Strange Days

2003年10月10日(金曜日)

名古屋~大阪ツーリング1日目

00時00分 自転車 天気:晴れました

名古屋へ


 4:30起床。身支度と簡単な朝食を済ませ、MR-4Fを立場駅に走らせた。立場でMR-4F改を輪行状態にする。ペダルを外すとスムーズに輪行状態に出来るので、最近は8mmのアーレンキーで外し、それから車体を畳んでいる。畳んだ車体に外した前輪を紐で固定し、バイク巾着に収める。ペダルはマルチツールごとバイク巾着の携行袋に収め、バイク巾着に一緒に入れておく。
 少々重い思いをしながら地下鉄に乗り組み、新横浜で下車。新幹線の改札口まで歩き、乗車券だけ買って、こぐ氏に買ってもらっていた指定券と一緒に改札をくぐらせる。
 ホームに上がると、今日一日同行するにち氏、hai氏、そして@nak(あ)氏が待っていた。(た)女史は仕事の都合で今夜の宿からの合流だった。
 新幹線への乗り込み時、各自の輪行袋が問題になる。後続の客にとって邪魔になるのだ。そこで近くのドアから分散して乗り込み、各自の輪行袋はシートの背後(最後尾席だったので真後ろは空いているはずだ)、デッキに分散して置くことにした。席は最後尾に横並びだった。分散行軍、集中攻撃は近代軍事の基本だ(ほんとかよ)。今回、にち氏、(あ)氏がSatRDayで走る関係で、それぞれ荷物がかなり多い。またhai氏も意外に多いようだ。輪行袋+バックパックだけの僕が一番身軽そうだ。というか、少なすぎ?
 やがて乗り込む予定ののぞみが到着し、慌しく荷物を搬入した。デッキに立っている乗客がいた関係で、デッキへの荷物分散は少し戸惑った。が、なんとか手早く済ますことが出来た。のぞみに自由席が出来た関係で、自由席からあぶれた客が離れたデッキにまで立つらしい。
 席に収まり、いやあ荷物の搬入が大変だったね、などと話しているうちに、もう名古屋に着いてしまった。

濃尾平野脱出


 駅の西口を出て、各自の自転車を展開した。構内には修学旅行の学生が溢れ、駅前の広場にも多くの人が集まっていた。世間では平日なのだが、それでも暇な人間は多いらしい。
 しかし、2台のSatRDayを含むこの集団は、いささかいささか目立ちすぎる存在だった。SatRDayの調整をしていたにち氏、(あ)氏に通りすがりのおじさんが声を掛けてきた。それに適当に受け答えしているうちに、いつの間にか観客の輪が出来始めていたのだ。慌てて出発する我々は、駅前での集合写真を撮り損なってしまった。
 駅前を脱出して、幹線道路沿いにおおよそ北東を目指して走っていった。名古屋は縦横に幹線道路が抜けており、交通の便はいいはずだ。が、あまりに幹線が多すぎて、気を抜くと迷ってしまいそうだ。コンビニ休憩を挟みながら、黙々と関が原方面へと向かっていった。楽しくは無いが、まあこれからのツーリングの準備だと思えば、不快ではない。ただし、自転車の存在を無視したような名古屋の道は、ちと不快だった。
 やがて、ほぼ南北に走る長い自転車道へと至った。そこは各地にある水道道(すいどうみち)の一つで、木曽川から名古屋市内へと水を引き入れるルートだった。それなりに整備された自転車道になっていたが、我々が走った区間はやや荒れていて、ロードでは辛かった。
 その水道道をなぞって走るうちに、やがて木曽川の渡河地点へと至った。ここから先は、自転車走行可能な橋を求め、細かく移動しながら、西へと向かった。
 やがて濃尾平野の西端近く、大垣に至った。ここで昼食をとろうということになり、大垣からさほど離れていない街中で食事できる場所を探した。が、見つからない。飲食店がほとんど見当たらないのだ。結局、コンビニで適当に買い、牧田川の堤防で食べることにした。日差しは予想外に強く、飯を食っている間にも皮膚がじりじりとあぶられる感じがある。
 目を北西にやると、山と山の間に谷間のような低地が見えた。あちらが関が原のはずだ。

