Strange Days

2003年12月30日(火曜日)

遠すぎた橋 二級峡探訪(未遂)

00時00分 自転車 天気:快晴が続く

 呉の東、広の真ん中を、黒瀬川という川が流れている。呉市街を流れる二河(にこう、と読む)川より大きな河だ。帝国海軍の軽巡の名にもあった気がしたが、これは気のせいだった。黒瀬川というと、全国区ではむしろ黒潮の別名として有名だろうか。
 この黒瀬川の中流域に、二級峡という景勝地がある。昔の書には『安芸国第一の滝なり』などと言われた二級の滝を始め、落差の大きい険しい地形が生み出す奇観が売りだという。近い場所なのだが、今まで一度も行ったことが無かった。
 最近、呉市街と広を隔てる休山に、連絡トンネルが開通した。これできつい山越えか、狭い海岸沿いに回るかしか無かった広への連絡が、一気に便利になった。今日は、このトンネルを利用して、二級峡に行ってこようと思った。
 昼前、またしてもモリスに立ち寄り、腹ごしらえ。それから、広に向けて走り出した。
 トンネルを抜け、しばらく走ると、黒瀬川にぶつかった。実は、GPSは持ってきていたのだが、その台座を忘れてしまっていた(ダメじゃん。いや、広島に帰ったのでダメじゃのお、というべきか)。まあ、迷いそうな道ではないので、素直に走って行った。
 市街地では、川は大きな堀のようなもので、河川敷は全く無い。その西側の車道を走っていった。平坦で、流量も少なく、走りやすい道だった。途中のコンビニでおやつと水を買っておいた。
 しばらく走ると、西側の車道は途切れる。橋を渡り、東側の車道に移ると、とたんに流量が激増してしまった。ここは、呉の北にある郷原地区への幹線で、バスや産業用車両、自家用車が行きかっている道だ。
 郷原までは結構上るはずだが、ここまではそんな傾斜ではない。しかし、次第に川面を離れ、高度が上がってゆく。
 ある程度走ったところで、川沿いに浄水場らしき施設を見つけた。ここから本格的な上りになる。車と競争しながらの上りではあるが、道幅はあるのでつらくは無い。
 途中で、道は二手に分かれ、2本のトンネルへと導かれるようだ。新しい方のトンネルを選ぶ。というか、普通に走っていたら、こっちにしか向かわなかったのだが。
 この新トンネル。道幅が片側1斜線しかない上、こっちからはかなりの上りになる。トンネルは結構長い。しかも、出入り口近辺には車道分けのポールが立っているのだ。これが大敵。だって、車が自転車の走行車線(壁寄り)にがぶり寄ってくるのだ。反対車線(下り車線側)には歩道があるのだが、こちらには無い。これは失敗。どうしようもなく、10台くらいの車をせき止めながら、向こう側へと走りぬけた。広島の人は酒が入ると荒いが普段はのん気なので、ブーイングも無く待っていてくれたようだ。
 トンネルの向こうは、郷原学びの丘、という地であった。呉大学という大学があるようだ。ん、地図によれば、二級峡はトンネルの脇にあるという。しかし、ここから見えるのは、満々と水をたたえた二級峡ダムだけだ。この下流に二級峡があるのだが、どうやって行けばいいの?
 悩んだときはお茶、という鉄則で(どこの鉄則だ)、火器を出してコーヒーを作った。ぽかぽかと暖かな日差しの下、意外に早く着いたなと思った。呉の中心街から1時間程度だったか。
 コーヒーを飲みながら、郷原の更に奥地、黒瀬の方を眺めていた。瀬戸内沿いのこの辺りには高山は無く、低い丘陵と、一つ抜けたような低山が連なって見えた。いつか、黒瀬、熊野、焼山と回ってみたいものだ。
 どうも川沿いの低い場所に降りねばならないように思えたので、帰路は旧トンネルを通るつもりで脇道に入った。だが、その旧トンネルは封鎖されていた......。すぐ脇に二級峡ダムが見える。どうすれば二級峡へとたどり着けるのだ。
 とりあえず、新トンネルをくぐり、川の方に降りられそうなルートを探した。一応、見つかったことは見つかったが、かなり激しく傾斜した、細い道だ。自転車を押して川から20mくらいの高さの位置まで降り、川上に向かって歩いてみた。行き止まりまで歩いたが、川に下りるルートは無さそうだ。
 細い、しかしコンクリート打ちの道を下り、やがて川沿いの集落へと出た。川上に少し走ると、そこは轟々たる水音が轟き渡る、水力発電所だった。二級峡ダムからの大きな落差を利用して、タービンを回しているのだ。
 発電所の敷地に入り(本当の管理区画は塀で仕切られている)、徒歩で上流に向かった。が、途中で黒瀬川に合流する支流に阻まれた。ずっと上に、二級峡をまたいでいる赤いつり橋が見えた。あそこに行きたいのに......。上からも下からも近づけないとは、どういうこと? 中国自然歩道にも掲載されてたんだけどなあ。ことごとく拒絶されてしまった。もしかしたら、トンネルの更にを通って行くのだろうか。
 今更上り返すのも嫌なので、このまま帰宅することにした。川沿いの長閑な家並みを潜り、再び幹線と合流して、元来た道へと復帰した。帰宅して気づいたのだが、今日もフライケーキを買ってあったんだな。これ、上で食べようと思ってたんだけど。まあいい、おやつに食うか。むしゃむしゃ。なんか、空しい。負け犬気分な俺様であった。
 あ、誕生日でした。こんな日に負け犬気分かい。

