅう名前)までは、長いスノーシェッドを何度も慎重に潜り抜けて行った。大きな雪よけのシェルターで、中は暗い。危険なので、前後を車で走り、女性陣を前に、隊列を組んで走っていった。これはこれで、妙に楽しい時間だった。ただ、途中で隊列が延びすぎる瞬間があって、迷子が出ないかと心配になったのだが。
 やがて、真新しい、大きな施設に到着。ここが最終目的地のきらら温泉だった。なんでも、竹下内閣当時のふるさと創生政策の1億円で掘ったんだとか。温泉ブーム盛んなりし頃だったので、温泉掘削という博打に打って出た自治体は多かったらしいが、的中率が低かったとか。ここは成功した方に入るのだろうか。
 自転車を適当な空きスペースに止め、人間の方は温泉に入る。泉水がしょっぱかったのにはびっくり。還流式で、人体から溶け出した成分が味を醸しているのだろうか(いやまさか)。
 風呂から上がり、みやげ物を漁る。ちょうど名物の南郷トマトが入荷したところだったのだが、バックパックにとても入りそうに無かったので、諦めた。

さらば、南会津


 ここからはマイクロバスで会津田島駅まで移動する。自転車ではとても苦労しそうな道のりを、エンジン付ならあっという間に駆け抜けて行ける。文明の利器なり。しかし、時間があれば、やっぱり自力で走ってみたかった。
 会津田島駅には、既にCコースの参加者が集まっていた。にち氏らとも再会。自転車をホームに入れ、ほっと一息。
 余裕は少ない。程なく、帰りの列車が入線し、再び慌しく自転車を入れる。一息ついた後には、もうお別れだ。ドアが閉まり、地元の人々(全てがボランティアだという)との間に敷居が生まれた。列車が滑り出した。お互いに手を振り、別れを告げた。さらば南会津。来年の第4回まで(もう出る気か)。ちなみに、来年は5/29,30だそうな。
 会津高原駅で、A,Dコースの人員だけ(自転車は会津田島に先行して、既に積み込まれていた)が乗り込んできた。こぐ氏とも再会する。Aコースも、おいしそうなコースだ。次回はAコースにしようかな。
 列車は走り続け、山間の渓谷が、次第に平野に、都会に変わってゆく。旅の終わりが近いのだと実感した。
 気分的にとても憂鬱になっていたので(特に明日以降の仕事の日々を顧みるに)、一人で離れたシートに座って、ぼんやりしていた。時々立っては、別の車両にも顔を出す。春のような狂ったような乗りではない。どうやら、みんな疲れてしまったようだ。春よりはきついコース設定だったからな。
 東京に近づいたところで、めいめいの車両で締めが始まった。と、クリキン氏がやってきて、『全車一斉に関東三本締めやるから、見本を見せてあげて』と頼まれる。やる気で待っていたら、Bコース独自の締めが始まり、それが全車一斉のそれと重なって混乱したため、十分見本を示すにはいたらなかった。次回への反省だ(ってやるのか)。
 とりあえず締めて、北千住、浅草と停車し、各々の乗客を降ろして行った。こぐ氏一行とは北千住でお別れだった。
 浅草で流れ解散となり、とりあえず北口を出て、なんとなくBD-ML人脈を中心に墨田公園に集結した。とりあえず東京まで走り、そこから輪行することにした。東京までは同行することにして、一団について走り出した。が、足が回らない。夕食を取ってなかったので、完全にハンガーノックになっていた。たまらず、途中で『ここで分かれます』と告げ、適当な店でうどんでも食おうと思いつつ走った。が、これという店が見当たらない。いまさら、コンビニでというのもなあ。なんて考えているうちに、再びおのひろき一行に追いついてしまったではないか(爆)。『やあ、奇遇だね』などとぎこちなく挨拶する俺様は、いい笑い者だった。
 東京駅近辺で、やはり輪行するすずき氏ともども、一団から分離した。駅前で輪行準備。やはりMR-4Fの輪行準備はあっという間に終わり、MTBはまだ輪行準備の準備が終わった時点だった。"人に見られていると輪行準備が進まない現象"が発生したのと、疲労からくるイライラが募り、せっかく待っていてくれるすずき氏に「時間が掛かるので先に行ってください!」と言い放ってしまった。すずき氏は一瞬、むっとした顔をしたようだが、寛容に「ではお気をつけて」と別れを告げ、去っていった。ああ、俺はこういうところがダメなんだな。なんか気分的に更に落ち込んで、自転車がさらに重く感じられた。
 半ば崩れ落ちるようにして東海道線の列車に乗り込み、後はボーっと、眠り込まないようにしながら、戸塚到着を待った。戸塚から地下鉄に乗り換え、戸塚で降りて輪行解除する。帰宅は22:00を大きく過ぎた頃だった。疲れ切っていたので、MTBの清掃は後回しにして、とにかく風呂に入る。そして軽い夕食を取ってメールの処理をしたら、もう耐えられないくらいの眠気に襲われた。横になって。あっという間に就眠。
 今回の南会津は、走りという点では充実しきっていたな。

2003年09月27日(土曜日)

第3回東京・南会津サイクルトレイン1日目

00時00分 自転車 天気:いいね

集合、そして出発


 いよいよ当日。3:30には起き、簡単な朝食と身支度を済ませる。4:30頃に家を出て、EPICで戸塚駅まで走った。夜明け前の空には、もうオリオン座が掛かっていた。
 戸塚駅前でEPICを輪行体勢にする。多量の紐でしっかり固定すると輪行が楽なので、輪行袋付属の3本のほか、適当な長さのビニールテープを3本用意してきたのだ。が、この長さが適当すぎて、フレームにホイールをくくりつけるには微妙に短い。なんとかくくりつけたものの、次回への課題として残ってしまった。
 一度輪行体制にしてしまえば、EPICはセキサイダー付BD-1とさほど変わらない重さなので、楽に担いで行ける。東海道線のホームに立って、5:15の東京行きを待つ。ホームにはゴルフバッグを担いだ人が結構多い。意外に人気の多い、早朝のホームだった。
 東京行きに乗り込む。ガラガラの車内で、だんだん明けてゆく空を眺めていた。睡眠時間は、とりあえず十分なようだ。
 新橋で地下鉄浅草線に乗り換え、やがて浅草に到着。地上に出たところでEPICを組み立て、再び車上の人となって墨田公園に向かった。
 前回と同じ受付場所に到着すると、すでに受付は開始されていた。今回もCコース担当らしいクリキン氏(いつも楽しい人)、山アドのQ女史、第1回で御世話になった和田御夫妻、そして事務局長の野田氏らの姿が見える。受付を済ませて振り向くと、同じBコースに参加するBD-MLのねず吉氏と目が合った。さらに同コースのhai氏、田原氏、Cコースのにち氏、すずきなおし氏らが続々と到着する。慌しい中にも、また初秋の南会津に再会できる期待に、胸が膨らむ思いだ。
 たか氏ら、大物トライクに乗ったおのひろき氏らが到着し、他にもBD-MLやRecumbent-MLで見知った顔が多く見られ、賑やかだ。しかし今回は、あえてBコースを選んだ。さすがに参加の度に同じ顔ぶれとばかり、という事態は避けたかった。それに、あまりブロックタイヤを履く機会の無いEPICに、その機会を与えてやりたかった。ごめんな、こんなオーナーで。
 時間になり、駅のホームまで移動する。去年より心持スムーズに進んでくれた気がする。その後、節目節目で感じたことだが、スタッフのそれはもとより、繰り返し参加している常連参加者の経験値も上がっているので、どう動けばよいかという局面で、流れが読みやすかった。
 やがて入線した列車(春と同じたびじ号)に、慌しく自転車と人を積み込む。これもスムーズに進んだ。やがて列車は出発。北千住でさらに参加者を乗車させ、一路南会津へと走り出した。
 車内では、バラバラに申し込んだにも関わらず、hai氏と隣り合った席だった。同じボックスの向かいは、関という親子だった。関jr.は、あまりに年齢的にかけ離れた集団の中に放り込まれたせいか、内気な印象だった。

