Strange Days

2004年05月31日(月曜日)

雨を待つ夜

23時20分 暮らし 天気:曇のち雨

 今夜は雨になるという予報だった。って、翌日書くのも妙な気分だが、この日記はいわば僕の生活史のパロディなので、こういう無茶な書き方も許されるのである。って、許されるのかよ! そりゃあ自分のことだし。まあともかく、時制を含め、かなり虚構が混じってると思いねえ。
 今夜は雨になるという予報だったのだ。新聞のウェブページで天気を確認すると、気が早いもので既に降っていることになっている。横浜でもこの辺りは、まだ降り出してはいないのだが。今夜は夜トレに出かけようかなと思っていたのだが、雲が不気味な厚みになっているので、躊躇した。走り出して、いきなり雨だと嫌だしな。最悪なのが、ある程度走りきったところで雨、さらにパンクという流れるようなコンボを食らうことだ。近場なので大丈夫だろう、などと舐めていても、折り返し地点では12Km強もの距離があるのだ。
 そんな風に、やっぱり出ようかな、いや雨が降りそうだし、などとそわそわしていたら、夜半にようやく雨が降り始めた。これでようやく安心して夜トレを諦められるのだ。
 雨はひとしきり降ったところで止んだが、真夜中に再び降り始めたようだ。空模様は、すっかり梅雨空である。

2004年05月30日(日曜日)

夏の星座をじっくり見ました

23時33分 星見 天気:晴れといえよう

 昼の間、雲は多かったのだが、その間に垣間見えた空の青さが気になっていた。晴れてくれないかな。
 真夜中、寝る前にベランダに出ると、案の定雲が大きく切れ、晴れ間が広がっている。雨という予報は完全に外れてしまったわけだ。ともあれ、CANON18*50を持ち出して、さそり座に向けた。
 さそりの心臓(アンタレス)の近傍にはM4があるはずだが、まだガスの掛かっている空からは、見つけ出すことが出来ない。その代わり、M7はすぐ見つかった。これはきれいだ! ざっと見、100個以上の微光星が群れ、その背後からもさらに暗い微光星がぶつぶつと浮かんでは消えてゆく感じだ。シンチレーション変動が大きく、ごく暗い星は点滅状態になったようだ。しかし透明度そのものはかなり高く、相当に暗い星まで見えていた。こんなに見事に見えるのなら、MIZARの80mmにも出番を与えてやろう。大急ぎで三脚を取り出し、20*80を載せた。その途端、大きな雲が南に掛かってきた。えーっ、このタイミングでですか……。しかし、西には次の大きな切れ目が見えていたので、それまでは辛抱して、目を暗順応させがてら、細い切れ目から星をのぞいていた。やがて、再び雲が切れた。
 今度こそ、とM7に向けると。これは流石に50mmよりさらに迫力ある眺めだった。息を詰めて見つめていると、背後の暗い空間にも、多くの星が浮かんでくるように思えた。少し北西にずらすと、M6も見える。M6は、いつもならせいぜい10個くらいの微光星しか見えないのだが、80mmで見ると倍くらいは見えているように思えた。こうなると、立派な散開星団だなと思える。
 ワイドビノで星座を眺めつつ、80mmをM8に向ける。散開星団と、それがまとった散光がきれいだ。
 これなら良く見えるだろうと、いて座の中ほどにあるM22を探すと、やはり一発で発見できた。双眼鏡では面白みが無い天体だが、望遠鏡で見るとそれなりに楽しい眺めになる。
 こうして、さそり座といて座の周辺をしばし散策した後、撤収した。これからは、天体観測には難しい季節になる。しかし、機会があれば、境川沿いの暗い場所から、空を眺めてみたい。

疲労回復のみなとみらいポタ

17時49分 暮らし 天気:意外に好天

 昼ごろ、あまりの暑さに目覚めた。なに、この暑さは? どうやら真夏日だった模様。昨日の予報では雨になるということだったので、一日中寝ているつもりだったのだが。
 起きてみると、意外に疲労を感じない。寝る前のアミノバイタル素人が効いたか。部屋に居ても暑いだけなので、ちょうど開港際で賑わっているはずの、みなとみらい地区をうろつくことにした。僕も変わったものだ。数年前なら、こんな日はさっさと冷房を入れて、引きこもっていたものだが。
 激走するつもりなんかかけらも無いので、持ってゆくのはトレンクルにした。都市部では十二分な走行性能を持っている。これをブロンプトン用輪行袋(ちなみにブロンプトンは持っていない)に収めると、実に具合が良い。しかし、困る点があった。はたと気づいたのだが、これを吊り下げるスペースが無い。ブロの場合はハンドルバーに提げるか、キャリアに載せるかなのだろう。しかし我がトレンクルの場合、ハンドルバーには既にモンベルのバッグが着いて、キャリアは無い。するとサドルに提げるというのが次善の策だが、これも既にドイターのボトルケージ兼用バッグが着いているのだ。しかしまあ、このバッグはボトルケージとしては使いづらく、予備チューブなどはフロント側のバッグに収めればいいのだから、はずしてもいいか。というわけで、めでたく輪行バッグも車体にぶら下げることが出来た。
 立場駅まで走り、関内まで輪行して、再びトレンクルを組んだ。山下公園の端まで走る。凄い人出で、ステージショーが組まれている模様。駐輪して、D70を片手にうろついた。沖では中国式カッターによるレースが行われていた。そんな中、中心にある庭園は、不思議なくらい人影が少なく、落ち着いた雰囲気が保たれていた。
 遊歩道を経由して、新港パークへと向かった。途中、マッスルシアターなる、謎の催しを発見。これはなんじゃ。ふくしま正美監修のマッチョ劇か? なら見たい(爆)。けどそういうわけでもなく、健全な催しっぽかったので、素通りした。
 新港パークと隣接した海保の埠頭に、海保の巡視船と、大型の帆船が停泊しているのが見えた。体験公開の類が行われていたようだ。
 さらに臨港パークに入ろうとすると、『まだ自転車進入禁止です』と警備員に制止された。なにか催しがあったようだ。別に未練は無いので、そのまま引き返した。買い物したいものも無かったので、また関内駅まで戻り、地下鉄で帰った。
 今日、改めて思ったのは、トレンクルでの輪行の楽さだ。軽くて小さいので、非常に楽なのだ。もう少し軽くするために、BB周りを換えてみようかと考えている。

2004年05月29日(土曜日)

多摩川周回走行(栄光の紅虎宴会編)

