Strange Days

2004年03月31日(水曜日)

夜トレと桜試撮と

22時56分 デジタルカメラ 天気:不気味なくもり空

 早めに会社を退けて、D70の試し撮りに出かけようと考えていた。どこに行くか、海軍道路がいいかな、などと考えていたのだが、空には雲がかかっていて、ちと不気味。近くの湘南台でいいかとなし崩し的にいつもの夜トレコースを走ることにした。
 境川サイクリングロードは、既に舗装が終わっていた。再舗装区画はほんの50mくらいなのだが、平滑性の高い路面はいい。全線とはいわないから、荒れた区画の再舗装を進めて欲しいものだ。
 湘南台の桜並木で試し撮り。内蔵フラッシュでは光量が全然足りず、近距離の枝先を撮るのが関の山だ。桜の花を1mくらいから撮ってみた。コンパクトデジカメと異なり、奥と手前の花には焦点が合ってない。なるほど、こういう写真が撮れるのか。TCR-2も撮ってみた。200万画素のMZ3と比較するのは馬鹿げているのだろうが、ディテールの再現性が桁違いだ。反面、暗い画像になりやすい気がする。
 まあ、おいおい勉強していくわいな。
 その後はいつもの夜トレコースを通り、帰宅した。しかし、今夜既に散り始めていたところからすると、週末には見事に葉桜になっているだろうな。

2004年03月30日(火曜日)

D70キテルー!

20時37分 デジタルカメラ 天気:雨です

 わはははははははははは(血管が切れるまで高笑い中)。
 早速、開梱しました。このずっしりした重量感は、コンパクトデジカメとは世界が違うなあ。動作感もすげえいいです。この辺は店頭でも確かめていたことではあるが。しかし、改めて見比べてみると、MZ3に比較してデカイ! メモ撮りなどの腑抜けた使い方には向いてないような。(D70のアップ)
 こいつにレンズ(18-70mm)を着けて、セミソフトケースに収めると、RIXEN&KAULのAllrounder Miniを占領してしまいますな。実質、あれはカメラバッグになってしまう。まあ、撮りに出るときには、それでもいいかもしれないが。それにしても、こいつのレンズって、EDガラス使ってるのか。その割に安いけど、EDガラスの価格も下がっているということかな。
 ちょっと試し撮りして、電池に充電することにした。これで、明夜に湘南台の桜を撮りに行きたいと思っているのだが、天気がなあ。

D70キター!

11時08分 デジタルカメラ 天気:下り中

 D70をヨドバシカメラに発注したのが先週頭。その後、ヨドバシからメールが来た。曰く『リモコンの出荷は遅れます』とのこと。リモコンが遅れるだけなら問題なしだ。さあ、さっさと来い。
 その後、週末までにメモリカード、ケース、そして問題のリモコンまでもが届いた。揃ったな、本体を除いて。本体だけ遅れるんかい! 駄々っ子モードで拗ね拗ね光線を発してもヨドバシ相手では効き目ゼロなので、おとなしく待つことにした。というか、市場にモノがないようなので、待つしかない。桜が終わるまで、などと考えていたが、春が終わるまで、に軌道修正して、心の平安を図った。私は後ろ向きな人間だ。
 昨夜、なんとはなしにヨドバシの注文確認ページを眺めていたら、本体も『確保』に変わっていた。をを、頑張れヨドバシ、明日までには届け。その後、意味も無く10分/回の割合でリロードを繰り返していた(嫌がらせですか)ところ、22:00過ぎに『出荷済み』に変わった。やたっ。やがて、日付が変わる頃に、郵政公社(ゆうパックで発送するので)でもアクセプトされたことが確認できた。来る、来るぞ、D70が。
 翌朝、起き抜けに郵政公社でチェックすると、既に横浜泉局まで到着していることが分かった。過去のゆうパックの到着状況から見ると、横浜泉局間近のここには、朝のうちに届くことになる。しかし、会社員は朝はいないものなのだ。まあ、帰ってから、泉局まで取りに行けばいいさ。いや、ぎりぎり届くかも。
 フレックス出勤で遅めの出だったこともあり、家の近くからトラックのものらしい音が聞こえてくる度に、来たかな、まだかなと、学研のおばちゃんを待つ小学生のような気持ちになっていた。
 しかし、流石に出勤時間が近づくと、諦めざるを得ない。まあ、夜に取りに行くさ。靴に足を突っ込んだところで、階段を登る足音が。そしてチャイム。『小包でーす』。このタイミングでかい。
 とりあえず、受け取るだけ受け取り、慌しく出勤した。もう少し時間があれば、付属電池の充電をやっておくべきだったかと後悔したりしてな。
 帰ったらいよいよ開梱である。会社で仕事が手に着くか、心配なところではあるが(笑)。

2004年03月29日(月曜日)

今夜も夜トレ->今夜も夜桜偵察に堕落

22時25分 暮らし 天気:やや暗雲

 しかし、タイトルは馬から落馬の類であろうか。
 さて、土日の運動が意外に響いているようで、今日は一日中、階段の昇降が辛い日になった。こういうときにはアミノバイタル素人辺りが効くのだが、生憎切らしておりまして。
 こういうときは、強度の低い運動->自転車でトレーニングだ、という流れから、夜トレに出かける気になった。体調を鑑みて、さほどハードには走れないだろうと見込み、ロード系ではなくてHARDROCK号での出走とした。結果的には、これが正解。
 ステムを換えたHARDROCKの試走ともなったわけだが、ポジション的にはこれくらいでいいか、もう少しサドルを前に出したいか、くらいのものだった。長距離を走ると腰に来そうだから、サドルを前に出そうか。
 などと考えつつ、境川サイクリングロードに入った。高鎌橋のところから入り、少し走ったところで……いきなり舗装が切れました。あ、そういえば、この辺の舗装工事で、昼間の通行は禁止になるんだっけ(年度末三日間)。そういう看板を、土曜日に見かけた記憶があった。平日の昼間なら関係ないぜ、などと考えていたのだが、夜には通行可能にはなるが、舗装は剥がされたまま、という状態になるようだ。今日はロードで来なくてよかったな。未舗装部分との境には大きな段差があったので、ロードだと転倒、あるいはパンクの憂き目に遭ったかもしれない。HARDROCK号が履いているのは幅2インチ弱という幅広のスリックなので、少々の悪路なら問題無しなのだ。
 湘南台まで走り、川沿いの小公園の桜並木を見物。既に8割がた咲き終わっている。明夜には見頃だろう。が、なんと明日は雨の予報なのだ。こんな日に咲いて、しかも明日は雨だなんて。今年の桜前線はついてないぜ。

2004年03月28日(日曜日)

自転車整備に追われる

23時34分 自転車 天気:いいのだ

 さて、自転車に手をかけないと。
 まずはHARDROCK号のステムを交換する。長いステムに換え、ハンドルバーの角度をアップ気味にしておいた。バイシクル・クラブ誌に載っていたミキ氏のポケロケは、やはりハンドルをやや起こし気味に設定していたので、真似することにした。前から、リラックスポジションと、ブラケットポジションの差が大きくて、微妙に疲れてしまう点だったのだ。
 さらに、ハンドルに着けるバッグも、TOPEAKからRIXEN&KAULに変更した。あんまりバッグは使わないので、統一して使いまわした方がよかろう。TOPEAKとオストリッチのバッグが余っちまった。1000円/個で売ります。
 バッグを変えたところで困るのが、ライトの取り付け先。TOPEAKの場合、アタッチメントに取り付けるマウントがあって、そこに取り付けできていたのだ。RIXEN&KAULではそうもいかない。そこで、サガミで買ってきたキャットアイのブラケットが登場。31.8mmまでの太いハンドル用のものならば、サスペンションフォークの下の方に取り付け可能だった。リジッドフォークなら、もっと上の方に持って行けそうだ。
 この状態で試走してみた。うん、前よりハンドルが遠くなったが、あまり問題は無さそうだ。ハンドルの遠さも、シートを前進させると、解消された。こうなると、やはり前フォークをリジッドに換えたくなったな。HARDROCK号
 次はBikeE。昨日のポタのとき、扱いが荒かったためか、リア側のマッドガードが破損してしまったのだった。サス近辺に取り付ける部分が壊れ、外れてしまっていた。いっそのこと前後とも取り外してしまおうか、などと考えたが、取り付け方を換えたらまた着けられそうだったので、とりあえずそうしておいた。
 今日は、自転車の世話で終わった一日だった。

