Strange Days

2004年02月29日(日曜日)

NHKスペシャル『データマップ63億人の地図』

22時33分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは『データマップ63億人の地図』第2回「感染症・謎の拡大ルート」
 現在、地球全体に広がりつつある鶏インフルエンザ。その流行は、去年オランダで始まった。そして今年、アジア、アメリカ、欧州のその他の国々に、感染が広がっている。
 去年のオランダでの流行時には、最終的に1億3000万羽もの鶏を処分する結果となり、養鶏業界に大打撃を与えた。しかし、その過程を追うと、政府を中心とした施政者側が、漫然と構えて被害を拡大したとは、必ずしもいえないようだ。
 鶏インフルエンザが発生したのは、オランダ最大の養鶏地帯のさらに北、同国北部でだった。当局は、発生当初から鶏の移動禁止区域を設け、感染拡大を防ごうとした。ウィルスを保持した鶏の移動を禁じれば、鶏インフルエンザの蔓延は防げるという発想だった。ところが、鶏インフルエンザは発生し続け、遂に移動禁止区域外にまで広がったのだ。この原因として、区域内外を行き来する車両に、ウィルスが潜在した鶏の糞が付着し、それが区域外に運ばれたのだと推測されている。微量の糞でも、広い地域に感染を広げるらしい。この辺、一般常識としては想像の外にあり、多くの意識せぬスプレッダーが誕生する結果になったようだ。
 この鶏インフルエンザ、当初は人への感染はありえないとされていた。ところが、感染が広がるに連れ、人への感染例が数多く発見された。それも感染を拡げる一因となったという。
 この疫病が、オランダ最大の養鶏地帯へと侵入することは避けなければならない。そこで、感染区域の南部に緩衝区域を設け、侵入を食い止める方針を打ち出した。緩衝区域の全ての鶏が処分された。しかし、それでも感染拡大は止まらず、ついに養鶏地帯への侵入が確認されたのだった。しかも、この時に最悪の事態が発生した。鶏インフルエンザに感染した医師が、死亡したのだ。この時、人から人へと感染するという、これも従来の認識に無い事態も起こっていた。
 このようにして、打った対策をことごとく逃れて感染は拡大し、最終的に莫大な数の鶏を処分する結果となったのだった。今年、同じように拡大してゆくのか、それとも去年の苦い経験を生かして食い止められるのか、まだ明らかではない。
 一方、アメリカでは、もう一つの思わぬ病気が広がりつつある。西ナイル熱。その名の通り、アフリカ原産のこの疫病が、遠く離れたアメリカ大陸に、着実に広がりつつあるのだ。
 西ナイル熱の発生が最初に確認されたのは、ニューヨークは西クイーンズ地区だった。当初、奇妙な流感だと思われたが、それが西ナイル熱だと判明すると、大きな驚きで迎えられた。遠く離れたアフリカとは、陸続きでもなんでもない。どうしてここにやってきたのか、そしてなにが媒介しているのか。
 一つのヒントとみなされているのが、この地区に二つある国際空港の存在だった。そこにやってくる何かが、ウィルスを保持していたのだろう。しかしなにがウィルスを運んできたのだろうか。推測の一つとして、(密)輸入された鳥が保菌しており、それがニューヨーク一帯にいる蚊に移され、感染が始まったのではないかというものがある。
 米保健当局は、感染区域の蚊を駆除すると共に、感染拡大防止のための手を打った。しかし、事態は予想を超えた展開を見せる。ニューヨークからは離れたボルティモアにも、患者が発生したのだ。その後、更にローリー、フロリダと、アメリカ東海岸を南下するという、不気味な動きを見せた。
 この奇妙な感染拡大について、その原因と目されているのが渡り鳥だ。渡り鳥の飛行ルートの一つとして、この東海岸を南下してゆくルートがあるのだ。その傍証となったのが、皮肉にもその後の拡大ルートの有様だった。アメリカ中西部へと広がっていったのだ。様々なルートで南下してきた渡り鳥たちは、南方の越冬地で共に冬を過ごす。その時、別のルートの渡り鳥にも、ウィルスが渡される。そうして、今度はアメリカ中部を北上する渡り鳥たちにより、西ナイル熱が拡大されていったのだ。
 さらに2002年には、今までに無い爆発的拡大を見せた。アメリカ中部は、長雨の影響で蚊が繁殖しやすい状況にあった。その結果、飛翔距離の長い蚊の一種が大繁殖し、それが感染を広げて行ったのだった。
 拡大の要因は、もちろん自然現象だけではない。遠く離れたカリフォルニアにも、感染がポツリと確認されている。これも、最初のニューヨークの事例と同じく、近くの空港を発着する飛行機(が運んだ何か)を経由したものだと思われる。
 このように、西ナイル熱の急激な拡大は、人為的な原因と自然現象とが併さった結果だと思われるのだ。しかも、その自然現象にも、結局は人間が関与している可能性がある。乾燥した中西部に蚊の繁殖しやすい環境を作ってしまったのは、人間の自然干渉の結果だし、長雨も全地球的な異常気象に一環なのかもしれない。
 かつて、船舶を媒介して、地球全域に猛威を振るったスペイン風邪。その悪夢の再来は避けなければならない。しかし、航空機による物流は、昔とは比べ物にならないほど時間を短縮し、量的にも拡大している。今や感染症は国際問題であり、カリフォルニアに到達した西ナイル熱が次に襲うのは、この日本なのかもしれないのだ。
 感染症には先手必勝だという。しかし、思いもかけぬ事態が連続する最近の感染症対策の現状を見ていると、これは人間の想像力が試されている戦いだとも思えてくる。

足を剃った

16時05分 自転車

 昨晩、風呂に入ったとき、久しぶりに足を剃った。かれこれ二月ぶりだろうか。意外にボリュームは無かった。もちろん、1週間ごとに剃っていた頃に較べると、段違いに手間は掛かったが。
 んで、今朝、出勤するとき、妙に足元がスースーするなあと感じた。それで、昨日剃ったことを思い出したのだ。あの程度の体毛でも、防寒の役には立っているらしい。多分、気流の通過を阻害することで、放熱を妨げる働きをしているのだろう。
 後二月も経つと、ショートのレーパンの季節がやってくる。

15時54分 思考

 3、2、1、そして0。自分がそんな風にして<無>になってしまうのだとしたら、どんなに恐ろしく、そしてやるせないだろう。
 バラードの代表作(と自分で言っている)『時の声』では、主人公のパワーズ博士が、まさにそうした運命をたどる破目になる。パワーズ博士は、奇病ナルコーマにより、日々眠りが長くなってゆく運命にある。今日は8時間起きていられても、明日は7時間55分、明後日には7時間50分しか目覚めていられる時間が無い。そんな風にして切り詰められてゆく毎日。それをただただ甘受するしかないというのは、なんと残酷な状況なのだろう。やがて最後の目覚めへと、そして二度と目覚めぬ眠りへと繋がってゆく夜。その時間を正気で過ごせるとは、とても考えられない。
 だが、僕だってやがては"0"になってしまう運命にある。人として、いや生命として生まれた以上、終末の到来は避けられぬ定めだ。問題は、その瞬間が正確に分かっているかどうかだ。
 パワーズ博士の病は極端としても、明日をも知れない、いや余命n年などと宣告された人々は、数多い。そうした人々は、何段階かの受容のステップを踏んで(これは、今はオカルト方面に行ってしまったキューブラー・ロス女史の研究が著名)最終的な平穏を得るという。ロス博士の著作は、あまりにも物語的かつ自己完結的に過ぎると感じる部分もあるが、死を見つめることで人の内面が質的に変化したり、より生産的になったりするという事例は、その枚挙に事欠かない。まあ、確かなことなのだろう。そのことは、ターミナルケアの現場レポートを引けばいいだろう。また、一昨年亡くなった日野啓三が、腎臓癌からの生還を果たした後、生死という問題にさらに深い視線を注ぐようになった故事を引いてもいい。死は人間を謙虚にさせる。より正確には、死へのカウントダウンを聞くことは、だろうか。
 だが、死の運命からは、この宇宙そのものさえも逃れられそうに無い。量子論の、現在主流の学説に拠れば、最も安定した素粒子である陽子も、極めて長い時間をかけて崩壊することが予言されている。それはまだ実証されてはいないが、一方で宇宙空間そのものが拡大し続けているというビッグバン理論も、何度も修正を加えられながら、今や実証の段階に達している。ハッブル宇宙天文台を初めとする高性能の大型望遠鏡は、宇宙の果て、時間の果てで起きた、宇宙開闢直後の現象を捉え始めている。宇宙論と観測手段が精緻化されてゆけば、やがて宇宙の現年齢が年単位で、さらには時分秒単位で明らかにされるかもしれない。そうなれば、我々は宇宙の"誕生日"を祝うことが出来るようになるかもしれない。
 だがビッグバン理論は、宇宙に何らかの形での終末が訪れることをも、必然的に予言する。宇宙が閉じている(宇宙空間の拡大を反転させられるほどの物質が宇宙にある)のならば、宇宙はビッグクランチという、空間自身の消滅という形での終末を迎えるだろう。開いている(際限なく空間が拡大してゆく)のならば、物質は延々と希釈され続け、やがて構造を持った安定な物体は何一つ存在できなくなるだろう。そして陽子論の予言通りに、陽子が崩壊することが事実なら、宇宙にはほんのりした熱エネルギー以外には、なにも残らなくなるだろう。
 劇的なビッグクランチ、逆に延々と続く熱的な死、どちらにせよ、僕たちの文明は、やがて宇宙の死ぬ瞬間を算出できるようになるはずだ。そしてその時、僕たちの持つ時間という概念は、大きく反転するかもしれない。
 現在、時というものは、雪のように刻々降り積もって行くものだと信じられている。時間は一方へと増加するばかりで、それが反転することは無い。その認識は、人間の文明に、宇宙の永遠性への素朴な信仰をもたらした。だが、"終わる瞬間"の正確な時刻を知ったとき、人間たちは、終わりの"時"に向けてカウントダウンをするという誘惑を、果たして振り切れるだろうか。宇宙の死を前提とした、漸減的な時間認識、それが僕たちの意識を変えてしまうだろう。
 3、2、1、そして0。そんな風に宇宙もまた終わりを迎えるのだと知ったとき、もしかしたら、人間の文明はより謙虚に、そしてより無害なものへと変わってゆくのかもしれない。『時の声』で、宇宙から届く異星人たちの"放送"に耳を傾け、それらがみな宇宙の死へのカウントダウンだと知ったとき、パワーズ博士が初めて宇宙そのものの運命と同一化できたように。
 それでも、終末に背を向けて、この馬鹿騒ぎを続けてゆくのだろうか。それを知ることが出来るとしたら、それも宇宙論の発展の先に待つ、楽しみの一つではないかと思ったりする。

