Strange Days

2005年11月30日(水曜日)

W-Zero3来る!

22時04分 デジタルギミック 天気:晴れ

 15:00ちょっと前。我輩の携帯に、Willcomからのメールが入った。新機種の予約情報を受け取るように申し込んでいるのだが、今日はW-Zero3の発売日とWillcomストアでの予約開始日が通知されてきた。遂に来るか。
 発売日は12/14で、予約開始日は12/9の15:00だげな。前回のメールでは来年1月を目指すと書いてあったが、前倒しになったようだ。あるいは、1月といってたのは、単体発売の場合を指していたのか。
 買うか、様子見か。たとえアップデートの嵐になるにしても、早く手に入れて使い倒した方がお得な気がする。
 それにしても、俺様のボーナス支給日に合わせて発売とは。Willcomも味な真似をするものだ*1

FireFox1.5

20時49分 インターネット 天気:晴れ

 FireFox1.5の正式版が出たので、早速ゲットした。Bookmark Synchronizer、Image ShowHideが対応して無いのはちょっと痛いが、描画が爆速になった。本当に、レンダリング速度が画期的に向上したのだ。また、@niftyのマイページのように、しばしばレイアウトに失敗していた*1難物HTMLも、正確に再現されるようになった。
 ただ、期待していたメモリ消費量の削減は、まったく改善が見られなかった osz
 これはもう、FireFoxのメモリキャッシュ確保のアルゴリズムが、メモリをあるだけ食っているからに違いない。そこで、FireFoxのtipsから、メモリキャッシュの制限方法を探して、設定してやったところ、今のところはメモリ消費量の激増が見られなくなった。もう少し、長時間使わなければ分からんけどな。

2005年11月29日(火曜日)

ジテツー1周年

20時31分 暮らし 天気:晴れてます

 ふと気づいたら、ジテツーを始めて1年が過ぎていた。始めたのは去年の11月初めだから、既に1年以上続けてきたことになる。
 始める前は、週に3日も乗れば御の字と思っていたのに、実際には滅多にジテツーを休まない状況だった。距離が近いので、雨がそれほどの障害にならなかったというのが大きいだろう。TCR-2もジテツースペシャル化が進んで、無闇に便利な自転車になってしまった。後はブレーキをもっと強化するくらいか。
 継続は力なりというが、距離が短いせいか自転車力はそんな向上したとは思えない。そろそろ、少し回り道をするかね。
 振り返ってみると、冬より夏の方がつらかった。汗の始末が一番困る。寒いのは、防寒すれば済む話だが、熱い場合は皮を脱ぐわけにはいかんからな。背負い式のクーラーでも無いもんかね。

2005年11月28日(月曜日)

歯の治療開始

17時50分 暮らし 天気:晴れ

 というわけで、職場の医務室に常駐している歯科医に掛かることになった。
 早速、状況を見てもらう。今回、応急処置した部分の局部レントゲンを撮り、この歯は神経を処置して被せるね、などという事になる。しかし、他の奥歯も壊滅的状況なので、結局は歯の全体写真を撮り、それを見ながら検討する事になった。金曜日に掛かった開業医でも撮られたのだが、今は歯列をぐるりと撮れる装置があるんだな。はるか昔は、ひたすら局部写真*1を撮り重ねて行ったものだが。
 結局、奥歯のうち、今回傷んだ側の奥、親知らずは抜かずにおけまいと言う事になった。逆側の奥歯は残したいなー。まあ、金曜日に改めて決めましょう。ということで、次回までに治療方針を決めるらしい。
 しかし、ボロボロだと自覚しつつも、下側の歯に異常は無いのだよな。かれこれ20年近くも歯医者に掛かって無いのに、これは奇跡のようなものだ。今回は、それこそ歯列矯正までやっておきたい。

2005年11月27日(日曜日)

BikeEでお出かけ

20時57分 暮らし 天気:晴れ

 昼前まで寝る。応急処置のおかげで歯痛は落ち着いている。ちょっと出かける気力が湧いてきた。
 いい天気だったので、気分的にBikeEを選択した。リアの空気がまた抜けていたので、また修理する。どうも、パナのイージーパッチは弱いなあ。マルニのふつうのパッチで接着しておいた。これで大丈夫だよな?
 BikeEたんを持ち出して、境川に出た。北に向けて走っていると、後ろに黄色いロードの人がスーッと接近してくる。あれま、栗原さんではありませんか。少し走りながら、しまなみの話などする。
 栗原氏が道を逸れたので、一人で町田までとろとろと走った。ある意味、非常に乗り心地のいい自転車なので、荒れた道でも苦にならない。ちょっと緊張はするがな。
 町田のヨドバシに着いて、カメラ売り場で三脚を物色する。しまなみに行った時、D70クラスでも支えられる、しかしコンパクトに畳める三脚が必要だと感じた。前にも検討したことはあったが、本格的に欲しくなってきた。
 手許には、ずっと前に買ったハクバのアルミ製三脚(重/大)と、ベルボンのカーボン三脚(軽/大)とがある。では軽/小クラスはというと、コンパクトカメラ用の多段折り畳みしかないのだ。1Kg級で、アルミ5段折り畳みのものを物色した。よさげなモノはあるものの、風が吹けばそれだけで振動しそうなクラスばかりだ。もうちょっと情報を集めよう。
 とりあえず、買わないで、店を出た。
 帰路、既に日は落ち、刻々と暗くなってゆく。こういう時、ハブダイナモ付きは気楽で良い。
 湘南台に立ち寄ってから、帰宅した。

2005年11月26日(土曜日)

だらだら

23時46分 暮らし 天気:相変わらずよし

 昨日の七転八倒で体力を消耗してしまい、今日はボーっとした一日を過ごした。本当なら、MasterXLの整備をしたかったのだが。
 あんまりボーっとしていたので、実家から送ったしまなみ関係の荷物を、転寝していて受け取り損ねたくらいだ*1
 今、結構欲しいのが、新しい望遠鏡。GP赤道儀は売ってしまって、適当な自動導入一体型を買うのもいいかなと。なんかKenkoから自動導入付きの物が出ているようだ。Kenkoっていうと、天体観望の分野では、マイナーもマイナー、安売り専用という印象だったが、自動導入まで出していたとは。もしかしたら、鏡筒も含めて、どこかのOEMかも知れないが。
 まあ、これも、部屋が片付いてからだな。

2005年11月25日(金曜日)

歯が痛くて死にそう

21時02分 暮らし 天気:晴れ

 ちょっと前、左上の歯が崩壊するという事件があった。なんかぐらぐらして無いかと思ったら、突然エナメル質が崩壊して、ポッカリ空洞が開いたのだ。ご丁寧にも、被せた冠は、綺麗に残っている。
 それでも、水が染みる程度で、とりあえずは生活に支障なかったので、しまなみが終わるまで我慢していた。
 一仕事終わり、早速歯の治療に掛かろうと、本日会社の診療所に予約を入れてきた。が、なんということ、虫歯の奴めは、このタイミングで突然痛み始めたのだ。それがもう、強烈な痛さ。一定時間ごとに痛みが募り、その間はひたすら耐えるしかない。退いたと思ったら、すぐに次のものが押し寄せる。過去の経験と知識から、神経が侵されているのだと見当はついたが、既に診療所の営業時間は終わっており、どうすることも出来ない。
 会社の帰り、自宅近所の歯科に駆け込んだ。親切に対応していただけて、営業時間を大きく過ぎていたのに、とりあえずの処置として痛み止めの埋め込みと、セメントによる密封処置をしていただけた。痛みもほどなく落ち着き、感謝に堪えない。
 月曜日からは、職場の歯科医に掛かるのだが、腕はどうなんだろう。

2005年11月24日(木曜日)

自転車の整備状況

20時22分 自転車 天気:いいよ

 さて、こっちに帰ったら、自転車の整理も睨んで、整備しないと。
 手許には7台の自転車が残っているわけだが、メンテの必要があったり、清掃の必要があったりするものが多い。
 BikeEはあまり清掃する要を感じないが、外装化は本格的に検討したい。
 MasterXLは、リアハブの異音に加え、BBからもなにやら異音がする状況なので、一度BBを抜いてみる必要がありそうだ。ホイールも換えるかなあ。
 TCR-2は絶好調だ。が、日常的なメンテに加え、そろそろBB抜きも含む大規模な整備の時期に来ている。
 トレンクルは今のままでいいが、BBをもっと軽いものに換えたい(オリジナルのものは激重)。それと、一度全部ばらして組みなおして、ギシギシいってるのをなんとかしたいところだ。
 EPICも手を入れなくていいかな。でも山用スペシャルという任務を考えると、切り詰めすぎて押さえの利かなくなったハンドルを、もう少し幅広のものに戻したい。
 MR-4Fはリアホイールのスポークに着いている傷が気になるので、暇を見つけて組みなおしたいところ。また大規模なメンテの時期だ。
 そしてBD-1はどうするか。今のままではリストラ候補筆頭だ。ガンは後ろに行過ぎたサドル位置だ。カーボンピラーの恩恵は大きいが、プロファイルのピラーの特性として、セットバックされるシート位置が裏目に出た。軽量化とシルエットを換えるという意味で、あえてアルミの、セットバックされて無い細いピラーに換えるのが良いか。しかし、それって、トムソンのピラーに手を出せということだな。どこかに安く落ちてないか。

