Strange Days

2009年11月30日(月曜日)

定時後会議は続くよ

23時55分 暮らし 天気:雨のち晴れ

 今日は定時で帰宅して、棲家の契約更改とIKDへのパーツ発送をやっておこうと思っていた。
 しかし定時直前に始まった会議が終わらない。一定時間ごとの休憩を命じる労基法はなんなのだと言いたくなるくらいに続く。18:00終了の予定が21:00の声を聞くことになろうとは。
 結局、帰宅してちょっと食ったのが23:00前。こりゃ体壊すぞ。
 周囲の状況が、根源的に狂い始めていると感じる今日この頃。

2009年11月29日(日曜日)

MR-4F試走に終わった日

22時20分 暮らし , 自転車 ( 自転車散歩 ) 天気:くもり

 コタツは悪魔の発明に違いない。恐らくは日本人の冬季における生産的な時間の何割かを浪費させているはず。これこそが日本人堕落作戦の1つに違いない。ああ、恐るべし冬のコタツ。
 そんなわけで、今日は早めに起きたにも関わらず、寒さに負けてコタツでぬくぬくしていた。コタツから離れた*1PCを使う気にすらなれず、コタツトップのLibretto L3でWindows Home Server機をリモートで使う始末。そういえばPP3が落ちてきていて、これでやっとWindows7までお世話できるようになった。今日的には超低スペックのLibL3だが、RDの踏み台として使う限りはそこそこ快適だ。
 夕方まで、鉛色の空を眺めつつ過ごしていた。ところが夕刻、何か誘うように突如として西空の雲が切れ、日光が部屋に差し込んできたのだ。これは心霊の類に誘われているのだろうと、迷信深い俺は考え、MR-4Fを寒い境川に向けた。
 残念なことに、二度と日の光は差すことなく、俺を誘い出したであろう気象の神の嘲笑を浴びつつ、境川を淡々と下る破目になった。MR-4Fは気持ちよく走ったが、アウターに入らないのに気づいた。後で調整しよう。とにかく、整備したての自転車は気持ち良いということだ。
 境川自転車歩行者道南端休憩所でMR-4Fを撮り、北上していると、湘南台で一軒の家が目に入った。この家、毎年デコレーションを頑張るんだよな。
 買い物して帰宅し、久しぶりに料理する。肉じゃがを作った。2週間くらい料理する暇も無かったので、いい加減鍋が錆びるかと思った。鍋のラインナップから、中華鍋の不足を感じる。買っておこう。

2009年11月28日(土曜日)

久しぶりに境川を走り、MR-4Fを清掃する

22時45分 暮らし , 自転車 ( 自転車いじり ) 天気:晴れ

 チェーンが真っ黒のままのMR-4F。やっと整備が出来た。
 今日はそんなに寒くも無かったが、残業続きに睡眠時間を確保せねばならず、起床は昼前になった。雑用を片付けているうちに日はさっさと傾いてゆく。慌てて、カメラを手にTCR-2を境川に走らせた。夕陽を撮らねばだわ。
 今日はD90に35mm単焦点を着けていった。しかし日没を前にして濃い雲が掛かり始め、雲の切れ目から見える夕陽の名残を撮るのが関の山だった。
 帰宅して、MR-4Fを整備する。寒い時期だが、部屋の中で整備できるようになったのはありがたい。全天候型で整備可能だ。
 MR-4Fのチェーンを外し、ペットボトルに入れた洗浄液で洗う。物凄く錆びやすいチェーンなので、気を抜かないでジャバジャバ洗い、引き上げてから水洗い、キッチンペーパーで拭いて水気を落とし、干しておいた。
 次いでギア類を外し、これも洗浄してからキッチンペーパーの上に並べ、小型の温風ファンに当てて乾かした。
 フレームも出来るだけ綺麗にする。特にブレーキシュートリムは要注意だ。パーツが乾いたところで組み付け、初期伸びが出た前後変速機を再調整しておく。綺麗になったよ。
 EPICも整備しようとスタンドに掛けた所で、こいつはケーブル類も替えるつもりなので、一筋縄ではないかなことを思い出した。TCR-2が整備済みなので、EPICはじっくりやろう。

2009年11月27日(金曜日)

やっとジテツー

22時40分 暮らし

 満を持してジテツー。夜は結構冷えてきた。ここ2週間くらいが、1年でもっとも日に没の早い時期だ。冬至を過ぎると気分的になぜか和らいでくる。師走攻撃さえ無ければな。
 ポケロケプロのパーツが揃いそうなので、近々IKDに発送しなければ。

2009年11月26日(木曜日)

プチ登坂

23時00分 暮らし

 超級山岳に引き続きプチ登坂。こっちは今日明日で終わるだろう。それにしても、今回はスケジュールを選ぶ余地が無かった。出雲行に影響させなかったのが幸いだが。
 今日も行きは雨っぽかったので地下鉄通勤だった。が、あっという間に雨が止み、自転車で行けたやんけという状態だ。夜は最近にしては早く帰宅。しかし飯を炊く暇はない。

2009年11月25日(水曜日)

なおも登坂中

23時55分 暮らし 天気:雨

 かえっていきなりだが、今日も午前様だった。朝は雨だったので地下鉄通勤であり、終電を気にしながらの仕事になった。しかし、第1ラウンドは終了。第2ラウンドがあるんかい。
 12月に入るまでは全く気を抜けない日が続きそう。

2009年11月24日(火曜日)

秋の出雲路ツーリング帰還日

22時40分 自転車 ( 自転車旅行記 ) , 天気:晴れ(米子)のちくもり(横浜)

 帰りはANA12:30くらい発の便だ。米子空港までは輪行も考えたが、乗換えを考えると自走した方が結局は楽だ。というわけで、空港まで走ることにした。
 ホテルを出て、昨日走った道を進んでゆく。朝の松江は凄い霧の世界で、交通量の少ない脇道を行かないと危険に思えた。何かが道をやって来そう、というか、霧笛を慕って太古の生物がやってきそうだ。
 大根島が見える頃から霧は晴れた。大根島の気になるポイント。打ち捨てられた廃船の背景に、風光明媚な中海の風景があるのが凄い。
 空港に着き、コンビニで簡単な昼食を買って、待合室でもそもそやったら、もう出発時間だ。チェックインして、一っ飛びして羽田に戻り、自宅までは輪行で戻った。それから荷物の始末をしていると、さすがに夜になってしまった。
 なんだかんだで、全員無事に戻れ、目的もまあまあ達成できたので、このツーリングも良しとしようではないか。また行く機会は有りそうだぞ。

2009年11月23日(月曜日)

