Strange Days

2000年05月31日(水曜日)

(なかなか)鳴らない目覚まし時計

19時30分 暮らし 天気:雨

 今を去ること十数年前に買った目覚し時計が、ここ数年いよいよ鳴らなくなってきた。ここ数年、というところに僕の尋常でない気の長さがあるかもしれない。
 この時計、指示針と短針が合致すると機械式に検知され、電子音が鳴り始めるという形式だ。その検知機構がおかしくなったのか、最近(といってももう何年も)合致しても鳴らない事が多くなってきた。予定時刻が過ぎても沈黙したままなのである。
 では役に立たないかというとそうでもなく、指示針が合致した瞬間の「カチッ」とう音が結構大きいので、眠りの浅いときにはそれだけで目覚めるのだ。ところがそれでも目が覚めなかったりすると、少々寝過ごしてしまう。しかし人間の肉体には何か神秘的な機能があるのだろうか、だいたい10分のタイムラグを置いて目覚めることが出来るのだ。その機会を逃すと盛大に遅刻してしまう(でもフレックス勤務制度のおかげで大事にはならない。フレックス勤務制度万歳!)。しかしまあ、だいたい目覚ましにはなっているので、捨てることなく使っていた。ってここまで書いて早く買い換えろよと自分に突っ込みたくなった。
 しかし最近、こいつにいうことを聞かせる方法を発見した。目覚ましをリリースした後で、支持針をぐるぐる回してチャイムが鳴るかどうか確認する。ダメなときは本体の向かって右奥側から衝撃を加え(ようするに殴りつけ)、またぐるぐる回してチャイムが鳴るかどうか確認する。チャイムが鳴るようになったら、指示針を設定し、「そっと」本体を置く。これでだいたい鳴るようになった。僕はスパルタ式目覚まし設定法と命名した。
 この目覚まし、僕が会社に入ったときに買ったもので、その当時買ったものとしては唯一残っているものだ。別に愛着があるわけじゃないが、まあ完全に壊れてしまうまでは使ってやろうかと思っている。
 実はこいつの鳴ったり、鳴らなかったりという辺りが実に生物的で、なかなか味があったりする。昔、物は100年使うと魂が宿るとかいわれ、その前に捨てると良いとか捨てたら祟られるとかいわれたらしいが、さすがに昨今は100年も使える物を想定するのは難しい。精霊たちには住みにくい時代だろう。

2000年05月29日(月曜日)

意外!

20時25分 暮らし 天気:晴れ

 会社に近い酒屋さんの駐車場に、電光掲示板形式の看板がかかっている。そこにはその時々の様々なコピーが流れている。今朝見たのはこんなのだった。
 まず「意外!」と出て、一拍置いて「結構おいしい」と出る。そこで通り過ぎてしまったのでその後に続くコピーは確認できなかったが、おそらくなんらかの商品、あるいは産品がドーンと出てくるわけだろう。
 しかし後で気になった。あの後に続くものはなんだったんだろう。「意外」というからには社会通念上誰もがおいしいわけが無いと考えているものだろう。ちょっと考えてみた。
「意外! 結構おいしい 薄口ソース!」やっぱあれだね、カリフォルニア辺りで広く使われているのだろう。濃口ソースの本場はボストン辺り。
「意外! 結構おいしい あのお肉!」いや、"あのお肉"はおいしいに違いない!
「意外! 結構おいしい アマゾン羊羹!」なにせブラジル柔術があるくらいだから。しかし3時間くらいしかもちそうに無い。
「意外! 結構おいしい 納豆リキュール!」こんなのがあったら僕は卒倒するね。
 というわけで応用範囲はかなり広く(どこがだ)これという対象に絞り込めなかった。謎は深まるばかりである。

2000年05月28日(日曜日)