2003年12月28日(日曜日)

近場をうろうろの一日

00時00分 自転車 天気:いいなあ

 朝、元気に目覚める。横浜から直送した荷物が未着なので、サイクリングジャージの類は無い。一応、インナー型のレーパンは持ってきてはいるのだが。あまり遠出する気分ではないので、近くをうろうろすることに決定。
 MR-4Fを駆り、まずは中通りへ。例年、ここでモリスの中華そば(ラーメンというより、まさに中華そばという感じだ)を食すのだ。まだ昼前だったからか、並ばないで座れた。大盛りといなり寿司を頼む。こんな狭い店なのに、やたらバイトが入っていて(3人)、親仁の体力低下を補おうという意図かと思えた。
 ここの中華そばは、(何度も書いているが)横浜で猖獗を極める家系とは対極にあるものだ。まず盛り付けがぞんざいで、ショーアップの意図の片鱗すらない。味にも作為が少なくて、何種類かの旨味成分をそのままあわせたような塩梅だ。基本的に塩味なのだが(カウンターの前に塩の入った調味カップがあって、親仁がぞんざいにバサッと叩き込んでいる)、旨味が凄く効いていてしょっぱさを感じない。だから、毎日食べても飽きないし、お腹に堪えないのだ。ここは近所の住民(主に他の店舗の従業員)に食を提供するのが主任務なので、こういう味付けになっているのだろう。極度の作為に満ちた家系に慣らされてしまった身には、ホッとできる店だ。考えてみれば、地方地方にはこういう店があるはずなのだ。でもそういう店は雑誌に取り上げられるインパクトが無いし、取り上げてもらいたいという意思も無いしで、ただの旅行者には見つけにくいものだろうと思う。それを掘り起こすのがラーメンマニアには楽しいんだろうな。などと別段ラーメンに熱意を抱いているわけでもない僕が推測してもしょうがないが。
 母の話では親仁の息子さんが継いでくれることになったそうで、まだまだ続けてくれるのだと思うとホッとする。
 帰りに、同じ通りにある福住で、フライケーキというこれも隠れた名物を買って帰った。揚げたてがヤバイ位激ウマの揚げあんパンで、濃い目のお茶があれば際限無く食せそうなものだ。帰って5個食ったら、なんだか眠くなって寝てしまった。ってお子様かい、俺は。