海軍道路花見状況観察報告

17時23分 自転車 天気:いいぜ

 昨夜の疲労が残ったまま、昼過ぎに起床。この体の重さは、恐らくは昨日の前半戦の分だろう。
 とりあえず飯を食って、それから買い物に出ようと思った。今年に入って出動無し、冷遇してきたなんちゃってランドナー(にも程遠い)HARDROCK号で出かけようと思った。なんか、まったり走りたいと思ったのだ。
 HARDROCK号を玄関先に出し、それからふとハンドルバーの角度をもう少し上げようと思い立った。どうもリラックスポジションとブラケット部との差が大きすぎるように感じていたのだ。六角レンチでアヘッドのハンドル固定部を緩め、ハンドルバーの角度を換え、それからアヘッドを締め始めた途端、ピキン、という音と共に、ボルトが跳ね返ってきた。えっ、ピキン、だって? 見ると、アヘッド側のねじ山が飛んでしまっている。うがぁ、安物めが!
 こうなっては仕方ない。新しいアヘッドも買わないと。とほほほ。
 こうなると、TCR-2を出すのが順当か。しかしTCR-2の場合、昨日のポタで磨耗が決定的になった、クリートを交換しなければ。(摩耗しきったクリート)予備は1式半あったので、左だけ交換した。ついでに、左右共に、クリートの位置をかかと側に少し下げてみた。
 とにかく、お腹の空き具合は待ったなしだったので、TCR-2を出して、CoCo壱番屋まで走った。そういえばあさぐりカレーを今年もやっているのだ。うむ、うまい。
 さて、出るときには海軍道路で花見して、それから南町田のモンベルショップに寄って、などと考えていた。しかし時間的に無理そうに思えたのと、昨日の疲労がじわじわと響き始めていたのとで、考えを改めた。海軍道路でUターンして、サガミに立ち寄って帰ろう。
 海軍道路に向かう横浜市道環状4号線は、瀬谷に近づく辺りからえらい混雑であった。花見客も多いのだが、瀬谷の踏み切り周辺で道路の改修工事が進められており、車線制限されている影響もあった。自転車なら平気で進めるが。
 海軍道路を北上して行く。開花率はまだ50%前後という感じだ。来週頭ぐらいが見頃だろう。八王子街道に突き当たったところで折り返し、また南下してゆく。渋滞している車は、ほとんど全てといっていいくらい駐車場待ちの行列だった。なんだってこんな日に車で来るんだろう。瀬谷駅から歩いてもそんな距離でもないし、いい天気なのに。体が不自由というわけでもないだろうに。ひたすら排気ガスを撒き散らしながら、辛抱強く待っているこの集団は、一歩引いた位置から見ると、なんとも異様なものに映る。病んでるな、正直にそう思った。
 瀬谷の渋滞を抜け、スイスイ走ってゆく。サガミサイクルに立ち寄った。新しいジャージを買おうかと思ったが、ちょうどC.B.あさひに発注しようかと思っていたところだったので、止め。キャットアイから出た新型LEDライトは、まだ店頭には並んでなかった。
 3Fでエミネンザのカーボンロードに目が行ったが、もう1シーズン乗るんだしと思い直し、我慢だ。Roubaix ProのSサイズがあったが、これはトップチューブが少し長すぎるのを思い出して、やはり我慢だ。とはいえ、TCR-2より2mm長いだけなので、問題は無さそうな気もするのだが……。
 さらにNo.3店に行く。ここでMTB用のリジッドフォークを買う予定だったが、どうも売れてしまっていたようだ。在庫を聞こうと思ったが、こういう季節故にか客が多く、店員さんに声をかけるきっかけが無い。
 店内をぶらぶらしていると、前から気にしていたプリモコメットの20*1.35(ETRTOサイズで406)に目が行った。BikeEの後輪は、これに換えようか。しかし、あれは高かったんだ。ケブラーで補強してあるから、もってくれないかな。もう少し考える。しかしチューブの方は今日買いたかったのだが、店頭には見当たらない。うーむ。まあ、あさひに頼むか。
 もう一つ、アヘッドを買わなくてはと思っていたのだが、前に使っていた長いアヘッドがあったのを思い出した。あれでいいだろう。買わなくて済みそう。
 帰路は、久しぶりにかまくらみちを走った。細い上に交通量も多いので、基本的には通りたくない道だ。
 日暮れ前に帰着。

2004年03月27日(土曜日)

しまなみの打ち合わせでにち氏宅ですき焼きな夜(だがK1とアド街っくに阻まれる)

23時29分 自転車 天気:晴れ

 帰宅して、再出動の準備をする。夜、にち氏らと落ち合って、しまなみ行きの打ち合わせをしようという話になっていたのだ。携帯電話で連絡を取りながら、戸塚駅辺りで合流しようと考えていた。ところが、にち氏らは藤沢駅から輪行するという。では、横浜まで自走しよう。
 MR-4Fを持ち出し、だんだん日が暮れて行くR1をひた走り、横浜駅に着。この時点でもにち氏らは戸塚にいたので、まだ時間がある。杉並区の方でパレードに参加していたこぐ氏がやってきているとのことだったので、ダイエーの1F(まあ食い物周辺を探していればいいだろうと判断したのだが)を探し回ったが、見つからない。どうも、先回りして、店の空き状況を調査してくれていたそうだ。
 やがてにち氏らと合流。しかし、こぐ氏の報告によれば、どこも満杯だという。ハマボウルの裏に出来た焼肉屋でも、同じ状況だった。ならば、と、にち氏宅でのすき焼きを提案したところ、受け入れられた。買出し組と別れ、先ににち氏宅で部屋を整理する組に入る。
 座卓の整備をして待っていたところ、買出し組が帰って来た。さっそく、すき焼きの準備を進める。
 今日、ここに集まってきたのは、しまなみ行きの詳細日程を詰めるためだった。とりあえず、移動の方法と、初日の集合時刻を詰めねばならない。
 そんなことを話しながら、すき焼きの調理を始めた途端、点けていたテレビでK1の中継が始まる。俺的には格闘技などどうでもいいのだが、それでも皆の視線はテレビに集まってしまう。しまなみの話など、どこかに飛んでしまった。
 K1が終わったのが21:00過ぎ。これでようやく話が進み始めたが、しかしアド街っく天国にしばしば視線が行ってしまう。たまりかねて、にち氏が検索の用のためにPCを立ち上げたところで、テレビは切ってもらった。
 結局、初日は11:00集合を9:00集合に早めることになった。呉の実家から参加する予定の僕には、どちらでも変わりは無い。しかし、2時間行程を前倒しに出来るのなら、大三島の宿泊地までの50kmの行程を、強行軍にする要も無くなる。のんびり走れそうだ。
 帰路も、サンライズ糸山から松山に抜ける僕に同行する人はいなさそうだ。なら、一度やってみたかった山越えをやってみるか。
 そんな風に22:00過ぎまで過ごし、ともかく行きの切符はこぐ氏にまとめて取ってもらうことになったようだ。
 横浜からの帰路は、マモル氏ともども自走で帰宅した。なんか、距離の割には、ハードに響いた一日だった。

江ノ島花見ポタ

20時03分 自転車 天気:いいじゃないか BGM:Epitaph(King Crimson)

 いい天気だ。今日の江ノ島ポタリングは、気持ちいいものになるだろう。
 今日は久しぶりにBikeEで行くつもりだったので、早速カバーを外し、点検する。BikeEの場合、前後輪のサイズが違うので、チューブを2種類持たねばならない。ところが前輪の16インチ用の細いチューブが手に入らず、なかなか遠乗りには持ち出せない状況だったのだ。しかしまあ、大人数のポタだし、もう宣言しちゃってるし、などと気軽にBikeEで出かけたのが誤りだったかもしれない。
 10:00集合だが10:30出発と聞いていたので、まあ10:00過ぎに着けばいいかと思いつつ、戸塚駅に走り出した。
 戸塚駅には、10:10くらいに到着した。岡山氏がやはりBikeE ATで参加しており、マモル氏から『二人で先頭走って』と言われる。うむ、確かにリカンベントの後ろを走るのは楽しい。それを見る他人の反応がだが。
 参加者は16人くらいに達したようだ。適当な時間に出発した。まずは柏尾川に沿って走る。
 柏尾川沿いには桜並木があり、名所になっている。去年同時期に実施した江ノ島ポタリングでは、快晴の空の下、満開の桜を楽しめた。ところが今年は、桜の開花率が50%未満という状況で、桜色の並木道を、というわけには行かなかった。来週末だと、もう桜は終わってるだろうし。今回はタイミングが合わなかった。
 走りながら、どうも左のペダルに、クリートがはまりにくいと感じていた。クリートの固定力が強すぎるのかと思っていたのだが、今朝方確認すると、もう最弱にされていた。不思議だ。なぜこうもはまりにくいのか。
 ともあれ、細くて高圧なタイヤを履いたBikeEは、実に快調に進み、青空の下で気持ちいいサイクリングの一日になりそうな予感が横溢していた。だが運命の神は、そんな弛緩しきった俺様の精神を嘲笑うが如く、予想だにしない試練を投げかけてきたのだった。
 後に襲い来る運命など露知らず、柏尾川沿いに順調に下って行き、やがて東海道線を越え、境川に合流した。そこからは境川に沿って走り、以前数回寄ったパン屋に立ち寄った。ここで昼食を仕入れて、店を出ると、BD-1に乗った男性が、我々の自転車をしげしげと眺めていた。この方、パン屋に向かう橋を渡る際にすれ違ったのだが、『あ、リカンベントが多いなあ』とかいった独り言を耳にしていたので、興味があるのかと思っていたのだ。引き返してきて、こんな風に観察しているということは、まあ自転車好きなんだろうと思った。BikeE AT*2
 声をかけて、いろいろ話をしているうちに、見覚えがあることに気づいた。でもあの人とは自転車が違うな。しかしどうしてもそうとしか思えなくなったので、確認してみたところ、やはり@nakの掲示板辺りで見かけていた、みなみ氏であることが判明。去年か一昨年のアイスお代わりツアーのときにも遭遇したのだった。あの時はケルビムの折り畳みに乗っていらっしゃったのだが、BD-1も購入されたそうだ。なんとリアを3段にしていた。ポタリングなら十分ということだろうか。『BBの位置が高すぎて』とか、様々なこだわりがありそうだった。
 みなみ氏に別れを告げ、後は江ノ島まで走っていくだけだ。境川沿いに走り続け、やがて片瀬江ノ島駅に到着。ここで記念撮影と、水分の購入に走った。そして江ノ島大橋を越え、いつものヨットハーバーに腰を落ち着けた。
 昼食タイム。暖かな日差しを感じる日で、風がまるで無い。海は穏やかだった。昼寝でもしていたい気分だ。しかし、今年も野生動物の襲撃はあった。昼食時、「あっ」という声がした途端、なにかを抱えた鳶が、スーッと離れてゆくのが見えた。参加者の一人が、昼食をまんまと持って行かれたらしい。江ノ島花見ポタ恒例行事だろうか。
 さて、飯を食い、まったりしたところで、記念撮影をする。穏やかな海を背景に、いい感じに撮れたと思う。
 ここから、辻堂の海浜公園へと走っていった。やはり先頭に立ち、車道をしばらく走り、次に太平洋自転車道に入って、しばらく経った時だった。急に後輪から振動が伝わって来るようになったのだ。止めて、後輪をチェックすると、やはりパンク。なんてこった。よりによって後輪かよ。
 BikeEは、リアにSRAMの内装3段ハブを使っているため、ホイールを外すのが面倒なのだ。うーむ、どうしたものか。
 外野がわいわい言っているのを余所に、沈思すること15秒。パッチ当てで対処することにして、持ってきた工具を探る。が、ない。なんとパッチを置いてきてしまったらしい。いい加減な準備にたたられたようだ。換えチューブはあるが、こうなると外すしかない。
 外そうにもレンチが無いので困っていると、ねず吉氏がレンチを貸してくれた。BikeEに乗る場合は、今度からレンチも持ち歩くようにしないと。とにかくホイールを外し、タイヤを外して調べてみた。なんと、鋭いガラス片がぶっすり刺さっている。こりゃ、一発でやられるわ。とにかくチューブを換え、空気を入れておいたが、タイヤに空いた穴が高圧で広がるため、やや危うい感じがあった。ここでまた沈思し、残念だがここから帰還することに決定した。パッチが無いので、前輪後輪とも、もう修理は不可能だ。これ以上の危険は冒せない。
 海浜公園に走り出す一行を見送り、こっちはボチボチと戻り始める。走っている限り、BikeEは扱いやすくて安楽な乗り物だ。特に20km/hくらいで走る場合、他に較べようも無いくらい楽だ。
 帰路、どうにも左クリートがはまらなくなったので、調べてみると、SPD-SLのクリートが削れてしまい、顎が無くなっている状態だった。いやはや、SPD-SLは、消耗が早い。半年に一本使っている感じだ。
 湘南台の桜並木も、まだ全開とは行かない様子だった。
 なんとか、16:00頃に帰宅できた。はぁ、タイヤの損傷を考えると、新しいタイヤに換えた方がいいのかもしれない。