関が原越え


 食事を終え、再び牧田川沿いに走り出した。この辺はのどかな県道なので交通量は少ない。ところが、川向こうに東名高速道が見えるようになった頃から、急に混み始めた。それも産業用の大型トラックが多い。ここは東名と平行している関係で、高速料金をケチりたいドライバーの抜け道になっているらしい。自転車で通るには非常に危険だ。が、この先は旧街道を通ることにしていたので、少しの我慢だ。慎重に走り抜け、やがて再び河を渡ると、幹線を逸れた少し細い道に入った。そこが旧道だった。
 旧道は古い家屋が散在する、なんとなく気分のいい道だった。なんと言っても交通量が少なく、信号もまったくといっていいほど無いのが良かった。やや上りではあったが、まったりと走れる道だった。空気は冷たすぎず暑すぎず、走って楽しい道だ。旧道、ということは、近年になるまではこちらが街道だったわけだ。上洛戦中の信長軍や、関が原に入る東軍も、ここを通ったのだろうか。
 街道沿いには店がほとんど無い。自販機があるくらいだ。だが、時々、景観保護がされているのか、旧家が多く残る地区を通ったりする。あまり汗をかかないせいか、ボトルがそれほど減らない。まあ、時々自販機と遭遇するので、真夏でも干からびることは無さそうだが。
 やがて、『関が原』の標識を横目に、関が原らしき盆地へと入った。なんとなく、広い平原を想像していたのだが、実際には細かい高低のある起伏に富んだ土地だった。もっとも、江戸期以降は土地改良が進められ、関が原戦当時とは地形が大きく変わっているそうだが。
 『福島正則陣跡』という、小さな祠と、大木が立つ地点で小休止を取った。行政の予算で整備されたのだろう、無料駐車場などが整っていた。が、我々が足を止めている間には、まったく観光客は見かけなかった。今日は平日だからだろうか。
 さらに走り始め、駅周辺の旧跡を巡るウォーキングの人々とすれ違い、旧街道筋を走ってゆく。関所跡を眺め、坂道を登って行くと、やがて国道(R365だった模様)に合流した。コンビニで休憩を取り、ほぼ下りの車道を突っ走って行くと、ついに長浜市に入った。関が原突破だ。

近江牛と地ビールと


 長浜市内を走る。長浜駅の周辺は、整備が行き届いた観光地だった。美味しそうな店も散見されるが、明日の朝食をと思って入った店は、既に閉店直前で、調理パンの類が売り切れていた。仕方ない、それはいずこかで仕入れよう。
 にち氏が目をつけていた、地ビールの店に入ったのは、間もなく日も暮れきろうという時刻だった。地ビールをやりながら、近江牛の地ビールになどをつつく。肉は柔らかく、歯に挟みこむとそれだけで肉汁がジュッと染み出てくる。肉の匂いは強くないが、濃厚なたんぱく質の香りが食欲をそそる。一言でいって、コクとまろみが違う。ビールは予想外にフルーティで飲みやすかった。いや、どこかねじが緩んでいたのだろう、この2種類の形容以外には、我々はうまく表現できなくなっていたようだ。
 宿は、やや南東にあるサイクリング・ターミナルに取っていた。そこまでは、当然自走だ。ハブ・ダイナモの威力をかみ締めながら、サイクリングターミナルへと走った。
 サイクリング・ターミナル、と名乗る割には、自転車の客は我々だけだった。部屋に荷物を運び込むと、(あ)氏は宿に直送していた、別便の荷物を開梱した。(た)女史は、会社を退けてから直接宿まで来ることになっていたので、自転車は別便で送っていたのだ。(た)'s SatRDayを期待していたのだが、届いていたのはBirdy。なんか、急にこちらに乗りたくなったんだとか。後々、SatRDayの輪行の大変さを目の当たりにして、今回はそれが正解だったなと思った。
 ほどなく、(た)女史も来たので、買っておいた地ビールを飲みながら、明日以降の日程を話し合った。そのはずなのだが、実際は無駄話に終始し、笑いのうちに『もう寝よう』ということになった。布団に潜り込んで、即刻就眠。