秋の出雲路ツーリング単独行動日

22時26分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) , デジタルカメラ , 天気:いい天気

 出雲路三日目*1は、いまだ到達できていない美保関を襲うつもりだ。本当は世界遺産たる石見銀山まで足を伸ばすつもりだった。が、こんな好天に自転車に乗らないインドアな行動も寂しい。石見にはまた訪れる機会もあるだろう。だが美保関にはそう行くと思えない。ということで、進路を変更した。
 朝、ホテルで朝食を取る。書いてなかったが、ここのホテルはありがちなバイキング形式ではあるのだが、出雲そばが用意されている点が心憎い。もっとも、作り置きだが。
 MR-4Fを北に向かわせる。一応、東松江から対岸に渡るルートがあるのだが、そこまで交通量の多い道を行くのが嫌だったので、松江駅の北方で渡るルートを取った。橋を渡ると、交通量は激減して、走りやすい道になる。途中、建設中のバイパスの真下を通過する。道中、矢田の渡しという看板を見かけた。
 しばし細い1車線の道を走り続ける。のどかでいい感じだ。やがて対向2車線の綺麗に舗装された道になった。
 大根島への堰を渡ってゆく。ダンプが多いのがちょっと嫌だが、見ての通り左手にスペースがあるので、自転車にとっては走りやすい道だ。
 中海の眺めは、同じ内海ということで瀬戸内のそれと似ている。が、やはりもっと近いのは琵琶湖だろうか。波のある湖という雰囲気が濃厚だ。
 昨日は登頂しただけだった江島大橋を渡る。実は、ここは歩道に関しては自転車通行禁止なのだが、車道の方は車の横を自転車が通行するには十分に広いとは言えず、かといって占有すれば渋滞するほどの交通量なので、やむなく歩道を取ったのだ。ちょうど退避エリアに入ったところで、車道をローディーが登っていったが、さすがに這うようなスピードであり、車の方は飛ばすので、見ていて冷や冷やした。もっと明確に2輪車ゾーンを区別するとかしないと、そのうちに事故が起きるんじゃないかな。一方で、歩道の方は歩行者そのものがいない。
 江島大橋から、今日走るつもりの中海北岸を見る。大きな箱型建造物は、中規模の造船所だ。
 境港に入り、港を走ってから北岸に渡ろうとする。しかし、見えている境港大橋への進入経路がわからん。あれ、夏はどう入ったんだっけ。結局、一旦数ブロック南下し、南西方向からのランプに入ることができた。車は少ないし、登坂力はSatRDayよりあるMR-4Fだったが、それでもこれは恐怖の道のりだった。特に斜面では路肩に盛り上がりがあって、そこをうっかり踏むと転倒しそうだった。その上、緊急避難先の歩道も狭く、かつ段差が大きい旧式のものだ。実質、自転車、歩行者ともに通行困難な橋だった。他にエスケープルートがあるならそっちを取りたいが、江島北方の堰しかなさそうだ。ここにこそ渡し舟があればいいのに。
 橋を渡ると、一旦は西に大きく走った辺りで、ようやく下ろされる。そこから東に、美保関方面に走る。美保関はこの半島の突端手前にある小さな入り江にある。そこまでは、比較的新しい道が続く。まだ旧道が併走している部分も多い。
 美保関に到着する。ここには全国の事代主系*2恵比寿様の総社、美保神社がある。ここも大修繕を準備中らしく、募金10億とか20億とか景気のいい話が掲示されていた。境内には秋の名残があった。手入れの行き届いた神社の佇まいは、清清しくて良い。秋晴れの空に良く映える。(出雲)大社だけでは片詣りという話もあり、念入りに参拝して、お守りも購入した。自転車に貼れそうなサイズの交通安全祈願のお守りだ。
 細い路地をうろついていると、なにやら謂れのありそうな寺が見えた。後醍醐天皇らが隠岐に島流しになる際、この寺に滞在したという。重文の仏像を5体持つそうだが、開陳されている気配は無かった。
 ここで昼食にしたかったが、イカ焼きの屋台は多いものの、ちゃんと食事できる場所は目に入らない。美保関灯台にあるというビュッフェを当てにすることにした。
 美保関灯台まではちょっとした上りをこなした先にある。結構立派な駐車場があり、半分くらいは埋まっていただろうか。予想より栄えていた。
 ここは島根半島の先端にあり、三方を海に接していることもあり、また高台にあることもあり、大層風光明媚な場所だ。晴れていて良かった。
 ビュッフェは先の写真で灯台足元にある赤い屋根の建物だ。食堂に入るとちょうど昼飯時だったこともあって混んでいる様子。だが席はというと海に面したカウンター席だけ埋まっている状況だ。給仕の人が一人だけなので、回しきれてない様子。人の食事を見ると刺身定食が美味しそうだったので、食券を買い求めてからテーブル席*3に陣取った。程なく、カウンター席が空いたので、移動しておいた。定食はこの手の食堂にしては存外にまともな物であった。刺身はさすがに港町で鮮度が良く、揚げ物も作り置きじゃなくて揚げたてだった。美味しく頂いた。
 食後は灯台の周りを散策する。この灯台、山陰最古の現役灯台だという。明治期に建てられ、今も現役で使用されている。
 この灯台近くに、ちょっと異様な説明版がある。美保関事件という、大正期の海軍で発生した多重衝突事件の顛末を記したものだ。後に調べてみると、最終的に自決した軽巡神通艦長のご子息が、戦後に奔走して詳細を明らかにしたものだという。事件は危険を看過し、過酷な訓練を課した連合艦隊司令部の責任*4は問われず、現場責任者のうちただ一人、神通艦長の責を問うことに終始したという。
 散策中見かけた鳥居。隠岐を遥拝しているのか?
 美保関を後にし、松江に取って返す。宍道湖の夕日を見送らなければだわ。帰路で見かけた夫婦岩。島根は、つくづく神の国だ。
 帰路は、あの境大橋を渡り返したりしたくなかったので、江島北方の堰から渡ることにした。その手前で見かけた温泉スタンド。水温が30℃未満と低いせいか、いくら待っても温水は出てこなかった。
 江島を通過し、大根島も真ん中を突っ切っていった。このルートは最近出来たものらしいが、プチヒルクライムの色を帯びている。既に太陽と競争する状態だった。
 道端で見かけた巨大パラボラアンテナ。どう見ても民家の庭先にあるのだが、自前の電波天文台か?
 松江に戻り、来た道を帰り、大至急で宍道湖大橋南の公園を目指した。なんとか間に合った。宍道湖の夕陽を見送ることが出来た。百万言を費やしても形容しきれない美しさ。今日が晴れでよかった。言葉も無く見送った。
 それをTwitterにポストすると、直前にあさこ女史のポストが。写真を解析すると、ここから北方でのそれと見た。とりあえず、日が没しきるまで待ち、電話を入れてみた。程なく連絡が取れ、やはり夫君のまき氏とともに宍道湖大橋の上で夕陽を見ていたという。小十郎氏もなぜか一緒。夕食の宛があったので誘うと、了承が下りた。松江駅南方の鯛やという店は、17:30開店のはずだ。現地で集合し、やや開店が遅れたこともあり、少し慌しかったが、鯛茶漬けを中心としたメニューを堪能できた。
 今夜のサンライズ出雲で帰京する3人を駅まで見送り、一人ホテルに進路を取ったところでやはり買い物がしたいと思って駅北に出たところで、タイミング悪くまき&あさこに出くわしてしまい、生暖かい時間を過ごすことになったが、程なく本当にお別れ。僕は明日、最後に松江を発つ。