2004年03月26日(金曜日)

夜トレついでに夜桜見物

22時28分 自転車 天気:いいようだ

 今夜は風が強いが、しかし空は晴れている。雨の心配がないようなので、夜トレに出かけた。しかし、こんなだらだらと強度の低い運動をしているだけで、トレーニングなどと名乗ってよいものだろうか。
 ともあれ、いつものコースを21:00前後という微妙に中途半端な時間に走ってきた。
 予想通り、風は強い。しかし、行きでは風を背負う形になったので、ペダルはぐるぐる回せる。やっぱりトレーニングにならんのではなかろうか。とはいえ、脂肪は燃えちゃってくれたりしないかな、などと期待したりもするのだが。
 湘南台で、また夜桜を観察。まだ5分咲きというところか。先週末の時点では、今週末には全開かと思っていたので、これは予想外。とはいえ、ここ数日の寒さを思うと、開花が遅れたのもしょうがないか。
 帰路のR467は風に向かったが、状態のいい舗装路なので、やはり飛ばせ、気持よく走れた。それなりに汗を掻きつつ帰宅。

HNSでの更新はヤメ&さらなる新ドメイン取得

09時18分 インターネット 天気:雨から回復中 BGM:Aviator(Deep Purple)

 Nucleusを導入して二カ月。いい加減、HNSでの更新が面倒になってきたので、きっぱりやめましょ。ということで、今後はBig-NetAirnetの日記更新はありません。しかし過去の日記に検索エンジンから飛んでくるという需要はかなりあるようなので、しばらく残しておくつもり。Big-Netは今年末まで契約期間だし、Airnetはアクセスプロバイダでもあるので、わざわざ撤去する意味は無いし。
 しかしこのHNS、Nucleusより便利な部分も多いのだが、開発の動きが止まってしまったのが気になっていた。こういう純然たる日記記述支援は、もっと設置を簡単にする方向に進まないと、CMSと競合できないかもな。
 もう一つ、新しいドメインを取りました(またかよ)http://aviator.jp/...ってのが取れそうだったので取得しました。といっても、まだなんにも無いのだが(ゆえにあえてリンクポイントは作らない)。なんで取ったかというと、別に深い考えも無く、こんなすげえドメインが(広く使われそうな一般名詞なのに)残ってるなんて、などと反射的に取ってしまったのであった。飛行機好きだし。
 今のドメイン(southofheaven.info)はどうしても長すぎて気に入ってはいないので、新しく取った方に移そうかと考えている。が、今のドメインも、それなりに浸透しつつあるしな。どうしよう。
 決めるなら早いうちに、と思いつつ、しかしのんびりと構えている春先の俺様であった。

2004年03月25日(木曜日)

豚丼初体験

09時37分 暮らし 天気:危うし

 昨夜、会社から退ける頃、やたら腹が減っていた。帰宅して飯を炊くのが面倒になったので、帰りに食って帰ることにした。まだ食ったことが無い、吉野屋の豚丼を試してみよう。
 さっそく、帰り道にある吉野屋に立ち寄り、豚丼を注文した。牛丼の肉を換えただけのものかと思ったら、牛蒡も入っていた。あるいは、豚肉の臭みを消すためのものか。牛蒡の食感は悪くなく、全体的にも美味いかなという程度だった。しかし、やはり肉の味わいというか、パンチ力が劣るのと、少し高いのがネックだ(牛丼並280円->豚丼並320円)。あまり惹き付けられるものは感じなかった。これだけで勝負というのは辛いのではないだろうか。実際、客も以前に較べて減っているようだし。
 ところで、今朝出勤中、すき家の前を通っていて気づいた。吉野家では豚丼="ぶたどん"なのだが、すき家では"とんどん"なのだ。統一してください>業界団体

2004年03月24日(水曜日)

ドロップバー特等席の戦い

23時45分 自転車 天気:相変わらず雨

 ドロップバーのフラット部は特等席だから、有効利用できないか。ってのは誰もが思っているらしい。
 というわけで、僕はアークスパンを使ってライトとサイクルコンピュータ、GPSを取り付けてます。
 さらに、EL400ならバーエンド近くのフラット部も有効利用できます。EL120はだめです。これの首振り範囲は左右10度くらいしかないのです。

千客万来

22時34分 インターネット 天気:雨だ

 意外にもこのBlogのAuthorって誰よ?にトラックバックがあったりして。同じ印象を持っている人は他にもいたんですな。WebのAuthorWeb サイト名と書き手辺り。あ、おの氏は違うといってるぞ。
 僕の印象では、自己紹介の軽視という風潮は、単にツールが提供されてないから、結果的にそうなっているのではないかというものなのだ。以前からあるGeocitiesみたいな無料スペースだと、標準コンテンツ(というかプロバイダから提供されている簡易ホームページ作成ツール)には、必ず自己紹介の類も生成されるようになってましたね。ところがBlogの類にはそれが無い。単にその違いでBlogのAuthorの姿が見えなくなっているのではないだろうか。全部のプロバイダを知っているわけではないので、あくまで僕の印象の話に過ぎないけど。
 で、なんでそうなっているのだろうかというと、結局Blogというものはパーソナリティの発露で、人格の一部そのものなのだから、Authorのことを知りたくばまるごと読め、みたいな思想が、Blogツールの提供側にはあるんじゃないかと思うわけだ。これを「書き手中心のWebサイト作り」と表現することは、まあ可能だと思います。無茶ですかそうですか。
 まあ、とはいえ、(あ)氏の電柱説じゃないけれど、ウェブの形作る世界が公的な性格を強く持っているのは間違いないのだし、単に情報を求めて飛んで来る人も多いはずだ。また多くのAuthorにとってもコンテンツ作りの動機の一つは手持ちの情報を外部と共有したいというものだったのだろうから、それを効率化できるラベリングやフィルタリングの手がかりは欲しいよな、と思う。
 えーと、つまりあれだ。自己紹介によくある『猫好きです』とか『1日3食カップ麺です』とか『秋葉萌えです』とかいった、一見下らない情報が、実は凄く手がかりになる状況にあるのではないだろうか。検索エンジンのお蔭もあってね。
 いまいち結論を出せず、しょぼーん。

2004年03月23日(火曜日)

夜トレついでに桜偵察

22時59分 自転車 天気:くもり

 今夜も寒いが、さりとて耐え難いというほどではないので、夜トレに出かけた。
 TCR-2で黙々と走って湘南台。風が無いためか、足は回る方だ。
 湘南台通過の際、桜並木をちょいと偵察する。既に2~3分咲きというところだろうか。今週末には見頃だろう。
 俣野の登りでそれなりにもがき、R467をリターンしていると、急に足が回らなくなった。こんな簡単に売りきれるなんて……。
 しょんぼりしながらも、でもやっぱり汗かけたし、などと機嫌を直しつつ、帰宅。

Mozilla1.7βでalt問題は解決

17時35分 インターネット 天気:くもりだなあ

 Mozilla1.7のβリリースが出たので、入れてみた。正式リリースを待つつもりだったが、とあるバグが解決されていると聞き、入れる気になった。
 従来、Mozillaでは、日本語入力などのために"alt+漢字"キーを押すと、メニューバーに必ずフォーカスが飛んでいた。それをいちいち入力エリアに戻さねばならなかったので、非常に面倒だったのだ。
 いそいそと1.7bを入れて、試したところ、確かに問題は解決されている。万歳!
 それと、チューンナップが進んだようで、起動や文書の読み込み速度が、1.6と較べても向上しているようだ。
 Mozillaもseamonkey系はここで打ち止めのようだが、最後になるほど使い勝手が向上してきたのは、当たり前とはいえ、皮肉なことだな。

このBlogのAuthorって誰よ?

16時06分 インターネット 天気:肌寒く曇る

 特にはてな辺りでBlog*のみ*を手軽に始められるようになってから、『このページのAuthorって何者よ』ってのが分からない場合が増えてきたように思う。自己紹介のページを置いてない場合が多いのだ。まあそういう情報は、日記を丸ごと読んで詮索せよって事かも知れないけれど。
 でもまあ、簡単なプロファイルくらい置いてくれた方が、情報を読み取るためのフィルタを構築する助けになるので、グッドです。
 って、自分のサイトにも置いてないやん!(愕然) 忘れてました。とほ。

2004年03月22日(月曜日)

D70を発注してしまったのであった

20時37分 デジタルカメラ 天気:雪やんけ

 昨日、ポタ終了前後から体調が急激に悪化し、帰宅したときには疲労困憊で何もする気になれないくらいだった。
 今朝になっても体調は優れず、会社を休んでしまった。うとうとと寝床でまどろみながら、外で降り始めたらしい雨の音に耳を傾けていた。
 昼過ぎ、流石に寝るのにも飽きたので、PCの前に移動する。たまげたことに、外では雪になっていた。といっても、霙混じりだったが。道理で寒いはずだぜ。
 さて、2日考えた末に、ついに決断を下した。一眼デジタルカメラは、D70にしよう。価格と重量の点からKissDも魅力的ではあるのだが、機械としてはD70に惹かれる。質感もこっちの方が魅力的だった。決定打は、フィルタリング特性が、赤外線側に拡張されていることだった。天体写真を撮る場合、特に赤い天体の場合は、赤外線側への拡張が大きな意味を持つ。
 どこで買うか迷ったが、外に出るのが嫌になる天気だし、ポイント還元を考えるとかなり安いので、ヨドバシカメラに発注した。記録メディアは、とりあえず256MBのCFを買っておくことにした。これで間に合わなければ、マイクロドライブでも買うことにしよう。
 さて、桜が終わる前に届くかな。

いかりや長介、逝く

13時29分 暮らし 天気:涙雨

 オッス!(涙)

2004年03月21日(日曜日)

横浜ポタ

22時47分 自転車 天気:晴れた!

