Strange Days

2000年08月31日(木曜日)

何か視線を感じる

17時44分 暮らし 天気:久しぶりに雨のちくもり

 新しい座席は職場の水場のすぐ傍だ。この水場、昼時になると歯を磨く人々が群れるところなのだ。以前は水場の傍はマシン置き場だったので、歯磨きの面々はなんとなくマシンの方をボーっと眺めながら歯を磨く癖がついてしまったようだ。今、マシン置き場の跡地には僕を含む面々がいる。歯磨き連の習慣は変わらない。おかげで昼時になるたびに歯磨き連になんとなく眺められるという状況が発生してしまうわけだ。なんとなく視線を上げづらい状況で困っちゃう。
 水場との仕切りの高さが視線を妨げるでもなく、しかしもたれるにはちょうど良すぎるのも一因と思う。仕切りの上端に有刺鉄線でも張り巡らせてはどうか(危ないって)。いっそ、昼時にはなにかパフォーマンスをやって歯磨き連からおひねりを頂戴するか(芸人か)。

2000年08月30日(水曜日)

休むのだ

17時43分 暮らし 天気:晴れ

 朝、目覚めると窓際で扇風機がガラガラ音を立てて回っていた。別にどうと言うこともない朝の情景だ。しかし、なにか異常な感じがある。身を起こすと、喉がガラガラになっていることに気づいた。それだけでなく、結構熱が出ているようだ。寝るときは平気だったのになあ。不思議に思いつつも会社に休む旨電話を入れた。
 布団に横になって鬱々と考えてると、漠然とした兆候らしきものがあったのに気づいた。職場の新しい席は、空調の風がもろに当たるところにある。それで喉がいがらっぽいなあと思ってはいたのだ。また星を見ながら、なんとなくトリップしたような、何かずれたような感覚をおぼえてもいた。あれは要するに発熱していたのだろう。ビールのせいじゃなかったんだ。
 一度起きだし、日記を書いて遅い朝食を取ったほかは、ひたすら寝た一日だった。

2000年08月29日(火曜日)

引っ越し完了

17時41分 暮らし 天気:晴れだぜ、これは

 後回しにしていた職場マシン室のHPマシンをセッティングした。ホームページがある機械じゃないぞ、ヒューレット・パッカード社のUNIXワークステーションだ。
 最初、HPUXの自IPアドレスもSolarisと同じく/etc/hosts変更だけで良かろうと思っていたのだが、これではダメなようで起動時にNFS関係がエラーになる。というか起動シーケンスで延々と待ってしまう。なのでSAMから変更してやらなければならないようだ。他にも細々とした設定ファイルがあるのだろう。さらにゲートウェイを設定し直せば他のネットワークからでも見えるようになった。これで引っ越しは一段落だ。

2000年08月28日(月曜日)

職場の引越し

17時36分 暮らし 天気:なんだか晴れっぽい雰囲気

 朝一で居場所を移動した。既に荷物はまとめておいたので、それらを新しい場所の机に移動させるだけだ。荷物の移動は30分もかからなかった。ただしOAマシンのIPアドレスも新しいものを与えられたのだが、これはまだ社外のインターネットへと出て行けない。新たに申請しなおす必要がありそうだ。しかし実は旧IPアドレスでも使えるようなので、新IPアドレスでの申請が済むまでこっそり使う悪だくみな俺様なり。
 自席の移動はすぐ済んだが、新しいマシン室に移ったマシン群のセッティングが大変だった。なにせ、ケーブル類を全部接続しなおさなければならないのだから。まあ結構いいかげんにケーブルを選別し、それらをこれまた適当に接続してゆくと、さしたる問題もなく旧に復した。しかし一番大変そうなHPのUNIX機は後回しだ。これ、IPアドレスはどうやって変えるんだろう。

2000年08月27日(日曜日)