2004年02月28日(土曜日)

久々にサガミに

22時12分 自転車

 今週一杯の残業続きに疲労したのか、9:00には起きるつもりだったのが、目覚めると既に13:00過ぎ。明日も休日出勤しなければならないし、遠出は出来ないな。久しぶりにサガミまで出向くことにした。
 TCR-2を駆って、サガミまで突っ走った。考えてみると、TCR-2を外に持ち出したのは、オオタ氏のCrusoeお披露目オフ以来か?
 No.3でRitchyの軽そうなバーエンドバーと、スペシャのグリップを購入した。前からどうしようか悩んでいたEPIC号のハンドルバー換装をやってしまおうと、やっとのことで踏ん切りをつけたのだ。EPIC号もBD-1もサドル先端からステム中心までの長さは同じなのに、なぜかEPIC号の方が近く感じていた。不思議だなあ、とりあえずアヘッドを換えてみるか、などと考えていたのだが、よくよく考えるとEPICのハンドルバーは流行りのアップライズ型だ。その分、近く感じるのは当然ではないか。なら、Ritchyの軽量ハンドルバーを買ってあるのだから、それに交換すれば済むはずだ。ということで、これも交換したかったバーエンドバーとこれは交換せざるを得ないグリップを購入した。
 帰宅して、早速交換作業する。いつもながらグリップの脱着に苦労して、これならLockJawsを買えばよかったと後悔したりしてな。
 ともかく交換して、試走してみた。EPIC号の現状。交換したハンドル部分。
 うむ、やはり少し遠くなり、ポジションはかなり楽になった。バーエンドバーも前より引きやすい気がする。これで100kmばかり走ってみたくなった。が、明日は仕事だ。

2004年02月27日(金曜日)

トップページを作りました

13時35分 インターネット

 長らくテスト状態で404様にお任せ状態だった新ドメインだが、ようやくトップページを作って仮開店とした。やる気ないんかいとお聞きしたくなるような、適当なトップページだが、まあご容赦を。
 逆に旧サイトからもリンクを張っておかなきゃと、今思い出した。
 新、旧とは仮に名づけたものの、実際には併用するだろうなあ。実はHNSの方が日記記述支援としては便利な面が多いし、Nucleusへの移行も面倒なので、日記はあっちに残そうかともちょっとだけ考えている。何のためにNucleusを導入したのやら。

キタか、キタのかっ

13時30分 暮らし

 花粉症の症状を体感したり、しなかったり。しかしそれほど重くは無いようだと思ってもいた。
 しかし、昨日の昼ぐらいからキターッ! 涙がぼろぼろ出て、くしゃみが頻発するのだ。かなり本格的にキタっ(妙に嬉しそうだな)。
 昨日は寝不足の上に、地下鉄の駅まで歩く間、マスクをつけるのを忘れていたので、アレルゲンをたっぷり吸い込んでしまったらしい。寝不足とアレルゲン。この二つが、花粉症のトリガーになった。
 今日はそれなりに睡眠時間を取ったのと、用心深くマスクをして外出したため、それほどひどくはなってない。しかし、明日は花粉が盛大に飛びそうだ。久しぶりにがっつり走りたいなと思っていたのだが、花粉を盛大に吸うだろうと予測がつくので、やや憂鬱。とほほ、止めておこうかな。

2004年02月26日(木曜日)

そろそろ星見系の増強を考える

12時09分 星見

 先日、C8EXを手放した。よく見えるブツではあったが、お手軽さ重視の我が星見スタイルには合わなくて、倉庫の肥やしと化していたものだ。残る望遠鏡は100EDと自作100mmニュートニアン、そして古代の80mmF10望遠鏡だ。100EDはもう少し鏡筒を伸ばし、今は使えなくなっているトミーのアイピースを使えるようにしたい。でもまあ、今でもビクセンやミードのアイピースは使えるから、問題は無いといえば無いのだが。
 100mmニュートニアンは、ファインダーがあまりにプアなので、もう少し見えるモノを付けたい。どうせなら90度の対空型のものを。直視型は地面に置いて使うこれにはつら過ぎるのだ。
 そう確かに、どうせ星を見るのならば、90度の対空型の方が便利だと思うことが多い。双眼鏡にしても、天頂近い天体を見るには、地面に寝転がらなければならなくなるし。特に手持ちではなくて、三脚に載せて使う状況では、対空方が欲しくなる。しかし、100mm超級で対空型の双眼鏡となると、宮内光学辺りの高価なものが主流になってしまうな。30万円コースだ。ちょっと手が出ない。
 今、一番欲しいのが、さきほどの90度対空型ファインダーと、トミーが出しているミニボーグ。特に45mmのEDレンズ搭載のものがそそる。これらなら手が出なくは無いな。ミニボーグなら死蔵中のボーグ純正簡易赤道儀を使えそうなので、モバイル星見に最適ではないだろうか。
 BikeEにそれらを載せて、暗いところまで走る。夏にはやってみたいことだ。

2004年02月25日(水曜日)

自信満々のうろ覚え

11時47分 思考

 昨日の日記で思い出した。なんかの書き物でどうしても『AがBの食事のおこぼれに与る』という表現を使う必要が生じた。そのものずばりの表現は『ご相伴に与る』だが、この読みを"そうはん"と記憶してしまっていた。"そうはん"をPCの日本語入力で変換しても"相伴"とはならないので、困ってしまったものだ。なんということだ、今や『御相伴』(いうまでもなく脳内音声では"ごそうはん")という言葉すら死語になっているのか。美しい日本の言葉はどこに行ってしまうのだ、などと嘆いたりしてな。しかしどうしてもこの言葉を使いたい。そこで読んで笑える辞書として愛用中の新明解国語辞典を引いたところ、見当たらない。PCにインストールしてある広辞苑にすら見つからない。さすがにここで自分の知識に疑問を抱き、"そうはん"の近辺を探してみたが、それでも見当たらない。悪いことに、調べているうちに、漢字表現の方も曖昧になってしまっていた。他の辞書はこの世のどこに行ってしまったか見当もつかない(腐海のどこかに埋没しているのであろう)。
 そこで、『~に与る』の用例を思い出し、Google先生に尋ねたところ、やっと『ごしょうばん』という読みであることを発見した。というか、この瞬間にそう習ったことを思い出した。こういう曖昧な情報の検索は、インターネット検索の方が便利だなあ。
 こういう誤った読みを記憶している事例は、まだまだ大量にあるはずなのだが、日常生活では多用しないため、なかなか発覚しないものだ。
 正しい知識のために、書き物をしましょうという結論(それでいいのか)。

Nucleusをいじってます

09時57分 インターネット

 相変わらずNucleusをいじっており申す。NucleusはCMSというより汎用日記記述支援環境として使うつもりで、トップページからリンクした形にすることにした。旧来のコンテンツは当面Big-Netの方に残すが(HNSを持ってくるのが面倒なので)、多様な表現を必要とするコンテンツ全てをNucleusだけで管理するのは無理だと判断した。テンプレートとスキンだけで可能な表現は、案外に少なく感じている。
 それでも、リンク集をBlogベースで表現する試みを始めた。要するにリンクポイントとその説明、種別くらいがあればいいんだろう、ということで、タイトルにリンクを付け、本文でその説明をし、そしてカテゴリーで分類するという考えだ。タイトルの上に出る日付、コメント、トラックバックなどは不要だったので、専用のスキンとテンプレートを新設して、それらを削除した。結構それらしくはなったのだが、問題は大量に表示されるときの一覧性の確保だ。ツリー構造に出来ないのが難だ。これはスキンやテンプレートの構造を理解しきっていないので、もう少し試行錯誤する必要がありそうに思う。
 もう一つ、前から作ろうと思っていた買い物インプレッションのページを新設した。俺には金が無い、それでも俺はモノを買う。いうまでもなくハーラン・エリスンへのオマージュだ(というほど熱心な読者じゃなかったけれど)。自転車やPC、その他の無駄な買い物の無惨な結末をさらけ出そうという、かなり捨て身のコンテンツだ(笑)。ボチボチ書いてゆく予定。

2004年02月24日(火曜日)