 今日はにち氏がBD-MLで募集した、横浜ポタリングの開催日だ。いまいち寝付けないまま、6:30には早々に起き出していた。
 食事を取り、自転車の準備をしながら、天気をチェックする。気温は低いが、お日様は拝めそうだ。身支度をして、出発。自走で横浜駅に向かった。
 車の多いR1を走り、旧高島駅の高架を潜り、横浜駅東口に。おっと、集合場所は北東口とか言う新しい出口だったっけ。しかしそこまで行くには、地下に潜るか、R15に戻るかしかないようだ。車が途切れがちだったので、R15に復帰し、集合場所に到着した。
 集合場所には、まだ誰も居なかった。時刻は9:00前。このところ、遅刻が増えていたので、今日は気合を入れて早めの到着を心がけたのだ。うむ、余裕で間に合った。
 ……9:00まで間もない時刻になったのだが、誰も来ない。不安を感じ、ポタの案内を確認すると……。集合時刻は10:00でした_| ̄|○
 それまで1時間、寒い思いをして立ってなきゃならないのか。こんなことで為替相場は安定させられるのだろうか、などと思いつつ、寒空の下に立ち続ける。と、9:00を過ぎた頃、ねず吉氏がひょっこりと現れた。乗り込んだ特急が異常なくらい早く着いてしまったとか。ちょっと救われる。
 ねず吉氏が弁当を買いに地下に降りて行くのと入れ違いに、今度はにち氏が現れる。流石に隊長としては、早めに集合場所に顔を出さねばならないのだろう。
 やがて、少しずつ人が増え始める。ほとんどが輪行での参加だった。子連れの謎和田夫妻のペアバイクも登場。それとタメを張れる、ふじか夫妻のチャイルドバギー付きBikeE RXも登場。街中のポタという位置付けゆえか、普段は平地ばかり走っているという向きの参加が多かったようだ。
 20人超の参加者が集まったところで、出発。僕が殿を引き受ける。が、殿はほとんど写真に納まらないんだよな。
 まずは歩道を走り、高島町方面に抜けた。みなとみらい線の新高島町駅は、相も変わらず何も無い場所だった。今日のポタの裏テーマは、みなとみらい線をなぞろうというものだった。とはいえ、以前少人数で実施した、みなとみらい線ポタのように、各駅を訪問するという流れにはなりそうにない。
 一行は、みなとみらいの核をかすめ、臨海公園へと向かった。風が穏やかになり、日差しも出てきたので、気温の低さの割に凌ぎやすい。
 臨海公園から新港パークへと走り、ここで昼食となる。各自、ワールドインポートまで歩き、適当に食事を買い、新港パークの芝生で食事タイムを過ごした。日差しが暖かい。
 昼食後は、赤レンガ倉庫をかすめ、大桟橋へ。ここをしばし散策する。今日は、初めて先端部まで歩いてみた。
 大桟橋を離れ、また赤レンガ方面に走った後、山下公園へと向かった。公園内へは立ち入らず、前の道を通過しただけだった。
 ここから坂道との戦いが始まる。山手の海側からトンネルを通り、住宅街を長い縦列を組んで通り抜け、イタリア庭園への坂道に入った。ここは最後尾で苦戦する謎和田夫妻をhai氏に任せ、一気に登る。が、記憶よりずっと長く坂道が続いていたため、最後の方は強烈にへなへなであった_| ̄|○
 イタリア庭園は、改装中で入園できるかどうかひやりとさせられたが、結局は問題なし。JR石川町駅を線路上から見下ろせる、不思議な眺めを堪能した。
 最後は港の見える丘公園で記念撮影。後でふと思ったのだが、当日の僕は花粉症対策の超立体マスク+サングラスだったから、ほとんど正体不明の変態にしか見えなかったのではないだろうか。それもまた良し(いいのかよ)。
 石川町方面に下り、桜木町駅まで走ってから、解散とあいなった。みなさん、お疲れ様でした。
 この後、有志一同が揃い、GCSを訪問した。狭い店なので、10人くらいで襲撃すると、ほとんど営業妨害に近くなってしまう。
 その後さらに、お好みハウスで、という話もあったのだが、体調が急激に下降中だったので、ここで別れ、自走帰還した。

2004年03月20日(土曜日)

ひきこもりな一日

20時30分 暮らし 天気:雨だよなあ

 昼ごろから雨になるという予報だった。前日、うだうだと夜更けまで起きていたため、起きたのはその昼過ぎ。冷たい雨が降り始めていた。
 ほとんど無気力に、寝床とPCの間を行き来する一日を過ごし、明日のポタリングの準備を始めた。とはいえ、乗車をMR-4Fに決め、荷物をバックパックにまとめるだけだ。
 またしても夜更かしをしてしまい、ふと我に返って、慌てて寝床に入った。書くことなど何も無い一日だった。

Tarmacをキャンセル

13時37分 自転車 天気:良くない

 かれこれ半年近く待っていたTarmacだが、いまだに納期が示されない。サイクルベースあさひに問い合わせても、はっきりした納期は示されない。今のところ3末で、納期が延びるという通知は来てないが、という感じの返答だった。今まで散々延びてきたのだから、もう当てには出来ない。あさひも板挟みになって苦しいのだろうが。キャンセルする旨を告げる。
 さて、代わりのフレームを、と思ってはみたが、TCR-2の調子がいいので、もう1シーズン頑張ってみるつもりになった。本当なら、Roubaix Proの一番小さいサイズが日本に入ってくればいいのだが、なにを考えているのか入荷リストに入ってないそうだ。どこの誰が悪いのか知らないが、日本に入る最低サイズのフレームでも、身長170cm無いとつらいんじゃなかろうかと思うぞ。
 とりあえず金に余裕が出来たので、一眼デジカメの購入を、本格的に検討しようと思う。って、何も買わんという選択肢はないのかっ(->無い)。

2004年03月19日(金曜日)

D70を触ってきました

22時16分 デジタルカメラ 天気:いい感じ

 さてさて、今日から春分の日を含んで3連休だ。昼夜の長さが逆転し、ますます自転車生活に拍車が掛かるだろう今日この頃(かなりの願望を含有)。
 今日から東京でカメラに関する展示会が開催されるそうで、かのBORG天体望遠鏡も出品されるとか。
 目玉の一つがNIKONのD70だが、なにも東京まで出向かなくても、大手カメラ販売店なら、今日から発売されているはず。町田のヨドバシカメラに出向くことにした。
 町田まではTCR-2で走った。気温が下がり気味だが、走り続けていると、流石に汗をかく。
 昼食を取るために湘南台に立ち寄ったが、サイクリングロードの桜並木は、既に一部咲き始めていた。早いよ、こりゃ。
 ヨドバシに到着し、店内を闊歩すると、ありました。今日は休みでない企業も多数に上るためか、意外にD70の周辺に人影は少なかった。さっそく手にとってみる。
 やはり、隣にあったEOS Kiss Digitalに較べると、一回り大きく、重い。しかし機械としての動作感は、KissDより断然上に感じた。KissDが値段なりの使用感に思えるのに対し、D70は値段の差以上にかっちり作りこまれているようだ。フォーカシング速度も起動速度も、KissDで及第点だったのだから、それ以上のD70で文句があるはずは無い。食指がぴくぴくと動く。が、KissDも値段と軽さというアドバンテージがあり、即決は出来なかった。変な気を起こさないように、カードも札入れも置いてきたので、衝動買いパワーを発揮する余地など無かったのだが。
 煩悩に悩まされつつ、帰宅。

2004年03月18日(木曜日)

さらに

14時04分 インターネット 天気:ついに雨ってきた

 トラックバック用プラグインを、edit時にもトラックバックを打てる、NP_TrackBack123bj7に変更。
 今のところトラックバックを打つ用事は全く無いのだが、トラックバックを利用した日記更新情報サイトとかがあれば、そこに使うつもりだ。

CustomFieldプラグインで天気欄を新設

12時09分 インターネット 天気:雨るかと思いきや

 Nucleusへ完全移行仕切れてない原因の一つが、ヘッダ部へのユーザ変数の記述で実現できていたお天気情報の欠落だ。HNSの方で"TENKI: どーのこーの"となっていたアレだ。本文に書くというのも美しくないしな。もう一つ、同時に複数のカテゴリーに所属できないというのもあるが、これは Nucleus3で実現を考えているとかいないとか。
 複数カテゴリー問題は措くとして、お天気情報はなんとかしたい。そこでプラグインを探してみると、CustomFieldというのが使えそうだと分かった。これはAddアイテム画面にユーザが定義できる入力エリアを作り、それを自由に表示できるというもの。
 プラグイン(参照先にあるダウンロードURIは機能して無いようなので、表示されているソースをCopy&PasteしてPHPソースファイルを作ろう)を通常の手順でインストールし、プラグインの編集画面で必要な数だけのカスタムフィールドを有効にし、それぞれの変数名を決める。するとアイテム追加画面にカスタムフィールドの入力エリアが現れる。それをテンプレート(スキンでも有効だろうが)の適当なところに、例えば"<--%CustomField(custom1)%-->"(ある意味当たり前だが変数を記述すると予約語と判定されて非表示になるので、"--"を抜いて読んでくれい)という風に記述しておく。そして編集時にカスタムフィールド入力エリアになにか書けば、アイテム表示画面ではテンプレートに記述した位置に、入力した内容が現れるという仕組みだ。
 カスタムフィールドは5つしか持てない。またアイテムの再編集画面での入力は反映されない。
 そういう問題はあるものの、TENKI変数相当のことは出来たので、まずは満足だ。上手く使うと、複数カテゴリーもどきのことも実現できるかもしれない。