2005年11月23日(水曜日)

横浜に帰る

21時54分 天気:晴れ

 さて、慌しくも、横浜に移動する日が来た。しかし、帰路は自転車もヘルメットも置いてゆくので、ほとんど手ぶらだ。これは楽でいいなあ。
 家でメシを食ってから、中通りへと歩いて行った。こういう局面では、自転車があった方が良かったな。とぼとぼ歩いて行った。フライケーキを買いたかったのだ。が、ふとモリスの前を通りがかったら、やってるじゃないか。今日はやってないんじゃないの、と母が言ったので、家で食事してきたのだが。とりあえず入って、中華そばを食べた。すこし、モリス分を補給できた。
 それから福住に寄って、フライケーキを買っておいた。
 呉駅に出ると、ちょうどこぐ夫妻と長岡氏が、輪行準備しているところだった。既に大和ミュージアムを見てきたとか。それを手伝っているうちに、広島空港行きのバスが来た。これ、僕が行きに乗ったのとは違い、補助席が無いタイプだった。おかげで、荷物の持ち込みは、まあまあ楽ではあった。しかし、混在しているというパターンが、一番困るな。
 バスは広島空港に着く。長岡氏は周囲のサイクリングロードを、レンタルサイクルで走ってくるとか。その前に、買っておいたフライケーキを振舞う。が、既に衣がしおしおになっていた。それでも美味しいといってはくれたが、ちゃんと衣のカラッとした状態で振舞いたかった。美味しさが段違いだから。
 フライトは14:20発だったので、その前に食事をしておこうということになる。適当なお好み焼き屋に腰を落ち着け、それぞれに注文する。僕は二回もメシを食っていたのだが、思わずお好み焼きを注文してしまい、皆様に助けていただく破目になった。
 長岡氏はフライトまで間があり、走りに行ってしまう。我々は羽田行きの便に乗り込み、空路羽田に降り立った。
 こぐ夫妻と別れ、京急、地下鉄と乗り継いで、帰宅した。
 部屋に入り、荷物を下ろすと、一台分空いた自転車ラックが目に入った。ああ、やっと一台片付いた、と少ししみじみしてしまう俺様。兄ちゃんに可愛がってもらえよ。自転車は、後何台か整理したいところだな。

2005年11月22日(火曜日)

2005年秋のしまなみ海道ツーリング3日目

22時20分 天気:晴れ

 楽しかった秋しまなみツーリングも最終日。そして実は、いささか憂鬱な気分だった。行程に未知の部分が多く、果たして予定通りに行動できるのか、見通しがつかなかったからだ。特に大崎下島に渡る便に自転車を載せられるかどうか、まだ確認できてなかった。7:00の朝食の時間になっても、運航会社との連絡がつかない。どうしたものか。
 煮え切らない思いを抱えつつ、もしもダメなら松山方面に走るかなどと考えていたら、フロントから内線が入った。実は、フロントにも聞いてみていたのだが、やはり電話が通じなくて不明、という答えだったのだ。話は、やはり高速船のことだった。あれからまた電話してもらって、今度は通じたそうだ。問題なく載るという。やった。これで懸念が一つ消えた。フロントの親切に感謝だ。
 宿を後にし、一行を今治港まで引率した。後で思い返すに、ちょっとくらい寄り道して、今治城くらいは見て行けばよかったか。ともあれ、高速船の切符を買い求め、桟橋で待ち受けた。料金は1700円台だが、自転車をそのまま持ち込む場合は手荷物扱いとなり、1550円を取られる。船内は列車よりはかなり広いので、折り畳んでの輪行も問題ない。折り畳まない*1自転車は、後部デッキに載せられた。後でスピードメーターの表面を見ると、白い塩が薄くこびりついていた。
 やがて船は出航すると、大崎下島を目指して進み始めた。30kt出ているとかで、風晒しのデッキに出ていると、風に息が詰まるくらいだ。しかし、船の旅は視点が異なるので、楽しめる。橋を下から見上げたりして。
 今治から30分で大崎下島の大長港に着く。まずは岡村島でも一周しようではないか。
 大崎下島と岡村島は、三つの島で繋がっている。一つ目の橋は比較的短くて片持ち式、二つ目三つ目の橋は、見た目は同じの双子の橋だ。
 岡村島から豊島まで、そしてその隣の両蒲刈島は、既に橋で繋がっている。豊島と下蒲刈が繋がれば、ここまで陸地と接続されるわけだ。
 岡村島の北側、岬の突端に、ちょっとした公園があった。なんでも、2~3世紀頃にこの近辺に勢力を持った豪族が、多数の古墳を残しているのだとか。
 岡村島はさくっと一周してしまう。再び大長近辺に戻り、昼飯場所を探しながら御手洗までゆっくり走った。いいところはなさげだな。とりあえず、御手洗を散策することに。
 最初は、こぐ氏らがご執心の時計店に。機械式時計の修復で有名だとかで、全国から古い時計の修理依頼が来るらしい。外から作業場を覗けるのだが、確かに日本各地からのものらしい、機械式腕時計がいくつも壁に掛かっていた。
 昼飯どうしようかなあ、などと話しつつ、時計店から走り出す準備をしていると、郵便配達のおばさんが通りかかった。ちょっとした会話があり、ついでに聞いてみると、近くに食堂があるという。そこにするか。
 教えてもらった通りに進むと、海岸通の小さな食堂に行き当たった。他にも飲食店らしきものはあるのだが、外見がどう見てもふつうの家にしか見えないところばかりで、ここがほぼ唯一の食堂だった。中で鍋焼きうどんを頼み、おでんを3本くらい摘む。鍋焼き400円。おでん100円/本。鍋焼きは具は少しチープだが、関西風の出汁に卵、青物、そしてアナゴの焼き物が良く合っていた。おでんは良く煮込まれていて、味が染みきっていた。どうやら、周辺の住民の昼食場所みたいだ。
 この御手洗、古い家並みを細い路地が縫うように走っており、なかなか風情がある。自転車ではなくて、歩いた方が楽しいだろうという判断から、自転車はまとめて駐輪した。海に向かって、いい感じに朽ちつつある物置。来年、台風が何発か来たら、もう無いかも。
 鉄漿事件なる伝説が残る置き屋跡を見てから、方々を歩き回った。乙女座という古い映画館跡がいい感じだった。
 適当に見て回り、次の高速船の時間が近づいてきた。大長に戻り、再び船上の人となった我々は、1時間半後に呉へと到着した。残念ながら閉館日の大和ミュージアム近辺をうろつき、阪急ホテルまで案内、さらに呉の中心街方面に誘導してから、帰宅した。
 これで春、夏、秋としまなみを走った。ネタとしては、冬のしまなみも走らなければならないのだが、うーむ。

2005年11月21日(月曜日)