23時26分 自転車 天気:晴れ晴れ

 さて、今日はにち氏の呼びかけによる、多摩川ロングライド・リベンジ編(この時点の想定では返り討ち編となる予定だった)に参加する。
 集合場所の二子玉川までは、僕の住処からは30Kmほど。自走も検討したが、なんとなく気合が入らず、地下鉄~東急と乗り継ぐ輪行で向かった。現地まで2時間ほども掛かってしまった。MR-4F改で出動したので、輪行準備と解除に時間が掛かり、また地下鉄があざみ野まで1時間以上も掛かるので、仕方が無いのだが。
 集合場所の二子玉川の橋の下に着くと、すでに@nak(あ)氏らが到着していた。加藤氏、わかば女史とお会いするのは久しぶりな気がする。
 しばらく、(あ)氏のAirFridayを品評したりしながら待っていると、だいたい全員が集まったような雰囲気が漂ってきた。今日の作戦を説明される。まず下流の羽田空港方面に走る。それから昼までに現位置に戻り、昼食後に上流の羽村に向かい、折り返してくるという作戦だ。過去、羽村まで走った後、二子玉川で紅虎の誘惑に負けてきたので、この作戦はいいかも。なんとなく、返り討ちに遭わないで済みそうな気もしてきた。
 下流に向かって走り出した。途中でマモル氏と合流し、ガス橋辺りで右岸に渡った。多摩川の下流域は、特に橋梁を通過するときの切り返しが不条理なほどで、走っていても苦痛に感じるほど嫌いだ。道も狭い。なぜ他の河川コースのように挨拶をする人がいない(それも皆無)のか、よく分かった。すれ違いざまに挨拶なんかしていたら、道を外れるか、対向車と衝突するか、どちらかの危険性が大きすぎるからだろう。
 しかし、東京側は、道幅こそ同じようなものなのだが、場所が開けた河川敷や、交通量の少ない土手の上などなので、かなり快適に走れる。自治体としての体力の差なのか。
 やがて、道が非常に細くなり、その向こうに鳥居が見えてきた。これが『呪いの鳥居』か。実しやかに流通している話では、この鳥居を撤去しようとしたWW2直後のGHQ関係者、その後の羽田拡張工事の関係者が、次々に変死したということだ。しかし、具体的にどこの誰がどう変死したのか、なんて話はついぞ聞けた例がなく、まあ与太話なんだろう。たぶん、GHQがなんらかの理由(景観への考慮、必然的な土地返却に備えてランドマーク的に残した、など)で残しただけなのが、日本人に色濃い先例主義で維持されてきた、なんてのが真相なのであろう。
 ここで記念写真を撮る。今日もD70に18-70mmを着けて行ったのだが、広角の威力は素晴らしく、近距離から縦位置で写しても、総勢13名と鳥居を収めることが出来た。
 ここから来た道を引き返し、出発地点に戻ったのは昼前だった。近所のコンビニで昼食を買った。しかし、戻って橋の下で食べると、ごみが出てしまう。背負って走るのは嫌だったので、コンビニの前で片付けた。
 12:30頃、川上に向けて走り出した。みんな、意外に元気な雰囲気。しかし、僕はここで大きなトラブルに見舞われた。GPSが起動しない! 電池を入れ換えてもダメ。くそっ、内部断線かな。しかし、失くしてしまうよりは、修理依頼で直せるだけましか。
 対岸に渡ると、ウォーキングの人々が、列を成して歩いている。その横をすり抜けつつ、不整地区画を走っていたところ、前輪がパンク。最近、パンクが多いな。止めて、チューブを入れ換えた。しかし、パンクの理由が分からない。過去2回のように、ガラス片が刺さったわけではない。リム打ちだろうか。家にあるピスタポンプが不調で(パッキンが壊れているようだ)、パナのものも空気圧がかなり低く出る傾向が続いていたので、それらを使って入れたMR-4Fのタイヤが、気圧不足でリム打ちしてしまったのかもしれない。タイヤも減っている箇所が斑のように増えているので、いい加減換え時かも。5000Kmももたなかったな。
 ともあれ、原因究明に時間をかけたため、修理完了まで15分を要した。MR-4Fに着けているe-ShockMaster Blusterでは、7BAR強まで入れるのが辛いというのもある。やっぱり、RoadMorphが入れやすいな。
 ともあれ、この遅れを取り戻すため、ウォーキング隊が充満するサイクリングロードを捨て、川沿いの一般道を突っ走ることにした。少し急ぎ気味(でも30Km/h弱)で走り続け、府中の森公園辺りでサイクリングロードに復帰、さらに北上していたところ、にち氏から電話が入った。近くの府中の森で休憩しているという。しかし脱水症状を起こし、唾液が出ない事態に陥っていたので、ともかくY's Parkまで走ると伝えた。
 Y's Parkに着くや否や、まずはコカ・コーラ500mlを一気飲み。さらにボトルのグリコーゲン・ドリンクを空け、やっと一息ついた。さらにチューブの修理を試みるも、パンク箇所の究明に手間取っているうちに、にち氏から電話が入った。既に関戸橋を過ぎたらしい。追いかける必要があるので、修理は見送り。走り出した。
 やや上流、一度住宅街へと外れる辺りで、本隊に追いついた。長い単独行の終わりだ。そこからは、概ね末尾にくっ付いて走った。
 要所要所で休憩を取りつつ、黙々と走り続ける。やがて、前方に羽村の取水堰が見えた。やった、折り返しだ。
 ここまで来ると、もう折り返すだけ(というか折り返さなければ帰りつけない)なので、みんな気が大きくなっている。そこで帰路は自販機で適当に補給しながら走るという方針が示された。記念撮影をして、折り返した。
 帰路、トレンクルで参加のみはる女史の調子がいまいちだ。流石に疲労したようだ。またにち氏もスピードが上がらない。逆に(あ)氏は快調で、スピードアップしたりもしていた。関戸橋の南で休憩し、さらに走り出した辺りで、(あ)氏がするするとスピードアップして行くのが見えた。このチャンスを逃すものかと、それに追随してスピードアップして行った。30Km/h平均で突っ走る。適当なところで(あ)氏に並び、「引きマース」と宣言してしばらく引いた。それまでの低速運転で溜まっていたストレスが、このすっ飛ばしで解消できたようだ。
 その後、スピードダウンしながら、登戸大橋で後続を待った。ここで全員が集合した後、対岸に渡り、さらに二子玉川へと下っていった。今度は加藤氏と(あ)氏がスピードアップして行ったので、それに着いて行った。こちら側は道が非常に細いので、スピードを出すのは正直チト怖かった。
 そうやって二人を追いかけているうちに、見慣れた橋梁が見えてきた。ゴール。大体、115Kmくらい走ったようだ。ともあれ、因縁の多摩川周回は、ルートを勝手に縮小しながらも、ついに完遂された。
 夕闇迫る橋の下で記念撮影した後、少し待って席を取れた紅虎で、激食慰労会が開催された。が、睡眠不足に疲労、さらにあまりに美味いビールが響き、僕自身は始終撃沈状態であった。
 二子玉川駅で三々五々別れ、僕は往路を逆にたどって帰宅。改めて、多摩川の上流域は走りやすいなと思った。走りにくいと思っていた下流域も、東京側はなかなか快適だったので、今度は一人で多摩川上流~羽田までのツーリングをやってみたいもんだ。

2004年05月27日(木曜日)

なんだかダメな夜トレ

23時26分 自転車 天気:日差しあり

 春だなあ。#9で引用されたシラーの詩に、身につまされる思いをさせられている身としては、しばし息を潜めておくのが吉ナリヨ。
 さてさて、今夜は振れ取りしたホイールを見る意味もあり、TCR-2で夜トレ(いやむしろ体調維持)に出かけた。
 アウターでがんがん踏んでゆくぜ、などと頭では考えているのだが、足の方はちっともその気が無いようだ。アウターにしてもリアがローに近い方では様にならないよ。なんか重いなあ、それは向かい風だからか(緩い向かい風だった)などと考えつつ、サイクリングロードの南端で折り返し。やっぱり全然スピードが出ないやんけ。これは、もしかして、球辺りが強すぎ?
 COSMOSのハブは、クイックを抜き、一方をプライヤーかなんかで固定し、もう一方を六角レンチでまわすと、ハブ軸は取れる。しかしベアリングはカセット式で、外れそうには見えない。グリースガンでグリスを注入するだけかな。ともかく、そういう構造なので、このハブ軸の締め付け具合で球当たり(というより回転の渋さ)を決められる。これがきつすぎるように感じた。
 帰宅して、できるだけ緩い設定にしておいた。それでも自然にハブ軸が緩む感じは無いので、まあ大丈夫だろう。
 この自転車、後はヘッドパーツの清掃くらいはしておきたいな。

2004年05月26日(水曜日)

なにも出来ない一日

22時10分 暮らし 天気:晴天なり

 症状は更に悪化し、今日はほとんど寝床でうなっていた。なんだろうな、この不調は。
 夜になって、さすがに寝ているのにも飽きたので、TCR-2のフロントホイールを外し、振れ取りしてみた。案外に振れていないもので、念のためにテンションを統一し(ラジアル組みなので簡単)、振れを取っておいた。MAVIC COSMOSは廉価グレードの完組みホイールだが、かっちりした走行感があり、またこれだけ触れが出にくいのだとすると、人気があるのも分かる話だ。次もMAVICのにしようと思う。

2004年05月25日(火曜日)

体調急降下

17時40分 暮らし 天気:晴れらしい

 昨夜夜から色んな症状が一気に出てきた。腹具合が悪くなったのと、微熱が出てきたのと、喉がいがらっぽくて咳が出やすいのとで、大変だ。今週は暇な週なので会社を休んだが、熱が下がったのを見計らい、昼過ぎにサガミへと出かけた。用事は雨具を見繕うこと。
 NO.3店、サイクルセンター店と回ったが、やっぱりこれというものは無い。コンパクトに畳めそうなものはあるのだが、収納に困りそうなタイプばかりだ。畳んで、自分のポケットを裏返すと、それに収めることが出来るようなタイプがいいのだが。そういう意味では、今使っている合羽でも問題は無さそうだ。でも、これは蒸れるので、通気性の高い素材のものが欲しいのだ。
 後はカーボンフレームと、ホイールか。秋にすっぱりカーボンフレームの完成車を買うか、安めのカーボンフレームを買って、TCR-2のパーツを移植するか。どっちにせよ、年内にはカーボンフレームにするつもりだ。
 帰宅して、また布団で寝ていたが、体調はさらに下がるばかりだった。南会津で楽しいことがあった反動か?