強風一過

17時20分 暮らし 天気:くもりのち晴れ BGM:愛をあきらめないで/伊藤銀次

 昨夜の雨と強い雨はどこへやら、今日は五月晴れというにふさわしい天気だ。こういう天気の日には、伊藤"いいとも"銀次の「愛をあきらめないで」という曲を思い出す。五月になるとなぜか聴きたくなる曲だ。
 さて、東京方面に出かけようかなと思ってはいたが、100EDにつけるファインダーはどういうのが良いのだろうとか、アイピースに何を買おうとか考え始めると、全然何を買えばいいのか分からなくなってきた。無駄な出費は控えたかったので東京方面は止め。逆方向、湘南台に出かけた。
 本屋、PC屋を回ったがめぼしいものは無い。その後でダイエーに寄り、前に会社からもらった商品券で少々買い物をした。買ったのは超小型扇風機、掃除機、タオルケット、靴。現金を使わずにすんだのはありがたかった。この超小型扇風機、中国製の2000円ほどの物で、クリップで机の端などに留めるタイプだ。これでも強弱の切り替えと首振り機構が着いている。しかしこいつをPCと同じコンセントに挿すとノイズが凄い。電源は分けなければならない。

2000年05月26日(金曜日)

結構ピンチ

22時16分 暮らし 天気:くもり

 結構ピンチってのも考えてみれば変な表現だが、確かにピンチだ。財政的に。
 手取りと生活費を見比べてみると、ほとんど遊ぶ余裕が無い。これではミューロン180を買えない!
 ってことで、こういう場合の常套手段である食費の切り詰めに走ることにした。切り詰めるとはいえ抜くことは出来ない。例えば朝食を取らないと、午前中はほぼゾンビになってしまう。ということで単価を下げるしかない。
 幸い、会社の社員食堂は朝夕晩と三食やっていて、ご丁寧に全て食費補助がつく。少なくとも朝食は使えそうだ。夕食は元々軽くしか食ってないので、そもそもこれ以上は切り詰められない。案外に朝食に金を使っているのだった。

2000年05月24日(水曜日)

マシン停止

20時12分 暮らし 天気:晴れ......だと思う......

 朝、前日の出張疲れで深く寝入っていた俺様は、不快だがきっぱりした目覚めを迎えた。
 暑い。
 冬場に買った羽毛布団を頭から被って寝ていたのだが、部屋の中にいつの間にか暑気が侵入して、暑さにうなされながら寝ていたらしい。寝室には他の部屋のように電子機器がないため、いつもならむしろ朝方は涼しいくらいなのだ。ところが昨夜は、風が強くて障子を揺らすので、風の抜け道を作るために少し開いておいた。そこが暑気の侵入経路となったらしい。
 居間(というかマシン室というか)には暑気というより熱気がこもっている。朝方風が止み、気温が上がるにつれてマシンの熱気もこもるようになったと思われる。これでは昼間に熱暴走する可能性も否定しきれない。第一、帰宅した途端に、部屋にこもった熱気を浴びるのは嫌だ。
 というわけで、引越し以来連続稼動していたPC群の電源を、出勤前に落としていった。4台のデスクトップPCが停止するとこれほど静かになるとは(というか普段うるさすぎ)。
 帰宅すると今度はマシン群を再立ち上げする仕事が残っている。WindowsやOS/2はともかくとして、このLinuxな機械はソフトウェアRAID絡みで呪術を使わなければならないのではなかったかな。なにせ何カ月も連続稼動させていたので、以前の起動手順を思い出せない(爆)。ええい、ままよとばかりに起動すると、しかし案外にあっさり起動した。MOでエラーが出ているようだが、これもやはり呪文を唱えなければならなかったかな。単に認識できる領域(要するに媒体)が入ってないので文句をいっているのかもしれない。
 ともあれ、全部の機械をいちいちON/OFFするのは面倒なので、OS/2な機械だけ付けっぱなしにしようと思う。ここにはD-netのパーソナルクライアントがあるので、あちこちに分散しているノートPCからアクセスされる可能性がある。またメールなどはこの機械を使っているので、帰ったらすぐ使える体勢のほうが良い。

2000年05月23日(火曜日)

