Strange Days

2008年01月10日(木曜日)

ぐるっと浜名湖

19時21分 自転車 天気:晴れ

 ぐるっと浜名湖の募集が始まったのだが。
 ええっ、自分で印字して出さねばならんとですか。自宅にはプリンター無いし*1、会社で出すような真似はしたくない。
 というわけで、誰かワシの分も出しておいて(めきょ
 というわけにはいかんよな、やはり(この世のどこからか飛んできた怒りの鉄拳を受けつつ棒読み)。
 面倒だがプリンタを出してやるかの。
 今年はどれくらい参加するのかのう。

NHKスペシャル「夫婦で挑んだ白夜の大岩壁」

02時00分 テレビ 天気:寒いさー

 昼間あまりにも寝すぎたので、夜になっても眠気がこない。なにか無いかと思い、久しぶりにテレビ番組を調べたら、NHKスペシャルで面白そうなのをやるみたい。
 最近、NHKスペシャルの自然ものを見かけなくなって、もともと見ないテレビを全く見なくなってしまった。全くNHKめが、受信料払わんぞ*1と思っていたものだ。どうやら、平日でもNHKスペシャルを放映するようになって、単発の自然ものはそっちでやるようになったということらしい。
 今夜の再放送は、北極圏に聳える未踏の大岩壁に挑む夫婦クライマーの話題。
 2002年の秋、ヒマラヤの高峰ギャチュンカンで、一組の登山者たちが危機に見舞われた。屈強のクライマー夫婦、山野井夫妻だった。体調不良の妻を置いて、なんとか単独での登頂に成功した夫妻だったが、下山中の雪崩で妙子婦人が宙吊りになってしまう。無酸素登山だったため、予定外の長期行動の結果、二人とも視覚障害を起こしていた。目が見えなければロープを固定するハーケンを打てない。救助と下山のルート確保のため、夫の泰史は過酷な決断を下す。氷点下のヒマラヤで、あえて素手で岩を探り、確実なポイントを探してゆくのだ。『1時間に指1本』を犠牲にしながらも、かろうじて妙子を救助し、二人は半死半生でベースキャンプに生還した。しかし代償は大きかった。泰史は手足合わせて10本の、妙子は18本もの指を凍傷で失ってしまったのだ。クライマーにとってこれは致命的だ。二人のクライマー生命は終わったかに見えた。
 2007年夏。しかし二人はグリーンランドの大岩壁に挑んだ。失った指は取り戻せないが、登坂能力は訓練によってかなり回復できた。往時の6割程度。それでも、山に挑むことは可能になった。指無しでは使いにくい道具をカスタマイズし、再び山を仰ぐ場所に立つことになったのだ。
 あれほどの危険に遭って、なぜ? そう聞かれて、泰史は『楽しいから』と答える。名声を求めるのではなくて、ただ山に登ることが生きがいだし、そもそもそれが楽しいからだという。かつての僕ならばほんのわずかの共感も無かっただろうが、自転車で坂を越えてゆくという苦行に目覚めた*2今なら、なんとはなしに頷けるものがある。
 二人が挑む大岩壁は、氷河から1300mも立ち上がる大絶壁だ。特に途中に聳える絶壁が難所に思われた。ここを3週間の予定で上りきる予定だった。北極圏のここは、夏の時期は白夜だ。行動時間も長く取れ、天候も穏やかで好都合だ。
 同じように指を凍傷で失った先輩登山家の協力を得て、二人は絶壁に取り付いた。この絶壁は比較的傾斜の緩やかなパート、大絶壁のパート、頂上を含む尖塔パートと三つに分けられる。登山はルートを切り開くトップ、それを補助するセカンド、そして後続して荷運びをするサードに役割が分けられている。主に泰史と妙子がトップとセカンドを代わりつつ、ルートを切り開いていった。
 泰史には一つの希望があった。妙子を頂上に立たせたいということだ。ギャチュンカンでもK2でも、妙子は登頂まで成功しなかった。登頂してこその登山だ、と泰史はいいたかった。妙子に登頂の喜びを味わってほしかったのだ。
 絶壁パートでは、やはり困難を味わった。いかに改良してあるとはいえ、基本的に健常者に合わせている登山道具は、指を失った二人には使いにくいのだ。それでも、時に焦らず、時に多少の賭けを犯して、遂には全員が登頂に成功したのだった。
 それにしても、『1時間に指一本』失ってでも、確実なルートを探し、生還の可能性を拓く。そんな決断を僕が出来るだろうか。時々、日本人が戦争に強いように見えることがあるのは、実はこういう決断を下せる血を裡に秘めているからではないかと思うのだが。