2005年秋のしまなみ海道ツーリング2日目

21時41分 天気:相変わらずの快晴

 爽やかな気分で目覚める。それほど寒くも無く、かといって過剰暖房で汗をかくようなことも無かった。
 朝食を取り、身支度して、自転車の準備をする。今回、サイドバッグに全ての荷物を詰めているのだが、これが仇となった。このサイドバッグ、細い鉄製荷台に合わせているようで、吊り下げ用フックも、下向きにゴムひもで固定するためのフックも、太いアルミ製フレームのこれとは、微妙に合わないのだ。おかげで、少し振動を与えただけで外れてしまい、往生した。その対策として、上のフックはビニールテープで巻いて固定してしまい、下のフックはタイラップで固定した。これで外れることは無いだろう。
 なかなか快適だった宿を出て、今日の行程を開始する。まずは大山祇神社の参拝だ。神社は、まだ観光客の時間では無いのか、参拝者は我々だけだった。晩秋の朝の冷え込みもあり、森厳な雰囲気だ。もっとも、すぐにバスで乗り付けてきた観光客で、いささか喧しい状況になってしまうのだが。
 島の東に向かう。昨日越えた丘を越えてゆく。幹線道路に沿ってサイクリングロードがあるのだが、ほとんど車道から離れないため、少し面白みに欠ける。
 多々羅大橋に程近い道の駅で一休み。記念撮影大会になったりする。
 ここから大三島橋までは、さほどの距離ではない。にも関わらず長く感じるのは、ひたすら車道沿いの、しかも内陸の道を走らされるからか。
 大三島橋を越え、いつも塩アイスを楽しむ道の駅は素通りし、とりあえず西に走って行く。昼食は、道沿いにあるらしいお好み焼き屋で取りたかった。それが見つからなければ、またさんわまで走るかという声も。さんわまで走るのは憂鬱だという声もあったが、案に相違してお好み焼き屋があっさり見つかった。舟折の瀬戸近くの展望台から下りきった左手に、その店はあった。事前の調査で目をつけていた店だった。ふつうに豚玉+うどんを頼む。鉄板の上で熱々のまま食べられるので、ボリュームの大きさもあって満足感は高い。
 昼食が予想外に簡単に見つかったので、道の駅に戻って塩アイスを食べながら、のんびり過ごすことが出来た。前方には伯方橋+大島大橋が見えている。あれを越えると、今日の行程の最後、大島だ。
 橋を越え、大島へと到達した。今日は昨日より、更に走行距離が短い。大島は、ひたすら推奨ルートを駆け抜けた。いまいち、面白みの無い島だ。別に島の責任じゃなくて、すぐに終点という意識が、そう思わせるのだろう。
 ともあれ、一気に来島海峡大橋の近くに到達する。ここの道の駅で休憩するつもりだったが、誤指示によりみんなして行き過ぎてしまう。あれー。まあ、いいか。
 巨大な来島海峡大橋は、渡りきるだけでも時間が掛かる。いつもは一気に渡りきるのだが、今回は途中の馬島へとエレベータで降りてみた。島は巨大な橋脚に踏みつけられた形になっている。
 馬島から最後の区間を走っていると、一隻の大型帆船がやってくるのが見えた。後で調べた結果、日本丸らしいと判明した。橋の上には、カメラを構えた人々が、ちらほらと見えた。
 帆船との邂逅を終え、今治まで渡りきると、糸山の展望台に登った。記念撮影をしながら、絶景を愉しむうちに、日没を迎えた。昨日といい今日といい、シャッターチャンスに恵まれている。
 今日の宿は、いつものサンライズ糸山。適当な時間に海岸に下りて、浜勝で夕食を取った。海鮮料理はもとより、最後に出されるオレンジのシャーベットが絶品なのである。
 今日も気候に恵まれ、気持ちいい一日だったな。

2005年11月20日(日曜日)

2005年秋のしまなみ海道ツーリング1日目

23時51分 天気:快晴

 朝は5:30に起床。母を起こしてしまったので、お茶をもらい、その辺にあったたこ焼き2パックをパクつき、出かけた。
 リアキャリアにサイドバッグを着けたHARDROCK号は、クソが着くほど重い代物だ。だが、走行自体は非常に安定している。
 駅前で輪行体勢を整える。かなりの重量。乗換えが思いやられる。岡山までの直通便に乗れば、乗り換え無しだったのだが、それは輪行準備に手間取っているうちに乗り逃がした。
 結局、糸崎乗換えの便で尾道に向かった。途中、三原で長時間停車するので不安になったが、結局はこれが正解だった。しかし、尾道着は9:15頃となった。
 改札を出ると、既に他の参加者は揃っている。いつもの重装備BD-1のこぐ氏、7速化Bromptonのあゆこ夫人、Crusoeのまき氏、SatRDayの長岡氏、そして8速化Bromptonのこば氏だった。こぐ氏に依頼して、しまなみ交流館でサイクリングマップをもらって来ていただき、全員に配布した。まずは駅前渡船で向島だ。おっと、フェリー乗り場を間違えるところだったぜ(爆)。いきなりそれかよ。
 フェリーを降りると、すぐに大和の映画セットがある。駐輪場に自転車を停め、案内バスで玄関からセットまで連行してくれる。
 セットは地上に設置してあって、艦首近辺と船体中央、第2主砲塔から高射砲群にかけて、実物大のスケールで再現している。艦橋近辺の司令室レベル以上、第1主砲塔の前面などは省略されている。CGで書き加えるのだとか。きちんと考証しながら*1比較的細部まで作り込んでいるようだ。しかし、96式25mm機銃の場合、マガジンがはまる部分は枠だけで、チャンバーへの給弾口は無い。カメラワーク次第で、写しそうに無い部分は切り捨てたということか。
 セットを出ると、向島の南岸に向かって走り始めた。しまなみ海道の推奨コースからは外れるが、夏に走った時、なかなか眺めが良かったので、選択した。皆、文句も言わず、着いてくる。
 晩秋だというのに、紅葉があまり進んでないのは残念だった。しかし、綺麗に晴れた空の下、海はとても青くて、今までに無く眺めは良かった。ほどなく、因島大橋に到着した。へこへこと登って行く
 因島は、北岸ルートを淡々と走りぬけた。面白そうな島の中央部までは、結構な坂を登りそうでなあ。
 生口島に渡る生口橋を背景に、人物寄り過ぎ&構図傾斜&きっちり逆光の三重苦記念写真を撮った。
 昼食は、当初の心積もりでは、因島のどこかで取る事になるだろうと見ていた。大和のセットで時間を食うと思っていたからだ。しかし、自由観覧ではなくて、順路が設定されていた関係で、意外に早めに切り上げることが出来た。ちょっと欲が出て、生口島で昼食を取る事にする。皆、チョコの類で飢えを癒しつつ、耕三寺界隈まで走った。
 昼食は万作。並びの店に較べてディスプレイがシンプルなので、とても落ち着く。浜子鍋なるものがあったので、定食で注文してみた。浜子というのは、かつての製塩従事者のこととか。浜の産物を、味噌で煮込んだ鍋だ。小エビ、烏賊、魚に絡む味噌が美味だ。具を平らげたら、ごはんを入れて雑炊にする。汁の少ない雑炊で、味噌の焦げる臭いが香ばしい。美味なり。
 昼食後は、ドルチェの耕三寺門前店に入り、アイスにする。目を惹いたのが、アイスぜんざい。ぜんざいをアイスにしたものではなくて、熱いぜんざいにアイスを載せた熱いおやつだ。塩アイスとのコンビを頼んだ。この組み合わせは絶品であった。冬場も、これでこの店は乗り切れるだろう。
 少しぶらついて、コロッケなどを買い食いした後、いよいよ大三島へと渡る。多々羅大橋に着く頃には、かなり日が傾いていた。道の駅も無視しながら、大三島を横断し、大山祇神社方面に走った。丘を越え、下る辺りで日没に遭遇。思わず写真に収める。秋は夕暮れが綺麗だ。
 さて、宿泊地は大三島少年自然の家という。海岸近くに突き抜けて、さらに北上すると、それはあった。宿の手続きを取り、部屋に入れてもらう。木造の新しい施設で、木の温もりがナイスだ。我々が入れられたのは、居間一つに寝室*2二つ、シャワーとトイレが連結された部屋だった。冷暖房完備で、テラスからは海岸を望め、澄んだ星空が見えた。事前の問い合わせに対しては、飲食は原則禁止ということだったのだが、入室時の説明で生ゴミと瓶缶ボトルの出し方を説明される不思議さだった。そこはまあ、大人として行動しなさいということでしょ。問題は、周囲に店の類が全く無いことか。正確には、4kmほど走った大山祇神社界隈には、ヤマザキのショップもあり、9:00~23:00で開いているようだったが。徒歩ではどうしようもないが、自転車があるなら問題は無い。
 風呂は、その大山祇神社界隈から少し南下した、海水温泉施設のタダ券をもらえるので、そこまで走ることにした。夕食もそこで取りたい。お疲れ気味のあゆこ女史はここの風呂で済ませ、我々は海水温泉まで夜道を走った。風呂に入ると、確かに海水温泉。ぴりぴりと辛かった。そこの食堂で、いかにもな感じの適当な食事を取る。
 宿に戻り、明日の行程などを考えているうちに、眠くなってきた。それぞれベッドに戻り、僕は居間の方にベッドを敷いて寝た。

2005年11月19日(土曜日)