2003年12月23日(火曜日)

走り収めに北の方に行って来た

00時00分 自転車 天気:快晴

 今年最後の祝日は、絵の具を流したような快晴だった。昨夜、寝る前には、三浦半島を走って来ようとか、羽村に往復して来ようとか、サイスポで読んだ記事の通りに宮が瀬に行って来ようとか、様々な案を持っていた。が、寝起きの眠さに撃沈され、昼前の起床になってしまった。これじゃ遠出できないよ。ということで、今年最後の買い物旅行へと予定変更。
 そういえば、TCR-2って最近はローラー台専用だったな。ゆえに、今日の足はTCR-2となった。
 市道環状4号経由、海軍道路という考えもあったが、空が余りに穏やかな晴れ空だったので、境川沿いに北上することにした。八王子街道にぶち当たるまで川沿いに進み、そこからR16に合流し、相模大野へと向かった。
 相模大野では、イトイサイクルを襲う。リクセンカウルのピラーアタッチメントをもう一式欲しかったのだ。しかし、この店では発見できなかった。やっぱりY'sガレージか、いっそのこと和田サイに出かけるしかないようだな。この店では、前から欲しかった折り畳みマッドガードを買っておいた。
 すぐ近くの町田に向かう。丘を一つ越えるだけだ。ヨドバシに入り、最近出たばかりのPocket WZエディタ、miniBなUSBケーブル&ジェンダーチェンジャーを買っておいた。これでシグマリオン3をPCに接続できる、はず。~ その後は、南町田に寄ろうかとも思っていたが、結局、まっすぐ帰宅することにした。
 ロードバイクでトロトロと流し、サイクリングロードを下っていった。多摩川のように満員御礼状態ではないので、非常にリラックスして走れる。全区間、サイクリングロードを直結してくれないかな。ところどころ、川から離れても良いから。
 立場のイトーヨーカドーに立ち寄り、外に出た頃には、もう空は真っ暗になっていた。そういえば、冬至の頃だ。

2003年12月21日(日曜日)