空が曇ってるなあ

23時11分 暮らし

 帰宅してベランダに出てみると、空は晴れているのだが、霞がしっかりとかかって明るい星しか見えない状況だった。
 日付が変わる頃にまたベランダに出て空を見上げたが、霞はさらに濃くなっていて明るい星さえもほとんど見えない状況だった。月もくっきり見えはするものの、不気味な赤い月になっていた。霞に短い波長の光が散乱してしまったのだろう。早々に就眠した。

久しぶりに超早起きで名古屋へ

22時09分 暮らし 天気:晴れですか

 今日は名古屋で教育を受けるために、日帰りで出張する必要があった。朝の8:50には名古屋は新栄にいなければならない。よって朝4:30起床なのである。
 空が白む頃に起き出して、簡単な朝食(スパ王)を5:30の地下鉄に乗るべく立場駅に向かった。地下鉄にはこんな時間なのに案外に乗客が多い。戸塚と名古屋の間では席は全て埋まり、立っている人も多いくらいだ。
 6:30のひかりで名古屋に。乗り過ごすと大変なのでしっかり目を開け、音楽を聴きながらの旅だ。名古屋には8:00過ぎにつき、新栄町には20分には着いた。
 新栄のビルにあるにあるわが社の教室に入るが、誰もいない。前の黒板には10:00から授業開始である旨が書かれていた。時間を1時間あまり間違えていたらしい(図らずも笑)。仕方ないので近所の喫茶店でモーニングサービスを食いながら一昨日分の日記を書いた。340円でコーヒー、トースト、ゆで卵、サラダまでついている。あいも変わらず名古屋恐るべしである。
 10:00になって授業が始まった。授業内容はWindowsNTの導入とやらで、文字通りインストールして初期設定をするというものだ。そんなことは散々やってきているので半分寝ながらでも楽勝だった。しかしまったく無駄な授業だったかというとそうでもない。ユーザ管理などは自宅で使う限りほとんど必要じゃなかったので、ここで体系的に学習して初めてよく分かった部分もあったのだ。
 昼飯は地下鉄の駅近くに出来ていた藤一番でラーメンを食らった。
 定時に終わってさっさと帰宅しようと名駅に着いたが、空席が19:00の便しか無かったので、それまでは暇つぶしに名駅地下の三省堂をうろついた。さらにホームできしめんを喰らう。今日は3食麺類である。
 19:00の便で新横浜に帰り、そこからうんざりするほど接続の悪い横浜線、京浜東北線、東海道線を乗り継いで、戸塚から地下鉄で帰宅した。

2000年05月22日(月曜日)

さっさと寝るダス

23時09分 暮らし

 明日は名古屋に日帰り出張で、起床はなんと4:30。5:30には地下鉄に乗らなければならない。22:00には布団に入った。

そろそろ暑

19時07分 暮らし 天気:晴れかな

 少々気温が低いという日でも、熱気が部屋のこもることが多くなった。なにせ、我が家のPCは全部が全部24時間運転だから。RC5-64暗号のクラックを試みているのだ。って人聞きが悪いな。そういうコンテストがあるんです。
 夏場のことを考えてデスクトップPCは全てエアコン直下に集めてあるが、昼間は会社に出かけてる間にエアコンつけっぱなしというのは、さすがに気がひける。隣室の住民に「死体でも保存しているのか?」と疑われかねないご時世だ。
 ところでこのRC5-64クラッキングコンテストでは、僕はDistributed.netに参加している。というか、この暗号破りコンテストに参加している人の大半は、研究者でもない限りここに所属するだろう。このD-netは、世界中の参加者の所有するPCにクライアントプログラムを埋め込み、それをデータ集配機能を持つD-netのサーバと適宜接続しながら、各クライアントでプロセッサの空き時間を利用してデータを処理しようというものだ。なぜ暗号破りを試みているのかというと、様々な暗号体系の中でのRC5-64の強度を検証し、それを元に米国政府が課している暗号技術の輸出規制を撤廃させようというのが狙いなのだ。
 ところでこの一般ユーザの機械でデータを分散処理しようという方式は、seti@homeでも取り入れられているものだ。参加者数はseti@homeの方が多いが、時期的にはD-netの方が早い。またseti@homeの標準クライアントがスクリーンセーバーとして実現されているのに対し、D-net側は一種のデーモンとして動作し、プロセッサの遊休時間を見つけるたびに小刻みに処理を実施していく方式だ。遊休時間を使用するという観点ではD-netの方がより効率的に思える。問題は各自の環境への悪影響だが、これも洗練が進んだ結果ほとんど影響が無いレベルまで進歩している。というか、ここ1年ほどの間に、システムにダメージを与えるような悪影響はまったく無かったといっていい。
 地球外文明の探査も夢があると思うが、現実に全てのユーザが利益を蒙るだろう暗号規制解除につながるD-netのチャレンジも、やはり同じくらい重要だと思うのだ。なにせ、地球外文明があるかどうかは分からないのだから(個人的には無いかもしれないと思っているのだが)。