2004年05月24日(月曜日)

疲れを癒す月曜日

20時55分 暮らし 天気:まあいいかな

 どうせ南会津の疲労が残っているだろうと、今日は事前に休みを取っておいた。昼くらいまで爆睡し、それからようやく後片付けに掛かった。
 14:00頃、清掃するだけしておいたTCR-2を引っ張り出し、ディレイラー調整とチェーンルブの塗布をやっておいた。その結果を見る意味で、南町田のモンベルショップまで出かけることにした。おっと、飯食ってないぜ。というわけで、湘南台で適当に腹に収めておいた。
 MR-4Fに乗り倒した後だからか、TCR-2のポジションは遠く感じる。反面、こっちの方がトルクを出せる気もする。どっちがいいものか、一度プロの目で見てもらいたいもんだが。
 モンベルショップでは、キャンプ用品コーナーを徘徊した。にち氏が7月にキャンプツーリングするぞ宣言を出したので、僕も参加せざるを得ない。寝床の下敷き、調理用品は揃えておこうと思う。揃えるといっても、日常使用しているもので問題無いなら、それを使うだろうが。
 バッグコーナーも徘徊し、FreePack Sportの代替品足り得る逸品を求めた。見つからず。しかし、キャメルバッグの大型のものはいいんじゃないのという印象を得た。でも高いんだ。
 自転車コーナーも回る。やっぱ、カーボンのロードフレームが欲しいな。2005年モデルにめぼしい物が出るのを待つつもりだが。自転車コーナーに限らず歩き回って、乗車中に使える雨具を探した。希望は裾の長い、蒸れない、小型軽量の合羽。どうも眼鏡に適うものは無かった。
 昨日の疲労を色濃く感じつつ、帰宅。

2004年05月23日(日曜日)

第4回東京・南会津サイクルトレイン2日目

23時45分 自転車 天気:いよいよ悪化

 南会津の二日目は、微妙な空模様の下、始まった。まず小峠を越える大規模林道が待っている。朝食直後のこともあり、苦しんだ人は多かったようだ。というか苦しんだ。その後は大桃の舞台を経て、会津高原駅へと向かう。その途中には旧中山峠が待ち構えていた。そして温泉で汗を流し、南会津を後にする。
 終わってみれば、そこここに課題は残したものの、楽しい二日間だと思い返す俺様だった。が、このサイクルトレインという企画にかかわる課題も浮き彫りになり、確かに企画として見直す時期がきているとも思ったのだった。
[続きを読む]

2004年05月22日(土曜日)

第4回東京・南会津サイクルトレイン1日目

23時28分 自転車 天気:なんとか

 やや睡眠不足気味のまま、南会津へ向かう車中の人となる。心配していた天気も、今日は問題無さそうだった。しかしツアーは、会津田島を出た直後から思わぬ展開を見せる。
 トラブルに見舞われつつも、初日の日程を消化し、素晴らしい夕餉の後は宴会になるはずだった。が、それもなんとなく不発に終わり、なんとなく空振り感の残る初日となった。
[続きを読む]

2004年05月21日(金曜日)

台風去って好天

11時02分 暮らし 天気:いいんだ

 朝方、布団に入った頃(なにせ4:00前だった)には、昨夜から降り続いていた雨と強風が、ピークに達していた。台風2号様が、本州の南海上をお通りのご様子。こりゃあ、会社へは、レインコート着用で向かわねばならないか、と覚悟した。
 が、9:00前に目覚めると、なんと風も雨も跡形も無く、雲ひとつ無いような好天に早変わりしているではないか。展開が速すぎである。ともあれ、強風と雨に打たれながらの通勤は免れた。
 しかし、台風が中途半端に接近したためか、南会津の予報が、余計微妙になっている。雨具の準備をしっかりしておかないと。それと、泥除けも持っていかないとな。

MR-4F整備を続行(ホイール格闘編)

10時57分 自転車 天気:台風一過

 昨夜の夜、MR-4Fのホイールを調整した。その前に、思わず3時間ほど寝てしまう(ダメ)。なんだか体が熱っぽく、風邪の前駆症状っぽかったのだ。
 起きて、ホイールの調整を再開した。一昨日、ハブダイナモの回転部の大きな抵抗故に、振れ取り台の上でちゃんと回転してくれないという困難に直面した。これはクイックシャフトで止めればいいじゃんということに気づき、解決。この状態で、左右のテンションを再度統一した。使用しているパークツールの安いテンションゲージの場合(に限るかどうか分からないが)、スポークへの当て方、当てる箇所により、ゲージの読みが変わってくる。スポークは綾取りをしているので、交差している隣のスポークとの干渉により、張力が変わってくるようだ。またニップルに近い部分と、そこから少し離れた部分でも、違う。正解はどこだろう。とりあえずテンションを統一することに意味があるので、スポークへの当て方を統一し、かつ測定箇所をニップルから10mm程度離れた場所に限った。
 実は、昨夜の時点では、センターが全然出てなくて、もしかしたら5mmはずれているのでは、というくらいだった。しかし、テンションを(正確と思える方法で)統一したところ、それはほぼ解消された。その上で振れ取りをし、ホイールに体重をかけて馴染みを出し、やっと完了。今度こそ振れませんように。
 リア側にも手を着けた。前回は、確かリア側には手を着けなかったと思う。確認すると、結構振れている部分があった。こちらもテンションを統一し(リアホイールはフリー側(スプロケットがある側)と反フリー側とでテンションが違うので、それぞれで統一)、振れ取りに精を出す。ミノウラの安い振れ取り台はきちんとセンターが出てないので、これまたセンター出しに苦労することになった。ともあれ、ホイールは完了。
 さらにディレイラーの調整を終え、MR-4Fをラックに返した頃には、既に真夜中の3:00過ぎ。明日は早く帰って、さっさと寝ないと。

2004年05月20日(木曜日)

俺様らしい文章

13時34分 思考 天気:台風接近中……

 ややっ、この凄惨な日記が、vividな印象なんていわれちゃったYO!
 それはたぶん、あれですよ。文体への考慮の無さとか、アドホックさ加減とかが、そう受け取らせているに過ぎないのですよ;^^)
 自分らしい文章を書くためには、自分というものを表現できる文体を把握してないと無理ですよね。さらにいえばその前提となる"自分"という表現そのものも。でも僕はそんな努力はしたこと無いから(正確にはやっても無駄とすぐに分かっただけだが)、この日記で意識的に文体を作っているなんてことは無いんです。いい加減に書き散らしているだけ。そして多分、それこそが自分らしさを演出する、戦術的な正解ではないかと思ったりして。んじゃあ、今正解を得ているのかというのは、うーむ。

2004年05月19日(水曜日)

MR-4Fのフロントホイールと格闘

20時59分 自転車 天気:くもりのち雨

 帰宅して、MR-4Fのホイールに取り掛かった。昨夜、やや振れているように思ったので、調整しようと考えたのだ。
 振れ取り台に載せて観察すると、確かに振れている。ところが、しばらく観察していると、単純に振れているわけではないのが分かった。ホイールの真ん中にはハブ(こいつの場合はシマノのハブダイナモ)があり、その中心が回転部となっている。この回転部の中心にハブ軸が通っている。このハブ軸と回転部が、どうも傾いているようなのだ。だから、ハブ軸を対象に振れ取りしても、実際に回転させると振れが出てしまう。どういうことよ?
 まあ、回転部を対象に触れ取りすればいいんだろう。ところが、この回転部は、ハブダイナモゆえに非常に重く、強いクリック感がある。手で押さえながら回転させると、クリックの度に微小な揺れが出て、振れ取りを困難にしてくれるのだ。ううむ、眠いので、ちょっと中断するか。
 そもそも、回転部とハブ軸がずれているのがおかしい。壊れたか? まあ24インチのフロントホイールは、ふつうのハブのものがあるので、これとバッテリーライトを南会津に持ってゆくことは出来る。しかし、ツーリング時に便利なハブダイナモが使えないのは、ちょっと気が重い。ショップに預けて調整してもらおうかな。あるいは、いっそのこと、シマノの新型ハブダイナモに換えるか。

2004年05月18日(火曜日)

MR-4Fも整備するする

23時35分 自転車 天気:一時雨

 MR-4Fの方の整備も着手した。チェーンホイール外して、クランク外して、BB外して、スプロケ外して、みんなガシガシ洗う。クランクに止めているケイデンスセンサーの磁石が取れかかっていたので(気づかなかった)、透明テープで止めなおした。しかしまあ、ツーリング主体のこいつからは、もう外してしまってもいいかな。
 洗剤で洗った後は、超音波洗浄器にかけておいた。もう少し強力なのが欲しくなってきた。2万出せば、産業用の最小クラスのものが手に入るのだが。
 最後に組み立てて、ホイールを調べた。なんだか前ホイールが振れているようだ。うーん、もう少しテンション上げるかなあ。時間が無いので、そこは明日手がけることにして、スタンドに返した。
 週末は南会津だが、天候が微妙だなあ。天候次第では、D70は持って行かないかもしれない。

2004年05月17日(月曜日)

今日もチェーン清掃

22時25分 自転車 天気:くもり

 今日はTCR-2とMR-4Fのチェーンを洗浄した。MR-4Fの清掃は明日にしよう。帰宅がやや遅かったのだ。
 チェーンを薄めたエコテッククリーナーに着け、ブラシでごしごし洗う。灯油やディグリーザーをじゃんじゃん使った方が楽に洗えるのだが、廃液も盛大に出るので、ほとんど廃液の出ないこの方法が、一番経済的だと思う。フィニッシュラインのイージープロパーツウォッシャーという、溶剤タンクと洗浄槽を兼ねた奴と組み合わせると、しばらく使いまわしできるのだ。洗浄力も、意外に強力。
 目に付くところを洗ったら、超音波洗浄器にかけて、ブラシの届かないコネクタピン周りなども洗浄する。ピカピカになりました。
 明日はMR-4Fの整備をやっておこう。