荷物いろいろ

17時34分 暮らし 天気:晴れかな

 実家から荷物がいろいろ届いた。実は昨夜のうちに運送屋がやってきていたのだが、その時刻にうたた寝していて気づかなかったようだ。
 再送を依頼し、今朝のうちに届いた。物は実家に死蔵されていた天体望遠鏡、そして様々な雑貨だ。この雑貨の多くが、実はかのオリジナル出前一丁だったりする。横浜ではなぜか見つからないので、わざわざ送ってくれたのだ。さっそく一つ作って食ったが、相変わらず出前一丁だった(なにがだ)。

2000年08月26日(土曜日)

戸塚で遊ぼう

19時30分 暮らし 天気:晴れだとされる

 昼前に目覚めた。昨夜は2:00には寝たので当然だ。フレッツアイを導入して以来、テレホーダイにまったく縛られることが無くなったので、大変健康的な生活を送れるようになった。実際、思いついたらアクセスできるという生活は、非常に便利だ。
 今日は戸塚の図書館に行こうと思った。戸塚は仕事帰りに便利なのだが、PC関係のショップが全くないのであまり利用してなかったのだ。
 戸塚までは通勤定期があるので、現金を使わなくてよい。そこからまずは戸塚小学校を目指した。その近くにうまいラーメン屋があるらしい。途中、駅前でフリーマーケットを冷やかしていった。Tシャツの安いのがたくさんあったので、いくつか買っておけばよかった。
 ラーメン屋は戸塚小学校の前、国道方面に抜ける道にあった。店に入り、チャーシューと餃子を頼んだ。出された水は当たり前の水のようだ。注文すると、まずは麺をゆで始めた。ここはラーメンとはいわず「支那そば」と称するようだ。中国の右翼につるし上げを食わないか心配だ。
 麺はタイマーを使ってきっちりゆでている。そのせいか、麺のゆで加減は結構なものだった。そこにしょうゆ味のスープを満たし、細切りの支那竹、柔らかめのチャーシュー、そして茎ワカメを添えている。上がったとき、店主が「言ってくださればネギ油を足しますから」といった。そういう目で見ると、スープには油っけがほとんどない。恐らく海鮮由来のうま味に味付けしたものと思われる。なんとなく、我が故郷のモリスと似ている。が、モリスがそれを塩味にして徹底徹尾あっさり味にしたのに対し、この店は強いしょうゆ味にしてさっぱりしているが濃厚な味付けにしている。これでももの足らない客がいることは、店主の言葉からもうかがえる。
 このクソ暑い最中にこってり味なぞごめんしたいので、この味付けは大変よろしい。一方、餃子はふつうの餃子だが、調理の間合いを見て支那そばと一緒に出るように調節してくれた。僕が出るのと入れ換わりに客が入ってきたが、それ以外に客は見かけなかった。時間もあるのだろう。繁盛して欲しい店である。
 店を出て駅方面にとって返し、程なく戸塚の図書館に着いた。ここは公民館などの機能を併せ持っているようで、図書館は1階を占有している。藤沢や泉区の図書館は数階にまたがっているので、ここは大した規模ではないのだろうかと思っていた。しかし1階と言ってもかなりの広面積で、内容的にも他に劣らない程度の充実ぶりだった。夏休みも終わりということで、宿題をやり残している学生が殺到しているのだろう、机は皆埋まっていた。あまつさえ、それらは朝一で抽選されたのだとか。交通の要所にある図書館ということでか、利用者は泉区のそれの倍以上はいるようだ。恐るべき混雑ぶりだった。
 ここでは増谷文雄の著作を探して歩いた。横浜市の図書検索によれば、この戸塚にも置いてあるはずなのだが、一向に見つからない。宗教関係のコーナーにも東洋哲学のコーナーにもない。貸出中かもしれない。それでヴィトゲンシュタイン(ウィトゲンシュタインと書くより物々しくて良い)の科学哲学考察を解説した「科学の誘惑に抗して」という本を読み始めたが、例によって難しくて数ページ読んではしばし考え込むという始末だった。まあ理解率35%程度かな。開館時間が迫ったので図書館を辞した。
 帰り道、駅前のミスドに寄ってPalm+PPKで日記をつけようかと思ったのだが、キャピキャピした学生が群れていたので2階は満席だろうと観念して帰宅した。

