Strange Days

2001年08月27日(月曜日)

横浜そごうのサイクルコーナー

23時45分 自転車

 午後、新川崎に出張して、そのまま直帰することにした。往路、横浜駅で物凄い混雑に巻き込まれた。なんでも、集中豪雨のために下り線が徐行しているんだとか。その帰路、横浜そごうに寄って、スポーツ用品売り場をうろついてみた。案内板を見ると、一応サイクルコーナーもあるようだ。そこは面積こそ狭いが、案外に多くの車両やパーツが置かれている。値段はどうかな。
 ロードバイクとしてはTrekの2000年モデルなんかが置いてあった。置いてある車両の大半はMTBだ。意外に、フォールディングバイクは一台も無い。
 パーツ類も豊富なので、他の店で見つからなかったらここで探すのも良いかも。

2001年08月26日(日曜日)

町田に行く

20時40分 自転車 天気:晴れ

 このところ、週末は充実してるんだかしてないんだか、よく分からない状態だ。心身の疲労という点では充実してるんだろう。が、やったことといえば、闇雲に走り回ったというだけ。昨日の東京ポタなんてその際たるものだ(東京駅から上野なんて、JRであっという間だ)。しかしまあ、日々新しい発見がある。凄く些細なものばかりだけど。
 今日もスペシャライズドのMTB(最廉価グレードのハードロック)で町田へとでかけた。本当の目的は相模サイクルセンターにあったのだが。
 ハードロック号には以前からフロントバッグを取り付けてあったのだが、取り付け角調節のために取り付け部を加工したところ、この間の鎌倉行で下を向いてしまった。ピアノ線で釣ったのだが、うまくなかったようだ。今度は園芸用のつまみ付き縒り線ワイヤをボルトにはさむ形で固定した。ちょっと下がり気味にはなるが、テンションがかかっていい感じ。またMTBなので2.5気圧くらい入れていたタイヤも、ほとんどオンロードばかりなので3.5気圧まで上げてみた。走りが軽くなった気がする。が、乗り味はかなりゴツゴツするようになった。
 MTBを境川まで走らせ、境川サイクリングロードを北上してゆく。前は休み休みだったけど、今日は25km/h前後を維持したまま、一気に突っ走った。なんだか、徐々に自転車足になってきた感じ。坂道もかなり平気だ。
 途中、相模サイクルセンタへの分岐に差し掛かったが、後で寄ろうと思ってそのまま通過した。そもそも、寄ろうと思ったのはハートレートモニタ(リスト式の奴)を買うつもりだったのだが。これっきり忘れてしまい、帰路にも寄ることは無かった。
 町田までは1時間強程度。信号待ちでボトルを取る程度だったのだが、喉はそんなに渇いてない。自転車喉になってきたようだ(なにそれ)。
 町田の市街地は、小田急の線路を挟んで向こう側にあるから、なんとかして線路を越えなければならない。その踏切を探して、しばしうろうろする。最終的には、陸橋で超えることが出来たのだが。その途中で、自転車屋を発見。雰囲気的にスポーツ車を主に扱っていそうな店だった。しかし、店の前に常連と思しき人々がたむろしていたので、今日は通過する。
 町田駅周辺に出て、ハンズに入ってみた。以前、近所の古淵に住んでいたのだが、その当時はここに来たことがあったろうか。
 2Fをうろつく。自転車コーナーは横浜の1/4くらいしかない。店員が一人、Bromptonを一生懸命に調整していた。側に待ち受け顔で立っている男性が買ったようだ。
 近くのドトールでアイスコーヒーを買い、しばし休息を取った。
 ハンズのはす向かいに、5階建ての巨大100円ショップがある。100円ショップというと、戸塚の駅前にあるかわいい奴くらいしか知らなかったから、このでかさにはたまげた。というか、100円の商品ばかりをよくも集めたものだ。気が付いたらチャック式ビニール袋を三つばかり買っていた。なんに使うのだ?
 ダイソー(今店名を思い出した)を出て、再び境川サイクリングロードを南下し、長後街道へと戻った。ここで帰宅しようか、それとも戸塚に行こうかと迷う。戸塚にあるスポーツショップでアウトドア関係の品を見てみようかと思ったのだが、結構疲れてもいた。そういえば、VAAM切らしてるんだよな。しかし、結局は戸塚までさらに走ることにした。
 戸塚に行く道すがら、ミネラルウォーターのペットボトルを売っている自販機は無いものかと探した。が、小さなボトルしか売ってないみたい。結局、途中のコンビニで買った。
 西友の隣にあるスポーツ用品店で、アウトドア用の携帯ストーブなんかを眺める。ちょっと野外でのささやかなお料理なんぞに憧れ中だ。トランギアのアルコールランプが、携帯に凄く良さそうだけど、置いてない。LPガスベースの奴も思ったより軽い。けどかさばりそう。
 帰路、ユニクロに寄り、買う気は無かったけどTシャツなんぞを買ってしまった。
 疲れた体を引きずり、帰宅。

2001年08月25日(土曜日)

東京ポタ

20時39分 自転車 天気:晴れっ!

