Strange Days

2004年01月31日(土曜日)

吾妻山公園まで一面の菜の花を見に行った

00時00分 自転車 天気:好天ナリ

 今日こそは三浦半島周回をやらねば。などと前日思いつつ、寝たのは3:00。起きたのは案の定11:00過ぎ。はぁ;-_-)
 気が抜けたので、昼過ぎまでぼんやりしていたが、やはり走り足りないと思った。出来るだけ近場で、面白そうなところに行ってこよう。ニュースで、二宮にある公園で菜の花が咲き揃ってきたというのを読んだ。じゃあ、二宮まで行ってこよう。時間は昼を過ぎているが、TCR-2ならば、日が暮れるまでになんとか往復できると見た。
 まずは腹ごしらえと思い、CoCo壱番屋(またかよ)で飯を食い、境川を下っていった。
 藤沢市街で久しぶりに引地川沿いに出て、R134まで走る。R134は突っ走り、やがてR1に合流。R1は舗装がひどい区画と極めて良好な区画が交互に出てきて、ペースが乱れるのでやや疲労する。
 やがて二宮駅前通りの看板が目に入ったので、駅方面へと抜けた。時刻は15:00頃だった。長後からだいたい1.5hくらいで走ってきたことになる。
 ここから、吾妻山公園に登る道を探して、しばらく右往左往する破目になった。駅から5分という案内を思い出して、駅の北口に回りこむと、ようやく公園の入り口が見えた。
 公園の入り口までは結構登り、そこで駐輪しておいた。しかし、その先に待っているのは、かなり急で長い長い階段の登りだった。なにせ吾妻山。山なのだ。頂上までは、ざっと100mくらい登る感じだ。公園のピークを取り囲むようにして遊歩道が設けられ、沿道には草花が広がっている。菜の花畑は駅からは反対側にあるので、そこまで歩いていった。SPD-SLなサイクリングシューズを履いていったので、流石に歩きにくくて難儀した。
 菜の花畑は、展望台の近くにあった。つまり、ほとんど最高地点の辺りだ。一面の菜の花、とはいかない広さ。それでも、黄色い花が帯のように咲き誇っている様は、一足早い春のようで目に優しい。
 展望台に登った。ここからは富士山、日本アルプス方面。丹沢方面。相模湾方面が一望でき、また周囲の市街地も見下ろすことが出来る。気持ちいい眺めだ。管理の行き届いた広い芝生になっていて、家族連れが特に多かった。またカメラを提げた人も多かった。
 一通り見たので、帰宅することにした。階段を再び下る。降りきったところで、膝にかなりキているのに気づいた。どうも、急傾斜を、しかも衝撃吸収性皆無の(なにせ硬いカーボンソールだ)サイクリングシューズで降りたため、膝にまともに来たようだ。
 案の定、帰路では膝が負荷にすぐに音を上げるので、負担をかけないように気を遣いながらの道行きとなった。傾斜ではダンシングで体重を活用する。今日はなにも背負ってこなかったので、ダンシングするのが非常に楽しい。しかし、同じ姿勢で負荷を掛けすぎると、すぐに膝が耐えられなくなる。痛くなるというほどではないが、このまま負荷を掛けると痛めるだろうという予感があった。
 なんとかスピードとモチベーションを維持しながら、やがて辻堂辺りで県道40号(?)に入り、そのまま引地川に当たるまで走り、後は来た道を戻って帰宅した。
 この吾妻山公園、手頃な場所にあり、また風光明媚なので、ちょくちょく走りに行くかもしれない。

2004年01月30日(金曜日)

萌える尾形光琳

23時55分 思考

 いやあ、これは萌えるニュースだ。いや別にオポチュニティーたん萌え~とかの話じゃなくて。
 尾形光琳というのは、江戸時代を代表する絵師で、国宝メーカーともいえる大芸術家だ。八橋蒔絵螺鈿硯箱、燕子花図屏風なんてのを代表作として、国宝、重要文化財をゴロゴロと量産している(いや、別に国宝を作りたかったんじゃなくて、パトロンの要請に技術の粋を凝らして応えただけなんだろうが)。その光琳の最高傑作といわれるのが、箱根のMOA美術館が所蔵する紅白梅図屏風だ。これも、NHKでやってた「国宝探訪」で取り上げられたな。というか、光琳の国宝美術品は、全て取り上げられた気がする。
 この屏風、その描画手法には様々な謎があるとされてきた。例えば中央に流れる川は、今見る限りは黒っぽい染料を主体に、銀の波紋状の意匠が、川の流れを表現すべく描き込まれているのだが、この黒い川面が初めから黒かったのか、青い染料を使ったところ褪色してしまったのかで意見が分かれている。細かい手法にも多くの謎がある。たった300年前の話とはいえ、その頃の職人の仕事ぶりを知る手がかりは乏しいので、現物を調べて、想像するより他にない。
 まあ、基本的には、屏風の背景に金箔を張り(背景は金色)、水面の意匠も金箔や銀箔で処理された物と見て間違いない。そう考えられて来た。だって、その背景部分や水面の意匠部分には、箔を張り合わせたときに出来るつなぎ目が見えていたのだから。ところが、最新の知見に依れば、この部分すらも従来の見方では説明できない事が分かってきたのだ。
 まず、水面の意匠部分を、蛍光エックス線分析による非破壊試験で、成分調査したところ、実は金銀が全く含まれてなかったことが分かった。ここは箔はおろか、金属染料すらも使われず、有機染料で、しかもわざわざつなぎ目を描いて、箔を張ったように見せかけた疑いが持たれている。また金箔で処理したようにしか見えない背景部分も、実は金は成分としてはごく僅かしか検出されず、金を膠に溶いた金泥を塗布した物と考えられるようになったのだ。もちろん、背景のつなぎ目もわざわざ描いたのだろう。
 なんでわざわざそんなことしたのよ、という気がしなくもない。金を惜しまないパトロンに恵まれた光琳が、金銀を惜しんだとも考えられない。なんとなく、江戸期最高の芸術家が見せた茶目っ気のような気もする。
 これらの調査結果は、もちろん従来の諸説をすべて覆すもので、大きな驚きを持って迎えられているようだ。
 それにしても、300年というもの、目の肥えた鑑賞者はおろか、科学的分析の目にすらさらされて来た作品に、いまさらこんな新しい謎が付け加えられるとは。現代を生きる我々の想像すら絶するようなレベルにあったらしい江戸期の工芸家、芸術家たちは、いったいどんな怪物だったのだろうか。それでも想像を巡らすと、わくわくしてくる。萌えるぜ、光琳。

プチ引っ越し準備済み

20時10分 暮らし 天気:相変わらずいいな

 さて、帰るまでにプチ引っ越しの準備をしないと。書類をバリバリ捨てながら(をいをい)、荷物を箱に詰めた。詰める前は机からあふれそうだったのに、詰めてみれば箱一つに余裕で収まった。なんぼなんでも捨てすぎではないか? とはいうものの、今や書類の大半は電子化されていて、PCのHDDに収まっている物が大半だ。一昔前は、職場のペーパーレスをいくら謳っても、実際には電子化すればするほど紙の出力が増えたものだ。ところが、連絡の類が電子メールに移行してしまうと、どんどんペーパー出力の機会が減ってしまったではないか。要するに、かつては職場と職場を紙の連絡書が繋いでいたのだが、それが電子メールに変わり、紙の消費量が減ったというわけだ。まだ紙の文書は数多くあるのだが、どうやら本気でペーパーレス化を考えられるほどにはなってきた。僕の手元の紙の多くは、実はそうして紙で発行され、捨てるに捨てられなかった物ばかりだ。しかし、このところ、紙のまま参照することはほとんど、いや全くなく、引っ張り出すことも無かったので、思い切って捨ててしまうことにした。はぁ、すっきり。
 このように、いかに無謀に見える目標(この場合はペーパーレス化)であっても、思わぬ技術の適用が、それを促進させることがあるようだ。