旧中山峠越え


 列車から見える風景は、次第に山のそれに変わってゆく。川は細く、急になり、水は清く、青くなってゆく。都会の会社人から、田舎の遊び人にクラスチェンジしてゆく時間だ。
 列車は会津高原駅へと滑り込んだ。今回、Bコース、Cコースは、共にこの駅からスタートするのだ。そして最初の峠は、共に越えてゆくらしい。
 会津高原駅は、会津田島駅より小振りな駅だった。駅前の駐車スペースで、各自の装備を整える。駅の自販機で水を買い、ボトルにCCDドリンクを作っておいた。今回、2日目に800mの峠越えが待っているので、ボトル2本体勢で望んでいた。しかし、1本でも問題なかったかもしれない。
 簡単なブリーフィングの後、まずは舗装路の上りだ。旧中山峠の頂上手前、林道の分岐点まで、Cコースの参加者と共に上ってゆく。僕は自分のペースで上ってゆきたかったので、ほとんど単独行だった。先導する野田氏の健脚にびっくり。
 400m弱程度ののぼりを、先頭グループを意識しつつ上ってゆく。最初のうちは、山間部の森を横目に上ってゆく感じだったが、次第に木立が途切れ始めた。いかにも峠という眺めだ。しかし、僕当人は、心拍数を上げすぎて、次第に気分が悪くなり始めていた。やはり、比較的低圧のブロックタイヤを履いているせいだろうか。いつものペースで上がると余計に体力を使ってしまうようだ。それと、MTB用の11-34Tのスプロケに、いまいちペースがあってくれない。考えてみれば、いつもロードか、ロードスプロケの着いたBD-1ばかりに乗っているのだ。
 それでも、体と相談しつつ上り続け、やがて道が二股に分かれた場所に出た。ここがCコースとのお別れポイントだ。Bコースでは、かなり先頭に近いあたりに居たようだ。
 Cコースにはリピーターが多いそうで、そういわれれば見覚えのある顔が多い。それぞれの参加者が続々と上り切り、最後に自力登頂を諦めた人々を積んだサポートカーが上ってきた。
 二つのコースは、ここで分離される。下りにかかるCコースの参加者に別れを告げ、Bコースは更に上ってゆくことになる。なんだか、このBコースは、「死ぬまで上り堪能コース」というのが実態に合っていたんじゃないだろうか?
 幸い、さほど上ることも無く、旧中山峠の真頂上に到達した。ここで記念写真。竹谷選手のことを思い出して、EPIC号を掲げて見せた。バイクも持ち上げている人間も安いが。振り向くと、上ってきた山肌と、出発地とが見渡せる絶景だ。
 ここからは下りに掛かる。こちらの下りは、道がかなりガレているそうで、慎重に下るようにとのお達しがあった。下りでは和田(夫)氏の出番。先頭を高速で降りてゆく氏にくっついて、こちらも快調に駆け下りてゆく。いやあ、EPICは下りでは最強だ。ギャップもホールも、ほとんど躊躇せずに突っ込んで行ける。上りでもリアサスが苦にならないし(やっぱりリアが重い感じはあるが)、買ってよかったと思う瞬間だ。が、そんな俺様に冷や水を浴びせるような追撃者が。なんと関jr.がぴったり張り付いてくるのだ。乗っているのはHARDROCK。体重が軽いほうが、ダウンヒルでは有利なのだろうか。
 ギャップはともかく、砂の浮いたコーナーは怖いので、要所要所でスピードを落としつつ、楽しい下りを満喫した。下りはいいなあ。上りさえなければ。
 やがて整った舗装路に合流したところで停止し、後続を待つ。リカンベントの田原氏はガレた路面に苦労しただろうが、無事にやってきた。これで第一のヤマは超えた。

鱒沢渓谷


 再集合して、次なるご馳走(一部の人にとっては)、鱒沢渓谷へと向かった。村の風景の中を通り過ぎ、途中で休憩を挟みながら走る。収穫の時期故にか、トイレ休憩の際にリンゴが振舞われた。どういう品種なのか、芯までやわらかくて、しゃっくりとかぶりつける。激ウマ。
 山間の盆地、収穫直前の金の稲穂を横目に、MTB含有率の高い集団は、ゆっくり走っていった。目に優しい風景だ。
 やがて、いかにも山道への入り口、という分岐へと入った。ここから、鱒沢渓谷への上りになる。ほとんど全てが未舗装路で、ブロックタイヤのMTBなら真価を発揮できるだろう。
 これも各自のペースで、好きなだけ上り、1時間後に来た道を戻るように言われた。さあ、どこまで行けるか。
 今回も野田氏にコバンザメのようにくっついて上って行った。道は程度の良い、未舗装の林道だが、ところどころガレている。また先週降った雨の残りか、ところどころ水っぽくもなっている。泥を跳ねながら、黙々と上っていった。
 のぼりといえば、スリックを履いたロード系でのそればかり経験してきたので、ブロックタイヤのこいつでのスキルは、全然掴んでいない。トラクションを維持しながら上って行く。しかし、無用な体力を使っているせいか、疲労度は高い。でも楽しい。ロードならライン取りなんてコーナーのことさえ考えておけばいいのだが、MTBでは細かく路面状況を見ながらのそれが要求されるのだ。
 野田氏を含む先頭集団にくっついて上って行く。すぐ傍を流れる川は、いかにも谷あいの渓谷という観があり、清清しい青い川面が見え隠れする。川は時に激しく下り、時には木立の中を穏やかに縫ってゆく。なんか、あの辺でお弁当持って一休みしたらいいだろうな、そう思えるポイントがたくさんあった。
 上り続けること小一時間、次第に足が回らなくなってきた。なんか、だんだんスピードアップしてないか? サバイバルレースの観を呈してきた。制限時間5分前。とうとう着いてゆけなくなって、足を止めた。ここから、写真を撮りながら、のんびり下ってゆこう。ProTrekによれば、高度は985mだった。
 少しの休憩を挟んで、来た道を下ってゆく。サバイバルレースへの参戦は結構足にキていたようで、なかなか足が回ってくれない。休み休み、下ってゆく。途中でhai氏らと合流し、大量のダウンと、少しのアップを満喫した。
 出発地点=集合地点に戻り、全員揃うのを待つ。Challengeを駆る田原氏は、さすがにこの上りは諦めたそうだ。ねず吉氏らと雑談しながら後続、特に先頭集団の下山を待つが、一向に現れない。やがてサポートカーと共に下ってきた野田氏らによって、事情が明らかになる。先頭集団が下り始めてすぐ、一人が転倒して負傷してしまったのだという。その人はサポートカーで病院送りになった。足をざっくり切ったものの、骨折などのシビアな怪我ではなかったそうだ。不幸中の幸いでだった。
 負傷者以外のメンバーは集合すると、いよいよ今夜の宿へと向かった。