 前日思いついた、東京ポタリングを決行してみたことよ。
 久しぶりに秋葉原に行ってこようかと考えていたら、東京駅から自転車で行けば面白そうだと思うようになった。基本的に歩いて行ける距離だから、きっとあっと言う間だろう。その後は上野方面に足を伸ばし、更には新宿に向かって、皇居を一周して東京に戻る。そういう遠大な構想を立ててはみたのだが......。
 昼前に腹ごしらえして、BD-1で戸塚まで走った。交番横の駅入り口でBD-1を折り畳み、ホームまで持って上がる。改札口が地下か2Fかというのはちょっと辛くないか。しかし、BD-1を折り畳んで、ホイールを尻に載せる感じで運べば、意外に楽だと気づいた。
 東海道線の列車では、大荷物(BD-1)を抱えているので、わざわざ先頭車両に乗ったのだが、東海道線の旧型車両は最前部にも座席があるのだった。空いていたので出入り口脇のベンチにもたれかけさせるようにして置いたが、混雑しているときには要注意だ。
 東京駅に着き、北口(というのか北東にある口)の前でBD-1を組み立てる。いや、折り畳んでいたんだから"展開する"のが正しいのか。まあ、概ね北東に走れば秋葉だろう、などと楽観的に走り出した。
 東京はビルの林だった(当たり前だ)。そこら中にビルが立ち並んでいる。その中を走るのは、いつものサイクリングとはちょっと趣が違う。概ね歩道を走って行けたが、車道に降りなければならないこともしばしばだった。また、意外なことに歩道への上がり口の段差が、田舎の広島に較べても高いのだ。小径車のBD-1では、ちょいとリム打ちが心配になる。特に今はPanaracerの18インチ(Max40PSI)なので、ちょいと低圧気味なのだ。
 すぐ着けるだろうと思いつつ走っていたが、あれれ、前方に堀が見えてきたぞ。皇居に出てしまいました(爆)。なんというか、東京の道は迷路だな。
 ロカティオとにらめっこして、再び走り出した。首都高沿いに走った方が良さそうだ。この作戦は当たり、やがて神田駅が見えてきた。神田を通過し、さらに走ると、見慣れた秋葉原の通りに出た。ここで昭和通口の東海銀行により、ちょいと金を下ろしておく。秋葉に寄ったのには、VJE-デルタの最新バージョンを入手するという目的があったのだ。自転車だとやっぱり速い、スターベースを冷やかし、あっと言う間に中央通に出た。しかしこの辺で人込みに巻き込まれる。自転車だとやっぱり遅い。
 T-Zone本店に着き、ガードレールにBD-1を磔の刑に処し、上階に上がる。が、VJEが見つからない。というか、日本語入力(IM)そのものが売ってない。ATOKはあるが、これはJustsystemのコーナーにあるだけなのである。どうやら日本では、IMの市場そのものが消滅してしまったらしい。IMといえばInstant Messangerだもんな。許すまじMS-IME。さらに九十九本店を襲うも、やはりIMそのものを売ってない。なんてこった。
 気落ちしつつも、さらに北上する。次は上野を襲うつもりだ。って、なにかい、僕は官軍かい。
 上野は広い公園という感じで、緑に囲まれた施設が点在している。しかしその向こうを見ると、高いビルの列が走っている。なんとも不思議な眺めだ。公園内の道をゆっくり走る。気持ちいい。
 この辺で16:00を過ぎてしまう。うむ、これでは新宿行きなんて無理だ。せめて不忍の池を、と思い、BD-1を適当に走らせた。
 不忍の池には、家族連れなんぞが群れていた。しばし水辺で和む。何か水鳥が、のんびり翼を休めていた。
 帰路は東京駅まで走ることになる。適当に走って、下り坂では思い切り重いギアで踏みまくる。45km/hは出ていたか。なんだか、MTBより速度は出しやすいぞ。たぶん、タイヤが1.5インチ幅と接地面積が狭いせいだろう。最高速で四つ辻を駆け抜け、ふと気づくとそこは秋葉だった。
 やがて東京駅にたどり着き、またBD-1を畳んで、東海道線で帰った。戸塚からは自走で戻る。
 案外に楽しかったな。また来週にでも来てみよう。

2001年08月17日(金曜日)

今治から松山に

20時23分 自転車 天気:晴れ(雲量やや大)

 朝、8:00前に起床。昨日、宿に着いた途端に爆睡したためもあり、目覚めは割とすっきりしている。窓を開けると、相変わらず雄大な来島海峡大橋が目に入ってくる(当たり前だ、寝てる間になくなっていたら怖いぞ)。
 朝食は7:00~9:00なので、すぐに1F食堂に向かう。朝食はバイキング形式で、既に満員に近い有り様だ。ちょっと時間を置いて席を取り、適当な品を取って食した。相変わらず食欲が無い。が、冷やしたうどんがうまい。讃岐が近いせいか、うどんのレベルが高いのか。
 食後にコーヒーで一服。走っているときはコーヒーなどの糖分が多いものはあまり飲まないので、朝一のカフェインは心地よいものだ。
 9:00頃にチェックアウト。ちょっと制限はあるが、ロケーションも内容も良い、お得な宿でした。
 BD-1で、昨夜ちょっと放浪した海岸沿いの道に降りていった。当たり前のことだが、歩いて15分くらいかかった所を、自転車だとあっという間に通り過ぎてしまう。
 今治の市街まで、海岸沿いに走ってゆく。漁港と岸壁が交互に現れ、消えてゆく。人通りも店も少ない。やがて遠くに高いビル群が見え始めた。あれが今治の市街地だろう。自転車をちょっと内陸に向ける。
 運河のような川沿いを走り、碁盤の目のような通りに沿って、民家が建ち並んでいる辺りに差し掛かった。おや、この辺は......。なんとなく見覚えがある。実は僕の母方の祖父が、亡くなる前に住んでいたのがこの辺のはずなのだ。しかし、ここだという確証は無い。さらに走って商店街に出た。ここも見覚えあり。
 港に走り、自販機で冷たいものを買い、急激に上がり始めている気温にうんざりしながら、しばし小休止。ふと思いついて実家に電話を入れた。住所がどこだったかを聞き出そうと思ったのだ。が、誰も出ない。
 少し考えて、そういえば四辻の角に蕎麦屋(更級)があり、そこでよく素麺を食っていたことを思い出した。更科、更科、と呪文のように唱えつつ探し始める。
 走ってゆくと、また見覚えのある家並みに出た。そしてこれも記憶にある寺の門も発見。ここから東に一本くらいずれているはずだ。通りを一本分東に走り、また南下してゆくと、ほらあった、更科だ。そしてそこからちょっと進むと、見覚えがある祖父宅の、いやもう人手に渡っているから元祖父宅か、への細い路地が見えた。ちょと入ってみると、そこには確かにかつての祖父宅が建っていた。懐かしいなあ。ちょっと改装されて、かつての玄関は塞がれ、別の位置に新設されているようだ。
 懐かしさに浸りながら立っていると、通りすがり風のおじさんが急に声をかけ、「あなたが悩んでいるのなら......」などと始めた。宗教の勧誘だな。「結構です」ときっぱり断ると、あっさり引き下がった。まあ悪い人ではなさそうだが。なにか家出中年にでも見えたか。
 さて、次は港だ。子供の頃、夏休みは祖父の所に遊びに行く習慣だった。そして港に出かけ、長い防波堤で釣り糸を垂れるのが楽しみだった。しかし、しばらくぐるぐる走り回っても、ピンと来る場所が無い。適当なところで腰を下ろし、コンビニで買ったおやつを食った。
 次は松山に行こう。しかし松山の地理がとんと分からない。今治は漠然とした記憶があったのだが、松山はどうも路面電車に乗った記憶しか残ってない。そこで本屋に入り、地図をあさってみた。なんとなく位置関係は分かったが......。まあ詳細は観光案内所かどっかで地図をもらおう。そう思った僕は、輪行すべく今治駅に向かった。
 今治駅は長い編成の特急も停まるが、基本はごく短いホームがあるだけで、のどかなローカル駅だ。港湾設備の発達振りに比べると、落差が大きい。
 松山行きの列車に乗り込んだ。これがワンマン運行の1両編成で、整理券を取る方式だった。整理券が要る電車にははじめて乗ったよ。いや、広島の路面電車もそうだったか。
 このワンマン号で、ひたすら単線な線路を走る。のどかな風景が外に続いている。線路は海岸線に出たり、山中を走ったりしながら、松山を目指した。
 車中、荷物の関係で最後部に乗ったのだが、僕の近くにはねーちゃん二人組みが、後部ドアの近くには髪も髭もぼさぼさの爺さんが立っていた。この爺さんが、めったやたらと人に話し掛ける。それも「俺の母ちゃんは中国人だ」とか、「北条市はつまらんところよ」とか、およそ他人には愚にも付かぬことばかり口にする。その上、なにを話しているのか良く聞き取れない。当然のことだが、誰も相手にしていない。しかし、爺さんにとって一番反応が良かったのがさっきのねーちゃん二人組みだったのだろう。爺さんはこの二人にばかり話し掛けるようになった。爺さんの話に内容が無いせいで、会話はほとんど成り立ってない。しかしそれでも、やがて爺さんが松山の手前の駅で降りる事が明らかになり、その事からなんとか会話らしきものが成り立つようになった。といっても「ここはXXか?」、「まだよ」などというレベルではあったが。しかし、無理やりにでもコミュニケートしてしまえたねーちゃんたち、恐るべしである。コミュニケートできなければ凄く変な爺さんだが、コミュニケートすることで変な爺さんというレベルまで、潜在的危険性を緩和してしまえる。いやまあ、変さがちょっと違うくらいではなるけれど。しかし野獣が家畜になるくらいの違いはあった。
 やがて列車は松山に着いた。駅前で観光案内版を探したが、構内には無い。ちょっと外れた場所にあった。ふむふむ、路面電車の線路を伝ってゆけば、道後温泉に簡単に行けそうだ。そこまで、BD-1を走らせた。
 松山市内は道幅が広く、歩道も広いので自転車で快適に移動できる。30分程度で道後温泉に到着した。商店街の入り口にBD-1を止め、歩いて道後温泉本館まで向かった。
 本館の写真をとり、しかしこの暑さでは温泉に入る気になれず、結局そのまま引き返した。もう少し涼しい季節に来たならば。
 近くの喫茶店に入り、カウンターにいるご婦人に松山港までの道を聞いてみた。すると、道後温泉の前から、概ねまっすぐ走ってゆけば良いのだと分かった。また自転車を止めている辺りに、観光案内所があることも分かった。早速、地図をもらいにいった。ついでにフェリーの便も調べた。松山近郊には、松山観光港、堀江という二つの港があるが、呉経由のフェリーがあるのは観光港の方だ。そこまでBD-1を走らせる。
 もらった地図を見る限り、国道をずっと走ってゆけばいいらしい。走ってゆくと、ほとんど下りで、時々上りがある。しかし体力はかなり回復しているので、そんなにきつくはない。快調に飛ばし、長い下りでは一番重い8速ギアを踏んだりした。45km/h以上出ていただろうか。BD-1では、ちょっと飛ばしすぎ。
 国道の案内表示に松山観光港の表示が常に出ていたので、道に迷うことは無かった。しかし次第に道が細くなり、しまいにはちょっと山寄りかなという場所を走り始めた時には、正直心配になった(笑)。
 しかし、やがて無事に松山観光港に到着。ロビーで呉行きのフェリーを尋ねると、どうやら200mも離れた場所に券を買いにいかなきゃならないとか(車両つきだとそうなのか)。そこでそこまで走ると、妙に急いだ雰囲気で車両ゲートを案内された。どうも次の便の出港時刻が近いようだ。BD-1を走らせ、フェリーに滑り込んだ。ほどなく、出港。
 客室に上がり、周囲に見える島々を18*50ISで眺めつつ、ビールで一杯。くぅ、たまらんっす。しかし、周囲の島のどこにもギャルの群れはいなかった......。
 やがて16:00前に呉港着。そのまま自走して帰宅した。ああ、楽しかった。