2004年01月29日(木曜日)

マルチリンガル化w3m

00時00分 コンピュータ 天気:実にいい天気

 画像表示を必要としないようなシチュエーション(会社で資料を探すときとか)のウェブ・ブラウジングでは、もっぱら
w3m
を愛用している。軽いし、必要十分だし、タブ表示対応にまで対応するしで、これでお腹一杯という感じだった。んが、最近増えてきたUNICODEな文書を表示できないという難があった。ちょっと前まではUNICODEで作成される文書なんてごく少数だったので、気にならなかったのだが、最近になって急増してきた気がする。なんでだろう。流行っているなんらかのウェブアプリが、UNICODE前提で作られているのかな。ともかく、このままでは不自由さが増すばかりだと思った。
 ふと気が向いて、google先生に聞いてみたら、
マルチリンガル化w3m
のページにぶつかった。ここで、UTF-8な文書をデコードできるw3m用のパッチ(と、パッチ適用後のフルソース)が公開されている。もらってきてmakeすると、ちゃんとcygwin環境でも使えるバイナリを吐いてくれた。うん、これは便利。今まで表示できなかったページもちゃんと表示してくれるようになった。これでますます手放せなくなってきた。
 これで画像のインライン表示なんか使うようになったら、もしかしてMozillaの出番は無くなっちゃうかも。いや、アドインアプリのことを考えるとそれは無理か。とはいえ、これ、Sigmarion3で使えないものか。

2004年01月28日(水曜日)

味噌煮込みうどん第2幕

00時00分 暮らし 天気:晴れですか

 今夜は一昨日作った味噌煮込みうどんの余った食材で、またしても味噌煮込みうどんを作成した。やはり多すぎるよ、これ。二人暮しならちょうど良いのかもしれないが、独身者にはカロリー過多だ。鍋物は、一人では食えんな。
 こうしてみると、コンビニで売っているパックの鍋が、経済的にも、カロリー的にも、いいところなのかもしれない。
 寝る前に腕立て伏せと腹筋運動を続けているのだが、酒を飲んだ夜はちとつらくなる気がする。心拍が上がりすぎるからだろう。酒も、最近はあんまり飲まなくなったな。

2004年01月27日(火曜日)

ローラー台を

23時00分 自転車

 走りこみ不足が心配になってきたので、今夜もローラー台を回す回す。汗をかくかく。運動するする。冬でも汗はかくもので、すぐに風呂に入って汗を流した。
 もう少し日が長くなったら、朝トレを再開しても良いなと思う。というか、暖かければ夜トレでも。なんにせよ、食生活にせよ、自転車生活にせよ、建て直しが必要な時期になった。

古賀さんってどうよ?

17時00分 思考 天気:晴れ?

 民主党(現時点では既に"元"だが)の福岡2区選出衆院議員、古賀潤一郎氏の学歴詐称問題は、古賀氏の民主党離党、議員報酬の返却という方向に進んでいる。
 正直、議員の学歴などたいした問題じゃないし(小泉首相の学歴を覚えている人がどの程度いるだろうか)、要は科学的思考の出来る人であればいいと思う(それはその人の言動に注視するしかあるまい)ので、そもそも辞職する必要など無かったといえよう。しかし、この問題、変だぜ。
 古賀氏は、最初の説明では、ペパーダイン大からの卒業証書は、弁護士を通じて『受け取った』といったのだ。そしてそれは米国からの帰国の際、『紛失した』と。ふつう、紛失するものだろうか? そしてその弁護士の名前は既に『失念し』、所在も分からないという。ふつう、忘れるものだろうか? というか、そんな重要な情報、何らかの形でメモに残しておかなかったのだろうか。まず『受け取った』こと自体が捏造だと思える。あまりに都合よく古賀氏が紛失し、失念しすぎていると思えるからだ。また『受け取った』こと自体が事実だとしても、それは古賀氏が手の込んだ詐欺事件に巻き込まれたということを意味する。ペパーダイン大が卒業証書を発行して無いとしている以上、真正の卒業証書など実在しないはずだ。
 そもそも、この"弁護士"の実在が疑われている。弁護士を通じて卒業証書を受け取るなどありえないという指摘があり、また古賀氏の供述の迷走振りからも、弁護士の実在そのものが捏造であることを示唆している。卒業の事実だけではなく、その後の説明の内容の全てが、まるごと嘘だったというわけだ。
 たいした問題ではなかったのだ。ごめんなさい、見栄張りました、と古賀氏が頭を下げれば済むはずだった。その時点で民主党離脱、議員報酬返却という決着を着けたのなら、まずは妥当という印象を持つ人が多かったのではないだろうか。古賀氏を代表として国会に送り込んだのは、福岡の人々だから、一つの"嘘"を巡って、他の選挙区の人間がどうこう言うことではないと思う。古賀氏が学歴詐称していたからといって、それで国会の機能が損なわれるわけではない。そんな嘘吐きは要らん、と福岡2区の選挙民が判断するのなら、彼らがそれなりの手立てを取ればいいのだ。公選法違反により失職するというのなら、やむを得ないかも知れない。しかし、学歴詐称程度の問題で国会議員を失職させていいのかというのは、議論の余地があるのではないだろうか(過去には失職事例あり)。結局のところ、その程度の問題だったのだ。
 ところが、今や我々他の選挙区の者は、国会に古賀潤一郎という『過去の過失を糊塗するために嘘を重ねる人間』がいることを知ってしまった。これは単純に嘘をつくという問題とは、別次元の、重大な問題だと思う。過失を素直に認め、謝罪、補填できないような人間だけは、国会に置いてはならないのではないだろうか。古賀潤一郎という男、国会議員としては失格だと思うな。この問題、このままで収めちゃまずいぜ。
 何故、この時期に(自衛隊のイラク派遣開始という)問題が突如として浮上したか、などなど、深読みのネタは尽きないけれど、その後続々現れる新たなる疑惑や、与党の対応など、もう少し注視し続けなければならないと思う。

2004年01月26日(月曜日)

食いすぎな日

00時00分 暮らし 天気:晴れよ

 夜、牛乳と野菜ジュースだけを買うつもりで、スーパーに足を運んだ。店を出るときには、麺に牛蒡、揚げなど、味噌煮込みうどんの材料一式を抱えていた。どこで間違えたんだか。
 帰って、それを調理する。寒い冬にはこれに限るぜ。しかし塩分摂取過多だな、これは。
 風呂から上がって、食べ切れなかった分をつついていたら、腹に収まってしまった。しかし、食いすぎて苦しい。残すともったいないお化けが出そうなのだ。なら、明日の朝食にすればよかった。
 こんな風に食いすぎたので、寝るときにもかなり苦しんでいた。なんぼなんでも食いすぎである。節制しないとならないなあ。
 実は、夜は食べなくても平気なんじゃないかと思うようになったんで、夕食はドライフルーツ程度で済ませるというのも良いかもしれないと思うようになった。しかし、それでも食材の誘惑には負けるのである。恐るべし、スーパーマーケット。

2004年01月25日(日曜日)