2004年03月17日(水曜日)

やはりなという週末の状況

20時39分 暮らし

 やはり、仕事の進行状況がピンチだ。今週中には終わりそうに無いので、また来週末かなあという話になりつつある。やっぱ、月曜日に代休というのは無理だったか。休んでおいてよかったぜ。大宇宙電波神よ、ありがとう(爆)。
 とりあえず、金曜日(もうちの職場は休み)からの3連休は休めそうだ。が、どうも週末の天気がよく無さそうだ。晴れてくれよ。

Google検索URI自動生成プラグイン追加

14時13分 インターネット

 新サイトの方にGoogleItを入れてキーワードに対するGoogle検索URIを自動で生成できるようにした。例えばSouth of Heavenといった風に。
俺モノなんかで製品情報をリンクするのが面倒なときに便利(っつうかAuthorだけ便利なのか)。
 日記更新の主体は新しいサイトの方に移っているので、旧サイトを見ている方は参照先を変えた方が吉ナリよ。

2004年03月16日(火曜日)

今夜はTCR-2で夜トレ

21時14分 自転車

 今夜も夜トレに出かけよう。電池を換えたサイクルコンピュータの調子も見たいし。というわけで、今度はTCR-2で出走した。
 高めのサドル位置が決まってきたのか、足は回る回る。逆風の中、ガシガシ踏んで、俣野の登りまで走りきった。
 俣野の登りは、時間的に早い時間だったこともあり、交通量が激多であった。注意しながら登りきると、R467を追い風に乗って一気に北上する。いい感じだ。アップダウンのアップでもがき、ダウンでダレるというダメパターンにはまりつつ、長後街道へと合流した。
 帰宅して、バイクスタンドを見ると、そう言えばまだ今年出したことがないHARDROCK号が、寂しげに揺れていた。いや、EPIC号を掛けたから揺れたんだけど。金曜日は、これでちょっと出かけてもいいな。休めるのなら。

かまくらみち経由で飯田牧場まで走ってみた

18時44分 自転車

 フレックス出勤のつもりでやや遅めに目覚めた途端、脳に大宇宙の絶対真理を告げる電波が到着した。少し工夫すると目覚まし時計代わりに使えそうだな。
 ともあれ、届いた電波の内容は『今日代休を取れ』というものだ。来週月曜日に取るつもりだったのだが……。よく考えると、今週金曜日は休みで、その直前に差し迫った仕事がある。この仕事が今週中に片づくとは思えないのだ。それどころか、金土日のいずれかに出ろという話になるかもしれない。なら、やはり今休むべきか。電波に犯された俺様は、その命ずるままに会社に電話を入れたのだった。
 昼まで爆睡し、昼過ぎにのろのろと起き出した。さすがに体が腐りそうな気がする。ちょっと出かけることにした。
 近所のかまくらみちを南下して行くと、米軍深谷通信隊の陣地の中を突っ切って行くことになる。あの辺を走る気になった。かまくらみちは路面がよくないので、EPIC号で出かけることにした。
 立場でかまくらみちに合流し、イトーヨーカドーの近くを通りすぎると、道はもう片道1車線になる。交通量も少なくはなく、通りたくは無い道だ。
 やがて見晴らしが妙に良くなると、深谷通信隊の敷地内に侵入していた。正確には、敷地内を突っ切るかまくらみちに。敷地内には農地が広がっている。米軍が黙認しているというところだろう。厚木基地にせよここにせよ、一国の首都の近傍に、外国の軍隊が駐留しているという事実は、決して忘れるわけにはいかない。日米安保条約は今の日本にとって必要なものだとは思うが、沖縄にせよ厚木にせよ、米軍の日本本土への関与を可能な限り低減させる努力を、時の為政者は続けて欲しいと思う。
 もっとも、この深谷通信隊は、その実態が既に存在しない部隊で、日本への返還交渉が進んでいるという。瀬谷の通信隊基地共々、なにかの公園が整備されることになるのだろう。
 やがて環状4号との合流点、通称三叉路に到達した。ここで誤って環状4号を北上してしまうが、すぐに道が途切れたため、間違いに気づいた。
 やがて俣野に出て、橋を渡ると、もう飯田牧場だった。ここでアイスをむさぼり食らい、帰宅した。EPIC号もサドルをやや上げ気味にしたためか、踏み込みが軽く、いい按配に走れた。という割りに疲労したが。

2004年03月15日(月曜日)

今夜もMR-4Fで夜トレ

23時29分 自転車

 早い時間に帰宅できたので、今夜も夜トレに出かけた。どうも疲労が残っているようで、あまり強度を上げては走る気になれなかった。トレーニングにならんなあ。
 今夜もハブダイナモの気楽さに惹かれ、MR-4Fを持ち出した。ポジション的にハンドルがTCR-2より近いかなと思っていたのだが、フレームの(仮想)トップチューブ長は、TCR-2ともども535mmで変わらないのだ。ステム長も同じ。リーチも変わらないはず。では、なぜハンドルを近く感じるのだろう。実はMR-4F改は、TCR-2よりさらにSTIレバーを起こし気味に取り付けてある。その差を感じたのではないだろうか。ならば、そのうち来るだろうTarmacには、リーチが短めのハンドルに、STIレバーを寝かせ気味に取り付ければどうだろう。今のTCR-2よりやや近く、かつ低くなるだろう。あまり低くするのは腰に負荷が掛かるので避けたいが、坂道での踏み込みが強くなるので、可能な範囲で低くしてみたいと思っている。
 1時間弱走り、帰宅した。

2004年03月14日(日曜日)

モンベルショップまで

20時07分 自転車

 昨日、リクセンカウルのピラーアタッチメントを着けたTCR-2の調子を見るべく、昼過ぎに南町田のモンベルショップへと走り出した。
 走り出す前は、重心が上がった分、走りにくくなっているのではないかと考えていた。確かに重心は上がっているのだが、かといって走りにくいというほどではない。駆動系を整備した効果もあり、非常に楽々と走って行ける。さすがに自転車を振ると、重量物が左右に動く感覚があるのだが、思ったよりはぶれる感じがない。期待した以上に、使えそうだ。TCR-2の現状
 南町田のモンベルショップに立ち寄った。少し模様替えしたようで、自転車コーナーもツーリングギアの位置が変わっていた。REIのパニアが半額処分中。うーん、ちょっと考えてみようかな。
 帰路、少しサドル位置が低くなっている気がしたので、少し上げた。今日は南風があるため、帰路の方がつらい。その向かい風の中を進むには、サドルを上げ気味にした方がいいだろう。サドルとハンドルの高低差はあまり付けない方なのだが、だんだんサドルが上がってきたため、今はハンドルがかなり低く感じる。腰に負荷が掛かっているのが分かる。うーん、BikeEが恋しい。
 またサドルが低くなっているように感じながら、湘南台のダイエーに立ち寄った。ここで電池切れのサイクルコンピュータのために、CR2032と12V32Aの小型電池(トランスミッターの方に使う)を買ってきた。店を出て、走り始めると、おや、サドルの位置は適正な気がする。どうも、走っているうちに、高いサドル位置に慣れてしまい、錯覚を起こしていた可能性が出てきた。
 帰宅して、念のためにサドル位置を測ると、BB舳~サドル中央で69cm。また高くなってるやんけ。どうも、疲労していたため、高いサドル位置を快適に感じていたためのように思われる。つくづく、ポジションというのは難しい問題だと思った。

2004年03月13日(土曜日)

自転車をいろいろメンテナンス

22時10分 自転車

 さて、買ってきたものでいろいろなんとかするナリよ。
 まずプラバインダ。これはなんちゃってランドナーHARDROCK号のリアキャリアに、キャットアイのリアフラッシュライト、LD-R550を取り付けるために買ったのだ。キャリアにはL字金具を介して取り付けられるのだが、そのL字金具への取り付けに、径の太い、しかし短い木ネジの類が必要なのだ。
 早速4*20のプラバインダを合わせてみるが、径が細い。これ以上のサイズはなかった。負け_| ̄|○
 慌てることはない。5*20の木ネジも買っておいたのだ。が、これは長すぎる。あまつさえ、合わせる過程で、前に買ってあったらしいプラバインダ(全く同じサイズ)さえも発見される。負けに負け続ける負け犬天国であった_| ̄|○
 気を取り直そう。径はいいみたいなので、短くすればいいのだ。切ろう。しかし、ネジの先っぽを切るのは、けっこう面倒くさいのだ。ともかく万力でネジを固定し、金属鋸でガシガシ切っていった。手が疲れるぜ、こんちくしょうめ。やっとこ切り落とし、やすりで整えて、試してみると、おおっ、ぴったりだ。これでようやく、キャリア後端という絶好の位置に、フラッシュライトを止めることが出来た。しかし、同じ工作をもう一度せよといわれたらめげるなあ。
 その間、EPIC号の駆動系も清掃する。チェーンはチェーンクリーンキットを使って清掃する。エコテッククリーナーをほぼ原液のまま使うと、これがもうてきめんに良く落ちる。さらにハンズで何の気なしに買ったブラシ(ドイツブラシという謎の商品名)を使ってスプロケ、チェーンホイールも清掃する。これが意外によくできた商品で、手の届きにくい場所にも入り込んで、きれいにしてくれる。
 とりあえずチェーンを乾かすべく、EPIC号を避けておいて、さらにTCR-2の清掃に取りかかった。こちらも駆動系は同じ要領で清掃し、チェーンを乾かす間、別の工作をした。ここで、今日買ってきたシムが出てくるのだ。このシムをシートピラーにかませ、そこにリクセンカウルのピラーアタッチメントを取り付けるのだ。なんで直接取り付けないかというと、カーボンピラーではこのアタッチメントの取り付け法では負荷が掛かりすぎ、折れる可能性があるからだ。このアタッチメント、細めの金属バンドで取り付けるので、狭い面積に荷重が集中する。それをシムで分散させようというわけだ。もちろん、ピラーの径もシートバインダーの径も27.2mmなので、バインダーに噛ませるわけではない。
 Freepack Sport、Allrounder Mini、どちらも取り付け可能にすると、意外に高い位置にしなければならなくなった。さすがに700Cともなると、タイヤとの干渉もシビアになるのだ。
 これでTCR-2は、前後にリクセンカウルのバッグを二つ取り付けられるようになった。その代わり、サドルバッグは取り付け不可能になったのだが、これはバッグが着けば十分だ。その替わりに、換えチューブだけを収めたエランサック(どえらい小さい袋式ベルクロ止めサドルバッグ)を、シートバインダー辺りに取り付けた。
 EPIC号とTCR-2のチェーンにクライテックを塗布し、ボディをワックスで磨いて、スタンドに返しておいた。明日はTCR-2の搭載性を試すべく、どこかに出かけようと思う。