2004年05月16日(日曜日)

TCR-2整備しまくり

22時34分 自転車 天気:雨

 濡れ鼠になったTCR-2を、久しぶりに分解清掃した。クランク、BBまで抜き、スプロケットも抜いた。BB周辺にまで土砂が侵入しているのにはびっくりだ。久しぶりにストリップ状態になったフレームを、ワックスでじゃんじゃん磨いておいた。
 ホイール周りもきれいに清掃した。ラテックスのチューブを修理し、また入れ換えておいた。タイヤはそろそろ5000Kmくらいになるので寿命かなと思うが、もう少し粘ってみたい。次はパナの新素材チューブに変える予定だ。というか、確保済み。
 リアホイールを良く見ると、少し振れている。振れ取り台に載せて、せっせと振れ取した。時間が無いので適当なところまで詰めておいた。フロント側は、また後でやろう。
 部品を再び組み付け、チェーンを除いて清掃を終えた。手間をかけて清掃したのは、南会津にこれを連れて行くつもりだからだ。しかし、坂また坂のコースを見ると、MR-4Fの方かいいかなと思い始めている。すると、明日はMR-4Fの整備になるか。

いきなり雨天ラン+パンク=意外に楽しいかも

19時49分 暮らし 天気:結局雨

 今日は荒川オフに参加するつもりだったが、前日中止のアナウンスが流された。まあ、この天気じゃあなあ、と雨空を見上げて沈み込む、朝の俺様だった。昼まで寝て、また起き上がった。
 前日、久しぶりにC.B.あさひに発注した品が届いていた。調子の悪いパナのフロアポンプに見切りをつけ、シリカのピスタポンプ(長いの)を購入。グラスファイバーとかで、万事柔だったパナのポンプに較べて頑丈そうだ。空気もぐいぐい入ってゆく感じ。しかし、ポンプヘッドがかなり固い。使い方が誤っているのかもしれないが、単純に抜き差しするのに、物凄く力を使うのだ。これには可動部が無いので、固定のためにレバーを引くとかひねるとかいった動作は不要なはずだが。しっかり固定できるのだが、これだけ固いと、確かにヒラメのポンプヘッドに換えたくもなるだろう。
 それと、GIANTのチームレーシングジャージ(モノとしてはパールイズミの製品だが)も購入した。うちのバイクは、MTB系はSPECIALIZED、ロード系はGIANTと、なぜか統一されてしまっている。スペシャのジャージは持っているので、今度はGIANTのものを、と考えた。しかしこれ、SRAMがスポンサーについてるところなどから、MTB系のものっぽいな。来期はT-Mobile(旧ドイツテレコム)がGIANTのバイクを使うので、ジャージが出たら買いたいな。
 このジャージ、できれば南会津に着てゆきたい。しかし、いきなり着てみると、サイズが微妙に小さいとか、弊害がその時になって露見することもある。賭けになってしまう。今日着てみたい。幸い、昼前には雨が上がったように見えた。では、モンベルショップまで走ってみますか?
 買い物をするつもりだったのでドイターのバックパックを背負い、泥除けを取り付け、TCR-2で出かけた。後で考えると、今日ばかりはEPIC号の方が良かったかも。
 身支度して、さあ出ようと表に出ると、なんだか微妙に空模様が悪化している。さっきまでは空が明るくなり、路面も乾き始めていたのだが。まあ、雨具を持ってゆくし、というわけで、気にせず走り出した。
 境川をさかのぼりはじめた辺りで、次第に霧雨が降り始めた。しかし濡れるほどではない。
 仲原街道(だっけ)を横切った辺りからだったろうか。リア側から妙な音が聞こえるようになった。何かがこすれているような、踏んでいるような。自転車を止めてホイールを眺めてみたが、怪しい形跡は無い。ホイールを浮かせて回してみても再現しない。また走り出すと、やはり音はするのである。また止めてホイールを調べても、何かをかみこんでいるとかいったことは無い。うなるばかりだ。
 しかし、腑に落ちないまま自転車を少し押し歩いたとき、また聞こえた。これは、なにかが噴出する音だ。ということは?
 自転車を止め、タイヤをチェックすると、あった、パンクだ。ガラスが突き刺さり、少しずつ空気が噴出していた。あまりに少しずつだったので、タイヤの気圧低下がなだらかで、気づかなかったのだ。
 折り悪く、雨が本降りになってきた。なんてこった。しかし、それほど腐った気分でもなく、淡々と自転車を木陰に突っ込み、チューブの交換を始めた。予備チューブはブチルのものだ。ラテックスに較べると、かなり乗り心地は悪化するだろう。とりあえず交換する。ガラス片を抜いて、タイヤを調べてみた。先のガラス片が貫通した部分に、結構な穴が空いている。ちょっと危ういかもしれないと思ったので、パークツールのタイヤブート(タイヤ用の補強シート)を張り付けておいた。初めての出番だ。
 さて、交換を終え、空気を入れても、雨はどうにもならない。合羽を被って、引き返すだけだ。こんな雨の中なのに、傘も差さないで走る人もいて、人生いろいろだなと思った。
 ヨークマートに立ち寄り、下半身はそれなりに濡れたものの、ずぶ濡れは免れて、帰宅した。

2004年05月15日(土曜日)