氷魔女で進め

22時58分 ゲーム

 相変わらず、思い出してはやっているDiablo2 LoD。最近は塩漬け中だった氷魔女を進めている。
 氷魔女でつらいのが、ダメージ不足。氷系の魔法は基本的にダメージが低く、飛翔速度も低いものが多いので、突進型の敵には特に苦労する。ACT3で出現する自爆骨チビなんか、HPの低い魔女には天敵に等しい。
 魔女にとって一つの壁になるのが、Lv.27から30を越えるまでの間だ。有用なアイテム(Skin of Viper Magiなど)はこの辺りから使えるようになるのと、火、電、氷いずれの系統でも、強力なスキルはLv.30から使えるようになるので、その直前がつらいのだ。
 ここまで、セットアイテムを装備して戦ってきた。しかしダメージ不足な氷魔女では、手持ちの武器で殴ることも必要だ。セットアイテムの武装ではダメージが不足している。そこで、傭兵のローグを鍛えることにした。LoDでは傭兵を使えるのだが、モンスターレベルとキャラクターレベルが離れすぎると、大きな経験値が入らないため、一度プレイヤーキャラとレベルが離れてしまうと、なかなかレベルが上がってくれなくなる。レベル差が15くらいあったので、ACT2から経験値に注意しながら連れまわり、適正と思われるレベルで鍛えたやった。自キャラを鍛えるより苦労したが、レベルが上がるに従ってよい武装を与えられるようになり、やがて非常に頼りがいのあるキャラへと脱皮してくれた。
 ある程度(自キャラと2レベル差)鍛えたところで、いよいよ自キャラの鍛錬&シナリオ進行に戻った。相変わらずダメージ不足は深刻だが、Lv.28でSkin of Viper magi、29でジョオの杖ベースのユニーク(全耐性+50、詠唱速度とマナの修正つき)とフロストバーンを装備できてからは、非常に快適になった。この段階では氷魔女最終兵器のFrozen Orbを使えないので、Bllizardを多用することになる。Bllizardは照準が難しくて、使い勝手が悪いのだが、ダメージはかなり大きいようだ。詠唱速度が向上した関係で、使い勝手もまあ耐えられるレベルになった。これで足踏みしていたACT3後半以降を攻略していった。
 ACT4進行中に、ついにLv.30に到達。いよいよFOとマスタリングを入れ、さらにEnergy Shieldも導入した。これ以降は快進撃だった。Diablo陛下もてこずることなく打倒。後はACT5を残すのみだ。これで、炎魔女の経験から、氷系が有利な敵が多いため、さっくり進むだろう。
 よくよく考えたら、LoDで追加されたキャラでの攻略が進んでないので、氷魔女が一区切り付いたら、これも塩漬け中の新キャラで薦めてみようと思う。
 しかし、Diablo3は出る気配が無いのだな。残念。これほどのゲームを作り続けてきたチームなのに。

『キューリー夫人です!』

17時42分 インターネット

大手小町
なんか、やたら面白かったのが、タイトルのそれ。

2004年02月23日(月曜日)

咳が取れないな

21時36分 暮らし

 インフルエンザに苦しめられてから、かれこれ2週間以上が経った。あの時は咳が止まらなくて困ったが、その症状自身は数日で完治した。しかし、それでも咳が残っている。特に冷たい空気を吸うと咳が出てしまい、ワシャかなわんよ状態になってしまうのだ。インフルエンザでかなり気管支を痛めたから、症状の一部が残ってしまったのだろうか。
 前にこんな目に遭ったときには、やはり一月くらいコンコンやっていたような記憶がある。まあ、物凄い強度の運動をしなければ問題はないのだが。

2004年02月22日(日曜日)

久しぶりのBikeE

19時12分 自転車

 さて、今日は午後遅くからお仕事があるので、遠出は出来ない。そもそも、昨日の夕方から吹き始めた風が強すぎで、アップライトではよれてしまうかもしれない。うーん、まあ、リカンベントならいいかな。
 久しぶりにBikeEたんを引っ張り出しました。というか、アパートの部屋の前にデーンと置いてあるのだが。久しぶりにBikeEを眺めて、でかくて重くて赤いペダル(一時BMX用として売っていたシマノの旧型ケージつきSPDペダル)が邪魔に思え、手許にあったPD-R600と付け替えた。SPD-SLはほとんど垂直に立つので、実はリカンベント向きのペダルなのかもしれない。靴を選ぶのが難だが。というか、お買い物自転車としての使命を、既に忘れているぞ。
 さて、どこまで行こうかなと思いつつ、境川へと漕ぎ出した。R600のセッティングがこうなっていたのか、クリートの固定に結構力を使う。外すときもいわずもがな。そういえば、僕はほとんど全てのビンディングペダルの拘束力を最低にしてあるのだが、これは中程度にして試していた気がする。それ以外では、SPD-SLの踏み面の広さが生き、踏みやすくて回しやすい感じがあった。クランク先の重量も半減したわけだし。
 境川を下っていたとき、顔に雨粒がぽつぽつと当たった。細かい雨粒で、恐らくは遠くから風で流されてきたのだろう。とはいえ、夕刻に近づくと雨になるという予報。仕事の時間もあるので、飯田牧場リターンに決定。
 飯田牧場ではモカのジェラードを食す。天気がいいため、人出も多いようだ。
 ジェラードを食っているとき、珍しくもロードの二人連れがやってきた。僕のBikeEを見て「あっ、BikeEだ」と小さくいった。声をかけて、少し話をした。上流から下って来たようだ。
 帰宅して、そそくさと着替え、会社に向かった。とはいえ、万が一の障害対応なので、その障害が起きてないことを確認したところで帰宅。こんな馬鹿馬鹿しい仕事が来週にも待っているのだ。いや、来週はさらに本格的になりそうだ。

2004年02月21日(土曜日)

奥湯河原ツーリング

21時25分 自転車

 今日はBD-MLで募集した湯河原ツーリングの実施日。10:00に湯河原駅集合というゆっくりしたスケジュールということもあり、7:00に起床して、8:00前に家を出るという、やや余裕のある出発となった。これも現地に9:30前に着いておきたいからであって、10:00前に着けばよいということなら、さらに遅くても良かっただろう。自転車の選択は、距離的に20km程度ということもあり、BD-1となった。MR-4Fは、ブレーキにちょっと不安がある。
 湯河原には9:20頃に降り立った。しかし、まずホームからして凄い混雑だった。改札を抜けるのにも苦労する。どうやらウォーキング大会の類が開催されているようで、いつもの5倍くらいの混雑振りだった。かなり嫌な予感が漂い始める。
 ひっきりなしにバスが発着し、数多くの客を捌いている。梅のシーズンに入り、幕山方面は混雑しそうだ。その幕山に向かうのだから、厳しい状況になりそうに思えた。
 9:30を過ぎた頃から、ぽつぽつとツーリング参加者が集まり始めた。しかし、空には暗い雲が掛かっている。あまつさえ、パラパラと雨が降り始めてさえいた。おいおい、こんなときに雨か? しかし、それ以上の雨は免れ、その後は暖かな中でのサイクリングになった。
 10:00過ぎ、参加者が集まったので、出発することにする。まずは幕山に向けて走り出す。
 途中、コンビニに立ち寄った後、幕山公園へと上って行くと……。この車の群れはなんじゃ? 思いもかけないくらい下まで、車が詰まって待っているのだ。それだけならまだしも、ただでさえ狭い道をぎりぎり一杯まで寄せているため、自転車が通り抜ける余地がほとんど無いのだ。バスが行き交う関係で、どうしてもぎりぎりまで詰めてしまうらしい。特にバスの横は抜けようが無い。ほとんど押して上がり、バスの横などは車線の中央側を抜けることさえあった。この上りは斜度も緩く、楽しい道のりになるはずだったのだが。
 四つあるうちの一番下の駐車場を越えたところに待ち行列の先頭があり、それ以降は乗ってゆけた。駐車場の係員に声をかけると、『そのまま進入禁止位置まで乗っていって、それからは押しで公園に入ってもらって構わない』といわれる。ああ良かった。なんかいつも勝ち組気分の自転車で、今日に限って負け負け気分を味合わされたところだったので、この優遇振りは気分直しに繋がった。
 自転車は公園入り口に固めて止め、しばし散策することに。とはいえ、僕が薦めた梅アイスの賞味にほとんど時間が取られてしまったのだが。その後、ほとんどの参加者が散策に出かけたのに対し、GPSをつけたままだったのに気づいた僕は、慌てて自転車のところに戻り、一同を待つ。
 全員が集まり、12:00頃に幕山公園を出た。下りは流石に車が詰まることも無く、快適なダウンヒルだった。
 途中、湯河原方面に道が変わるところで、すずりょう氏のBD-1のスタンドにトラブルが発生。スタンドを跳ね上げるためのスプリングが外れてしまったのだ。しかし、スプリングは落ちなかったので、その場で再生作業が始まる。要はスプリングをはめなおせばいいだけなのだが、これが結構力が要るのだ。結局、すずりょう氏自らがはめることに成功し、一件落着となった。
 湯河原駅に戻ってきたのは、予定通り12:15くらい。ここから、いよいよ奥湯河原へのヒルクライムが始まる。
 街中を通りながら、次第に高度を上げてゆく。途中、もう一度コンビニで休憩を取り、時間を調整しながら上って行った(50%くらい登った辺りで)。全員、危なげなく登っていった。最後の方は15%超と思われる急傾斜だが、トレンクルで参加のいいづか氏を含んで、危なげなく登頂に成功した。ここはいつも汗をかく場所だ。
 全員が紅葉亭の駐車場に揃ったところで、記念撮影。ちょっと早めだが(13:10には着いてしまっていた)、店に入ると、もう席が確保されており、座ることが出来た。
 朝、あらかじめ注文を集め、店に電話しておいたこともあり、物はあっという間に揃った。今日はほとんどのメンバーが天ざる蕎麦を頼んだのだが、僕は天ざるうどんにした。相変わらず、強い腰で楽しめる。
 14:30くらいまでのんびり過ごし、いよいよダウンヒルだ。こけると痛いので、出来るだけゆっくりと下っていった。
 途中、不動の滝に立ち寄った。シーズンインしたためか、茶席が設けられ、いつもより華やかな雰囲気だった。いつも散歩中のウサギが、今日は店頭をうろついていた。ウサギ、飼いたいなあ。最後は香り草のシチューで(このブラックさはこぐ氏的だが)。
 今日は万葉公園は独歩の湯に立ち寄った。概ね受けは良かったようだ。やはり人出は多かったが、入れなくなるほどではなかった。すずりょう氏はここで離脱。
 足湯を小1時間楽しんだ後、湯河原駅に引き返し、ここで一応の解散となった。まだメンバーの半分は走り足りなさそうで、真鶴道路経由で小田原に行くという。残りはここで輪行することにし、分かれることになった。僕は、もちろん輪行組だ。
 東海道線に乗り込み、同じく輪行組のすずきなおし氏、いいづか氏、マモル氏らと話しながら、車中でビールを空けた。うむ、この一杯。たまらん。
 戸塚で降り、帰宅した頃には、もう日が暮れきっていた。
 今日も楽しく走れたと思う。参加者の皆さん、お疲れ様でした。

2004年02月20日(金曜日)

花粉症和らぐ

09時28分 暮らし

 昨日一日は花粉症の症状が軽く、意外に体調も良かったようだ。やはり屋外でマスクをしておくというのは、花粉症対策には効果が大きいようだ。
 しかし目のかゆみはいかんともしがたい。例年よりは軽めではあるものの、やはり涙腺が刺激され続けるのだ。
 いっそ、ゴーグルでも着けるかね(さすがに社屋から放り出されそうだ)。