真の闇を垣間見る


 今夜の宿は、湯の花温泉にある旅館だった。入ると、まず二匹の犬たちからなる歓迎委員会のもてなしを受けた。入っていったのは、正面駐車場に入る裏手からの道だったのだが、そこが不正規なルート故か、犬たちの警戒心をあおったようだ。しかし、宿の玄関脇につながれた大型犬(グレートピレネーズだろうか)は、まったく吠えることも無く、非常に人懐っこい犬だった。大きな檻に入れられているのだが、近づくとお気に入りの犬のぬいぐるみを咥え、撫でてくれといわんばかりに体を寄せてくる。撫でてやると、気持ち良さそうに尻をペタンとついて、おとなしくしている。癒し系の犬だな。参加者一同に大人気だった。
 荷物を部屋に運び込む。4人部屋で、hai氏、初対面の高年世代のお二人と同室だった。普段、山を歩いておられるとか。
 食事は18:30からと言われていたので、それまでは部屋でごろ寝したり、宿の全景を写真に収めたりして過ごした。おっと、風呂にも入っておこう。内湯を使い、全身の汗を流した。温泉の効能か、入っていた時間の割りに、とてもよく温まった。~
 18:30から食事。ビールが着いて、山菜を中心にした会津的な夕餉だった。ご飯の香りが良く、それだけで3杯は行けそうな按配だ。ビールも着いていたので、食事の終わった頃には、少々気持ち良くなっていた。
 いったん大広間を空け、その後にまた集まって懇親会が開かれることになった。その前に、空が晴れていたら星を見に行こうという事になった。が、あいにく雲が掛かり始めている。諦めて部屋に戻ったら、野田氏がすぐに呼びに来た。晴れてきたので、やはり星を見に行こうということ。こんなこともあろうかと、ワイドビノを持ってきていたのだ。それを手に、玄関前に集合した。
 そこからですら、空の暗さが良くわかった。横浜のそれとはまったく違う。ふともやのようなものが見える気がして、ワイドビノを天頂近く、やや北寄りの辺りに向けてみた。そこに見えたのは、無数の星が雲のように群れている様だった。ちょうど天の川を見ていたのだ。いやはや、こんなものが見えるなんて。もう横浜の夜空には、二度と満足できないんだろうな。しかし、雲が薄く掛かり、しかもだんだん広がってきている。
 ここではなく、集落の外れまで見に行こうということで、一団はぞろぞろと歩いてゆく。やがて、駐車場らしきスペースに到着。らしき、というのは、そこがどういう場所なのか、全く見渡せなかったからだ。都会なら必ず近くに明かりがあるし、空に雲があればその照り返しで足元もほんのりと明るいものだ。ところが、ここでは明かりが全く無い上、空も非常に暗いので、本当に周りを見渡せないのだ。辛うじて足元の判別がつくだけ。それも、舗装路なのかダートなのかの判別もつかない程度のものだ。
 南西に明るい星があり、それは火星だとすぐに分かった。ずっと西空に目をやると、低くにいて座らしき星の並びが見分けられた。そうか、もうあんなに早く沈んでしまうんだ。そのいて座の辺りから掛かっている天の川が、頭上を横切っている、はずだ。生憎、雲が急激に増えていた。その隙間に、辛うじて見える星空は、こんな状況でも横浜では望めないくらい良く見えていた。星が見えすぎて、星座を見分けるのが困難なくらいだ。
 しばらくその場で星を眺めていたが、残念なことに雲がさらにかかり、星見は絶望という状況になった。火星ですら、雲に覆われて見え隠れしている。残念ながら、ということで、宿に戻っていった。東天低く見えていたのは、あるいは木星だったろうか。
 部屋に戻ると、すでに布団が敷かれていた。その吸引力に逆らえず、フラフラと横になると、そのままスッと意識を失った。

2003年09月26日(金曜日)

南会津直前

00時00分 暮らし 天気:回復したね

 明日から第3回東京・南会津サイクルトレインに参加する。天気にはいつもながらハラハラさせられるが、台風も遥か南海上で、憂慮には及ばないようだ。
 定時に速攻で帰宅すると、ピックアップしておいた荷物をバックパックに詰めた。Trans Alpineは2気室式なので、大量の荷物を入れるのには便利だ。でもまあ、やっぱり軽登山用のバックパックだなと思う。
 明朝は3:30起床なので、9:00には布団に入った。

2003年09月25日(木曜日)

南会津演習

00時00分 自転車 天気:雨

 南会津を目前に控えた今日は、しとしと降り続く雨の日だった。予報によれば心配は無さそうだが、気分的にやきもきしてしまう。
 今日はEPIC号の輪行体勢を検証してみた。去年の大島行きの時に輪こうしたことはあったが、いまいちスマートに運べなかったのを憶えている。今回はペダルを外し、紐をたくさん用意して、フレームとホイールをしっかり固定しあうことにした。そうすると非常に運びやすくなるようだ。でも、その分時間がかかる。フォールディングバイクのようには行かないものだ。
 明後日の朝は3:00に、もしかしたら2:30には起きなければならない。寝不足のままのヒルクライムはきつそう。早く寝ようと思う。

2003年09月24日(水曜日)

南会津迫る

00時00分 自転車 天気:雨っぽい

 いよいよ週末には、東京・南会津サイクルトレインが決行される。今のところ予報は雨ではないが、その直前まで雨が降り続きそうなのが気になるところだ。ダートを通る予定なので、場合によっては泥除けの装着も考えなければならないかも。まあ、よほどひどかったら、コース変更もあるんだろうが。
 気温の読みが難しいので、一応は長袖の上下を着て、適宜アンダーウェアの有無で調整することにした。走るときは、ウィンドブレーカをボトル型ツールケースに詰めて走ろうかと思う。
 ちゃんと晴れてくれよ。

2003年09月23日(火曜日)