まき氏とも遭遇

17時54分 天気:快晴

 すっかり暇をもてあました俺様は、空港1Fのロビーを、腹を空かせたクマーのようにうろつき回っていた。ひとしきりマーキングし終わった*1僕は、ベンチに座って、Sigmarion3を取り出した。とりあえず、日記だな。
 書き終わり、ふと顔を上げると、今まさにゲートから出てきたまき氏と目が合った。早速、3Fの店でお茶する我々。
 そろそろ時間だ、ということで、まき氏共々1Fに降りる。まき氏は尾道だが、我輩は呉のバスだ。まき氏のバスを見送り、ほどなく呉行きがきた。
 …………これ、ただの路線バスとちゃうか? リムジンバスを想定していた僕には、少々宛が外れた展開だ。当然、荷室は無い。でかいMTB輪行袋を背負い、補助席があまりに邪魔な*2通路を通り、MTBは空いている席に押し込んだ。乗客が数えるほどなのが助かった。本数が少ないので、みんな竹原経由JR乗り継ぎに流れるのだろう。
 ともかく、呉までの1時間半ほどを、車中で過ごす。
 呉に着き、また苦労しながら荷物を下ろす。HARDROCK号を組み立て、実家に走った。
 さて、明日からの三日間、いい天気になれよ。

広島に移動

14時59分 天気:快晴

 まだ、Moblog頼りになるような状況では無いな。
 とりあえず、10:00前に荷物を背負い、HARDROCK号に打ち跨って、出発した。といっても、すぐ近くの立場駅で、すぐに輪行するんだがな。
 超速FIVEの威力を見よ。あっという間に輪行準備完了だ。あれー、それでも地下鉄を乗り逃がしました;..) 荷姿が大きいので、運ぶのが大変なのだよな。
 上大岡で京急に乗り換え。ここでも乗り換えにちょっと苦労する。一本早い便なら、羽田直通に乗れたのだが。地下鉄でも京急でも、乗客が多く、でっかい自転車を抱えて立つ羽目になった。
 京急の羽田空港駅で降り、そこからまた歩いて、なんとか搭乗ロビーに到着。すでにこぐ御夫妻がいたので、先にチェックインしてから、手荷物カウンターに並んだ。ちょうどこぐ氏が受け付けられていたところで、その後ろにこば氏も立っていた。
 自転車と、バックパックも預けてしまった。自転車は破損時免責誓約書にサインさせられた。思わず持ってきた、ワコーズのメンテルブ(ボンベではあるわな)はどうなるかと思ったら、そのまま預かってくれた。
 さて、飛行機の旅はあっという間だった。寝入っているうちに、がつんと大きな衝撃に目覚めたとき、既に広島空港に着陸していた。
 降りて、手荷物の受け取りに手間取っているうちに、呉方面のバスが出てしまっていた。あーあ。次は2時間後だよ……。
 こぐ氏らは尾道方面なので、すぐ後に出たバスに乗って出発した。さて、2時間待つかと思いつつ外をうろついていたら、輪行解除中の長岡氏と遭遇。海岸の宿まで自走するのだとか。ああ、僕も竹原まで走って、そこから輪行した方がましだった。しかし、既にバス切符を買っていたのだった。
 やむなく、空港の飲食店でうどんを食い、こうして暇を持て余す俺様であった。
 しかし、いい天気だな。明日も晴れそうだ。

2005年11月18日(金曜日)

しまなみに行ってきます

23時55分 暮らし 天気:澄んだ星空

 というわけで、帰宅してから大急ぎで出立準備、をしようと思うまもなく、転寝してしまう。気が付くと、もう真夜中だ。
 とりあえずの品をリュックに詰め、明日の朝は自転車の整備をして、出発する。時間の余裕はあるから大丈夫だろう。
 ここもしばらくは更新できないと思う。その間、出来るだけMoblogの方を更新することにするので、よろしく。

2005年11月17日(木曜日)

超速FIVEにHARDROCK号を入れてみた

22時20分 自転車 天気:晴れ時々くもり

 昨日発掘した超速FIVEに、HARDROCK号を入れてみた。
 この輪行袋は、非常に大きな輪行袋と、前輪用のホイールバッグ、スリングベルトと梱包ベルト各一本ずつのセットになっている。
 まず前輪を外し、ハンドルを90度回転させる。梱包ベルトはここで使うのが正解のようだ。また前輪をホイールバッグに収めておく。そしてホイールバッグの口を締める紐で、フレームにくくりつけておくといいようだ。
 この状態で、フレーム全体がすっぽり入る。キャリアが着いたままで、しかもサドルも下げて無い状況だ。だから、荷姿はかなり大きくなる。この輪行袋なら、フルサイズの自転車でも、ものの5分で納めることが出来るだろう。その代わり、車中での身の置き所に困るかもしれない。
 まあ、羽田までは地下鉄~京急と乗り継ぐつもりだし、帰路は運搬する必要が無いので、困るとすれば広島空港からのバス便だけか。これに乗れないなら、竹原まで走って、呉線で輪行すればいい。
 この輪行袋、ある意味では非常に便利なので、大きなサイズの自転車の輪行にも、可能性が拓けて来た。

2005年11月16日(水曜日)

超速FIVE発見

23時28分 暮らし 天気:済んだ星空

 夜、実家に荷物を発送した。モノは着替え、髭剃りの類だ。全てオストリッチのサイドバッグに入れ、さらに段ボール箱に詰めてから発送した。このサイドバッグ、以前に須藤氏から譲っていただいたもので、遠大な自転車旅行の供だった歴戦の勇士だ。このバッグも兄にあげてしまおうと思う。あちらでの輪行時、これらをどう運ぶか考えていたが、一つを大きなビニール製の肩掛け袋に入れ、もう一つを2002年の東京シティサイクリングでもらった3モードバックに入れて、それぞれ肩、背に負うことにした。これは意外にいい感じ。今後のツーリングでも応用できそうだ。
 さて、荷物を送ってから、家捜しを続行した。行方不明の超速FIVEを探し出すのだ。超速FIVEだけでなく、未使用のパーツが数多く行方不明になっている。前に整理した記憶があるので、その時に箱に仕舞い、その箱をどこかにやってしまったのだ。しかし、どこにやったか。
 探し続け、ふと『これは空き箱だろう』と信じ込んでいた箱を持ってみると、重い。開けるとビンゴでした。大正解。超速FIVEだけでなく、未使用パーツ類を多量に発見した。
 今日はもう遅いので、明日は超速FIVE演習をしてみよう。

2005年11月15日(火曜日)

輪行袋はどこに行った

23時50分 天気:晴れた

 輪行袋を探している。モノはオストリッチの超速FIVEという奴で、前輪を外すだけで入るという大サイズのもの。MTBやロードの輪行用に買ったのだ。が……。
 おかしいな、見当たらない。一緒に買った肩パッドはあるんだから、超速FIVEもあるはずなんだが。色々しまいこんだダンボールを探っても、自転車ラックの下のガラクタを家捜ししても、見つからない。なんで蒸発するかね? いや、たぶん、部屋を片付けない僕が悪いんだろう。
 まあ、無くても、従来通りにオストリッチの超軽量輪行袋、L-100で運ぶだけだ。しかし、超速FIVEの使い勝手を確認するいい機会なのにな。
 家捜し中に、要らないクランクやスプロケを何式も発掘した。ヤフオクで捌こう。
 後はバッグ類に荷物を詰めて、実家に送っておくだけだ。

あー、もう輪行でいいや

16時19分 天気:くもり

 さて、とりあえず秋しまなみの準備を終えないと。
 まずは宿の人数変更。それから浜勝への予約。勝手ながら3000円コースに統一しました。
 後の行程上の未解決の問題は、もう現地でなんとかしよう! 事前に話すことが出来ませんでした。すまん。まあ、しまなみマスターも居ることだから大丈夫さ。
 後は自分の準備だな。と、最大の懸案である自転車輸送手段を考えていた。昨日のように適当なダンボールで蔽うというのは上手く行きそうに無いので*1、カブトの輪行函での輸送を考えた。が、これはサイズがそれなりにあって、ヤマト便で4000円、佐川で5000円という辺りだ。意外に差は無いものだ。が、佐川の場合、「未梱包品でも2割り増しで引き受け」とある。うーん、なら輪行袋に入れて、そのまま引き受けてもらうのが楽ではないか。ヤマト便の場合、輸送に時間を要するので、今日明日の発送だと土曜日に届くか微妙だわ。よし、佐川に運んでもらおう。
 電話しました。「引き取りは夜6時までじゃないと無理です」。なんと! それでは営業所持込なら、と聞くと、この場合でも夜8:00までだってさ。それは、サラリーマンには厳しい現実だわ。
 しょうがない。速攻で帰宅して、持ち込むか。などと考えているうちに、段々アホらしくなって来た。それで6000円も取られるわけだからなあ。
 やめた。やはり輪行にしよう。重いのは耐え忍ぶとして、輪行経路で問題なのがバスに載るかどうかだ。グーグル先生に調査依頼したところ、実際にリムジンバスで輪行した例は多数あり、逆に断られた例は見当たらなかった。飛行機の乗るものを、その飛行機に接続するバスが運べないのはダメだからでは、との説も聞いた。たぶん、大丈夫だろう。最悪の場合でも、竹原まで走り、そこから呉線一本で輪行できる。なら、そうするか。
 それでも、サイドバッグの類は、先に送っておかないとな。これは宅急便で、近日中に発送しよう。