2009年11月22日(日曜日)

秋の出雲路ツーリング二日目

23時46分 自転車 ( 自転車旅行記 ) , デジタルカメラ , , 天気:くもり時々晴れ

 二日目の今日は、中海南岸を走り、境港へ、そして美保関へと考えていた。
 とりあえず、朝は昨日より少し早い9:30に、同じ場所に集合する。昨日より少しだけしか早くできなかったのは、出雲市や東松江に宿を取らざるを得なかった人が出たためだ。それくらいに松江の宿が埋まっていたのだ。なんでだろうね。
 ともあれ、松江駅から東に向かい、出来るだけ中海に沿って走ってみた。一昨日走ったコースを取った他、とにかく海沿いに挑戦という心構えで走った結果、概ね77%程度海を見ながら走れた気がする。
 途中、行きでも見た風車を遠望しながら走り続け、最終的にはその足下を通過する
 行き止まりやら大冒険コースやらを楽しみつつ、安来の埋め立て地までやってきた。沖合に浮かぶ小島がラブリー。
 とうとう米子市内に至る。昼食にしようと思い、駅前まで出たが、商店街は見事なシャッター街になっているではないか。その一角で見た、日本に現存する最古の客車。製造は明治20年代だげな。
 飯をどうするべと鳩首会談を開催しているところに、ジモティと思しきおっさんが話しかけてきた。どっから来たのなどという他愛ない会話に続き、飯場所を聞くと、アーケード街入り口のラーメン屋か、その近くにあるカレー屋がいいという。カレー屋を目指す。確かにおいしそうな匂いだったが、意外に回転が悪く、ジリジリしてきた。そこで、近くのパスタ屋に手っ取り早く入る組と、カレー屋で待つ組に分かれる。僕はパスタ組を取った。
 パスタは生麺で、ベーコンとクリーミートマトソースで仕上げた、意外にボリュームがあるものだった。
 さらに北上してゆく。この辺で時間切れを意識し始め、幹線道路を突っ走ることが多くなってきた。ダメツーリングの気配が濃厚になってきた。目的達成できず、疲労もため込むという奴だ。ダメ幹事でごめん。
 ともあれ、境港に近づいたところで、いったん西に向かい、かの江島大橋に上ってみた。見晴らしポイントだ。
 境港に到達し、しばし散策する。時間的に、美保関到達は不可能だったので、ここで折り返すより他はない。輪行で帰ろうと考えた。
 夕暮れまでうろつく。水木しげるの素敵語録を顕彰した碑*1。実は前半があって、『若い時はがむしゃらに働きなさい』とある。そして歳を食ったらかくあれと申しておられるのだ。俺のように若い時から筋金入りの怠け者だった人間は、どうすればいいのだ。
 この水岸ゲル、いや水木しげるストリートには、各種妖怪像が揃っている。しょきしょき。
 さて、松江に戻らねばだわ。ここで石川氏が侠気を発揮し、『自走で帰ります』と別れていった。暗くなるなかを走るのは嫌だったので、他のみんなは輪行で戻ることに。するとまだ米子で乗り換えた辺りで、石川氏から『まだ着かんのかね』と電話が。速すぎです。
 松江に戻り、再集合して、駅近くの魚料理主体の店で夕食を取る。考えてみると、このツーリング中、全員集合しての会食はこの日だけだった。
 魚料理がおいしく、さすが松江は海産物の町と思った。が、意外に好評だったのが、ゴボウのチップだった。お代わりの希望が出て、自作出来んかと言う話題になったくらいだ。
 皆と別れ、ホテルに戻る。とりあえず全員率いてのツーリングは終わり、明日は自分の宿題を残すだけだ。

2009年11月21日(土曜日)

秋の出雲路ツーリング初日

23時46分 自転車 ( 自転車旅行記 ) , デジタルカメラ , , 天気:くもり時々晴れ

 さて、初日は一畑電車で出雲大社方面に出て、その辺をうろうろする予定だ。
 朝は10:00に松江駅北口観光案内所に集合する。出がけに、MR-4Fのヘッドを増し締めしていた。実は昨日の朝、立場駅で輪行準備をしている時に、ちょっとした問題が起きたのだ。
 いつものようにハンドルを抜こうとカラムのヘッドキャップを取り、ハンドルバーをステムごと抜いて、さて固定しようと足元を見ると、何かがパラパラと落ちた。ん、と思って見ると、小さな金属製のボールだった。これはなんぞやと思って、MR-4Fをふと見てみると、なんとフォークが抜け掛かり、そこから見えているヘッドの下碗から、ベアリングがポロポロと落ちていたのだ。いやもう、びっくりだ。いやいや、実はヘッドが抜け掛かることは知っていたのだが、ヘッドがカセット式と信じ切っていたので、まさかこのような事態になるなんて夢にも思わなかったのだ。すぐに散らばったボールを拾い、碗に戻してから、ヘッドキャップで締め直した。もしかして玉がいくつか足りなくなったかもしれないが、昨日走った感じでは問題はなさそうだ。それにしてもびっくりした。ともあれ、昨日走っていて少しステアリングが軽すぎると思ったので、増し締めしたのだ。
 集合場所に揃ったところで、一畑電車松江しんじ湖温泉駅まで走る。ここから自転車をそのまま載せ、途中の川跡駅で降りた。この後で島根ワイナリーに寄るので、終点まで行かずに、乗換駅のここで降りることにしたのだ。
 島根ワイナリーまで淡々と走り、まずは試飲を。といってもアルコールは御法度であり、ブドウジュースをやってみた。
 昼食はここの喫茶室で取ることにした。頼んだのは和牛丼。まあ、値段相応ではないか。
 さらに西走し、出雲大社を素通りして、日御碕へと向かった。結構なアップダウンがあったが、車影は意外に薄く、楽しい道行きだった。
 日御碕の見物はこの灯台だが、複雑な海岸線のそこここに地学萌の人々を萌え立たせるものもある。やけに細い柱状節理だな。
 この風光明媚な岬をしばし散策し、出雲大社へと取って返した。
 出雲大社を参詣しようと、駐輪場所を聞きに観光案内所を訪ねると、なんと15:00で終了していた。やむなく、その辺のスペースに駐輪する。
 仮本殿を参拝し、隣の神楽殿にも足を伸ばす。しめ縄に賽銭を叩き込むとなにやら玄妙な効果ありとのことで、何人かが挑んでいた。
 この後、ぜんざいを食べたいねということで、門前町を散策したが、既に閉めていたりピンとこなかったりで空振りに終わる。結局、観光案内所近くの喫茶店に入った。団らんしつつぜんざいを……と思いきや、なんでみんな自分の世界に突入しますか。現代っ子はこれだから、などと嘆きつつ、自分もHT-03Aと睨めっこしている拙者。*1
 最後に旧JR出雲大社駅を見て、本日宿の都合で出雲市駅まで向かう人々を見送り、残りはまた一畑電車で松江に戻った。小十郎氏が危うく乗り遅れるところだった*2
 松江では、kimrin姉さんお勧めの店に入った。焼き物主体だが、謎の創作料理も散見された。これは肉うどん*3。うどんを肉で巻いて、串焼きしたものだ。変わった食べ方だ。
 ホテルに戻り、コインランドリーで昨日、本日分の洗濯をして、就眠。