NHKスペシャル『地球大進化』第2夜「全球凍結」~大型生物出現の謎~

23時29分 テレビ 天気:だんだん……

 第1夜も面白かったこのシリーズの第2夜は、「全球凍結」。
 ニューヨークの中心部に広がるセントラルパーク。その環境が日本人にはうらやましい広大な敷地のそこここに、奇妙な岩塊が転がっている。"迷子岩"と呼ばれるこの岩は、それが乗っている場所のものとは、全く異なる組成を持っている。これらの岩塊は、離れた別の場所から運ばれてきたのだ。その原因として、かつてはノアの箱舟にまつわる大洪水の伝説が挙げられていた。しかし、19世紀の博物学者アガシーが、別の説を(突然の直感により)打ち出した。アガシーは、ヨーロッパ各地に残る迷子岩は、やはりヨーロッパの高山、高緯度地方に残る氷河が運んできたものに違いないと考えたのだ。
 氷河は、降り積もった雪が自重で圧搾され、氷となったものが、地表の高低差によって流れてゆく現象だ。川と変わらんやんけ。しかし、氷河の移動速度は、数m/年程度だ。それでも、万年単位で見れば、数十Km単位で移動するわけだ。氷河は岩を転がしながら、ゆっくりと運んでゆく。セントラルパークの迷子岩も、そうして遠く離れた地から運ばれてきたわけだ。アガシーの説は次第に認められるようになり、やがて定説となった。
 セントラルパークに迷子岩を配達したのは、最近(数万年前)の氷河期だった。この時には、氷河が日本列島でも発達したことが分かっている。この寒冷期は動物たちの移動を促した。当時、陸続きだったシベリアから北米大陸へと、モンゴロイドの一団が渡ったのも、この頃の話だった。生物にとって、気温が大きく低下する氷河期は、大きな脅威だ。しかし、この時の氷河期では、熱帯地方への影響はほとんど無かったと考えられている。地球全体からすれば、深刻な影響は無かったのだ。しかし、遥か以前、遥かに大規模な氷河期が、文字通り地球全体を覆ったことが、近年の研究で明らかにされつつある。
 アフリカ南部の古い地層から、奇妙な岩塊が発見される事例が相次いでいる。その岩塊は、周囲の地層とは組成の異なっているのだ。そのことや、その形状(氷に削られた痕跡が残っているなど)から、それが迷子岩であることは明らかだ。しかし、その地層が問題だ。その地層は、6億年前のものなのだ。その時期、この一帯は、プレートテクトニクスによる移動を考慮すると、赤道直下にあったと考えられている。赤道まで氷河が? すると、それこそ地球全体が凍っていたとしか考えられないじゃないか。全球凍結(スノーボール・アース)という仮説だ。
 6億年前、なんらかの原因で、地球の寒冷化が進行しはじめた。両極の冠氷が発達し、ゆっくりと高緯度地方から赤道へと向かい始めた。この時期のプロセスは緩慢なものだったが、次第に昂進してゆく。というのは、雪原の反射能は森林や砂漠よりも高く、太陽からの光の多くを反射してしまうからだ。その結果、太陽光は地表を暖めることなく、その多くが宇宙へと逃れていってしまう。従って、雪原(氷河なども)が広がるに連れて、加速度的に地球の平均気温が下がっていってしまうのだ。
 この6億年前(原生代末期)の氷河期では、地表を1000mまで氷が覆い、海すら深くまで凍りついたと考えられている。今の地球がそんな状況に陥ったら、人類を含め、大半の生物が滅んでしまうだろう。
 ここで山崎努が登場すると、なぜか和んでしまう。意外にいい仕事をしているような気がする。地殻津波も全球凍結も、なんとなく深刻な事件じゃない気がしてくるから不思議だ。
 ともあれ、全球凍結だ。幸いというべきか、この時代の生物相は、ごく単純なものだった。酸素を生産するグループ。その酸素を取り込んで活動するグループ。そしてメタンを生産するグループの三つに大別される。実は、この全球凍結の契機になった急激な寒冷化は、この3者のバランスが崩れたからだという説がある。そもそも、地球の温暖な環境を保っていたのは、第3のグループが生産するメタンの温暖化効果だった。しかし、この第3グループは、第1グループとの資源の取り合いに負け、次第に少数派へと転落していった。その結果、大気へのメタンの供給が途絶えたというわけだ。
 これらの生物たちにとって、-50℃という環境は、生存が難しいものであったはずだ。実際、南極大陸の奥深くでは、ウィルスさえも死滅するという。しかし、第1夜で取り上げられた巨大隕石(逆に言えば小型の惑星)の衝突という地獄に較べれば、まだしも生存の余地は多いといえる。海洋の底は凍りついていないので、栄養さえ確保できれば生き延びられるはずだ。今、海洋底の熱水鉱床で生きる生物群のように、一部の生物は暖かな環境で生き延びただろう。また地表にも火山活動による温暖な地点はそこここにあり、生物に避難所を提供しただろう。地球の活動に守られ、一部の種は生き延びたに違いない。
 しかし、この氷河期は、原理的には永続するはずだった。一度寒冷化してしまうと、地表の反射能は高止まりとなり、地表が暖まることはもう無い。氷を溶かすきっかけは無いはずだ。しかし、それもまた、地球の活動によって、打ち破られたのだ。
 全球凍結の期間中も、地表の火山活動は続いていた。それに伴って、二酸化炭素も放出され続けただろう。通常、二酸化炭素は、海洋へと大半が溶け込んでしまう。しかし、その海洋が凍りついたため、放出された二酸化炭素は、ひたすら大気中に蓄積されてゆく。そうした期間が数百万年続いた。二酸化炭素は温室効果を発揮し始める。現在の濃度の20倍という高濃度の二酸化炭素により、今度は急激に地球の温暖化が進み始めた。そして氷は解け、氷河は後退し始める。地表と海面が現れはじめ、反射能が低下すると、今度は加速度的に温暖化が進行して行った。-50℃から50℃へと、100℃近い気温上昇の結果、地球は全球凍結を脱したのだ。
 全球凍結の時期を挟んで、地球全体で縞状鉄鉱床の発達が見られる。この点も謎だった。縞状鉄鉱床は、海中の鉄分が酸化し、海中に降り積もったものだ。形成のためには大量の酸素が必要とされる。しかし、生命活動がほとんど途絶えたこの時期に、すぐさま大量の酸素が供給されるとも考えられないではないか。
 いや、供給されたのだ、という説がある。全球凍結の期間中、生命活動の元となる有機物などが、深海底へとひたすら蓄積されていった。なにせ、それを消費するものがいないのだ。全球凍結が解除された時点でも、深海底の資源など、海面や地表にいる生物には、なんの意味も無かった。が、このかけ離れた両者を結びつける気象現象が、この時期の地球では頻発していたかもしれない。今の地球で見られるそれなど、足元にも及ばない規模の、巨大な嵐だ。嵐は、100mもの高波を沿岸部にもたらし、巨大な竜巻を巻き起こした。これほどの規模の竜巻になると、海洋は底に至るまで攪拌されたことだろう。そして海洋から吸い上げられた有機物が、海面へと再進出した生物群と出会った。とりわけ、酸素を生産するグループにとって、ご馳走だったろう。全球凍結が終わり、海洋面が上昇した結果、生物の繁殖に適した浅海面が、数多く生まれたはずだ。それらの楽園で、生物たちは増えに増えていった。海は葉緑素を持つ生物によって緑色に染まっただろう。そしてそれらが生産する酸素が、猛烈な勢いで大気に蓄積されていった。海中の鉄分を還元しても有り余った酸素は、酸素に乏しかった地球の大気を、今の組成に近いレベルにまで変えてしまったと考えられている。
 この時期まで、地球の住人たちは、ごく単純な単細胞生物たちだった。まあ、顕微鏡レベル。ところが、原生代が明け、古生代に入ると、一転して多細胞の大型生物が出現し始めるのだ。例えばエディアカラ生物群と呼ばれているグループは、大きなもので30cm~1mくらい。まあ、ゆらゆら、のろのろ、のたのた、という感じの生き物たちだ。完全に多細胞化し、器官への分化も始まっている。ある生物化石には、脊索の原型らしきものと、目らしきものがあると推測されている。これが正しければ、我々脊椎動物のご先祖様といってよかろう。今までは有名なバージェス生物群のピカイア辺りがご先祖様とされていたので、少しさかのぼったかもしれない。
 しかし、この急激な進化は、なぜ可能だったのだろう。なにせ、生物というものは、誕生以来の30億年、単細胞一筋で通してきたのだから。それをもたらしたものも、実は生物自身が生み出し、大量に蓄積された、酸素だった。
 多細胞生物の構造を作り出しているものには、コラーゲンという物質が関係している。コラーゲンは、例えば骨を形成したり、皮膚を維持したりするのに消費される。このコラーゲンを生産するには、大量の酸素が必要とされる。つまり、コラーゲンの量産が可能になったのはこの時期だったのだ。その結果、生物は急激な多様化へと向かい、エディアカラ生物群を経て、バージェス生物群に見られる、爆発的な適応拡散へと繋がってゆくわけだ。
 まるで地球と、生物と、地球環境の主導権を巡っての戦いとも思える。ドラマチックだね。そりゃあ番組制作者の主観がそう見せているにしても。
 地球環境に対する生物側の攻撃は、今も人類を尖兵として続いている。地球温暖化が取りざたされているが、その終わりから眺めたとき、結局は人類が進行させた地球環境の変化と、その生産物を足がかりに適応拡散していった新しい生物のドラマとして、認識される日が来るかもしれない。例え認識の主体が人類ではないとしても。

おもしろレンズ工房をさらに使ってみる

21時45分 デジタルカメラ 天気:曇天

 鎌倉からの帰路、エンパイヤホテルを標的に、標準レンズ(18-70mm)120mmマクロとの撮り比べをしてみた。
 薄曇り、夕刻という条件で、やや光量が厳しかったが、シャッター速度1/250秒、ISO感度200でこういう絵を得られた。やはり70mmよりはかなり望遠気味になるな。こういう状況だと、手ブレの影響を排除するのが難しかった。黄昏時、暗い曇天での使用には疑問符がつく。というか、標準レンズでも暗めになるのが気にかかるな。
 マクロ性能も較べてみた。標準レンズ120mmマクロ。これはさすがにマクロレンズの圧勝だ。距離的には変わらないのだが、倍率がまともに現れている感じ。しかし、マクロレンズの紙のように薄い被写体深度は面白いかも。
 そう言えば、400mm望遠は、まだ一度も試してないな。急いで帰宅し、かなり暗くなった東の空の元に見える電柱を、手持ちの全てのレンズ(といってもおもレン3本、標準レンズ1本だけだが)で狙ってみた。これはさすがに三脚(双眼鏡用に買った、ハクバの中型)に載せて撮った。
 標準レンズのテレ端側20mm120mm400mm。400mmは、やや暗い画像だが、係留線を止める金具の下に見えているバンド(細いケーブルと重なっている部分)を止めるボルトまで見えている。かなり悪い条件だったのに、そんな物まで見えてびっくりだ。
 なんか、意外に高性能なんじゃないの? 少なくとも、3000円程度のレンズにしては、というのが感想だった。とはいえ、使いこなすまで、いろいろ苦労をせねばならないレンズなのも事実だ。今回も、シャッタースピードで四苦八苦した。逆に、それ以外に苦労するところは少ないともいえるのだが、DXレンズのお気楽さとは、較べるべくもない。
 次は、もっと良い条件、明るい空の下で、使ってやりたいと思う。
 ところで、今日の画像を編集するのに、Nikon Viewというアプリを使ってみた。Nikon製品を持っていれば(シリアル番号を聞かれる)無料でダウンロードできる物だ。一覧表示、簡単な画像処理が可能で、今まで旧バージョンのPhotoShopLEでやっていた画像処理が簡単になった。かなり便利。ただし、メモリをこれでもかというくらい使うためか、一度使用中にハングアップしたことがある。というわけで、少し怖々使用中だ。