2005年11月14日(月曜日)

自転車荷造り中

23時12分 自転車 天気:晴れのちくもり

 さて、HARDROCK号の発送準備をしないと。
 通りすがりの方の助言もあって、ヤマト便も視野に入れているのだが、これはこれで弱点がある。経路が宅急便と異なるので、配達に数日の時間を要するのだ。広島までは中二日、という辺りらしい。一方、佐川だと原則翌日配達だ。値段はヤマト便のほうが安い。荷物の扱いは、佐川の評判が悪いようだな。僕は今まで佐川でも荒い扱いに遭ったことは無いのだが、どうも組織としてしっかりして無いような気がする。というか、ドライバー次第か。ヤマトは組織としてしっかり運営されている感じ。
 ともあれ、とりあえず荷造りして、大きさを測ろう。という目論見で、HARDROCK号を分解し、ダンボールに詰めてみた。前後ホイール、シートピラー、リアディレイラーまでは外したが、意外にハンドルを外すのは無理だった。ケーブルのアウターが折れるかも知れないと思った。やばそうな箇所にダンボールを当て、全体を更にダンボールに入れる。ダンボールは、廃棄する予定のNANAOディスプレイのものを二つ使った。一つでは包めない。それぞれカッターで開き、一枚にして、ガムテープで仮組みし、ビニール紐で縛った。うーん、紐じゃなくて、まずガムテープでしっかり固定するべきだったか。
 荷姿は微妙だなあ。これ、運送中に分解するかも。ということで思い出したのが、カブトの輪行函を買ってあったということだ。こっちを使う方がいいかな。
 とはいえ、すっかり真夜中だったので、明日に持ち越しになった。明日、綺麗に梱包できなければ、輪行函に入れなおしてから発送しよう。
 今回、自転車を送る方法を色々検討したのだが、前から気になっていたサイクルヤマト便が、意外に使いやすそうなのに気づいた。これ、JCAで買ったタグをつけると、自転車を輪行袋に入れただけで送れるという制度だ。上手く使うと、旅先のヤマト運輸営業所止めにしておいて、現地で受け取るという手も使えるみたいだ。近所のヤマトに営業所があるので、そこまで自転車で乗りつけ、輪行袋に入れ、預けるという手順が踏める。ダンボールにいちいち入れるより楽だ。それにこの場合、料金はヤマト便の60kg料金が適用される。それじゃ自転車よりよほど重いじゃん、とはならない。というのは、運送費は純重量と、外形三辺(m)の積にある数値を掛け合わせた値との、大きい方を適用するとあるからだ。外寸の大きい自転車の場合、大体後者が非常に大きくなってしまうので、60kgサイズの適用の方が穏当な値段に収まることが多いようだ。またこの点を利用すると、外寸の大きな自転車も自由に送れる。BikeE発送が可能だなあ。さらにはトライクも。時間を見つけて、サイクルタグは買っておこうと思う。

2005年11月13日(日曜日)

埜庵芋煮ツアー

20時09分 自転車 天気:晴れのちくもり

 今日は久しぶりの江ノ島ツーリング。晴れ空に恵まれ、絶好のツーリング日和になりそうだった。
 HARDROCK号の調子を見るつもりで引っ張り出し、集合場所の戸塚に走らせた。集合時刻をちょっとすぎた辺りで到着。意外に多く、17人くらいになるとか。
 いつものようにまったりと走り、柏尾川を南下して行く。途中でパン屋に寄り、さらに江ノ島を目指す。
 改装したHARDROCK号は、ドロップ時代よりも軽快になり、好印象だ。ハンドルが近すぎるが、安定性があり、安心感もある。ただ、速く走ろうという欲求は湧かないな。
 江ノ島のヨットハーバーでの食事を経て、いよいよ埜庵だ。芋煮会という名目だったので、海岸で芋煮でもするものと思い込んでいたのだが、埜庵では2階に通された。どうもキッチンで芋煮を作って、それを供するということらしい。やがて出てきたのは、あれ懐かしや、南会津で食べたこづゆ。小芋が蕩けるようで、出汁も効いて大層美味しかった。こぐ氏など、最後は寸胴を抱えていたくらいだ*1。後はプリンとコーヒーで。氷屋なのに、こんなにおなかが一杯になっていいのか?
 後は江ノ島まで走り、解散。戸塚リターン組と途中で分かれ、境川を遡って帰宅した。すっかり暗くなっていたが、ハブダイナモは非常に便利であった。手放すの惜しいなあ。まあ、EPICにもう少し手を入れたら、もっと楽な自転車に出来そうなので、やはり手放すのは正解だろう。

2005年11月12日(土曜日)

NHKスペシャル「ユリばあちゃんの岬」

23時03分 テレビ 天気:良好

 今夜のNHKスペシャルは、知床の荒々しい自然の中、一人で夏を過ごす、79歳のおばあちゃんの話題。
 北海道西端、北方領土に向けて延びる知床半島は、世界自然遺産に登録されたほどに色濃い自然が残る、日本でも数少ない手付かずの場所だ。特に先端部には人工物がほとんどなく、道路も無く、ここに進むには船で向かうしかないくらいだという。しかしオホーツク海と太平洋の狭間に位置するこの近海は、有数の漁場であり、海産物の宝庫でもある。そんな場所なので、無人の地とはいえ、夏の間だけは漁師が定住する。番屋と呼ばれる小屋を海岸線に建て、そこに寝泊りするのだ。
 半島先端、知床岬に近い赤岩という辺りにも、1軒の番屋が建っている。そこの主は、79歳になるというおばあさんだ。ユリばあさんは、昔から夫とともに漁を営み、死別した後も一人で同じ暮らしを続けている。晩春から早秋に掛けての四ヵ月、一人で水道もガスも電気も無い暮らしを続けている。
 ユリばあさんの獲物は、海岸線に生えるオニコンブだ。昆布は強い波に曝されると根を引きちぎられ、海岸に漂着する。ユリばあさんは、それを拾い集め、天日で乾かし、倉庫に溜めておく。秋口、小屋を退去する際には、1年を暮らすのに十分な金になるという。
 獲物は昆布だけではない。夏の間、この近海は魚の豊富な漁場になる。そしてその魚を狙い、方々から渡り鳥が集まってくる。それらの渡り鳥に狙われた魚たちが、時々海岸に打ち上げられるのだ。ユリばあさんはそれを拾い、食事としている。
 ユリばあさんの仲間は、二匹の犬だ。犬たちはユリばあさんをヒグマから守る役目も果たしている。先日、小屋にヒグマが侵入した時、ユリばあさんは町に出かけていて無事だったが、小屋を守ろうとした犬が噛み殺されている。ヒグマは頻繁に姿を現すのだが、ユリばあさんは泰然と構え、ヒグマへの刺激を控えている。そのせいか、ヒグマもたまに小屋を荒らす程度のこと以上はしない。
 ユリばあさんの隣人は、近くの番屋の漁師たちだけだ。しかし、その番屋までは、険しい斜面を越え、半島を横切らなければならない。ほとんど一日仕事だ。犬たちを連れて出かけるも、番屋は空。不在だった。「こういうこともあるさ」と、ユリばあさんはお土産を残し、また番屋へと帰っていった。しかし、電話も無い暮らしなので、万が一の時の連絡は、近隣の漁師仲間だけが頼りだ。
 帰り道、ユリばあさんは寄り道した。半島の先端部に向かったのだ。知床岬の崖上から眺める海は、雄大なオホーツク海が一望できる。前にも書いたように、ここまでは道路が通じていないので、この場所に立てるのは僅かな人間だけだ。
 嵐になれば、番屋は強い風に打たれる。大波が来ればひとたまりも無い。だがユリばあさんは、翌日が楽しみだという。強い波は、深い場所に生えている良質なオニコンブを打ち上げ、嵐の去った空は天日干に最適な晴れ空をもたらしてくれるからだ。翌朝、案の定の好天に恵まれ、ユリばあさんは張り切って昆布を集め、天日に曝した。ところが、晴れの続くはずの空は、突然の雨をもたらし、せっかくの昆布を台無しにしてしまう。「ゆったりして無いとやってられん」と、ユリばあさんは自然と付き合う心構えを説く。
 初秋、番屋を去る日が来る。ユリばあさんの孫たちが迎えに来る。昆布を全て運び出すと、犬たちとばあさんは番屋を去り、無人の番屋が残される。年明け、流氷がこの海に押し寄せると、もはや海からも陸からも孤絶した岬が、じっと冬の海を眺めながら、春を待つのだ。
 この知床半島。世界自然遺産に登録されて以来、この番屋の存在が問題化するのではないかと言われているようだ。番屋の多く*1は、糞尿の類を海に垂れ流しており、それが環境に影響するのではと懸念されている。少数の漁師ならともかく、番屋ツアーなる名目で半島を漁船で巡るツアーも現れており、観光客のもたらすそれにより、自然環境の汚染が進むのではないかと懸念される。ちょうど、富士登山と同じ構図になるのでは無いかと。
 富士に較べ、自然の許容量が圧倒的に大きいのが救いだが、何らかの規制が現れるかもしれない。だがそれは、自然と折り合いながら暮らしてきた、旧来の番屋暮らしを圧迫するのではないか。
 全ての地に人間が入らねばならぬ理由など無いが、厳しくともあの岬に立つ道だけは残しておいて欲しいなと思う。