2004年02月19日(木曜日)

The NETを漂流するという行為

12時10分 インターネット

 RSSリーダを使い始めている。UTF-8、EUCを理解してくれるという意味で日本語対応しているSharpreaderを導入してみたのだ。.NETフレームワークを自分のPCに入れるのは業腹だったが。
 使ってみると、決まりきっている巡回先に限定すれば便利ではある。更新状況とサマリが、わざわざ見に行かなくても分かるのは便利だ。僕も早速、RSS2.0を出力できるようにした。つうか、標準でさえずっているんだけど、分かりやすいようにリンクを設置しました。
 しかし、このRSSリーダーを使うようになって、実際に見に行っているのはいわゆるニュースサイト(@ITとか)に限定しているのに気づいた。なぜか、個人サイトに関しては、適当なときに、特にトリガーも無く見に行っているのだ。僕自身は、どうやら個人サイトに関しては、リアルタイム性以外のものを重視しているようだ。それはなんだろう。
 昔、パソコン通信の頃にも自動巡回が流行った。当時はパソコン通信のホスト側に未読検出の機能があったので、アクセスフィーが高すぎたNIFTY-Serve(現@Nifty)では、もっぱらこればかり使っていたものだ。しかし、草の根ホストとかASCII-Netとかでは、自動巡回を使いながらも、リアルタイムにアクセスしながら、そのあちこちを漂流する行為を止めなかった。
 というところまで書いて、ああ、そうか漂流(net drift)することが大切なんだと気づいた。インターネットはURIでリンクされた資源の集合体だ。リンクを持たない資源はいくら重要ではあっても、広がりを持たない。逆にそれ自身は重要ではなくても、広がりを持つ資源もありうる(リンク集とか)。URIを辿ってゆくことは、発見の旅でもありうる。新しい知識、概念にぶつかる度、僕は豊かになってゆく(実際には、そんな気がするだけ、の事ばかりだけれど)。そして発見とは、思いもかけぬ場所でなされるものだ。リンクとリンクと狭間、そのわき道を探るようにして旅してゆくことが、実は発見への近道なのだ。決まりきった道行きからではなく、行き当たりばったりのそれからこそ、僕は何かを発見する。
 そういう目で、かつてのパソコン通信を眺めてみると、結局はやはりリンクされた資源の集合体であり、その中をdriftすることは、発見の旅でありえたわけだ。そしてRSSリーダの類を個人サイトに適用することは、その広がりを否定することだと頭のどこかで考えているようだ。実際には、一度その個人サイトに入り込んでしまえば、そこもまたThe NETの一部であり、内部も外部も持たない大海の一部ではあるのだが。それでも、その漂流する行為を合理的に片付けてしまおうと考えることは、まるで獣道が出来るように、結局は漂流を移動へと移行させてしまうものだと恐れているのではないか。なんて事を考える。
 なんだか、文藝の世界での創作行為に関しての手書き派とワープロ派の意見対立を思わせるものがある(ちなみに僕自身は手書きを好みます)。実際にRSSリーダやFOAFでインターネットの広がりを効率的に表現しようとしている人々には、こういう思想は無意義であるのかもしれない。広大なThe NETの膨大な情報から多くのものを振り捨てたところで、まだ思いもかけぬ発見に出くわすことは多いはずだから。それでも、僕は他人が気にもかけない"発見"が魅力的に映るから、あてどなく漂流する行為を止めないだろう。
 しかし、The NETなんて言い方は、めっきりしなくなったね。これはきっと、多くの人が広大さに倦み、効率的で確実なつながりを重視し始めている兆しなのではないだろうか。

2004年02月18日(水曜日)

ひどくないなといった途端に

22時13分 暮らし

 昨日は花粉症なんざ軽いぜ、などとなめた口を利いていた。ところが今日になって突然症状が重くなり、例年の如く鼻水、くしゃみのオンパレードだ。朝、部屋を出るとき、ついうっかりマスクを忘れてしまい、立場駅近くのコンビニで買うまでは無防備なままだったのだが、その間にアレルゲンをたっぷり吸い込んでしまったのか。
 夜になってそれだけではないように思えてきた。わずかに発熱し、震えが来る。これは、風邪(インフルエンザじゃなくて)の初期症状? ここ数日、外の空気がぬるんでいる。会社に着くまで急いで歩くと、暖かい社屋に入ったとたんに汗をかく破目になる。その処置を怠っていたため、体を冷やしてしまったのだろうか。ともかく、早い時間に帰り、風邪薬を飲んで早々と寝ておいた。夜更けに起き出すと、もう症状は収まっていた。やはり、風邪の症状もあったようだ。
 しかしまあ、インフルエンザは後を引いているし、花粉症と風邪のダブルパンチは食らうしで、難儀な季節である。

2004年02月17日(火曜日)

花粉症もそんなにひどくはないな

21時16分 暮らし

 今年もいよいよ最盛期を迎えつつある花粉症。例年ひどい目に遭ってきた。今年も身構えていたのだが、案に相違してさほどひどい目には遭ってない。鼻水も涙も最小限で、目のかゆみがあるだけだ。これは、マスクをつける、甜茶を飲むなどの対策がものをいっているのか?
 殊にマスクは効いているような気がする。それにこれ、顔を隠せるために、人目を気にせずアホ面できるのがよい(なにがだ)。なんだか緊張しないで済むのだ。江戸時代みたいに覆面して歩くのが流行るといいなあ。防犯上ヤバい気もするが。

2004年02月16日(月曜日)

塩鮭で悩め

20時59分 暮らし

 今日はなんだか眠い一日だった。昼ぐらいに仕事のドキュメントを読んでいたら眠りそうになり、慌てて工場内散歩で目を覚まさせる始末。花粉症が始まっているせいかもしれない。しかし、花粉症の自覚症状はあるものの、それほど重篤という感じでもなかった。
 帰りにスーパーに立ち寄ったとき、塩鮭を買った。数日前に辛口のものを買って、油の乗りとこれだけでご飯3杯はいける辛さが気に入ったので、また買おうと思ったのだ。高校生の頃は好きだったのだが、その後は塩分を警戒して控えていた。しかし、振り掛けいらずでご飯を食べられるということは、実は総塩分摂取量は低減できるのかもしれない。味の薄いおかずでご飯にすると、ごま塩を一面に降りかけてしまうではないか。それに較べれば、と思った。
 ということで塩鮭を買う。でも、出来るだけ塩分を減らすという意味で、甘口でいいかな? いや甘口では振り掛けの出番となりかねない。中途半端になるくらいなら、最初から辛口でいいではないか。
 などとしばし悩んでいた俺様だったが、結局辛口を買って帰った。ちゃんと塩分を排泄できるようにと、金平牛蒡も買って帰った。しかし、長期的に見れば、やはり塩分摂取量は多めなんだろうな。外食多いし。

2004年02月15日(日曜日)

NHKスペシャル「カルロ・ウルバニ SARSと闘い死んだ医師の全記録」

23時50分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは、「カルロ・ウルバニ SARSと闘い死んだ医師の全記録」~ベトナムで何が起きたのか?~
 去年のSARS流行の記憶は生々しいし、鶏インフルエンザの流行も不気味だ。SARSが流行した去年前半には、空気感染するという情報もあって、なかばパニックのようになっていた。事実、東アジアの経済に大きな傷跡をもたらしているのだ。最終的に死者700名を越えた段階で、流行は収まった。だが、もしも一人の医師の命を賭けた奮闘が無ければ、死者は4桁になっていたかもしれない。
 一昨年の初冬、中国広東省で謎の肺炎が流行り始めた。これがSARS流行の発端となったのだが、中国政府は当初、いや病原が特定されるまで、この肺炎が新しい種類のものであることを否定し続けた。現地のWHO関係者は、新型肺炎の全容解明の手がかりを前にしながら、中国国家の秘密主義という大きな壁に阻まれ、最初期段階での流行制圧に失敗していた。結果、SARSは世界各国へと飛び火してゆく。香港、ベトナム、シンガポール、カナダ。市場としての魅力から多くのビジネスマンが行きかう中国は、SARSの"発信元"としてはうってつけだったのだ。だが、早期にSARSに直面したベトナムでは、感染者63名、死者5名と、比較的軽微な損害で切り抜けた。その影には、一人のイタリア人医師の努力があった。
 カルロ・ウルバニ医師は、国境なき医師団を経てWHOに入り、感染症対策の専門家として、当時ハノイに赴いていた。3月、彼の元に、市内の民間病院(社会主義国家ベトナムでは初めての)から、見慣れない症状を見せる患者に関して助言して欲しいという要請が入ってきた。患者は中国系アメリカ人のビジネスマンで、入国時に体調不良を訴え、入院、直後に重症に発展したという。ウルバニ医師は、その症状の進行の早さに疑念を抱いた。通常、肺炎を引き起こすような病気は、重症に発展するまで比較的長い時間を要する。それに対し、この患者の場合は、わずか5日程度。しかも健康な成人をここまで重症化させるような例は、彼の知る限りなかった。ウルバニ医師は出来る限りの治療を試みながら、彼の脳裏に浮かんだ疑念を突き止めようとした。そのビジネスマンは香港を経由してきたという。その中国で流行していると伝えられる肺炎との関連を懸念したのだ。同じものだとすると、ウィルスによる流行性のものであることになる。ウルバニ医師は、在中国のWHO職員と連絡を取り、情報を得ようとしたが、先に挙げた中国の秘密主義体質が、それを阻んだ。
 ウルバニ医師は、これが新しいウィルスによるものであることを確信していた。そのことをWHOの関係者やベトナムの保健政策責任者に説き続ける。しかし、病原や詳しいメカニズムに関して特定するには、時間も情報も不足していた。結局、この患者は、より高度な医療を求め、香港へと搬送されてしまった。しかし、ベトナムにおけるSARS流行は、まさにこの瞬間に始まったのだ。
 程なく、医療スタッフの中から、不調や不安を訴える声が出始めた。そして彼らに、最初の患者と全く同じ症状が現れ始めた。これで病原がウィルスであり、しかも人に感染することが確定的になった。ウルバニ医師は既に取り始めていた院内感染対策を徹底すると共に、患者の聞き取り調査を行い、彼らが最初の患者のごく近傍に接近していた事実を突き止めた。空気感染の懸念は薄れたが、飛沫感染である可能性は強まった。こうしてウルバニ医師が整理した情報は、後にSARSを制圧してゆく過程で大きな意味を持った。
 未知の病気に見舞われたスタッフは、パニック寸前に陥った。それを食い止めながら、ウルバニ医師は国家への働きかけを続けた。当初、ベトナム保健省は事態を軽く見ていた。単なるインフルエンザの変種だろうと見ていたのだ。しかし、ウルバニ医師は、必死に説得を続ける。ここで食い止めないと、流行は爆発的に広がり、手の打ちようが無くなるのだ、と。彼の粘り強い説得が功を奏し、ベトナム政府は国を挙げての感染拡大防止に乗り出した。病院は閉鎖され、既に感染の疑いが濃い患者から隔離されていた一般患者も転院させ、外部との接触を絶った。またウルバニ医師の助言に基づく二次感染対策も徹底された。その結果、やがてベトナムでは感染が食い止められ、いち早く制圧に成功したのだ。WHO側からすれば、国家主義の壁を熱意で乗り越えての勝利、ということだろう。しかしベトナム側から見れば、感染症との闘いに豊富な経験を持つベトナムの国家レベルでの正しい指針の勝利、というところになるのだろうか。
 WHOの診断基準のための骨格となるデータを提供するなど、計り知れない貢献を果たしたウルバニ医師。しかし彼自身も、感染から逃れることは出来なかった。あまりに患者たちと接触しすぎていたのだ。彼はタイに出張という形で出国したところで発病が明らかになり、隔離先の病院で死去した。
 彼の命がけの貢献が無ければ、SARSの流行という事実は発覚が遅れ、さらに診断基準も整わぬゆえに爆発的流行を食い止めるすべが無かったかもしれない。
 もう一人のイタリア人、マルコ・パンターニの死の報に接した夜、別のイタリア人の死に様を知るというのも、奇妙な偶然に思えなくは無い。
 現在、SARSの病原と特定されたコロナウィルスの変種には、ウルバニ医師の名が冠されている。