EPIC&BikeE試走

00時00分 自転車 天気:いいんだか悪いんだか

 さて、朝から風が冷たい。明け方に目がさめたのは、身体が布団から出て冷えていたからだ。今日も涼しい一日になりそうだ。
 今日は朝から我が集合住宅の防火点検があるので、遠出は出来そうに無い。本当はBD-MLの方で告示されていた峠行きに参加したかったのだが、間が悪すぎるな。
 点検の人は11:00過ぎにやってきて、我が家の火災報知器を点検して回る。『自転車多いですねー』とやっぱりそこに目が行ったようだ。
 点検も無事終わり、ブロックタイヤに履き替えたEPICで、中田中央公園の周りを試走してみた。去年買った時に近い状態に戻ったわけだが、サドルが変わったせいか、もう少しハンドルを遠くしたいと思った。まあ、南会津が終わってからだな。
 一度帰宅して、今度はBikeEを引き出した。これもタイヤを替えて、走りを見たいと思っているものだ。長後のCoCo壱番屋まで走る。うん、軽くなっているな。ペダルの重さ的には、従来は内装ミドルの外装5速を多用することが多かったが、今度は6速、7速の出番が増えている。激坂を登る時も、外装3段で凌げた。まだ2速余裕があり、内装ローがあることを考えると、チェーンリングをもう少し大きくしてもいいかも......って、結局47Tに戻すのか? それは無いだろう。内装トップもあることを考えると、今のままでいいよな。たぶん。うん(自分を納得させるように)。
 CoCo壱番屋でBikeEを駐車しようとしていたら、ちょうど居合わせたおじさんに、やたら珍しがられる。まだまだ街中でリカンベントを見かけることは少ないからなあ。
 食後、境川に復帰して、湘南台近辺をなんかしている時だった。ふと、小径車らしい変わった形のアップライト(に見えた)を道端に留め、ストレッチしているらしい男性が眼に入った。一瞬、青いジャージが目に付いた。うん? あれって、確か。
 停めて、振り返ると、やっぱりかがみ氏だった。いやあ、よく会いますね。アップライトだと思っていた自転車も、よく見るとリカンベント(Vision?)だった。少し立ち話して、僕は南下、かがみ氏は北上する途上だったので、別れる。
 走りながら、空模様が気になっていた。さっきかがみ氏との会話でも出てきたのだが、なんだか降りそうな気配があるのだ。特に北方にある濃い雲が気になる。鎌倉まで行くつもりだったのだが、次第にひよって、最後には藤沢リターンに。ううむ、最近、BikeEで藤沢から南に行けた験しがない。なにかの呪いか?
 藤沢のハンズに入り、小物を買ってリターンした。帰路は行きとは逆に、強い向かい風の中を走ることになった(つまり北風が吹いていた)。行きは25km/hでも軽いというくらいだったのが、帰路ではその速度を維持するのが辛いくらいだ。まだリカ筋が養生できてないのか、ちょっとの風でも堪える。
 ダイクマに寄り、さらにヨークマートに立ち寄って、たっぷり買い物をして帰った。BikeEに背負わせたTransAlpine一杯に荷物を詰め込んで帰宅。

2003年09月22日(月曜日)

なんぼなんでも寒くないか

00時00分 暮らし 天気:風強し

 暑いなあ、を連発していたのは、ついこの間のことだった。それがなんですか、今日の気温は。涼しいを通り越して、寒いくらいではないか。日本の南岸を台風が通過した結果、北方の寒気が日本に流れ込んできたのだろうか。この気温差にはたまらないものがある。
 こんな気温なので、今日は久しぶりに窓を閉めて、かつ羽毛の掛け布団を出してきた。ぬくぬくとした布団の中で、急激に眠りの世界に落ちていった。ぐぅ。
 おっと、そういえば今日は秋葉の誕生日だ。おめ~(>_<)/。

2003年09月21日(日曜日)

台風接近中の日曜日

00時00分 自転車 天気:大荒れ

 今日は東京シティサイクリングの実施日だったが、外は強い風と雨の世界だ。さすがに出る気が失せて、朝はゆっくり朝寝坊した。そうしたら、なんでも『荒天のため中止』とアナウンスされたそうだ。延期は無いだろうな。残念だ。
 夕方、戸塚に出かけ、有隣堂で本を買って帰った。そういえば昼飯がまだだったではないかと思い出し、立場駅のモスバーガーで遅い昼食をとる。強い風に、店前の幟もはためいている。
 帰宅して、来週の南会津に備え、EPIC号のホイールを交換した。いつもは元からついていたスペシャの完組みにT-Servを履かせ、12-25Tのロードスプロケを着けていた。これをシマノのM540にスペシャのRollX Pro、XTの11-34Tを履かせたものに換えた。これでどんな坂道でも登れる、はず。
 ごついブロックタイヤを履かせたEPIC号は、戦闘的なフォルムになってかっこいい。ついでにサドルも、スペシャの旧ワークスに交換。ますます戦闘的だ。これに慣れるために、火曜日には例の小山田城址近辺に行ってこようかと考えている。雨が上がればいいのだが。

2003年09月20日(土曜日)

タイヤ換装BikeEにちょっとだけ乗る

00時00分 自転車 天気:うゎ、雨だ

 昨夜は結構いい天気だったのだが、朝にかけて急激に雲が増えてきて、明け方にはどんよりした嫌な雲が覆い尽くす状況だった。今日は南会津に備えてEPIC号を乗り回そうと決めていたのだが、どうも気分が乗らない。結局、先週和田サイで入手したチューブを思い出し、BikeEのタイヤを全換装することにした。前をChengShingの16*1.5からPrimo Cometの16*1.35に、後ろは同じくChengShingの20*1.75からContinentalの20*1.125へ。後ろの方が細いが、高圧に出来るので問題はないだろう。
 交換して、中田中央公園の周りを試走してみた。うん、なんだか軽くなった気がする。路面を引きずるような感じが薄れ、軽快になった。しかしそれはプラシーボ効果かもしれないなあ。もうちょっと走りこまないと分からない。
 さて、朝食を取ってから、どこか走ってくるか。なんて思っているうちに、なんと雨が降り始めた。前の中学校ではおりしも運動会が開催されていたのだが、生徒も雨に濡れながら走り回っている。雨脚が強くなくてよかったな。
 結局、運動会が終わった昼過ぎには、さらに雨脚が強まり、とてもどこかに出かけられる雰囲気では無くなってしまった。ああ、休日にこれかい。
 やむなく、Diablo2をやりながら、ボーっと過ごした。よく休めたのは良かったな。

2003年09月19日(金曜日)

ありゃ、急な天候悪化

00時00分 暮らし 天気:いいんとちゃうか

 日曜日には東京シティサイクリングがある。このところ、気候は安定していたので、いい天気になってくれるかと思っていたのだが。なんと、台風が沖縄からひたひたと接近してきているという。その影響で関東地方の予報も、急激に悪化しつつある。去年も雨が降りそうな天気だったからな。空がやばそうだったら、MR-4FじゃなくてBD-1で出ることに私用。なんだか、雨天スペシャリストになりつつある、我がBD-1なりよ。

2003年09月18日(木曜日)

