Strange Days

2001年03月29日(木曜日)

霊魂は実在するか?

21時15分 思考

 「霊魂は実在するか?」などというスレッドが、2chのオカルト板に立っている。まあタイトルはいかにも2ch的だが。少々関与してみたが、心霊現象の実在性に関して大きな温度差があることを改めて思い知らされた。
 ある人が「理屈がわからなければ鳥は飛んでいることにならないのか」、だから理屈はわからなくても霊魂は実在するのだ、といういかにも無理な主張をしていた。この無理さは、「飛ぶ鳥」と「霊魂」の認知度の違いに由来するといってよいだろう。つまり「飛ぶ鳥」の存在はよほどのこと(異様に偏屈な哲学者だとか視覚障害の人だとか)がない限り万人にとって自明だ。しかし霊魂はそうではない。少なくとも、僕はそれを観測した記憶がない。また少なくとも僕にとっては自明の存在でもない。さらにいえば、世の中の非常に広い範囲で自明でないことも明らかだろう。未だかつて、霊魂に対する補償などといったものが真剣に取り上げられたことはない。社会制度そのものが「死後も存続する実体」などといったものを想定してないことは明らかだ。まあ靖国神社問題とかを考えると、完璧にそうとも言い切れない面はあるが。
 もしも「飛ぶ鳥」の存在と同じく、「霊魂」を『ほら、あれだよ』といって指示し、それが誰の目にも見えるものであるのなら、霊魂の実在が疑われることなどほとんどなかったろう。少なくとも、そのように見えるものの存在は。しかし「ある」と主張する人たちは、「飛ぶ鳥を示す」のと同じようには霊魂を示せない。それを霊視能力だの波長だの波動だのといった、いかにも科学的に見せかけた言葉で説明しようとしている。しかしそもそも実在が自明でない以上、いかなる形でも検証は不可能だ。そういう意味で、「霊魂の実在」は科学的手法により処理できる対象ではない。実際、超心理学の人々も、もっぱら事例を収集して実在性を明白にすることに注力している段階だ。
 こうして考察してゆくと、そもそも科学的手法というものは、人間の経験世界に強く依存していることが分かる。つまり万人にとって自明である存在でない限り、それを科学の俎上に載せるのは難しいのだ。では量子力学はどうなのだとかいった問題はあるが、これは科学者集団そのものを社会が信用し、その内部的な結論をそのまま社会が受け容れた結果であると思う。科学者集団は、少なくとも霊媒師集団よりは信頼されているわけだ。しかし、ある集団を信頼して、その結論をそのまま鵜呑みにするという図式は実用的ではあるが、かつての宗教的権威と社会の関係を思い起こさせなくもない。少なくとも、「誰にでも検証可能」という科学的手法の原理は、巨大科学での予算問題、あるいはある実験を行い解釈するための膨大な予備知識の必要性などの点から、すでに大きく崩れている気がするのだが、どうだろう(ナニがどうなのだ)。

2001年03月07日(水曜日)

1/1さくらちゃん

22時30分 思考 天気:くもり?