パンターニ逝く

22時30分 自転車

 夜、いくつかの自転車系個人サイトを見て回っていたら、『パンターニが死んだ』というショッキングなニュースが飛び交っていた。特に詳しいのは、いつものようにNacoさんのトクダネページ。亡くなった状況からすると、自殺が疑われても仕方ない状況だが、薬物の過剰摂取などの事故の可能性もありうる。少なくとも他殺の可能性は消えたようだ。
 今年に入って、いや去年の段階から既に、パンターニは事実上引退同然の状況にあった。モチベーションを維持できない、という本人周辺からのコメントも漏れ伝えられていた。ここ数年は、チームや当人周辺のトラブルに引きずり回され、思うようにレースに集中できなかったように見えていた。ダブルツールという偉業を成し遂げた反動か、世間の耳目が彼に集まっていたわけだが、豪放そうな外見と裏腹に、実は繊細だといわれる性格の彼には、ノイズの多い環境は耐えられなかったようだ。彼がもう少し運に恵まれれば、アームストロングのツール・ド・フランス連覇だって難しくなっていたはずだ。
 今は捜査の結果を待つしかない状況だが、パンターニをレースに集中させることが出来なかったイタリアの自転車関係者は、きっと後味の悪い思いをしていることだろう。
 さようなら、マルコ。あなたは人生最期の頂上ゴールを決めてしまったのだね。

2月の荒川サイクリング

22時10分 自転車

 今日は、吉例荒川サイクリングの日。1月の時は体調不良で出られず、さらに昨日もインフルエンザの余波で復調しきってなかったので走れず、今日はその鬱憤を晴らすべく少し走りたかったので、参加することにした。
 参加宣言にはTCR-2で出ると書いた。Tarmacの到着予定が3月で、次回の荒川ではTCR-2がフレームだけになっている可能性があり、ならばこれが最後の機会と思って連れて行くことにしたのだ。ところが、ふとサイクルベースあさひを確認すると、入荷予定が5月になっているではないか! これは当面届かんなと思い直し、体調が万全でもないことを勘案して、BD-1での参加に急遽あいなった。
 今日は浮間舟渡まで行くつもりは無く、赤羽から最初の休憩ポイントで直接合流する腹積もりだった。7:30くらいに地下鉄に乗れば、東海道線で東京、京浜東北線で赤羽と乗り継ぎ、9:00には赤羽に出られるはずだ。
 赤羽で降りたのは9:00前。BD-1を展開し、荒川へと向かった。まだ浮間舟渡は出てないだろうと睨み、途中合流の可能性を横目に、浮間舟渡までの遡上コースを取った。
 荒川は、やはり広くて走りやすい。特に上流に近いこの辺りは、下流のグラウンド沿いの区画のような惨状はなく、静かなものだ。のんびり走っていたら、前をロードっぽい自転車に乗った人が走って行くのに突き当たった。無理に追い抜くのも嫌なので、少しずつ距離を詰めながら寄って行くと、おや、この自転車は小径車だ。それどころか、乗っている方に見覚えが……。なんと、先週お会いしたばかりのオオタ氏だった。少し遅めに起きたので輪行するつもりだったのだが、面倒になって自走してきたのだという。
 オオタ氏と肩を並べ、さてどこで合流するかと思いつつ走っていったのだが、結局は浮間舟渡を出発直前に滑り込むことに成功した。しかし、当然のことながら、即座に出発する羽目となった。
 今日はカラッと晴れ上がり、暖かな日になった。南下する道中、あまりに暖かいので汗ばむほどだった。今日は参加して良かったなと思った。
 中洲に渡ってからの道は、いつの間にか整備が進んでおり、意味あるのかよと思っていた真ん中の未舗装区画が、いつの間にか舗装されていた。中川水門を過ぎ、葛西橋を過ぎたところで、なんと集団で道を間違え、行き過ぎてしまった。マモル氏とおしゃべりしながら走っていたせいもあるのだが、先ほどもいったように道の整備が進み、前と状景が変わっていたために、ついつい葛西橋への入り口を見落としてしまったようだ。
 昼食時、おの氏の発案で集合写真が撮られた。集合写真が撮られたということは、かなり人数が多かったのだろう。
 解散後、東京組について日比谷公園まで走り、そこから東京駅に出て、輪行で帰還した。
 今日は天気にも恵まれ、気持ちいいサイクリングが出来た。

2004年02月14日(土曜日)

まだいまいちなり

22時56分 自転車

 朝6:00に起床。今日は三浦半島を走ってこようと思っていた。しかし、起き抜けに咳が何発か出る。しかも胸の奥になにかが残っている感じの奴をだ。ううむ、これは無理しない方がいいか。来週末には俺様主催の湯河原梅見ツーリングが待っているし。
 昼頃までゴロゴロして、さすがにゴロゴロにも飽きてきたので、外に飯を食いに出かけた。またしてもCoCo壱番屋でシエル先輩のごときしつこさでカレーを食す俺様だった。今日は2月一杯というグラタンカレーに、チーズとベーコンをトッピングしてみた。なんか、凄くしつこい味になったな。
 帰路、ダイクマに立ち寄り、ふとホットグルーガンを買った。ぴったりのねじが見つからなくて、なんちゃってランドナーのキャリアに取り付かないリフレクターフラッシャーを、コイツで取り付けちゃおうというわけだ。強度は大丈夫かな?
 今日もEPIC号で出かけたのだが、ポジションを気にしながら走ると、ハンドルが近すぎるのに気づいた。後、2cmは離したい感じだ。もしかしたら、ロードポジションに慣れて、そう感じているだけかもしれないが。しかし、ハンドルを引きつけにくい気はしていたので、もう少し長いステムを試してみる価値はありそうだ。

2004年02月13日(金曜日)

やっと治りかけだば

15時57分 暮らし

 1週間は苦しめられてきたこの風邪も、やっと収まってきた。喉の痛みはすでにほとんど消え、まだ痰が少し残っているかなという程度。その痰が絡んだ咳はたまに出るが、それで胸が痛くなるということも無い。また熱もほとんど消えたようだ。ああ、やっとこの週末は走れそうだ。
 このインフルエンザ、聞くとは無しに聞いていると、周囲では2種類の症状に立て続けに見舞われる人が多いようだ。まず腹に来て、それから喉に来るとか。僕もかかり始めの頃は胃腸が重かったから、やはり同じ症状を体験したようだ。
 今回の新兵器は、ユニチャームの超立体。マスクなのだが、顔にぴったりフィットして、なおかつ口の前に空間ができるようになっているので、息苦しさも、マスクを回避しての給排気も少ないのだ。もともとは花粉症対策に買って、この間の二ノ宮往復のときに使ってみたのだが、息苦しさも無く、またサングラスの曇りも案外に少なかったので、すっかり病み付きになっていた。今日はさすがに風邪ということで、花粉症用ではなくて風邪用のものを装着したのだが、こちらは厚手の不職布で作られているため、少し息が詰まる。しかし、花粉症用はそういうことがまったく無い。
 難をいえば、着けている様子が、まるきし変態仮面にしか見えないという点だろうか(爆)。さすが生理用品のメーカー、ショーツを被って研究していたのか、と納得できる(するな)。まあ、怪しさも快適さとのトレードオフと考えれば。

2004年02月12日(木曜日)