奇妙な痛み

00時00分 暮らし 天気:う~ん

 前から右足の付け根に奇妙な痛みがあった。いつもは影を潜めているのだが、時折自己主張するように、差し込むような痛みをもたらす。なんだ、通風か、などと恐れていたのだが、それ以外に痛むようなことは無い。まったく奇妙な痛みだった。
 それがここ一月ほどの間に、次第に強まってきている。特に過酷な運動の後に強まっている。この痛み自身は高校生の頃からあったから、自転車や近年の乱れた生活(そりゃ高校の頃から乱れていたが(爆))とも無関係だろう。しかし自転車での過酷な運動がプロモーターになっているのは事実のような気がする。
 いつもはその存在を忘れているのだが、突然意識の表層に飛び出して自己主張するのには腹が立つ。ああっ、まったくどうしたらいいことやら。しばらく、過激な走行は避けようと思った(でも来週末には南会津なんだな)。

2003年09月17日(水曜日)

夜トレ

00時00分 自転車 天気:いいね

 今日は早くに帰宅し、19:30くらいにTCR-2で夜トレに出かけた。いつものコースを走る。どうも右膝に違和感があるので、大事をとってゆっくり走る。今夜はやたら蜘蛛の糸が多く、8月中よりさらに増えていた。蜘蛛にとっても実りの季節なんだろうな。
 今週末には東京シティサイクリングがある。MR-4Fを連れて行こうと思う。

2003年09月16日(火曜日)

次第に秋の気配が

00時00分 暮らし 天気:少し涼しく

 ところどころで秋の気配を感じつつ、しかし昼の猛暑に戸惑う日が続いている。今日も昼は30℃近くまでになり、外を歩かないで済む仕事で良かったと思うくらいだった。しかし夜になると急激に涼しくなる。扇風機で室内外の空気を入れ替えてやると、ひんやりした外気が心地よい。この分では、ふと気づいたら紅葉が、なんて感じになっているだろう。
 久しぶりに湯河原に行ってこようかな。

2003年09月15日(月曜日)

今日も今日とて大冒険。川崎北部山岳下見ツーリング

00時00分 自転車 天気:いいなあ

 さて、今日はこぐ氏による川崎北部山岳ツーリングの日だ。正確にはその下見だけど。文字通り川崎北部の食事処、景勝地を繋いで、走られたらいいなというツーリングだ。
 9:30にあざみ野集合ということだったが、地下鉄の到着時間を読み違えて(40分で着くとおぼろげに憶えていたのだが、実際には1時間近くかかった)到着。地上に出てみると、こぐ夫妻と、お久しぶりなCHEE氏が待っていた。@佐藤夫妻は、どうやら取りやめたようだという。後から考えるに、それは正解だった。
 まずは江田駅近くに出来たコメダコーヒーにモーニングを食べに行くことになった。ここは名古屋式モーニングセットが売りだ(そうなのか!) 名古屋にいた頃には大須(正確には上前津)のコメダでアイスコーヒーを飲むのが慣わしだったが、こっちに来て再会するとは。
 モーニングセットとしては、トーストとゆで卵が着く。これだけでは足りないと思ったので、チリドッグも注文した。その他、お菓子類なども注文し、意外に重い朝食になったりして。
 コメダを出て、次なる目的地まで、鶴見川を遡っていった。境川のそれとよく似たサイクリングロードを走ってゆく。未通の区画も多くあり、車道を走ってゆくこともしばしばあった。またこぐ氏の趣味から、わざわざ丘陵地帯を越えるルートを取ることも。
 それなりに気持ち良く走り続け、今日何度目かになる坂越えに挑んでいると、目の前に藁葺き屋根が見えてきた。そこが今日の昼食場所、櫻屋だった。給仕の女性の指示で自転車は川崎フロンターレのグラウンド側に留めた。まだ開店時間直後だというのに、すでに多くの車が周辺に駐車されている。
 テーブル席とは別の棟に通された。事前情報どおり、食卓には既に煮物類を中心とした料理が並んでいる。これはサービス品なので、注文した料理にお構いなく箸を着けることが出来る。田舎風に煮物中心かと思っていたのだが、フレンチポテトやフルーツもある。味噌汁にお汁粉もあるのだ。
 ここでは、目に付いたダッタン蕎麦を注文した。ルチンが日本蕎麦の100倍だといわれても、そうですかとしかいえない。うまかったので良し。そば屋で蕎麦だけ食うと栄養のバランスが取れなくなってしまうが、ここではサービス品で補えばよいので安くつく。煮物、根菜、フルーツを摂り、さらに汁粉にまで手を出した。
 外気温は高く、意外に水分を消費している。冷たいお茶がやたら美味しく、ピッチからガバガバ注いでは飲んでしまう。
 この店の客層は、家族連れや、なんらかの団体と思しき人々が主だ。一人ではまず入れない店だなと思う。
 店を出て、再び走り出す。今後の予定は、まず鶴見川の源流を見に行って、それから相原までアイスを食べに行くことになっていた。時間的には十分間に合うはずだったが......。
 概ね鶴見川に沿って走ってゆく。途中、神社を含む小自然公園といった佇まいの公園に立ち寄った。さらに走ってゆくと、行く手を低い尾根に阻まれる。さて、ここからが大冒険だった。
 こぐ氏とCHEE氏が地図を眺めながら、この尾根を越える道を探して行く。ひとまず尾根の上に出ることになり、結構な坂を登って行った。山の上から周囲を見渡し、再び地図で確認。地図上では2本線で幅を持って書かれている道を行くことになった。
 ここ、大丈夫かな、と不安になる激坂を越え、荒れた道を走ってゆく。なんというか、ダブルトラック? 完全なオフロードだ。今日はBD-1じゃなくて、MTBで来れば良かったか。そんな道でも、こぐ氏は意地になってか乗車のまま走ってゆく。ビンディングペダルな僕は、こけると痛いので、無理せず降りて押す。
 やがて開けた道に出るのでは、という期待も空しく、道はだんだん落ち葉が深く、シングルトラックと化してしまった。うーん、この辺にもこういう道があるのね。こんど、EPIC号で来てみよう。などといっている場合じゃない。ともかく、いずれかの里に抜けなければ、と苦闘しつづけ、ほとんどの区間を押して歩き回った。さすがのこぐ氏も、押しに入っている。
 やがて、どう見ても民家の裏だろうという位置に出た。山道から舗装路に入る時に、CHEE氏が草に覆われた側溝にはまってしまい、負傷する。幸い、さほど深くは無かったようだ。
 なんとか舗装路に再会できて、ほっと一息つく俺様だった。
 小山田緑地に立ち寄り、自販機を相手にたっぷり休憩を取った。この頃にはもう相原にという気力も失せたので、町田の尾根緑道の南端まで走り、そこでこぐ夫妻とお別れすることにした。下見の役割は十分果たせたから良かったのだろう。
 CHEE氏のBD-1のBBが緩んでいるらしいので、南町田のモンベルショップまで付き合い、そこで別れた。帰宅したのは日のあるうちだったが、一昨日の激走との相乗効果で、身体が重かった。今度はEPIC号で行ってみよう(なにを下見してきたのやら)。

2003年09月14日(日曜日)

