Strange Days

2004年02月29日(日曜日)

足を剃った

16時05分 自転車

 昨晩、風呂に入ったとき、久しぶりに足を剃った。かれこれ二月ぶりだろうか。意外にボリュームは無かった。もちろん、1週間ごとに剃っていた頃に較べると、段違いに手間は掛かったが。
 んで、今朝、出勤するとき、妙に足元がスースーするなあと感じた。それで、昨日剃ったことを思い出したのだ。あの程度の体毛でも、防寒の役には立っているらしい。多分、気流の通過を阻害することで、放熱を妨げる働きをしているのだろう。
 後二月も経つと、ショートのレーパンの季節がやってくる。

2004年02月28日(土曜日)

久々にサガミに

22時12分 自転車

 今週一杯の残業続きに疲労したのか、9:00には起きるつもりだったのが、目覚めると既に13:00過ぎ。明日も休日出勤しなければならないし、遠出は出来ないな。久しぶりにサガミまで出向くことにした。
 TCR-2を駆って、サガミまで突っ走った。考えてみると、TCR-2を外に持ち出したのは、オオタ氏のCrusoeお披露目オフ以来か?
 No.3でRitchyの軽そうなバーエンドバーと、スペシャのグリップを購入した。前からどうしようか悩んでいたEPIC号のハンドルバー換装をやってしまおうと、やっとのことで踏ん切りをつけたのだ。EPIC号もBD-1もサドル先端からステム中心までの長さは同じなのに、なぜかEPIC号の方が近く感じていた。不思議だなあ、とりあえずアヘッドを換えてみるか、などと考えていたのだが、よくよく考えるとEPICのハンドルバーは流行りのアップライズ型だ。その分、近く感じるのは当然ではないか。なら、Ritchyの軽量ハンドルバーを買ってあるのだから、それに交換すれば済むはずだ。ということで、これも交換したかったバーエンドバーとこれは交換せざるを得ないグリップを購入した。
 帰宅して、早速交換作業する。いつもながらグリップの脱着に苦労して、これならLockJawsを買えばよかったと後悔したりしてな。
 ともかく交換して、試走してみた。EPIC号の現状。交換したハンドル部分。
 うむ、やはり少し遠くなり、ポジションはかなり楽になった。バーエンドバーも前より引きやすい気がする。これで100kmばかり走ってみたくなった。が、明日は仕事だ。

2004年02月22日(日曜日)

久しぶりのBikeE

19時12分 自転車

 さて、今日は午後遅くからお仕事があるので、遠出は出来ない。そもそも、昨日の夕方から吹き始めた風が強すぎで、アップライトではよれてしまうかもしれない。うーん、まあ、リカンベントならいいかな。
 久しぶりにBikeEたんを引っ張り出しました。というか、アパートの部屋の前にデーンと置いてあるのだが。久しぶりにBikeEを眺めて、でかくて重くて赤いペダル(一時BMX用として売っていたシマノの旧型ケージつきSPDペダル)が邪魔に思え、手許にあったPD-R600と付け替えた。SPD-SLはほとんど垂直に立つので、実はリカンベント向きのペダルなのかもしれない。靴を選ぶのが難だが。というか、お買い物自転車としての使命を、既に忘れているぞ。
 さて、どこまで行こうかなと思いつつ、境川へと漕ぎ出した。R600のセッティングがこうなっていたのか、クリートの固定に結構力を使う。外すときもいわずもがな。そういえば、僕はほとんど全てのビンディングペダルの拘束力を最低にしてあるのだが、これは中程度にして試していた気がする。それ以外では、SPD-SLの踏み面の広さが生き、踏みやすくて回しやすい感じがあった。クランク先の重量も半減したわけだし。
 境川を下っていたとき、顔に雨粒がぽつぽつと当たった。細かい雨粒で、恐らくは遠くから風で流されてきたのだろう。とはいえ、夕刻に近づくと雨になるという予報。仕事の時間もあるので、飯田牧場リターンに決定。
 飯田牧場ではモカのジェラードを食す。天気がいいため、人出も多いようだ。
 ジェラードを食っているとき、珍しくもロードの二人連れがやってきた。僕のBikeEを見て「あっ、BikeEだ」と小さくいった。声をかけて、少し話をした。上流から下って来たようだ。
 帰宅して、そそくさと着替え、会社に向かった。とはいえ、万が一の障害対応なので、その障害が起きてないことを確認したところで帰宅。こんな馬鹿馬鹿しい仕事が来週にも待っているのだ。いや、来週はさらに本格的になりそうだ。