2009年11月20日(金曜日)

秋の出雲路ツーリング移動日

23時51分 自転車 ( 自転車旅行記 ) , デジタルカメラ , 天気:晴れのち曇り

 大体、会社に出勤する時刻に起床。荷物をまとめ、羽田空港にレッツゴーだ。
 羽田空港から米子空港までは1時間強。羽田空港では果ての果てにあるようなゲートまで延々と歩く。乗機は737でも最新の800シリーズ。天井からLCDが展開されてくる、面白い機内装備だ。とはいえ、窓は狭くて通路のレイアウトも良くないので、乗り降りにえらい時間が掛かった。
 米子空港に降り立ち、さてどうしようと考える。体の休息的にはさっさと松江に移動して投宿したいのだが、今後のことを考えると中海南岸のルートを見ておきたい。走ろう。
 ターミナル前でMR-4F改を組み立て、弓ヶ浜に沿って南下していった。弓ヶ浜は日本最大の砂州だそうだが、この辺にこんな膨大に砂を堆積させるような川があったっけ。
 弓ヶ浜のそこここに自転車を止め、記念写真と決め込む。R431は走りやすいのだが、防砂林のせいで海がちっとも見えない。
 米子市内で西に進路を取り、そこからは出来るだけ海沿いを走った。R9を避けるつもりだった。この辺は干拓と埋め立てが進行しており、そこここに工業団地が広がる。その一角に立つ、震災復興記念碑
 途中で大きな風車を見た。この辺の工場群に対し、たった一基の風車がどれほどの意味を持つことだろうか。
 安来から東出雲に入ると、途端に風景が荒涼としてくる。これで冷たい雨でも降っていれば、気分は盛り上がったのだが。いや、やっぱりイヤん。
 東松江の南方に国分寺跡と国府跡があるのを思い出し、探してうろつく。国分寺跡はその前の道路が工事中で近づけず。ずっと、回り込めば行けそうだが。国分寺跡は神社の裏手に柵で仕切ってあるのが見えた。たぶん、碑が一つ立っているくらいだろう。
 松江駅を目指して国府跡近くの田園風景を移動しているとき、日が山に掛かった。それに見とれつつ、田んぼのなかに走るあぜ道とも遊歩道とも言いかねる道を走っていたら、その田園風景の向こうで、素晴らしい夕焼けが始まった。今日は、拾いものをした気分だ。
 この辺で、同日に松江入りしていたまき&あさこ夫妻より、別々の経路で夕食の誘いをいただいた。この時は疲労を感じていたので、先にチェックインして考える旨返答し、松江駅へと急いだ。
 投宿したのはアルファーワン駅南。チェックインして荷物を部屋に置くと、途端に空腹が募ってきた。そこであさこ女史に電話し、夕食を共にしたい旨伝えると、京町という界隈に来るよう指示された。自転車で合流し、さらに同日松江入りしている小十郎氏、つっしーを呼び寄せ、蜆丼などを食した。早速、海鮮ゲットだぜ。
 ホテルに戻り、LOOX U+イーモバイルで快適アクセスしながら、明日の行程を考えた。結論:行き当たりばったりでいーじゃん。まあ、明日みんなの顔を見て決めよう。

2009年11月19日(木曜日)

慌しく出撃準備

03時59分 暮らし

 なんとか日付が変わる前に会社を出て、日付が変わった後で帰宅。慌しく荷物をまとめる。今回はMR-4Fにバックパック1つで出撃する。これはこれで、完結したツーリング装備だ。ホテルは固定で、そこを拠点に足を伸ばすので、洗濯物が少なく済む。拠点型の旅は利点が多い。
 とにかく、一っ風呂浴びて就眠。

2009年11月18日(水曜日)

雲州ツーリング直前

23時57分 暮らし , 自転車 ( 自転車旅行検討 ) 天気:晴れてた

 だが、拙者絶賛深残中。こりゃ、20日は美保関、安来偵察どころか、松江市内をふらふらして、下手すりゃ漫喫で夕方まで睡眠という破目になるかも。
 そんなに距離を走るつもりはないし、そもそもツーリング行程は我が掌中にあるので体力的な心配はしてない。しかし雨が心配だ。土曜日は降られるかも知れん。すると全鉄製で錆びやすいMR-4Fのチェーンが心配だ。まあ、これで錆びるようなら替えてしまおう。
 金曜日は10:00には空港に居なければならず、ということは7:30には起きてなければならない。しかし今週一杯は日付が変わる前に帰るのも難しいくらいだ。世の中に違法脱法を問わず薬物が流行るのも宜べなるかな。僕はせめてカフェインで我慢しよう。

2009年11月17日(火曜日)

出雲荷物発送計画頓挫

23時55分 暮らし , 自転車 ( 自転車旅行検討 )

 もう、出雲*1に荷物を別送しておく暇が無い。ので、行き帰りともに荷物は全て、米子空港から松江まで持ち運ぶしかない。
 幸い、松江の宿はランドリー有なので、着替えは最低限で済むだろう。Freepack Sport1つで済ませられるかもしれない。場合によってはサイドバッグを使わねばならんかもしれん。しかし、米子~松江間くらいなら問題無いだろう。
 問題は天気か。幸い、土曜日だけで降られるが、日月と雨の心配はしなくて済みそう。

2009年11月16日(月曜日)

出雲に連行する自転車はこれだ!