裏鎌倉探訪

17時24分 自転車 天気:まあまあ

 今日も三浦半島というのは、いまいち気が乗らない。かといって山の方に行くのもなあ。来週は南会津だし。というわけで、今までに無かった企画(参加者一名)、魅惑の裏鎌倉ツーリングをやってしまおう。要するに、今までにない方向から鎌倉に入り、今まで見たことのない鎌倉の裏をも見て回ろうという企画だ。
 具体的には、藤沢駅のすぐ側をかすめる藤沢鎌倉線に、境川沿いに下って合流。そのまま鎌倉駅の西口に出てしまおうというわけだ。
 こういう未知の行程になるときには、最近はEPIC号の出番が多い。今気づいたのだが、なぜかスペシャのMTBは号付けで呼んじゃうな。どうでもいいですかそうですか。まあともあれ、EPIC号は未知の領域に強いのである。26インチホイール+フルサスという設定は凹凸の多い道に強いし、比較的高圧のスリックタイヤは、それなりに軽い走りをも約束してくれるのである。ロードでは歩道に避難するような状況での使い勝手に問題があり、小径車は凹凸に弱い。というわけで、EPIC号は道らしい道ならどこにでも行けるという点で、無敵の万能自転車なのである。MTBだしな。
 境川沿いに下り、JRの踏切を越え、また境川に復帰してから、藤沢鎌倉線に入った。後で地図を見ると、何のことはない、踏切を越えて、直進すれば良かったのだが。
 このルート、自転車ではあまりうれしくない道だ。2輪車レーンがある区間、歩道が広い区間はあるのだが、基本的に片側1車線、歩道にはガードレール付きという区間が多く、自転車で走るとつらい思いをしなければならないことがある。一人ならともかく、集団で走るのは難しいと思った。また途中で三つのトンネルを越えなければならない。
 その代わり、鎌倉まで1時間20分程度で到着できるので、大幅なショートカットとなる。風が強くて海沿いに走るのがつらいとき、エスケープルートに使えそうだ。
 鶴岡八幡宮に参拝し、西側階段から降りて行くと、リスを発見。増えまくっているタイワンリスか? 若宮から白旗神社に向かう辺りでも発見。眺めていると、ロープを張った杭の上をぴょんぴょん跳ねて行くパフォーマンスを見せてくれた。
 鶴岡八幡宮参拝の後は、自転車で若宮大路の東をさまよってみた。小町大路(細い道だが)の、さらに奥に入った辺りだ。蛭子神社本覚寺妙本寺と走る。こんな感じの路地を走り、八雲神社常永寺(ぼたもち寺の通称の方が前面に押し出されていたが)まで走った。一つ一つ見て回る時間があればもっと楽しいのだろうが、それは次の機会に譲って、帰ることにした。鎌倉駅に戻る道の途中で、鎌倉幕府史跡を偶然発見。なんというか、路地裏の、生活道の脇という辺りにあった。
 明日の天気を心配しながら、来た道を戻り、帰宅した。

2004年05月14日(金曜日)

今年最初のM8を見た

23時51分 星見 天気:いいようだ

 寝る前にベランダに出てみた。一見して、空全体がうっすらと光り、シーイングは良くなさそうだ。それでもCANON 18*50ISを取り出した。
 確かにシーイングは良くない。2/5、10段階でも4/10くらいだろうと思った。それでも見つめていると、空に掛かった霞の向こうから、星の光がやっと浮かび上がってきた。
 アンタレスは非常に良く見えた。サソリのしっぽを探し、M6を発見。やはりあまりよく見えない。が、目が暗順応してくると、構成する星々が浮かび上がってきた。M7らしき星の固まりも見えた。
 いて座も南中していたので、M8を探す。あった。意外に散光が感じられる。そのまま視線を上げて行くと、天の川のひときわ濃い領域に掛かる。良く見えるなあ。さすがに目が慣れてきたか。さらにいて座をうろついていたら、λの近くにおぼろな姿を発見。えっ、M22? 横浜のこの辺でこれが見えるということは、シーイングはいい方だということだ。そう思って空をうろついてみると、いつの間にか霞様のものは薄れていた。狐に摘まれたような気分だった。

過熱注意報

17時58分 コンピュータ 天気:すっきりとは晴れてない

 5月に入って、どうもPC群の挙動がおかしい。Linuxなサーバ機にSambaを入れて共有エリアを作ってあるのだが、そこへのアクセスにすげえ時間が掛かるのである。それだけでも大変なのに、インターネットアクセスまでも挙動不審になってきた。どうにも遅いのである。タイムアウトが頻発している感じ。
 こういう時、ウィルスを疑うべきだ。もしかしたら、どれかの機械がウィルスやスパムの踏み台にされているかもしれない。一応、ルータには外部からのアクセス全禁止の設定をしてあるのだが、このルータ自身がLinuxマシンに他ならない(Coregaの安物)ので、誰かにセキュリティホールを突かれる可能性は、いつだってある。一応、ファームウェアのアップデートはまめにやっているのだが、このアップデートそのものがそれほど頻繁ではないのだ。ということで、アクセスログを注意深く読み、ウィルスチェッカーでチェックしまくり、さらにはSpyBotでスパイウェアのチェックもやってみたのだった。が、どうも内部からの発呼は、僕がウェブ閲覧するとき、MUAがメールチェックに行くとき、NTPクライアントが時間を見に行くとき、の三つに限られている。これ以外に発呼している形跡は無い。ウィルスは発見されなかった。スパイウェアに関しても、見つかった一つはrelated.htmを書き換える奴で、回線性能に影響を与えるような性質は持ってない。謎だ。
 しばし考えて、ふと、回線機器そのものをチェックしてないのに気づいた。暑い日が続いたからなあ。まず、これらのマシン群を接続している、ちょっと古い、やはり安物の100MBPSスイッチングハブを掘り出した。いつの間にかテレビのブースターの下敷きになっていた。手にすると、こりゃ熱いよ。熱が逃げるスペースが無かったようだ。LEDを眺めていると、なぜだかコリジョンが頻発しているようだ。一度電源を切り、冷めてから入れなおした。すると、さっきまでの不調は嘘のように、ネットワークは安定を取り戻したのだった。ははあ、こういうことでしたか。
 うちのLinuxなサーバ様は、古いGateway社の筐体を使っているからか、いまいち排熱がよろしくないようだ。今度はこっちが飛びそうなので、やっぱり適当なNASを調達しようかと思っている。メルコのものなら250GBくらいでも3万円台だし、玄箱買えばもっと安く上がるし。真剣に考えようと思う。

2004年05月13日(木曜日)

カーボンフォーク

23時42分 自転車 天気:雨だな、風だな

 TCR-2のフロントフォークを交換したいのである。ポジションが変わって、より前傾気味になった結果だろうか、このところ頓に手首にダメージが及ぶようになったのだ。BD-1に乗り始めた頃、あまりに手首に負荷を掛けすぎて腱鞘炎になったのだが、あれは握力を使いすぎたからだろう。今の現象は、TCR-2のフロントフォークからの振動を、まともに受けてしまっているが故と思われる。このTCR-2のフロントフォーク、ブレード型でガチガチに硬く、路面の凹凸を正直に拾ってくれる。もっと柔なのが欲しいところだ。レースに出るわけで無し、少々撓んでも気にならない。MR-4Fに着けているミズノのフォークは柔なので、ほぼ同じポジションであるにもかかわらず、負荷を感じることは無い。
 高剛性型でないフォークなら3万円以下で売っているので、その内に換えたいと思っている。フォークの交換は面倒なので、きっとショップに依頼することになるだろう。

夏旅行を構想中

20時14分 自転車 天気:曇だし雨も降ったし

 今年に入って、やまアドの北海道縦断チャレンジの事が、常に頭にあった。初日100Km、以降3日間は160Kmずつという、チャレンジ性の高いツアーだ。同じやまアドのフィットネスライドの機会を利用して、160Kmの走行もこなせるし、翌日にも体は動くことを確認できたこともあり、行けるなら行こうと思っていた。今年は永年勤続の休暇を取れることもあり、日程を組みやすい。
 でもなあ。なんか気分が盛り上がらない。北海道を颯爽と走る俺様の姿を思い描けないのだ。たぶん、経済的な事や、仕事のことが頭に残っているのだと思う。北海道のツアーに参加して帰ってきたら、それだけでカーボンフレームを買えてしまう。また最近の業務動向から見て、7/末くらいにやヴぁい仕事が待ち構えていそうだ。ここで1週間の休暇を取ると、後で物凄く苦しみそう。時機が熟してないなと思う。半年前から手を打っておけば、まだなんとかなったんだろうが。
 もう少し考えて結論を出すが、結局、北海道ツアーは見送ることになりそう。仕事の谷間なら、1週間休んでも影響は少ないので、まだチャンスはあるのだ。
 でも、北海道ツアーの代わりに、夏旅行には行こうと思っている。実家に帰る時、中国地方の適当なところを走りたい。気分的には、津和野や山口市辺りを走ってみたい。津和野には中学の時に修学旅行で行ったきりだ。でも典雅な町並みが残っていて、歩いていて気持ちいい町だった。その美味しい所をつまみ食いして(自転車の旅ならではの利点だ)走りたい。どうせなら、これも子供の頃に家族旅行で行った秋吉台にも寄りたい。でも、あの辺は暑いだろうな。日本海を見ながら走りたいのだ。

2004年05月12日(水曜日)

