Strange Days

2003年05月11日(日曜日)

第2回東京・南会津サイクルトレイン2日目

00時00分 自転車 天気:いいじゃないか

中山峠へ


 昨夜のどんちゃん騒ぎにも関わらず、6:30にわりときっぱりとした目覚めを迎えた。外気はやや冷たく、心地よい。
 昨夜、朝食の時間が7:00なのか7:30なのかというのが話題になったが、結果的には7:30だったようだ。朝からうまいご飯にお代わりしてしまう。きっと、この地方に住んでいたら、今よりさらに太ってしまうだろう。
 少々行動開始は遅れたが、宿を後にする。宿から幹線道路に復帰するのに、いきなり激坂登りの洗礼付きだ。
 さて、ここからは中山峠を越え、大内宿に立ち寄る予定になっている。中山峠はそんなに高くは無い峠だが、その直後にもう一つ山を越える必要がある。
 朝食が多量に腹にたまり、いまいち足が回らない。にち氏にくっついて登って行く。最初は結構な激坂ではないかとの情報もあったが、折り返しが多く、意外に緩やかな印象があった。ペダルをへこへこ回しながら、その緩い坂を登っていった。身体があったまってきて、ようやく調子が出てきた。なかなか気持ちいい道を登って行く。登りはいくら足を鍛えても辛いままだ。ベターっと踏んでも登って行ける、そういう緩々の坂が好きだ。
 やがて、先行していたスタッフ車と、既に到着している参加者が見えてきた。到着寸前ににち氏をズバッと抜いて(ここだけ元気良くもがいて(笑))、峠の頂上に立った。
 これぐらいの峠なら、一日複数でも脚にこないだろうなあ、などと暢気に周囲を見渡す。左右を木立が走っているので、あまり見晴らし良くない峠だった。
 全員集合の後、今度はしばし下り、スタッフの誘導で小公園で小休止することになった。駐車場と、コテージ風のトイレ、手洗い場が並んだだけの、妙に殺風景な公園だと思った。後続の到着を待ちながら、漠然と周囲を見回したところで、ようやくこの公園の本当の見ものに気づいた。少し離れた場所に、見事な花畑が広がっていたのだ。観光客も、ぽつり、ぽつりとやってきているようだ。
 ここでチョコと飲み物の配給があった。昨日の観音沼でもらったお茶のペットボトルをようやく飲み干したので、ここでポカリスエットをもらっておいた。今年は去年以上に甘やかしてくれるなあ。でも休止中にチョコで糖分摂取というのは、ハンガーノックで走れなくなる参加者を出さない予防になっているのだろう。
 ここでこぐ、みち、にち氏らスマイル隊(全員、ハンドルバーにRIXEN&KAUL SMILEを着けたBD-1に乗っている)の写真を撮ってあげる。そういえば、MR-4FにもALLROUNDER MINIを着けたいところだ。