23時55分 , 自転車 ( 自転車旅行検討 )

 MR-4F改。BD-1でと思っていたのだが、もっと走破力が必要になると考え、こっちに変更するつもりだ。
 当初、BD-1をトラベルケースに収めて、宅配便で別送するつもりだった。しかし、20日に現地入りする際、米子空港からいちいち松江のホテルに移動し、そこで自転車を組んでとなると、この日の行動時間がほとんど無い。それくらいなら、自転車は手持ちで運び、米子空港から松江まで走ろうと考えを改めた。着替えなど走行時に不要なものだけをホテルに別送しようと思う。
 気になる天気だが、今のところ土曜日だけ雨に降られることになりそうだ。まあ大社周辺ではそんなに走らないし、博物館に立ち寄るという手もある。日御崎を訪うことができんのは残念だが。
 とにかく今週、生き延びねば。

2009年11月15日(日曜日)

荒川方面呉汁しごきツーリング

23時22分 自転車 , デジタルカメラ , 天気:快晴

 なにやら『呉汁なるものを食しに行こうではないか』というお誘いを受けたので、BD-1を抱えて戸田公園に向かった。食べ物系のツーリングならBD-1で十分だろうと考えていたのだが、そんな甘い考えは走り出すまでだった。
 戸田公園駅に着くと、皆様は既に集合中。健脚なおやじ殿は置いて、他の皆様はことごとくロード。どういうこと? なんでも女子部結成記念に鍛錬を実施する雰囲気だ。BD-1でですか……。着いてゆけるのか。
 まずはすぐ隣の浮間舟渡からスタートの荒川サイクリングをお見送りする。そこまで、もう30km/h走行が始まっていた。僕のBD-1のギア構成だと、アウタートップを90rpmで回して32km/hまでしか出ないのだが。とにかく、必死に着いてゆく。
 秋ヶ瀬公園についた辺りで、既に45%くらい売り切れ状態。離されると余計つらくなることはわかっているのだが、速度域が違うので着いて行くのに苦労する。BD-1では瞬間速度を出せても、巡航でロードバイクに着いてゆくのは無理だわい。
 川沿いのサイクリングロードを走ってゆくが、途中で延々と工事区画が続いたり、やたら切り返しがあったりで、小刻みに消耗させられる。長身のさいごん氏に着くと実に風除けになってくれるのだが、既に在庫払拭間近の足では着いてゆけない。だんだんと切れ始める。という辺りで、やっと昼食ポイントに。
 埼玉の一部では呉汁で町おこしをなんてことをやっていて、雑誌には呉汁を出す店が一覧表になっている。それを頼りにやってきた店だった。が、聞くと『やってません』とのこと。どうやら、呉汁はその程度のものだったらしい。
 呉汁とはなんぞやという話になり、中国の呉に由来しているのではないかという憶測を話す。が、後でwikipediaを見ると、大豆ペーストのことを呉と称し、それを使った汁物が呉汁という説があった。
 呉汁は食えなかったが、鶏肉を使ったうどんと\150にしては巨大なおにぎりで昼食にした。お腹一杯だ。安かったな。
 さらに走る。GPSは持っていったが、そもそも土地勘皆無なので、どこをどう走ったのかさっぱりわからぬ。しかし、最終的にはサイボクハムという農畜産物物販の一大拠点にたどり着いた。その頃にはお足は予定通りに完売状態だった。
 駐車場はぎっしりつまり、路上には入場待ちの車が行列を成している。しかし、中に入ると白菜一束\150とか、里芋一袋\200とか、価格的にクるものがある状況。なるほど、こりゃ行列にもなる。一方で、肉類はピンと来なかったなあ。
 気になる一品。波動農法コーナーかといいたくなるくらい、その辺にはこの手のオカルト農法が固まっていた。大丈夫かサイボクハム。
 何も買って行くつもりは無かったのだが、誘惑の強さに負け、まずキャロットジュースを仕入れてみた。その場で消費する。なるほど、キャロットジュース。
 さらにパンコーナーでケーキを1本。これは帰ってから。さらにりんごジュースがうまそうだったので、2種類買って飲み比べてみた。どうやら、飲み物としては酸味が利いた方が好評らしい。
 この後は戸田公園まで戻るという話だったが、既に足が完了状態だったので、川越駅近くまで案内していただき、そこで別れた。川越から輪行で大宮に出て、湘南新宿ラインで戸塚に戻り、さらに地下鉄で立場に戻った。うっかり座ると気絶してしまい、危うく乗り過ごすところだった。
 帰宅して、速攻で気絶する。数時間後に目覚めたが、両足が棒のようだ。明日からの4日を乗り切れば、いよいよ出雲ツーリングがやってくる。雨が心配だが、その前に仕事山を乗り越えられるのか。

2009年11月14日(土曜日)

湿っぽい日はやはり自転車整備

23時39分 自転車 天気:雨のちくもり

 雨の一日、かと思いきや、昼過ぎた頃には日が差したりもした。しかし、やはり暗い雲が再来し、結局は低空飛行の一日だった。
 こういう日は自転車整備でしょう。趣味部屋に*1整備スタンドで立てて放ってあったTCR-2の整備に手を着けた。
 今回はハンドルバーまでは外さないので、その点は楽なものだ。しかし通勤用なので、フレームの隅々まで汚れている。アウターケーブルの一部は買った当時のまま使いまわしてきている。ケーシングが凄い勢いで飛び出してますよ? 全交換に踏み切った。
 最初は10m巻で買ったアウターの束を使うつもりだったが、以前にSTIやブレーキのおまけについていたものが余っているのを発見し、それを消費することにした。
 ケーブルをすべて外し、バーテープも外して、新しいものに替える。TCR-2での留意事項は、ブレーキの途中に補助ブレーキレバーを挟んでいることだ。覿面に動きが渋くなるので要注意だ。とりあえず組みつけてゆく。左右のケーブルの長さを合わせ、バーテープを巻く。前に使っていたバーテープ付属のゲル入りシート*2も巻き込む。これはソルボセイン辺りに替えた方が良いかな。チネリのテープを使ったのだが、裏面の両面テープが鬱陶しすぎるので、はがしてしまった。ぐいぐい伸ばしながら巻いて行くと、左側でレバー直下の辺りで千切れる。落ち着いて、その上から後続を巻いて、さらにテープで保護した。ちょっとかっこ悪いが、ここはそう使う場所でもないからな。
 完成すると、左ブレーキの戻りがやはり悪い。そこで補助ブレーキレバーの軸に潤滑油を注入しておいた。これでかなりスムーズになった。
 TCR-2に関しては、チェーンリングとスプロケも洗浄しておいた。以前は集合住宅の廊下でやっていたものだが、部屋が片付いてきたので室内でできる。寒い冬でも夜でも安心。ただし、部屋の中が薬剤臭くなる。
 TCR-2をラックに返し、続いてBD-1を据えた。今日の夕方にC.B.あさひでの買い物が届いたのだが、その中の一品がKMCのカラーチェーンだった。アウタープレートは黒だが、インナープレートは赤いこのチェーン。あっちこっち赤黒いBD-1には似合いだ。明日はBD-1で荒川方面を走るらしいよ?*3

