Strange Days

2003年12月31日(水曜日)

2003年もサヨナラ

23時55分 暮らし 天気:びみょー

 結構遅くまで寝て、起きると22:00前だった。慌てて起き出し、晦そばを食って、さて@NIFTYはFSFのチャットに入ろうとPHS接続に掛かった。......つ、つながらない。ライバルに先んじられてしまったようだ。いったい、どこの誰が使っているんだろう(近所の人に間違い無さそうだが)。
 結局、繋がったのは、日付が変わった0:00直後くらいだった。なぜこの瞬間に繋がったのかは不思議な気もするが。まあ、とりあえず例年の面々に年始の挨拶が出来たからヨシとしよう。
 明日は寝て過ごすつもりで、さっさと布団に入った。

兄宅に遊びに行ったナリよ

20時00分 暮らし 天気:びみょー

 帰省したら、久しぶりに兄の家に遊びに行こうと思っていた。というのも、自転車で大田川沿いを走ってみたいと思っていたからだ。兄宅(兄貴分のオタクという意味ではない)の訪問は、そのついでだ。
 しかし、朝のうちに兄から電話があって、『こっちは雨じゃ』といわれてしまった。えっ、そんな天気なのかい? 確かに微妙に曇ってはいるが。まあ、大事を取って、電車で出かけることにした。
 兄宅までは、呉線、芸備線を乗り継いで、1.25h程度だったろうか。びみょーな時間だ。まあ、それほど遠くも無い。無人駅ばかりの芸備線だが、下車駅は駅員もいて、広島のホームタウンとして整備されつつあるようだった。確かに、路面は濡れていた。
 駅まで兄に迎えに来てもらい、お邪魔した。ちょっと立ち寄るだけのつもりだったのだが、ケーキとお茶が用意され、しばし歓談と相成った。姪っ子たちに少し早いお年玉を暮れてやり、やたら構って欲しい年頃の見て見て攻撃にさらされる。これを毎日凌いでいる兄夫婦は、やはり偉大だと思った。
 1時間ほど歓談して、駅で家族総出での受けながら、帰路に着いた。夏には、今度こそ自走で来たいものだ。

2003年12月30日(火曜日)

遠すぎた橋 二級峡探訪(未遂)

00時00分 自転車 天気:快晴が続く

 呉の東、広の真ん中を、黒瀬川という川が流れている。呉市街を流れる二河(にこう、と読む)川より大きな河だ。帝国海軍の軽巡の名にもあった気がしたが、これは気のせいだった。黒瀬川というと、全国区ではむしろ黒潮の別名として有名だろうか。
 この黒瀬川の中流域に、二級峡という景勝地がある。昔の書には『安芸国第一の滝なり』などと言われた二級の滝を始め、落差の大きい険しい地形が生み出す奇観が売りだという。近い場所なのだが、今まで一度も行ったことが無かった。
 最近、呉市街と広を隔てる休山に、連絡トンネルが開通した。これできつい山越えか、狭い海岸沿いに回るかしか無かった広への連絡が、一気に便利になった。今日は、このトンネルを利用して、二級峡に行ってこようと思った。
 昼前、またしてもモリスに立ち寄り、腹ごしらえ。それから、広に向けて走り出した。
 トンネルを抜け、しばらく走ると、黒瀬川にぶつかった。実は、GPSは持ってきていたのだが、その台座を忘れてしまっていた(ダメじゃん。いや、広島に帰ったのでダメじゃのお、というべきか)。まあ、迷いそうな道ではないので、素直に走って行った。
 市街地では、川は大きな堀のようなもので、河川敷は全く無い。その西側の車道を走っていった。平坦で、流量も少なく、走りやすい道だった。途中のコンビニでおやつと水を買っておいた。
 しばらく走ると、西側の車道は途切れる。橋を渡り、東側の車道に移ると、とたんに流量が激増してしまった。ここは、呉の北にある郷原地区への幹線で、バスや産業用車両、自家用車が行きかっている道だ。
 郷原までは結構上るはずだが、ここまではそんな傾斜ではない。しかし、次第に川面を離れ、高度が上がってゆく。
 ある程度走ったところで、川沿いに浄水場らしき施設を見つけた。ここから本格的な上りになる。車と競争しながらの上りではあるが、道幅はあるのでつらくは無い。
 途中で、道は二手に分かれ、2本のトンネルへと導かれるようだ。新しい方のトンネルを選ぶ。というか、普通に走っていたら、こっちにしか向かわなかったのだが。
 この新トンネル。道幅が片側1斜線しかない上、こっちからはかなりの上りになる。トンネルは結構長い。しかも、出入り口近辺には車道分けのポールが立っているのだ。これが大敵。だって、車が自転車の走行車線(壁寄り)にがぶり寄ってくるのだ。反対車線(下り車線側)には歩道があるのだが、こちらには無い。これは失敗。どうしようもなく、10台くらいの車をせき止めながら、向こう側へと走りぬけた。広島の人は酒が入ると荒いが普段はのん気なので、ブーイングも無く待っていてくれたようだ。
 トンネルの向こうは、郷原学びの丘、という地であった。呉大学という大学があるようだ。ん、地図によれば、二級峡はトンネルの脇にあるという。しかし、ここから見えるのは、満々と水をたたえた二級峡ダムだけだ。この下流に二級峡があるのだが、どうやって行けばいいの?
 悩んだときはお茶、という鉄則で(どこの鉄則だ)、火器を出してコーヒーを作った。ぽかぽかと暖かな日差しの下、意外に早く着いたなと思った。呉の中心街から1時間程度だったか。
 コーヒーを飲みながら、郷原の更に奥地、黒瀬の方を眺めていた。瀬戸内沿いのこの辺りには高山は無く、低い丘陵と、一つ抜けたような低山が連なって見えた。いつか、黒瀬、熊野、焼山と回ってみたいものだ。
 どうも川沿いの低い場所に降りねばならないように思えたので、帰路は旧トンネルを通るつもりで脇道に入った。だが、その旧トンネルは封鎖されていた......。すぐ脇に二級峡ダムが見える。どうすれば二級峡へとたどり着けるのだ。
 とりあえず、新トンネルをくぐり、川の方に降りられそうなルートを探した。一応、見つかったことは見つかったが、かなり激しく傾斜した、細い道だ。自転車を押して川から20mくらいの高さの位置まで降り、川上に向かって歩いてみた。行き止まりまで歩いたが、川に下りるルートは無さそうだ。
 細い、しかしコンクリート打ちの道を下り、やがて川沿いの集落へと出た。川上に少し走ると、そこは轟々たる水音が轟き渡る、水力発電所だった。二級峡ダムからの大きな落差を利用して、タービンを回しているのだ。
 発電所の敷地に入り(本当の管理区画は塀で仕切られている)、徒歩で上流に向かった。が、途中で黒瀬川に合流する支流に阻まれた。ずっと上に、二級峡をまたいでいる赤いつり橋が見えた。あそこに行きたいのに......。上からも下からも近づけないとは、どういうこと? 中国自然歩道にも掲載されてたんだけどなあ。ことごとく拒絶されてしまった。もしかしたら、トンネルの更にを通って行くのだろうか。
 今更上り返すのも嫌なので、このまま帰宅することにした。川沿いの長閑な家並みを潜り、再び幹線と合流して、元来た道へと復帰した。帰宅して気づいたのだが、今日もフライケーキを買ってあったんだな。これ、上で食べようと思ってたんだけど。まあいい、おやつに食うか。むしゃむしゃ。なんか、空しい。負け犬気分な俺様であった。
 あ、誕生日でした。こんな日に負け犬気分かい。

2003年12月29日(月曜日)

今日はお出かけできず

00時00分 暮らし 天気:晴れだ

 今日も昼はモリスに出かけて大盛り。ちなみにメニューは大盛りと並しかない。夏には冷やし中華もあるが。昔は行列などありえなかったが、今は方々で密かに紹介されているせいか、昼ごろには結構並ばされることもあるようだ。今日がそうだった。とはいえ、10分ほどでありつける。
 スープもきっぱり飲み干し、一度帰宅した。今日、直送した荷物が届く予定だった。14:00ということだったのだが、待っても待っても届かない。待ちくたびれて寝ていたら、ふと目覚めると枕元にドンと置いてある。あー、びっくりした。兄が受け取ってくれたようだ。
 夜、箱から出したLibretto L3でアクセスしようとすると、全然つながらない。Sigmarion3に換えても同じ。どうやら、近所にライバルが現れたようだ。