HARDROCK号のハンドルを戻す

22時26分 自転車 天気:雨のち晴れ

 広島の兄にHARDROCK号の譲渡について打ち合わせた結果、やはりハンドルはフラットバーに戻すことにした。ドロップが着いたまま譲ろうかとも思ったのだが、兄自身はともかく、姪たちが乗ることを考えるとフラットの方が良かろうという結論になった。子供のうちからドロップでバリバリ走って欲しい気もするが、MTB+ドロップは、ちと扱いにコツが要る*1ので、フラットにした方がいいか。
 昨日、シフト/ブレーキケーブルの在庫を調べておいた。アウターはあるのだが、インナーが見当たらない。あれ、なんでだろう。あれだけあったのに。どこかに仕舞い込んじゃったかな。とりあえず、サガミに買いに行こう。そう思って朝を迎えたのだが、雨だよ。なんてことだ。思わず寝なおす*2
 雨は昼前に上がったので、路面が乾いたのを見計らい、サガミに向かった。持ち出したのは、ドロップ付きは見納めだろうと思う、HARDROCK号だ。
 サガミでインナーワイヤーを買い求めた。が、ブレーキケーブルは品切れ。MTB用を注文したのに、なんとロード用が入ってきてしまったとか。とりあえずシフトケーブルを仕入れる。
 さて、ブレーキケーブルはどこで仕入れるか。これを買ったマーシュに連れてゆくか。マーシュまで走り、店長もテッキーも商談中だったので、物欲しげにうろついていたら、店長が声を掛けてくれた。早速ブレーキケーブルを仕入れ、これで物が揃った。帰宅する。
 ハンドルバーの挿げ替えに掛かる。といっても、ケーブル類を外し、それからハンドルを丸ごと抜き、シフター、ブレーキレバー装備状態だったフラットハンドルに換えるだけだ。調整込みで2時間弱掛け、完了。こうしてフラットバーに戻すと、軽快で使いやすそうに見えるなあ。
 明日は芋煮オフだが、これで参加して、問題が無いか確認しようと思う。

2005年11月11日(金曜日)

めっきり冷え込み中

22時56分 暮らし 天気:晴れのちくもり

 好天が続いているせいか、朝夕とも冷え込みが厳しくなってきた。今のところはTシャツ+ウィンドブレーカーで賄えるのだが、もう少しすると中に一枚着込まなければならなくなりそうだ。
 去年までは、ずっと前にユニクロで買ったフリースを使っていた。そろそろ、それを出しておこうかと思ったら、無い。良く考えたら、洗濯した時にズボンのジッパーと擦れたらしく、表面に傷が入って毛羽立ってしまったので、捨ててしまったのだった。あー、これはいかんです。買っておかないと。
 とりあえず、Tシャツの上にフリース、通勤時だけ+ウィンドブレーカーで、去年の冬は越せた。今年も大丈夫だろう。というわけで、適当なフリース類を仕入れてこないと。
 好天だと思っていたら、夜になって天候が悪化し始めた。晩秋の空も、今年は安定しない。

2005年11月10日(木曜日)

意外に佐川が使えそうだ

14時09分 自転車 天気:良好

 自転車発送法を調べている。どうやら佐川急便が使えそうだ。佐川は宅急便サイズの制限(三辺合計160cm)を越えるものについても、比較的細かくサイズごとの料金を設定している。広島まで、三辺合計200cm、20kg以下の物を送る場合、3350円。うむ、微妙だが、片道だけの使用と考えると、いい線かも。
 ではこれで実家にMTB+ツーリング荷物を送るとして、飛行機には手ぶらで乗るか。いや、やはりトレンクルは持っていこう。駅までの行き帰り+いざという時の予備として。トレンクルでしまなみは無謀な気もしないでもないが、去年の春に難なく走りきった前例もあるので、大丈夫だろう。
 よし決めた。これで行こう。

実家までどうやって自転車を送ろう

12時09分 自転車 天気:どうして平日はこうも晴れるのか

 来週末からのしまなみサイクリング、そろそろ準備しないとな。
 予め、実家に荷物を送っておいて、飛行機には手ぶらに近い状態で乗るつもりだった。その為には、自転車を送っておかなければならない。ついでということで、今回は兄に上げる予定の自転車を送り、実家で調整してサイクリングに使い、それを実家に残しておいて兄に取りに来てもらうつもりだった。ところが、料金を調べるうちに、宅配便ではやはり無理そうな気がしてきた。
 大手運送業者は、重量に関しては20kgまで大丈夫みたいだ。MTBなんていくら重くても15kg程度だから、この点は大丈夫。問題は荷姿の大きさ。三辺の計が160cm以内となると、一辺でも1mを越える物は収まらない可能性が大だ。MTBなんて、フレームの長さが、どうしても1m超になるだろう。
 すると、もっと大きなサイズの運送となるのだが、そうすると料金が一気に跳ね上がるし、配送にも時間が掛かるようになるのだ。うーむ、困るな。
 最後の手段として、やっぱり自転車輪行という方向もあるのだが、羽田の受付でバタバタするのは嫌だしなあ。
 とりあえず、分解して三辺160cm制限に収まるか試してみて、ダメなら飛行機輪行ということにしよう。
 でも他の荷物は送っておこうな。重いから。
 さてさて、いまいち実感が湧かないが、来週末にはまたしまなみ海道を走っているんだ。自分だけでも盛り上げて行きましょう。

2005年11月09日(水曜日)

とうとうダメです

23時10分 暮らし 天気:快晴のちくもり

 明け方。何かを感じて目が覚めた。うわっ、来たなコレ。熱がぶわーっと出てます。頭が熱い。
 風邪かな。今週頭から、微妙にやばそうな気配を感じていた。喉がいがらっぽくなって、時々めまいがしていた。風邪の前駆症状なのか、花粉症なのか、いまいち分からなかったが、風邪の方に落ちたみたい。
 薬を飲んで寝なおしたが、夜が明けても熱が下がらなかったので、会社を休んだ。今期はあまり休まなかったのだが、月末に二日取ると、今月は年休三日にもなってしまう。
 朝、軽く飯を食っただけで、日が暮れるまで昏々と眠り続けた。夕方になってようやく起きだす。治ったというより、腹が減りすぎて。また軽くメシを食い、細々とした雑用を片付けていると、不思議なもので楽になってきた。体温が上がったからか。しかし、熱はあんまり下がってない。
 明日は休めないので、久しぶりにリポDドーピングで戦うかい。とほほ。

AF-S DX VR ズームニッコール ED 18-200mm F3.5-5.6G (IF)

20時52分 デジタルカメラ 天気:秋晴れだったな

 それにしても、これはまたえらいレンズを出してきたものだ。18-200でDXシリーズで手ぶれ補正が絞り4段分とは。価格も死ぬほどには高くない*1
 よし、買った。レンズが出たら買いに行こう。雑なスナップ主体のせいか、我ながら手ぶれ気味の写真が多いと思っていたのだ。これはうってつけだわ。18-200mmというズーム域も絶妙。F値も小さく、明るい。これを買えば手持ちのレンズ全て*2を代替できるので、二つとも手放していい。
 ということで、早速18-70を売りさばいてしまった我輩だった。おまけレンズだったのに、意外にいい値段で売れるものである。
 このレンズを手に入れたら、タムロンの方も売り払ってしまおう。残るはおもしろレンズ工房だけになるのかよ。

2005年11月08日(火曜日)