今年最後の荒川オフに

00時00分 自転車 天気:晴れ晴れと

 前日、帰宅したのは0:00過ぎだった。この時間から雑用を片付け、眠るのは2:00を過ぎるだろう。それでも、翌日の荒川オフには出ておこうと思っていた。今年は、天候不順などで荒川オフにはあまり参加できなかったし、公的な走り収め(なにがだ)という意味合いも持たせたかったのだ。
 一応、6:00過ぎ起床のつもりで目覚ましを掛けておいたのだが、ふと目覚めたのは8:00を回った頃だった。ああ、やっぱり目が覚めなかったかとがっくり。とりあえず起き出して、身支度をして出かけた。乗車はチェーンを清掃して好調のMR-4F改。
 地下鉄で戸塚に、戸塚からは湘南ライナーを捕まえて新宿まで出られたのだが、そこから浮間舟渡に向かうと、到着は11:00前になってしまうことが分かっていた。途中の赤羽で荒川に出ることも考えたが、それでは距離的に走りたらなくなるだろうと思えた。浮間舟渡で降り、そこから追いかけよう。
 浮間舟渡に降り、追い始めたのが10:45だった。最初の水門は無理だが、次の虹の広場では捕まえられるだろうと予測していた。30km/hくらいで追いかける。荒川は走りやすいのだが、しかし急激に運動量が増えたのと、深刻な寝不足のために、あっという間に体調が悪化してしまう。ここしばらくは無かったくらい、急激に体調が下がってしまう。ちょっとペースダウンした。
 虹の広場まで後少しという地点で、お城モールトンの二人組みに遭遇した。一人はひるひる氏、もう一人はたまたま行き合わせたモールトン乗りだったようだ。『もう虹の広場は通り過ぎましたよ』といわれ、がっくり来た。思わず、礼もいわずに走り去ってしまったくらいだ(ごめんなさい)。
 虹の広場から、少し戻った橋を渡り、中洲に出る。心拍数が上がりすぎだったので、かなり抑えた走りとなった。寝不足で心拍数が上がりやすくなっていたのか。しかし、人間の体というものは不思議なものだ。しばらく、抑えた走りをしていたら、次第に体調が回復し、また巡航速度が上がり始めたのだ。多少、鍛えた成果が出てきた気がしないでもない。
 最終休憩地点である中川水門が見えたとき、そこに群れる変わった自転車乗りを発見。やった、追いついた。なんとか滑り込んだ途端、まき氏から『もう出るよ』と言われてがっくり。少し猶予をもらった。
 今日は、なんだか進行が早いようで、僕と同じく途中合流を目論んだマモル氏らも、考えていた地点では追いつけなかったようだ。
 心拍が落ち着いた頃、荒川サイクリング一行は、最後の昼食地点へ向けて出発。僕は珍しくパナのチタンロードで来ていたまき氏にくっ付いて、のんびりしたポタリングペースで走っていった。思うに、このサイクリングでは、最初のうちに出来るだけ時間を稼ぎ、最後はのんびり走った方が良いのではないだろうか。
 葛西橋を越え、いつものコンビニで昼食を買う。それから江戸川健康の道(という名の荒川サイクリングロード末端)を走って、臨海公園へと至った。
 昼食を取り、まったりと寝て過ごす。天気は良く、日差しは暖かい。風も無い。絶好の昼寝日和だ。
 14:00に解散が宣言され、僕は東京、新宿方面隊に着いて東京へと向かった。MR-4F改はまずまず快調だったが、どうもリアディレイラーが決まらない。テンションを調整して凌いだが、調整しなおさないと。と、乗るたびに考えて、ずっと忘れてきた過去はあるのだが。
 日比谷公園で一行と別れ、にち氏、マモル氏と共に東京駅に向かい、そこでMR-4Fを畳んだ。にち氏は同じく帰宅、マモル氏は秋葉に寄って帰るとか。ところが、そのマモル氏のポケロケにパンクが発見され、急遽パンク修理大会が開かれた。最初はチューブの噛み込みが発見され、それを解消するべく一度ビードを落とし、サイド空気注入しようとしたのだが、空気が入らないのだ。耳を近づけると空気漏れの音がするので、朴が判明したのだった。実は昼食前にもパンクしてしまい、修理していたのだ。マモル氏が苦労して(小径高圧タイヤは一様に手ごわい)タイヤを外し、チューブを調べてみると、スポーク側にスネークバイトっぽい一対の穴が発見された。それをパッチで修理し、再度苦労してはめ込んだ。なんだか、最後は小径タイヤ嵌め外し大会になってしまったな。
 東海道線で戸塚に戻り、地下鉄経由で帰宅した。

2003年12月14日(日曜日)