2001年08月16日(木曜日)

しまなみ海道に(輪行)

23時30分 自転車 天気:激晴

 前日、一睡しか出来ず(1時間程度かな)、まるで遠足に出かける寝不足小学生のような気分で起きだした。朝5:00過ぎ。眠気を抑えつつ、出立準備をした。母が起きてしまったので、タオルをひとつもらっておいた。
 5:45頃出立。駅に着き、さっと輪行準備をして、改札口をくぐるも、電車は行ったばかり。30分ほど待つ破目に。その間、途中のコンビニで買ったおにぎり弁当をぱくついた。
 やがて電車に乗り込み、尾道まで1時間半かけて走る。窓の外には鄙びた風景が流れて行く。この辺も、海岸沿いに走ると、それなりに気持ちよさそうだ。
 やがて尾道に到着。時刻は8:00をちょっと過ぎた辺り。さて、どこかでルートマップを入手せねば、と思いつつ駅前でBD-1を展開した。周りを見ると、やはり輪行組らしい人々が、同じように自転車を組んでいる。ロードバイク、あるいはスポルティーフが多いようだ。どうやら同好の士で集合している模様。僕は一人旅で、BD-1があっと言う間に組み上がったので(そりゃそうだ)、さっさと走り出す。
 まずは観光案内所に行ってルートマップをもらおう。そう思って走り出したはいいが、観光案内所の類が見つからない。駅の西側にあったのだが、まだ開いてないようだ。しばらくぐるぐる走り回り、困り果てて交番で尋ねてみた。すると、やはりまだどこも開いてないみたいだ。交番の裏にもあるそうなのだが。しかし、親切な警官は、そこにあったしまなみ海道のパンフレットを一部くれた。これでようやく詳細なルートを確認できたのだ(というか、事前調査が杜撰すぎ)。