2003年12月28日(日曜日)

近場をうろうろの一日

00時00分 自転車 天気:いいなあ

 朝、元気に目覚める。横浜から直送した荷物が未着なので、サイクリングジャージの類は無い。一応、インナー型のレーパンは持ってきてはいるのだが。あまり遠出する気分ではないので、近くをうろうろすることに決定。
 MR-4Fを駆り、まずは中通りへ。例年、ここでモリスの中華そば(ラーメンというより、まさに中華そばという感じだ)を食すのだ。まだ昼前だったからか、並ばないで座れた。大盛りといなり寿司を頼む。こんな狭い店なのに、やたらバイトが入っていて(3人)、親仁の体力低下を補おうという意図かと思えた。
 ここの中華そばは、(何度も書いているが)横浜で猖獗を極める家系とは対極にあるものだ。まず盛り付けがぞんざいで、ショーアップの意図の片鱗すらない。味にも作為が少なくて、何種類かの旨味成分をそのままあわせたような塩梅だ。基本的に塩味なのだが(カウンターの前に塩の入った調味カップがあって、親仁がぞんざいにバサッと叩き込んでいる)、旨味が凄く効いていてしょっぱさを感じない。だから、毎日食べても飽きないし、お腹に堪えないのだ。ここは近所の住民(主に他の店舗の従業員)に食を提供するのが主任務なので、こういう味付けになっているのだろう。極度の作為に満ちた家系に慣らされてしまった身には、ホッとできる店だ。考えてみれば、地方地方にはこういう店があるはずなのだ。でもそういう店は雑誌に取り上げられるインパクトが無いし、取り上げてもらいたいという意思も無いしで、ただの旅行者には見つけにくいものだろうと思う。それを掘り起こすのがラーメンマニアには楽しいんだろうな。などと別段ラーメンに熱意を抱いているわけでもない僕が推測してもしょうがないが。
 母の話では親仁の息子さんが継いでくれることになったそうで、まだまだ続けてくれるのだと思うとホッとする。
 帰りに、同じ通りにある福住で、フライケーキというこれも隠れた名物を買って帰った。揚げたてがヤバイ位激ウマの揚げあんパンで、濃い目のお茶があれば際限無く食せそうなものだ。帰って5個食ったら、なんだか眠くなって寝てしまった。ってお子様かい、俺は。

2003年12月27日(土曜日)

帰省しました

00時00分 暮らし 天気:とてもよい

 朝早くから起きて、大掃除する予定だった。ところが、目覚めると11:00過ぎ......。ダメじゃん。大掃除は諦めて、荷物をコンビニまで運ぶ。体を痛めつけつつ、手配を終える。
 時間があればひとっ走りしようとも思っていたのだが、それも無理。持ち帰り用の荷物をまとめる。今年はSigmarion3があるので非常に楽だ。ノートPCは実家直送便に入れてしまい、Freepack Sportに自転車用品、着替え少々、Sigmarion3などを収めた。結局、MR-4Fを連れ帰ることにした。
 適当な時刻に立場駅まで走り、そこから輪行で地下鉄、新幹線と乗り継いだ。
 新幹線では、いつも自転車の置き場が問題になる。デッキの乗降口付近には立っている人がいたので、トイレ近辺の通路に立てておいた。ハンドルの幅が気になったので、ステムとの固定部から外し、袋に入れておいた。こうするとさらにコンパクトに出来て、BD-1と変わらない位になる。幅も狭く出来る。
 座って帰れたのだが、呉帰着が0:00過ぎになったりして、かなり疲労困憊した。帰宅して、Sigmarion3+DOCOMO PHSでネットアクセスして、就眠。

2003年12月26日(金曜日)

帰省準備

00時00分 暮らし 天気:いいんじゃないか

 来週半ばには年が明ける。会社は月曜日も出勤日ではあるのだが、年休を取ったので今日まで。今日、同僚が職場から退場するので、本当なら壮行会があるのだが、とても行けそうな情勢ではなかったので、速攻で帰宅。
 帰宅して、すぐに実家に送る荷物の仕分け、選択などの雑用を片付ける。意外に荷物が大きくなってしまい(着替えが多いのだ)、これを夜に運ぶのは大変そう。明日、コンビニまで運ぼうと思った。キャスターを使えれば楽なのだが、箱が長くて載りきらないのだ。っつうか、コンビニに運ぶのも大変そうだ。取りに来てもらうか。

2003年12月25日(木曜日)

帰省準備あれこれ

00時00分 暮らし 天気:晴れまくり

 帰省するとき、TCR-2を運送屋で送るつもりだった。新幹線の自由席で帰るつもりで、混雑する可能性大だったからだ。ところが、JRのウェブサイトで予約状況を調べてみると、27日夜の便が空いていそうだ。取れるかもしれないと思い、大急ぎで切符を手配してみた。実は、職場に入っているサービス会社で、鉄道、航空機のチケットを買えるのだ。こちらの希望する便を伝えると、すぐに手配してくれた。しかも最初に取れた席が良くない(3列席の真ん中だったので、確かに悪い)ので、わざわざいくつか取り直してもくれた。乗車券も、何もいわなくても往復で手配してくれた。みどりの窓口で買うより、全然良いな、これ。予約状況から見て微妙だったが、意外に強運で、ほぼ希望の便を取ることが出来た。聞いた話によると、もう予約はほとんど通らないようで、運が良かった。あるいは、直前になってキャンセルが出たのか?
 ともあれ、席を確保できることは確実になったので、自転車持参で帰ることに方針を変更した。持って帰るのはMR-4F改にしよう。これなら幅を狭く出来るので(BD-1は意外に広かったりするので)、通路に放置しても迷惑にはなるまい。着替えなどは先に送ってしまい、出来るだけ手ぶらで帰ろう。
 などと思いつつ、洗濯等の雑用を片付けていたら、時間切れで今日も荷物をまとめられず。まあ、自転車を別送する場合と違い、宅配便で送れるので、翌日には着くはずだ。
 今夜は聖夜。とはいうもの、なにがどう聖なのだ?(ナザレのイエスの誕生日は今日ではないというのは定説のはず)

2003年12月24日(水曜日)

帰ってバタンキューな日

00時00分 暮らし 天気:いいのだが

 年末、という割には、別段忙しくも無い日が続く。年末締めの仕事が一つも無いことが原因だ。なぜかは知らないが、うまいことヤマを避けたな。
 帰宅は遅くなり、既に21:00を過ぎていた。さて、帰省時の荷物をまとめるか、などと考えていたら、猛烈に眠くなってきた。布団に入って仮眠しようとしたら、目覚めたのは真夜中になる始末。どうも眠気が取れない。寒さで、意外に消耗しているのかもしれない。

2003年12月23日(火曜日)

走り収めに北の方に行って来た

00時00分 自転車 天気:快晴

 今年最後の祝日は、絵の具を流したような快晴だった。昨夜、寝る前には、三浦半島を走って来ようとか、羽村に往復して来ようとか、サイスポで読んだ記事の通りに宮が瀬に行って来ようとか、様々な案を持っていた。が、寝起きの眠さに撃沈され、昼前の起床になってしまった。これじゃ遠出できないよ。ということで、今年最後の買い物旅行へと予定変更。
 そういえば、TCR-2って最近はローラー台専用だったな。ゆえに、今日の足はTCR-2となった。
 市道環状4号経由、海軍道路という考えもあったが、空が余りに穏やかな晴れ空だったので、境川沿いに北上することにした。八王子街道にぶち当たるまで川沿いに進み、そこからR16に合流し、相模大野へと向かった。
 相模大野では、イトイサイクルを襲う。リクセンカウルのピラーアタッチメントをもう一式欲しかったのだ。しかし、この店では発見できなかった。やっぱりY'sガレージか、いっそのこと和田サイに出かけるしかないようだな。この店では、前から欲しかった折り畳みマッドガードを買っておいた。
 すぐ近くの町田に向かう。丘を一つ越えるだけだ。ヨドバシに入り、最近出たばかりのPocket WZエディタ、miniBなUSBケーブル&ジェンダーチェンジャーを買っておいた。これでシグマリオン3をPCに接続できる、はず。~ その後は、南町田に寄ろうかとも思っていたが、結局、まっすぐ帰宅することにした。
 ロードバイクでトロトロと流し、サイクリングロードを下っていった。多摩川のように満員御礼状態ではないので、非常にリラックスして走れる。全区間、サイクリングロードを直結してくれないかな。ところどころ、川から離れても良いから。
 立場のイトーヨーカドーに立ち寄り、外に出た頃には、もう空は真っ暗になっていた。そういえば、冬至の頃だ。