 以前、1/1綾波が話題になったが(どこでだ)、最近は1/1さくらとか(どのさくらだ)1/1さくらとか(どのさくらだって)1/1さくらとか(だからどのさくらだ)が商品化されてるそうな。さらには、ダッチワイフのメーカーがアニメっぽい顔の人形も売り出している。しかし機能は制限されている(ええっと、つまりアソコは塞がれてる)そうな。これが凶悪に可愛い。世のをたくたちは、コンバインに刈られる麦穂のようにばたばたと転んでいるそうな。
 前者、1/1さくらの造型は、どうもいまいちな気がする。そういう風評はあるようで、しかも高価(約30万円)なので、さらに不満を持つ人が居るようだ。
 後者のオリジナルキャラの場合、さすが実用(なんのだ)フィギュアを作りつづけてきたメーカーだけに、造型にほとんど不満は聞かれない。価格も安くて、しかも元の用途が用途だけに関節が可動であるなど、実用可能性も高い(なにがだ)。
 そこで後者のボディに、さくらのヘッドをフルスクラッチして載せてしまう人が出るのも、これはもう時間の問題と見た。夏のワンフェスが見ものだ(いや行きませんけど)。
 1/1なんていろいろ大変そうだなと思ったのだが、考えてみれば有利な点もある。たしかに大きいので飾っておくスペースは大変だろう。しかし、なにせ1/1だ。着物が既製品で間に合うのだ。これが小さなお人形サイズだと、着物をいちいち作成しなければならない。これら等身大フィギュアのサイズは子供服のサイズなので、可愛い既製品を選んで等身大着せ替え人形を楽しめるという寸法だ。体力要りそう。
 しかしだぜ、これらのお人形が狙う市場はニッチではあるが、確実に金を注ぎ込むカモを期待できる市場でもあるわけだ。広く普及するとは思えないが、一攫千金を狙うなら悪くないかも。
 話をダッチワイフ(女性向にはダッチハズバンドとでもいうのか?)という次元に広げると、これはもう巨大市場が待ち受けているのは確実だと思う。というのは、今後老人人口が増え、老人の性という問題がクローズアップされてくると、その対策の一つとして高性能ダッチワイフが求められるのは確実だからだ。ありていに言って、僕らが60、70になった時、同年代の婆さんに欲求を感じるだろうか? ちょっと考えられないのだ。きっとその年になっても、20、30の孫みたいな女の子の方に魅力を感じるだろう。また独身だったり離婚してたりして頼れる身寄りの少ない人が増えつづけていることを考えると、その物心両面のケアとして高性能アンドロイドの類が登場するのも、恐らくほんの数世代先の話に過ぎないだろう。そしてその中に性欲処理が含まれるのも必然だと思う。それに老人たちは、今や国家保障が頼りにならないので、箪笥に金を溜め込んで、そのまま墓場まで持っていてしまうことが多いのだ。じいちゃんばあちゃんが孫に甘いことを思えば、確実に金を取れるはずだ。さらに目を上げれば、それらの機械どもは、孤独な人々の心の拠り所にもなるだろう。
 今でも物言わぬお人形さんたちに、心を癒されている人々はいる。それらの人々のウェブページを見ると、確かにやや痛いのだが、同時に否定しても否定しきれない共感のようなものが残るのも事実だ。たぶん、彼らはほんのちょっと先を行き過ぎているだけなのだろう。ホンの半世紀前までは、映画や文学に夢中になる人々は、その世代の一般人からすれば「痛い人間」だったに違いないのだから。
 話をダッチワイフに戻すと(戻ってるのか?)、こんな凄まじいものもある。ここまで来ると、攻核機動隊に出てきた『フェラーリより高価なお姉ちゃん』の登場も夢では無さそうだ。そしてそれが登場するのは、技術力も金も市場もある日本である可能性が高いと思うのだ。今から貯金するかなあ(要するにカモかお前はっ)。

2001年03月01日(木曜日)

怖い話対策

23時17分 思考 天気:雨っ

 2chのオカルト板を見ていたら、"洒落にならないくらい怖い話"というスレッドが立っていた。これがまた、確かに洒落にならないくらい怖い。例えば、『一軒家を買ったところ、どう考えてももう一部屋ありそうに思えた。その辺りを探ると、板を打ち付けて閉鎖した扉が見つかった。開けてみると、あたかもたった今まで誰かが生活していたとでも言うような茶の間が現れた』なんて話。昼に読むとどうということは無いのだが、夜中にふと思い出すとぞくぞくしてくる。そこはかとない、微妙な不条理感が、底なしの妄想を誘うのである。また別のスレッドで、稲川淳二の『生き人形』のほぼフルバージョンも読めた。これが本当に洒落にならないくらい怖い話だ。泣きたくなりながら読んでしまう俺様! 悲しい性である。業やれ業やれ。
 しかしまあ、真夜中に生き人形を思い出した日にゃ、眠れなくなること請け合いだ。なんかの拍子で、まあ酔っ払いが階段を蹴飛ばしたとかでビックリさせられた日にゃ、即身成仏すること請け合いである。命に関わるのである。こんな情けない理由で死にたくは無いのである。
 そこで怖い話対策である。
 まず、深夜には怖い話を読まない! まだ隣家や近所に人の気配が充満しているうちに読むのがベターである。ふとした物音が心を勇気付けてくれるのである。しかし、真夜中に話し声が聞こえたら、こりゃまた逆効果であろう。
 怖くなったらどうするか。最近は『スッタニパータ』を読む。紀元前のインド、悪霊や呪いが充満していたインド亜大陸で、それらを見事に切って捨てた思想家仏陀の声は勇気付けられる。霊魂不在を確信すればお化けなんか怖くないのである......というわけにはいかないのである(T-T) やはり怖いものは怖い。
 もう一つはニュースを見ること。血なまぐさい現実世界の出来事を追ってゆくと、たとえ悪霊が実在するとしても、その害は現実世界の悪に較べれば微々たるものだと思う。これでやっとお化けの恐怖から解放されるのである。しかし、明日の日本はどうなるのか、世界は、地球は、などと考え始めると、これまた別種の恐怖に眠れなくなってくる。毒をもって毒を制するとしばしば新しい毒にやられるのである。これでいいのかっ!