・向島(海路、平坦な道、因島大橋)
 尾道駅の真正面から向島へのフェリーが出ている。海峡の幅は1kmも無いくらいで、運賃は大人100円+自転車10円。折り畳むのもあほらしいほどの安さだ。フェリーは操舵手と甲板員の二人で運行されている。僕が乗ったフェリーは、小さな入り江(運河にも見える)の奥まで入って行く便だったが、おかげで走行距離が多少短縮された。
 上陸すると、鉄工所やら倉庫やらが立ち並ぶ、地方の工業区画という趣の場所だった。さてさて、たぶん、どこかにサイクリングロードを示す標識があるのだろう。桟橋からまっすぐ内陸に走って行くと、交通量の多そうな幹線と行き会った。その両脇の歩道は、自転車でもそれなりに走れそうな広さだ。とりあえず車道の脇を進んで行くと、すぐに歩道に緑でペイントされた標識に気づいた。いわく、「↑今治 しまなみサイクリングロード」。これに従えばいいのだな。楽勝じゃないか。この時はそう思った。
 ところが、この標識があまり多くないのだ。結構長い間、これを目に出来ない状態が続くので、「この道で合ってるのか?」と、凄く不安な状態になることもある。人間の心理を突いた的確な攻撃だ(なにがだ)。結論からいえば、「出来るだけ歩道を走り標識を確実に拾うようにして走れば問題ない」という事になった。標識を見逃したことは無かったので、確実なルートではあるのだろう。かえって気を回しすぎて、わき道を行ってしまったりしたことがあるくらいだ。標識の指示に従えば問題はないみたい。
 道は平坦で走り易いが、日影が全くないのには参った。体がジリジリとあぶられている感じだ。
 走りながら、島のスケール感が全く掴めてないので、果たしてどこまで走ればいいのか不安だった。が、やがて海岸線遠くに、大きな橋が見えてきた。あれが因島大橋だ。
 ここまで、僕以外のチャリダーはほとんど見かけない。が、海岸線で休んでいると、何人かの人々が(主にママチャリを駆って)追い抜いて行く。どこからともなく集結しているという感じ。他のルートもあるのか。
 さて、橋へのアプローチは、自転車の場合は車とは違うルートを取る。傾斜を出来るだけ緩やかにするためだ。
 巨大な因島大橋を頭上にやり過ごし、少し走ると、山に向けてアプローチへの入り口が続いていた。そこにBD-1を乗り入れた。傾斜は10%だそうだが、それでも長いときつく感じる。途中の展望台で一休みしちゃうぞ、もう。
 展望台から見上げる因島大橋は迫力十分だ。E950では広角側でも画面に収まりきらない。ワイコンを持ってくればよかった。
 展望台で休んでいる間に、男女二人のカップルが、MTB&ママチャリで、軽快に登って行く。ほとんどなにも持たない軽装だ。あれなら楽だろう。
 さて、再び上り始めた。10kgを越える装備が足に響く。それでもなんとか、橋の側に上り詰めた。因島大橋は原付き以下の車両と歩行者は、車道の真下にある専用道路を走る。こういう構成の橋は、しまなみ海道では唯一のものだ。こういう感じ
 この歩道、自転車と歩行者が一緒に通る右側の通路は幅が狭く、やや危険な感じがする。

・因島(ややアップダウンのある平坦な道、生口橋)
 考えていたより時間を要しながら駆け抜た。各橋の愛媛県側には、賽銭箱のような塩梅で料金箱と案内板が置かれている。係員はいない。あらかじめ小銭をたっぷり用意しておいたので、特に困ることはなかったが、小銭が無い人は困るかも。対岸では爽快な下りになる。しかし、せっかく高度を稼いだんだから、このまま次の橋まで下らず走れるルートは作れないもんかね。
 因島もひたすらこぎ続ける。時間的にどれくらいかかるか不安だったし、また向島に渡るまでのロスが気になっていた。
 やがて生口橋に到達。アプローチは、素直に押して上がりましたぜ。ここは車道と並んで歩道があるタイプ。やはり頭上に空が広がっている状況の方が爽快だ。

・生口島(平坦な道、多々羅大橋)
 生口島ではルートから外れ、島の南側を走った。多少なりとも短縮になるかと思ったのだ。その代わり、平山郁夫美術館などにはお目にかかれない。また大した短縮にもならないようだ。
 この辺りで既に、熱中症の予兆が現れていた。警戒怠るべからず。体がへばる可能性を承知の上で、冷水をがぶ飲みする。少しでも体温を下げたいのだが。
 こっちはルート標識がないので、ひたすら海沿いに走るばかりだ。観光とはかけ離れた、鄙びた風景が続く。お日さまもますます燃え盛っている。暑い。脳みそが沸騰し始めている。
 ここで道沿いにコンビニを発見、冷たい物を求めて入ってみた。このコンビニには、無料の休憩所も併設されている。単に別区画に椅子を並べただけの物だが、とりあえず日ざしを遮れて、エアコンもまあまあ効いている。この時点で、この休憩は凄く効いた。最後まで走れたのは、ここでかなり休めたからだと思う。ありがたかったよ。おにぎり2個とゼリー食、麦茶を喫しつつ一休み。おにぎりがまずい。死ぬほどまずい。僕は過負荷に曝されると、食欲が一気に減退してしまうのだ。きっと塩味が効いておいしいに違いないシャケお握りも、こんな状況ではもさもさした粘土の塊に等しくなる。それでも食うのだ。この先もこぎ続けるエネルギーが要るのだ。無理やりに一つだけ食い。後はゼリー食で賄う。
 再び走り出す。元気一杯、とはいかないが、今にも死にそう状態からは回復している。しかし、すぐに太陽に脳みそを煮られ始める。水ぶっかけで対抗だ。しかし休憩で得たエネルギーは間違った方向に爆発した。やたら怒りが湧いてきて、わけの分からないことをずっとつぶやいている状態になったのだ。いわく、「漕がないと進まないんだよ」。いわく、「人生と同じなんだよ」。いわく、「漕がなきゃ始まらないんだよ!」。こんなところで人生幸朗師になってどうする。それは分かったからさっさと進め、といいたくなるような事をつぶやきつつも、距離は着実に伸びて行く。怒りの一部は、とりあえずペダルに伝わったようだ。
 この生口島南ルートを行く間、同じチャリダーには一人として行き会わなかった。観光ルートからは外れているせいだろう。それと、あまり距離も短縮できない。が、その割りにルートとしては走り易かった。急ぎの旅なら、こっちの方がいいかもしれないぞ。
 やがて、彼方に多々羅大橋が見えてきた。生口橋と似たような構造の橋だが、こっちは世界最大の斜張橋だということだ。太い鋼索が橋梁の頂点に向かって集束して行く様は、なんともいえない迫力がある。とても人間の建造物だとは信じられないような迫力だ。

・大三島(平坦な道、大三島橋)
 この辺りで中間に達しているくらいだろうか。あと三つの島があるが、大三島、伯方島は通過するルートが短いので、大島だけが問題といえる状況だ。やっと、少しばかりゆとりを感じ始めた。というか、体が重くなり始めてスローダウンしただけなのだが。おかげで妄言垂れ流しは収まったが。しかしまあ、後はゆっくり走っても良かろう。
 大三島は本当に短い。他の島に較べれば。しかし、次なる橋まではそれなりに走る。無言で走る(というか独り言いいながらだと気持ち悪くないか?)
 大三島橋への上りで、向こうから下ってきた女性に「こんにちはー!」と声をかけられた。とてもさわやかな気分で手を振り返した。そのエネルギーをちょいと分けてもらった感じ。ああ、僕もああやって自然に声を出せれば。
 大三島橋はアーチ橋で、幾何学的な造形が美しい。この橋では右半分がまるまるバイク、歩行者専用で、とても走り易かった。