2000年08月25日(金曜日)

引っ越し準備

19時28分 暮らし 天気:晴れてるようですな

 いよいよこの土日に職場の機械類が引っ越してしまう。今までは直近2mにあって、大変い便利だったのだが、これからは1階と2階に離れ離れになってしまう。大変不便だ。「大ふへん者」と書いた幟でも背負っとこうかいな。
 移設後は、1階まで赴くのは面倒なので、きっと各種リモートアクセスでコントロールすることになるだろう。むむむ、である。
 機械が引っ越すついでに自席もちょいと移動するので、うずたかく積み上がった書類を鬼のように整理した。出てくる出てくる、やばい書類が(爆)。さっさと隠滅に励むのである。おかげで机上は、はあすっきり。

2000年08月24日(木曜日)

引越しですが

20時27分 暮らし 天気:これで晴れ......?

 職場の引越しがある。今、自分の机と、いつも使っているマシン群はほぼ隣り合わせで、メインテナンスが大層楽なのだが、これが別の階に離れ離れにされてしまうというのだ。まあリモートで入ればいいのではあるが。
 おかげで今日は移動する機械たちの整理に潰されてしまい、明日もそうなるだろう。移動後の来週も設定に追われるだろう。まあマシン室が事務室から遠く離れるので、居眠りしても気づかれないことだけが救いだが(って寝るなよ)。

2000年08月23日(水曜日)

星が見えないのだ

22時25分 暮らし 天気:くもりだなあ

 それにしても、今年の空はどうなってしまったのだろう。夏の後半というのに、空は毎日曇ってばかりだ。特に夜には雲がどこからともなく湧いてくる。大きな雲がないなと思っても、夜空を見ると霞がかかって青く光っている。いったい、七月の澄んだ空はどこに消えてしまったのだろう。
 週間天気予報を見ても、毎日必ず雲が登場しているではないか。ええいお天道め、なにゆえ身を隠す。そこまで拙僧を愚弄するか(いつ出家した)。星は見えんし湿気はあるしで、ワシャかなわんよ。

2000年08月22日(火曜日)

よく寝ました

17時19分 暮らし 天気:晴れてるといえなくもないが

 昨夜寝たのが1:00頃。起きたのは9:00頃だった。久しぶりに平日に十分な睡眠時間を取った。ってダメ社会人です。
 しかしこれほど寝てもまだ体のだるさは取れない。夏ばてだろうから当然だろうが、ある意味睡眠不足以上につらいのだ。毎日何リットルも汗かいてるからなあ。

2000年08月21日(月曜日)

よく寝ましょう

20時18分 暮らし 天気:くもっとるやんけ

 エアコンつけっぱなしの生活が悪いのか、くもり勝ちの天気が悪いのか、食生活が悪いのか、それともそれら全てが悪いのかどうか知れないのだが、くしゃみが出る出る。鼻に定期的に刺激物を吹き付けられるような感じで、突然鼻の奥がむずむずして、涙がぼろぼろ出るのだ。午後遅くになってようやく沈静化したが、ハウスダストのアレルギーなのかねえ。
 こういうときには良く寝るに限ると、明日はフレックスで遅く出社することにした。しかし晴れないねえ。

2000年08月20日(日曜日)

ちょっとお出かけ

17時14分 暮らし 天気:くもり気味

 真夜中、0:00頃にちょっと横になっていたら、気づくと朝になっていた(滅)。いかんいかん、ちょっとゲームして寝なおそうとDiablo2をやっていたら昼を過ぎていた(続滅)。さらに出かけようかと思いつつ横になっていたら2時間ほど意識がワープしていた(完滅)。ダメじゃん。
 それでも16:00頃には湘南台方面に出かけた。この時刻ではもう図書館は閉館間近なので、駅前のKFCで鶏をむさぼり喰らいながら、Palm+PPKでもって日記を書いた。最近痛感するのだが、いかに入力がPPKで改善され様と、Palm側のエディタに4KB制限が付きまとっていては快適な入力は出来ない。本来そういう機械ではないので仕方ないのだが、やはりPalmのエディタは手薄だと思った。足らないものは自分で作れという格言はあるのだが、うーむ。
 その後は本屋で本を買い、ウェーブ・アイを冷やかして帰宅した。