大内宿


 公園を出発して、少し登った民家の庭先に、樹齢1000年という大ケヤキがあった。幹周りは12mもあるという。森の真ん中にこんな木が立っていたら、なにか神めいたものが依り憑いているように感じたかもしれない。樹盛もまだまだ盛んで、生命力を感じさせた。
 さらにもう一つの峠も越えてゆく。こちらは平野女史らと抜きつ抜かれつしながら登っていった。すぐに下りになる。これがもう、なんとも爽快なダウンヒルだ。早めのブレーキングさえ心がければ、MR-4Fでも不安は感じない。歓声を上げたくなるくらい、気持ちいい下りだった。
 やがて下りきり、上り始めた。上りは短く見えたので、一気に踏んで、平野女史を差した。爽快なり。が、のぼりはまだまだ続いて行くのだった。スローダウンして、へなへなと上ってゆくと、先発隊に追いついた。
 そこは大内宿への分岐点だった。藁葺き屋根の家屋が立ち並んでいるのが見える。よくもこんなにきれいに残ったものだ。
 後続の到着を迎えながら、今回の参加者を観察した。僕より先に必ず上りきるのは、ガイドの人を除けばロードが大勢だ。一人、KOGA-MIYATAのスカンジウムバイク(全デュラエース構成の7701カーボンホイール履き)に乗っている男性と、スリックを履いたMTBでガシガシ上ってゆく男性は、確かフィットネスクラブのインストラクターだったか。さすがにフィットネスレベルが高いようで、あまり消耗した気配はない。その部下だというCANONDALE R800(女性用)に乗った女性も、重いギアをダンシングで回しながら、僕にほとんど遅れずに上りきる人だった。日常的に運動している連中には敵わない。平野女史もなにげに速い。みんなどこで鍛えているんだか。
 全員揃ったところで、大内宿での食事に移動した。去年の2日目は観音沼の辺でのお弁当だったっけ。あれもうまかったなあ。
 食事の店へは、大内宿の裏側(つまり外側)から導かれた。自転車を周囲に停め、店内に導かれた。
 店では、岩魚の塩焼き、蕎麦、きな粉餅、付け合わせが饗された。岩魚なんて、瀬戸内育ちの僕には幻の魚だったのだが、今回のツアーでは本当に良くお目にかかる。資源として枯渇しないか心配だ。養殖してるのかな? 蕎麦は味の濃い汁でいただくやぶ蕎麦。それだけに、蕎麦湯は更科蕎麦のそれよりも美味しかったように感じた。またこのきな粉餅がうまいことうまいこと。きな粉の甘味も更なる事ながら、きめの細かい餅のとろける口当たりにも陶然とする。あまりのうまさに、出されているものだけでもかなりの量だったのに、余っている蕎麦と餅一個をいただいてしまった。
 食後は大内宿の散策だ。大内宿は(カタログ的な説明を試みれば)日光と会津若松を結ぶ日光西街道上の宿場町で、当時の家並みをよく保存した場所だ。それは、目抜き通りを中心にきれいに並んだ藁葺き屋根の列を見れば、すぐ理解できるよな。ところが、道沿いに立っていた能書きに拠れば、ここは戊辰戦争で散々な目にあったらしい。会津若松に程近かったので、佐幕派の奥羽列藩同盟軍、倒幕派の薩長土肥軍との合戦場になったらしい。おかげで、当時の資料は残ってないとか。すると、この家並みは、実はごく最近になって復元されたものなのかもしれない。
 かなりの道幅の目抜き通りの左右に、日常生活に用いる用水路が走っている。そして少し間を空けてから、家屋が立ち並んでいるのだ。見たところ、ほとんど全て商家のようだ。用水路にはラムネの類が冷やされている。一瞬、買い食いしたくなったが、ぽこんと突き出したお腹が、それを思いとどまらせた。生ビールを売っている白人のおやぢもいる。蕎麦ビールだとか。むやみに買いたくなったが、「蕎麦ビール」という禍々しい響きが、それを思いとどまらせた(こんなんばっかり)。ビール売りのおやぢは、地ビール作りにドイツ辺りから呼び寄せられて、そのまま居着いてしまった人なのかもしれない。

湯野上温泉で露天風呂


 散策時間が終わると、いよいよ最後の走行、湯野上温泉へのダウンヒルだ。しかし、ここは結構交通量の多い道を通るので、10人ずつ3班に分かれて下っていった。確かに交通量が多いので、ここを30人縦列で下っていったら大変なことになるだろう。
 小休止を挟んで下りきり、湯野上温泉駅の駐車場に自転車を停めた。湯野上温泉の駅舎を見ると、去年と同じように『これで終わりか』という寂寥感が押し寄せてきた。
 去年と同じく、露天風呂の時間が設けられた。去年は内湯のみの大島屋(?)に行ったので、今年は露天風呂のえびす屋に入ることにした。この露天風呂、上に屋根こそあるものの、周囲は「これが露天風呂だろ?」といわんばかりの開放ぶり。対岸の民家、車道から丸見えだ(それでも50mは離れていたが)。これはこれで心地よい。しかし、これで500円は正直高いか。
 露天風呂を出て、駐車場に戻ると、なぜか折り畳み自転車宣伝大会と化していた。BD-1、ブロンプトンの折り畳みが披露される。「BD-1は欲しいんだけど......」という声もちらほら。さらにポケットラマ(ドロップハンドル仕様)の折り畳みまで飛び出して、なぜか盛り上がったりして。