2009年11月13日(金曜日)

出雲旅行の時の宿で

21時39分 自転車 天気:くもりのち雨になってきたよ

 出雲市駅前のステーションホテルに泊まったのだが、その時に支配人氏に写してもらった写真が掲載されていた。便利な場所にある宿で、スタッフもなんとなく自転車ツーリストに慣れている雰囲気だった。
 もうじき晩秋の出雲ツーリングだな。

2009年11月12日(木曜日)

26インチ弱モニタの使い勝手

18時37分 コンピュータ 天気:雨のちくもり

 26インチ弱モニタ*1を導入して、そろそろ3週間。これの使い勝手は、従来までの20インチモニタとは一線を画すものだった。
 なにせ、物理的に大幅に拡幅されたので、一目で見渡せないのだ。首を振る必要は無いにしても、目をきょろきょろと、画面の左右にうろつかせる必要がある。20インチ級なら、画像であれテキストであれ、1点を凝視していても、漠然と画面全体が目に入っている。ところが、26インチ弱となるとそうも行かないのだ。画面から目を離せば一覧性は回復するが、どうもしっくり来ない。
 一方で、横方向のピクセル数も増加しているので、表示される情報は確かに増えている。それを探しに行く観が増している。いずれにせよ、E66T以来の1600*1200、20インチという世界で生きてきた僕には、いささか慣れない使い勝手だ。総体的には便利なことは間違いないけどな。
 しかし、このモニタが3万以下で買えるとは。えらい時代になったもんだ。

2009年11月11日(水曜日)

出雲行きの展望

20時50分 , 自転車 ( 自転車旅行検討 ) 天気:雨

 なにやら仕事山が嫌な感じでそびえているのだが、なんとかなるだろう。
 さて、現地の天気予報を見ると、なんだかずーっと雨だなあ。これは、場合によっては降られまくる事態も考慮せねば。
 一応は、雨天での行動計画を立てておこう。少々の雨なら、出雲大社周辺は問題ないだろう。インドアな場所も多いわけだし。しかし境港方面に自走するのは考え物で、こちらは全輪行、あるいは丸腰で現地を回る方向にせざるを得ないかも。
 境港を回るくらいなら、世界遺産の石見銀山を見学する方が良いよな。まあ、これも考慮しよう。
 自転車は、雨天を考慮しなければだな。SatRDayも泥除けがあるので雨天でも走れるのだが、そもそもリカンベント自体が雨の日に走るには切ない乗り物だ。BD-1の方がいいだろうな。畳むのが楽だし。
 一番良いのはもちろん晴れてくれることだが、こればかりは人の力ではどうしようもない。雨でも楽しめる心構えをしておこう、となにやらイイコイイコなことを書いておこう。

2009年11月10日(火曜日)

新川崎まで出張

23時00分 暮らし 天気:晴れのちくもり

 昼から新川崎まで社内教育受講のために往復。行ってみると、受講レベルを見落とし地手、思い切り若手社員向け精神教育のごとき内容だった。だが、既に退職された大先輩の熱い語りには惹かれる。創成期の空気を知る者の言葉は熱い。
 戸塚に帰り、すぐ帰宅。

Ricoh GXR

20時06分 デジタルカメラ 天気:晴れだが雨に向かうようだ

 出たな
 変態だ! 変態だ! 画像素子ごとごっそり入れ替えかよ!
 だが合理的だ。今時は光学系の設計も自動化が進んで、しかも各パーツの価格も低価格化が進んでいる。コンデジ用小サイズ画像素子もそうだが、APS-Cもずいぶん値が下がってきたそうな。そうなると、もう一体化しちゃえばいいんでねえの? ゴミ入る余地なくなるよ? いちいちボディ設計し直さなくていいよ? ユーザに光学系ユニットとボディを交互に買わせて儲かっちゃうよ? そういう発想で生まれたんだろう。おそらく、一番金が掛かるのはボディで、結局は各種インタフェースを持つステーションのような役割を果たしているのだから、いっそのこと光学系をごっそり切り離し、ストレージとマンマシンインタフェースだけを担わせるなんて発想は、考えてみればあまり変態ではないわな。
 でもいいのかRicoh。『結局、カメラ2台買うのと変わらんじゃん』とユーザが気づいちゃうぜ。そしたらどう答えるのだ?
 思えば、レンズだけ独立して交換できるシステムが成立してきたのは、レンズが高価なパーツであるとともに、そう急激に陳腐化しないだろうという期待もあったのだと思う。でも撮像素子の発展は急激だぜ。とまで書いて、そうでもないかと思い直した。D70に搭載された600万画素APS-C素子は5年は命脈を保ったわけだし、今の1000万画素級だって3年は経っているし、まだまだ使われるだろう。もう市場では1000万画素あればいいじゃんという雰囲気が横溢しているし、事実画素数はまだ1000万画素以下の戦いを繰り広げているケータイの世界でこそ売りになるが、コンデジの世界では既にスペック表の中にひっそり登場する程度の指標に過ぎない。なるほど、今作った光学ユニットは、意外に長生きするのかもしれない。
 しかし、Ricohがどういう売り方をしてゆくつもりなのか、まだ全然見えないな。しかし、妙に物欲をそそられる物件ではある。

2009年11月09日(月曜日)

G'zの新機種

22時24分 デジタルギミック 天気:晴れだったと思われ

 愛機G'z One W62CAに連なる眷族の情報がっ。
 海外ではG'zのキーボード機が発表されたらしい。
 見た目、強烈にごつい端末だが、これぞG'zという微妙さが良い。中身は非スマートフォンな通常端末らしい。
 これがauの春モデルで出たら、W62CAの年季明けを待たずに買うんだけどな。

2009年11月08日(日曜日)

境川で試走

21時53分 自転車 ( 自転車散歩 ) , デジタルカメラ 天気:晴れ

 昨日改装したMasterXLの改装をしたいよね。昼過ぎにMasterXLを境川に向けた。
 やはり生粋のロードに乗るのだからと、久しぶりにメイドさんジャージに袖を通した。あまり違和感の無いせいか、これに気づく人はまず居ない。途中すれ違った子供二人連れが、どうやら気づいた素振りを見せたくらいか。なかなか鋭い観察眼だな!
 新しいハンドルバーは、やはり以前より少しだけ*1遠く、また低くなったので、ちょっとだけおヒップが前乗りしたくって、サドルの前方をうろうろすることがあった。が、それをぐっとこらえ、新しいポジションに慣れるように努める。
 ちょっと用事があったので、サイクリングロード南端を越えて、藤沢駅へと向かう。その北東にあるCoggyに用があったのだ。そろそろEPIC、TCR-2ともにケーブル更新しなければならないので、いつも足りなくなるシフトケーブルのアウターキャップを買いたかったのだ。
 ちょっと店内を探し回ったが、テッキーの人に聞くと小分けして売ってくれた。シマノのセットについてくるのと同じ4mmケーブル用のキャップを、\20/個で買える。20個購入した。この先、小物の購入には、この店が便利に使えそうだ。また小径に力を入れているようで、ちょうど来店していた初老の男性が、Bromptonの試乗をしていた。
 境川に取って返し、北上する。MasterXLは、こうして見るとバーテープのモチーフを併せたこともあり、印象は変わらない。
 俣野南方の日没観測点で、ちょうど日没を観測。日没後の夕焼けを、μ6000で収めた。このカメラ、ウェアラブルケースに収めると上腕に固定して置けるので、荷物を持つ余地の無いロードバイクでは便利だ。