2000年08月19日(土曜日)

睡眠時間ボロボロ

19時09分 暮らし 天気:くもりですな、こりゃ

 前日、なんとなく寝入ったのが23:00過ぎだったか。なんとなく朝早くに目覚め、呆然と一日を過ごした。今日は外出しないつもりだ。しかし夕方になって食料が尽きていることにはたと気づき、ビルマから敗走する牟田口将軍なみの慌てぶりで買い物に出かけた。

2000年08月18日(金曜日)

休みたいのに休めない

18時07分 暮らし 天気:曇ってますぜ

 昨夜、何度もうたた寝して朝まで不規則に睡眠し、さらにはエアコンをうっかり最強にしていたせいか、朝にはすっかり半病人となっていた。休みたい! しかし休めない。この俺様でさえ休めない仕事があるのである。
 このところ、毎日一つは「休めない仕事」があるので困り者である。これでは「あ、今日は休もう」などと気楽にずる休み出来ないではないか。世の中何かが間違ってると思うわけである(間違ってるのはお前だ)。
 幸い、体調の方は昼には解消していたが、午前中は不快感が最強に強まって((C)スタパ斉藤)いて大変だった。気楽な生活をしたいものである。

2000年08月15日(火曜日)

横浜に帰る

22時03分 暮らし 天気:晴れ(移動後)くもりのち雨

 55回目の終戦記念日だ。明後日から仕事で、明日帰宅は辛いので、今日帰ることにした。
 朝早く(といっても9:00くらい)に目覚め、帰宅のために荷物の準備をしていると、昨日の墓参りに来れなかった次兄が子供連れでやってきた。来たのは一瞬で、すぐに墓参りに出かけてしまった。嵐のようなものだ。
 これで終わりかと思ったら、荷造りして出かけようかと思っていた矢先に戻ってきた。早い早い、1時間半も経ってないぞ。ちょうど出かけるところだったので、兄の車で駅まで送ってもらった。姪っ子たちはどちらもかなり大きくなっていて、上の方は特に人懐っこい。下の子は見たところ引っ込み思案のようだ。まだ小さいせいもあるのだが。上の子は来年小学校だとか。あっという間に大きくなるもんだな。
 帰りの新幹線は自由席だったが、思ったよりすいていて楽勝で座れた。ピークは明日になるだろうとのことだが、今日この程度なら明日のピークもたいしたことはなかろう。
 重い荷物を抱えて横浜に着くと、なにやら雲行きが怪しい。新幹線で静岡を過ぎる頃から空がドヨドヨと曇り始めたのだが、横浜では遂に雨にあった。が、はずれの我が泉区ではなんとか持ちこたえ、濡れずに帰宅できた。助かった。
 帰宅して早速Diablo2をしながら夜空を見上げていたが、遂に晴れることはなかった。

2000年08月14日(月曜日)

墓参

19時02分 暮らし 天気:晴れ

 ここ2、3日は前日中に寝て午前早くに目覚める健康的なパターンだ。日ごろの睡眠不足を取り戻す勢いである。
 今日は呉の奥地のほうにある実家の墓参りに出かけた。墓地は風光明媚な所にあって、頭上を通り過ぎてゆく雲と光が大変美しい。よっぽど儲かっているのだろう、別の山腹も切り開いて新しい墓地が作られていた。
 帰りに中通りに寄ったが、モリスは13:00まだというのにもう閉店! 張り紙も何にもなく、ただ閉店とあるだけだが、きっと盆休みに入ったのだろう。いくら店仕舞いが早いといってもまさかこの時間には閉めまい。
 それから16:00くらいまでは図書館で本を読み漁り、帰宅した。
 帰っても特にやることがないので、帰省中に読むつもりだった科哲関係の本を読み、それから実家の本棚を漁った。するとブルーバックに天文観測の本があるのに気づいた。20年位前の本で、恐らくは僕が実家にいた頃に買ったのだろう。内容的には今でも通用するのには驚かされる。この世界が20年もあまり変わり映えしないことの証明になっているようだ。トピックスといえばCCDとか自動導入とか位で、その間に学術系の大きな進歩に取り残された格好になっている。僕のようなのんびり屋にはかえってありがたいことではあるけれど。