EPIC号のタイヤを替えました

17時28分 自転車

 去年の南会津から一度も乗ってないEPIC号。うちで一番高いバイクなのに、これは勿体なさすぎる。というわけで、今年に入って一度も乗ってない自転車愛護月間の始まりだ(いつの間に始まったんだよ)。
 EPIC号は南会津の時のオフロード装備のままだった。このまま円海山辺りを走ってこようと思いつつ幾星霜。このオフロード装備のままだったのが、EPIC号不稼働の主因だったのだ。というわけで、早速スリック+ロード用スプロケの街乗り装備へと戻すことにした。
 今まではパナレーサーのT-Serv1.25を使っていたのだが、これがもうサイドがほつれることほつれること。ある程度ほつれれば落ち着くものの、いつサイドカットしてしまうかと心配になってしまう。そこで、今度はIRCの新型タイヤ、スムージー1.25に履き替えることにした。このタイヤ、T-Servに較べると、やや幅があるようだ。圧も5PSI程度だが多く入る(Max95PSI)。
 早速この新街乗り装備で藤沢の東急ハンズまで走ってこようと思い、たっぷり着込んで出かけた。
 走りは、どうかなあ。T-Servとそんなに変わらないような気がする。体調が万全じゃないせいもあるだろうが、少し重い気もする。まあ、もっと距離を乗ってみなければ分からないか。サイドが切れやすいかどうかも含めて。
 ハンズに行こうと思ったのは、新しいバーエンドを買おうと思ったからだ。このEPIC号、どうにもダンシングがやりにくい。原因は何だろうと思っていたのだが、ハンドルが広すぎるような気がしていた。そこで今日、あらかじめ買ってあったリッチーの軽量アルミのストレートタイプに替えようと思い、いちおうサイズを測ってみたのだ。すると全幅530mm。これはBD-1と同じ程度だ。BD-1でダンシングが難しいと思ったことは無いのだが。すると単純にハンドル幅の問題ではないのだろうか。そこで気がついたのが、BD-1とEPICとのバーエンドの形状の違いだ。BD-1のものはエンド部から外側への突き出しは無いのだが、EPICのものは5mmほど外に突き出している。この差がダンシング時のポジションに影響しているのだろうか。ならBD-1のようなタイプのバーエンドに替えようかと思い、ハンズに立ち寄ることにしたのだ。
 だが、境川へと向かう裏道で、もう一つの要因に気づいた。Qファクタが広すぎるのだ。そういえば、EPICのBB軸長は、手持ちのバイクの中では最長だ。だとすると、これに関しては打つ手がない。チェーンラインを適正に保つためには、今のBB軸長を縮めることは出来ないのだから。ちょっと、考え直した方がよい。結局、湘南台でリターンする事になった。
 手元のSPDシューズはどれも、Qファクタが最小になるようにクリートをセットしてある。故に、これからさらに縮めるというのは難しい。これは少し困った。Qファクタが広い場合、ハンドル幅もそれなりに広い方が安定するのだろうか。悩ましい問題だ。

ついに会社を休む破目に

17時05分 暮らし

 昨夜からの絶不調状態は朝になっても治らず、ついに会社を休むことにした。熱まで出てはやりきれぬ。いつもあっさり休む僕だが、今回は妙に粘ったな。
 熱はなんとか日が高くなる頃には収まってきたが、やはりポツポツと出ることがある。しかし、喉の方はかなりよくなってきて、ダミ声はかなり解消されて来たし、声を出すのも支障がない程度になってきた。あと一息だな。などといいつつ、ここからドツボにはまる運命が待っていたりしてな。そういうものだ、人生は。

2004年02月11日(水曜日)

せっかくの休みもインフルエンザにしてやられる

20時59分 暮らし

 今日は水曜日にぽつんとある休み。最近は連休ばかりなので、こういう休みはかえって珍しいな。
 出来れば遠出したかったが、インフルエンザが余計悪化してきたので止め。なんと熱が出てきたのだ。それも高熱ではなく、ちょっと熱っぽいかなという症状が、ポツ、ポツと出るのだ。嫌がらせのような症状だ。
 気力があれば1号機にVine2.6r3辺り入れたかったが、寝たり起きたりしていたのでそんな気にはなれなかった。本当、困るよ、この症状は。

2004年02月10日(火曜日)

さらにやられ中

22時52分 暮らし

 朝一で吉野家に立ち寄った。おそらく、今日の夜には当面最後の吉牛を求める客で一杯だろうと見て、この時刻に襲ったのだ。最後の吉牛は、清く正しい並、味噌汁、卵。この独特の風味も、しばらくは味わえないわけだな。
 さてさて、のどの痛みはまだ続く。声が出ないのは相変わらずで、人と会話することが困難だ。熱が無いのが助かる、と思っていたのだが、時々発熱するようになって来た。イヤン。
 こうなると、残業などやってられないので、今日は定時で退けた。

2004年02月09日(月曜日)

インフルエンザにしてやられ中

14時28分 暮らし

 一昨日から続いているインフルエンザだが、だんだんひどくなってきた。熱は出ないので油断していたのだが、喉がやられてしまい、ろくに声が出なくなってしまったのだ。無理に声を出すと、なんともアダルトな濁声になってしまう。親仁みたいでいやん(いや親仁だけどさ)。
 薬を飲んで、布団で丸まって汗をかいて、ってのは、熱を下げるには有効なのだが、喉には有効ではないようだ。冷たい外気を吸わないようにマスクをしておくしかないようだ。
 これが長引くと嫌だな。

2004年02月08日(日曜日)

NHKスペシャル

23時09分 テレビ

 昼ごろ、まあ近所を走るくらいならと思い、TCR-2で湘南台に出てきた。近所の吉野家で済ませようと思っていたのだが、これがびっくりするような混雑振りだったので、諦めたのだ。多分、吉牛最期の日を前にした駆け込み需要だろう。
 湘南台で湘南家のラーメン(びっくりするほど美味くは無いが、なぜか通ってしまう店)を食ったら、外の冷気で更に喉がつらくなっていた。さっさと帰宅して、また布団に横になっていた。
 21:00からのNHKスペシャルを見た。今夜のNHKスペシャルは見ていて面白い自然科学もの。「探検 溶かされた大地 ~謎の洞窟に原始の命を追う~」
 メキシコの中部を流れる川の支流の一つ、この源流にある洞窟が、世界中の生物学者たちの注目を集めている。この洞窟から流れ出ている細い川は、なぜか白く濁っている。実は、この川には大量の石灰が含まれている。この一帯は、かつては浅い海の底で、大量の貝(牡蠣の仲間)の死骸が降り積もり、それがやがて岩となった地層で出来ているのだ。その豊富な石灰は、川のあちこちに、鍾乳洞に見られる棚田のような地形を作り出している。
 川の源流は、全長500mほどの洞窟に繋がっている。内部は有毒の亜硫酸ガスに満たされており、マスク無しで足を踏み入れるのは危険だ。マスクは有毒物質を吸着するようになってはいるが、フィルタは2時間程度しかもたない。
 洞窟は内部で細かく枝分かれしており、そこここに異様な地形を形作っている。入り口付近にあるのは、まるでなにかに溶かされたような、鋭いナイフのように尖った部分を持つ岩肌だ。また表面がペースト状のものに覆われた岩肌も、更に奥へと行くと見えてくる。岩を溶かしたものの正体は、小さなバクテリアたちだった。この洞窟には亜硫酸ガスを取り込んで、硫酸を排出するバクテリアが生息している。彼らが作り出す強い硫酸が、岩肌を溶かしていたのだ。そのバクテリアが糸状に連なって出来る、異様なものも見つかっている。
 これらのバクテリアはどこからやってきたのだろう。亜硫酸ガスを代謝して硫酸を排出するようなバクテリアは、地表には見当たらない。このバクテリアには、おそらく酸素は活性が高すぎて、有毒なのではないかと思われる。
 実は、このバクテリアは、地中奥深くの岩盤に潜み、地下から噴出する亜硫酸ガスと共に現れたものなのだ。洞窟を満たす亜硫酸ガスは、洞窟内に多数存在する穴から、多くは水と共に噴出している。地殻の奥深くには、マグマから湧き上がってくるガスを代謝して生きる微生物が、多数生息していることが分かってきた。これらの生物の総質量を推定すると、地表に住む生物全体の数倍というとてつもない値が示されている。彼らは、まだ酸素濃度が高くない原始地球に生まれ、葉緑素を獲得した藻類によって酸素濃度が急上昇すると主に、地球の奥底に封じ込められていた微生物たちなのだ。そもそも、生命が誕生したのは、比較的環境の安定した近くの奥底だという説もある。
 洞窟内には、このバクテリアを基底にした生態系が築かれている。洞窟内を流れる川には、洞窟外の下流にも見られる小魚が住んでいる。しかし、洞窟内のそれは、酸素濃度が低い洞窟内の水質に適応した、ヘモグロビンを多量に持つ種類だ。またその小魚を食すウナギの仲間までいる。生息数はごく少ないようだが、これも洞窟内の環境に適応したものだ。蚊やこうもりも生息している。
 洞窟の最深部は、亜硫酸ガスの濃度が特に高く、研究者たちも数えるほどしか足を踏み入れてなかった。ここに入るには、マスクでは能力が不足しており、外部からボンベで空気を供給する型のマスクが使われる。
 そこは濃い亜硫酸ガスが岩の表面に硫黄を析出させ、花畑のように広がった空間だった。美しくはあるが、さりとてマスクを外せば人間は長くは生きていられない。人間にとって苛酷な環境ではあるが、そこに住む生き物たちにとっては、まさに楽園なのだろう。

