Strange Days

2003年12月21日(日曜日)

今年最後の荒川オフに

00時00分 自転車 天気:晴れ晴れと

 前日、帰宅したのは0:00過ぎだった。この時間から雑用を片付け、眠るのは2:00を過ぎるだろう。それでも、翌日の荒川オフには出ておこうと思っていた。今年は、天候不順などで荒川オフにはあまり参加できなかったし、公的な走り収め(なにがだ)という意味合いも持たせたかったのだ。
 一応、6:00過ぎ起床のつもりで目覚ましを掛けておいたのだが、ふと目覚めたのは8:00を回った頃だった。ああ、やっぱり目が覚めなかったかとがっくり。とりあえず起き出して、身支度をして出かけた。乗車はチェーンを清掃して好調のMR-4F改。
 地下鉄で戸塚に、戸塚からは湘南ライナーを捕まえて新宿まで出られたのだが、そこから浮間舟渡に向かうと、到着は11:00前になってしまうことが分かっていた。途中の赤羽で荒川に出ることも考えたが、それでは距離的に走りたらなくなるだろうと思えた。浮間舟渡で降り、そこから追いかけよう。
 浮間舟渡に降り、追い始めたのが10:45だった。最初の水門は無理だが、次の虹の広場では捕まえられるだろうと予測していた。30km/hくらいで追いかける。荒川は走りやすいのだが、しかし急激に運動量が増えたのと、深刻な寝不足のために、あっという間に体調が悪化してしまう。ここしばらくは無かったくらい、急激に体調が下がってしまう。ちょっとペースダウンした。
 虹の広場まで後少しという地点で、お城モールトンの二人組みに遭遇した。一人はひるひる氏、もう一人はたまたま行き合わせたモールトン乗りだったようだ。『もう虹の広場は通り過ぎましたよ』といわれ、がっくり来た。思わず、礼もいわずに走り去ってしまったくらいだ(ごめんなさい)。
 虹の広場から、少し戻った橋を渡り、中洲に出る。心拍数が上がりすぎだったので、かなり抑えた走りとなった。寝不足で心拍数が上がりやすくなっていたのか。しかし、人間の体というものは不思議なものだ。しばらく、抑えた走りをしていたら、次第に体調が回復し、また巡航速度が上がり始めたのだ。多少、鍛えた成果が出てきた気がしないでもない。
 最終休憩地点である中川水門が見えたとき、そこに群れる変わった自転車乗りを発見。やった、追いついた。なんとか滑り込んだ途端、まき氏から『もう出るよ』と言われてがっくり。少し猶予をもらった。
 今日は、なんだか進行が早いようで、僕と同じく途中合流を目論んだマモル氏らも、考えていた地点では追いつけなかったようだ。
 心拍が落ち着いた頃、荒川サイクリング一行は、最後の昼食地点へ向けて出発。僕は珍しくパナのチタンロードで来ていたまき氏にくっ付いて、のんびりしたポタリングペースで走っていった。思うに、このサイクリングでは、最初のうちに出来るだけ時間を稼ぎ、最後はのんびり走った方が良いのではないだろうか。
 葛西橋を越え、いつものコンビニで昼食を買う。それから江戸川健康の道(という名の荒川サイクリングロード末端)を走って、臨海公園へと至った。
 昼食を取り、まったりと寝て過ごす。天気は良く、日差しは暖かい。風も無い。絶好の昼寝日和だ。
 14:00に解散が宣言され、僕は東京、新宿方面隊に着いて東京へと向かった。MR-4F改はまずまず快調だったが、どうもリアディレイラーが決まらない。テンションを調整して凌いだが、調整しなおさないと。と、乗るたびに考えて、ずっと忘れてきた過去はあるのだが。
 日比谷公園で一行と別れ、にち氏、マモル氏と共に東京駅に向かい、そこでMR-4Fを畳んだ。にち氏は同じく帰宅、マモル氏は秋葉に寄って帰るとか。ところが、そのマモル氏のポケロケにパンクが発見され、急遽パンク修理大会が開かれた。最初はチューブの噛み込みが発見され、それを解消するべく一度ビードを落とし、サイド空気注入しようとしたのだが、空気が入らないのだ。耳を近づけると空気漏れの音がするので、朴が判明したのだった。実は昼食前にもパンクしてしまい、修理していたのだ。マモル氏が苦労して(小径高圧タイヤは一様に手ごわい)タイヤを外し、チューブを調べてみると、スポーク側にスネークバイトっぽい一対の穴が発見された。それをパッチで修理し、再度苦労してはめ込んだ。なんだか、最後は小径タイヤ嵌め外し大会になってしまったな。
 東海道線で戸塚に戻り、地下鉄経由で帰宅した。