NHKスペシャル 「データマップ 63億人の地図」

23時00分 テレビ 天気:晴れ

 今夜のNHKスペシャルは、新シリーズ、「データマップ 63億人の地図」の第1回、2004年いのちの旅、だった。番組は、WHOや各国厚生当局が発表した資料を可視化し、様々な視点で見つめなおし、そこから新しい意味を読み取ろうとする。
 近年、日本は平均寿命という点で、世界最高の地位にある。長く続く平和は戦病死のリスクを減らし、国による統括的な保険政策がそれを裏付けている。こうした良循環が平均寿命を長く保ち続けているのだ。しかし、世界は日本のような幸運に恵まれた国ばかりではない。
 アフリカの小国シエラレオネは、現在の平均寿命がわずか35歳。多くは乳幼児のうちに死を迎える。その主因は、栄養失調だった。
 かつては豊かな農業国だったシエラレオネは、しかし近年の内戦で国土が荒れ果て、農業生産が落ち込んでいる。内戦は多くの人を傷つけ、その傷病が元で無くなる事はもとより、生産性の低下も大きい。国土が平和だったなら、国民を養うことが可能だったろう。平和であったが故に国民を養い続けるのに障害の無かった日本と引き比べると、その違いは際立っている。内戦の原因も、本来ならば大きな富を生み出すはずの鉱山資源(ダイヤモンド)の利権争いに端を発するという。
 世界の平均寿命上位の国は、ある程度必然的ながら、いわゆる先進工業諸国が占めている。世界最強の国家、アメリカ合衆国は、当然上位グループを形成している。ところが、そのアメリカの中でも、地域地域で平均寿命には差がある。その中では最低に属するウェストバージニア州では、肥満が大きな問題になっていた。食うことを止められず、命が脅かされるほどの肥満度に達する人が増えているのだ。なんと、3人に1人が肥満なんだとか。しかも、日本人の肥満とは太り方が違うというか、それは君、人として間違ってるよ、といいたくなるようなレベルに達してしまっている人ばかりのようだ。こうした携行は既に幼少時に見られ、その原因として食生活の変化が挙げられている。
 日本でも、沖縄での肥満の増加が問題になっている。長寿県で知られる沖縄だが、男性の平均寿命は、近年伸び悩んでいる。こちらでも、肉製品主体の食生活への移行が、こうした傾向を生み出しているのだと考えられている。
 先進諸国の中でも、平均寿命が下落している国がある。旧ソ連崩壊によって誕生した国々だ。ロシアでは、平均寿命が5歳も低下したという。大きな戦争が無かったにも関わらず、これほどの急落は異常なことだ。原因の一つとして、社会構造の急激な変化により、市民生活にまつわるストレスが増大していることが上げられている。
 こうして一つの『平均寿命マップ』を読むだけでも、世界各国の現状が目に見えてくる、というのがこのシリーズの狙いなのだろう。理科年鑑の類を読んで楽しんでいた人もいると思うが、一つのデータを別のデータと対比させるだけで(例えば今年の地域別平均気温とインフルエンザ死者数とか)、面白い発見があるものだ。この番組でどんな新しい読み方を提示してくれるのか、楽しみだ。

湯河原ツアー下見

19時00分 自転車 天気:晴れ

 7:00に目が覚めた。さて、今日は湯河原に行ってくるか。しかし、布団の中でぬくぬくしながら考えていると、なんとなく三浦半島周回も魅力的に思えてきた。要は鮪を食いたいのだ。いつもの反時計回りルートでは、三崎着が早すぎる。今日は時計回りに走ろうかなと考えた。こっちの方が、北風を背負えるので、冬場は有利なはず。こっちの方が、例えば横浜集合などが可能になるので、一度やってみようかなと思っていたのだ。が、やっぱり初志を貫徹しなくてはと思い直し、湯河原行き決定。
 自転車はどれにしよう。坂のことを考えると、MR-4FとBD-1のどちらかになるのだが、過去はMR-4Fでばかり登っていたな。今日はBD-1にしよう。こっちの方が、流石に輪行が簡単だし。
 地下鉄で戸塚、戸塚で東海道線熱海行きを待ち、湯河原下車は10:40くらいだった。まだ梅の時期には早いだろうと思っていたのだが、しかし改札口は団体客で混雑中。富士急バスの幕山行き臨時便が出ているようだ。
 BD-1を展開し、一度海岸方面へ通り、途中の5叉路で適当に進路を変えた。GPSを見ながら走って行くとどうやらこの道は正解だったようで、やがて幕山と往来するバスと行き会うようになった。
 幕山から流れる小さな川に突き当たったところで、また進路を変える。川沿いに走ってゆく途中で、7-11をば発見。補給に困ることは無さそうだ。
 幕山公園までは結構な登りをこなすものの、交通量の少な目の舗装路で、道順も難しくは無い。幕山が見える。『未知との遭遇』に登場したデビルズ・マウンテンを思わせる、面白い形をした山だった。そしてその麓一杯に、梅林が広がっているのだ。
 幕山公園での駐輪場所は、第一駐車場の更に置く、『進入禁止』の看板付近の向かって左側に止めるのが正解らしい。スペースは十分にあり、例え変態^H^H^H^H変わった自転車の集団で襲撃しても、困ることは無さそうだ。
 公園は、意外なくらい風光明媚なところで、きれいに整備されている。幕山はロック・クライミングの名所の一つなので、公園から、幕山の中腹に走る岩脈に取り付くクライマーの姿が良く見える。公園の外周に沿って、出店(木で組んだ小屋)が並んでおり、みやげ物や食べ物が売られている。客が意外に多いのが印象的だった。この分では、シーズンには足の踏み場も無いかもしれない。足の踏み場といえば、公園の広場にはなにかの木(梅?)のチップが敷かれており、独特の踏み心地と香りがあった。全体的に、手入れが非常に行き届いた公園だった。
 公園をうろついていると、『梅ソフト』の文字を発見。翡翠たんが密かに自家製造していそうなキツイ物ではなく、ほのかに梅の香る、なかなか美味でまともな代物だった。だが、そもそも、そこまでして梅風味をつけなくても。
 一通り見たので、今度は奥湯河原へと登ることにした。湯河原駅にとって返す。下りで、距離が短いので、10分あれば十分なくらいだった。
 奥湯河原への登りは、既に2度も体験しているので、ペースも掴みやすく、問題は無い。しかし、やはり急傾斜は疲れるのである。インナーに落としたまま登り続け、リアを6速、7速、8速、そして遂にローに落とした。この奥湯河原、目的地の広河原に近づくほど傾斜が激しくなるという傾向がある。最後の方は、死力を尽くさねばならない。
 ローに落としたところで、片道一杯に並んで歩いている(交通量が少ないので気になるわけではないが)妙齢(うちの母よりは若いくらい)のご婦人たちを追い抜いた。「うわっ、すごい。こんなところ自転車で登ってる」などと声援を受ける。日本人的なアルカイック・スマイルで応えつつ、脇をすり抜けた。さらに上って行くと、ようやく紅葉亭への最後ののぼりに掛かった。ここが一番苦しいところ。とうとうペダルを回す足が止まりかけたくらいだ。だが何とか乗り切り、紅葉亭の駐車場に滑り込んだ。
 駐車場で自転車に鍵をかけ、駐輪場の目星をつけていると、先ほどの団体が到着。目的地は同じだった。記念撮影を始めたので、一枚とって差し上げる。
 紅葉亭は団体客があったようで、満員だった。待ちリストに記帳して15分ほど待つと、ようやく招き入れられた。今日は味噌おでん、天ざるうどん、そしてデザートに蕎麦掻汁粉を頼んだ。うどんは初めての体験だったが、腰が異常なくらい強く、印象的な出来だった。蕎麦だけではなく、うどんもイケる。
 1時間ほどくつろいで、やおら店を出た。下りいつもの通り、あっという間だ。良く効くVブレーキのBD-1は、下りではMR-4Fよりも信用が置けそうに思う。だが、小径ゆえに、あっという間にジャックナイフしそうなのが怖い。
 万葉公園に立ち寄り、こごめの湯の位置を確認した。なんとなく時間が惜しかったので入らなかったが、結構ちゃんとした施設であった。足湯だけではなく、ちゃんとした温泉で汗を流したいというのなら、ここは使えそうだ。
 湯河原駅まで戻り、いつの間にか出来ていた駅隣のカフェで一服入れ、それから東海道線で帰還した。
 今日でいろんな懸案事項が潰れたので、BD-MLで募集して、ツアーを決行しようと思う。

2004年01月24日(土曜日)