何もする気になれない一日

00時00分 ゲーム 天気:良かったようだ

 昨夜のロングライド(時間)から一夜明けた。しかし体の方はリセットされてくれないようで、寝床から起き出す気になれない。15:00くらいまでずっとゴロゴロしていた。いやあ、昨日のあれは、やっぱり堪えているんだ。
 起きても外に出る気になれず、PCでゲームにふけるばかり。Diablo2 LoDは、鍛えていた弓アマのレベルが25を超えると、やたら強くなってしまってさくさくレベルが上がるようになった。Strafeが美味しすぎる。レベルが上がるとMP据え置きでダメージと攻撃数が上がるなんて。E5以降のテレポート敵も、Guided Arrowで難なく片付けられることがわかった。なるほど、弓アマばかり流行るわけだ。
 とりあえず、レベルが45になっていた槍アマでBaal閣下を殺害し、エンディングを見ておいた。エンディングの終了シーケンスはオリジナルから変更され、時間制限はなくなっている。こっちの方が気楽でいいな。
 明日はこぐ氏による川崎北部山岳ツアーが決行されそうなので、早めに寝ることにした。

2003年09月13日(土曜日)

うっかり大冒険。和田サイクル自走往還

00時00分 自転車 天気:晴れてます

 さて3連休。初日は寝ていようかなと思ったりもしたが、にち氏が「和田サイ行く」と掲示板に書いていたので、それに一口乗ることにした。いちおう、11:00ににち氏のマンション近辺に向かうことにした。
 MR-4FでR1を走り、到着は11:30。出発が遅れたので到着も遅れてしまった。が、誰もいない。BBSを見ると、マモル氏も同行するはずだが。そこににち氏がSatRDayで登場。なんでも近所を走って練習していたんだとか。その直後にマモル氏も到着。連れ立って、こぐ氏との邂逅を目指し、二子玉川へと向かった。
 晴れ空の下、多摩川を走るのは気持ちよかった。にち氏のSatRDayを先頭に、マモル氏、僕と続く。実は保土ヶ谷の坂を越える時、膝に負荷を掛けすぎたのか、少し左膝が痛み始めていた。合流時に『ごめん、ここでリタイヤする』と告げて帰ろうかと思ってもいたのだが、好天に誘われて行けるところまで行こうと考えるようになっていた。結局、こぐ氏との合流地点である二子玉川まで難なく走った。
 こぐ氏と合流後、紅虎でランチ。そこで和田サイまでどう走ろうかという事を話し合ったが、荒玉水道道路を行こうということになった。この道には多摩川で取水し、東京西部へと送水するための水道管が埋まっている。関東大震災の後、急増する東京西部の人口を支えるべく、荒川と多摩川から取水する計画が立てられ、多摩川側だけ実現したのだそうな。
 食後、こぐ氏の先導で水道道路まで走る。最初は野川サイクリングロードを経由するのかと思っていたのだが、実際には水道道路の始点へと走ったということだ。ここから水道道路を延々走っていった。
 この道、横浜水道道とは異なり、車両の通行がほぼ全延長で可能だった。ただし、4t車以上の通行は禁止されている。そのため、多くの交差点で、車幅制限の標識が立っている。ゆるいアップダウンはあるものの、車は比較的少なめで、自転車にとっては走りやすい道であった。
 途中、道に迷ったりしたものの、やがてフレンド商会に到着。しばらく、アパレルフロアを中心に見て回った。
 ここからは幹線を走り、やがて西荻窪駅近くのアイス屋に立ち寄った。ここのアイスは、非常にあっさりした傾向がある。あいにくフルーツ系は置いてなかったものの、試してみたいものだ。
 ここから和田サイクルまではあっという間に到着。たまたままめ氏が店頭にいて、4台連なっての到着に驚いていた。
 店先に邪魔にならないように自転車を置き、近くのコンビニで買い食いしながら、のんびり屯しながら過ごした。まめ氏はヤフオクで手に入れたというトレンクルに乗っていた。むむ、多段化Mobillyの売り込み先が白紙になったな。
 和田店長の手が空いた隙を見て、今日の目的のチューブを買い求める。BikeEの乗り味を軽くすべく、フロントをプリモ・コメットの16(ETRTO305)*1.25に、リアをコンチネンタル・グランプリの20(ETRTO406)*1.125に交換するつもりだ。そのチューブが必要だった。しかし、そのままぴったりというサイズはなさそうだという。一応、少し太いサイズのものでも問題は無いらしいのだが。とりあえず問題無さそうなサイズのものを購入しておいた。後で思ったのだが、リアはシュワルベ・マラソン(20*1.5)の方が良かったかな。
 日が暮れるまでうろうろして、帰ろうかということになった。その前に腹ごしらえしようということで、こぐ、にち両氏が感銘を受けたらしい、阿佐ヶ谷のトマトという店に行くことになった。しかしマモル氏はハンドルのブルホーン化に手間取り、残ることに。
 件のトマトという店に向かった。店先に自転車を止めようとしたとき、『あっ!』、『ええっ?』という声が飛び交った。何事かと思って店頭に目をやると、そこにはなんと@nak夫妻の姿が......。なんという偶然。
 店は満席だったが、少し待てば入れるだろうと、自転車を止めて店頭をうろうろする。先に@nak組が店に入り、我々は少し間を置いての入店となった。それにしても、世界のなんと狭いことか。自転車関係にとっての『おいしい店』に関するホーミング効果という奴なのだろうか。
 ここのカレー、少し根が張るが、味に深みがあってよろしい。傾向としては渋谷のムルギーに似ている。ちなみにシチューはカレーの倍額。さて、お幾らでしょう。
 カレーに舌鼓を打ち、コーヒーを飲みながら@nak夫妻を含めて雑談に花を咲かせた。おかげで、店を出たのは閉店時間の21:00を過ぎてからだった。
 ここで@nak夫妻と別れ、我々はとりあえず自走帰還を目指すことにした。マモル氏と阿佐ヶ谷駅の近くで待ち合わせ、その後は環8道路、水道道路などを経由しながら、こぐ氏の居住する川崎北部まで走った。川崎北部は、東京とは違ってアップダウンが激しい土地だ。この時刻のアップダウンは、少し足に堪えた。
 こぐ氏に横浜市道環状4号の始点まで先導していただき、ここからはマモル氏と環4を下っていった。環4のアップダウンを甘く見ていた僕には、この10kmの距離がかなり堪えた。
 コンビニで休憩を取りながら、なんとか帰り着いたのは0:30過ぎ。14時間以上も走り回っていたのか。疲労のたまる一日だった。

2003年09月12日(金曜日)

暑いやんけ

00時00分 暮らし 天気:なかなか

 それにしても、9月も半ばというこの時期に、この暑さはなんだ。久しぶりにエアコン入れちゃったよ。
 体感的には、季節の遷移が一月遅れているという感じだ。雨季も長かったしな。それでも、夜には気温が急に下がるので、ああやっぱり秋なんだなと思う。
 願わくば、今年の冬は暖かでありますように。

2003年09月11日(木曜日)