2000年05月20日(土曜日)

またしてもなにもしない週末

21時11分 暮らし 天気:雨

 今日は東京方面に行こうかなと思っていた。水道橋の誠報社に行ってみようかと思っていたのだ。しかし朝、寝床でぼんやり天井を見上げながら、やっぱりやめようかなと思い始めた。我がワールドスタンダードレベルというべき優柔不断が始まったのだ。
 正直、金が無いからなと思った。連休中にちょいと使いすぎた。正確には現金が手許に無いわけではないが、これを使うと来月もまた勢いで散財してしまいそうな怖さがあった。ここらで生活を引き締めなければ。
 結局、前日から降り続く雨もあり、この日は日がな一日中ぼんやりと過ごすことになった。
 世の中にはなにもしないと称しながらも本を読みふける不逞の輩がいるようだが、僕の場合は正真正銘なにもしない。本さえも読まないでボーっとしているのだ。テレビも見ない。ただ雨の音を聞きながらいろいろ考えている(ようするに妄想している)。妄想は最も金のかからない娯楽です。
 夕方には、さすがに足腰がなまりそうだったので、雨が小降りになったのを見計らってスーパーで買い物をした。今夜は焼肉でも、などと考えていたのだが、買ったのはなぜか麺類ばかりだった。

2000年05月19日(金曜日)

週末にホッと息をつく

20時09分 暮らし 天気:雨っぽいな

 また週末が来た。会社勤めの重圧が一気に緩み、またハチャハチャな生活パターンが現れる。今日も帰宅してすぐ寝てしまい、起きたのは真夜中という体たらく。寝る前には多少の雲の切れ目があったのだけど、起き出すと既に半ばを覆い、やがて完全なくもりになった。なんでも雨になるということだ。

2000年05月17日(水曜日)

じめじめ

21時06分 暮らし 天気:くもりのち雨

 からっとした五月晴れなんぞは幻かと思うくらいはっきりしない天気が続く。まあだいたい晴れかもしれないなー、という感じの空模様ばかりだ。
 湿度の高さに心配なのが羽毛布団と書籍類だ。羽毛布団は天日で干せないので陰干しするのだが、この高湿度では干すうちに入らない。布団乾燥機が欲しいところなので、近々ダイエー辺りで見繕ってみるつもり。
 しかし、夜はさらに晴れないな。

2000年05月16日(火曜日)