NHKスペシャル 「ソウルに生きる」

23時00分 テレビ 天気:晴れだったと思う

 今夜のNHKスペシャルは、「ソウルに生きる」~脱北者たちの歌舞団~
 統一の機運が生まれては、どこかで消失してしまう分断国家、韓国と北朝鮮。'90年代に入ってからの恒常的な経済危機に悩まされている北朝鮮からは、危険を承知で国外脱出を試みる者が後を絶たない。深刻な食糧危機で、餓死者が続出していると言われている。残って死ぬか、それとも国外への一か八かの脱出を試みるかの、二つに一つの賭けに乗ずる人が増えている。
 韓国では、こうして逃れてきた北の元国民に国籍と教育を与え、手厚く保護している。だが、南北の文化の違いから、韓国社会に馴染める者は少ない。番組では、こうした"脱北者"たちの現状を、彼らが結成した歌舞団の活動を追跡しながら、レポートしている。
 脱北者たちは、南北の文化、社会慣習の違い、北の出身であること自体を警戒され、思うように就職できない者が多くを占める。彼らに紹介される仕事は、きわめて条件の悪いものばかりだ。一応、韓国へと入国した際、専用の施設で教育が与えられてはいるのだが、それでも北での暮らしで身に着いたモノは、なかなか抜け落ちないようだ。結果、社会から落伍し、犯罪に走る者が後を絶たない。この点、日本国内での外国人によるそれと較べると、母数が母数だけにかわいらしくさえ見える。いや、日本で比較するべきなのは、中国残留孤児にまつわる事件の方だろうか。日本でも、やはり日本社会に馴染めず、犯罪に走る残留孤児(と家族)がいるという。
 この状況を変えるには、脱北者自身が力をあわせ、自分たちが身に着けた芸を売ってゆくしかない。北で歌舞団に所属していた女性を中心に、北朝鮮の芸能を中心に疲労する歌舞団が結成され、活動を始めていた。
 メンバーには夢があった。彼らが北の芸能を紹介することで、南北の敷居を下げ、統一の機運につなげたいというものだ。だが、仕事は思うように入ってこない。経済的な理由から、始まったばかりの歌舞団からの離脱者が相次いだ。また入ってきた仕事も、北への警戒心を煽りたいという右翼団体(日本での右翼は民族主義に近似しているが、こちらは南北の統一を力で成し遂げようという主張と見た)、客寄せとして利用したい健康器具メーカーなど、彼らの活動目的に沿ったものではなかった。後者の仕事など、ずいぶんまともなものに見えるが、リーダー格の女性はどうやら非常に誇り高く(前の職場を、言葉の訛りをからかわれてやめたという話をも考慮すると)、屈辱的に感じているようだ。だが、生きてゆくためには、そんな仕事でも笑顔でこなして行く他は無い。客の反応は鈍く、決して色よいものではないのだから。
 脱北者たちの受け入れ事業は、将来の南北統一を占う事業と位置づけられ、積極的に推進されてきた。だが潜在的には数十万に及ぶと見られる脱北者の受け入れを無制限に進めると、経済的な負担が大きくなりすぎるという批判が高まっている。一つの曲がり角に差し掛かっているといえる。南北の統一が果たして近未来に実現するのか、実現するとしてもドイツ型の吸収合併式で実現できるのか、予断を許さない。しかし、現実に南へと逃れてきた人々と、韓国社会とのコンフリクトは、様々な形で続いてゆくのだろう。

ダメな上にもダメだった日

20時00分 暮らし 天気:晴れだったと思う

(あらすじ)昨夜、帰宅してすぐに寝入ってしまい、うっかり朝まで寝続けた竹本は......。
 さて、今日辺り、どこか遠出しようと思っていた。三浦半島一周しようか、あるいは往還しようか、あるいは宮が瀬に足を伸ばすか。明け方、夢うつつにそんなことを考えていたのだ。
 7:00にアラームをセットして、その通りに起きた記憶はあるのだが、はて、その先の事は記憶に無い。布団の外の寒さに負け、後5分、いや3分などと、ズルズル居座り続けていたような気がするのだが......。
 ふとふと気づいたのは、すっかり日の高くなった時刻。ああ、寝過ごしたかな、と思いつつ時計に目をやると、な、な、なんと、既に15:00過ぎではないか!(滅) これはいくらなんでも寝過ごしすぎである。意外に、先週末からの諸々の事象が、ダメージになっていたのかもしれない。これじゃあ、三浦半島はもちろん、近所にだって走りに行けない。ショックのあまり、僕はそのまま、またしても寝てしまったのだった!(また寝たんかい)
 日が暮れかかった頃、流石にこれではいかんと思い直し、起き出した。思うに、寝すぎて新陳代謝不足に陥り、気分が重くなっていたようだ。それが更なる睡眠を欲する(錯覚に陥る)デス・スパイラルへの入り口だったわけだ。なんてこった。
 これはヤバイと思い、新陳代謝を高めるべく、自転車に乗ることにした。といっても、ナイトランする気力は無かったので、ローラー台をしばらく回しただけだが。しかし、汗をダラダラかきながらローラー台を回していると、ようやく新陳代謝が活性化され、重い気分は吹き飛んでいった。
 しかしまあ、良く寝たことよ。口直しに、明日こそは湯河原ツアーの下見に出かけようと思う。

2004年01月23日(金曜日)

思わずバタンキューな日

00時00分 暮らし 天気:いいんじゃないか

 先週末の病気の余波が残っているのか、どうも眠くて仕方ない。今日なんぞ、会社でも結構やヴぁい局面があったもんだ(つまり、気づかぬうちにこっくり病)。慌てて立ち上がって、ストレッチしてみたりして。
 帰宅してもこの空気が残っていたのだろう、食事してパソコンに向かっていたら、急に眠くなってきた。そこで、少しだけ寝ることにした。布団に横になって、まあ2時間ほど寝るかいと思っていたのだが、気がつくと......夜中の3:00ですかい(滅)。流石に起き出して何かする気力も湧かず、そのまま朝まで寝てしまったということだ(ダメじゃん)。

2004年01月22日(木曜日)

春遠からじ

00時00分 暮らし 天気:いいといえばいい

 やたら寒い思いをしながら起床。出社のために身支度する間が、一番寒さの堪える時間だ。しかし、気がつくと夜明けが早くなってきているようだ。7:00過ぎに起きても、太陽高度の関係でアパートの窓は真っ暗なことが多かったのだが、先週辺りからボチボチ日の光に明るくなるようになって来た。
 もうすぐ2月になって、2月が明けると、もう春だ。

2004年01月21日(水曜日)