死にそうな火曜日

22時03分 暮らし 天気:好天

 それにしても、花粉症絶好調である。一日中目が痛くて、鼻水がダラダラと溢れてしまう。おかげで上方にある粘膜は、一様にヒリヒリしております。
 秋に、ここまで重篤になったのは、初めてのことだ。去年は秋にもスギ花粉が飛んだと聞いたが、ここまでひどくは無かった。ブタクサやヨモギの花粉感受性を、遂に獲得できたかっ!*1
 おかげで仕事のメールを一通処理するのに、通常の倍は掛かる。全然考えがまとまらん。おまけにこういう日に限って、残業が掛かるしな。
 帰り、ボロボロな気分で踊場の坂を越え、帰宅する。するとくしゃみが止まらなくなる。参ったな。風呂に入ると、ようやく落ち着いた。
 こんなことで来週末にはしまなみに行けてるのかねえ。って、もう2週間を切ってるのか。せっかくMLまで作って事前打ち合わせしようと思ってたのに、なんにも話せなかったわい。

2005年11月07日(月曜日)

iTMSいまいち

23時20分 インターネット 天気:晴れやら雨やら

 さて、サーバのディスク領域がどーんと増えたので、やりたかったことをやろう。iTunesを入れてiTMSを利用したかったのだ。APPLEのアプリなんぞ入れるのは業腹だが、利便性には替えられない。ってか、QTプレイヤーはどうしたって入るのだがな。
 iTMSで欲しい曲を購入すべく、うちのプチNASの方もミラーリングを入れたのだ。確率論的に、そろそろ俺様環境のディスクのうち、どれかが逝ってもおかしく無いし、それが買ったばかりのHDDであっても驚くほどのことではない。いや、多分泣きはするだろうが。というわけで、万全の体制で、初iTMSに臨んだのであった。が……。
(曲名を検索中)
(アーティストを検索中)
(アルバムを検索中)
 無い、無いッ、無いっ! 全然ありゃしない。初期の高橋幸宏もKRAFTWERTもみんなの歌もありゃしない! リチャード・ボナも無いなあ。いやほんと、欲しい曲が見事に無いでやんの。BeckはBeckでもJeff Beckが無いし。高橋幸宏は『あっ、Drip Dry Eyesがあった!』と喜んでダウンロード購入したら、それがなんと新しいアレンジでやんの。俺はニウロマンティックのものが欲しいんだい*1
 KRAFTWERKがばっさり無いってことは何事よ……。こういうのは、配信業者(APPLE)と著作権業者との力関係が見えてくるものだな。
 まあ多分、最近の若いもんには嬉しいんだろうが、僕にはちっとも嬉しくなかったiTMSだった。こうなると、そのSONYだとか有線だとかがやってるiTMSもどきの方が気になってくる。
 というわけで、iTunesは、当面は便利なリッパーとして手持ちのCDをむしゃむしゃ食わせるのであった。

2005年11月06日(日曜日)

LAN TANKにデータを移す

23時55分 コンピュータ 天気:くもりのち雨

 今日はどんよりした空を眺めているうちに、雨が降り始めた。例によって休日は天気が崩れるの法則を維持している。
 さて、su出来なくなるという謎の現象の解明に取り組んだ。といっても、少し調べても分からんので、もう一度手順をやり直してみるのだった。
 OSをセットアップしなおし、HDDを筐体に戻し、起動する。起動時にRAID構成の片割れを見つけた云々と出て、再構成にまた時間が掛かった。自動的に再起動してから、telnetで入り、suできることを確認。
 それから自分用のアカウント*1を作り、telnetログインしてsuしようとすると、もう出来ない! UNIXな人はもう原因にピンと来たかもしれないが、ほぼゲイツOSの世界に暮らすワタクシは、もう少し調べる必要があった。
 少し調べるうちに、そういえばsuできるユーザを限定することが出来るんだっけと思い出した。ファイル類を探索した結果、やはりadminというアカウントでしかsuできない設定になっているのを発見した。そういえば、マニュアルにしても、その他の白箱関連の読み物にしても、adminでログインしてsuせよと書いてあるのばかりだな。逆にadminでしかsu出来ないと書いておいてくれよなosz
 会社のUNIXな機械はテスト環境ばかりで、誰も彼も勝手にアカウントを作ってsuできるようになってるし、自宅のLinux機でそんな七面倒くさいことなんてやって無いから、原因に思い当たることが出来なかったのだった。どこかに書いておいてくれよー。
 ともあれ、原因は判明したので、早速sambaな共有領域を作り、ファイルサーバにしていたLinux機から、データをバシバシ移した。これでLinux機は任務を解かれることになった。これはおうちサーバにしてしまおうと思う。
 この白箱、起動は速いし、シャットダウンも後ろのスイッチを切れば、自動的にシャットダウンプロセスが走るようになっている。便利だ。音もかなり小さい。hdparmでHDDをスリープさせようと試してみたが、さすがにカーネルと本体が載っているディスクには効果が無いみたい。なにかのプロセスが常に見ているようだ。まあ、こめまにシャットダウンしてもいいな。
 後は白箱にプロキシを仕込んで、USB経由でメモリカードを読むように出来れば。恐々、試していこう。

2005年11月05日(土曜日)

白箱ことLAN TANKの設定に着手

23時55分 コンピュータ 天気:曇ってきた

 さて、数日前に届いていた、白箱ことLAN TANKを設置しちゃおう。
 この製品、パーソナル向けのNAS作成キットという位置付けで、HDDは入って無い。HDDも一緒に買ってあったのだが、これの設定のために、CDボートできるPCにディスクの一方を繋げて、付属CD-ROMで起動する必要がある。しかし、すぐ横にハラワタをでろーんとさらけ出しているPCがあるので、問題なし*1。早速繋げ、CD-ROMで起動する……事が出来ない。そういえば、このPCのCD-ROMはSCSI接続だった。しかし、別のマシンに入れるつもりで、DVD-RAMドライブを買ってあったので、それを接続することで設定は出来た。
 要するに、このキットはSH4を使ったLinuxサーバに他ならない。このセットアップは、HDDにLinuxシステムを構築してやるものなのだ。
 ディスク2台を収め、キットを組み立て、起動する。そこにブラウザでアクセスすると、最初に『2台目のディスクが見つかったけど、どうするよ?』と聞かれる。ミラーリングしてくれいと選択すると、えらい時間を掛けてRAIDの構築をおっぱじめた。250GBのディスクを構築するのに、3時間は掛かったろうか。
 自動的に再起動するので、それから再度ブラウザでアクセスすると、今度は本物の設定画面が表示され、やっとネットワーク設定などが出来る。自宅のLANの設定に合わせた。
 あくまでもファイルサーバとして使うつもりなので、インターネット上の情報を参考に、sambaの環境を構築した。ようするにapt-getするだけなのだが。
 swatの動作まで確認し、これでsambaサーバとして使えるようになった。やれやれと思いつつ、今一度telnetでアクセスして、suしようとすると……。で、できない。permission deniedになっちまう。あれ、パスワード変える時になにか間違えたか。
 という辺りで、もう今夜は寝ようという気になった。気持ちを切り替えましょ。

遠出するつもりがズルズルとリコッタ行きに。しかしうっかりオーバランの巻

20時00分 自転車 天気:晴れ

 9:00前には起きたのだが。はあ、だるいなあ。花粉症の症状が緩和しない。自転車に乗って、体温が上がれば復調すると分かってはいるのだが、それでも外に出る気になれない。などとズルズルやっているうちに、昼を過ぎましたosz
 自分のどうしようもなさに苦笑いしつつ、とりあえず昼食を取る。それから、やっと気温と共に体温も上がり、外に出る気になった。しかし、この時期は日が短くなる一方だ。昼を過ぎると、あまり遠くまで行けないものだ。どのみち、MasterXLは不調だしな。ちょっと空を見て走りたくて、一昨日に続いてBikeEの出動だ。これで、久しぶりにリコッタに行ってこよう。
 BikeEにかけてあるカバー*1を取り、簡単なチェックをすると、あれまあ、リアの空気が抜けている。呪われてるのか……。
 ともかく、リアホイールを外し、チューブを抜いて調べると、前にパンクした箇所の修理パッチが剥がれ掛けて、空気漏れしているのが分かった。イージーパッチは、どうも時間が経つとはがれ易くなる傾向があるようだ。ともかく、再びパッチを貼りなおして、今度は時間を掛けて修理後のチェックをした。ふつうの溶剤糊を使ったパッチの方が、強度は出るみたいだな。
 ともあれ、また空気を入れなおし、BikeEで境川に向かった。コンチネンタルのグランプリから、三ツ星のポッシュライダーに替えて初めての遠出だが、前後のタイヤが同一幅*2だからか、そこはかとない安定感がある。ちょっと低圧(Max.80PSI)なのだが、意外に路面抵抗は小さい。クッションも、高圧、狭幅だったグランプリに較べ、柔らかく効いている。いいね、これ。惜しむらくは、もう手に入らないことか。
 リカンベントは空が広い。空を仰ぎながら走るんだから、当然か。以前はハンドルを抱えて走るような感じだったのだが、今はシートにふんぞり返って走っている。これが正解のようだ。走行姿勢が安定している。リカンベントの子供たちへの受けはいいなあと感じつつ、サイクリングロード終端まで下った。
 そこから、少し藤沢市街を走り、引地川へと移る。ここもサイクリングロードを走る。さて、リコッタへはどの四辻で曲がるんだっけ。
 曲がる箇所を探しながら下るうちに、明らかに下流に来過ぎた気がした。といいますか、既に東海道線を越えましたな。ここのずっと手前だったはずだ。見過ごしたか。やがて、明らかに終端へと至り、海の傍まで出た。まあいいか、江ノ島の海岸を見ておこう。
 海岸線まで出て、ちょっと西に走る。意外に砂は少なく、最近清掃したようだ。海を背景に、BikeEを撮る
 日暮れまで時間が無かったので、急いで引き返す。帰りに、今度こそリコッタに寄ろうかと思いはしたが、暮れ掛かる空にその気も失せた。急に大気が冷えてきた。アイスどころじゃないよ。
 境川に戻り、家路を急いだ。とうとうライトが役立つ時刻になって、家へと帰りついた。この時期にはハブダイナモが頼もしい。