2003年12月22日(月曜日)

弓アマも結構いけるのだ

00時00分 ゲーム 天気:晴れてます

 会社のスケジュールは来週月曜日まで勤務があるのだが、その月曜日には年休を取る。土日のうちには帰省する予定なので、それまでにはTCR-2を実家に送らないとな。自転車は宅急便では扱ってくれず、一般荷物になるので、翌日到着は保証されないかもしれない。なら木曜日には送らなければならないな。日曜日には梱包しておかないと。
 さて、悩みを他所に、LoDも進む。パッチ1.10ショックで引退同様だった弓アマを、再び進め始めた。基本的に高連射速度のユニーク弓を持たせ、攻撃速度上昇の篭手とベルトでさらに高速化しており、攻撃力は高いはずだ。なのに、どうもBaal様親衛隊との戦いで、ジャベアマに引けを取っている。ジャベアマがリヒター閣下一隊を数撃で殲滅できるのに対し、弓アマでは果てしなく射撃し続けなければならない。使用するスキルの特性によるものと思われるが、この差は攻略を進める上で大きい。ジャベアマがNightmareを瞬く間に攻略していったのに対し、弓アマはACT3の敵にさえ阻まれる始末だ。基本的に装備が足りないこと、特にライフ吸収が出来ないのが大きいな。ジャベアマ、パラディンといった、高レベルでも強力なキャラは、ライフ吸収、敵凍結という装備が共通している。弓アマでそれを実現できるかどうかは分からない。が、とりあえずライフ吸収は欲しい。また敵にダメージを与えにくいのは、単純にレベルが低いというのもあるだろう。レベル上げと装備集めを兼ねて、Baal様討伐を繰り返さなければならないだろう。
 なんか、アマゾンとパラディンだけでもお腹一杯という感じのゲームだ。次にパッチ1.11とかが出たら、またどういう風に変わってしまうのだろうか。

2003年12月21日(日曜日)

今年最後の荒川オフに

00時00分 自転車 天気:晴れ晴れと

 前日、帰宅したのは0:00過ぎだった。この時間から雑用を片付け、眠るのは2:00を過ぎるだろう。それでも、翌日の荒川オフには出ておこうと思っていた。今年は、天候不順などで荒川オフにはあまり参加できなかったし、公的な走り収め(なにがだ)という意味合いも持たせたかったのだ。
 一応、6:00過ぎ起床のつもりで目覚ましを掛けておいたのだが、ふと目覚めたのは8:00を回った頃だった。ああ、やっぱり目が覚めなかったかとがっくり。とりあえず起き出して、身支度をして出かけた。乗車はチェーンを清掃して好調のMR-4F改。
 地下鉄で戸塚に、戸塚からは湘南ライナーを捕まえて新宿まで出られたのだが、そこから浮間舟渡に向かうと、到着は11:00前になってしまうことが分かっていた。途中の赤羽で荒川に出ることも考えたが、それでは距離的に走りたらなくなるだろうと思えた。浮間舟渡で降り、そこから追いかけよう。
 浮間舟渡に降り、追い始めたのが10:45だった。最初の水門は無理だが、次の虹の広場では捕まえられるだろうと予測していた。30km/hくらいで追いかける。荒川は走りやすいのだが、しかし急激に運動量が増えたのと、深刻な寝不足のために、あっという間に体調が悪化してしまう。ここしばらくは無かったくらい、急激に体調が下がってしまう。ちょっとペースダウンした。
 虹の広場まで後少しという地点で、お城モールトンの二人組みに遭遇した。一人はひるひる氏、もう一人はたまたま行き合わせたモールトン乗りだったようだ。『もう虹の広場は通り過ぎましたよ』といわれ、がっくり来た。思わず、礼もいわずに走り去ってしまったくらいだ(ごめんなさい)。
 虹の広場から、少し戻った橋を渡り、中洲に出る。心拍数が上がりすぎだったので、かなり抑えた走りとなった。寝不足で心拍数が上がりやすくなっていたのか。しかし、人間の体というものは不思議なものだ。しばらく、抑えた走りをしていたら、次第に体調が回復し、また巡航速度が上がり始めたのだ。多少、鍛えた成果が出てきた気がしないでもない。
 最終休憩地点である中川水門が見えたとき、そこに群れる変わった自転車乗りを発見。やった、追いついた。なんとか滑り込んだ途端、まき氏から『もう出るよ』と言われてがっくり。少し猶予をもらった。
 今日は、なんだか進行が早いようで、僕と同じく途中合流を目論んだマモル氏らも、考えていた地点では追いつけなかったようだ。
 心拍が落ち着いた頃、荒川サイクリング一行は、最後の昼食地点へ向けて出発。僕は珍しくパナのチタンロードで来ていたまき氏にくっ付いて、のんびりしたポタリングペースで走っていった。思うに、このサイクリングでは、最初のうちに出来るだけ時間を稼ぎ、最後はのんびり走った方が良いのではないだろうか。
 葛西橋を越え、いつものコンビニで昼食を買う。それから江戸川健康の道(という名の荒川サイクリングロード末端)を走って、臨海公園へと至った。
 昼食を取り、まったりと寝て過ごす。天気は良く、日差しは暖かい。風も無い。絶好の昼寝日和だ。
 14:00に解散が宣言され、僕は東京、新宿方面隊に着いて東京へと向かった。MR-4F改はまずまず快調だったが、どうもリアディレイラーが決まらない。テンションを調整して凌いだが、調整しなおさないと。と、乗るたびに考えて、ずっと忘れてきた過去はあるのだが。
 日比谷公園で一行と別れ、にち氏、マモル氏と共に東京駅に向かい、そこでMR-4Fを畳んだ。にち氏は同じく帰宅、マモル氏は秋葉に寄って帰るとか。ところが、そのマモル氏のポケロケにパンクが発見され、急遽パンク修理大会が開かれた。最初はチューブの噛み込みが発見され、それを解消するべく一度ビードを落とし、サイド空気注入しようとしたのだが、空気が入らないのだ。耳を近づけると空気漏れの音がするので、朴が判明したのだった。実は昼食前にもパンクしてしまい、修理していたのだ。マモル氏が苦労して(小径高圧タイヤは一様に手ごわい)タイヤを外し、チューブを調べてみると、スポーク側にスネークバイトっぽい一対の穴が発見された。それをパッチで修理し、再度苦労してはめ込んだ。なんだか、最後は小径タイヤ嵌め外し大会になってしまったな。
 東海道線で戸塚に戻り、地下鉄経由で帰宅した。

2003年12月20日(土曜日)

@nak家おでんオフ

00時00分 暮らし 天気:快晴、快晴

 今年もあとわずか。恒例行事が目白押しだ。今年はBD-ML系の忘年会には出ないので、今日開かれる内輪の催しが今年の締めになる。@nak家で開かれる、吉例おでんオフである。
 13:00ぐらいから、となっていたので、それに間に合うように起きるつもりだった。が、目覚めると10:00前。その前に寄るところがあるのにこの時刻で大丈夫か? とにかく身支度して、出掛けた。
 起きるまでは自転車で、あるいは自転車を持って、などと考えていたが、冷たい空気と風に負けて、徒歩での出動となった。
 @nak家の前に、鎌倉に立ち寄った。鶴岡八幡宮近くの和菓子屋でお団子を買って行くつもりだった。去年も買っていったのだが、シュークリームの飽和攻撃に負け、余ってしまったのだった。そのリベンジだ。
 北鎌倉から鎌倉へと下る車窓には、初冬の山並みが映っていた。ナナカマドの赤みが目立つが、流石に少しくすんでいる。イチョウも葉っぱを落としきっていた。が、味わいのある風景だ。
 首尾よくお菓子をゲットして、今度は@nak家に向かう。横須賀線横浜経由で鉄道を乗り継ぎ、@nak家には13:00少し前に到着。すでににち氏、かぜ氏、ミキ氏がいた。早速おでんを始めたら、千客万来で席が埋まってゆく。おでんは大根が大振りに切ってあり、かつまた良く煮込んであり、大層美味であった。またちくわがスーパーで安売りしているような根性無しではなく、煮込んでもへたれない高級品だったようで、歯ごたえが良かった。
 雑談と周期的なアタック(なんのだ)が続く。BGVとして流している2003年ツール・ド・フランスが面白く、大体展開を知っているのに、ついつい引き込まれてしまう。
 かぜ氏が持ってきたDVDを流しながら、横ではおの氏が持ち込んだモノポリーが広げられている。まったりと時を過ごしながら、おでんの他にも登場する@nak(た)女史プロデュース品に舌鼓を打つ。パスタのバリエーションが広く、これなら飽きないだろうな。
 22:45頃にお開きとなった。ところが、この時間には既に立場行きの終電に間に合わないことが判明した。そこでたか氏の助言で、小田急江ノ島線経由という大回りルートで帰宅することにした。なんとか相鉄線いずみ中央に到達し、家まではとぼとぼと歩いて帰宅した。やっぱり、自転車に乗ってゆけばよかったか。来年はそうしようと思う。というか、来年もやってください。