kurikin氏を囲んでお好みハウスでウハウハな日でした

00時00分 レジャー 天気:今日もびみょー

 今日は、南会津で知り合ったkurikin氏をお招きして、お好みハウスで一席設けようということになっていた。
 定時で会社を退けて、横浜駅西口をぶらつく。今日もEOS kiss Digitalや@istを手に取り、ためつすがめつ眺めてしまった。欲しいなあ。でもD70を見てから買おうと思う。D70の方がでかくて重いようなので、買うことはまず無さそうだが、しかしなにか電波が脳にビビビと到達するかもしれない。そういう霊感を大切にしたいので、今しばらくは手控えることにしているのだ。それにしても、やはりツーリング記録用には、kiss Dですら重いよなあ。
 ヨドバシの店内をうろついていたとき、ふと集合場所が横浜駅のどこであるかを知らないことに気づいた。にち氏に電話すると、高島屋の前だとか。戻るのは面倒なので、19:00にお好みハウスに直接向かう旨伝える。
 ヨドバシのソフト売り場をうろついていたら、ふと時計を見ると19:00まであと2分ではないか。カツオ大慌て状態で店を飛び出し、お好みハウスへと走った。
 既ににち氏、すずきなおし氏、その松女史、そして主賓たるkurikin氏も既に生ビール中。さっそく生ビールを頼んだ。
 もっぱら自転車の話題を展開していたようだが、食う方も飲む方も怠り無い。在庫されていた日本酒は片付けてしまったようだ。さすが、自転車乗りが集まると、暴飲暴食となるものだ。胃腸を壊したばかりの我輩には、ちとツライ展開だった。しかし、最初に登場したステーキを筆頭に、脂っこいメニューを次々に平らげて行った。ほどほどのところでおのひろき氏が登場。さらに話が弾む。
 kurikin氏はもっぱら埼玉県西部の山岳地帯で遊んでいるようだ。あの辺は結構いい感じの里山が多いと聞いた。そういうところや、さらに山奥に分け入ってのシングルトラックは、さぞかし楽しいだろうなあ。などと、EPIC号を今年まだ一度も乗ってない俺様は思うのであった。
 6月にやるという南会津でのヒルクライムレースの話もうかがった。まあ気分的に余裕があればだけど、かなりそそられるものを感じている。
 マスターの新作を含めて7,8品ばかり平らげたろうか。終電が気になり始める時刻に、解散とあいなった。店の前で女子プロレスの子達(この店には良く来るらしい)も含めて記念撮影。うーん、また遊んでください > 各方面
 僕はそのまま地下鉄で帰宅。家に帰りついたのは、日付が変わった頃だった。
 今年の南会津サイクルトレインも楽しみだが、それとは別にいくつか企画が進みそうな気配もあり、それも楽しみだ。

2004年01月20日(火曜日)

仕事片付けなくちゃだわ

00時00分 暮らし 天気:びみょー

 そろそろ、仕事方面に火が着いてきたので、ひたすらデスクワークの一日だった。こういう日は、楽しい記憶というものが残らないものだ。飯もなんだか美味くないし。
 自己分析してみると、やはり自転車で"旅"してないので、積み上がってゆく欲求を解消できてないように思え。週末、今度こそ湯河原に行こうと思っているが、また雨の予報;-_-)

2004年01月19日(月曜日)

人間ドック

00時00分 暮らし 天気:雨

 例年通り、大森の病院で人間ドックに入ってきた。もうなれたもので、指示通りにたらい回しにされる間、待ち時間にはSigarion3で遊び、時間つぶしも完璧だった。結果は後日郵送してもらう。しかし、なんとなく嫌な結果が出そう。
 帰り道、秋葉か、横浜かに寄ろうかとも考えたが、まだ完全に復調してなかったので、直帰した。後で、DVD-RAMドライブを買っておけばよかったと思ったが、後の祭りだった。

2004年01月18日(日曜日)

やっと(まあまあ)回復

00時00分 暮らし 天気:晴れ

 今日は荒川サイクリングの日だが、こんな調子で行けるはずも無い。ずっと部屋にこもり、ゲームしていた。Diablo2 LoDは、放置していた火系ソーサラーの装備を整えてやるとかなり行けるようになり、ACT5、6の制覇はあっという間だった。というか、多分ACT5のリスター閣下以外の殲滅速度は、他の職種より思い切り高速ではないだろうか。鍛えるとNightMareも行けそうだ。調子に乗って、これもACT5で足踏み中だった剣バーバリアンも終わらせる。これは遠隔高速攻撃スキルが全く無いというハンデがある奴だが、それでも慎重に戦えば問題なかった。してみると、ACT5での経験が蓄積されて、プレイヤーとしてのレベルが上がったということか。
 夜にはほぼ復調していたが、よりによって明日には人間ドックがあるので、今夜から絶食モードに入ったのだった。しかし人間ドック直前に病気とは、診断結果に響かなければいいが。

2004年01月17日(土曜日)

病気は最高潮だ!(いや別に嬉しくないが)

00時00分 暮らし 天気:雪?

 真夜中、外があまりにも静かなことに、ふと気づいた。窓から外を見ると、おー、雪が降っている。地面に解けて消えてしまう程度のものだが。しかし寒いので、早々に布団に戻った。
 体調は相変わらずで、胃腸が働いてない雰囲気だ。布団で寝ていても、水分を吸収できず、脱水症状に陥っており、汗をかかない。熱が下がらないので、非常につらいのだ。こまめに水分を摂ってはいるのだが、それが胃から下に下ってないようなのだ。まったく、つらすぎる。
 なんとか胃腸を活性化しようと、食前摂取型の胃腸薬を飲んだり、暖かいお茶を飲んでみたりした。すると、夜に入って、ようやく少しずつ水分が取れるようになって来た。腸の方も活発にガスが動き出し、完全な便秘だったのだが、下り始めた。こうなれば、栄養を摂れるようになるので、快復まで後一歩というところだ。しかし、やはり胃腸は本調子ではないので、柔らかいものに限って口にした。結局、これってインフルエンザだったのかな。

2004年01月16日(金曜日)

これは......キター!

00時00分 暮らし 天気:崩れそう

 朝、目覚める。うむ、なんというか、昨日の倍はしんどい感じ。ものすごく重苦しい気分だ。しかし、今日は休むわけには行かない。むりやり、体を会社へと運んだ。
 会社でも非常につらい。熱があるようではあるが、それはさほどひどくない。きついのが、胃腸がまったく働いてないような状態らしいことだった。今朝からなにも口にしてないのに、胃の辺りには何かがずっとたまっているようだ。これはきつい。なにも食えないという意味できつい。あまりにきついので、コアタイムが終わってすぐに帰宅させてもらったくらいだった。
 帰っても、相変わらず不快感にうなり続ける状態が続く。いつもなら、なにかを無理やり食って、新陳代謝を促すという手を使うのだが、今回はそれが使えない。結局、布団の中で寝てるのか起きてるのか分からないような按配で、ずっと過ごしていた。

2004年01月15日(木曜日)

インフルエンザ?

00時00分 暮らし 天気:相変わらずの好天

 朝、起床時刻に起きはしたものの、体が非常にしんどい状態だった。ここ数日、なんとなく気分が優れない気がしてきたのだが、やはり来たか。会社に休む旨の電話を掛け、一日中布団でボーっとしていた。
 夕方、流石にこれではいかんと思い、外に出かけて食材を買ってきた。夕食はねぎだくのうどんを作り、風呂にもきっちり入って寝た。相変わらずしんどいが、思ったよりは発熱等は無かった。

2004年01月14日(水曜日)

湯釜洗浄しました

00時00分 暮らし 天気:晴れか

 年も明けたことだし、湯釜の洗浄をやってしまいました。
 以前、ダイエーの88円コーナーに湯釜洗浄剤が置いてあって、非常に重宝していたのだが、いつの間にか置かなくなってしまった。在庫切れかと思い、また並ぶのを待っていたのだが、いつまで経っても復活しない。仕方ないので、スーパーで売ってるふつうの物を買ってきた。これ、作業そのものは泡が派手に出るなど楽しいのだが、果たして本当に洗浄できているのか疑問でもある。一人暮らしなので激しく湯垢が着かないせいもあるのだろうが、洗浄時にそれほど湯垢が浮いてくる風でもないのだ。まあ、気分的なものでしょうかね。

2004年01月13日(火曜日)

会社のマシン不調

00時00分 コンピュータ 天気:いいようだ

 会社のマシン室に置いてあったPCが不調だ。どうもDNSのLookupにえらい時間が掛かっているようで、一部のウェブページの表示にものすごく時間が掛かる。Mozillaの場合、リクエストしてレスポンスが帰ってくるまでは一切の動作が停止するようなので(もちろん他のプログラムへの切り替えは自由だ)、マシン全体が止まってしまったように見えて気持ち悪いのだ。IEの場合、ロードバーが進行するという誤魔化しをやっているせいか、止まっているという感じはしないのだが。
 こんな状況だった上に、いくつかのプログラムをインストールして削除するなんて事を頻繁に繰り返していたものだから、とうとうブート時にハングアップしてしまうようになってしまった。Windows2000でも、その気になればここまで壊すことが出来るんだな(嘆息)。
 まあ、激しいテスト環境なので、そろそろOS入れなおしの潮時と思い、またWindows2000を入れなおした。クリーンインストールして、SP5aを当て、NAVクライアントを入れ、さらにWindowsアップデートに繋いで、と非常に時間が掛かる。必須アプリについてはバックアップから戻す予定だったのだが、レジストリとStartメニューが再生されないので、諦めた。これってバックアップされないのか。なんの意味があるバックアップなんだ。
 結局、1時間ほど掛けて環境を再建し、まあ元通りにはなった。自分ちの機械でこれをやったら、きっと発狂するだろうな。特殊で古いデバイスが多いから。