2000年08月13日(日曜日)

また街に出る

17時57分 暮らし

 前日は出た時間があまりに遅すぎたので、今日は早々と11:00前に街に出かけた。いつもの中華そば屋モリスはちゃんと営業していた。昼前だったが、店内はすでに満杯。出入り口付近に席を見つけて大盛りを注文した。しかしこの頃から出入り口あたりには待ち行列ができ始め、僕は背後に無言のプレッシャーを感じながら中華そばをすすり込む破目になったのだった。しかし相変わらずの味でうまかった。
 店を出て、図書館に向かった。あまりの暑さに外を出歩く気にはなれない。呉の中央図書館は、さすがに海軍の町にあるだけに艦船、海事関係の図書が一つのコーナーを成している。面白そうな本を拾っているうちに時間が過ぎていった。夕方にまた繁華街に戻り、フライケーキという揚げパンの一種のようなお菓子を買って帰った。あんこを小麦粉の皮で包み、それを油で揚げただけのものなのだが、これがうまい。特に揚げたてを冷たいお茶で食すと絶品だ。油っこいお菓子なのだが、いい油を使っているのかそういうしつこさは無い。あっという間に四つ、五つ食ってしまうくらいうまい。見ていると、一人で20個ぐらい買って帰る人が多いようだ。恐るべし。

2000年08月12日(土曜日)

街に出た

20時54分 暮らし 天気:雲が多めだったけど晴れ

 帰郷2日目。昼まで寝ていたら、母がたこ焼きを買ってきてくれた。15個入りで300円。しかも中にスの無いおいしいたこ焼きで、首都圏で売ってるあのまずいたこ焼きは何なのだという気になってくる。
 夕方近くにE950を抱えて街に出た。が、昨夜から奇妙な微頭痛(としか言いようが無い)が続いていて、いまいちこれを撮りたいという気力が湧かない。この暑さも拍車をかけている。
 いつものモリスに寄ったが、16:00だというのにもう終わっていた。早すぎ。
 結局、本屋によって帰宅した。
 夜、兄が月を見るというので持ちかえった双眼鏡を貸した。僕も月をテレスコマイクロで少し眺めて寝た。ずっと寝てばかりの日だったな。

2000年08月11日(金曜日)

帰省する

23時55分 暮らし 天気:晴れ(雲量多し)

 昼近くまでだらだらと寝て、出かける身支度をはじめた。1年ぶりに帰省するつもりだ。生ごみは片付けて、洗濯物は洗って干しておいた。
 出かけたのは3時過ぎだった。今回、MIZAR20*80と三脚を抱えて帰ったので、リュックに加えてなんともかさばるいでたちであった。さほど重くないのが救いだ。
 地下鉄、東海道線では乗客が少なく、あるいは帰省ピークは午前中だけだったのかもと思ってもみたのだが、なにがなにが、新幹線ホームで目にしたのは乗車を待つ客たちの長蛇の列だった。これは座れまいと覚悟した。しかし今日は秘密兵器がある。リュックに折りたたみいすを括り付けてきたのだ。もしものときは、これでデッキに座り込んでしまおうというわけだ。しかし幸いにして、なんとか座席を確保できた。
 それからの5時間半、狭い座席に文字通りすし詰めであった。やがて通路にも乗客が詰め込まれてしまったため、トイレに立つのもままならない。しかしなんとか耐えきって広島に至った。
 呉線で暮れに戻ったのは23:00過ぎ。疲れたので風呂に入り、食事をとり、早々に寝た。

2000年08月09日(水曜日)