そば拳

12時03分 暮らし 天気:晴れかもくもりかも

 近所に「そば拳」なる蕎麦屋がある。「そば挙」でもないし「そば幸」でもない。「そば拳」なのだ。
 店構えからするとふつうの蕎麦屋だ。ふつうのサッシの引き戸に暖簾。その脇にふつうの蕎麦屋の範疇にとどまっているメニューのショーケースがある。店構えのどこにも不穏さは無い。ただ屋号だけが只者でなさを主張している。
 なにが「そば拳」なのだろう。どうにも気になる。時々、入ってみようかと思うのだが(場所的に便利なので)、引き戸を開けた途端になにが起こるかを想像すると、どうにも怖いものがある。
 もしかしてアレかな。やはり引き戸の向こうには店主が身構えていて、パンピーの迂闊な客(僕みたいなの)が入ってくるのを待ち構えているのであろうか。そして引き戸を開けた途端に「きえーい!」とか「ちぇすとーっ!」とか気合をかけながら顔面めがけて強烈な正拳突きを繰り出してくるのかな。するとなにせ迂闊な客(僕みたいなの)なので豪雨を受け止める相模湖のようにまともに食らうことであろう。これはもう吹き飛びますな。鼻血を撒き散らしながら飛ぶだろう。前歯の6本くらいもイッてるかも知れない。後頭部を硬い路面に思い切り打ち付けるのも当然のことだろう。
 もしも意識があったら店から出てきた店主の顔を拝めるだろうな。店主は容貌こそごくふつうの親父だが、眼光の鋭さで只者で無さを主張していることだろう。もしも多少の気力が残っていて、なにか不服そうな表情を見せようものなら、親父は襟首をつかんで引きずり上げてくれるだろうな。そして言い聞かせるようにしていうのだ。
「いいか、俺の蕎麦はおまえのような間抜けに食わすことは出来ん。一昨日来やがれ、この腐れド外道めがっ」
 そしてとどめのアッパーカットを食らわせてくれることだろう。
 この店主の一撃をかわした者だけ、そば拳のそばにありつくことが出来るのだ。
 さぞかしうまいのだろうって? いやいや、やっぱりまずいのである。

2000年05月15日(月曜日)

体調不良

21時10分 暮らし 天気:晴れ

 週末二日に歩き回り、さらにむちゃくちゃな睡眠時間というダブルパンチで、月曜日の目覚めは最悪。足が痛いんでやんの。数秒間の慎重な熟考の後、まあ休もうかいとなんとなく決定。そのまま昼まで爆睡する。
 昼頃に起き出して、ふと用事を思い出して泉区役所に出かけた。いや生活保護とかじゃないです。区役所は新しい建物で、職員の応対もかなり丁寧だった。
 帰路、なにか昼食をと思いつつ歩いていたら、モスバーガーがあるのを思い出した。照り焼きバーガーと玄米フレークシェイクというなんだか分からないものを買って帰った。
 それを食いながら窓を開けて風に当たっていたが、そのうちにだんだん熱が出てきたので、またしても布団に逆戻り。そのまま真夜中まで起きたり寝たりしていた。

2000年05月14日(日曜日)

近所を歩く

18時08分 暮らし 天気:晴れ

 早々と目覚めて、さて前から考えていた近所の散歩を実行に移した。近所の散歩とはいっても、だいたい数キロ圏内の目立つ場所を回ってみようという目論見だ。出来れば、夏までにいい星見の場所を見つけておきたい。
 家を出て、まずは北西に進路を取る。一番近い公園があるはずだ。そこは前にもちらりと見た。場所は消防署の分署前で、結構広々としたフラットなスペースだ。周りに高い建物もないので、街灯さえなんとかなれば良さそうだ。
 そのさらに奥にある神社に向かったが、一見して鬱蒼とした木立が目に付いたので、中まで入らずに引き返した。
 中田方面に出る。駅周辺には本屋や各種の店が点在していて、立場より広くて拓けた感じだ。その奥の方にある公園に向かったが、ここは高台にあるものの木立があって星見には向きそうにない。
 今度はいずみ野方面に向かった。泉区の合同庁舎があるはずだ。立場を過ぎ、ヨークマートの向こうに出ると、NTT、モスバーガー、そして本屋が点々と店を構えている。いずみ野合同庁舎は新しくてキレイだった。近くには相鉄ローゼンなどが入ったビルがあり、駅舎もキレイで新しかった。
 そこから相鉄でいずみ中央に向かった。そこで泉区の図書館に入ってみた。湘南台の藤沢市総合図書館より小さいが、それなりに蔵書は揃っている。それと藤沢のように学生が自習スペースを占有していることもないので、なかなか良さそうな感じだった。
 その足で立場方面に向かった。立場への道は途中車道が2車線、歩道はその脇わずかとなるので、なんだか危険そうな感じだ。この途中には泉郵便局がある。
 だいたい20分程度だろうか。やがて立場のヨークマートに着いたので、ちょっと買い物をして帰宅した。思ったより帰宅は早かった。