2005年11月04日(金曜日)

サイクルショーはパス

22時49分 暮らし 天気:いいよ

 明日はサイクルショーの最終日だが、お目当てのNew SatRDayは間に合わなかった上に、今回はスポーツ車の出品が大幅に減ったとかで、行く気ゼロと相成った。即売会すらなくなったようだ。
 代わりにサイクルモードに行ってこよう。スポーツ車はこちらに集まっているようだ。しかし幕張か。遠いな。
 そういえば、トリエンナーレにもまだ行ってなかった。来週末はどうせ雨だし、薯煮もあるので、土曜日に行ってこよう。
 このところ、がっつり走って無いので、明日は三浦半島を周回してくるつもりだ。しかし、ちょっと気になることがある。MasterXLのBB周辺から、周期的な異音がするようになってきたのだ。なにか異物が入っている気がする。BBを開けてみようかな。リアのハブ近辺の異音といい、なにかトラブルに見舞われ続けている。一度、プロに見てもらうか。

最近の検索状況

11時12分 インターネット 天気:嫌味ですか? な快晴

 "竹本昌之"で検索して来られる方々、心臓に悪いので控えてください……。

2005年11月03日(木曜日)

いまいちやる気なく、リムテープを求めて北上

21時33分 自転車 天気:くもり時々雨

 朝は9:00に目覚めた。いちおう、サイクルショーに出かけようかなと思っていたのだ。でも、見たいものといったら、New SatRDayくらいだな。今年はスポーツ車の出展が少ないというし。NewなSatRDayが出展されたかどうか確認して、出ていたら土曜日に行こう。別にすぐ買いたいわけじゃないし、待ってたら来年年明けくらいの荒川でお目に掛かれるだろう。
 そういうわけで、昼まで寝なおす。花粉症のおかげでつらいのだ。ほとんど春先の症状と変わりないんじゃなかろうか。
 昼食を取ってから、やっぱりちょっと出かけてこようと思った。天気も悪くないようだし。通勤ロードのホイールを組んだ時、リムテープが終わってしまったのを思い出した。あれの代わりを買ってこないと。サガミには無かったから、イトイに行ってみよう。
 最初はBikeEで出動するつもりだった。が、調べてみると、リアがパンクしていた。なんで、リアばっかり。注気して調べてみると、タイヤの表面に開いた穴から、空気が少しずつ漏れているのが分かった。この穴、去年の春先に辻堂の海岸で開けた古傷だ。その時、タイヤ表面だけでなく、裏面のケブラーまで貫通していた。それが少しずつ拡がり、そこからチューブの表面が覗くようになって、パンクしやすくなってしまったらしい。うーん、まだ使えそうなんだが、これだけ穴が広がるとねえ。新タイヤも見繕わねば。
 急遽、自転車をTCR-2に変える。やけに便利な自転車になってしまったので、最近ではこれという自転車が無ければデフォルトで選択するようになりつつある。
 走り出してすぐ、雲行きが怪しくなってくる。なにか眼鏡に付着するものが……。えっ、雨! マジですか。ついさっきまでは日が差してたってのに。呪われてますな。
 瀬谷の海軍道路を通過する時、桜並木の落葉が始まっているのに気づいた。そろそろ、秋も深まってきた。
 R16に出て、少し走ると、相模大野のイトイに到着した。3Fでリムテープを見繕うが、ママチャリ用の安い、短いのしか無い。コットンの奴は売り切れてて、発注はしているがいつ入るか分からんとか。とりあえず、700C用のリムフラップを買っておいた。
 20インチHE(406)のタイヤは、お目当てのシュワルベ・マラソンが無かった。代わりに、三ツ星のポシュライダーを発見。三ツ星はタイヤ市場から撤退してしまったらしいので、これは僥倖。これだと20*1.35なので、手持ちのチューブ(やはり20*1.35用)で賄える。買っておいた。
 東名下の猫ハウスに顔を出すと、先週と同じ猫たちがいた。なぜかダンボール製の別荘が出来ていた(猫の横のもの)。猫には狭いところの方がいいのかな。散歩中のおばさんたちと、前まではたくさんいたのにねえ、などという話をする。野良猫の平均寿命は家猫の半分から1/3程度だという。苛酷な生を送っているのだ。あっという間に減りもするだろう。病気で体の機能が落ちても、誰かが看病してくれるわけではない。
 イトーヨーカドーで買い物して、またポツポツと来始めた頃、なんとか帰宅できた。今日は雨を免れたな、とこの時は思った。
 とりあえず、BikeEのリアタイヤを交換した。やはり1.125インチから1.35インチとなると、太さは段違いで、頼もしげに見える。気圧は7.7BAR→5.5BARと低下したが、エアボリュームは大きく増えたので、クッション性はいいだろう。こうなると、やはり走りを確かめたい。一つ買い忘れたものがあるのを思い出し、ヨークマートまでちょっと試走することにした。走りは十分軽く感じたが、距離を乗らないとなんともいえないか。
 買い物して外に出ると、あれ、降りが本格的になってきている。1kmもないのだが、結構びしょ濡れになってしまった。いやはや、空模様は舐めてはならんな。痛い目に遭うから。

2005年11月02日(水曜日)

気難しい季節

23時01分 暮らし 天気:晴れ

 この間から花粉症にやられているわけだが、こちらはマスクでかなり凌げる。困るのが朝夕の中途半端な寒さだ。
 朝夕とも、踊場の丘を越えてゆくので、丘を越え切った辺りでは結構汗をかいている。そこから急に下るので、今度は汗が冷えるのだ。真冬だったら、発汗は抑えられるし、そもそももう一枚くらい厚着するから、汗が冷えて困ることは少ないのだが。
 こういう時、機能性素材の肌着も考え物だな。綿のように水分を保持してくれないので、冷えるときは急に冷えるのだ。あっという間に乾くのはいいのだが、その代わり急激に熱を奪われていることを忘れてはならない。やまアドの丹羽氏曰く、チベットやネパールを旅する時、肌着はやはり綿のものを使ったとか。寒く、乾燥した土地では、綿の保温性が頼りになるのだとか。
 明日のサイクルショーはどうしようと思いつつ、就眠。

2005年11月01日(火曜日)

FSFがmixiに

22時06分 インターネット 天気:快晴

 FSFといっても、むさい髭のオッサンが首魁の、あの組織のことではない。
 @NIFTYのSFフォーラムが、この9月に消えてたんだって。そのことを今になって知る俺様。うかつにも程がある。
 しかし、ウェブへの移行以来、全然行ってなかったんだから、気づかないのも当然だわ。
 あそこを去ってしまった僕にはなにもいえないが、それでも無くなったのは寂しい。
 しかし、そのことにそもそも気づいたのは、mixiに"元FSF"なるコミュニティが出来ているのに気づいたからだ。より正確には、足跡にお懐かしの元FSFメンバー*1を見つけて追跡するうちに、この事実に突き当たってしまったというわけだ。
 早速、マイコミュニティに加えてみる。懐かしいなあ。見覚えのある、というよりは忘れ難き名前が並んでいる。パソコン通信の閉塞性に、これはもうダメだと見切りをつけたのははるか昔だが、今こうしてインターネット上に、同じように閉塞的な環境として再現されるとは。
 パソコン通信の使い勝手を再現は出来ないだろうが、適度に補完してくれれば良しだ。初めて、mixiの使い道を見つけた気がした。