お好みハウスでウハウハ

23時57分 暮らし 天気:晴れのちくもり

 日曜日くらいから、そろそろお好みハウスに行きたいなと思っていた。するとにち氏から絶妙のタイミングで召集があり、さっそく本日定時後、開催されることになった。もちろん、僕も参加する。
 お好みハウスでは、にち氏のほか、hai氏、こぐ氏もやってきた。結局、しまなみ海道ツアーの反省会(というか早くも懐かしんでみる会)になった。店はずっと満員で、開店早々から4時間も居座った我々は、きっといい迷惑だったろう。しかも、ずいぶん飲み食いした割に、一人頭2700円弱で済んでしまった。安いなあ、ここは。
 帰宅したのは真夜中もいい時間だった。朝のうちはいい天気だったのに、夜になって雲が出てきていた。明日は雨かなあ。

2004年05月11日(火曜日)

レンズ到来

23時22分 デジタルカメラ 天気:えらい晴れてます

 今日は届く物があるので、早めに帰宅した。帰宅して程なく、クロネコヤマトの人がそれを届けてくれた。モノは、ニコンのおもしろレンズ工房だった。これ、絞りを省略するなど、思い切り簡素化を図り、3本セットで2万円以下という価格を実現した物。ニッコールを名乗れないが、これもれっきとしたニコンのレンズだ。ニコンのオンラインショップで、アウトレット扱いで1万円という価格で売っているのだ。これは遊べそうじゃないか。
 このセットは魚眼的広角レンズ(単にものすごく歪むだけ)、マクロ兼ソフトフォーカスレンズ、望遠レンズの3本で構成されている。
 まずぎょぎょっと20。本当にこういう名前なんだな。可変絞りはなく、フォーカスリングも無い。パンフォーカスなのだ。マニュアル露出を初めて使う。試行錯誤して、とりあえず得たのがこの画像。ご覧の通り、すげえ歪みである。標準レンズ18-70mmの広角端で撮ったのがこの画像。当たり前だが標準レンズの方が広角で、歪みも少ない。この20mmはD70には旨味がなかった。
 続いてぐぐっとマクロ/ふわっとソフト。このレンズは特殊で、画像の横に見えている小さな筒を内部に接続している状態が標準でマクロレンズ、外した状態ではソフトフォーカスレンズになる。これも可変絞りはなく、単純な合焦機構があるだけだ。
 マクロではこういう絵になった。もっと寄れるのだが、どうもピントが出ない。マニュアルフォーカスなんてまだ数えるほどしか使ったことが無いので、慣れてないせいもある。夜の室内で、光量が厳しいこともあるだろう。手ブレがどうしても出てしまう。昼の屋外なら使えるのでは?
 ソフトフォーカスモードではこういう絵になった。これはなんだか面白い写真を撮れそう。まあ滅多に使うことは無いだろうが、3000円強のレンズと考えれば、滅多にでも出番があるのは歓迎だ。雨の時期、花を撮って回るといいかも。
 どどっと400は400mm/F8相当の望遠レンズだ。筒が2重になっていて、内筒を外筒から引き出すと、撮影可能状態になる。こんな凶悪な格好になるのだ。もちろん可変絞りはなく、ピントリングの感触も粗雑だ。しかし400mmにしてはコンパクトに出来るわけだよな。これくらいになると、さすがに三脚必須。APSサイズの撮像素子を使っているD70だと、さらに望遠になってしまうわけだ。これも比較的に使い道がありそうだ。
 使い勝手に制限が多いのは仕方ない。その代わりに普通はちょっと手を出せない種類のレンズを試せるわけで、僕みたいな素人にはうってつけといえないだろうか。

2004年05月10日(月曜日)

雨上がりの夜空

23時45分 星見 天気:夜には良くなった

 EPIC号でサイクリングロード終端まで南下して、藤沢市街の外れで空を見た。全周、雲も無く、きれいに晴れ上がっている。東天にひときわ明るい星を見つけたが、これは木星か。目を北にやると、北斗七星がきれいに見えている。春、これほど星がきれいに見えるのは、稀だ。
 サイクリングロードを少し北上し、周囲に明かりが少ない場所で、また空を見た。ロケーション的には抜群だが、流石に水蒸気が多いため、周囲の大光源によって、それがうっすら光っているように見えた。真夏、風の無い夜、この辺りから空を見ると、きっといい気分になれるだろう。おっと、虫対策は必須だな。

雨上がりの夜トレ

23時30分 自転車 天気:雨のち晴れ

 一日中、雨が降っていたが、夕刻には上がり始めた。帰宅する頃にはすっかり止んでいる。流石に、雨で水浸しの路面を走る気にはなれなかったのだが、21:00を過ぎると空はきれいに晴れ、今後の好天を予想させた。この空なら走ってもいいな。
 さすがに、路面が乾いているはずも無いので、泥除けを着けられるEPIC号での出走となった。
 水しぶきを絶え間なく上げながら、境川サイクリングロードの終端まで走り、折り返してきた。帰宅してEPIC号を点検すると、やはりあちこちに泥が跳ねて着いている。しかし泥除けが効いて、それほど汚れた風でもない。なんとなく、雨の中のトレーニングもおつではないかと思い始めた。

2004年05月09日(日曜日)

ほとんど何もしない日

11時46分 暮らし 天気:雨だよ

 目覚めると、既に雨が降り出していた。やはりな。今日は気合の入った予定を入れなくて良かった。
 雨音は、僕を怠惰にしてしまう。気力がレベル5のドレインを受けた状態で、文字通りボーっと過ごす。なんか、なにもする気になれない。
 夕刻、流石になにかしようと思い立ち、HARDROCK号のディレイラー調整に取り掛かった。バーエンドシフターのクリック感は、やっぱり気持ちいいなあ。雨は降っているが、作業をしている集合住宅の廊下までは振り込まない。優しい感じの春の雨を見ながら、試乗しないで出来るところまでは、調整をしておいた。このHARDROCK号で長駆ツーリングというのもいいかも。

2004年05月08日(土曜日)

昼から三浦半島ショートカットしようとして、うっかり根元でカット

11時20分 自転車 天気:まだ良い

 今日は遠出したいなあ。明日は雨という予報だし。などと考えつつ、朝の寝床でうとうとしていたら、いつの間にか昼になっていた。一種、片道のタイムマシンだな。
 まあ二度寝してしまったものは仕方あるまい。今から出かけてくるか。12:00過ぎ、TCR-2で颯爽と出かけた。今日は重いD70を置いて、MZ3を持ち出したのだが、結果的に一枚も撮らずに終わった。D70に慣れてしまうと、MZ3などはまさに記録のために仕方なく撮っているというスタンスになってしまう。記録すべきものが無いと、全く写さなくなるんだな。
 長後のCoCo壱番屋で腹ごしらえをして、境川を下っていった。出かける前は、逗子から横須賀方面に抜ける道を取ろうと考えていた。その逗子までは、伊勢山トンネルを通らず、マリーナから逗子トンネルを通る予定だ。
 江ノ島に抜け、伊勢山トンネル方面に走る。それなりの天気で、明日は雨の予報ということで、人出は多かったようだ。またサイクリストもかなり見かけた。
 材木座海岸を走りながら、そろそろ横道からマリーナ方面に下りないと、と考えていた。前方からかなりやる気っぽいローディが降りてきた。にこやかに挨拶を交わす。あいやー、伊勢山トンネルへの登りに入ってしまいました(笑)。やむなく、そのまま通過。
 逗子に入り、駅方面へと適当なところで曲がり、進んでいった。手持ちの紙の地図で曲がる場所を記憶し、GPSで確認しながら進んでいった。しかし、えーっと、GPSだと曲がれる場所に道はありませんよ?(汗) とか考えているうちに、なんか六浦の方に抜ける道に出てしまいましたよ(滅)。まあいいか。少しショートカットして、横浜に立ち寄れる時間を作ろう。
 六浦に抜けて、そこからはR16を突っ走っていった。市道環状2号との合流点を過ぎ、本牧へと抜ける道に乗り、関内近辺を通って、横浜駅へと出た。そしてハンズでバックパックを物色する。和田サイで仕入れたリクセンアダプタの犠牲者を仕入れるためだ。しかし、ヘルメットホルダーがあって、開口部が大きく(Freepack Sportの不満点はここだ)、背負い面にアダプタを取り付けられる広い面がある、それなりに安いもの、という条件に適ったものは、ここでは見つからなかった。まあ、気長に探すか。
 そこからはR16へと復帰し、厚木街道に出て、サガミへと向かった。なにも買わなかったが、No.3店では、またリジッドフォークが、それも黒、銀各1点と増えていた。HARDROCK号をなかなか連行できないのだが、本気で換えてやりたいと思う。
 その後は、境川に沿って下り、日が暮れきる前に帰還した。走行距離は86Kmくらい(GPS曰)。半日かけた割には短いなあ。どこでそんなに時間を潰していたのやら。

2004年05月07日(金曜日)