2000年05月13日(土曜日)

死んだような一日

18時06分 暮らし 天気:くもりのち雨

 前日、なにを思ったか朝まで起きていて、それどころか寝たのは昼だったので、いい加減体調がむちゃくちゃになった。夜中に起き出したがまだぐったりしていて、なおかつ頭痛がする。明らかに自家中毒だったので特効薬の葱&七味入りうどんを平らげたが、全然快復する気配はない。そのままテレビも見ないで真夜中までウトウトしていた。

2000年05月11日(木曜日)

陥落寸前

20時02分 暮らし

 昨夜、早く帰宅したので20:00には一度寝てしまった。その後1:00に起きてしばしネット遭難を楽しみ、さて寝ようかと横になった。
 眠れない。目が冴えてしまっている。そうして寝床で死にかけた肺魚のようにのた打ち回っていたが、とうとう朝まで一睡も出来なかった。寝るタイミングがあるんだな。
 午前中は何とかなったが、午後は昼から定時まで続く会議地獄。数分ごとに意識がふっと途切れ、眠りこけないように必死に意識を保とうとする。膝を手で打ったり頭をシャーペンで刺激したり(爆)しながら必死にこらえる。しかし我が意識はもはや川中島で上杉方の猛攻に曝される武田方のように陥落寸前である。しかも武田と異なり別働隊が駆けつけるということもない。3時間もそんな地獄が続いた。おかげで会議のほうは内容をかけらも憶えてないじゃないか(滅)。まあ資料があるからいいか。
 それで帰って爆睡したかというと、実はきっちり2時まで起きていたのである。ダメだこりゃ(ドリフ落ち)。

2000年05月09日(火曜日)

ダメダメな日

19時56分 暮らし 天気:晴れだかくもりだか

 朝から晩まで半分死んだような一日。僕が熊なら素直に冬眠したね(春眠?)。ネスレのPOLOだけが眠気覚ましの頼りだ。
 ネスレといえば僕が子供の頃はテレビでも新聞広告でも「ネッスル」と言っていたような憶えがあるのだが、いつから「ネスレ」に変わったのだろう。スイスに所在する会社らしいので、元々スイスのネイティブな発音を使っていたのだが、英語圏での発音か何かに変えたのだろうか。スイスは多言語国なので、元々ドイツ圏かなにかに所在していたのだが、いつの間にかイタリア語人口が増えてイタリア語圏に変わってしまったとか(そんな馬鹿な)。謎は深まるばかりである。

2000年05月08日(月曜日)

休み明け

19時54分 暮らし 天気:晴れかもしれない

 10連休は終わった。なんだかこれから長い刑期を迎える受刑者のような気分で会社に向かった。実際には夏休みまで3ヵ月程度のことなのに。
 会社ではサーバの重さに死にそうになる。いや担いでいたわけじゃないですけど。休み中の多量のメールを処理しているのか、凄まじいばかりの重さで反応がなかなか返ってこない。例のILOVEYOUウィルスを警戒してサーバでのチェックを厳しくしているのかもしれない。これほど有名になったウィルスだが、厳重な警戒態勢が幸いしたのか、職場では一通も発見されなかったらしい。
 休み明けのだるい体に鞭打って仕事を片付ける。

2000年05月07日(日曜日)

休みの終日も緊張感ゼロ

20時49分 暮らし 天気:やっぱり晴れだかくもりだか BGM:See Through/Y.M.O.