2009年11月07日(土曜日)

MasterXLを一部改装する

22時37分 暮らし , 自転車 ( 自転車いじり ) 天気:晴れ

 今日は特に出かけず、おうちでダラダラ過ごす。布団を干して、身の回りの片づけをしていたら、日が暮れていった。ああ、今日も押入れの中には手を入れられなかったのだわ。
 日が暮れきって、夕食を作りながら、MasterXLの改装にようやく手を着けた。
 やることは決まっている。ハンドルバーを日東のニートに換え、ケーブル類をすべて取り替え、バーテープを巻きなおすのだ。
 作業は3時間程度で完了した。素直にシマノのブレーキ、シフター用それぞれのケーブルセットを使ったことが、勝利の鍵だ。毎度、アウターキャップが無くて困ってたからな。
 バーテープはプロファイルの白青斑の物を使用した。プロファイルのテープは、裏に両面テープが無いので、巻き直すのが楽だ。巻く時にほつれやすいので、ちょっとコツがいるけどな。ショルダー位置には、前から巻き込んであったソルボセインの短冊をそのまま継承。薄手なんであまり効いてる気がしないし、そもそもショルダー位置はテープを一番厚く巻くので、MasterXLに関しては必要性は低いのだが。
 日東のハンドルは、さすがSTI専用だけあって、ラバーを解してハンドルバー上面がツライチになるのが気持ち良い。
 全体的に、多少リーチが伸びたかなという雰囲気。だが、元々リーチを少しだけ遠くしたい気分があったので、結果的にはこれで問題は無いと思う。
 明日は試走に行こう。

2009年11月06日(金曜日)

Pocket Rocket Proスペック決めちゃった

23時20分 自転車 天気:晴れていた

 各方面にご心配をおかけした(謎)、新高速輪行車だが、やっと作ってもらえるかなという雰囲気になってきたので、スペックをざくっと決めた。こいつはできるだけ軽く上げたい。
 コンポは、当初はSRAMでもお買い得グレードたるForceで行くつもりだった。が、Wiggleを見ると、最高グレードのREDが、日本でデュラを買うのと変わらない程度の値段だ。かなり軽くできること、レバーがSTI系より細いらしいこと*1、そしてシマノ10速と互換性があること*2が決め手で、REDを選択。コンポ全体で20万円弱になる。どうせならと、ハンドルバーも忌避していたカーボンを、サドルもアリオネのカーボンベースのものにするつもりだ。全体で50万円に達するだろうか。なんか、むやみに高価なポケロケプロになりそうだな……。
 しかし、欲しいのは年々落ちてゆく輪行気力を補えるほどの軽量高速輪行車なのだし、これを買うとしばらくは新車を買えない*3のだから、思い切って金を掛ける事にしたのだ。
 なんとか、年内には手に入るかな……。

2009年11月05日(木曜日)

コタツの呪い発動

23時55分 暮らし 天気:晴れだが雲多し

 今日は早く帰宅できたので、藤沢周りで走った。まだTシャツにウィンドブレーカーで耐えられる程度の気温だ。
 さて、帰宅して、あれこれやろうと思いつつ、コタツで飯を食う。そのまま心地よい眠気に誘われ、まどろむ。目覚めるも、まだ眠いので布団に突入の三連撃が発生。時間が大きくワープしたのだった。
 これからの時期、コタツトラップに注意せねばならんな。

2009年11月04日(水曜日)

HT-03Aの使い心地

23時55分 デジタルギミック , 暮らし

 こってり残業な日。日付が変わる前に帰れたのは幸いだった。
 仕事の合間、手洗いなんぞでHT-03Aをつつく。アプリをこってり立ち上げると重くなることはある。が、マメに終了させて最低限のアプリだけ立ち上げておくなら、重さを感じることは無い。
 Androidは、アプリから"戻る"キーでデスクトップに戻ると、そのアプリを自動で終了させてくれるようだ。これだとアプリ内で複雑に遷移させた後で戻るのが大変だが、適当なタスクマネージャを使ってkillすればいい。また、メモリが圧迫されると、立ち上げっぱなしのアプリを必要に応じてkillしてもくれるようだ。なので、基本的にはアプリを使った後で"戻る"で終了させれば、メモリが圧迫されることは少ない。またあるアプリから別のアプリにチェーンした後で、"戻る"キーで戻れば、直前に使っていたアプリに戻る。
 こうして時々メモリに気を使っていれば、Willcom03なんぞ比較にならないくらい高速だ。Gmailに関してはGmailアプリを起動しておかなくても、新着メールチェッカーが常時起動しているようだ。しかしHT-03Aから能動的にしかチェックできないので、それがバッテリー残量を圧迫するのが弱りもの。とはいえ、先週土曜日にはBTヘッドホンで音楽を聴きっぱなしで、Gmail、Google Maps、ウェブと頻繁に使っていたのだが、半日は十分に持った。予備電池1本込みで、1日は十分に過ごせそうだ。Gmailの新着チェックを切っておけば、さらに持つだろう。Gmailアプリの起動は十分早いので、気づいた時に新着チェックという使い方でも不自由は無かった。
 今のところ、一番不自由さを感じる可能性があるのが、PDFビューアが無いことくらいか。サードパーティアプリはあるのだが、やはりここはAdobe Readerが載って欲しい。もっとも、なんにでも載ってくるAdobe Readerが、やがてAndroid環境に進出してくるのも時間の問題だろう。アプリでカバーできる範囲は、この増加傾向ならばやがて時間が解決してしまうのではないだろうか。FLVファイルを再生する手段と併せ、Andoroid2.0環境までには解決されて欲しいところだ。
 基本的に、もはやHT-03Aだけで生きて行ける勢いだわ。おっと、それでも文字入力ではWillcom03に優位性を認むるがな。

2009年11月03日(火曜日)