・伯方島(アップダウンあり、伯方・大島大橋)
 伯方島も行く距離は短い。少し丘を越える塩梅ではあったが、ここも割と順調に通りすぎた。しかしながら、後で伯方の塩ソフトクリームを試してみればよかったと思った。次の機会は途中で一泊するつもりで、ゆっくり見て回りたいもんだ。
 ここで印象的な出来事があった。
 ちょうど伯方・大島大橋の真下辺りに差しかかった頃だった。大三島橋からの下りを抜けた辺りで、自販機が数台並んでいる一角。そこからちょっと離れて、20代くらいの男性が、自転車をそこに転がしたまま休んでいる風だった。僕は気にせずその前を駆け抜け、道路の対面に渡り、ちょっと一休みしようとBD-1を停め、その自販機で水を買い、一息入れた。ここを登りきれば大島だけなので、もう間違いなく完走できる。そう思っていた。
 しばらく体温が下がるのを待っていたら、その男性がやってきて、「なにか先のとがった物を貸していただけませんか」と声をかけてきた。とがった物? なんでも、足にマメが出来てしまったので、潰したいのだとか。あるとすれば、Palmのスタイラスペンに内蔵しているリセットピンだけだ。それを貸してあげると、その男性は両足に出来た巨大なマメを潰した。これじゃ走るのは無理そうだ。「大丈夫ですか?」と声をかけると、「せっかくここまで走ってきたんですが......」と、残念そうだがリタイヤすることにした、と答えた。なんでも、青春18切符で尾道まで来て、僕と同様に自走で今治を目指していたんだとか。僕のBD-1を見て、「その自転車だとどこでも持っていけていいですね。家にはMTBがあるんですが......」と、とても残念そうだ。そうだろうなあ、ここまで来て。ここからバスなどで帰るつもりだという。
 その男性と別れ、僕は伯方・大島大橋へのアプローチを上り始めた。この時点で上りは辛いが、さっきの男性のことを思えば走れるだけましだ。そういえば、僕の場合、足の裏にだけは負担がかかってない。いかに踏んでないかが分かるってもんだ。
 伯方・大島大橋は、ふつうのつり橋だった。しかし島を一つ踏みつけているような塩梅だ。

・大島(かなりの丘越え、久留島海峡大橋)
 最後の大物、大島に到達した。ここは島の真ん中を道が突っ切っている。距離的には楽そうだった。が、この突っ切りがくせ者だった。そう、本四架橋公団の攻撃は、ますます激しくなってきたのだ。やつらもここを越えられると後がないと知っているのだろう(いや別に越えられてもかまわんだろう)。その攻撃は、今までになく熾烈な物になった。
 まず、日ざしが最強に強まった(それは公団のせいじゃないな)。ジリジリとあぶられ、腕などは徐々にやけどするのを感じるほどだ。また、この大島のルートは、なんとかなり長い丘越えをしなければならない。ここに来て体力が、いやむしろ生命力が落ち始めているので、この丘越え攻撃は辛い。それでも押したり、走ったりしながら、なんとか丘を越えていった。前方から、ロードバイクやMTB、果てやママチャリに乗ったおばあさんまでが、軽快に駆け降りてくる。恨めしい限りだ。っていうか、下りを押して歩いてたらそれは怖いぞ。
 もう僅かな上りでさえ辛いのだ。おのれ公団、許すべからず(それは逆恨みだよ)。日なたで日干しになっているミミズたちの骸を横目に、その仲間入りしかねない状況で坂を越えた。今度来たときは、遠回りになっても海岸沿いに行こう。
 坂を越えればこっちの物だ。全速で重いギアを踏みまくる、という体力は、しかしもう底を突いていた。それでも、来島海峡大橋へのアプローチに、遂に取り付いた。
 来島海峡大橋は、しまなみ海道中最長の橋なので、そこへのアプローチも雄大なものだった。これで終わりかと思ったところで、さらにループが続いている。その手前、最後の展望台に停め、そこにある自販機で喉を潤した。ここを越えればサンライズ糸山だ。長かったなあ。
 僕は最後のループを回り、遂に橋の上に到達した。そうだ、遂に公団に勝ったのだ、と、その瞬間は愚かにも感動したものだ。だが公団の最後の抵抗は、僕の予想を超えて熾烈だった。
 なんと、橋そのものが上りになっている!(愕然) 3連の吊り橋という性格故か、橋の真ん中に向けて明らかに盛り上がっているのだ。体力の落ちまくった現状ではこれはきつい。3速でもきついくらいで、のろのろとあがくようにして進んで行くのみだ。だがここに及んで挫折することは決して許されることではない。日本の男の子は潔く腹を切って汚名をそそぐより他にない。腹を切るのは痛そうなので、ここは断固として公団に泣いてもらうぞ。踏め、踏むのだ。死ぬまで踏むのだ。
 アーチ状に傾斜している関係で、進むに従って徐々に傾斜は緩くなり始める。漕ぐのをやめると、橋の差しかかりではものの2m程で停止したものだが、それが3mになり、4mになるに従って、幾何級数的にペダリングが楽になって行く。わはは、わははははははは、勝利の時は目前だ。もはや公団に打つ手はない。あの鋼索が一番下がる地点、すなわちこの橋の中央を越えたときこそ、我が勝利の時なのだ。チャイコフスキーの"1812"のクライマックスのように、勝利の砲声がとどろき渡るのだ。それが公団崩壊の時だ(いや、そんな目の敵にする理由あるのか?) 様々な人々の人々の顔が浮かぶ。軽快に下りながら元気を分けてくれたお姉さん(お兄さんも続いていたが目に入らなかった模様)、志半ばで挫折した18切符の彼、そして軽やかに行き違った多くのチャリダーたち。そしてルドルフ・シェンカー、永山則夫、小野小町ら、強敵(おとこ)たちの顔も脳裏をよぎった(ってなんでじゃ。知り合いでもなんでもないじゃん。だいたい小野小町は女子じゃ)。もう半分位妄想に満たされた頭で、遂に橋の中心を越えた。後は放っておいても下って行くだけだ。そうだ、僕はヴィクトリーロードを進んでいるのだ。この橋の後半は、我が勝利をたたえるためにある(今そう決めた)。この苦難に満ちた旅を終えた僕の前に、もはや恐れるものなど何一つないのだ。