2004年01月12日(月曜日)

湯河原不発

00時00分 自転車 天気:いいのだが

 今日は、少し早起きして、奥湯河原に行ってくるつもりだった。ところが、起きたら10:00前;-_-)
 結局、14:00くらいまでボーっとして、それから泉の森公園に行ってこようと、ふと思い立った。出がけに、BikeEで出ようとかHardrock号で出ようとか考えてはいたが、結局はTCR-2で出かけることにした。
 境川沿いをのったり走り、東名高速道路に突き当たったところで西進、R246に乗り換えて、泉の森公園に向かった。
 小民家園の前にTCR-2を張り付け、しばし和む。今日は案外に人出が多く、庭で羽子板をやっている家族連れもあった。
 しらかしの家に立ち寄り、暖かいコーヒーで一息つける。行きは、まだ日差しがあったので快適だったが、帰路は暗くなるので寒くなりそうだ。そう思って、10Wバッテリーライトを装備してきたのだが。
 結局、真っ暗になる前に帰宅し、ライトの出番は無かった。5Wくらいで軽量のライトが出ないものか。

2004年01月11日(日曜日)

久しぶりにMobillyたんに乗る(そして疲労困憊する)

00時00分 自転車 天気:まだ晴れだ

 明日は久しぶりに湯河原に行くつもりなので、今日は近場をうろつくことに。そういえば、昨日シューズカバーが壊れてしまったので、新しいのを買わないと、と思い、サガミに出かけることにした。近場なので、レアアイテム化している多段化Mobillyで出動することにした。前に乗ったのはいつだったかな。えらい前のような気がする。
 この多段化Mobilly、ギア比の問題という弱点こそ解決したものの、新たに大きなフリクションロスという問題をも付け加えてしまった。坂道とかでずっと足を回し続けなければならないような場合、この問題はさほど顕在化しない。しかし平地を滑空するように気持ちよく走りたい場合、その空走距離の低減という形を取って、問題が顔を出すのだ。要するに、かっ飛ばしたいときに、気持ちよく突っ走れない、というわけだ。普通に、漫然と走る場合には気にならないのだが。ポタリング用自転車なんだな、どこまで行っても。
 まあ、サガミくらいまでなら問題になるまいと思っていたのだが、その間でもつらいといえばつらい。足を止めたいられる瞬間が少ないので、案外に疲労してゆくのだ。そしてもう一つの構造的問題、シートピラーの短さが大きく響く。適正ポジションを取れないので、膝への負荷が大きいのだ。もう少し長ければなあ。
 こんなわけで、長後CoCo壱番屋を襲い(いや自転車自爆テロを仕掛けたわけじゃなくて)、境川沿いに北上する間に、どんどん疲労がたまって行く。サガミに到着した頃には、この距離でこの疲労感か、というくらい疲れ果てていた。ハンドルが近いのもあるんだろうな。これはZOOMのパーツでなんとかなりそうだが。
 サガミでは、2Fでシューズカバーを買い求めた。前と同じカステリの物が良かったのだが、黄のLサイズが無かったので見送り。少し安かったパールイズミのものを買い求めた。また、同時にゲル入りサドルカバーをも買った。
 3Fでスペシャのハンドルバーに着けるゲル入りクッションとバーテープのセットを買う。欲しいのは前者だけなのだが、単独では売ってないので仕方ないな。とはいえ、なにか代替品がありそうな気もするが。
 レジで、遥か以前(去年の7月だったか)にお願いした、ハブダイナモの完組ホイールについて聞いてみた。まだハブが未入荷(これはシマノの新型に換えてもらうようにお願いしたのでやむを得ないのだが)で、MAVICのリムも分からないとか。ハブは来月入りそうなので、そうしたら電話を暮れることになった。春までに入手できるかなあ、これ......。
 店を出て、近所に止めてあったMobillyに、早速ゲル入りサドルカバー(なんか今日はゲル関係の買い物ばかりだ)をサドルに取り付けた。実はこれ、ぽた郎氏に教わった、Mobillyピラー足らないぜ対策の秘策なのだ。長身のぽた郎氏にはトレンクルのピラーでは足りなさそうに見えたのだが、このカバーを着けるとその厚み分座面が高くなり、いい感じにグッドだという。確かに、+1cmの差は結構大きい。改善された気はする。とはいえ、絶対的な不足は、これでも補えないのだが。特殊なパーツてんこ盛りの小径折り畳みは、こういう局面でつらいものだ。
 帰りは、国際親善病院側から帰宅した。すると、中田中央公園(運動公園)の北で、こんなすばらしい富士の眺めをゲット。目の前をよぎる送電線が、返す返すも残念だ。富士山で生まれた雲が、強い風で流され、こんな眺めになったのだろう。横浜の西端に位置するここからは、富士との間に高山が無い関係で、ちょっと上るといい感じの眺めが得られる。もうちょっと西の、急坂を登れば、あるいはよりよい眺めを得られたかもしれない。

2004年01月10日(土曜日)

久しぶりに多摩川へと出かけてきた

00時00分 自転車 天気:晴れ

 Y系の自転車屋に用事があったので、ついでに多摩川に出かけることにした。といっても、一番近い店舗でもR1の多摩川対岸にあるのだが。
 10:30くらいに家を出て、TCR-2をR16へと向けた。暖かい日差しがあり、風も強くは無かったので、少しケイデンス多めに回すと、もう汗が垂れてくるくらいだった。
 市道環状4号、海軍道路(ここも環4の一部ではあるらしいが)、八王子街道を経由して、R16に抜ける。もうちょっと路肩が広ければ、自転車で楽に走れるのだが。とはいえ、道幅はほとんどの区間で十分なので、ロードバイクなら無理なく走れる。
 多摩ニュータウン通りを走り抜け、やがて関戸橋に到着。河川敷の芝生の上で、やや遅い昼食を取った。
 Y's Parkでは、Rixen Kaulのピラーアタッチメント、サングラス取り付け型のバックミラーを求めたが、後者しかなかった。前者は、和田サイまで出るしかないのだろうか。ついでに、新しい700Cタイヤ用(間違えて幅20のものを買ってしまったので)に18-20のラテックスチューブを買い求めておいた。
 帰路、多摩ニュータウン通りは上り基調になり、25km/hくらいでゆっくり回すのが関の山になる。しかしまあ、脂肪を燃焼させていると思えば、これくらい。
 海軍道路まで戻り、原っぱ(たぶん、米軍管理地)に座り込み、ガスストーブでコーヒーを淹れながら一服した。暮れ掛かった空に、厚木基地へと往来するものだろう航空機が、くっきりした飛行機雲を残している。純粋に美しい光景だと思った。しかし、それを作り出しているのは、中東やアフリカ、中南米で多数の人間を殺傷している攻撃機の眷属なのだ。飛行機は好きだし、軍用機は特に好きだが、それが殺人のために作られた機械であることは、忘れないでおこうと思った。

2004年01月09日(金曜日)