突発お好みハウス研究会

00時00分 暮らし 天気:いいね

 退勤時間を回ってしばらく経った頃だった。いつも腰に下げている携帯電話に、いつの間にかEメールが入っているのに気づいた。差出人はすずきなおし氏。今夜、突発的にお好みハウスオフが勃発するらしい。早速『出ます』と返信し、帰る準備を始めた。そこに『LDAPの設定が終わらないよー』という悲鳴が。これに巻き込まれて、なんとなく早い時間には帰れない気配が濃厚になってきた。やむなく、『やっぱり出られません』と打つ。ところが、程なくして『もう今夜は諦めよう』とあっさりおしまいと相成った。なんてこった、ドタバタもいいところだ。『やっぱりやっぱり出ます』と電話して、大慌てで東海道線に乗り込んだ。
 お好みハウスは混んでいた。一瞬、見知った顔が見当たらず、右往左往する。と、角のテーブル席に発見。何故気づかなかったかというと、新顔の参加者が二人いたからだ。にち、すずきなおし各氏に加え、新顔の方が二人。最近、神奈川支部の掲示板でよくいらっしゃるぶどまん&ぞうさん@佐藤御夫妻だった。参加するという情報が入ってなかったので、これは不意打ちだった。
 例によってうまい料理に舌鼓を打ち、よく冷えたビールでのどを潤す。この御夫妻、奥さんの仕事の都合で、土日のオフにはなかなか参加できないとのこと。なら、平日夜のオフなんてどうだろう、などと話した。時間的には今日みたいな飲み会と同じようなものだし、山アドのイブニングライドという前例もある。場所を選べば有望かもしれない。
 2時間ほど飲み食いして、店を出た。その後は、店の前でなぜかBD-1 3台(佐藤夫妻&にち氏)の比較、タイヤへの注気などで時間をつぶし、いつの間にか23:00になっていた。さすがに終電の時間が気になったので、ここでお開きに。地下鉄のエレベータで解散し、あざみ野方面に向かう佐藤ご夫妻ともホームで別れ、ちょっと眠気にふらつきながら帰宅した。ああ、今日は新しい人と知り合えたし、相変わらず料理はうまかったしで、満足度の高い夜だった。
 そういえば、今日は暗黒の日から2年が経った夜なのだった。イラクが打たれ、一時的なイスラム社会の狂騒さえ収まれば、世界は幾分か静かになるだろう。次なる恐怖のネタが仕込まれつつも。

2003年09月10日(水曜日)

暑くなってきた

00時00分 暮らし 天気:いいのかな

 だんだん夏らしく、暑くなってきた。......って、もう9月なんですが? 気象庁の出した『残暑は厳しい』なる予報は正解だったようだ。8月中にもほとんど感じなかった暑さを、ここ数日感じるようになった。それでも、夜にはエアコンが要らないくらいに下がるので、やっぱり秋なんだなと感じるけれど。
 今日も扇風機も必要ないくらい涼しい夜だった。虫の音が増えてきた。

2003年09月09日(火曜日)

もう昴が上ってます

00時00分 星見 天気:晴れ

 夜、寝る前の2:00頃。アパートの廊下に出て空を見た。意外に雲が少なく、空の色は暗い。こんなに暗い夜空は久しぶりだ。目を天頂近くに投げ上げてみると、東の空高くに朧な星の集団らしきものが見えた。もしやと思い、部屋にとって返し、CANON 18*50ISを持ち出した。
 やはり、それは昴だった。こんなに星団がきれいに見えるのは久しぶりだ。今夜の夜空は、6月初旬以来の透明度の高さだった。昴の姉妹たちも、久しい晴れ舞台を喜んでいるようだ。
 視線を少し下げると、ヒアデス星団の雄大な姿が目に入る。こんなに対照的な、しかもよく見える星団が並んでいるなんて、出来すぎだ。しかもこの後にオリオン座が上ってくるに至っては......。
 明日晴れたら、ベランダから見てやろうと思いつつ就眠。

2003年09月08日(月曜日)

LoDは(ある意味)便利

00時00分 ゲーム 天気:いいのか

 かれこれ9日ぶり(爆)に出社。いろんなものが溜りまくっていて萎え萎えである。頑張りましょう。
 帰宅して、買ってあったLoDの2式を、Windows機2台それぞれにインストールした。単なる追加シナリオというより、システムそのものが大きく変更されている。タウンに置いてある私物箱の容量が倍になり、左右両腕の武器を2式セットし、Wキーで適宜切り替えできる。新しいプレイヤーキャラと、その専用装備品も加わり、従来のキャラにも専用アイテムが用意された。フィールドでは障害物の一部を壊せるようになり、フィールド攻略の幅が広がった。敵もほとんど新出のものばかりだ。伝統のサッキュバスちゃんがいまいち萌えないキャラだったのが残念だが(爆)。
 アイテムにも多数のものが追加され、ソケットに装填する新しいアイテムとして、ルーン、ジュエルが加わった。また所持しているだけで効果が出る呪い札もある。これはDiablo2.5くらいの大幅な変更と言えそうだ。
 特に便利なのが、装備の切り替え。今までなら弓アマゾネスが敵に接近されると、後は殴られながら矢を打ちまくるしか無かったのだが、これで盾と剣を装備して凌ぐことが可能になった。逆に槍アマに弓を装備することも出来、どちらにせよ遠距離攻撃も接近戦も行けるようになった。それが出来ないと辛い敵が多い。いずれにせよ、アマゾネス使いにとって、一番大きい変更だったのではないだろうか。
 なんだか、今更のようにはまってしまってたりして(笑)。

2003年09月07日(日曜日)

今日は横浜へ

00時00分 自転車 天気:晴れ

 さて、昨日手に入れられなかったLoD単体版を入手すべく、横浜のヨドバシに寄る事にした。今日もTCR-2で出動だ。
 R1を走りながら、どうも足が回らないなと悩んでいた。いつもなら30km/hで走ってゆけるところを、どうしても25km/hくらいしか出せないのだ。昨日、サドルが前下がりになっている気がしたので、サドルの角度を調整しなおし、さらに全体的に少し前に出したのだ。昨日はそもそも飛ばさなかったので気にならなかったが、今日は車の流れに乗る必要からそれに気づいた。サドルを前に出したため、ペダルとの相対的な距離が縮まったのかもしれない。
 自転車を道端に止め、サドルを1cm上げた。それだけで走行感は激変し、いつものように30km/hで楽々走ってゆける。自転車のポジションというものが微妙だとは思っていたが、これには唖然とした。
 横浜駅西口につき、ヨドバシに立ち寄った。ここでもやはり本編との抱き合わせしかなかった。諦めて買う。実は値段は2000円程度しか違わないのだ。
 帰りは北回りにサガミに立ち寄った。先週にS-WORKSが入っていたが、今週はEPICが入っていた。こちらは2003年モデルと大差ないので一安心。

2003年09月06日(土曜日)