2003年12月19日(金曜日)

年末年始の予定

00時00分 暮らし 天気:いいんじゃないか

 ニュースによれば、帰省ラッシュのピークは年末27~29日、年始は3,4日だそうな。今年は盆に帰らなかったので早めに帰省して、遅くまで実家で遊んでいようかと思っていたのだが、この情報で気が変わった。今年と同じように2日には帰ろう。そして1/3に実施される、BD-ML、Recumbent-MLの新春ポタに参加しよう。なんだか、これが年始の恒例になってしまいそうな勢いだ。
 帰省時には自転車、それもTCR-2を持って帰ろうと思っている。来年、Tarmacが届いたら、TCR-2はどうなるか分からない(つうか、"どうするか"は僕が決めることではあるが、まあ気分というものが強く影響するので)。それまでは出来るだけ乗ってやろうと思っている。
 TCR-2を抱えての帰省は御免したいので、カブトから買ったダンボール製の輪行箱に収め、運送会社に運んでもらう予定だ。ついでに帰省時に持って帰る物も送って、身軽に移動するつもり。運送費が少々掛かるが、ほとんど手ぶらで新幹線に乗れるの利点には替えがたい。
 今年も後2週間をきった。もうなにも落としませんように。

2003年12月18日(木曜日)

どうも寝不足な日

00時00分 暮らし 天気:晴れ

 前日、ゲームをうっかり3:00までやってしまい、今日は廃人寸前のねむねむ状態でのお仕事となった。まあ、大概の仕事は小人さんが片してくれるのだが、会議だけはどうにもならない。眠気と戦いながら、目を開けておくことに集中する俺様であった(会議の内容は?)。

2003年12月17日(水曜日)

miniBなUSBケーブルを近場で求めるも

00時00分 コンピュータ 天気:なかなか

 せっかく買ったモバイルアトラスだ、インストールしてあげないと。しかし、インストールのためには、Sigmarion3をPCに接続しなければならない(追記:後で調べたら、そんな必要はなかった。SDカードに細工したCABファイルを移すだけで十分でした)。スケジュールや電話帳はPalmで便利に管理できているゆえ、Sigmarion3とPCの同期など考えても無かったのだが、まあ話のネタにつなげちゃっても良いかも。
 Sig3とパソコンをつなぐ手段はいくつもあるが、USBが一番手軽だ。主にコンパクトデジカメに採用されているminiBタイプのUSBポートがあるので、これでPC側につなぐことが出来る。ところで、その隣にはminiAのポートも空いていて、これはPCのAポートと同じくホストポートとして動作する。ということは、ここにつなぐケーブルと、適切なドライバさえあれば、USBメモリの類を使えるわけだ。しかし、miniA(しかもUSB on to Go仕様のもの)は、市場にほとんど存在しないようだ。しかしこのポートは、miniBと電気的にはコンパチなので、miniB用のケーブルを用意して、コネクタをゴリゴリ削ればいいものらしい(なんてこった)。
 ということで、miniBなケーブルを買いに行こう。たぶん、横浜に出れば、選り取り見取りだろう。しかし時間的に近場で済ませたかったので、戸塚で探してみた。ええっと、LaOX戸塚店は......なんとダイエーに移転してました。あそこまでは、ちょっと歩かなければならないのだ。面倒だな。戸塚西口商店街をうろついたが、そんなハイカラなものを売っている店は無さそうだ。
 そういえば、立場のイトーヨーカドーの1Fで、PC類を売っていたな。そこで探してみる事にした。
 ところが、その電気用品売り場が無い! どうやら、あれは一時的な、出店的なものだったようだ。とほほ。がっくり来て帰宅しました。
 やはりUSB接続はしたいが、そんなに急ぐ気にはなれなかったので、週末にヤマダ電気辺りで探してみよう。
 今夜はアトラスW2だけインストールしてみたが、地図そのものバージョンは大差ないようだ。しかし、詳細地図を使える範囲が広がるなど、なかなか便利そうではある。

2003年12月16日(火曜日)

ジャベアマをちょっと強化

23時00分 ゲーム 天気:どうやらよかったようだ

 最近、Baal様回し以外にやってなかった(1ゲームが短くて済むので)Diablo2 LoDだが、気がつくとルーンが溜まっていたので、ジャベアマの装備を強化した。凍結付のユニーク鎧、ノーマルクラス最強のユニーク盾を、ルーン合成レシピで上級ベースへと変更した。ACがほぼ倍増し、被弾確率が降下したので、攻略が楽になりそう。
 このところ、やはり凍結付上級ユニークメイスを持たせたパラディンで、Baal様回しをやっている。凍結付は非常に攻撃が楽になる。ジャベアマの一挙殲滅振りと較べるとチマチマした攻略になるが、HS+AC向上オーラでACが2300くらいになるので、危なげの無い攻略振りになる。HP吸いを上げてから、武器のダメージの大きさもあって、受けたダメージもすぐ取り返せるので楽だ。
 これで、広域攻撃スキルを向上させたら、非常に扱いやすいキャラになるだろう。

地図ソフト更新

21時00分 コンピュータ 天気:どうやらよかったようだ

 ここ5年くらい、パソコン用地図ソフトとして、アルプスマップ社のアトラスシリーズを使い続けている。その関係でアルプス社からの販促メールを受けるようにしている。最近のメールで、アトラス最新シリーズのW2と航空写真マップなどが、非常に安く手に入ることが分かった。アルプス社の通販サイトを見ると、PDA用(CE専用だが)モバイルアトラスも非常に安かったので、この三つの発注を掛けていた。併せても11000円程度。これは安いなあ。
 夜になって、佐川の人が持ってきてくれた。W2と航空写真は容量を食いそうなので、実は一番気になっていたモバイルアトラスをインストールしようとした。あれ、これってSigmarion3にはどうやって入れるのだ? 結論から言えば、不可能ではないが、やや面倒な手順を踏むことになる。てっきりSDカード経由で何とかなるものと思っていたのだが、インストール用ファイルを書き換え、ActiveSyncでインストールしてやる必要があるようだ。だが、そのための専用ケーブルが無い。実は既存のミニUSBケーブルでなんとかなるようなのだが、コネクタに加工しなければならないようだ。そもそもミニUSBなんて手元に無いので、買ってこなくては。
 このモバイルアトラス、今PCに入れてあるアトラス2002相当の機能を、CE機で使用できるというもの。リアルタイムな位置確認にはGPSが最適だが、それでも詳しい地図を見たいときに重宝しそうだ。

2003年12月15日(月曜日)

今年もあとわずか

00時00分 暮らし 天気:晴れ

 今年もあと2週間ちょっとになってしまった。今年は一杯走ったような気がしない。夏場の長雨と、秋に入っての体調不良が響いているのか。最後になって立て続けに落し物をしたし、少しツいてない年だった。来年はたっぷり走れますように(つまり休日は晴れますように)。
 自転車関係の物を整理しないと、そろそろ物置部屋も足の踏み場がなくなってきた。なんだってこんなに無駄なものが増えたんだろう? 整理したら、自転車1台分のパーツぐらい出てきそうな、今日この頃だ。

2003年12月14日(日曜日)

