Strange Days

2009年05月02日(土曜日)

SFセミナー2009に参加(昼の部のみ)

19時52分 SF , 思考 天気:晴れ

 ここ10年ほど、五月連休に旅に出てなければ参加しているのが、SFセミナーだ。
 最近、SFじゃない生活を送っているので、こういう機会にでもSF分を摂取しなければ。会場で同じ人種がこれだけ生き残っているのだと確認することは、僕の精神衛生上必要な行為になっている。とはいえ、前回の参加は2005年。久しぶりの参加だった。
 SFセミナーは講演会形式の昼の部、合宿形式の夜の部とあるが、SF者とリアルな面識の少ない僕には、夜の部は旨みが無い。ので、昼の部のみ参加した。
 御茶ノ水に着いて、会場の全電通労働会館に到着したのは9:30過ぎ。ところが開場してない。というのも、僕は10:00開演と勘違いしていたのだが、実際には10:00開場だったのだ。コーヒーを求めて近所を散策するうちに、開場時間が来た。
 今日は暗い演壇上の被写体を撮るべく、D90に70-300を着けて、三脚も持参した。これでは広角をカバーできないので、Powershot Sx10も併用したのだが、実際には70mmからではあまりにも狭すぎて、Sx10の方がよほど使い勝手が良かった。
 さて、一コマ目は『21世紀のファンタジー ポスト「ハリー・ポッター」の世界』ということで、小川隆氏と三村美衣女史がハリーポッターをファンタジーとして捕らえ、その影響を論議する。という展開にはならず、ほとんどが小川氏による『ハリーポッターは出版業界になにをもたらしたか』という打ち明け話に終始した。これはこれで興味深い。
 ハリポタは作者ローリング女史の銭ゲバっぷりで知られているのだが*1、その影響で大手流通には乗らず、口コミで広まっていったのが背景にある。結果、アメリカの大手流通*2がうかうかしている間に、イギリスの業者から通販する読者が絶えず、しかもそれは巻が進むにつれて問題が深まっていった。その根本には、英米の伝統的な出版スタイルの違いがある。アメリカでは販社に事前査読用の版を送りつけ、それによって発注数を決めて手配を掛けてもらうという形式だ。だから、校了から出版まではタイムラグがあるのが普通だ*3。また最初はハードカバー、後でペーパーバックという順列もかなり厳格に守られているらしい。一方、イギリスでは旧植民地向けに早い時期にペーパーバックを用意する文化がある。かつて本は全て船便で運ばれ、また経済力の劣る旧植民地では安いものしか売れないため、早い時期にペーパーバックを用意する必要があったのだ。その結果、早い時期に安いペーパーバックを手に入れたいアメリカの読者は、アメリカの輸入書店、あるいは海外通販を扱うイギリスの書店から購入することになった。そのため、アメリカの流通は、無視できない数の読者を失ってしまったらしい。
 さらに問題を深めたのがAmazonの存在だ。Amazonは英米の読者を分け隔てなく扱ったため、もっと簡単に英国出版のペーパーバック版を、早期に手に入れることが出来るようになってしまった。こういう国境を跨った巨大流通の勃興が、伝統的な出版業界の秩序を破壊してしまったということだ。
 日本でも、やはり大手出版業界に先駆けて、弱小出版社がハリーポッターを抑えてしまった結果、流通業界との齟齬を生じることになった。出版元が買い取り制を強いたため、体力の無い中小の書店が発注数を上げられず、逆にAmazonが当日配送制を採用した結果、Amazonによる寡占が進行してしまった。もはや本は本屋で買う時代ではなくなったと、白日の下の曝されてしまったのだ。日本語版版元の態度にはイラッと来るが、しかしここも巨大出版社ではないので、一発外せば体力がもたない。結局、モノがグローバルに流れてゆく時代に、ローカルな専売業者の意味はどこにあるのか。単なる物販の端末ならコンビニだけで良いじゃないかという、物流革命の一端が現れただけなのだと思う。
 などということがグダグダ壇上で続けられているうちにタイムアウト。残りは夜の部だって。
 ここで昼食。予めコンビニで買ってあったおにぎりとパンを、近所の小公園で食べる。昼時、近くのビルから出てきたサラリーマンや、路上作業員たちがたむろしている。
 さて2コマ目。『円城塔は私たちSFファンのものではなかったのか?』ということで、奇矯な作品を書いては文藝界から面白がられている、円城塔氏の創作態度のお話だった。円城氏は『表と裏が入れ替わる話を書きたい』などと考えながら執筆するらしい。ここまでは、例えば主線と伏線が入れ替わってしまう話を書きたいなあ、などと文藝を志すものなら誰でも思い当たるだろう、ごく尋常な創作態度だと思う。だが円城氏の場合、『それをトポロジー的に解析して、かつその図形を作図して実現性を検証する』という点がおかしい。興味深いとか面白いとか言う以前におかしい。なんでやねんと突っ込みたくなる。実際、喫茶店でストーリーを現す模型を作ったりしてるそうだ。
 そもそも円城氏は物理畑出身で、そういう思考に抵抗が無い、というよりもそういう思考の方が自然なものらしい。一番の読者は御尊父だが、新作を読む度にメールや電話でお小言を頂いているらしい。
 一つ心に残った発言がある。主流文学の中に可能性世界が取り込まれるのは一般化しているが*4、それらの興隆の背景にあるのは『無かったことにしたい』という意識があるのではないか、という指摘だ。確かにその通りで、数多くある仮想戦記は、まさにその『間違わなかった歴史』を書きたい、読みたいという意識無しには成立しないジャンルだ。『五分後の世界』もそうだろう。だがそれが不健全な現象なのかどうかは、判断を保留したい。
 円城氏の特徴は、ストーリーそのものよりも、そうしたライティング技法に関わっていると感じた。そういう意味では、筒井や小松、近くは夢枕獏に引き継がれてきた、SF文壇の伝統を引き継いでいることは間違いないだろう。これもグダグダなうちに『夜の部に』となった。
 3コマ目は『若手SF評論家パネル』ということで、最近早川が力を入れているらしい若手評論家発掘イベントによる発掘物を陳列するという趣旨。壇上に7名も居て、司会の森下氏が仕切りモードで進めたため、ややお行儀良すぎる演目となった。自分が評論するのは、自分が面白いと思った作品を紹介したいから、という極めて健全な意識をうかがわせる発言が心に残った。
 最後のコマは『天を衝け! 嵐を呼ぶ 中島かずきインタビュー』ということで、グレンラガンへの参加でアニメファンの注目を浴びている中島かずき氏へのインタビュー、という名目で繰り広げられる四方山話。中島氏はグレンラガンではむしろ抑え役に回っているようだ。出版社に籍を置くサラリーマンだが、最近名が売れたおかげで裏稼業だった脚本、演出の仕事が会社でも認知され、堂々と振舞えるようになったのがうれしいという。そもそもがゼネプロ~ガイナックス系の人材とずっとニアミスし続けてきたとのこと。
 今年もSF分をたっぷり吸収して帰宅。