またGCSに行ってきたナリよ

18時10分 自転車

 今週一杯の残業疲れか、11:00まで目が覚めなかった。起きて昼食を取り、一休みしたところで出かけた。今日もGCSに用があったので、横浜まで自走だ。EPIC号を引っ張り出した。
 踊場の坂を越えながら、どうも膝にストレスがかかると思った。そこでもう5mm上げると、これがもう全然違う。どうも少し下がっていたらしい。BB舳~サドル中央長は、最初の頃は67cmでバッチグーだと思っていたのだが、少しずつ上がってきて、今や68cmになってきた。ポジションが少しずつ変わっているからだろうか。ポジションは変数が多いものなので、固まる日というものが来ないかもしれないと思ったりして。
 山下公園通りの真ん中辺りで、1本西の通りに出た。確かこの辺にあったはずと思いつつ走るも、見つからない。おかしい。もう1本西、つまり2本西の通りにありました。記憶違いがあった模様。
 GCSでプリコメ16インチ用のチューブ、ついでにシートポスト用シムを求めたが、置いてないとのこと。正確には米、英式のものはあったし、シムも27.2->30.4のものはあったのだが。シュワルベの16インチチューブの細いものは品切れだとか。シムも用途が用途なので(後述)サイズはどうでもいいのだが、JEDI用の高いものだったので、ここで買うのは止めた。
 こっちならあるだろうと思い、ハンズに寄る。しかしチューブは見当たらない。ううむ、やっぱり和田サイに行くしかないのだろうか。一方、27.2->30.8のシムはあったので買っておく。さらに上階で、4*20のプラバインダ(平たくいえばプラスチック用木ネジ)なども買っておいた。
 再びR1をすたこら戻る。R1はどうにも危険なのであまり行きたくは無いが、かといってここを外すと最短距離で帰れないので、行かざるを得ない。日暮れが近づいていたので、少し焦っていたのだ。
 なんとか日が暮れきる前に帰宅した。

2004年03月12日(金曜日)

すき焼き

22時52分 暮らし

 今日はちと寒かった。寒の戻りがあったようだ。が、それでも既に冬の寒さではない。春は間近だ。過ぎ行く冬を惜しみ、今夜はすき焼き。
 鍋物をするとき、一人では食いきれなくて往生するのだが、その原因は白菜にある。奴は意外に嵩があるのだ。おかげで1/4個分も入れようものなら、一人では到底片づかない代物になってしまう。
 しかし、スーパーの野菜売り場をのぞいたところ、1/8パックが売られていた。これならキノコ類を増やせば、二日で片づくだろう。適当な肉を買ってすき焼きった。やはりこれくらいの量がいいようだ。
 しかし、今や白菜なんぞ、一年中売ってるんだな。なにも今日することは無かったか。しかしビールの飲めたので、いい気分である。ぐびっ。

MR-4F改で夜トレ

10時50分 自転車

 昨日は暑い一日だった。いやほんと、会社に行く途中、何度コートを脱ごうと思ったことか。
 帰ってもエアコン要らずの暖かさで、結局エアコンは全く点けないで済んだ。いよいよ春めいてきた。
 暖かいとナイトランも楽だ。帰宅が遅かったので23:30に家を出る破目になったが、風も冷たくは無いので、気楽なものだった。気分的にMR-4F改に乗りたかったので、久しぶりにMR-4Fで夜トレに出かけた。
 ハブダイナモなMR-4Fでのナイトランは気楽だ。バッテリーライトの場合は電池切れに注意しながら走るので、どうしてもストレスを感じる。MR-4Fの方がナイトランでは楽だ。大山しし鍋ツーリングの時にも、ハブダイナモのおかげで、夜の自走帰還も楽に出来た。さっさとハブダイナモな完組を組んで(馬に乗馬の類か)くれ > サガミ。このままでは首が延びて延びて、キリンさんのようになってしまうではないか。
 それと、やはりTCR-2よりはMR-4Fの方がポジションが合っていると感じた。TCR-2の方が少しハンドルが遠く、ハンドルを引き付ける場合にはいいのだが、同時にストレスを感じてしまう。TarmacはTCR-2より1cmほどハンドルを近くにできる見込みで、ポジションの問題も改善できるはずだ。TCR-2は、やはりフレームが大きすぎるように思う。Tarmacが来たら、今の80mmのステムは譲って、60mmくらいのを付けてみようかと思っている。
 帰宅したのは翌0:30頃。風が強い夜だ。

2004年03月11日(木曜日)

花粉症大丈夫?

22時50分 暮らし

 いよいよ花粉大襲来の時期になったが、まだ花粉症の深刻な症状は出ていない。睡眠不足などで体力が低下した時期に少し出るが、それ以外の時期には健康体そのものだ。変態仮面の誹りを受けつつも(いや別に誰もいってないよ)頑なに着用を続けている超立体が、呼吸器系へのアレルゲンの沈着を防いでくれているのだろう。花粉そのものが少ないというのもあるだろう。
 これからの時期、このまま済んでくれればいいのだが。

2004年03月10日(水曜日)

暖かな夜

23時22分 暮らし

 帰宅すると、すぐにエアコンを点けるのが、ここしばらくの習慣だった。今夜も帰宅してすぐにリモコンを手に取ったのだが、『あ、こりゃ要らんわ』と思い直した。こんな暖かい日ならナイトランも楽だろうと思ったが、今夜は帰宅が遅かったので諦めた。明日も明後日も、帰宅は遅くになりそう。
 そろそろ早朝ランを開始するかな。

2004年03月09日(火曜日)

夜トレしました

23時13分 自転車

 最近、空気が温んで来たし、今夜は夜トレしようと思った。
 21:30頃に家を出て、いつものコースを回ってきた。む、スピードメーターが凄いことになっている。積算距離計が0に戻ってるし、速度もマイル表示だ。どうやら電池が切れかけているようだ。換えないと。このスペシャのサイクルコンピュータは、かれこれ3年使ってきたわけだ。意外に保った感じがする。
 土日の疲労はいまだに回復せず、トロトロ走るのが精一杯だった。ダメだな、これではセンチュリーランなど出来そうにない。鍛えねば。センチュリーランよりは、ブルベに興味があるのだが。基礎体力が無いし、スキルもないので、これで挑戦するのは無謀なだけだ。
 とぼとぼと走りきり、帰宅。今夜は夜空が晴れ渡っている。明日もいい天気になりそうだ。

2004年03月08日(月曜日)

夕食は塩鯖

21時30分 暮らし

 会社からの帰り、スーパーで食材を探していたら、塩鯖が安売りされていた。そういえば、お好みハウスで鯖をたらふく食うという願いは達せられなかったなと思いつつ、脂の乗っていそうな部分を買ってきた。食いたきゃ買えばいいのだが、このスーパーには塩鯖があまり置かれてないのだ。
 それを焼き網でじっくり炙り、脂が滴るほどになったところで、食卓に。高校生の頃は、これだけでご飯3杯は行けたよなあ。そういえば、あの頃は肉があまり好きじゃなかったのだ。それが社会人になって、手早くエネルギーを取れる肉料理にシフトしてしまったのかもしれない。いや、吉野家の影響もあるかも。そういう意味では、最近魚づいているのは、吉野家の牛丼休止の影響が大きいのかもしれない。ありがとう、BSE!(違う)

2004年03月07日(日曜日)

S&Bホンコンやきそばとの遭遇

23時22分 暮らし

 今日のツーリング中、こぐ氏からタイトルの物体を拝受した。かつて、日清やきそばと天下を二分するほどの人気だった商品だが、いつしか忘れ去られ、しかし一部の好事家の脳裏からは離れなかったものだという。なんでも、いまだに北海道と九州では売られているそうだ。そこでインターネットで入手する輩が後を絶たず、いつしか全国普及委員会なる任意団体まで作られているという。僕は興味を持ってなかったのだが、こぐ氏が持ってくる数を間違えたとかで、ただでいただけることになった。貰える物なら何でも貰い隊の隊員としては、いただかぬ手は無い。
 これが包装だ。"SB中華コック長"なる人物が、なんとも頼もしい。おるんかい、ほんまにそんな役職が。
 作り方は簡単だ。フライパンに200CCの湯を沸かし、麺を投入、水気が無くなるまで麺をほぐしてゆけばいいというものだ。そう、まるでチキンラーメンのように、調味料を麺に浸透させているのである。
 出来上がり。最初はどんな代物になるかと思われた。というのも、麺の色は意外に薄く、例えば日清ソースやきそばのような系統の味に化けるとは、到底思えなかったからである。しかし、ほぐれた麺は色がやや濃く、案外に美味そうに映る。しかし、湯が無くなっても、麺は完全にほぐれきったようには見えなかった。
 食べてみると、想像した以上にスパイスが効いていた。いや、口にしただけでは分からないのだが、食べ進むうちに次第に口内が侵食されてゆく感じなのだ。思うに、スパイスの類は全て麺に練りこんであるので、咀嚼することで初めてこの風味がかもし出されるのだろう。
 食前には、チキンラーメン風の味わいを思い描いていたのだが、むしろぺヤング系の味付けだった。
 このホンコンやきそば、レシピ通りに作ると凄く固く仕上がってしまう。後1、2割ほど水を増し足すと、ふつうの袋やきそばの食感になるだろう。このやきそばに関して記述した他のページを見ても、そういう考えが散見される。しかしこの硬さは、実は意図したものなのではないかと思った。かたやきそばがあんにふやけたときの食感に似ていると思ったのだ。そういう意味では、実は市場の主流を占める、いわゆるやきそばとは、ずいぶん異なった食感を狙っているのかもしれない。
 しかし、この麺に調味料を練りこむという製法が癌で、ふつうのソース分離型のように野菜を一緒に炒めるということが出来ない。この辺が、マイナーなまま留まった理由なのかなと思った。しかし独特の食感と味わいが、コアなファンをがっちり確保できた理由なのだろう。