久しぶりにサガミに

00時00分 自転車 天気:晴れ

 ふと起き出すと、もう14:00過ぎ。ああ、こんなにいい天気だったのに。まあ疲労はかなり取れたようだ。
 このまま寝なおそうかとすら考えたが、気を取り直してサガミへと出かける。多少の買い物を目論んでいたので、MR-4FにFreePack Sportをつけての出動だった。
 サガミまでは国際親善病院ルートで走った。あ、ろくな昼食を取ってなかったので、ややハンガーノック気味。サガミNo.3になんとか到着し、今日は忘れずにゴジラロックで固定しておいた。
 No.3では26*1.25のチューブ、安売りの鍵を買っておいた。少し長めの鍵で、複数台を固定するときに便利そうだ。
 サイクルセンター店への途中にあるコンビニでおやつを買い食いし、なんとかハンガーノックを解消した。まあ、家まではもつだろう。
 本店ではパールイズミの冬用手袋を買っておいた。グローブは五つくらい無いと間に合わない状況だ。
 3Fにはルーベプロのフレームが入っている。このデザインもなかなかいいな。こっちにしても良かった。しかし、Tarmacの妖しいデザインに惚れたので、仕方が無い。自転車はスタイルで乗れ、というのは真実だと思うのだ。
 サガミを出る頃には、すっかり真っ暗になっていた。しかしハブダイナモ仕様のMR-4Fなら問題は無い。LEDライトの助けを借りつつ、境川沿いに南下。ダイクマに立ち寄った。2Fのヤマダ電機で東芝のHDD+DVD-RAMデッキがかなり安く売られている。食指が動きかけたが、まあPCで出来るところまでやろうと思い直した。
 かれこれ、18:00過ぎに帰宅した。
 それから、MR-4FとBD-1のチェーンを洗浄した。バルビエリのチェーンクリーニングキットを持っていたのだが、いまいち落ちないという印象だった。しかし、クリーニング液をあまり薄めないで使用すると、良く落ちるのが判明。これでどちらもチェーンがきれいになった。しかし、そろそろBBを抜いて、完全な清掃をしなければならない時期だ。
 夜、寝る前に『フセイン捕縛』の報が入ってきた。なんと、生け捕りになるとは。状況からいって、フセインがイラクでのテロに直接関係するとは考えにくくなった。しかし、フセインの存在という信仰を恃んでいたテロリストたちにとって、これが大きな打撃になるのはいうまでも無い。予断はならないが、アラブ人の気質から言って、テロは収束に向かうのではないだろうか。

2003年12月13日(土曜日)

にち氏宅でにち鍋な夜

23時55分 レジャー 天気:晴れたね

 夜は、にち氏の家で鍋を囲もうということになっていた。とりあえずにち氏宅にお邪魔し、それから買い出し隊が近くのダイエーで材料を買い込んだ。僕の希望で水炊きに決まり。
 鍋の準備をしているうちに、こぐ氏が登場。こぐ氏は乗車中に事故に巻き込まれ、当面の間は自転車を見合わせている状況だ。はねられた衝撃で、靭帯を伸ばしてしまったということだ。しばらくは無理できない。が、健啖ぶりは相変わらず。
 鍋はやはり大人数で囲むのが良い。大量の食材が、瞬く間に片付いてゆく。うどんも投入され、これも片付けられてゆく。最後はシューアイスとコーヒーで締め。これで1000円ちょっとだったから、安くついたものだ。
 21:00過ぎにお暇することになり、僕はマモル氏と共に裏道を通り、帰宅した。最後の自走帰還が効いたのか、案外に疲労の溜まった一日だった。だが楽しかったな。

鶴見川をのんびり走ってきた

20時00分 自転車 天気:晴れたね

 8:30頃に起床。前夜、就眠が遅かった割に、目覚めは悪くなかった。
 朝食を取り、自転車の準備をする。今日はBD-1改で出動だ。なんだかんだ良いながらも、案外に良く乗ってるのがこのBD-1だったりして。チェーンロック、輪行袋、工具、チューブなどをサドルバッグに収め(オストリッチの小径車用4lのものなので、これくらいは入ってしまうのだ)、財布、携帯電話、雨具、火器などはメッセンジャーバッグに入れて背負うことに。立場駅まで走り、そこで輪行準備をする。BD-1を畳むのは意外に久しぶりだったりするので、ペダルの位置などの細かいノウハウを、すっかり忘れていたりして。結果、輪行準備に5分ほども掛かってしまった。
 予定の便は乗り逃がしてしまったが、それでも時間に余裕はある。最後尾に乗り組み、BD-1を空きスペースに置いて、まったり座って過ごした。
 新横浜で降り、地上に出てみると、@nak組とにち氏、hai氏は既に到着していた。ほどなくまき氏も到着。あれ、その自転車は......! まあ、黄色かったといっておこう(謎)。しばらく、なぜか試乗会が開かれる。
 やがて途中まで同行していただけるCHEE氏、やや遅れてマモル氏も到着した。今日は、このメンバーで、鶴見川に沿ってまったり走ろうということになっていた。
 新横浜から国際競技場(氷川きよしライブとかで駅周辺は混雑していた)横を通り、やがて鶴見川に出る。鶴見川沿いには、以前あざみ野から上流を走ったことがある。その時には荒れた路面が多く、細い道ということもあり、あまり走りよいとは思えなかったものだ。新横浜から上流の区画は、それに比べれば路面は良い。が、細さはあまり変わらないので、やはり走りよいとはいえない。なんとなく、境川っぽい眺めだ。
 そんな道だが、集団で走るとそれなりに楽しくはある。BD-1はMR-4Fほどには路面に敏感ではないので、のんびり走るには向いているものだ。しかし、メッセンジャーバッグが意外に重く、腰に来た。
 暖かな日差しの元、十分な防寒をして走っていると、汗ばむほどだった。しかしスポーツ用自転車とすれ違うことはほとんど無い。特にロードバイクは、1台しか見かけなかった。また途中でBikeFridayのアップライト(ポケロケ?)とすれ違ったそうだが、全然気づかなかった。
 1時間弱走り、R246にぶつかったところでCHEE氏とお別れ。ここで昼食にしようということになった。あかべこというイタ飯屋だった。ここで大問題発見。サドルバッグにゴジラロックを収めてきたのだが、なんと鍵の方を忘れてしまっていたのだ(滅)。その重さに、畳んだときの自立性が悪化するのにも目をつぶり、頑丈さを恃んで持って来たのに。無駄になってしまった。まき氏の自転車と連結して凌いだ。
 この店、イタ飯屋という割に、メニューはほとんどカリフォルニアっぽい小洒落た肉料理ばかりだ。ステーキを頼み、着いてくるデザート、コーヒーまで楽しむ始末で、たっぷり居座ってしまった。結果、これ以上上流に行く気力を喪失する一行だった。
 店を出て、支流である早淵川に向かう。その川沿いにはあまりいい道は無かったが、交通量は少なく、まったり走れる。道は、やがて鶴見川本流との合流点に差し掛かった。ここは見晴らしが良く、また三又の先端に立てるので、非常に気分が良い。(あ)氏によって記念撮影がなされた。
 鶴見川に掛かっている低い橋を渡り、鶴見川右岸を下っていった。比較的道が広く、見晴らしも良いので、安全な道だった。しかし、ここもスクーターの侵入には悩まされているようだ。途中、道路を超えたところにあった車止めは、ママチャリですら乗車しての通過が不可能なタイプだった。それ以外には、悪質な車止めは無かったのだが。
 だんだん川幅が広がり、やや殺風景になってきた頃、R1、R15と相次いでぶつかった。そしてR15で鶴見川と別れを告げた。ここからは、にち氏の先導で鶴見駅まで走ったのだが、裏道を通ったり、R15を通ったりして、なぜか右往左往している観があった。京急線沿いに走ると面白いと思ったそうだが、この人数での通過には無理があったように思う。しかしそれなりに退屈しないで、鶴見まで走り抜けた。
 鶴見駅に来たのは、ここでまき氏とお別れするため。夜の部の予定もあったのだが、まき氏にやるべきことがあるとかで、参加できないということになったのだ。
 鶴見駅を後にし、急速に暮れ行くR15を走って、横浜まで帰り着いた。冬至の近い時期ゆえ、日が落ちるのが本当に早い。

2003年12月12日(金曜日)

ストレスの溜まる日

00時00分 暮らし 天気:晴れ

 なんだかストレスが溜まりまくった一日だった。こういう日は酒でも飲んで、では帰って体を悪くするので、ゲームで憂さを晴らす俺様で熱田神宮。しかも夜中の2:00まで延々とやり続ける罠付。絶対、かえって体に響いたね。
 明日、明後日で憂さを晴らせるだろうか。

2003年12月11日(木曜日)