 今日も今日とて朝寝に耽り、いつの間にやら日は高くなっている。のろのろと起き出して雑用を片付けていると、もう日が暮れていく。一日が短いなあ。というかお寝坊さんなだけですけど。
 この連休もなにもしなかったなあ、いやアレはしたなあと思いつつ夕暮れ時を過ごす。休暇の終わりには一抹の寂寥感が漂うものだ。詫び寂び。

2000年05月06日(土曜日)

秋葉へ

20時46分 暮らし 天気:晴れだかくもりだか

 まったくもってはっきりしない天気が続く。いや日差しはあるのだが、春の朧に包まれていまいち現実味を欠いた太陽ではある。Sun Dog......幻日か。
 今日はどうしようかなと考えて、秋葉に出かけることにした。考えてみたらこの休み中に電気街へは一度も行っていない。去年の僕なら3回は行っていたね。人間、変わるものだ(電気街が望遠鏡屋と書泉に変わっただけ)。
 いつものようにやや遅め、14:30に出て、16:00時前には到着。今日乗った東海道線の便はやたら早く、途中で品川とか飛ばしていたような気がする。
 秋葉では昭和通口を出て、東海銀行に寄り、まずは書泉を攻める。いまだに仮想戦記モノが元気なのにはびっくり。まるで妖怪だ。最近の流れは戦国モノらしい。
 ここで「日本SF論争史」を探したが、1Fには無い。上のほうの濃い階にあるのかも。
 そのまま万世方面に抜けてKYOEIに寄った。ここでBORGの15*50(だったかな?)ファインダーを探したが、棚には無かった。こういう中物はスターベースのほうが強いかもしれない。
 我がBORG100EDは、現状ではファインダーは無く、4頭タレットの直結側にH50mmアイピースを着けてファインダー代わりにしている。これはこれで便利な構成なのだが(ファインダー軸の調整が不要なので)、タレット側に切り替える度にピントの調整が必要になるのは不便だ。それと100EDがかなり重いので、片持ち赤道儀がややへたり気味なのが気がかりだ。それをいくらかでも改善するために、思い切ってタレットを外してしまおうと考えるようになったのだ。このタレット、アイピースの保持がプラスチック管の噛み合いだけなので、重いアイピースだとすっぽ抜けてしまうのだ(事実、LV4mmは一度ベランダに落下している)。まあ軽いアイピースが揃ったらやはり便利なのでまた使うかもしれないけれど、欲しいのは重い広視界型なので、ここは外して重量軽減にも役立てようというわけだ。その代わりにファインダーと重い広視界型アイピースを着けると、結局元の木阿弥かもしれないが。
 結局、KYOEIでは天頂ミラーだけ買った。
 その足で電気街を回る。若松の地下でPalm用折り畳みキーボードというそそるアイテムを発見したが、僕自身が次にPalm3cを買うのかPalm5系を買うのかはっきりしなかったので、ここは見送りすることに。しかしこのキーボード、折りたたむとPalmと同じサイズで展開するとフルサイズになる。入力するという点に関しては決定打かもね。問題は展開した時点で、膝の上で入力できるほどの強度があるかどうかだ。
 小物をいくつか買って帰った。

2000年05月05日(金曜日)

ひたすら怠ける

20時44分 暮らし 天気:晴れだかくもりだか

 誰だってそうだろうが、長い休みが始まる前には雄大な構想を抱くものだ。例えば数日かけて人の少なそうな地方を回ろうかとか、長編を一本書き上げてやろうかとか。そして多くの場合はその半分も達成できないのだ。僕の場合など達成率はWW2時の航空特攻の生還率よりも低かろう。
 今日も今日とてCDや本の整理をしようかなと思いつつ、実に夕方まで布団の中でゴロゴロしていた。雨戸を締め切って寝るので暗いのがいけないのだろうな。
 夕方にはさすがに体が鈍りきると思い、そろそろと起き出してゲームした。ダメじゃん。
 夜は夜とて空が曇って星が見えないので、グダグダと本を読みながらネット沈没する。不完全燃焼率99%といえよう。

