Strange Days

2004年07月25日(日曜日)

山歩きでヒィヒィ言わされました

21時09分 山歩き 天気:山の天気は良く分からない

 さて、今日はみはる女史に誘われていた、奥多摩方面山歩きの決行日である。前日、本件に関して飛び交っていたメールを見ながら、まあだいたいこんなものが要るんじゃないかいというものを、ドイターのバックパックに入れておいた。持っていくものを考えると、20l程度のバックパックや、それこそヒップバッグでも十分そうだったが、D70を持っていきたかったので、30l弱のこれをセレクトした。しかしこのバックパック、自転車用で、空気流路確保の仕掛けがあるためか、かなりごつくて重いのだ。まあ何とかなるよといい加減に考えつつ、それを背負って家を出た。
 今日の身支度は、上はユニクロのクールマックス長袖Tシャツ&フルジップTシャツ、下はCWX夏用に短パン。コンビニで食料、水を仕入れてから、地下鉄で戸塚に向かった。そして湘南ライナーで新宿に向かった。ここでホリデー急行奥多摩に乗り換える。車内で出発を待っていると、出発ぎりぎりに間に合ったマモル氏に声を掛けられた。
 列車は中央線を走り、青梅線に入り、奥多摩へと向かう。途中でみはる女史と合流し、こぐ氏とは現地の御嶽駅で合流した。あれ、にち氏は、というと、体調不良で欠席だった。
 駅舎で身支度を済ませ、本日のコースへと歩き出した。惣岳山、岩茸石山と回り、軍畑駅に戻るコースだ。いきなり、かなりの急傾斜を登ることになる。背負った荷物がずっしりと肩にのしかかってくる。この点、みはる女史には重過ぎると責められたのだが、余計な荷物を持ってきた記憶は無い。着替えは結果的には余計だったが、重量的には大したものではない。水とカメラ、そしてバックパックが効いている。カメラか、やはりカメラか。D70なんて持ってくるんじゃなかった。でも富士登山では絶対にこれを持って行くつもりなので、予行演習としてはこの重量の方が正しいのだ。富士登山では、かなりの重量を背負ってゆくことになるだろう。しかし、バックパックに関しては、もっと軽いのが欲しいと思った。今日の山歩きは、富士登山の予行演習か、単なる山歩きか、僕の中でいささか曖昧な位置づけだった。
 最初の惣岳山までが、かなりの登りだった。最初のうちは元気良く進むみはる女史らのペースに着いていたのだが、これではすぐに脚が売り切れると思ったので、途中から完全にマイペースで歩かせてもらうことに(自分で勝手に)した。歩きのピッチを詰めて、一歩当たりの垂直移動を最少に抑えた。あはは、いきなりこんな状況かよ。
 なんとか歩き続け、ついに惣岳山に到達した。万歳したい気分だ。脚はまだまだ大丈夫。だがまだ二山越えるんだとか。
 最初の山頂まで、人と行き会うことも、追い越されることも、ほとんど無かったのだが、山頂には何組かの先客がいた。ベンチに腰掛け、持ってきた食料をもそもそと詰め込んだ。水の消費量はかなり多い。700ml弱のボトル+900mlのボトルで1.5l以上持っていたのだが、ここまででボトルをかなり使い切っていた。自転車の場合、道路沿いに遠出する場合などは、思い立って10分も走ればだいたい自動販売機にありつく。30分ごとにコンビニにありつくという計算も、法外なものではない。しかし、この山中では、そういった補給ポイントをまったく見込めない。気になるのが、先ほどから聞こえ始めていた雷鳴だ。遠くの方で鳴っているようだが、いつ我々の頭上に来ないとも限らない。
 ある程度の休憩の後、惣岳山を下り始めた。この下りが、いきなり凄い急傾斜で、万が一落ちたら大怪我必至という観があった。こんな低山と舐めないで、軽いヘルメットくらいなら被るべきかもしれないと思った。