2004年02月21日(土曜日)

奥湯河原ツーリング

21時25分 自転車

 今日はBD-MLで募集した湯河原ツーリングの実施日。10:00に湯河原駅集合というゆっくりしたスケジュールということもあり、7:00に起床して、8:00前に家を出るという、やや余裕のある出発となった。これも現地に9:30前に着いておきたいからであって、10:00前に着けばよいということなら、さらに遅くても良かっただろう。自転車の選択は、距離的に20km程度ということもあり、BD-1となった。MR-4Fは、ブレーキにちょっと不安がある。
 湯河原には9:20頃に降り立った。しかし、まずホームからして凄い混雑だった。改札を抜けるのにも苦労する。どうやらウォーキング大会の類が開催されているようで、いつもの5倍くらいの混雑振りだった。かなり嫌な予感が漂い始める。
 ひっきりなしにバスが発着し、数多くの客を捌いている。梅のシーズンに入り、幕山方面は混雑しそうだ。その幕山に向かうのだから、厳しい状況になりそうに思えた。
 9:30を過ぎた頃から、ぽつぽつとツーリング参加者が集まり始めた。しかし、空には暗い雲が掛かっている。あまつさえ、パラパラと雨が降り始めてさえいた。おいおい、こんなときに雨か? しかし、それ以上の雨は免れ、その後は暖かな中でのサイクリングになった。
 10:00過ぎ、参加者が集まったので、出発することにする。まずは幕山に向けて走り出す。
 途中、コンビニに立ち寄った後、幕山公園へと上って行くと……。この車の群れはなんじゃ? 思いもかけないくらい下まで、車が詰まって待っているのだ。それだけならまだしも、ただでさえ狭い道をぎりぎり一杯まで寄せているため、自転車が通り抜ける余地がほとんど無いのだ。バスが行き交う関係で、どうしてもぎりぎりまで詰めてしまうらしい。特にバスの横は抜けようが無い。ほとんど押して上がり、バスの横などは車線の中央側を抜けることさえあった。この上りは斜度も緩く、楽しい道のりになるはずだったのだが。
 四つあるうちの一番下の駐車場を越えたところに待ち行列の先頭があり、それ以降は乗ってゆけた。駐車場の係員に声をかけると、『そのまま進入禁止位置まで乗っていって、それからは押しで公園に入ってもらって構わない』といわれる。ああ良かった。なんかいつも勝ち組気分の自転車で、今日に限って負け負け気分を味合わされたところだったので、この優遇振りは気分直しに繋がった。
 自転車は公園入り口に固めて止め、しばし散策することに。とはいえ、僕が薦めた梅アイスの賞味にほとんど時間が取られてしまったのだが。その後、ほとんどの参加者が散策に出かけたのに対し、GPSをつけたままだったのに気づいた僕は、慌てて自転車のところに戻り、一同を待つ。
 全員が集まり、12:00頃に幕山公園を出た。下りは流石に車が詰まることも無く、快適なダウンヒルだった。
 途中、湯河原方面に道が変わるところで、すずりょう氏のBD-1のスタンドにトラブルが発生。スタンドを跳ね上げるためのスプリングが外れてしまったのだ。しかし、スプリングは落ちなかったので、その場で再生作業が始まる。要はスプリングをはめなおせばいいだけなのだが、これが結構力が要るのだ。結局、すずりょう氏自らがはめることに成功し、一件落着となった。
 湯河原駅に戻ってきたのは、予定通り12:15くらい。ここから、いよいよ奥湯河原へのヒルクライムが始まる。
 街中を通りながら、次第に高度を上げてゆく。途中、もう一度コンビニで休憩を取り、時間を調整しながら上って行った(50%くらい登った辺りで)。全員、危なげなく登っていった。最後の方は15%超と思われる急傾斜だが、トレンクルで参加のいいづか氏を含んで、危なげなく登頂に成功した。ここはいつも汗をかく場所だ。
 全員が紅葉亭の駐車場に揃ったところで、記念撮影。ちょっと早めだが(13:10には着いてしまっていた)、店に入ると、もう席が確保されており、座ることが出来た。
 朝、あらかじめ注文を集め、店に電話しておいたこともあり、物はあっという間に揃った。今日はほとんどのメンバーが天ざる蕎麦を頼んだのだが、僕は天ざるうどんにした。相変わらず、強い腰で楽しめる。
 14:30くらいまでのんびり過ごし、いよいよダウンヒルだ。こけると痛いので、出来るだけゆっくりと下っていった。
 途中、不動の滝に立ち寄った。シーズンインしたためか、茶席が設けられ、いつもより華やかな雰囲気だった。いつも散歩中のウサギが、今日は店頭をうろついていた。ウサギ、飼いたいなあ。最後は香り草のシチューで(このブラックさはこぐ氏的だが)。
 今日は万葉公園は独歩の湯に立ち寄った。概ね受けは良かったようだ。やはり人出は多かったが、入れなくなるほどではなかった。すずりょう氏はここで離脱。
 足湯を小1時間楽しんだ後、湯河原駅に引き返し、ここで一応の解散となった。まだメンバーの半分は走り足りなさそうで、真鶴道路経由で小田原に行くという。残りはここで輪行することにし、分かれることになった。僕は、もちろん輪行組だ。
 東海道線に乗り込み、同じく輪行組のすずきなおし氏、いいづか氏、マモル氏らと話しながら、車中でビールを空けた。うむ、この一杯。たまらん。
 戸塚で降り、帰宅した頃には、もう日が暮れきっていた。
 今日も楽しく走れたと思う。参加者の皆さん、お疲れ様でした。