町田買出しツーリング

00時00分 自転車 天気:いいよ

 家でゴロゴロしていたこの一週間、なぜか久しぶりにやったDiablo2が面白くて、やめられない。とうとう、未入手の拡張版を買ってみようと思い立った。
 こういう買い物ならヨドバシだな。横浜にもあるが、町田にもある。今日は町田店を襲おう。
 TCR-2(このところコレばっかり)で北上し、今日は順調に町田に到着。ヨドバシカメラ店内をうろついた。うむ、EOS Kiss Digital発売間近か。実売14万、ヨドバシだと10%還元がついて13万弱で買える。E5700より良さそうじゃないか。でも、すぐには手が出ないな。もう少し、評判を確認してからだ。
 さて、Diablo2拡張版Lord of DestructionはPCソフトコーナーにあった。が、欲しかった拡張版単体ではなく、本編との抱き合わせ版だ。本当は、拡張版単体で、英語版、日本語版それぞれ欲しかったのだが。英語版の方を入れ替えるつもりで、1本だけ買っておいた。別の店でも探してみよう。
 帰宅して、今夜もやっぱり星が見えないやと思いつつ就眠。

2003年09月05日(金曜日)

久しぶりに青空の下に

00時00分 自転車 天気:晴れ

 朝方になっても少し熱が出ていたが、午前中には気分的にも復調していた。熱が五月雨的に出るのには参った。まるでマラリヤにでも罹ったようだった。やな風邪だった。
 昼過ぎ、久しぶりに本格的な空腹を感じたので、久しぶりに自転車に乗って外に出た。TCR-2で境川に出て、藤沢のハンズに寄る。フロアポンプを求めてきたのだが、パナレーサーでも一番安いものしかなかった。高圧を入れられて丈夫な奴が欲しかったのだが。代わりに何がしかのものを買って帰路についた。
 R467から境川筋に入るところで信号待ちしていると、対岸をすーっとリカンベントが走ってゆくではないか。もしかして、と思いしばし追いかけ、サイクリングロードに入ったところで追いつくと、やっぱりかがみ氏だった。今日はVisionで江ノ島方面に行ったとか。盆休み代わりの休日だったようだ。少しお話をして、僕は湘南台に用があったので別れた。
 帰宅して、久しぶりにいい気分で夕食をとった。自転車で走って、ちゃんとお腹がすいて、それだけで人間は幸せになれるのだな。っていうか、そんな人間論の尺度に拡張しなくても、要は僕が単純な人間だって事さ。

2003年09月04日(木曜日)

やっと腫れは退いてきた

00時00分 暮らし 天気:いいんじゃないか

 ここ数日苦しめられてきた諸症状は、やっと改善されてきた。特に喉と両耳の難聴がかなり解消された。耳が聞こえ難いと買い物も面倒だったからな。これで一安心だ。
 会社に電話すると、今は差し迫った仕事は無いはずだということだった。僕の認識もそうだったので、いっそのこと今週一杯ベタに休むことにした。なんでも、職場で夏風邪が流行っているようで、やはり同僚が休んでしまった模様だ。僕がスーパースプレッダー?

2003年09月03日(水曜日)

一進一退

00時00分 暮らし 天気:どうなのよ

 相変わらず熱が出たり収まったり。身体が痛いのも変らずだ。喉が腫れたせいか、両耳が難聴になってしまい、精神的にもとても参ってきた。なにもかもが下りに入った。そういう感じだ。夕方、食材を買い込むべく、近所のスーパーで買出し。その後も寝たり起きたりで日が暮れた。そういえば、今日の天気ってどうだったっけ。

2003年09月02日(火曜日)

夏風邪?にやられて

00時00分 暮らし 天気:どうなんだろう

 昨日、夕方ぐらいから汗がダラダラ流れ、やたら喉が渇き始めた。ははあ、やっと夏の暑さが戻ってきたか、などと考えていたら、違っていたようだ。今朝方、夜明け前にふと目がさめると、全身が痛くて起き上がれない! なんてこった、土日程度の運動でこの疲労か。いやいや、起きてフラフラしながら冷やしてある甜茶を飲んでいると、ものすごく発熱しているのに気づいた。エアコンが効いた部屋から出ると、ものすごい勢いで汗が流れる。そのままふらふらと布団に戻った。
 年休は昨日一日だけの予定だったのだが、思わぬ病気で延長する羽目になった。昼過ぎ、熱が引いてきたようなので、シャワーを浴びて、PCでゲームをやりながらネット漂流コースもたどる。が、食欲がまったく無く、全身の痛みは引かない。あちこち探ってみると、どうもリンパ腺が腫れているようだ。そのせいか、右足の付け根外側に、時折差し込むような痛みが走って参る。
 ほとんどなにも食わないまま夜を迎え、しかし身体に悪いので、うどんなどを食す。しかし食材の残りが心細いな。どうしたものか。

2003年09月01日(月曜日)

生涯初パンク

00時00分 自転車 天気:なかなか

 今日は区役所に用事があったので、年休を取った。
 用事は窓口が開くと同時にほぼ済んで、一度帰宅してから昼までうだうだ過ごした。そんな悪い天気でもないので、再び自転車で出かけた。今度はEPIC号での出動。グランベリーモールを偵察に行ってこよう。出来れば、町田まで行こうと思う。
 昼食をCoCo壱番屋(またですか>はい)で食ってから、境川を北上する。翡翠が出没するという猫販売機ポイントを越え、右岸のダートに突入してからのことだった。ダートのあちこちにある段差を軽くジャンプしながら超えていると、何度目かのジャンプでリアから異音が聞こえた気がした。そして突然、ロードノイズが高まり、なにかホイールに異常が発生したのに気づいた。足元を見ると、リアホイールがずれているように見えた。ああ、ジャンプに耐えられずにずれたか。クイックをしっかり締めなきゃ、などと暢気に自転車を止めたところ、なんとリアのタイヤがふにゃふにゃではないか。そう、パンクしていたのである。これはびっくりだ。細いスリックタイヤだったので、ジャンプに耐えられなかったのだろうか。リアサスの効果も無かったのか。
 とりあえずチューブ交換。自転車をひっくり返して、リアホイールを外す。そしてタイヤのビードを片側だけ落とし、チューブを引き出した。替わりのチューブを入れ、Crank Bros.のインフレーターで空気を入れてやった。買った当初、外す時に空気が盛大に漏れるので使えないなあと思っていたこのポンプだが、上から見て固定レバーを時計回りに回して固定し、反時計回りに回して外すと、そんなに空気漏れしないと分かった。ホイールを地面に置き、グローブを重ねてその上にポンプを押し付けるようにして空気を入れると、結構いいペースで入ってくれた。それでも、50PSI程度まで入れただろうか。これでも走るのに支障は無い。
 応急処置を終え、町田までは走る気になれなくなったので、グランベリーモールのモンベルショップを冷やかした。TREK5200の新車が入っていた。でも買えないな。
 生涯初パンク(キワチャリでのそれはカウントしたくない。スローパンクだったし)を難なく乗り切った僕だが、帰宅してから妙に寒気がして、気分が落ち着かなくなってきた。嫌な汗をかいたので、その反動か。