嵐来る

19時49分 暮らし 天気:晴のち嵐になりました

 今日で仕事も一区切りがつき、明日からは盆休みだ。久しぶりに帰省しようと思う。故郷でやる花火大会も見たいし。そんな風に思いながら会社を退けると、おや雲行きが怪しいぞ? どうも風が湿っぽい。雨になりそうな気がしたので、本屋に寄ってさっさと帰った。
 帰宅して夕食を作っていると、やはり雨が降り始めた。それもかなりの勢いだ。まあ夕立ちの一種なのだろうが、それにしても勢いがある。そしてやがて雷鳴が轟き始めた。風もでてきて、まさに嵐だ。
 雷の好きな僕は、窓を細く開けて段々激しくなる雷鳴に耳を傾けていた。なんだかわくわくしてくるのだ。地震雷火事親父というが、僕には雷は恐怖の対象ではない。本当に開けた場所で遭遇したことがないせいだろうか。いや、確か釣りをしてて落雷を目撃したこともある。きっと、あまりにも危険が実感できないので、なかなか現実的な恐怖というものを実感できないのだろう。あまりにも日常とかけ離れた体験だ。にも関わらず日常的に発生する事象でもあるのが雷の面白いところだ。そういう意味では地震もそうなのだが、こちらはあの振動だけでも危険を実感できるのが違うところだ。日常的に電気を扱っている人の感想は、また違うのかもしれない。

2000年08月07日(月曜日)

一天にわかに掻き曇り

23時55分 暮らし 天気:晴れ時々雨 BGM:Thunder Storm/高中正義

 夕方、徐々に空が曇り始めた。あれ、久しぶりに雲行きが怪しいなと思っていたら、20:00くらいから遠雷がとどろき始め、やがて空に閃光が走り始めた。雨も降ったかもしれない。が、僕はその頃には寝ていたので良く分からん(爆)。
 真夜中に起きだして空を見上げると、とっくの昔に晴れ渡り、木星がまぶしいくらい光っていた。通り雨だったようだ。

2000年08月05日(土曜日)

寝る、寝る、ひたすら寝る

19時42分 暮らし 天気:晴れ

 平素の睡眠不足の反動か、とにかく寝て、寝て、寝まくった一日だった。寝たのが明け方だったという理由もあるが(ダメじゃん)、夕方までとにかく寝た。実は昼頃に起き出して出かけようかと一瞬思ったのだが、どうせ間もなく盆休みなので(またこういう理由か)、今週末は睡眠不足解消に注ぎ込んだのであった。
 起き出すとひたすらDiablo2であります。Sorceresを育成し始めた。多少なりともコツを飲み込めたのか、最初のPaladinほどには死ぬこともなく、さほど苦労なく育てている。要するに「必殺技をつかめ」がDiablo2のテーマなのだが(本当かよ)。

2000年08月04日(金曜日)

アンデスで蝶が羽ばたくとカリブ海で嵐が起きます(ほんとかいな)

10時39分 暮らし 天気:晴れ

 朝、いつもの時間に地下鉄に乗り込んだ。8:00前のこの便は、通常なら席が全部埋まって余る程度の乗客数なのだが、今朝に限って通常の倍、ほとんど立錐の余地もないくらいの乗客で埋まっていた。なにがあったのだ、と思っていた。
 会社に着くと、「東海道線が止まっているので遅れる」云々という連絡が続々と入ってきた。なるほど、それで迂回路としてこっちを使った人が多かったのか。しかし地下鉄の湘南台駅とJRの接続は、戸塚をのぞけば小田急経由になるのでさほど連絡が良いともいえないのだ。僕ならあきらめて「おくれちゃいまーす」と気楽に連絡を入れるだろう。恐るべし、日本のサラリィマン。

2000年08月01日(火曜日)

8月だ

10時32分 暮らし 天気:晴れ

 今日から8月。July Morningはあまり聴かなかったな。
 夏本番という感じで、蝉の声が鬱陶しく響き始めた。なにも夏場にこんな暑苦しい生き物をのさばらせなくても良いのに。造化の神め、なにを考えているのだ。ミンミンゼミの声が聴こえるだけで、気温が2度は上昇する感じである。