2004年02月15日(日曜日)

パンターニ逝く

22時30分 自転車

 夜、いくつかの自転車系個人サイトを見て回っていたら、『パンターニが死んだ』というショッキングなニュースが飛び交っていた。特に詳しいのは、いつものようにNacoさんのトクダネページ。亡くなった状況からすると、自殺が疑われても仕方ない状況だが、薬物の過剰摂取などの事故の可能性もありうる。少なくとも他殺の可能性は消えたようだ。
 今年に入って、いや去年の段階から既に、パンターニは事実上引退同然の状況にあった。モチベーションを維持できない、という本人周辺からのコメントも漏れ伝えられていた。ここ数年は、チームや当人周辺のトラブルに引きずり回され、思うようにレースに集中できなかったように見えていた。ダブルツールという偉業を成し遂げた反動か、世間の耳目が彼に集まっていたわけだが、豪放そうな外見と裏腹に、実は繊細だといわれる性格の彼には、ノイズの多い環境は耐えられなかったようだ。彼がもう少し運に恵まれれば、アームストロングのツール・ド・フランス連覇だって難しくなっていたはずだ。
 今は捜査の結果を待つしかない状況だが、パンターニをレースに集中させることが出来なかったイタリアの自転車関係者は、きっと後味の悪い思いをしていることだろう。
 さようなら、マルコ。あなたは人生最期の頂上ゴールを決めてしまったのだね。