大山しし鍋ツアー2004

21時17分 自転車

 今年で3回目の大山ツーリングの日がやってきた。去年、一昨年とヒルクライムする割にはカロリーが過剰なほど食いまくるツーリングとなった。
 朝は6:15には起きるつもりだった。確かにその時間に目覚し時計(携帯電話)を止めた気はするのだが、ふと気づくと7:00前。いやはや、二度寝しちゃったか。大慌てで飛び起き、身支度して、長後方面へと慌しく走り出した。朝食抜きなのである。
 長後に向かったのは、たか氏と伊勢原まで自走しようと、前日の夜の掲示板に書いておいたからだ。たか氏からはかくかくしかじかで待つ、という返答があり、そこに行けばいいだろうと安心しきっていたのだが。
 件の場所に到達したのは約束の時間の前だったのだが、時間が過ぎても一向にたか氏は現れない。夢の世界か? しかし、電話番号を携帯に記録してなかったので、連絡も取れない。他のメンバーに連絡をとってもらえないか、と掲示板経由でお願いする。その間、今日のMR-4Fの写真を撮ったりしながら、のんきに過ごした。
 その後、8:30になってたか氏と連絡が取れた。なんと、すでに現地に到着しているという。待ち合わせ場所で待っていたが(僕が)こなかったので、てっきり輪行するものだと思い込んだらしい。さらにいえば、待ち合わせ場所も間違っていた。"XXから信号三つ目"ということになっていたのだが、実はたか氏の知らない間に信号が新設され、僕が馬鹿正直にカウントしながら走ったため、一つずれてしまったのだ。これはいったい、どうしたことなのじゃ!(常田富士夫風に読め)。
 ともあれ、現地に走る他は無いので、自走で向かうことにした。輪行ではかなりの時間を要するのだ。
 9:00集合予定ではあったが、足をいじめつつなんとか9:40頃には到着し、すべてのメンバーが揃った。ハンガーノックになりそうなので、駅にあった総菜屋でたこ焼きを買い食いする。
 ここからが大山登山の始まりだ。昨日の50kmほどのひとっ走りが意外に堪えたようで、既に足に疲労を感じていた。まだ斜度が緩い場所は大丈夫だったが、きつくなるに従い、心拍が急上昇し始めた。つらい。つらいが、何とか止まらないで上ってゆく。
 途中、奇妙な建造物がどかんと建っているのに遭遇。過去2回ここを上っているのだが、誰も気づいてなかった。ABM発射基地か? いや、銀行の文書保存施設だった。銀行の文書は永久保管だとか。そんなの不可能だろうが、超長期ローンなどを考えると、1世紀は保管しなければならないだろう。恐るべし、銀行。
 土産物屋で一枚撮った後、最後の上りにかかった。ここは無理せず、休み休み上っていった。整備して調子のいいMR-4Fにも助けられ、なんとかまり屋に到着した。もう上らないでいいんだな、と燃え尽きたボクサーのようにしみじみ考えた。
 毎年御世話になっているまり屋さんで、早速しし鍋をいただいた。効果時間を考慮し、黄金色の発泡する液体(人体に注入することで目覚しい効果をもたらすという)を一杯だけやり、しし鍋を時間をかけて平らげた。こぐ氏らが両国で食したという野性味溢れる獣類とは異なり、洗練された鍋というべきだろうか。最後にご飯にかけていただいたのだが、これもおいしかった。
 しし鍋の後は、一休みして近所の散策を。今年の大テーマとして、仙人鍋リベンジというものがあった。昨日今日と開催されている大山豆腐祭りでは、駐車場で様々な催しが行われている。その一つが仙人鍋。巨大な鍋で仙人鍋なる豆腐を使った料理らしきものが振舞われるらしい。ところが、過去2回、我々はこの仙人鍋を食い逃していた。会場では、ちょうど豆腐大食いコンテストというものが開催されていた。わんこ豆腐なる、このコンテスト以外では決して目にすることの無い代物を、いったい何杯平らげられるかが競われていた。我々が見ている前で、21杯という偉大な記録が打ち立てられた。僕の観測では、このコンテストを勝つためには、食うのではなくて飲む、が鉄則だと思われる。21杯の人も、豆腐(1/4丁程度と思われる)を二口で飲むようにしていた。胃薬とお友達になれるだろう。
 仙人鍋は14:30かららしいという情報があったので、それまでは ケーブルカーの駅まで続く土産物屋をうろついた。いつの間にかせんべいを二袋ばかり仕入れていた。去年は蕎麦を買い、それなりに美味かった記憶がある。今年は下社へは参らなかった。
 会場に戻ってみると、まだ13:30を回ったばかりなのに、もう行列が出来ている。また食い逃したのではたまらん、と並んで待った。
 14:00に仙人鍋がスタート。と、アナウンスがあった。なんでも『鍋奉行が~の行事を執り行う』とのこと。しかし、来場者の大半は列を作って待っているので、全く見ることが出来ない。謎の儀式であった。
 いよいよ配布が始まり、やがて遂に仙人鍋を手にすることが出来た。豆腐となにかの草が煮られたもので、ポン酢がかけられていた。豆腐はまろやかで、草は石油系の味わいがあった。目的は達成できた。いま少し会場を散策した後(ちなみにこれは仙人鍋の全景で、奥が鍋奉行氏らしい)、会場を後にした。
 下りは気持ちよく、しかしバスに絡まったりしながらも、あっという間に下山した。下る途中で進路を変更する。鶴巻温泉に向かうのだ。
 鶴巻温泉で汗を流し、しばしぐでーっと寝転がっていた。意外に堪えているようだ。急激に気温が低下した影響もありそうだ。
 最後は毎度の天安。今年はてんぷら盛り合わせと鳥雑炊。てんぷらはごま油の香りも高く、雑炊はお腹に優しい味わい深いものだった。この店、物凄く地味に営業しているので、たか氏がジモティに聞いてなかったら、決して気づかなかったろう。入店したとき、店の人に『インターネットでうちの店のことを書いてくれた?』と聞かれた。なんでも、娘さんが天安のことをインターネット検索で調べたら、誰ぞのページが引っかかったらしい。天安に関して詳しく書いたのは@nakさんちだから、恐らくそちらでヒットしたのだろうということになった。
 天安が込み合ってきたので、帰宅することにした。
 鶴巻温泉駅から輪行し、海老名でたか氏と共に降り、そこからは自走で戻っていった。たか氏は『峠を三つ越える』といったが、その通り、ピークを三つ越える羽目になった。疲労しているようで、あっという間に心拍数が急上昇だ。走り込んでないのがありありと分かった。
 なんとかピークを越え、本来の待ち合わせ場所まで戻ってもらい、そこで別れを告げた。そして一人でのんびりと走って帰った。
 今年は参加者が少なくてやや寂しかったが、来年もやりたいもんだ。

補遺

06時16分 自転車

 昨日、修理した部品を"テンションボルト"などと書いたが、正式名称は"アウターアジャストボルト"らしい。テンションボルトは、ストロークアジャストボルト(ハイ/ローの位置決めボルト)の近くについている、フレームとの支え棒のようになっているそれのことだ。ややこしいんだよ!

2004年03月06日(土曜日)

MR-4Fのリアディレイラーの修理を試みた

22時45分 自転車

 MR-4FのRD不調の原因というのが、実はテンションボルト(ワイヤを固定部に通すところのアウターを固定している部分がボルトになっているのだ)のネジが切れてしまったというものだった。なんかの拍子に斜めにねじ込んでしまい、それから奥まではまらなくなってしまったのだ。おかげでテンション調整幅が極端に狭くなり、テンションを上げるに上げられなくなった。その結果、ギアに負荷が掛かると、RDが左右に動くようになり、チェーン飛びが起きるようになったらしい。原因の推測は可能だが、修理は可能だろうか。
 修理するとすれば、まずパーツ交換が考えられる。ところが件のテンションボルト自体はともかく、それがはまる部分はRD本体であり、スモールパーツとしては扱ってないようなのだ。つまり、本体買い換え? シマノの実質大幅値上げの後なので、あまり買い換えはしたくない。
 とりあえず、ネジの切り直しでなんとかなるか、やってみることにした。
 自転車からRDを取り外し、タップとダイスでボルト、受け部それぞれにネジを切り直してやった。M6らしい。ブロワーで切り屑を飛ばし、グリスをたっぷり付けてはめると、なんとか使えそうだ。ただ、ユルユルで、なんかの拍子に動きそうだ。この部分はスプリングとワイヤ自身でテンションが掛かっているので、そうは簡単には動かないだろうが、ワイヤが激しく行き来するので、油断は出来ないな。
 とりあえず、RDを付け直し、モノはついでにチェーンとスプロケットを清掃しておいた。時間が無いのでディグリーザーをジャンジャン使う、地球に厳しい清掃だ。さらに超音波洗浄機にも掛けておいた。チェーンは凄くきれいになるな。
 これらを取り付け直し、近所を試走する。うん、ギア飛びは皆無になった。問題は、ロングツーリングでなにかが起きないかだ。まあ、前と違ってテンションボルトはちゃんと動くので、その時はその時で調整し直せばいいか。
 明日の大山には、こいつを連れていこうと思う。