・糸山展望台~サンライズ糸山
 アプローチを抜けると、糸山展望台への道があった。上りです。もう勘弁してください(身も世も無く泣き崩れ中)。ゲロを吐きそうになりながら、それでも上り気味のトンネルを越えた。ああ、坂さえなければ、100kmなんて楽勝なのに。坂が、坂が怖い。幸い、上りはあっと言う間に終わった。
 展望台に向かい、エアコンの効いた案内所でしばらくクールダウン。はあ、本当に体がどうにかなりそう。時刻は16:00前というところ。今からサンライズ糸山に入っても、16:00過ぎというところか。
 展望台にある案内板でサンライズ糸山の位置を確認し、またしてもさっきのトンネルを越え(もううんざり)、そこからは下り一本でサンライズ糸山に到着した。走行時間は7時間。実質は5時間半くらいか。良く走ったもんだ......。さすがのVAAMにも全身の倦怠感はぬぐえない。
 チェックインし、自転車をロッカールーム(自転車用のロッカールーム)に入れ、部屋に入る。ここ、4人部屋なんだね。それを一人で占有するのか。ちょっと罪悪感が。しかし素泊まりで4000円という設定は安すぎる。今度は誰かと来よう。
 ここでうっかり爆睡してしまい、気がつくと20:30を過ぎていた。ああ、レストランのラストオーダーが終わってる。このままでは飯を食えない羽目になるぞ。そこでちょっと外に散歩がてら、出かけてみた。しかしまあ、周囲になにもないこと。どうも市街地から外れているようで、自販機以外にはなにも見つからなかった。焼き鳥食いたかった。
 まあ、食欲もあまりないことだし。ここはビールでカロリー補給だ。ミネラルウォーターをつまみに、ビールで喉を潤す。くぅ、うますぎ。風呂は大浴場があるのでそちらに。大きな風呂ではなかったが、足を伸ばせるのでユニットバスより遙かに快適。
 やがて夜も更けてみたので、しばらく警告灯に彩られた来島海峡大橋を愛で、長かった一日を終えた。寝るぞ~。

2001年08月14日(火曜日)

ド田舎を走る

19時27分 自転車 天気:快晴

 今日もしつこくポートピアパークに走った。昨日のビールグビーウマーッ攻撃を忘れられなかったのだ。
 快調に自転車を走らせ、ポートピアに14:00過ぎに到着した。さっそく売店に走り、生ビールを調達、海辺のテーブルでグビー、ウマーッ! 喉越しがたまらん過ぎる。
 いい気分になって海を見ていると、桟橋の方に江田島からのフェリーが入ってくるのが見えた。そうだ、今日は江田島を走るつもりだったのだ。~
 早速桟橋に行ってみた。料金は大人250円、自転車は100円。案外に安い。早速、券を買い、フェリーに乗り込んだ。どうやら人員よりは車両の運搬が主らしく、車両デッキは一杯だが、上の客室はガラガラだ。車両の乗船料は、確か1500円くらいだったはずで、ずっと割りのいいのは確かだろう。
 やがて船は江田島は切串という港に入った。少し拓けた地だ。ここから北の方に、海岸線に沿って走ってみた。なんにも無いところだ。走っても走っても道があるだけ。所々に家並みと店舗があるくらい。しかし、案外に自販機が目に付く。飲料水の確保には苦労しないですみそうだ。行けども行けども道があるだけだが、道は案外に綺麗に舗装されていて(それにしてもこんな綺麗に舗装する必要があるのか?)、自転車で走るには非常に気持ち良い。
 20分ほど走り、山陰になっている岸壁にBD-1を止め、おやつをぱくつく。なんとなくおなかが不安。ビール+ポテトが胃の中で膨れている雰囲気だ。おまけにジンジャーエールをグビグビ飲んでるしな(ならヤめろ)。
 足元の砂浜には、波が寄せて引いて行くだけ。風がのんびりと周囲を巡っている。まったくなんにも無いところだ。しかし一息つくには良いところではないか。
 少し離れた砂浜では、どうやら家族連れが海水浴を楽しんでいるようだ。逆方向に少し歩くと、小奇麗な、大きな家がある。最初、こんなところに喫茶店でもあるのかと思ったくらいだ。しかし、人家であっても、やっぱりこんなところに、と思う。
 やがて、帰りの便の出船時刻が迫ってきた。来た道を戻り、再び船でポートピアパークに戻った。ポートピアの芝生に座り込んで、しばらく傾いて行く日を追い、やがてそれにも飽きたので、BD-1を駆って家路を急いだ。

2001年08月09日(木曜日)

鎌倉リベンジ行

21時18分 自転車 天気:くもり時々晴

 昼前に目覚めた。今日は鎌倉に再挑戦するつもりだ。
 前回は熱中症とハンガーノックにやられてしまったが、今回は曇り空なのでその分楽そうだ。また新兵器もある。明治乳業のVAAMだ。こいつは脂肪を効率的に燃焼させてくれる成分が含まれているので、サイクリングのように有酸素運動を主体とするスポーツでは、大きな威力を発揮する、らしい。
 今日はハードロック号の出撃だ。こいつの輪行袋はまだ買ってないので、こいつで行く限りは帰路も自走せざるを得ない。そういう不退転の決意で望む俺様だった(まあしんどくなったらそこでさっさと引き返すつもりだったが)。
 アパートを出たのは13:30くらい。まずは境川サイクリングロードまで走る。狭い多いの長後街道が一番疲れる。サイクリングロードに入って、快調にぶっ飛ばして、藤沢市内に入る。国道を通って江ノ島駅へと。この辺でも以前と違って全くしんどくない。いいぜ、このまま行こう。やがてあっと言う間に江ノ島駅に。駅近くのコンビニでおやつを仕入れておいた。
 江ノ島近辺は、やはり平日だからか、前と違って人手が少なく、通行しやすい。駅前の通りを抜け、海に至った。海沿いの道に自転車を走らせる。一つ目の坂を越えると、長い砂浜が目に入った。そこに自転車を停められそうな場所があったので、道を横断するために押しボタン式横断歩道の押しボタンを押した。これが物凄く長い。5分くらい経って、やっと青になった。イミナイジャ~ン。その前に、車の切れ目で渡る方がよかった。
 渡った先にある、砂浜に下りる階段の上の小スペースに自転車を止め、おやつをぱくつく。海からは風があり、その辺で泳ぐ連中もすがすがしい光景だ。たぶん海保のパトロールなんだろう、頭上をアエロスパシアルのヘリが何度も過った。
 まったりとしばし和み、さてどうしようかと思った。交通量が多いので、道路の向こうに渡るのは面倒くさそうだ。このまま帰っちゃうか? なんてことを、砂浜に降りたりしながら逡巡し、やがて車の切れ目を見つけて向こう側の車線に渡った。
 ここからは快調に自転車を飛ばし、やがて鎌倉に到着。若宮大路に入り、自転車を押したり乗ったりしながら、鶴岡八幡宮に到着した。
 鶴岡八幡宮では、祭りでもあるのか、参道にたくさんの灯籠が並んでいた。その多くには絵や書が書きつけてある。
 八幡宮には参らず(すいませんMTBを置いていけないもんで)、清めの水で手と顔を洗う。冷たくて気持ちいい!
 さて、ここからは戻りだ。そろそろ日が差していて、熱中症になりそうだったので、持ってきたダイエー88円ミネラルウォーターを頭にぶっかけてみた。これはいい。風で熱気が吸い取られるようだ。さらにVAAMを一本飲み干した。
 若宮大路を由比ヶ浜まで戻り、そこからは今度は海側を走って戻った。前回は鎌倉から輪行して戻ったので、こちらを進むのは初めての経験だ。こちら側はそれなりの遊歩道が続いていて、自転車を走らせやすい。ただし、稲村ヶ崎までだ。ここからは狭い歩道しかないので、車道を進む方が有利になる。
 やがて江ノ島口に到着。国道467号線に戻る。
 境川サイクリングロードへと戻る途中、アクシデントに見舞われた。街中の信号待からの発進時、なぜだかなぜか転倒してしまったのだ。それに驚いたのか、発進しないで止まっていたトラックの運ちゃんに、苦笑いしながら「ゴメンゴメン」する俺様。世間のいい笑い者だ。
 自転車を起こし、気を取り直して、と。ぅゎぁ、左のブレーキが逝かれてる! ブレーキレバーからケーブルが外れているのだ。幸い、右ブレーキは無事なので走れないことは無い。しかし、左ブレーキは効きにくい=コントロール用なので、ストップ・アンド・ゴーの多い街中では怖い。藤沢市内をサイクリングロードまで進む間、半分位自転車を押していた。
 サイクリングロードに入り、湘南台に向かうことに決めた。これを買ったマルシュで直してもらうのがいいだろう。だがどれくらいかかるだろうか。今日中に直らないのなら、明日帰省するつもりだから、受け取れるのは20日以降ということになる。明日朝一で受け取るか。などとシミュレーションしながら、マルシュに向かった。
 湘南台に入り、マルシュに行くと、ちょうど店長が店先に居たので故障箇所を見せた。店長は早速直し始める。「いつまでかかります?」と聞く雰囲気ではない。5分後、「直りました」と店長。そんな簡単だったのか!(びっくり) むしろ対応に困る俺様だった。「いくらになります?」と聞くと「いいですよ」と店長。ありがたいことにただで直してくれた。感謝しながら家路を急いだ。
 帰宅したのは18:30くらい。暗くなったらライトはどうしよう(バッグがあると前を照らせない)と心配していたが、暗くなる前に帰宅できた。走行距離は53km弱。VAAMが効きまくったのか、疲労感はほとんどない。これなら90kmなんて楽勝だ。
 期待のフロントバッグは、出発時には威勢よく上向きだったのだが、帰宅時にはカクンと下を向いてしまっている。締め方が緩いのかと思ってペンチでさらに締め上げると、ピアノ線がポキンと折れた(はからずも笑)。帰省から戻ったら再挑戦しよう。