久しぶりにサガミに

00時00分 自転車 天気:晴れ

 ふと起き出すと、もう14:00過ぎ。ああ、こんなにいい天気だったのに。まあ疲労はかなり取れたようだ。
 このまま寝なおそうかとすら考えたが、気を取り直してサガミへと出かける。多少の買い物を目論んでいたので、MR-4FにFreePack Sportをつけての出動だった。
 サガミまでは国際親善病院ルートで走った。あ、ろくな昼食を取ってなかったので、ややハンガーノック気味。サガミNo.3になんとか到着し、今日は忘れずにゴジラロックで固定しておいた。
 No.3では26*1.25のチューブ、安売りの鍵を買っておいた。少し長めの鍵で、複数台を固定するときに便利そうだ。
 サイクルセンター店への途中にあるコンビニでおやつを買い食いし、なんとかハンガーノックを解消した。まあ、家まではもつだろう。
 本店ではパールイズミの冬用手袋を買っておいた。グローブは五つくらい無いと間に合わない状況だ。
 3Fにはルーベプロのフレームが入っている。このデザインもなかなかいいな。こっちにしても良かった。しかし、Tarmacの妖しいデザインに惚れたので、仕方が無い。自転車はスタイルで乗れ、というのは真実だと思うのだ。
 サガミを出る頃には、すっかり真っ暗になっていた。しかしハブダイナモ仕様のMR-4Fなら問題は無い。LEDライトの助けを借りつつ、境川沿いに南下。ダイクマに立ち寄った。2Fのヤマダ電機で東芝のHDD+DVD-RAMデッキがかなり安く売られている。食指が動きかけたが、まあPCで出来るところまでやろうと思い直した。
 かれこれ、18:00過ぎに帰宅した。
 それから、MR-4FとBD-1のチェーンを洗浄した。バルビエリのチェーンクリーニングキットを持っていたのだが、いまいち落ちないという印象だった。しかし、クリーニング液をあまり薄めないで使用すると、良く落ちるのが判明。これでどちらもチェーンがきれいになった。しかし、そろそろBBを抜いて、完全な清掃をしなければならない時期だ。
 夜、寝る前に『フセイン捕縛』の報が入ってきた。なんと、生け捕りになるとは。状況からいって、フセインがイラクでのテロに直接関係するとは考えにくくなった。しかし、フセインの存在という信仰を恃んでいたテロリストたちにとって、これが大きな打撃になるのはいうまでも無い。予断はならないが、アラブ人の気質から言って、テロは収束に向かうのではないだろうか。

2003年12月13日(土曜日)