会津田島へ


 湯野上温泉からの出発時間が近づいてきた。トロッコ(風の車両)を接続した列車が入ってきたので、早速自転車を積み込んでおいた。今年はそれなりに余裕があるようだ。最後尾車両は近代的なパノラマカー風車両になっていたので、そこをせしめる。にち氏がビールを買ってくるというのでついでに頼んだ。早速車中で乾杯。このままでは、会津田島に着く前に酔っ払いになってしまいそうだ。
 他の参加者らと「終わっちゃったねえ」などという話を話しているうちに、会津田島にさくっと到着した。自転車、自転車と探していると、その松女史が運んでくれているのを発見。
 帰りの列車が出る時刻はまだ先で、この会津田島で十分な余裕がある。去年の帰路は慌しかったので、早速その教訓を取り入れてくれたのだろう。こちらも去年の教訓を咀嚼して、買物に走ることにした。そう、去年の帰路は、大変ひもじい思いをしたではないか。
 駅の近くにはコンビの類は無く、みやげ物売り場と、駅売店が数少ない食い物購入ポイントだ。弁当、弁当と探して歩くも、売ってないようだ。気落ちして駅売店でパンでも買おうかと見繕っていたら、その側に少しだけ弁当を並べてあるのを発見。ここでいなり寿司を買っておいた。さらにパン、ビール、コーヒー類も。
 ホームに戻ってMR-4Fを輪行形態にトランスフォームしていたら、帰りの列車がホームに滑り込んできた。時間的にゆとりがあるので、きちんと自転車を固定しておく。荷物の忘れ物もない。完璧だ、よな。
 やがて発車の時刻になった。ここで別れる現地スタッフと手を振り交わした。「また来ます!」と今回も声を出していた。本当にお疲れ様でした。

帰路は宴会列車と化して


 途中、会津高原駅でBコースの人々を回収し、列車は一路首都圏を目指す。
 去年と同じくアンニュイな気分に浸りながら、同じボックスのこぐ氏らと談笑する。ちょっと眠いので、どこかで寝るか。
 なんて話しているうちに、このCコース車内での宴会が盛り上がり始めた。最初はDコースが山アド的盛り上がりで燃え上がっていたのだが、こちらも負けじとアルコールが注入され始めた。どこにこんなアルコールがあったのよ? そういいたいくらいの酒が、どこからともなく現れては飲み干されて行く。どうもみんなお土産用に買った酒を、勢いで空けまくっているようだ。大丈夫か、君たち?
 などといいつつ、俺様も酒宴に加わっていった。昨夜の宴会に饗されたこの地方の銘酒が出され、その口当たりの良さに酔いしれるのだ。おつまみもどんどん湧いてくる。ははっ、みんな去年の教訓をたっぷり学んだらしい。
 特に隣のボックスのフィットネスクラブ組の盛り上がりが凄い。それに加わって下ネタの連発に大笑いしているうちに、だんだん訳がわからなくなってくる。いつの間にか日本酒をかなりやってしまったようで、これで帰れるのかよという状況に陥っていた。危ない危ない。コーヒー、紅茶で酔いを覚ましながら、馬鹿話に加わった。
 やがて酔っ払い集団を乗せたまま、電車は北千住(ここでこぐ夫妻下車)、浅草と帰着したのだった。
 参加者、スタッフそれぞれ、名残惜しげに会話しながら、三々五々散っていった。宴の終わりだった。
 さて、どうしましょ。自走する気力は無かったので、輪行だ。にち氏らと東武浅草線経由で帰ろうという話になったが、ふらふらと着いていった先は都営浅草線。まあ、いいか。新橋乗換えで帰れば。
 横浜でにち氏と別れ、戸塚から地下鉄で立場へ。そこからは、MR-4Fに今日最後の仕事をさせて、帰宅した。
 次回は9月最終の土日にやるそうだ。早くも、次回はどのコースに参加しようか、なんて考えている僕がいる。