Strange Days

2017年03月31日(金曜日)

プレフラ使ってミュシャ博行ってきた

20時37分 美術館 , 思考 天気:雨

 今日はプレミアムフライデーたら申す日で、さっさと帰れと言われた。どうせならと、午後半休にして、新国立西洋博物館のミュシャ博を襲うことにする。
 チケットは予め買って、ファミポートで出力しておいた。雨のそぼ降る中、東京に向かう。
 新国立西洋博物館前には、切符を買い求める行列が出来ていた。外で出しておいてよかった。中に入り、ミュシャ博会場に入場。どえらい盛況であった。
 目玉のスラブ叙事詩は、ホールの高い天井につかえそうなくらいのビッグサイズで、ご覧のありさま。観客が群れているが、少し離れると気にならない。というか、全景を見るには離れざるを得ない。
 スラブ叙事詩は、ミュシャが画業で成功した後半生を費やした一大絵画群で、チェコのスラブ民族の歴史を描いたものだ。歴史とはいえ、史実とミュシャの想像世界とが混然一体となっており、シャープな視点が心地よく設定されている。でかいのに見やすく、細かく見てゆくのがひたすら楽しい。描かれた人物一人一人に確固たる人生がありそうだ。
 ミュシャはこの絵画群をもって、チェコ独立のために市民を鼓舞したかった。しかし、時代はミュシャが思う以上に急激に動き、シリーズ完成以前にチェコの独立はなってしまう。ミュシャにとっても歓喜の事態だったろうが、この絵画群の意味が薄れたにも確かだった。しかも、時代は抽象絵画に向かっており、ミュシャの絵は古臭いものとして、チェコの若者や知識層の酷評を受けたという。
 さらにミュシャは、こうした絵画群をしてチェコの民族主義を鼓舞しうる人物とみなされ、チェコ併合後の統制を強めるナチスドイツによって、事実上殺される*1
 この絵画群共々、ミュシャは報われない最期を遂げた。しかし、ミュシャの絵画は残り、WW2後に再び再評価を受けてゆく。あれほど酷評していた若年世代が老いると、今度はまたあらわれた若年世代がミュシャを再発見したのだ。プラハ近郊の城に死蔵されていたスラブ叙事詩も、ソ連崩壊後にチェコが民主化され、スロバキアと別れると、これも再発見される。そして今、門外不出ともいえる巨大な絵画群が、海を渡って日本にやってきたというわけだ。
 物思いにふけりつつ、スラブ叙事詩を3巡くらいしたら、血尿が出そうなくらい疲れた。すごいものを見たなと思いつつ、帰宅。