2001年08月08日(水曜日)

フロントバッグ入れ換えにょ

22時12分 自転車 天気:くもり

 明日から11連休だ。ようやくCode Red過も収まった職場のコンピュータをほとんど停め、定時にさっと退けた。ハンズに寄る必要があるのだ。
 この間、通販で買ったフロントバッグだが、ステムの延長方向にしか向かないことが分かり、ステムの無いBD-1はもとより、ステムが傾斜しているハードロック(Specializedの最廉価グレードの馬車馬MTB)号に付けても、フロントバッグが天を向いてしまう。これをさすがにカコイイなどとは思えない(そもそも前がよく見えない)ので、なんとか改造することにしたのだ。欲しいものはワイヤー。
 ハンズの上の階でワイヤーを物色する。最初は縒り線のワイヤーを探したのだが、案外に単品では置いてなかった。加工が難しいからか。代わりにピアノ線と太めの針金、そして縒り線式ワイヤを使った園芸用吊り線を購入した。さらに地階で26インチのチューブも購入した。やっぱ、持ってないとまずいよな。
 帰宅して、まずはBD-1へのフロントバッグ取りつけ。今着いてるバッグとは取り付け部の幅が違うので、ライトやらボトルケージ(代わりのボトル袋)を取り外し、着脱部を装着する。この着脱部、ワイヤをステムに回し、その長さで取り付け角を調節できる構造だ。なので、ステムが無いBD-1でも、ちゃんと適正な角度を保つことが出来る。このバッグ、下面にライトを取り付けることが出来る。フロントバッグを取り付けると、それが邪魔になってライトが遮られてしまう。そこでバッグの下にハンドルバーと同程度の太さのプラスチック部品を取り付けることが出来るようになっている。ここにハンドルに着けるのと同じ要領で取り付ければいいのだ。しかも着脱式なので、不要なときは簡単にとり外せる。おかげでハンドルバーを占有していたライトを移すことが出来、多少場所が空いた。これなら、もう少し長いグリップを着けられるかも(今は切り詰めてます)。
 続いてハードロック号のフロントバッグ改造。まず着脱部の下部でステムを支えるプラスチック製締め具を切除する。そもそも、この部分がステムを一定の位置で締めるようになっているので、どうしてもステムとの角度も一定になってしまうのだ。切除した締め具に代わり、ピアノ線で両者を拘束した。手許に3種類のワイヤがあるわけだが、強度的に一番強いこいつでまずは試してみる。加工しにくかったが、なんとかペンチで締め上げて、それなりの位置に決まった。近所を走ってみたが、短距離では正直あんまり分からない。もっと長距離を走ってみなければ。明日は鎌倉にリベンジする予定なので、その真価が問われるだろう。でも鎌倉まで走って壊れたらヤだな。

2001年08月05日(日曜日)

自力で相模サイクルセンターに

23時16分 自転車 天気:くもり

 ハッと目覚めると、もう14:00前。今日こそはみなとみらいを走ろうと思っていたのだが。
 仕方ないので、しばらく地図を眺め、久しぶりに相模サイクルセンターに、それも自走で行こうと思い立った。距離は10km足らずのはず。
 プロアトラス2000を見ながらルートを参照したが、かまくらみちをまっすぐ北上するルートが早そうだ。が、あの細いかまくらみちを行くのはちと不安。まあ他のルートも似たようなもんだろう。
 MTBを駆って、かまくらみちを北上していった。交通量が案外に少なくて助かる。交差点では車がたまるが、ある程度先に通して、後からゆっくり走っていった。
 かまくらみちを進んで行くと、地図の上では三叉路にぶち当たり、その角に目印の小学校がある。その通り、小学校があったが、不安だったので近所の公園で休止し、ロカティオで座標を見た。すると電池切れで地図をダウンロードできないんでやんの(はからずも笑)。こいつ、ここ一番というときに役にたたんなあ。まあ、先に存在していた分の地図を見る限り、目的地の三ッ境はごく近くだ。
 そのまま進んで行くと、警察署の近くで別の幹線に出会った。もしやと思い、ビルが多い方に歩いて行くと、すぐそこに三ッ境駅、さらに相模サイクルセンターがあった。近いなあ。30分しかかからなかった。
 相模サイクルセンターではフロントバッグを探したが、これというものがない。でもここ、バーディとかブリヂストン/モールトンとかいった小径車も扱い始めたようだ。ブリヂストン/モールトンのハンドルバーの短さに吃驚。他にもおいしそうな特殊ロードバイク(26インチを履いた奴とか)がゴロゴロしている。今度、ロードバイクを買うときは考えよう。
 帰路は来た道を戻らず、そのまま西進する。やがて境川にぶち当たり、おなじみの境川サイクリングロード(というかこの界隈では単なる川沿いの道)に合流した。ここからは30km/h未満、20km/h以上くらいを維持して、長後街道との合流点まで突っ走った。が、なんかもの足りない僕は、そのまま湘南台へと出た。
 湘南台ではダイエーに寄って、また88円均一品から便利そうなのを買う。金を使わずモノ買い欲をなだめるにはこれに限る(爆)。それから、替えのグローブがないと不便だと思い、マルシュにも寄った。ところが、ここでちょうどよさげなフロントバッグを見つけてしまった。取り付け角度をワイヤーの長さで調節できそうなタイプだ。というわけで、ここでついにBD-1に着けられそうなワンタッチ着脱式フロントバッグを入手できたのだ。しかし、どうやって持って帰ろう。少し悩んで、結局はキャリアにくくりつけて帰ることにした。
 帰って、雑用を片付けていたらもう真夜中でやんの。バッグの取りつけは明日だ。