2月の荒川サイクリング

22時10分 自転車

 今日は、吉例荒川サイクリングの日。1月の時は体調不良で出られず、さらに昨日もインフルエンザの余波で復調しきってなかったので走れず、今日はその鬱憤を晴らすべく少し走りたかったので、参加することにした。
 参加宣言にはTCR-2で出ると書いた。Tarmacの到着予定が3月で、次回の荒川ではTCR-2がフレームだけになっている可能性があり、ならばこれが最後の機会と思って連れて行くことにしたのだ。ところが、ふとサイクルベースあさひを確認すると、入荷予定が5月になっているではないか! これは当面届かんなと思い直し、体調が万全でもないことを勘案して、BD-1での参加に急遽あいなった。
 今日は浮間舟渡まで行くつもりは無く、赤羽から最初の休憩ポイントで直接合流する腹積もりだった。7:30くらいに地下鉄に乗れば、東海道線で東京、京浜東北線で赤羽と乗り継ぎ、9:00には赤羽に出られるはずだ。
 赤羽で降りたのは9:00前。BD-1を展開し、荒川へと向かった。まだ浮間舟渡は出てないだろうと睨み、途中合流の可能性を横目に、浮間舟渡までの遡上コースを取った。
 荒川は、やはり広くて走りやすい。特に上流に近いこの辺りは、下流のグラウンド沿いの区画のような惨状はなく、静かなものだ。のんびり走っていたら、前をロードっぽい自転車に乗った人が走って行くのに突き当たった。無理に追い抜くのも嫌なので、少しずつ距離を詰めながら寄って行くと、おや、この自転車は小径車だ。それどころか、乗っている方に見覚えが……。なんと、先週お会いしたばかりのオオタ氏だった。少し遅めに起きたので輪行するつもりだったのだが、面倒になって自走してきたのだという。
 オオタ氏と肩を並べ、さてどこで合流するかと思いつつ走っていったのだが、結局は浮間舟渡を出発直前に滑り込むことに成功した。しかし、当然のことながら、即座に出発する羽目となった。
 今日はカラッと晴れ上がり、暖かな日になった。南下する道中、あまりに暖かいので汗ばむほどだった。今日は参加して良かったなと思った。
 中洲に渡ってからの道は、いつの間にか整備が進んでおり、意味あるのかよと思っていた真ん中の未舗装区画が、いつの間にか舗装されていた。中川水門を過ぎ、葛西橋を過ぎたところで、なんと集団で道を間違え、行き過ぎてしまった。マモル氏とおしゃべりしながら走っていたせいもあるのだが、先ほどもいったように道の整備が進み、前と状景が変わっていたために、ついつい葛西橋への入り口を見落としてしまったようだ。
 昼食時、おの氏の発案で集合写真が撮られた。集合写真が撮られたということは、かなり人数が多かったのだろう。
 解散後、東京組について日比谷公園まで走り、そこから東京駅に出て、輪行で帰還した。
 今日は天気にも恵まれ、気持ちいいサイクリングが出来た。

2004年02月14日(土曜日)

まだいまいちなり

22時56分 自転車

 朝6:00に起床。今日は三浦半島を走ってこようと思っていた。しかし、起き抜けに咳が何発か出る。しかも胸の奥になにかが残っている感じの奴をだ。ううむ、これは無理しない方がいいか。来週末には俺様主催の湯河原梅見ツーリングが待っているし。
 昼頃までゴロゴロして、さすがにゴロゴロにも飽きてきたので、外に飯を食いに出かけた。またしてもCoCo壱番屋でシエル先輩のごときしつこさでカレーを食す俺様だった。今日は2月一杯というグラタンカレーに、チーズとベーコンをトッピングしてみた。なんか、凄くしつこい味になったな。
 帰路、ダイクマに立ち寄り、ふとホットグルーガンを買った。ぴったりのねじが見つからなくて、なんちゃってランドナーのキャリアに取り付かないリフレクターフラッシャーを、コイツで取り付けちゃおうというわけだ。強度は大丈夫かな?
 今日もEPIC号で出かけたのだが、ポジションを気にしながら走ると、ハンドルが近すぎるのに気づいた。後、2cmは離したい感じだ。もしかしたら、ロードポジションに慣れて、そう感じているだけかもしれないが。しかし、ハンドルを引きつけにくい気はしていたので、もう少し長いステムを試してみる価値はありそうだ。

2004年02月12日(木曜日)