好天続く

00時00分 暮らし 天気:晴れ

 いい天気が続く。去年の梅雨以降は悪天に悩まされたので、ちょっとさぼり癖がついてしまった(ゲームも影響大だとは思うが)。しかしこの好天。冬場は好天が続くので、本当ならばトレーニングには最適なシーズンだし、純粋に走る愉しみを味わえる時期でもある。夏場は汗をかくので体力を消耗しているように感じがちだが、実際には体温維持に必要なエネルギー量が少なくて済み、逆に冬場はそのコストが掛かる分だけ、同じ距離を走るだけでも余計消耗するはずだ。脂肪もそれだけ減りやすくなるから、本当ならトレーニングには向いているはずだと思う。しかしこの寒さ、温暖な瀬戸内育ちには堪える。海が近いとサーモスタットの近くにいるようなもので、気温変化は緩慢になる。ところが内陸部ではそれが無いので、気温が一気に上下する。おかげで外に走りに行くのが億劫で、と自分の不精を大自然の仕業にする俺様であった。
 そろそろエンジンを掛けないと、春先までにはでぶでぶなオヤヂが一丁上がりになりそうだ。

2004年01月08日(木曜日)

めちゃめちゃ寒い夜

00時00分 暮らし 天気:実にいいのだがっ

 帰宅時には、出勤時には巻いているマフラーを外して歩くのだが、今日はかなり耐え難いくらい寒かった。放射冷却で急激に冷え込んだ感じだ。
 帰宅して、部屋が暖まるまでは大変だ。エアコンは定常運転では効率がいいのだが、室温を急激に上げるときなどはずいぶん時間が掛かる。先に風呂が沸いたので、入って体を暖めた。
 これでも、もちろん氷点下になるなんてことは全然無いし、気温としては昨夜から何度も下がったわけではないのだが、風もあって冷たく感じた夜だった。
 しかし、だんだん日が長くなっているのは感じる。18:00頃まで明るい頃になったら、いよいよ自転車の季節なのだ。

2004年01月07日(水曜日)

久しぶりの夜トレ

23時00分 自転車 天気:嫌になるような晴れ

 そういえば、今年はまだTCR-2に乗ってなかったな。ということで、久しぶりに夜トレに出かけることにした。十分な防寒をすれば、冬の寒さなど......とはいえ、やはり指先と足先はずいぶんと冷えるものだ。
 久しぶりだったので、いくつか装備に怠りがあった。メインの10Wライトの電池が切れ、予備に出したHL-1500も電池切れだったのだが、予備の電池を持ってきてない。抜かったな。ハンドルバーに着けたEL120と、ヘルメットにマウントしたEL400だけが頼りだ。これでも、それなりに慎重に進めばなんとかなる。
 意外に足が回り続け、俣野からの折り返しでも30km/h台で走りきれた。うむ、やはりローラー台には無い爽快感があるな。

七草粥

20時00分 暮らし 天気:嫌になるような晴れ

 そういえば七草粥の日だ。スーパーでセットを売っていたので、作ってみた。良く洗った野菜をサッと湯がき、刻んで、白米で作った粥に入れて少しだけ煮る。緑の鮮やかなうちに日から下ろして、惣菜をつまみながら食した。なんというか、昨日まで結構暴食気味だったのが、これで救われた感じがする。
 野菜が残ってしまったので、明日もやることにしよう。というか、そうしないと採算が取れないぜ。

2004年01月06日(火曜日)

まだ寝ますか、あなた

00時00分 暮らし 天気:晴れ晴れと

 今日も味噌煮込みうどんを作った。どうも煮込んでもフニャフニャにならない麺の確保に失敗したため、長く煮込むとやばくなる。二度煮するとアウトだ。これなら加ト吉の冷凍麺の方が良かったかな。
 これを食い、ちょっと横になるつもりで布団に寝転び、目覚ましを掛けて寝入った。目覚めると、もう明け方。寝すぎだ。起きるのも面倒なので、そのまま朝まで昏々と眠り続け、朝になってやっと風呂に入り、会社に向かった。これだけ寝ても眠気が取れないというのはどういうことか。まあ、頭は冴えているので効果はあるようだが。冬眠が近いのだろうか。

2004年01月05日(月曜日)

良く寝た日

00時00分 暮らし 天気:いい天気だ

 会社から帰り、食事にする。長らく鍋物をやってなかったので、代わりに味噌煮込みうどんを作った。温まるなあ。
 明日のフレックス込みで十分な睡眠時間を取れる時間に就眠。どうも眠くてかなわん。

2004年01月04日(日曜日)

なにもしませんでした

00時00分 暮らし 天気:どうだったっけ

 今日はなんとなく寝て過ごす。昼前には目覚めていたのだが、なんとなく気分が乗らず、そのまま寝床でぐぅぐぅぐぅを繰り返す。意外に盛りだくさんな連休だったので、疲労が溜まっていたか。
 夜も早々と寝て、明日からのストレスの溜まる生活に備え、睡眠時間を確保することとした。

2004年01月03日(土曜日)

今年初おこのみ

23時00分 暮らし 天気:なかなかいい天気

 コーヒー屋を出て、僕とにち氏、hai氏は、3人でお好みハウスに行くことにした。新宿駅まで走り、湘南ライナーを捕まえ、あっさりと横浜に到着。お好みハウスは開店直後だった。さっさと席を占め、生中ジョッキで乾杯! 互いの健闘(なんのだ)を祝す。
 今日はニラレバ、イカ、キム玉、お好み焼き(餅入り)などを食した。疲労もあり、21:00には店を出て、またしても近所のスタバにしけ込む。外のテーブル席で、自転車を眺めながら自転車談義に花を咲かせた。いや、なんだかSigmarion3の話ばかりしていたような。
 閉店時間となったので、自転車で横浜駅に向かい、そこで解散。僕は地下鉄で帰宅した。
 今日も最後はお好みハウスで締めて、幸せな気分になれた。今年も御世話になりますぜ。

吉例お正月ポタ(激坂激闘編)