Nucleusを導入しました

15時27分 インターネット

 金曜の夜から、いまいち体調不良だった。昨日のツーリングの間は安定していたのだが、やはり体に響いたのか、帰宅してから咳が出るようになった。というわけで、インフルエンザ決定。前に胃腸がハングアップした件は、もしかしたら食中毒の類だったのかもしれない。
 これはダメだと思い、布団でゴロゴロしながら、わざと汗をかいて発熱を促進する作戦に出た。熱は一時だけ上昇したが、その後はほぼ平熱のままだ。汗をかなりかいたせいか、それほど症状は悪化させずにすみそうだ。が、喉が既にやられており、この点がつらい。今日はどこにも出られないなと思った。
 そこで、新ドメインの立ち上げ作業に着手した。CMSは新進のNucleusに決定。日本語関連の資料も整備されつつある。ロリポップサーバにもユーザがいるので、運営には問題無さそうだ。MovableType(以下MT)がPerlベースなのに対し、NucleusはPHPベースになっている。片手に数えられる程度のソースを読んで比較した印象だが、Perlが汎用性が高すぎてごちゃごちゃしたコードになりやすいのに対し、PHPは割りと読みやすいソースを書きやすい傾向を感じた。まあ、Perlの場合は自然暗号化効果という難物も関わってくるが(爆)。達人の書いたPerlコードは、素人の僕には暗号と変わりまっしぇん。
 しかし、MTがBlogのトレンドリーダーという感じで、新しい規格の先頭に立っているのに対し、Nucleusはちょっと遅れをとっている感じがする。でもNucleusの開発速度もそこそこ上がっているようだし、人的資源も増えているようなので、プラグインが使いやすそうなこちらに決定した。実際にはMT以外でとなると、これが最右翼になってしまったわけだが。
 まずはレンタルスペースの設定を案内メールやウェブのヘルプを参照しながらやっておいた。必要十分な情報が揃っており、好感が持てる。ロリポップサーバ、なかなかいいようだ(でもやはり名前は何とかならぬものかっ)。
 次にNucleus CMS Japanを参照しながら、Nucleus2.0日本語化バージョンをダウンロード、設定する。サクサク進んで、1時間後にはほぼ完璧に動いていた。PHPとMySQLが標準装備なレンタルスペースなので、悩む部分が無かったくらいだ。インストールしたきりの状態ではコメント機能しかないので、TrackBackを実現するプラグインを探し出す。最初、TrackBackは標準装備だろうと思い込んでいたのだが、実は2.0では未実装だったのだ。2.5では実装されたらしいので、TrackBackをうまく移行できるか、少し不安だ。そもそも、TrackBackという思想そのものに疑問を持っていた(だって、インターネットにリソースを持っている人同士にしか意味が無いし、その意味では新たなデジタルディバイドの元といえるかもしれない)のだが、ならコメント機能も付けちゃえばいいじゃないかと気が付いたので、ミーハーな俺様は早速手を出したわけだ。ついでに、コメント機能も、標準ではコメント画面へのリンクを出しているだけなので、コメント入力エリアも表示させてしまうプラグインを入れておいた。でもちょっと表示がうるさいかな。もしかしたら、実際の運用では消すかも。
 後はpermalinkくらいは付けたいところだ。しかし、それですぐ公開というつもりは無い。まだまだNucleusの全貌を掴んでないのだ。いろいろ遊んで、新しいウェブページのデザインをして、それから公開という流れにするつもりだ。3月には公開できるかなあ。
 ここにBlogを移しても、旧ページはSouth of Heavenに残しておくつもりだ。
 最後はおうちサーバに集約してしまうかもしれないが。

2004年02月07日(土曜日)

プロバイダいろいろ止め

23時29分 インターネット

 今日のツーリングで、出掛けにドタバタというのは、実はAOLを止める手続きではまっていたからに他ならない。
少し考えて、結局はwakwakは止め、@NIFTYは最近フォーラムに行ってないので年末のFSFチャットまでは休止することにし、それぞれ手続きを取った。
 それでふと思い出したのが、AOL。遥か昔に入って、それっきりで使わないまま、1000円/月ずつ取られている。これも止めちゃえ。
 アカウントも何も分からなくなってはいたが、まあ課金しているカードの番号さえ分かれば何とかなるだろうと思い、電話してみた。wakwakも@NIFTYもオンラインで停止/退会できるのだが、AOLは電話しないとダメなのだ。明らかな退会防止策だね。機密保護を理由にするのなら、入会手続きに関してもオンライン不可にしなければ理屈に合わない。
 んで、オペレータ嬢としばし話す。結局、本人確認のために、どうしても住所を言わないといけないようだ。しかし、入会当時の住所は古すぎて、手元の記録に残ってない!
『今月の課金は停止しますので、その間に調べて再度手続きしてください』とのことになった。まあ、成りすましで他人のアカウントを停止できるのはまずかろうから、妥当な処置といえなくも無い。しかし、えらい昔の住所なので、調べても分かるかどうか.....。
 こうなれば、直接昔のアパートに出向いて、調べてみるか。しかし、もうアパートが取り壊されてたりしてな。

オオタ氏のCrusoe試走ツーリング

22時49分 自転車

 ここ数回、ママチャリで荒川サイクリングに参加されていた、オオタ氏が、新しい自転車を遂に手に入れた。モノはBike FridayのCrusoe。なのだが前後ホイールが451だったり、ドロップハンドルだったり、ノーマル仕様からはかなり変えてあるのが特徴だとか。そのお披露目を兼ねて、試走ツーリングに行きませんかとマモル氏に誘われた。
 今日はBikeEで出かけようかと思っていたのだが、出掛けにドタバタしてしまったため、時間が押し詰まり、しばらく乗ってなかったBikeEのメインテナンスに時間を割けなくなった。やむなく、いつでも持ち出せるTCR-2で出動の運びに。なんか、これとBD-1しか乗ってないような気がしてきた。
 長後街道をひた走り、11:00前後に戸塚駅西口に到着。既にマモル氏、オオタ氏共に待っていた。オオタ氏のCrusoeは、マモル氏が乗ってきたPocketRocketと一目では区別がつかない(そりゃデカールには"Crusoe"ってでっかく書いてあるが)。しかし良く見ると、フォークやシートステイに違いがあるなど、細かな相違点を見つけ出すのは容易だ。輪行も簡単そうだし、BS-Moultonとどちらが小径スポーツ車として楽しめるか、なかなか選択に迷うところだ(って買うのかよ)。
 まずは柏尾川沿いに下ってゆく。BikeEでの出動をためらった理由の一つが、柏尾川サイクリングロードに散在する車止め。どうもリカンベントでは通り抜けに苦労しそうな気がするのだ。まあ、気楽(安楽ではなくて)に走るには、機敏に重心移動できるアップライトの方が好きなのだ。
 途中、藤沢を過ぎた辺りにあるパン屋で昼食を仕入れ、裏道経由で江ノ島へと抜けた。ヨットハーバーに出る。風が強いので、突端のひな壇(?)はやめて、ハーバー根元にある東屋で食事する事にした。ここは自販機があり、トイレも水場もあるので、休憩するには非常にいいところだ。また冬季は窓が密閉されるので、風も完全に防げるのだ。今日はかなり風邪気味(いや明らかにインフルエンザだ)なので、風を凌げるのは助かる。
 パンを食べながら、2台のBikeFridayを持ち込んで、あれこれいじったり比較してみたりした。ここに来るまでに、オオタ氏のCrusoeはハンドルの位置を上げたり、前変速機を調整したりと、細かく調整していた。さらに細かい調整を試みたりもした。
 大きな違いとしては、シートステー(ポケロケ:ウィッシュボーン、Crusoe:ストレート)、折り畳み時のリアフレーム挿入方向(右、左)、シートパイプ折り畳み角度(Crusoeの方がより大きく右に倒れる)、フロントフォークの形状、などがある。シートステイ、フロントフォークの相違点以外は、全て最近のBikeFriday共通の改良かもしれない。
 自転車を眺めて楽しんだ後は、来た道とは違うルートで境川を遡っていった。途中、飯田牧場に立ち寄った。いつの間にかホットのカフェオレなんか始めていた。冬場はいいかも。
 オオタ氏は奥方が相模原市に来ているとかで、合流のために湘南台で輪行することになった。僕とマモル氏はそれを見送り、ダイエーに立ち寄るためにマモル氏とも別れ、ダイエーの88円均一コーナーでドリップ式コーヒーを買って帰宅した。
 ううむ、買うならポケロケで決まりかと思っていたのだが、Crusoeでも十分かもしれないなあ。
オリンピック記念碑の前にて

2004年02月06日(金曜日)

ドメイン取ってレンタルスペースも借りたナリヨ

09時32分 インターネット

というわけで(どういうわけよ)さくっとドメイン取って、レンタルスペース借りました。モノはやはりロリポップサーバで借りました。200MBが\250/月。安いなあ。
ドメインの方は、やはり同じ会社が運営しているムームードメインで.infoなのを取りました。.tvも取れたのだが、やがて太平洋に沈むかもしれないツバルの国名コードを使うのは、なにか気が退ける。ツバルが消滅したら、この国名コードはどうなるのかね。
というわけで、これは気兼ねなく使える.infoなgTLDを取ってみた。取ったドメインはまだ秘密。3月に公開できるかな、というところ。
さて、適当なCMSを探さないと。漠然とMovableTypeは避けたいと思っているのだが。

2004年02月05日(木曜日)

新しいドメインとサーバと

00時00分 インターネット 天気:快晴

 そろそろ、Bigのサーバーも手狭になってきた。wakwakはアクセスプロバイダとしても使ってないし、旧ホームページのURIが廃止になったので、切ってもいいかと思う。airnetは今のアクセスプロバイダなので、これは手放すつもりは無い。容量無制限(申告必須)なのはでかい。@NIFTYは予備のアクセスプロバイダとして保持しておきたいし、またフォーラムにアクセスすることも稀にあるので、これも残しておこう。iij4uもメールアカウントを保持したいので、残しておこう。
 整理すると、airnetと@nifty、iij4uは残し、wakwakは切る。それで、Bigはどうするかということになる。新しくレンタルスペースを確保するか。
 調べてみると、ロリポップサーバというのがなかなか安くて快適そうだ。名前は勘弁してください(真っ先にアクセスフィルタに引っかかりそう)だが、レンタルスペースのドメインは、たくさん用意されている中から選べるようだ。プロバイダは水商売みたいなところがあって、長期的に安定しているかどうか見極めは難しいが、ここに関してはそれほど悪評は聞かない。値段が値段(250円/月)なので、さくっと借りてみて試用してみるかという気になっている。
 ところで、このプロバイダでは、ムームードメインというレジストラサービスも営んでいて、これが770円/年とかいった目を疑うような安さなのだ。昔(といってもほんの5年前)には1万/年でも安いくらいだったのに、今はこれか。これなら、ドメイン取っちゃうのもいいかも。欲しいドメインは、不人気の.infoなgTLDなら選り取り見取りだ(なんで不人気なんだろうね、.info)。
 うーん、レンタルスペース込みで4000円/年という値段なので、悩むよりさくっと取っちゃえという気がする。しかし、そこになにを載せるか。適当なblogツールを使いたいが、大流行(というか他のものはほとんど見ない)のMovableTypeはできれば避けたい。あのいかにもMT使ってますというルックスが気になる。テンプレートをいじりまくれば自由に変えられるんだろうが、手間はかけたくないしな。というわけで、他のCMTを探してます。日本語のことを考えたら、MT以外には望み薄そうなのだが......。
 ともあれ、おうちサーバのことを考えたら、ドメインは取っておいても良いかもしれないな。