2000年05月04日(木曜日)

連日のオフ

20時41分 暮らし 天気:晴れだかくもりだか

 前日の高揚感がいまいち冷めないまま、今日は今日であざみ野のオフに出かける(暗黒系)。
 あざみ野までは地下鉄一本だが、我が立場とは逆方向の終端側なので、ざっと一時間ほどかかる。
 あざみ野到着は12:50くらい。集合時間は13:00となっていたが、どうせ時間どおりには来ないだろうと高を括り、ゆっくり集合場所に向かった。集合場所の東急改札口に立ち、13:00になる頃にも誰一人来ない。5分経ったら速攻で帰ろうと思っていたら、我がPHSが振動した。取ると、笑夢君だった。実はちょっと前に掛けてみたのだが、ぜんぜん取られなかったのでどうしたものだろうと思っていたのだ。笑夢君によればこっちに向かっているという。30秒もしないうちに久遠さん、笑夢君、KAZUKAさん、瓜生さんが現れた。どこに出かけるというわけでもなくひたすらゴロゴロするために上京したという、なんとも謎めいた一団だ。
 このむさいともなんとも言い難い一団は、その足でパーミヤンに入り、適当な昼食を摂った。ここで思い出したのは、僕が今朝出がけにラーメンを食ってきたという事実だった。中華連発。しかも昨日も思い起こせば出掛けにスパゲティを喰らい、昼にもスパゲティを喰らったという。イタリアンも連発。さっき食ったものも忘れる若年性アルツハイマーなのだろうか。
 ここではソフトドリンク飲み放題なのをいいことに、実に2時間も粘る。それでいて料金は一人1000円少々だった。いつもながら、実に安上がりなオフだ。
 それからまあどうしようかねえ、などと無目的にあざみ野周辺をうろつき、この近辺にたくさんあるDAIOなるディスカウントストアに入ってちょっと買い物&物色。このDAIO、ロゴからしてLaOXにクリソツで、しかもLaOX専用商品なる扱いの品まで置いてある。資本関係にあるのだろうか。
 ここでへたりかけてるMP-MANのガム電池を買い替え、PC関係やオーディオ関係の売り場を放浪する。最近のオーディオの安さには驚く。いや、ハイエンドは以前と変わらず高価なのだろうが、5万円程度でCD&MDのミニコンポが手に入るのだ。この値段なら一台くらいあってもいいかなと思う。
 この店内にあるコーヒーショップで一休みして、今度は本日のメインイヴェントである焼肉食い放題に突入した。店はあざみ野から二駅のセンター北にある。このセンター北駅、実に堂々たるショッピングモールを抱えていて、いかにもこれから拓け行くという気にさせてくれる。場末の侘しさを漂わせた立場駅周辺とはえらい違いだ。
 この食い放題系焼肉屋は基本的にセルフサービスで、勝手に肉やらなにやらを取ってきて喰らうというスタイルだ。最近、部屋にこもりきりでカロリー消費が少なかった僕の食い気はほぼゼロゼロで、関西組や笑夢君の旺盛なる食欲を眺めているしかなかった。この店は「食う」と決めて入るに限るだろう。何の気なしに入って雑談に耽るような店ではない。事実、ここではほとんどなにも話さなかったと思う。
 タイムリミットが来て、一人3000円なりを払って店を出た。僕はなんとなく気分が乗らず、また今夜は星空が呼んでいるような予感がしたので、ここで一行と別れた。

2000年05月02日(火曜日)

湘南台に

18時28分 暮らし 天気:晴れ

 体が腐りそうだったので、午後に湘南台へ出た。
 天気が良いせいか、湘南台公園には多くの家族連れが遊んでいた。公園は緑が萌えさつきが花開いて美しい。時間をかけて図書館の方に歩いた。
 図書館は休みだった。ありゃ、そうか。仕方ないので本屋に寄り、ケンタで鶏を喰らって帰宅した。