17時00分 自転車 天気:なかなかいい天気

 さて、今日3日は、BD-MLでは恒例のお正月ポタの日だ。ポタリングの達人である剛脚サイクリスト、ミキ氏が中心となり、車の少ない正月に東京を走ろうという人気企画。正月という時期もあり、毎年大人気となる企画だ。今年は激坂アタックを含むという告知ではあったが、それでも70人もの参加者が名乗りを上げた。
 朝一で東京駅は丸の内南口に向かう、ちょうど目の前を岡山氏がひょこひょこと歩いていた。挨拶しながら改札を抜けると、怪しい自転車を組み立てている一団が目に入った。僕もパーツがずいぶん赤い、怪しいBD-1を展開し、その一団に加わった。今日はBD-1改を持ち出した。荷物は妙に気に入ってしまったダートバッグのメッセンジャーバッグに詰めて持ち出した。
 ある程度、人が溜まったところで、スタッフの引率で本集合場所へと出発。日比谷公園へと向かった。
 日比谷公園に到着し、去年もお会いしたきさ家のお二人などと、あけおめことよろ、などと挨拶を交わす。これだけの人数になると、誰が誰やらという状況であった。
 たくさんの自転車の中から、赤いBridgestone Moultonを発見。さいごん氏の乗車だ。これ、やたらかっこいいんだな。長身のさいごん氏に合わせたセッティングなので、僕が乗るとなればシートを下げ、ステムも短いものに換える必要はありそうだが。
 しばらくして、ミキ氏により開催が宣言され、一行は車の少ない東京の街へと走り出した。
 基本的に、麻布、赤坂近辺の裏道を走ることになる。この辺、前に大使館ポタでも回ったところだ。実際、最初の激坂への途中で、アメリカ大使館の近傍を通過した。相変わらず、厳しい警戒が敷かれている。方々で、機動隊の車両を目撃した。
 さて、最初の激坂が現れた。円形の路面加工を施してある道は、50m程度の長さだが、2段にわたっている。困ったことに途中で折れ曲がる部分に、大きな車止めが設置してある。嫌な予感を感じながら上って行くと、案の定、その車止めの直前で自転車が詰まり、敢え無く玉砕となった。いきなり失敗かよ。しかし、状況が状況なので仕方が無かったかな。
 休憩場所の小公園に入り、今のはつらかったねなどと話したりして。今回の最年少参加者は、3歳の女の子。お父さんが二人乗り自転車(タンデムというより二人乗り)に載せての参加だ。普通のママチャリポジションの自転車のサドル前の低い位置に、子供用の小さなサドルがあると思いねえ。それがこの自転車だ。子供用にクランクは無いのだが、重心が低く出来るので子供乗せママチャリよりは意外に有利かもしれない。だがペダリング中に子供を蹴飛ばしたりはしないだろうかと心配にもなる。
 以降、三つの坂では、久しぶりにインナーギアが活躍したこともあり、楽に登頂できた。しかし、最後の坂では、危うくウィリーしてしまうところだった。ほとんどの人が坂をクリアできたようだ。失敗率が高かったのは、やはり最初の車止め付激坂だった。
 途中、昼食は有栖川公園で取った。三々五々、近くのコンビニやファストフード店まで買い物に行く。僕はコンビニで適当に済ませた。
 公園では、火器を持ち出す人がたくさんいた。You氏などガソリンバーナーを持ち出していた。音がでかいのにびっくりだ。大火力で、マシュマロをかざすと、あっという間にトロトロに。これなら鍋も無理なく出来そうだ(が、一人でやると空しそうだが)。
 最後の方で階段を自転車を持って上がる場所があるのだが、ここが案外に難所で、腕が結構消耗してしまった。その後、迎賓館の近くを通過し、最後に絵画館へと至った。ここが本日のゴールだった。
 ミキ氏による閉会の辞に続き、そのミキ氏をはじめとするスタッフをねぎらう拍手が沸き起こった。お疲れ様でした。来年も参加できればいいのだが。
 その後は、絵画館前という絶好のスペースということもあり、大試乗会とあいなった。特に今回はBikeFriday系の自転車が多かったので(数的にはBirdyに次ぐものとみられた)、良く似たフレームの乗り比べで、その違いを吟味するのが流行ったようだ。にち氏はAirFridayにご執心。これは、夏までにまた増えるのかな。
 ミキ氏は自分のフロントサイドバッグ付ポケロケが『いい!』という。試乗させてもらうと、重量物がフロントホイールを挟み込んでいるとは信じられないような、素直なハンドリング特性だった。安定していて、かつスムーズ。なるほど、これはいい。どうも自転車の前側に加重するのは嫌だったんだが、こういう感じに出来るなら着けてもいいな。
 次第に参加者が散ってゆく中、さて我々はどうするべということになった。とりあえず、近所でお茶しましょうということになり、近所のコーヒースタンドにしけ込む一行。最初は9人で入ったのだが、途中で合流する人が相次いだため、最後には15人くらいになっていた。
 我輩、疲れていたのか、安定の悪い(わざとかよと言いたくなるくらい)テーブルの足を何度も踏んでしまい、コーヒーを盛大にこぼしてしまった。まったく、なんであんなにガタガタのテーブルなのやら。

2004年01月02日(金曜日)

鶴岡八幡宮に初詣

20時00分 暮らし 天気:うほっ、いい天気

 昼過ぎ、適当に飯を食った後、再びMR-4F改にまたがった。鶴岡八幡宮にお参りして来ようかと思ったのだ。
 今日はものすごく強い南西の風が吹いていて、境川の下りは地獄のようだった。市街地に入り、風を遮るものが出来て一安心。裏道を江ノ島まで走り、江ノ島から鎌倉へと走った。車が多く、若宮大路でのことを考えて鬱になったが、交通規制が敷かれて自家用車が締め出されていたので、実は若宮大路は走りやすかったのだ。しかし、凄い人出だ。こんな場所に自転車を止めるのは気が引けたので、古参道が始まる鳥居の近くにある本屋に止めておいた。
 歩いて鶴岡八幡宮に近づくと、想像以上の人、人、人。正月も二日だから空いているかと思っていたのだが、まるで甘かった。境内一杯の人の列の背後に着き、多分万単位の人出が掃けるのを待った。ロープ規制が2箇所で敷かれ、警察のアナウンスがひっきりなしに流れている。なにやらオーロラビジョンらしき巨大ディスプレイに、諸注意事項、鶴岡八幡宮の宣伝が流されていた。退屈しのぎには助かる。
 1時間ほども待ち、ようやくお参りできた。いやはや、今日だけでも何万人がお参りしたことやら。
 そんな塩梅だったので、帰宅時にはすっかり暗くなっていた。こういう時には、ハブダイナモ装備のMR-4F改はありがたい。すっかり風の止んだ境川を、のんびり走って帰宅した。

帰宅

00時00分 暮らし 天気:うほっ、いい天気

 朝早く、まだ暗いうちに家を出た。起床予定時間の前に母に起こされてしまったが、連日十分すぎる睡眠をとっていたためか、眠気は無い。
 駅まで自転車を走らせ、呉線、新幹線、地下鉄と経由し、昼には帰宅できた。全然混んではいなかったのだが、明日からの帰省ラッシュは結構きつそうだ。早めに帰って正解だったんじゃないかな、たぶん。

2004年01月01日(木曜日)

2004年の展望

23時00分 インターネット 天気:いいね

 そろそろ、HNSを別のシステムにリプレースしたい。意外に日記を読んでくれている人は多いようなので、手軽に突っ込み出来るようにならないかなと考えているのだ。コイツちょっと調子に乗りすぎだぜ。
 トラックバック(日記のAuthorに日記への反応を書いたURIを教えちゃうよ、という考え方)でもよさげではあるが、トラックバックという考えそのものが成功しないだろうと思えるので、シンプルな突っ込みシステムの方が良いだろうと考えている。分散したリソースをリンクでつなげるトラックバックの方がスマートな解ではあるが、いちいちリンクで飛んでゆかなければならないのが難だと思う。一覧性が悪いのだ(そりゃあフレームで区切ってリンク先の文書を引っ張ってくるなどの実装はありうるにせよ)。スレッドベース、ハイパーノーツのBBSがいまいち流行らないのと同様、リンクという操作を介したこれは、安易さを求めるユーザに嫌われてしまうのではないか。そういう意味で、非常に安易ではあるが、突っ込み型(つまりあるアイテムに直接コメントを付加する型)の方が、結局はユーザの反応を期待できそうだ。それに、トラックバックは、自前のリソースを持っている人しか意味ないし。
 単純に反応が欲しいのではなく、自分のメッセージに対する反応を、水面に投げた小石が波紋を広げるようにして広がってゆく様を見たいというのなら、トラックバックは有用かもしれない。でも、日記を読んでの反応なんてたかが知れてるし、そこまでの高望みはしてない。一言、二言、反応があれば十分だ。というか、この日記でそこまで高度な反応は期待できないよな。別に設置してある突っ込み用BBS(もう無い)に飛びやすくするだけでも十分な気もするが......。
 HNSを突っ込み可能にしちゃえと、いうアドインはいくらかあるので、それを入れるのが早道だ。けど、HNSの開発はほとんど止まってしまったので、大きなアドバンテージがある別のシステムになら乗り換えも考えようかと思っている。それを感じられるものが無ければ、HNSのままでもいいな。
 こんなつまんないことばかり考えている、今年の元日であった。

初詣

00時00分 暮らし 天気:いいね

 そして新年になった。なんという事も無く雑煮を食い、なんということも無く初詣に出かける。今年は妙に初詣客が多く、行列が亀山神社の境内からはみ出していた。こんなに多いのは久しぶりだ。
 明日は早くに家を出て、横浜に戻るので、その準備を進める。横浜から荷物を送った段ボール箱をつめ直し、宅急便の発送依頼をしておいた。
 横浜に戻ったら雑煮は食えそうに無いので、今日は夕食も御節と雑煮だ。