なんだか出入りしにくくなってしまった我が部屋

00時00分 暮らし 天気:どうでしょ

 朝、出がけに、玄関で靴を履く。以前は框(というほど段差があるわけではないが)に腰掛けて、たたき(じゃなくて唯のコンクリート張り)で靴紐を締めていたものだ。ところが、玄関口に自転車スタンドを置いてしまったため、今や玄関を出てから、中腰で靴を履く始末だ。入るときも、ちょうど肘辺りがTCR-2のハンドルと干渉してしまうので、少し気をつけなければならない。いろんな意味で邪魔な存在だ。でもまあ、TCR-2をポンと置いてあった頃と、それほど変わったわけではないが。
 それにしても、大量の自転車パーツを何とか始末しないとな。

2003年12月10日(水曜日)

今夜もローラー台を回す俺様

23時00分 自転車 天気:なかなか

 そんなわけで(どんなわけだ)、ボーナスも無事に出た記念で、ナイトランして来ようかと思っていた。冬用装備の耐寒性能を見る意味もある。しかし、今夜は寒すぎ。そこまで気力がわかず、結局はローラー台でハムスター化するのが関の山な俺様であった。
 40分くらい、黙ってひたすら回し続ける。汗が額を滴り落ち、それが冷えて不快な感じになるので、タオルで拭きたい。が、タオルは手を伸ばしたくらいでは届かない場所にある。なら降りればいいのだが、せっかく体も暖まっているのに足を止めるのも癪だ。そういうわけで、汗も拭かずに回し続けた。
 しかしまあ、もう少しモチベーションを維持する工夫をしないと、ハムスター化もご無沙汰になるかもな。

ボーナス出たぴよ

21時00分 暮らし 天気:なかなか

 無事にボーナスが出た。いや心配していたわけじゃないが、年末のボーナス時には、なんとなく『今年も無事だったな』という感慨が混じるものだ。
 意外に額が上がっていたりして。これは単に、自分の昇給分を読み間違えていただけだが。しかし、金額的にはあれこれ予定していたものを買って、さらにBridgestone Moulton Sportも買えるくらいだ。いや、買わないけど。
 でもまあ、おうちサーバを睨んで、そろそろ主力PCの更新をしても良いくらいだ。要らないものを売って、あまり懐を痛めない程度のものを買おうかと思う。プロセッサ、メモリはともかく、回り物(ドライブ類)は、世の中に出回るメディアがまた増えたので、更新しないとやばい感じだ。ファイルサーバのバックアップも、真剣に考えないと(100GB級ディスクでRAID-0を組む程度で良いだろうが)。

2003年12月09日(火曜日)

冬晴れの一日

00時00分 暮らし 天気:晴れ晴れ

 朝から雲が少なく、あっても刷毛で刷いたような薄雲が見えるばかりの日だった。
 夜になってもこの傾向は変わらず、夜空のほとんどは晴れ上がり、比較的低角度に薄雲が掛かっている程度だ。結果、放射冷却で寒い一日となった。
 この寒さは、ずっと引きずっている鼻水、眼痛に響く。30分毎にトイレで鼻をかむ始末。目の痛みはゲームのやりすぎ(爆)として、鼻水は? もしかして、これは花粉症? この時期に花粉を飛ばす植物はなんだろう。あるいは、なんらかのアレルギー体質になったか。
 こんな夜には眼視での星空観望がいいのだが、寒いので止め。

2003年12月08日(月曜日)

Sigmarion3で通信を

00時00分 デジタルギミック 天気:実にいい

 買ったばかりのSigmarion3で、インターネットアクセスしてみた。
 従量制契約の2PWLをCFスロットに挿してみたところ、初期設定でなにかうまく行かず、ダイヤルアップで『ポートを確保できない』云々というエラーが出ていた。2PWLのマニュアルは実に親切で、PCのみならず、各種PDAでの設定例を記述してある。Sigmarion3に関しては、特に注意すべきことは無さそうだが......。
 もう一度、ダイヤルアップ設定をやり直して、実は使用しているポートが2PWLではなく、COMポート1だかなんだか(たぶん、モデムカードを使用するための設定だろう)になっているのに気づいた。それを指定しなおすと、今度は難なくアクセスできる。
 搭載されているIEは5.5相当のもので、Sigmarion1搭載のものに比べて、飛躍的にタグ受容範囲が拡大している。たいていのページで、きちんと表示できるようだ。しかし、一部のページでは、恐らくJavaスクリプトの非互換性に起因するのだろうエラーが発生するようだ。ん、スクリプト? やヴぁいのでオフにしておかないと(出来るのかな)。
 意外に便利なのがPicsel Browser。各種ファイルを読み込める上、拡大縮小も自由なので、あまりに細密すぎて目につらいSigmarion3のW-VGA画面では、非常に便利に使える。これで画像データの保存も出来れば。
 一つ困ったことに、システムのフォント選択幅が狭い。WordPad(実際にはPocketWordみたい)で文書を閲覧するとき、14ポイントくらいのものを使いたいのだが、DBCS系はゴシックフォント系しか搭載されておらず、12ポイントで最適化されているのか、14ポイントではフォントのジャギーが目立ってしまうのだ。使えなくは無いが、これくらいのサイズに最適化された書体、できればP明朝辺りが欲しいところだ。
 左側のアイコンの一つをタップすると、Mobile Customというアクセサリが立ち上がった。どうもどこかにあるSigmarion3専用のページにアクセスして、様々なオプションを取ってきてくれるものらしい。DOCOMOのM-Stageの一部なのだろう。早速、適当なテーマと、ATOK、表計算ソフトなどのアクセサリをピックアップしておいた。そして、そのダウンロードを待ちながら、いつの間にか寝てしまっていた。布団で寝そべりながらやっていたのだ。
 ふと目覚めると、もうダウンロードは終わっているようなので、蓋を閉じてから寝なおした。後は明日にでもやってしまおう。

2003年12月07日(日曜日)

町田までお買い物の旅

20時00分 自転車 天気:意外にいい

 昼過ぎに、TCR-2で町田に向かった。朝に届いたSigmarion3の液晶保護シートを買いたかったためだ。
 行きは横浜市道環状4号線を通り、海軍道路、八王子街道と走り、境川との交点から境川沿いに走った。天気は良く、ぽかぽかと暖かい。上は半袖Tシャツ+カステリのウィンドブレークジャージ、下は届いたばかりのパールイズミのウィンドブレーク・タイツだったが、特に下はこれだけで十分という感じだった。
 多少の買い物を目論んでいたので、これも届いたばかりのメッセンジャーバッグを背負って行った。平べったいので、箱物や本を運ぶのには、バックパックよりも便利だ。
 天気が良いからか、散歩の人がとても良い。久しぶりのロードバイクの乗り味を楽しみつつ、町田駅のヨドバシ側に到達。店内に入った。
 町田店はフロア面積が広く、横浜店よりずっと充実している。今日も一眼デジカメを眺めてみた。ミノルタの*istは軽くていいのだが、価格がなあ。しかし、AF速度が高速で、速くなったといわれる最近のコンパクトデジカメと比べても段違いだ。これならシャッターを切るのが楽しいだろうなと思う。メモ撮り主体のコンパクトタイプ対撮る事自体が主眼の一眼デジカメ、というところか。
 首尾よくSigmarion3用の画面保護フィルムをゲット。そのすぐ下に、CLIE T650C用ボールペン内蔵スタイラスペンがあった。こんな細いのに内蔵できるのか。スタイラスペンは以前無くしてしまい、ボールペン(のキャップ)で代用している状況だったので、これも購入した。
 年末ということでいろんな会社の販促員が声を張り上げている。特にauは1円セールを繰り広げていた。INFOBARじゃなくて、こういうのでも十分だったか。でもINFOBARは妙な所有感があっていいのだ。
 メッセンジャーバッグに詰めて、来た道を戻ってゆく。途中、南町田はグランベリーモールのモンベルショップに立ち寄った。アルコールバーナー用の燃料ボトルと、そのまま火に掛けられるチタンマグを買おうと思っていた。しかし、燃料ボトルは大きいもの(500mlとか入っちゃうもの)しかなく、チタンマグは『まあチタンシエラカップが(なぜか買って)あったから良いや』と思い直し、買わず終いだった。どうしても必要だと思ったときに買おう。防寒用にナリーニとかアディダスとかの防寒サイクリングジャケットが欲しいとも思っていたのだが、実物を見ると意外にカステリのウィンドブレークジャケットと大差無さそうだったので、これも見送り。考えてみれば、去年冬季に走っていたときも、体はそれほど寒さを感じてなかった気がする。襟首と足元が問題だった。
 日が傾くと、一気に気温が下がってきた。ウィンドブレークジャージだけでは寒い。そこで小さく折り畳んでいたフード・イン・ジャケットの出番だ。取り出して着込むと、それだけで体が寒さを感じることは無くなった。厳冬期にも、この下にさらにウィンドブレークジャケットでも着込むだけで十分そうだ。
 今日は北風なので、帰路は追い風でスピードが乗った。が、火が暮れかけていたので、ライトをつけ、スピードを抑え気味にして走った。しかし、25km/h以下でゆっくり走っているときにも、ロードバイクは非常に安楽な乗り物なのだ。これくらいのスピードなら、ペダルにはほとんど負荷を掛けないで回すだけで良い。スリック化したMTBでも同じスピードを維持するのは楽なものだが、どうしても粘つくような路面の抵抗を感じ続ける。タイヤのおかげか、ロードでそれを感じることは少ない。この乗り味は好きだな。
 日が暮れきった頃に帰宅した。

