Strange Days

2004年10月23日(土曜日)

地震にびっくり

23時17分 暮らし 天気:くもりか

 夕方、自転車をラックに戻し、PCの前に座り込んでいた。すると、突然ゆらゆらとゆれ始めた。これは、地震だ。激震に変わるかどうか警戒しながら、手はするすると動いてわにに繋いでいた。もう地震ノートが立ってやがる。早すぎ。
 などと思っていたら、また地震が来た。さすがに青くなって、腰を浮かせかけた。が、これもそれ以上ひどくなることは無い。奇妙なくらい周期が大きい地震に感じられた。こういう時、インターネットよりもテレビ、ラジオの方が強い。テレビを点けようかと思っていたら、わにの誰かがテレビの情報を流してくれた。中越か。前に戦争したな*1。本州の一番厚いところを挟んだ反対側か。それなのにかなりの振動だったな。余震なのか、またぐらぐらと来たような気がして、しばらくは電灯の吊り紐が気になって仕方なかった。
 しばらくして、インターネットでも情報が流れ始めた。まずニュースサイトが速報をあげ、続いて正式な記事もあがり始めた。震度6という一報を見て、まあその程度で済んだかと思ったものだ。しかし死者が出たという速報に、それは運が悪かったなと思った。
 だが、夜にかけて被害は拡大してゆく。死者がいつの間にか二桁に達し、死傷者数は数千人に上るという情報が流れてきた。インフラにもかなりの被害が出たようだ。
 時間が経つに連れ、まずます被害の深刻さが明らかになってゆく。この感じは、いつか体験したなと思った。そう、阪神・淡路大震災の時だ。あの時も、最初二桁だった死者が、最終的には4桁にも達し、驚いたのを憶えている。
 NHKスペシャルが放映中止になったのを確認して、テレビを切った。また寝る前につけてみると、死者が16人、負傷者が4桁、おまけに新幹線が脱線したという情報まで入っていた。これは、どれほどの被害になったのだろう。いつか、必ず来るだろう、東海大地震のときには、どれほどの被害が出るのだろう。とりあえず、身の回りでできそうなやっておこうと思った。自転車のラックの固定をしっかりしておかないと。

ダラダラと土曜日

19時14分 自転車 天気:かなりよかった

 前日、帰ってすぐバタンキューのパターンにはまったため、真夜中に目覚めて、朝まで眠れない罠に落ちる。懲りんやっちゃな。いや、帰ってすぐ寝ると、ものすごく気持ちいいんだな。
 おかげで、目覚めたのは昼過ぎだった。正確には明け方にうとうとして、起きようと思ったのだが、なんか風邪気味だったので、薬を飲んで寝入ったのだ。
 起きて、しばらくダラダラした。ふと気づくと、もう15:00じゃありませんか。なんということだ。こんなことで北朝鮮の核開発を止めさせることができるのか。自分の不甲斐なさに涙を流しながら(本当は生あくびをかみ殺しながら)、とにかく走って代謝レベルを上げようと思った。道路状況の偵察のため、EPIC号で出撃した。
 境川に向かいながら、どうにも目が痒いなと気になった。こんなに寝たのに、まだ眠い。いや、違う。眠いんじゃないんだ。これは本当に目が痒いんだ。花粉症? そういえば、症状は全く同じだ。台風が残した大量の泥が飛散して、含まれているアレルゲンを浴びたのか。あるいはブタクサかな。憂鬱だな。
 境川を南下してゆく。EPIC号は、特に手を入れたいと思うところが無い。苦労していたサドルも、C.B.あさひで買ったセラ・サクセスブランドの中華カーボンサドルでばっちりだ。強いていえば、シマノの最新型MTB用STIを使いたいくらいか。フロントサスは替えてもいいかな。FOXのオートロックつき(EPIC系の上級最新モデルには設定されている)に替えるとか。すると今のマニトウはHARDROCK号に移植すると、軽量化が図れていい。
 数日、雨の降らない日があったからか、サイクリングロードの状況は、さほどひどくは無かった。俣野のトンネルも、既に泥が乾き、踏み固められていた。
 南端で折り返し、休憩所で休んでいたら、ロードに乗った男性に声をかけられた。『やらないか』とかいわれなくて良かったよ(なにがだ)。今日はあんまり走ってないですよー、とか話していると、その人が熱海まで往復してきたことがわかった。140kmくらいかな。その辺の、あんまり鍛えて無さそうなおじさんだったので、驚いたぜ。というか、僕がヘタレすぎなのか。今度、三島往復してこよう。