鶴見川をのんびり走ってきた

20時00分 自転車 天気:晴れたね

 8:30頃に起床。前夜、就眠が遅かった割に、目覚めは悪くなかった。
 朝食を取り、自転車の準備をする。今日はBD-1改で出動だ。なんだかんだ良いながらも、案外に良く乗ってるのがこのBD-1だったりして。チェーンロック、輪行袋、工具、チューブなどをサドルバッグに収め(オストリッチの小径車用4lのものなので、これくらいは入ってしまうのだ)、財布、携帯電話、雨具、火器などはメッセンジャーバッグに入れて背負うことに。立場駅まで走り、そこで輪行準備をする。BD-1を畳むのは意外に久しぶりだったりするので、ペダルの位置などの細かいノウハウを、すっかり忘れていたりして。結果、輪行準備に5分ほども掛かってしまった。
 予定の便は乗り逃がしてしまったが、それでも時間に余裕はある。最後尾に乗り組み、BD-1を空きスペースに置いて、まったり座って過ごした。
 新横浜で降り、地上に出てみると、@nak組とにち氏、hai氏は既に到着していた。ほどなくまき氏も到着。あれ、その自転車は......! まあ、黄色かったといっておこう(謎)。しばらく、なぜか試乗会が開かれる。
 やがて途中まで同行していただけるCHEE氏、やや遅れてマモル氏も到着した。今日は、このメンバーで、鶴見川に沿ってまったり走ろうということになっていた。
 新横浜から国際競技場(氷川きよしライブとかで駅周辺は混雑していた)横を通り、やがて鶴見川に出る。鶴見川沿いには、以前あざみ野から上流を走ったことがある。その時には荒れた路面が多く、細い道ということもあり、あまり走りよいとは思えなかったものだ。新横浜から上流の区画は、それに比べれば路面は良い。が、細さはあまり変わらないので、やはり走りよいとはいえない。なんとなく、境川っぽい眺めだ。
 そんな道だが、集団で走るとそれなりに楽しくはある。BD-1はMR-4Fほどには路面に敏感ではないので、のんびり走るには向いているものだ。しかし、メッセンジャーバッグが意外に重く、腰に来た。
 暖かな日差しの元、十分な防寒をして走っていると、汗ばむほどだった。しかしスポーツ用自転車とすれ違うことはほとんど無い。特にロードバイクは、1台しか見かけなかった。また途中でBikeFridayのアップライト(ポケロケ?)とすれ違ったそうだが、全然気づかなかった。
 1時間弱走り、R246にぶつかったところでCHEE氏とお別れ。ここで昼食にしようということになった。あかべこというイタ飯屋だった。ここで大問題発見。サドルバッグにゴジラロックを収めてきたのだが、なんと鍵の方を忘れてしまっていたのだ(滅)。その重さに、畳んだときの自立性が悪化するのにも目をつぶり、頑丈さを恃んで持って来たのに。無駄になってしまった。まき氏の自転車と連結して凌いだ。
 この店、イタ飯屋という割に、メニューはほとんどカリフォルニアっぽい小洒落た肉料理ばかりだ。ステーキを頼み、着いてくるデザート、コーヒーまで楽しむ始末で、たっぷり居座ってしまった。結果、これ以上上流に行く気力を喪失する一行だった。
 店を出て、支流である早淵川に向かう。その川沿いにはあまりいい道は無かったが、交通量は少なく、まったり走れる。道は、やがて鶴見川本流との合流点に差し掛かった。ここは見晴らしが良く、また三又の先端に立てるので、非常に気分が良い。(あ)氏によって記念撮影がなされた。
 鶴見川に掛かっている低い橋を渡り、鶴見川右岸を下っていった。比較的道が広く、見晴らしも良いので、安全な道だった。しかし、ここもスクーターの侵入には悩まされているようだ。途中、道路を超えたところにあった車止めは、ママチャリですら乗車しての通過が不可能なタイプだった。それ以外には、悪質な車止めは無かったのだが。
 だんだん川幅が広がり、やや殺風景になってきた頃、R1、R15と相次いでぶつかった。そしてR15で鶴見川と別れを告げた。ここからは、にち氏の先導で鶴見駅まで走ったのだが、裏道を通ったり、R15を通ったりして、なぜか右往左往している観があった。京急線沿いに走ると面白いと思ったそうだが、この人数での通過には無理があったように思う。しかしそれなりに退屈しないで、鶴見まで走り抜けた。
 鶴見駅に来たのは、ここでまき氏とお別れするため。夜の部の予定もあったのだが、まき氏にやるべきことがあるとかで、参加できないということになったのだ。
 鶴見駅を後にし、急速に暮れ行くR15を走って、横浜まで帰り着いた。冬至の近い時期ゆえ、日が落ちるのが本当に早い。

2003年12月10日(水曜日)

今夜もローラー台を回す俺様

23時00分 自転車 天気:なかなか

 そんなわけで(どんなわけだ)、ボーナスも無事に出た記念で、ナイトランして来ようかと思っていた。冬用装備の耐寒性能を見る意味もある。しかし、今夜は寒すぎ。そこまで気力がわかず、結局はローラー台でハムスター化するのが関の山な俺様であった。
 40分くらい、黙ってひたすら回し続ける。汗が額を滴り落ち、それが冷えて不快な感じになるので、タオルで拭きたい。が、タオルは手を伸ばしたくらいでは届かない場所にある。なら降りればいいのだが、せっかく体も暖まっているのに足を止めるのも癪だ。そういうわけで、汗も拭かずに回し続けた。
 しかしまあ、もう少しモチベーションを維持する工夫をしないと、ハムスター化もご無沙汰になるかもな。

2003年12月07日(日曜日)

