Strange Days

2001年11月11日(日曜日)

キワチャリのパンク修理

23時49分 自転車

 風呂に入り、気力が回復してきたので、キワチャリの後輪外しに取り掛かった。こういうフィクスの車輪を外すのは大変そうだ。そう思っていたら、確かに大変だった。
 まず左右のボルトを外す。次にチェーンのテンションを決めているギア側エンド後部のボルトも外す。しかしこれでもチェーンのせいで外れないので、最終的にはクランクも緩めてやらねばならなかった。おかげでBBのボールベアリングがでろんと露出する破目に。
 これでようやく外れたので、後輪からタイヤを外した。小径なので覚悟していたのだが、いともあっさりと外れてくれた。タイヤレバーなんて要らなかったくらいだ。さらにチューブを外し、風呂場でパンクを調べた。最初は良く分からなかったのだが、空気を多めに入れて様子を見ると、一箇所にピンホールが見つかった。なるほど、これなら一晩がかりで空気が抜けるはずだ。そこを昨日買ったパンク修理キットで修理する。
 十分にパッチをなじませ、後輪に付け直した。そこでギョッとしたのだが、このホイール、リムテープが凄くいい加減に張られている。幅が2インチ強あるのだが、それよりぜんぜん狭いテープを張っているので、片側のスポーク穴がもろに見えているのだ。もしかして、ピンホールもこれで出来たのか......。
 ともあれ、今はリムテープも無いから(つうかふつう手元に用意なんかしないよな)、そのまま取り付ける。
 取り付け終わり、外をちょっと走ってみた。うん? なんだかちょっと漕ぎが重い。チェーンにテンションがかかりすぎでした。テンショナーを緩めると、かなり楽になった。もう少し詰める必要はある。後はリムテープとBBをなんとかするくらいか。ああ、フロント側のエンドもかさ上げしないと(やはり、少し接触している)。
 いろいろ課題が残って気色悪いなあ。でも大体実用的な段階には至った。

横浜でポタ

19時46分 自転車 天気:快晴

 昼前に目覚める。久しぶりに横浜港周辺を走ろうと思った。BD-1改(シャア専用)の初披露だ。
 ちょっと経って、13:00過ぎに駅に向かった。地下鉄で関内まで出て、地下鉄からの出口でBD-1を組み立てる。今日はリアキャリアバッグだけで出動。これが一番バランスよく走れる感じがする。
 県警本部前からまっすぐ南東に走り、延々とシンボルタワーに向かった。途中でマックに寄り、おやつをゲット。
 シンボルタワー辺りは、今日も家族連れが多かった。場所を探し、見晴台に上って、おやつをぱくついた。空は呆れるほど晴れているが、水蒸気が多いのか霞も出ている。冬になって深みを増した海の上を、港に出入りする貨物船が行き交う。目を北に転じると、つばさ橋がすっくと立ち上がっている。
 さっきから何度もアナウンスしているので、耳を澄ませて聞いてみると、『展望台への階段は16:30に閉鎖される』という旨だ。冬時間にシフトした模様。
 まだ暗くならないうちにと思い、シンボルタワーを後にした。ちょうど海釣り公園への出口が、なんと閉鎖されている(バス停がある場所)。
 山下公園に達し、BD-1を押して入った。なにかの催しがあったのか、ちょうどテント類を撤収しているところだった。その他の場所は通常営業で、今日も人出が凄かった。特に遊覧観光船乗り場は、今まで見たことがなかったくらいの行列ができていた。
 山下公園からランドマーク方面に走り、臨海公園に達した。
 日が暮れてゆく。それを見ながら、僕の人生も折り返し地点を過ぎたなと、ふと思った。人生70年としても、ついにその半ばを過ぎようとしている。これまで大したことはできなかった。まだ日は高いと思っているうちに、朝は過ぎ、日の盛りも過ぎようとしている。やがて日は傾き、夕暮れ時を迎えるだろう。それまで、もうたいした時間はない。なんらかの科学的なブレークスルーで寿命が一気に延びる可能性はあるが、そうした期待はほとんどの場合裏切られるものだ。僕もまもなく、残りの時をどう過ごしてゆくか決めなければならなくなる。なんてことを、さして暗くなるでもなく、しみじみと考えた。誰にだって夕暮れ時はやってくる。静かに暮れてゆく時が......。
 ......ちょっと待て、なんでこんなに騒がしいんだ? 国際展示場を背に座り込んでいた僕が振り返ると、屋内から高校生くらいの連中が、なぜか管楽器を手にぞろぞろ出てくる。姦しいという言葉がどういう状況を指しているか、良くわかる(男も混ざっているが)。思い思いにポーズをとり、記念写真を撮っているようだ。察するに、高校生クラスの吹奏楽全国大会でもあったのだろう。皆一様に若々しい。地下鉄で見かける高校生たちのような無気力さはない。なにか、興味の対象を持っている強みだろうか。
 そういえば、僕だってここ数年、急に興味の及ぶ範囲を広げてきたような気がする。まあ決して寂しい生活ではないということだ。僕の死んでゆく世界は、しかし新たな命が次々と生まれる、馬鹿騒ぎと命に満ち溢れた世界に違いない。