2001年08月04日(土曜日)

またか! 自転車オプション取りつけ

23時40分 自転車

 帰宅して、しばらくすると、サイクルベースあさひに発注していたブツが届いた。着脱式のフロントバッグ、リアキャリアバッグ、ワイヤー錠、ハンドルバーに着けるタイプのボトルケージ、などなど。早速取り付ける。
 フロントバッグはBD-1に着けるつもりだった。が、このバッグの着脱部、どうもアヘッドステムしか考えてないようだ。BD-1には着かない。ではMTBに着けるか。こっちはステムが起き気味なので、フロントバッグを着けるとバッグが天を向いてしまう......。ダメじゃん。まあ、実用的には問題はないが......。なんだか、フロントバッグは負けっぽい。
 さらにボトルケージも今のハンドル部大混雑状態では着きそうにない。ぐはぁ、また負け。負け王への道まっしぐらである。
 リアキャリアバッグはさほど問題ない。しかし、BD-1に着けると、サドル背後のリフレクタが隠れてしまう。とりあえず、キャリアの後端にパッシブ型(ちゅうのか?)のリフレクタをガムテープで貼っておいた。もう少しまともな止め方を考えないとな。
 ワイヤー錠は、BD-1のハンドルバーに、前向きに取り付けた。こうしか着きそうにない。ううむ、どいつもこいつも今ひとつだ。ハンズで適当な材料を集めて、もっと収まりよくしてやろう。
 この後で、不調だったサイクロコンピュータを修理した。前に延長したワイヤのはんだづけ部分を押すと、出鱈目な数値が表示されるので、たぶんケーブルの問題だろうとにらんだ。熱収縮チューブを切開し、はんだづけした部分を開く。あれ、そういえば、この部分はむき出しの導線が、露出したまま平行している。もう一か所の方は、ショートしないようにちゃんと段差をつけている。なんだかしらんが、こっちはそれを怠っていたらしい。早速、片方のワイヤを切り詰め、段差をつけてはんだづけし直した。これで問題はないだろう。

都会のオアシス

18時37分 自転車 天気:くもり気味

 ぐっすり十時間ほども眠り、起きたのは14:00過ぎだった。ううむ、早起きできたら輪行して横浜~みなとみらい、あるいは秋葉~新宿を走ろうかと思っていたのだが。
 ざっと地図を眺め、また市の交通局がまとめたお散歩手帖を参考に、今日は舞岡公園に行ってみることにした。
 舞岡の地下鉄駅まで行き、そこから南下すればよいはずだ。MTBで出発した。
 MTBにはバッグ類をほとんど着けてない(サドルバッグだけ)ので、カメラなどはメッセンジャーバッグに入れて背負った。をを、なんかかっこいいぞ>俺(馬鹿)
 まず戸塚まで走り、一号線の踏み切りからユニー方面に曲がる。ここでちょいと川沿いに進んでしまったが、実はそのままユニー方面に入るといいみたいだ。しかし、この先が相当の坂。坂が嫌いな僕は、狭い歩道に辟易しながら、ほとんど押して上がった(ダメじゃん)。しかし坂を越えると、爽快な下りが待っているぞ。と、その前に、近くのコンビニでおやつと飲み物の調達だ。
 長い坂道を下る。実はスピードメーターが壊れていたので、スピードも距離も分からないでやんの。
 坂道の先に、舞岡の駅がある。そこで南に曲がる。だいたい南の方にあるはずだ。その通り、大きな木々の塊が見える。だがどこから入ればいいのだ......。
 しばし迷いながら走り、団地らしきところに出た。お散歩手帖("横浜散歩大好き"という)によれば、なんとなく公園は北西にありそうだ。そこでなんとなくそっちに行きそうな道をいったら、やがて公園の門にたどり着いた。後で分かったのだが、実は走り回っている間に、公園への入り口の前を通りすぎていたらしい。ちゃんと標識が立っているのだが、見逃してしまったのだ。
 そこは舞岡公園の北東の入り口で、旧民家風のトイレと東屋がある。高い鉄塔が建っているが、説明によれば櫓に似せたスピーカー塔だという。東屋の奥には道が続いていて、脇に水田が作られている。市民が稲作を体験できるように作られたものらしい。MTBを入り口前に停めて、中に入った。
 人気はほとんどない。僕が入り口をくぐったとき、東屋で休憩している男性がいただけだ。ずっと遠くから話し声も聞こえるが、姿は見えない。静かだ。
 休憩所の看板を見て、小山の上に続いている階段を登った。頂上には、確かに休憩所らしき簡素な東屋があった。そのベンチに腰かけて、買ってきたみかんゼリーとカフェオレを取り出した。静かだ......いや、なんか騒がしいぞ。どうも、今夜辺りに盆踊りでもあるらしく、なんちゃら音頭の類がガンガンかかっている。俺様にふさわしい、情けなくも笑える状況だ。
 しかし、 こんな光景が横浜市内で見られるとは。向こうの山まで人工物がほとんど見えない。ちょっとしたオアシスという感じ。眺めが気持ちよい。そのせいか、ただのみかんゼリーがおいしく感じられた。日はまったりと暮れて行く。ベンチに、足を投げ出して座り、遠くで鳴いている蝉の声に耳を澄ませた。
 帰路はまた坂道をのろのろ登り、戸塚経由で帰宅した。その道すがら、中田の方や立場駅の近くで、盆踊りの準備をしているのを目撃した。そういう時期なのだ。