晩秋の到来

22時16分 暮らし , デジタルカメラ , 自転車 ( 自転車散歩 ) 天気:晴れ

 寒い。まだ冬というには早いが、晩秋というにふさわしい時期になってきた。
 お山はそろそろ紅葉が降りてきているだろう、などと思いつつも、今日は結局10:00まで爆睡する。
 夕方、境川にTCR-2で出撃。湘南台北方で日没に遭遇したので、D90を構えた。秋は夕日がきれいだ。
 南端で折り返し、真っ暗な中を北上していると、ほぼ満月と思しき月齢の*1東から上り始めていた。柵に手を突いていたにせよ、手持ちでこれだけのものが撮れるとは。10年位前、カメラがE950だったとはいえ、100mmEDレンズの屈折にアダプタで取り付けて撮ったものは、これよりずっと解像度に劣るものしか撮れなかったのだが。
 帰宅して、そろそろコタツ外行動に差し障りある寒さになってきたので、暖房を出す。従来、小さなファンヒータか、居室のエアコンかという2択だったのだが、それでは差がありすぎなので600W級のグラファイトヒーターを買っておいた。すぐに発熱して、曝露部ならじんわりと暖かくなってゆく。この辺の冬なら、これで十分だろう。
 ついでというとなんだが、居間の照明レイアウトをいじる。最近は天井の蛍光灯をあまり使わず、出口近くにあるミニ蛍光灯スタンドと、PCデスクに設置したLED2灯のクリップライトで賄っていた。しかし、間に敷設したコタツトップが暗いので、このLEDクリップライトをコタツに移設し、新たに購入したE26口金のスタンドライトに東芝の40W相当LED電球を組み合わせてみることにした。40W電球相当といいつつも、これは20Wくらいかなというところ。しかし全く熱くならないので、万が一手が触れても問題無い。蛍光電球でもかなり発熱するので、頭に触れそうなデスクサイドに設置するなら、大きな利点だ。さすがにクリップライトよりは圧倒的に明るいので、明るさも十分だった。
 かくして、なんとなく冬支度が進んでゆくのだった。

2009年11月02日(月曜日)

異常な疲労を感じつつの一日

23時55分 暮らし 天気:風だぜ

 朝から頭が重く、風邪が残っているのかと疑った。しかし頭が熱いわけでもなく、ひたすらに体が重い。昨日の疲労が残ったのか? ともあれ、ジテツーはきついので、地下鉄で出社した。
 ともかくも定時まで勤め上げ、しかしまだ残務があったので少し残業してから帰宅した。そして帰宅するなり、爆睡モードに突入。コタツ出しておいて良かった。
 さすがに日付が変わる前に起き出し、お腹に多少のものを入れておいたが、眠気が濃厚なので風呂にも入らず布団にダイブだ。
 明日は今度こそ箒杉を見に行こうと思っていたんだが、この分ではダメダメだな。狼少年、いや狼おっさんと呼んでくれ。

2009年11月01日(日曜日)

横浜エコライドに参加

20時26分 自転車 天気:晴れ

 今日は久しぶりに一般催事に参加。横浜エコライドに参加してきた。横浜を20kmばかりだらだら走って\4000はどうよと思ったが、東京シティサイクリングより近場なので、一度参加してみることにした。
 会場のパシフィコ前までは、MasterXLで自走する。自宅から1時間弱の行程だった。
 パシフィコ前の会場は、ちょうど都庁前広場を1/3くらいにした雰囲気だろうか。雰囲気としては東京シティサイクリングそっくりだ。LEGONの人たちが大挙参加している。鶴見辰吾が主催者に名を連ねているからだろう。バイクラックも予め用意されており、なかなか雰囲気が良かった。が、受付後に開会式があるのはいいのだが、それからさらに出走までの時間が長いのには参った。まあ、寝て待っていたけど。
 寝ているだけなのもなんなので、会場を散策する。本気の走り企画ではないためか、折り畳み自転車が目立った。GCSが近いってのもあるんだろう。またトライク、リカンベントもぽちぽち。あれ、このトライク、なんだか見覚え無いか? たぶん、荒川で見かけたことがあると思った。
 開会式はしめやかに行われる。しかし挨拶が多いな。会場のサイズは、これでわかるだろうか
 開会式から出走まで、さらに時間が掛かるので、しばらく寝ていた。そのうち、ようやく最初の組から出走し始めた。僕は末尾辺りだ。
 やっと出走の順番が来たので、ゲートに並ぶ。出走してすぐに、かなり無理な左への方向転換と、段差が待っている。が、そこは出走係の指示があるので、問題は無かった。
 コースは、まずは南下し、港の見える丘公園を経由する激坂を越え、本牧に抜けて関内を北上、公設市場まで北上して折り返す、20kmばかりのものだ。最初のうち、こんな風にみなとみらいの大きな風景を走るので、なかなか爽快だ。また、東京シティサイクリングでの、新宿を抜けるときのような非道な箇所も無い。とはいえ、基本的にまったりした市中サイクリングなので、信号ごとに渋滞する展開が待っている。
 石川町の南端辺りから、港の見える丘公園めがけて激坂を上る。短いが手ごわい坂だ。
 さらに丘陵地帯を越え、お馬さんがシンボルの森林公園で次の休憩。この辺、正直なところ写真を撮る暇が無かった。
 しかし、本牧に降りた辺りから完全に分散したため、小さな隊列がいくつか散見される展開となり、渋滞せずに走れるようになる。本牧の通りを抜け、山下公園対面での休憩を挟み、歴史的建造物を掠めながら北上する。このままでは11:00には到着するので、この先の公設市場で昼食を買い出そうというふくあんを持っていたのだが、気がつくと市場で折り返して南下している隊列に乗ってしまっている。そうして買出しできないまま、ゴールした。予想通り、11:00の到着だった。ゴール後に事前に配布されていた引換券でくじを引けるのだが、一番いいA賞が当たった。閉会式までは1時間ほどあったが、ゴール後に配られたウィダーと、甘露飴*1で飢えを凌ぐ。
 閉会式では自転車、ウィダー1箱、バッグなどを賭けてのじゃんけん大会が行われる。ほとんどもらって困るような物ばかりだったが、1つ気になったものがあった。メガネのミキから贈与された、BT骨伝導ヘッドホン内蔵のスポーツサングラスだ。境川を走る時などに良くねえ?
 じゃんけん大会は残念ながらなにも獲得できず、解散となった。この後はどうしようと迷ったが、特に用事も無かったので、帰宅することにした。そんなに距離を走ってないのだが、コース上の激坂で意外に応えたのか、保土ヶ谷の坂を登っている辺りで足が回らなくなってきた。いやこれは、ハンガーノックですか。ちょうど、思いがけない場所にガストがあったので、緊急ピットインで昼食にした。
 腹を満たすと、このまま帰るのはもったいなく思えてきた。柏尾川を下り、境川を北上するいつものルートを通って戻った。秋空に浮かぶ細かな雲が、さわやかな感じ。いや、最近こんな時間に走ることが無かっただけだけど。