 二つ目の山までは、それほど苦労することなく到達できた。ここは団体客で充満している塩梅だった。ストレッチして筋肉を解きほぐす。ふくらはぎに強い張りを感じていた。自転車だと、ここを酷使することは無い。ペダリングスキルが全く無い頃、無駄にアンクリングして引きつらせた時くらいだろうか。
 いささかゆっくり過ぎるくらいのペースで、三つ目の山頂へと向かった。走破するのに不安は無いが、どれくらい疲労が残ることやら。普段の運動とは違う筋肉を酷使しているのだな。
 三つ目の山頂も難なく登頂。とはいえ、さあ後一回り行こうぜ、などと言われたら泣いちゃいそう。とりあえず、これでお終いかとホッとしつつ、山頂で体を休めた。この先は下りなので、あっという間に軍畑駅に到着するだろうと考えていた。が、そんな山を舐め切った俺様を、山の神様は見逃したりはしなかった。
 下ってゆく。かなりの急傾斜を下ると、すぐに寺があった。ここでトイレを使い、山門を抜けた。『ビール、ジュースあります』の張り紙にそそられたが、それは我慢だ。後少しで下界だ、と思っていた。事実、この寺の裏側までは、どうやらバスが通っているらしい。
 更に下ってゆく。寺に近いあたりは、比較的平坦な道だった。いかにも『すぐ人家があるよ~』と気安げに話しかけられているようだ。が、進むに連れて、道は再び荒れてゆく。ガレ場が増え、傾斜も増えてきた。雷鳴はほとんど頭上に来たようで、ほどなくパラパラと降り始めた。幸いにして、雨はすぐにやんでくれたのだが。
 登りでそれなりに消耗した体だったが、下りで余計に消耗し始めていた。段差が大きく、一つ下るごとに、脚全体に衝撃が走る。『膝を軽く曲げて、衝撃を吸収する』というみはる女史の教えを忠実に守っていたのだが、それでも次第にダメージは蓄積されていった。
 ああ、この山道はどこまで続くのだ、などとうんざりし始めた頃、やっと終端を意味するらしい砂防ダムが見え、やがて舗装路に出た。そう舗装路に。だが特殊加工をしたような、物凄い傾斜の舗装路だ。ますますダメージは増大する。というか、もしかしたらトドメ?
 この舗装路の下りが、想像以上に長かった。荷物が重いと、こういう状況でも不利なんだな。その上、自販機の類がまったく見当たらないのだ。水の残りが少ないので、少々心もとない。
 結局、水にありついたのは、軍畑駅の近くまで降りて、自販機を見つけてからのことだった。
 帰路は軍畑駅から青梅で中央線快速に乗り換えて東京へ、そこから東海道線で戸塚というルートを通った。かなり眠れたので、結果的には良かったのだろう。
 帰宅して、風呂に入り、ビールを開ける。うむ、うまい。が、帰るまでに水を多量に摂取した後だったので、感動するほどではなかった。むしろ、体に残る辛さが目立った。
 今回の山歩きでの反省点は数多い。荷物はやはり軽くするべきだとは思った。が、富士登山の予行演習としてみると、やはりこれでよかったのだとも思った。富士では今回ほどの急傾斜は少ないが、それなりの荷物を背負ってゆく必要がありそうだ。補給ポイントはいくつかあるので、水に関しては減らしていいかもしれない。しかし、荷物を背負って、疲労なく歩くスキルは必要かもな。それと、やはりシューズは買おうと思った。今のシューズは、街中で使うのには問題無いのだが、山歩きには微妙にサイズが合ってないと思った。軽登山用のを買っておいてもいいかなと思った。というのは、今後もこういう山歩きを続けてもいいかなと思ったからだ。そういう意味では、やはり山歩き専用の軽いザックも欲しくなった。
 とりあえず、8月は富士登山に集中して、それから秋には何度か山歩きしようと思った。月一くらいでな。