GCSに行ってきた

20時13分 自転車

 今週の半ばくらいまで、土曜日は雨という予報だったのだが、朝早く降っただけで、きれいに止んでくれた。いい天気になった。
 さてさて、明日は恒例の大山しし鍋ツーリングの日だ。過去2回はBD-1で登ったから、今年は別の自転車で行きたい。となると、モノはMR-4F改しかない。他の自転車は輪行に向かないか、坂がつらすぎるかなのだ。しかし、MR-4Fも気にかかっていることがある。リア・ディレイラーの調子が悪く、変速が決まらないのだ。原因は分かっているので手の打ちようはあるのだが、かなりかなりそうに思って着手できないでいた。しかし、どれくらいダメなのか見るために、こいつで横浜に出かけることにした。前から名前は知っていたGreen Cycle Stationに行ってみたかった。この店、ずっと鶴見にあったのだが、最近山下公園の近くに越してきたらしい。
 MR-4Fを久しぶりに出して、踊場方面に向かった。なにせRDの不調が気にかかり、あまり積極的に乗りたくなかったのだ。が、久しぶりに乗ると、やはり手持ちの自転車では一番ポジションが出ているように感じる。しかしRDの不調は目を覆うばかりで、少し負荷をかけると、即座にチェーン飛びが起きる。負荷をかけないようにきれいに回すと良いのだが。きれいに回すトレーニングにはなるかもな、などと突っ込みどころ満載のことを考えながら、R1を走っていった。
 途中で横浜市道環状2号線に合流し、磯子まで走り、磯子から本牧に、本牧から山下公園方面へと走った。空は半分以上が晴れているが、北の方に禍々しい雲があり、どうにも気にかかる。
 山下公園の近く、1本南西の通りを走って行くと、突然GCSの看板が目に飛び込んで来た。ここにあったのか。県民ホールの裏側だった。
 店内はそれほど広くはないのだが、小径車を中心にかなり在庫しているようだった。ルイガノがめったやたらと目立った。在庫の7割はそうだったのではないだろうか。他の店ではあまり見ない、リクセンカウルのバッグ類も在庫しているようだった。ここで前から欲しかったシートピラーアタッチメントを入手した。僕がいた30分ほどの間に、男女のペアと親子連れがやって来ていた。地の利はありそうで、名が知られるに連れて客が増えるのではないだろうか。小綺麗な店舗だった。
 GCSを出て、さて走り足りないなと感じたので、サガミ方面に走ることにした。R16を鶴ケ峰まで走り、厚木街道経由でサガミに立ち寄った。2Fアパレルフロアがやや模様替えをしていた。前に較べるとヘルメットの在庫を漁るのが楽になったようだ。
 3Fもやや模様替えしたようだった。しかし、去年の梅雨の時に頼んだ完組、いつになったら組んでくれるんだろうね。マビックのリムが一向に入らないようだ。GIANTが全部買い占めたとかいう噂も聞いたが。
 境川に出て、帰宅した。

2004年03月05日(金曜日)

Nucleusを更に更にいぢる

16時00分 インターネット

 Nucleusにページ切り替えプラグインのNP_ShowBlogs0.22を導入した。これでやっとアーカイブページを経由しないでアイテムを一定数ずつ表示させてゆくことが出来る。
 さらに、左ペーンに表示していたリンク類を、NP_LinkListにまとめた。
 さらにさらに、NP_AllBlogsを使い、全Blog縦断的にRSS2出力を出来るようにもした。RSS2(ALL)からゲットできます。いちおう、日記ページにもリンクを設定しておいた。
 しかし、誰がつかっとるのかね、RSSって。

2004年03月04日(木曜日)

Nucleusのチューニング

18時36分 インターネット

 Nuculeusのチューニングを細々と。
 Nucleusが吐くコードがXHTMLを意識してはいるのだが、DOCTYPE宣言はHTML4.01のままで、しかもそのどちらからも逸脱したヘッダー構造になっているのが気に掛かっていた。そういう部分は、基本的にはスキンに記述されているので、直接編集すればいい。しかし、BODY内に点在する細かなエラー(タグが大文字で宣言されているの類)は、ソースを直接編集しなければならない。面倒だな。MozillaでもIEでも閲覧は出来るので、ここまでにしておくか。
 ソースを読んで、割と簡単に手を加えられそうなら、修正するにやぶさかではないが。

2004年03月03日(水曜日)

ローラー台

21時48分 自転車

 今夜も時間的に余裕がある。よし、夜トレだ! などと考えたのだが、どうにも空模様が不安だったので、室内でローラー台を回すことにした。
 CLIE T650でヘヴィロックを聴きながら、だんだん回転数を上げてゆく。ローラー台は、気象に左右されないのがいい。だが常に一定の負荷が掛かるので、ずっと足を回してなければならない。実際に走行する時は、坂道の登りですら、足を休められる瞬間があるのだが、それが無い。それゆえ、濃いトレーニングにはなりそうだ。
 40分近く回し続け、脂肪燃え燃え状態なのを実感しつつ、まだまだ回すぜと思っていたところ、突然ヘッドホンからの音楽が途切れた。見ると、電池切れ。うっかりディスプレイONのまま使っていたのだ。電池が少しヘタリ始めているせいもあるのだが、基本的には電池寿命が短いな。こういう用途には、最近のPocket PC(驚くほど看板に偽りありな名称だ)の方が向いているのかもしれない。
 明日も天気が不安定なので、その気になってもローラー台が関の山かな。それと、そろそろ自転車の掃除をしなくては。

2004年03月02日(火曜日)

夜トレ

23時47分 自転車

 朝トレはやらなかったので、夜トレを。いつものコースを走ってきた。自転車はいつものロードではなくて、EPIC号で出動。ハンドル交換の効果を確かめたかったのだ。
 確かに、以前に較べればダンシングしやすく、またグリップを握ったまま踏ん張っても安定する感じだ。ハンドルバーもBD-1の530mm(カーボン製でエンド部にバーエンドバー固定用のアルミが挿入されているため、ここまでしか切れない)に対し、少し短く500mmに詰めたのだが、それも効果あったように思う。もう少し切り詰めてもいいとは思ったが、かえって踏ん張れなくなるように思う。
 ただし、Qファクタの広さはいかんともしがたく、それゆえに踏み込むときに力が逃げる感じがある。ダンシングの時も、ロードに較べると少し大きめに振らないと、安定してくれないように感じた。仕方ないかもしれないな。
 それと、今度はハンドルの高さが気になってきた。シートと同じ高さにしたのだが、ロードみたいに数cmは下げたい気もする。これもまあ、山に持って行くときには、今のポジションの方が有利なのだろう。
 それにしても、どうもロードの乗り味に慣れすぎたのか、マウンテンバイクでは全然スピードを出せなくなってしまった。そういう性格の自転車なのだから、これも仕方ないのかもしれない。

寒さに負けて朝トレさぼる

10時21分 自転車

 今朝は4:00には起きていた。昨夜は20:00に寝てしまった(なんだか疲れていたのだ)というのもあるのだが、ここ数日は暖かだったので、そろそろ朝トレを始めようかと考えていたのだ。が、目覚めて、外気に当たると、ここ数日無かったくらい寒い! 根性無しの僕は、また布団に舞い戻ってしまったそうじゃ(常田富士夫風に読め)。
 実は、月曜日の朝も4:00頃に起きていたのだが、雑用を片付けているうちに日が昇ってしまい、なんとなくやる気が殺がれてしまった経緯がある。こんなことではいかん、と僕の腹部脂肪(最近、また成長期)が主張しているのだが、根性の無さはどうにもならんな。

いろいろプラグイン入れ(換え)ました

10時03分 インターネット

 NucleusでBlogを立ち上げたとき、カウンターとロギングは欲しいなと思った。カウンターとしてはNP_Counter(オリジナル版)を使っていたのだが、全てのヒットをカウントしてしまうため、リロードするだけでカウントアップしてしまうなど、いまいちだった。そこで、これを日本のユーザたちが改良したNP_Counter(改良版)に入れ換えた。オプションでカウントアップのトリガーを制御できたり、カウントの詳細を表示できたりと、便利だ。
 一方、ロギングの方はNP_Logを使っている。これもいまいち気に入ってないのだが、こいつに関しては使い方が分かってないだけかもしれない。HNSみたいに検索元一覧とかを作ってくれると嬉しいのだが。
 後、ページング制御プラグインとしてNP_OneLineNaviも入れてみた。これの設定は後でやっておこう。

2004年03月01日(月曜日)

ハイチの混迷

10時48分 思考

 まるで恒例行事のようなハイチの混迷を、かなり他人事のように眺めている。アリスティドは事実上退陣し、さりとてそれに代わる者は無さそうだ。もしかしたら、かつてアリスティドを追った軍事政権の誰かが、再び政権を掌握するかもしれない。今回、蜂起した"武装勢力"(マスコミもアリスティドを追った勢力の正体を掴みかねているようなラベリングだ)の支柱を、アリスティドが解体したハイチ国軍の元軍人たちが占めているらしいという情報を見るにつけ、さもありなんという気になる。識字率が極端なくらい低いハイチでは、軍人は社会的なエリートだ。アリスティドは、その母集団である軍を解体することで、民衆へのアピールと、アメリカによる介入(ハイチ国軍にアメリカの影響が強かったことは確かなようだ)の予防を図ったのだろうが、まるで狼を野に放つような形になったわけだ。
 アメリカは、遂に国際世論の声(にこたえる形)で軍事介入するようだ。アメリカからすればシナリオ通りということかもしれない。アメリカがハイチ国軍を復活させ、"民主的な選挙"により旧国軍関係者を政権に据えれば、デュバリエ政権に見切りをつけて以来、アメリカが抱き続けてきたシナリオが、遂に完結する。まあ、国際世論は水物なので、ハイチ民衆の向かう先ともども、どう転ぶか分からないけれど。と、この辺が他人事のようだが。
 陽光と青い海に恵まれたはずなのに、世界最初の近代的黒人独立国家のはずなのに、火達磨になってのた打ち回っているような国、ハイチ。識字率の低さ、人々の横のつながりの低さが癌だと言われているこの国を、いったいこの世の誰が立て直すことが出来るのだろう。ハイチの人々に、いや人間に対して投げかけられた、大きな難問のように感じているのは、果たして僕だけだろうか。