来ましたね、Sigmarion3

12時00分 デジタルギミック 天気:意外にいい

 9:00くらい、例によって夜更かししていた我輩は、ドアのチャイムにたたき起こされた。出てみると、ゆうパックの人。届いたのは、ヨドバシカメラに発注していた、Sigmarion3(と256MBのSDメモリカード)だった。
 早速箱を取り出して、しかしまた布団に戻って惰眠を貪る始末。ダメだ。なんとか僅かな二度寝で起き出し、Sigmarion3を取り出した。
 意外にSigmarion1より薄型で、小さい印象がある。サイズに大差は無いのだが、ずっと中身が詰まっている印象だった。さっそくSDカードを挿し、起動してみた。画面が非常に高精細で、情報量はSigmarion1より大幅に増えている。また体感速度も高い。ブラウザも使い物になりそうな雰囲気だ。Sigmarion1は完全に日本語タイプライタとして、テキスト打ち専任だったが、これならインタネットアクセスもこなせそうだ。
 早速、@FreeD-2PWL(ただし従量制契約)を挿してみた。が、認識はしているようだが、これで通信は出来てないようだ。なにかドライバの類がいるんだっけ。
 しかし、一定時間ごとに出るバックアップ電池切れ警告が鬱陶しいので、とりあえずはAC電源を指して充電してみることにした。
 昼ごろに外に出かけ、帰ってきてもまだ警告は出る。さらに夜になっても出る。いったい、どれくらい時間が掛かるんだろう。メインバッテリは、もちろん満充電なのだが。
 とりあえず、買ってきた液晶保護シートを貼り付け、Sigmarion1で使っていたCFメモリカードから、Sigmarion3に挿しているSDメモリカードに、データを移しておいた。
 これからボチボチと環境を作っていこうと思う。あれ、PWZエディタってARMプロセッサに対応してるんだっけ。

2003年12月06日(土曜日)

そしてラックを組み立てた

23時00分 自転車 天気:意外にもほぼ曇り(だが雨にやられた)

 帰宅して、カブトのラックに手を着けた。これは天井と床との間に支柱を立て、そこに自転車を掛けるタイプのもの。
 組み立てて、テンションを掛けるためのスプリングを全力で押し縮めつつ、適正位置におっ立てた。自転車を掛けるフックは、オプションで買った一つを含めて三つ。その一番下に、TCR-2を吊るしてみた。うん、いい感じ。このまま簡単な整備なら出来そうなのも、いい感じだ。しかし、自転車って意外に高さがあるもんだな。三つ吊るすつもりだったが、フルサイズのものは苦しそうだ。今、ラックに掛かってないのは、玄関に置いてあったTCR-2と、物置部屋の14インチ2台。このうち、トレンクルを真ん中のフックに掛けてみた。......むぅ、これはダメだ。真ん中のフックは支柱の継ぎ目のすぐ下にあるので、これ以上は上がらない。しかし、トレンクルのタイヤがTCR-2のハンドルバーに干渉してしまう。また、トレンクルは重心が高いので、フレームを支持するタイプのこのフックの上では、ややもするとひっくり返ってしまいそうだ。これは弱ったな。
 その時、電波の命令が脳に届いた。曰く、入れ換えよと。それを『TCR-2とトレンクルの吊るす位置を入れ換えること』だと直ちに了解した我輩は、早速TCR-2を中断に、トレンクルを中段に入れ換えた。しかし、これでは解決にならない。電波の神も間違いを犯すのか。
 すると次の命令が届いた。曰く、折り畳めと。これを『トレンクルを折り畳め』という意味だと了解した我輩は、再び電波の命ずるままに作業を実行した。うむ、ハンドルポストとシートポストを畳むと、重心が下がり、なんとかひっくり返ることは無くなりそうだ。さらにトレンクルを吊っているフックをぎりぎりまで下げ、後輪を接地させると、完全に安定してくれた。これでクリアランスも確保できるだろう。んが、TCR-2を吊ると、それでも少し干渉することが分かった。ああ、電波の神にも限界があるのか。
 そして、最後の命令を脳で受信した。曰く、回せと。これを別にビッグラットを回せ(ジョー90爆)という意味ではなく、『干渉しない位置までフックの水平位置を回せ』という意味だと察した我輩は、操り人形のようにその命令を実行に移した。ブラッボォー! これで2台の自転車が干渉も無く、仲良くラックに釣り下がった。さらに、一番上のラックは、フルサイズロードを吊るすのに十分な高さを確保できたようだ。Tarmacが来ても大丈夫だ。
 しかし、大荷物の移送の際には、いちいち自転車をラックから降ろさなきゃならないね。ぐはぁ(大喀血)。

雨の予報の日に、少しだけ出かけた

19時00分 自転車 天気:意外にもほぼ曇り(だが雨にやられた)

 雨の予報だったのだが、意外に昼を過ぎても雨は降り出さない。不気味な空模様ではあるが、ところどころ晴れ間も見える。微妙な天気だ。お腹が空いていたので、飯を食いに&何かを買いに、BD-1で出かけることにした。
 雨の危険を冒して外出したのは、昨日届いたウェアを試してみたかったからだ。買ったのはパールイズミのフード・イン・ジャケットというフードつきウィンドブレーカー、もう一着欲しかった同じくウィンドブレーク・タイツだった。後は小物を少々とハンドルバーとタイヤ。
 このジャケット、意外に暖かく、下に長袖Tシャツ、長袖ジャージと重ね着していたら、軽く走っているだけでも汗ばむほどだった。厳寒期にも十分通用しそうだ。また折り畳んで小さく収めることも出来るようだ。
 なんとなくカレーを食いたくなったので(シエルの呪いか)、CoCo壱でグラタンカレーを食す。
 その後、時間的に遠出は不可能だったので、湘南台に出て、ダイエーに立ち寄った。体脂肪率計測機能つきの体重計を買う気で眺めていたが、なんとなくボーナス後に持ち越す気になった。
 ダイエーを出ると、なんと雨が降っている! 一瞬、呆然としたが、これもジャケットの撥水性を見る良い機会だと思い、あえて合羽を着ないで走って帰った。幸い(あるいは残念なことに)雨はほぼ上がっていたのだが。撥水性は良好なようだ。真冬のライドでは重宝するだろう。

2003年12月05日(金曜日)

やたらメスティンが便利なのだが

00時00分 暮らし 天気:うーむ

 夕方、ドカドカと荷物が届く。カブトの自転車用ラック(支柱型のもの)とダンボール製輪行箱、そしてC.B.あさひに発注していたウェア類。とりあえず横に除けて、夕食を作る。今日もメスティンで飯を炊いてみる。炊飯器に比べ、登場人物が少ない(=洗うべきものが少ない)ので、非常に気楽なのだ。今日は蒸らしの時間が足りなかったためか、飯の底の方が、やや粥っぽくなってしまった。やはり、炊き上がったらかき混ぜて、全体の水気を飛ばしつつ、均質化を図ったほうが良さそうだ。
 この飯盒、もちろん汁物も作れるし、物入れにもなる。もう一つ買っても良いくらいだ。
 こうして経験値を上げて行こう。それで何になるかは定かではないが。

2003年12月04日(木曜日)