2004年02月04日(水曜日)

今夜もローラー台

00時00分 自転車 天気:晴れてますね

 やや暖かな日だった。今夜くらいはナイトランしようかと思いつつ帰宅したが、帰ると出るのが億劫で、結局はローラー台で汗をかく夜になった。タイヤが温まるまではかなりでかい音を立てるので、あんまり早くは回せないのだが。
 風呂に入って頭を洗うと、最近取り付かれている目のかゆみが嘘のように取れた。やはり花粉症が始まっているようだ。土日と元気良く走り回ったツケが回ってきたのだろうか。甜茶を毎日飲んでいるので、あんまりひどくならない、といいな(希望)。そろそろ、外を走るときに使えるマスクが欲しくなってきた。

2004年02月03日(火曜日)

吉牛の最後まであとわずか

00時00分 暮らし 天気:いいよ

 いや別につぶれるとかそういう話じゃなくて。
 他の大手がそろそろ牛丼販売取りやめに踏み切りつつあるので、当面はこれで最後と思い吉野家で牛丼をかっ食らう。特盛りは既に販売中止になっていて、並と大盛りしかない。大盛りはコストパフォーマンスが悪いし、並じゃ足りないので、牛鮭だ!(いやそんなエクスクラメーションまで付けんでも) 牛鮭も、多分販売中止になるんだろうな。悲しいことだ。
 牛丼最後の日まであとわずか。販売中止になったら、新メニューを試してやろう。でも、そんな魅力的でもないんだよな、これが。

2004年02月02日(月曜日)

ベイジアンフィルタの威力を味わう

21時00分 インターネット 天気:雨っぽい

 アメリカのスパム規制法の影響か、去年後半辺りから英語圏からのスパムが激増している。iij4uが標準装備しているメールフィルタを使って、スパム到着率を半減させてはいるのだが、半減では全然間に合わない感じになってきた。単純なキーワード方式では、もうやってられない。ということで、先週終わりに、流行のベイジアンフィルタを導入した。
 最初は、POPプロキシになるタイプを入れようと思っていたのだが、良く考えるとMozillaには標準で搭載されているではないか。他のフィルタとの比較記事を読んでも、かなり高い評価を受けているようだ。今の環境を換えなくて済むというのは大きい。
 早速、
もじら組
を参照して、フィルタをonにした。というか、元からONなのだが、スパムにJunkマークを付けて、フィルタロジックを鍛えるというのを全くやってなかったので、そこからはじめる事になる。
 過去、Deleteしてきたスパムメール全てにJunkマークを付け、スパムを待ったが(これはすぐ来るので、実験は簡単だ)、Junkに分類される気配が無い。良く考えると、過去受け取った膨大なメールの全てを、非Junkとして扱ってきたわけで、フィルタロジックもそうなっているわけだ。これはリセットしないと。profileが入っているディレクトリにtraining.datというファイルがあるので、これを消去した。さらに残している全てのスパムメールにJunkマークを付ける動作を繰り返し、さらに非Junkなメールもフィルタでチェックさせてみた。この上でスパムメールを待つと......。をを、ちゃんとJunkとして振り分けられた。
 初期段階では取りこぼしが多かったが、Junkマーキングをマメにやっていると、みるみるうちに振り分け効率が上がってゆくではないか。既にほとんど取りこぼしは無い感じだし、逆の過剰取り込みはまだ1件も無い。
 スパマーが良く使うベイジアン回避の方法(無関係な文字列を大量に挿入するなど)も、実はあまり貢献してないようだ。非英語圏ゆえに、英文メッセージは全てスパムとみなして間違いないというのも大きいかも。
 こんな簡単なら、早く鍛えておけばよかったよ。

地下鉄止まって俺様大弱り

10時00分 暮らし 天気:雨っぽい

 朝、いつものように地下鉄に乗り込んだ。ヘッドホンで朝っぱらから聞くには妙に重い音楽(Rainbowとかな)を聞きながら発車を待っていたのだが。一向に出る気配が無い。はて、この便は時間調整などしないはずだが。
 そのうちに、アナウンスが入り始めた。いわく、『弘明寺駅にて人身事故があり、列車の運行を見合わせている』と。動くのが面倒だったので、それでも3分ほどは待ったが、やがて『振り替え乗車券を発行します』とまでアナウンスされ始めた。これは、すぐに再開される状況ではない。困ったことに、今日は引越し直後なので、早く会社に行って荷物を開梱しなければならない。幸い、戸塚まではバスが何系統も走っているはずだ。
 物凄くごった返している改札で振り替え乗車券と遅延証明書をもらい、すぐ傍のバスターミナルで戸塚行きに乗り込んだ。当然、バスは満員で、待ち行列も長かったが、一本待つと座ることが出来た。しかし、捕まえたのは、汲沢経由の遠回りな便だ。まあ、今日は仕方ないか。職場に電話して、事情を話しておいた。
 バスは、一度南向きに走る。かまくら道の、立場から南の区画だ。途中、こんな店があったのか、といったような店舗も散見された。そういえば、この道を走ったことは無いな。
 やがて、やたら広い野原のような場所に、大きなアンテナが突っ立っている場所に出た。米軍の深谷通信隊基地だ。プロアトラス航空写真を見ると、大型のアンテナの周りを、あたかも対空陣地のような構築物が取り囲んでいるのが分かる。その正体がなんなのかいまいち不明だったが、今朝見た限りでは小型のアンテナ群のようだ。お互いに干渉を避けるために、まるで対空陣地のような配置になったものと思われる。
 やがて進路は東向きに変わり、気がつくとR1に合流し、やがて戸塚バスセンターに到着した。うちの職場の前には止まらないのね。
 意外に発見が多かったので、来週辺りにこの辺をポタってみようかな。

2004年02月01日(日曜日)

みなとみらい線開通記念ポタ

00時00分 自転車 天気:いいんじゃないか

 金曜日に東急の横浜~桜木町間が廃止され、土曜日に切り替え工事、そして本日2/1に、地下鉄みなとみらい線が開通した。そこで、このみなとみらい線の各駅を回るポタをやろうではないか、ということになり、にち氏、hai氏と横浜で落ち合うことになっていた。ところが、9:00起きのはずが、目覚めると既に10:00前。これでは集合時間に間に合わないと思い、神奈川支部の掲示板にその旨書いておいた。
 輪行の可能性を考慮して、乗車はBD-1に決定。最近、稼働率が高いな。メッセンジャーバッグを背負って、立場駅へと急いだ。
 立場駅で輪行準備をしていたところ、携帯電話に入電があった。相手はマモル氏だった。なんでも、今日の本来の予定をキャンセルしたので、ポタに合流したいとか。それで、どうせ遅れてゆくなら、一緒に自走で行こうと誘われた。が、なにせ昨日の階段降りの疲労が膝にたまっており、あまり走りたくは無かったので、それは断った。マモル氏とは現地で適当に合流しようということになった。
 横浜に着き、既に集合時間を過ぎていたので、にち氏に電話してみたところ、既にMyxに移動しているとの事だった。では、次の新高島駅で合流しようということにした。
 平沼橋を越え、廃止となった東急桜木方面の線路を潜り、おぼろげに記憶していた新高島駅の辺りに出ると、にち氏とhai氏が待っていた。新高島駅の入り口を記念撮影。なにせ地下鉄ゆえ、地下への降り口があるきりなので、いまいち感動が無い。
 線路はみなとみらい(の地下)を走り、次はその名もみなとみらい駅だ。これはQueen's Squareの地下に設けられており、深い吹き抜けを通して、列車が発着する様が見えるというデザイン。印象的な光景だ。しかし、ものすごく深くまで降りなきゃならないのも、一目で分かる。確か新型車両は6編成程度しかないとかで、ほとんどは東急の車両が直接乗り入れているもののようだ。事実上、東急の延長路線というべきか。
 ここでお昼にしようということになり、ワールドポーターズに入っているパン屋で何がしかの買い物をする。実は、地下鉄で横浜に向かう間、やはりパン食で遅い朝食を済ませていたので、ここではソーセージを巻き込んだ揚げ物、クロワッサンだけを買った。飲み物はポーターズ前の観覧車の足元で買い、臨港パークの芝生の上で食べた。なにせ少し小高い丘の上だったので、少々風が堪えた。
 次に目指すのは、馬車道駅。これも出口だけではなんなので、降りてみると、ちょうど改札の前で音楽イベントが開かれていた。
 次に日本大通り駅。山下公園の間近なので、東京方面からこの辺に来るときには便利そうだ。が、横浜西部在住の僕には、ほとんど縁が無さそう。
 終点の元町・中華街駅は、かなり長い地下通路で繋がれているようで、駅名通りに中華街から元町まで出口が分散している。どの口も人が激多で、特に元町のそれは、見物がてらに入り込むのさえはばかられる状況だった。
 その後、にち氏の案内で、ここがお気に入りというイタリア山公園へと向かった。良く手入れされた、小高い山の上にある公園だ。コーヒーハウスで一息つける。住宅地にあるため、規制により閉店、閉園共に早いようだ。
 この後はどうしようかと考えながら、また元町へと下り、横浜方面へと走っていった。伊勢佐木長者町か関内で地下鉄で帰ろうかと思っていたのだが、なんとなく自走帰還する気になって横浜駅まで着いていった。しかし、やはり膝へのストレスが気になるのと、踊場の坂を越えるのは嫌だなと思い直し、ここから輪行で帰宅することにした。これは正解で、人通りの多さから、関内辺りで自転車を抱えて乗り込むのは、かなり顰蹙を買ったものと思われた。
 暗くなりきった頃に帰宅した。そういえばみなとみらい線の横浜駅を見損ねたので、機会があったら見るだけ見てみようと思う。