町田までお買い物の旅

20時00分 自転車 天気:意外にいい

 昼過ぎに、TCR-2で町田に向かった。朝に届いたSigmarion3の液晶保護シートを買いたかったためだ。
 行きは横浜市道環状4号線を通り、海軍道路、八王子街道と走り、境川との交点から境川沿いに走った。天気は良く、ぽかぽかと暖かい。上は半袖Tシャツ+カステリのウィンドブレークジャージ、下は届いたばかりのパールイズミのウィンドブレーク・タイツだったが、特に下はこれだけで十分という感じだった。
 多少の買い物を目論んでいたので、これも届いたばかりのメッセンジャーバッグを背負って行った。平べったいので、箱物や本を運ぶのには、バックパックよりも便利だ。
 天気が良いからか、散歩の人がとても良い。久しぶりのロードバイクの乗り味を楽しみつつ、町田駅のヨドバシ側に到達。店内に入った。
 町田店はフロア面積が広く、横浜店よりずっと充実している。今日も一眼デジカメを眺めてみた。ミノルタの*istは軽くていいのだが、価格がなあ。しかし、AF速度が高速で、速くなったといわれる最近のコンパクトデジカメと比べても段違いだ。これならシャッターを切るのが楽しいだろうなと思う。メモ撮り主体のコンパクトタイプ対撮る事自体が主眼の一眼デジカメ、というところか。
 首尾よくSigmarion3用の画面保護フィルムをゲット。そのすぐ下に、CLIE T650C用ボールペン内蔵スタイラスペンがあった。こんな細いのに内蔵できるのか。スタイラスペンは以前無くしてしまい、ボールペン(のキャップ)で代用している状況だったので、これも購入した。
 年末ということでいろんな会社の販促員が声を張り上げている。特にauは1円セールを繰り広げていた。INFOBARじゃなくて、こういうのでも十分だったか。でもINFOBARは妙な所有感があっていいのだ。
 メッセンジャーバッグに詰めて、来た道を戻ってゆく。途中、南町田はグランベリーモールのモンベルショップに立ち寄った。アルコールバーナー用の燃料ボトルと、そのまま火に掛けられるチタンマグを買おうと思っていた。しかし、燃料ボトルは大きいもの(500mlとか入っちゃうもの)しかなく、チタンマグは『まあチタンシエラカップが(なぜか買って)あったから良いや』と思い直し、買わず終いだった。どうしても必要だと思ったときに買おう。防寒用にナリーニとかアディダスとかの防寒サイクリングジャケットが欲しいとも思っていたのだが、実物を見ると意外にカステリのウィンドブレークジャケットと大差無さそうだったので、これも見送り。考えてみれば、去年冬季に走っていたときも、体はそれほど寒さを感じてなかった気がする。襟首と足元が問題だった。
 日が傾くと、一気に気温が下がってきた。ウィンドブレークジャージだけでは寒い。そこで小さく折り畳んでいたフード・イン・ジャケットの出番だ。取り出して着込むと、それだけで体が寒さを感じることは無くなった。厳冬期にも、この下にさらにウィンドブレークジャケットでも着込むだけで十分そうだ。
 今日は北風なので、帰路は追い風でスピードが乗った。が、火が暮れかけていたので、ライトをつけ、スピードを抑え気味にして走った。しかし、25km/h以下でゆっくり走っているときにも、ロードバイクは非常に安楽な乗り物なのだ。これくらいのスピードなら、ペダルにはほとんど負荷を掛けないで回すだけで良い。スリック化したMTBでも同じスピードを維持するのは楽なものだが、どうしても粘つくような路面の抵抗を感じ続ける。タイヤのおかげか、ロードでそれを感じることは少ない。この乗り味は好きだな。
 日が暮れきった頃に帰宅した。

2003年12月06日(土曜日)

そしてラックを組み立てた

23時00分 自転車 天気:意外にもほぼ曇り(だが雨にやられた)