帰ってバタンキューな日&腹立たしいマウスパッド

00時00分 ゲーム 天気:なかなか

 最近、Diablo2をやりすぎたのか、右手が腱鞘炎気味だ。気づいたときには相当悪化していたので、なんとか改善されるまで、毎日自分でマッサージする破目になった。なんとか、弾発もなくなって、まともに動かせるようになっては来たのだが。
 思うに、マウスを使っている環境が悪い。いつも肘掛にひじを載せたまま、ダラーっという感じで使っていた。その肘掛に対し、マウスを操作する机の面がやや上にあり、マウスを操作するには常に手首を緊張させておかなければならないのだ。これが悪かったようだ。100円ショップで買ってあった100円枕を肘に敷くようにすると、ずいぶん改善された。
 もう一つ。マウス自体の性質も、腱鞘炎悪化の原因になったように思う。Logicoolの無線式光学マウスを使っているのだが、光検知式ゆえに操作面の状況に左右される。色の濃淡があるとカーソルがそこで止まるようなこともある。普通のアプリなら問題は無いが、もっぱらDiablo2をやりまくっている状況では、シビアなマウス捌きを要求されるゆえ、少しの挙動不審が大きなストレスを誘うのだ。それをカバーするために、さらにシビアなマウス操作が要求され、それが手首への負荷を大きくする悪循環に陥っていたのだった。
 とりあえず、それなりに便利な今のマウスを交換するのは嫌なので、操作面の方を改善することにした。昨日、光学マウス対応のマウスパッドを買ってきたのだ。それを使ってみた。が、これ、光学マウス対応というくせに、我がLogicoolは反応しない。操作面が濃い目のブルーになっているのだが、それが仇となっているようだ。なんてこった。
 幸い、裏面は白一色だったので、こちらで操作してみた。こちらは快適。引っかかるような動きが減少し、かなりよくなってきた。が、別の問題が。安物パッドなので、軽く、小さすぎて、マウスの動きと共に移動してしまうのだ。これは、両面テープで止めるという、乱暴な方法で対処。ま、安物だから出来る技で。
 なんてことをしながら、LoDはジャベアマでNightmareに突入していた。NormalのBaal様狩りを繰り返していたら、いつの間にかL64に達してしまっていたのだった(爆)。慌ててNightmareを進めることにした。これ以上レベルが上がると、今度はレベル上げが極端に難しくなってくる。攻略中にレベル上げが一つも無いと、新しい状況に対して対処するため、スキル割り振りを変えるということが出来なくなるのだ。
 が、ACT1後半突入というところで、猛烈な眠気に襲われ、布団に入ったところで意識を喪失。目覚めると夜中の2:00過ぎだった。それから起きて、風呂に入っても、夜が明けてしまうので、そのまままた爆睡した。
 なんか、ここ一月ほど、眠気が全然取れないのだが。

2003年12月03日(水曜日)

久しぶりにお好みハウスでウハウハ

00時00分 デジタルカメラ 天気:晴れ

 今日は、昼から新川崎で教育を受講して来た。不正アクセスの現況に関する講義だった。講師の人が、攻撃手法の向上振りを嬉しそうに語るのを見て、もしかしてやってるのかと思ったりしてな。
 今日はどのみち定時退勤日なので、会社には戻らず、横浜に出る。19:30くらいからお好みハウスで飲み食いするか、という話になっていた。
 それまで、駅周辺をうろつく。ヨドバシでは、EOS Kiss Digitalなどをじっくり眺める。広角が十分広角なのと、操作感がコンパクトデジカメとは段違いに良いので、やはり欲しくなってしまうな。連射が4枚までしか効かないのも、今のところ困りそうな要因に思えない。10D、NIKON D100、シグマのものなども見たが、重量的にやはり重過ぎるように思った。やはりレンズ込みで13万円という価格は魅力的だ。だが、価格的にはBRIDGESTONE MOULTON Sportと競合してしまう。優先順位は、断然カメラの方が先なのだが。
 ハンズで小物を買った後、19:30過ぎにお好みハウスに向かった。にち氏が予約を入れておいてくれたおかげで、割と混んでいたのに難なく座れた。中ジョッキをちびちびやっているうちに、にち氏が登場。まずはキム玉をやる。それからニラレバ、ちーとま、焼きうどんなどを食す。途中、隣のカップルが残したイカ焼き&腸を物欲しそうに見ていたら、マスターがほいっと移動してくれた。こんなこと、普通の店じゃやらないよな(笑)。
 かなり眠かったので、22:00前には店を出た。しかし、鯖が品切れで口に出来なかったのは残念。いつか、リベンジを。

2003年12月02日(火曜日)

暑くなったり寒くなったり

00時00分 暮らし 天気:冬だな

 台風が接近していた土日は、南からの風のせいでずいぶん温かかった。むしろ暑かったというべきか。マフラーなんかしてられないぜ、って感じだった。
 その影響が去った昨晩、今日は、これまたえらい寒い日になった。気温的には11月下旬から差は無いのだろうが、体が一時的な高気温に順応してしまってたからな。マフラー必須だぜ、って感じだった。
 こうして、温められたり冷やされたりしながら、やがて年が明けるのである。今年も一月を切った。

2003年12月01日(月曜日)

屋内飯盒炊爨第2ラウンド

00時00分 レジャー 天気:相変わらず雨

 今日も屋内飯盒炊爨に挑戦。
 昨日同様、メスティンで米を研いで、しばし寝かせる。今日は昨日の教訓を生かし、かなり多め(米の1.4倍くらい)とした。2時間ほど寝かせた後、トランギアのアルコールバーナーであぶり始めた。このトランギア(のアルコールバーナー)、音がほとんどしない。吸気のためのものらしい、僅かな音だけだ。深々と降りしきる雪の日に、これでお茶でも入れたら、さぞかし心が落ち着くだろうな。
 湯気が立ち始め、やがてそれが弱まって『チリチリ』などと鳴き始めたら、火から下ろす。ちょっと開けて確認してみると、うむ、カニの巣も空いた完璧な炊き上がりだ。おこげも無い。とりあえず新聞紙に包んで、蒸らしておいた。本当はかき回して、湯気を飛ばすと風味が出るのだが。
 付け合せは、まずはトランギアの調理ポットで、シャウエッセンを茹でる。これは昨日と同じ。ある程度茹で上がったところで、湯に入ったまま横に除けて、余熱で仕上げることにした。バーナーには、さらにポットの蓋の方を掛け、油を引いて目玉焼きを焼いてみた。が、これがまた困ったことに、なかなか火が通らない。蓋が無いので蒸し焼きに出来ないのだ。然らばターンオーバーに、と思っても、蓋が小さすぎてヘラが通りません。ぐはっ(吐血)。棚を漁ったら、どこぞのチタン製中型シエラカップ(いつの間にこんなものを買ってたんだろう)が出てきたので、それで蓋をしてみた。が、隙間がありすぎて有効な蓋にはなりません。やむなく、とろ火で、火が通るまでじっくり待ち構えることにした。
 その間、サブとして引っ張り出したエスビット(の保管箱兼五徳)に、使い込んだシエラカップを掛け、湯を沸かした。こちらには別途買ったシエラカップ用の蓋があったので、掛けておいた。
 今夜は風が強い。換気口から入り込むので、キッチンの周辺は、意外に空気の動きを感じた。風に敏感なトランギア、エスビットには、ちょっとつらい状況だ。そこで、風除け登場。三つ折式のものを立ててやると、炎の動きがかなり穏やかになった。しかし、冬場で、水温が低かったためか、エスビットはタブレット一つではお湯を沸かしきれなかった。目玉焼きはなんとか火が通っていたので、バーナーから下ろし、代わりにシエラカップを掛けて沸かしきった。これでお吸い物を作った。後はコンビーフでなんとかしようと思っていたのだが、そこまでやる気力がなくなった。
 とりあえず、いただきます。ご飯はふっくら炊けて、IH電子ジャーにも負けてないぞ(本当かよ)。昨日と比べると雲泥の差だ。目玉焼きは、やはり天頂部には火が通り切ってなかった。でも実用には問題なし。気分的には、簡易フライパンにちゃんと蓋を出来るようにしたいな。
 これだけ作っても、まだバーナーの火は残っていた。最初に8割くらいの位置まで入れておいたのだ。これなら、ツーリング時の一食分くらいは、無補給で可能だろう。さっきのチタンカップでお湯を作り、それでお茶を入れた。が、それでもまだアルコールが残っていた。意外に長持ちしそうだ。
 こうなると、屋外に持ち出してやりたいが、食材の運搬と水の確保が問題だな。