アルバム確保

14時20分 デジタルカメラ 天気:いいみたい

 さて、しまなみ海道で撮った写真のうち、少なくとも一部は公開しなければならない。同行メンバーを被写体にしまくった責任はあるだろう。
 当初は、適当なスペースに、手作りのHTML文書でも載せてしまおうかと思っていた。でも結構な枚数になりそうで、サムネイルを作るのがめんどくさそう。この先のことを考えて、適当なレンタルスペース(またですか)を借りて、そこにCoppermine Photo Galleryでも入れようかとも考えた。というか、実はこのレンタルスペースでも、影で動いているんだが。しかし、ニコンの通販サイトで、何がしかの買い物をするために登録したところ、無料で50MB分のPhoto Galleryスペースを使えることが分かった。んじゃ、こっちでいいや。ということで、内輪向けの写真集はこちらに掲示することにした。アップロード時にプロキシを通すとダメらしいなどの制限はあったが、まずは目的には適った機能を備えている。50MBあれば、大体やっていけるだろう。
 そのニコンの通販サイトでなにを買ったかは、また別の話。しかしE4500が5万円台とはなあ。きっと次機種が出るんだろう。

2004年05月06日(木曜日)

EPIC号でナイトランだ

23時30分 自転車 天気:いまいち

 朝、定時に出社。いつもより地下鉄も職場も空いていたので、11連休にした人が多かったのだろう。
 帰宅して、しばらく走ってなかったので、夜トレに出かけることにした。雨の後なので、少し幅広のタイヤを履いた(1.25インチ)EPIC号に、雨除けをつけての出動だ。これは正解で、日陰などでは水が残っていたので、結構飛沫が上がったようだ。
 サイクリングロードの終端まで走り、俣野の上りから国道に乗って、湘南台まで走った。いい天気ではないが、暑くもないので、緩い風が心地よかった。

2004年05月05日(水曜日)

BD-1のキャリアを取り付けなおしているうちに、一日が終わる

23時10分 自転車 天気:雨だな

 無気力な目覚め。起きると、雨が降っているんだか止んでいるんだか、いまいちはっきりしない天気だ。風もあるし、自転車を出すのはためらわれる。
 そんなわけで、激しく無気力にボーっと過ごしていたのだが、流石に何もしないで過ごすのには耐えられないと思った。折り良く、M5のボルトが発掘されたので、BD-1のセキサイダーのボルトを付け直した。
 セキサイダーの前側は、折り畳んだときにシートピラーを受けるゴムと共締めされている。これが緩みやすさの元凶だ。ゴムを強く圧迫すると、そのゴムを挟み込んでいるボルトにゆるみが生じ、やがてボルト抜けへと発展してしまうのだろう。実際、BD-1を折り畳んだまま、ストレスが掛かるような状況で、ボルト抜けが起きているのだ。
 ならゴムを抜けばいいということになりそうだが、コレが無いとピラーが激しく傷つきそうで、ためらわれる。根本対策ではないが、M5*15からM5*20の、やや長いものに取り替えた。かつボルトの締め込みも、前よりきつめにしておいた。しかし、所詮は根本対策ではないので、BD-1を展開する度にチェックしなければならないだろう。
 なんてことをしているうちに、雨が本格的になってきた。今日も外には出られないか。

2004年05月04日(火曜日)

写真の整理に追われる

21時01分 デジタルカメラ 天気:良くないのだが

 今回のしまなみツーリングでは、D70を持ち込んでの大々的な一眼デジカメ祭りというのが、隠れたテーマになっていた(いや、僕にとってだけ)。
 その写真を整理する段になると、あまりに多すぎておじさん参っちゃうよ状態に陥ってしまった。大体、600枚くらい撮ったのだ。いくらデジカメとはいえ、撮れすぎである。撮りすぎというか、撮れすぎである。こんなに撮っても電池残量はMAX表示からピクリとも動かず、4GBのMicroDriveはスカスカという感じだった。予備の電池も持っていったのだが、これらを使い尽くすまで、いったい何枚取れるのか、怖くなるほどだった。きっちり2.2K枚撮っても、その整理にしばらく追われそうだ。というか、今日も十分追われたわけだが。
 とりあえず、コレは失敗だろう、コレは無意味だろう(構図がダブっているとか)といったものを消し、2/3くらいまで減らした。なにせじゃんじゃん写せるんで、屑みたいな写真もじゃんじゃん出来てしまうわけで。
 まあ雨も降るということだし、と構えていたのだが、結局はあまり雨らしい雨が降らないうちに夜になってしまった。これなら、合羽を持って走りに行っても良かったな。

2004年05月03日(月曜日)

HARDROCK号の振れ取り再戦

21時19分 自転車 天気:ちょっとドヨドヨと

 遠征が終わってホッとしたのか、昼前まで爆睡してしまった。しまったもなにも、今日はゆっくりするつもりだったのだが。
 昼食を取って、さて懸案を片付けておこうと思った。HARDROCK号のホイールの振れ取りだ。広島に帰る前に少し手をつけたのだが、頭が朧な状態だったので取りやめにしていてものだ。
 フロントのハブダイナモホイールを、振れ取り台に載せる。振れが大きかった(というか前に手がけたときに大きくしてしまっていた)ので、とりあえずテンションメーターを見ながら全てのスポークのテンションを統一し、それから振れを取っていった。例によってホイールの精度が低いので(ARAYAの安物)、縦振れの程度を見るのは面倒だ。しかし単純なスポーク組だったこともあり、難なく終了。
 問題は後輪だ。こっちの方が影響が大きい。前にやった時、ある程度は振れを追い込んでいたのだが、それでも妙にしっくり来ない感が残ってしまった。それにスプロケットの取り付けのため、左右のスポークの長さが違う。まあやってみるさ。
 やはり名も知らぬメーカー製の安物ホイールを台に載せ、振れの程度を見た。……これ、めちゃくちゃ右(進行方向に対して)に偏ってないか? 前に振れを追い込んだとき、オフセットのことを考えないで追い込んだせいだろうか。5mmほども右に偏っている。こりゃ、違和感もあるだろうな。
 とりあえず、テンションを見ながら、左右それぞれのテンションを統一しつつ、かつホイールが中央に来るように追い込んでいった。右側はぺなぺなになるくらいローテンションで、左はかなりハイテンションだ。他のホイールを見てもそうなっているから、コレは正解なのだろう。が、左側のテンションがあまりに高すぎる気もする。このホイール、何度もニップルを舐めちゃってるので、次はニップル全交換しないと調整できないかも。
 ともかく、意外に手早く後輪の振れ取りも終わったので、早速試走がてら出かけてみた。
 HARDROCK号のブレーキを調整し、湘南台に出かける。馴染み出しが十分だったせいか、スポークの歪みが取れる音はそれほどしない。振れも無いようだ。しかしリアの耐久性が心配だな。
 問題は別にあった。リア側のオフセットを調整した結果、当然スプロケットの位置も動き、再調整が必要になったのだ。とりあえず走れるので、帰ってから調整しよう。
 湘南台に出て、ダイエーに寄ったところ、88円均一コーナーが消え、100円均一コーナーになっていた。その分、商品の幅が少し広がった気はする。ここで必ず買っていたインスタントコーヒーセットなんか、セット辺り3カップ分というのは変わらないが、コーヒーパウダーが少し高級なものになっている。簡易ドリップセットは、以前よりカップに固定する機構が改善されていた。が、どっちもどうでもいいといえばどうでもいい改良だ。いいコーヒーが欲しければ、それなりのものを買うだけだ。後、シェーバーの替刃が、以前4つ組だったのが5つ組になるなどの変化があった。ここの100円均一よりビミョーにチープな品揃えが気に入っていただけに、残念だ。
 帰宅して、雑用を片付けているうちに、眠気が。

2004年05月02日(日曜日)

横浜に帰還

20時44分 暮らし 天気:いいんでないかい

 さて、遠征も終わり、横浜に帰る日が来た。昨夜、帰ってきて初めて(爆)母と顔をあわせ、しかし翌日にはもう横浜に行ってしまうわけだ。親不孝を許せ。しかし『夏には帰りんさい(墓参りがあるから)』といわれる。そうだなあ。夏は帰って、正月は横浜で、というのが正しいかもしれない。
 昼食は、おなじみモリスで中華蕎麦を、と思っていた。が、母が、今日は無いかもしれないという。GW中は休業だっけ。わざわざ出かけて食えないというのも切ないので、家で昼食を取ってから出かけた。
 行きの便より、やや遅い時間帯の新幹線に乗り、駅弁を空にしているうちに新横浜に滑り込んだ。4時間弱で到着。速くなったなあ。15年前は5時間掛かったもんだが。
 立場でMR-4Fを展開し、家にたどり着き、自転車をラックにかけると、ようやく疲労がどっと募ってきた。明日はゆっくり寝よう。

2004年05月01日(土曜日)

2004年しまなみ海道ツーリング3日目

22時12分 自転車 天気:イイヨ

今日は大半のメンバーが尾道へと逆走する中、単独で松山までの山道を走った。400mくらいの峠を越え、長大(2.8km)な水ヶ峠トンネルを通過したところで、昼食に「松山峠うどん」をいただく。なんと猪うどんがあった。そのまま松山に下り、道後温泉で汗を流し、フェリーで帰宅。楽しい三日間の終わりだった。
[続きを読む]