 帰宅して、カブトのラックに手を着けた。これは天井と床との間に支柱を立て、そこに自転車を掛けるタイプのもの。
 組み立てて、テンションを掛けるためのスプリングを全力で押し縮めつつ、適正位置におっ立てた。自転車を掛けるフックは、オプションで買った一つを含めて三つ。その一番下に、TCR-2を吊るしてみた。うん、いい感じ。このまま簡単な整備なら出来そうなのも、いい感じだ。しかし、自転車って意外に高さがあるもんだな。三つ吊るすつもりだったが、フルサイズのものは苦しそうだ。今、ラックに掛かってないのは、玄関に置いてあったTCR-2と、物置部屋の14インチ2台。このうち、トレンクルを真ん中のフックに掛けてみた。......むぅ、これはダメだ。真ん中のフックは支柱の継ぎ目のすぐ下にあるので、これ以上は上がらない。しかし、トレンクルのタイヤがTCR-2のハンドルバーに干渉してしまう。また、トレンクルは重心が高いので、フレームを支持するタイプのこのフックの上では、ややもするとひっくり返ってしまいそうだ。これは弱ったな。
 その時、電波の命令が脳に届いた。曰く、入れ換えよと。それを『TCR-2とトレンクルの吊るす位置を入れ換えること』だと直ちに了解した我輩は、早速TCR-2を中断に、トレンクルを中段に入れ換えた。しかし、これでは解決にならない。電波の神も間違いを犯すのか。
 すると次の命令が届いた。曰く、折り畳めと。これを『トレンクルを折り畳め』という意味だと了解した我輩は、再び電波の命ずるままに作業を実行した。うむ、ハンドルポストとシートポストを畳むと、重心が下がり、なんとかひっくり返ることは無くなりそうだ。さらにトレンクルを吊っているフックをぎりぎりまで下げ、後輪を接地させると、完全に安定してくれた。これでクリアランスも確保できるだろう。んが、TCR-2を吊ると、それでも少し干渉することが分かった。ああ、電波の神にも限界があるのか。
 そして、最後の命令を脳で受信した。曰く、回せと。これを別にビッグラットを回せ(ジョー90爆)という意味ではなく、『干渉しない位置までフックの水平位置を回せ』という意味だと察した我輩は、操り人形のようにその命令を実行に移した。ブラッボォー! これで2台の自転車が干渉も無く、仲良くラックに釣り下がった。さらに、一番上のラックは、フルサイズロードを吊るすのに十分な高さを確保できたようだ。Tarmacが来ても大丈夫だ。
 しかし、大荷物の移送の際には、いちいち自転車をラックから降ろさなきゃならないね。ぐはぁ(大喀血)。

雨の予報の日に、少しだけ出かけた

19時00分 自転車 天気:意外にもほぼ曇り(だが雨にやられた)

 雨の予報だったのだが、意外に昼を過ぎても雨は降り出さない。不気味な空模様ではあるが、ところどころ晴れ間も見える。微妙な天気だ。お腹が空いていたので、飯を食いに&何かを買いに、BD-1で出かけることにした。
 雨の危険を冒して外出したのは、昨日届いたウェアを試してみたかったからだ。買ったのはパールイズミのフード・イン・ジャケットというフードつきウィンドブレーカー、もう一着欲しかった同じくウィンドブレーク・タイツだった。後は小物を少々とハンドルバーとタイヤ。
 このジャケット、意外に暖かく、下に長袖Tシャツ、長袖ジャージと重ね着していたら、軽く走っているだけでも汗ばむほどだった。厳寒期にも十分通用しそうだ。また折り畳んで小さく収めることも出来るようだ。
 なんとなくカレーを食いたくなったので(シエルの呪いか)、CoCo壱でグラタンカレーを食す。
 その後、時間的に遠出は不可能だったので、湘南台に出て、ダイエーに立ち寄った。体脂肪率計測機能つきの体重計を買う気で眺めていたが、なんとなくボーナス後に持ち越す気になった。
 ダイエーを出ると、なんと雨が降っている! 一瞬、呆然としたが、これもジャケットの撥水性を見る良い機会だと思い、あえて合羽を着ないで走って帰った。幸い(あるいは残念なことに)雨はほぼ上がっていたのだが。撥水性は良好なようだ。真冬のライドでは重宝するだろう。