EPIC号のタイヤを替えました

17時28分 自転車

 去年の南会津から一度も乗ってないEPIC号。うちで一番高いバイクなのに、これは勿体なさすぎる。というわけで、今年に入って一度も乗ってない自転車愛護月間の始まりだ(いつの間に始まったんだよ)。
 EPIC号は南会津の時のオフロード装備のままだった。このまま円海山辺りを走ってこようと思いつつ幾星霜。このオフロード装備のままだったのが、EPIC号不稼働の主因だったのだ。というわけで、早速スリック+ロード用スプロケの街乗り装備へと戻すことにした。
 今まではパナレーサーのT-Serv1.25を使っていたのだが、これがもうサイドがほつれることほつれること。ある程度ほつれれば落ち着くものの、いつサイドカットしてしまうかと心配になってしまう。そこで、今度はIRCの新型タイヤ、スムージー1.25に履き替えることにした。このタイヤ、T-Servに較べると、やや幅があるようだ。圧も5PSI程度だが多く入る(Max95PSI)。
 早速この新街乗り装備で藤沢の東急ハンズまで走ってこようと思い、たっぷり着込んで出かけた。
 走りは、どうかなあ。T-Servとそんなに変わらないような気がする。体調が万全じゃないせいもあるだろうが、少し重い気もする。まあ、もっと距離を乗ってみなければ分からないか。サイドが切れやすいかどうかも含めて。
 ハンズに行こうと思ったのは、新しいバーエンドを買おうと思ったからだ。このEPIC号、どうにもダンシングがやりにくい。原因は何だろうと思っていたのだが、ハンドルが広すぎるような気がしていた。そこで今日、あらかじめ買ってあったリッチーの軽量アルミのストレートタイプに替えようと思い、いちおうサイズを測ってみたのだ。すると全幅530mm。これはBD-1と同じ程度だ。BD-1でダンシングが難しいと思ったことは無いのだが。すると単純にハンドル幅の問題ではないのだろうか。そこで気がついたのが、BD-1とEPICとのバーエンドの形状の違いだ。BD-1のものはエンド部から外側への突き出しは無いのだが、EPICのものは5mmほど外に突き出している。この差がダンシング時のポジションに影響しているのだろうか。ならBD-1のようなタイプのバーエンドに替えようかと思い、ハンズに立ち寄ることにしたのだ。
 だが、境川へと向かう裏道で、もう一つの要因に気づいた。Qファクタが広すぎるのだ。そういえば、EPICのBB軸長は、手持ちのバイクの中では最長だ。だとすると、これに関しては打つ手がない。チェーンラインを適正に保つためには、今のBB軸長を縮めることは出来ないのだから。ちょっと、考え直した方がよい。結局、湘南台でリターンする事になった。
 手元のSPDシューズはどれも、Qファクタが最小になるようにクリートをセットしてある。故に、これからさらに縮めるというのは難しい。これは少し困った。Qファクタが広い場合、ハンドル幅もそれなりに広い方が安定するのだろうか。悩ましい問題だ。

2004年02月07日(土曜日)

オオタ氏のCrusoe試走ツーリング

22時49分 自転車

 ここ数回、ママチャリで荒川サイクリングに参加されていた、オオタ氏が、新しい自転車を遂に手に入れた。モノはBike FridayのCrusoe。なのだが前後ホイールが451だったり、ドロップハンドルだったり、ノーマル仕様からはかなり変えてあるのが特徴だとか。そのお披露目を兼ねて、試走ツーリングに行きませんかとマモル氏に誘われた。
 今日はBikeEで出かけようかと思っていたのだが、出掛けにドタバタしてしまったため、時間が押し詰まり、しばらく乗ってなかったBikeEのメインテナンスに時間を割けなくなった。やむなく、いつでも持ち出せるTCR-2で出動の運びに。なんか、これとBD-1しか乗ってないような気がしてきた。
 長後街道をひた走り、11:00前後に戸塚駅西口に到着。既にマモル氏、オオタ氏共に待っていた。オオタ氏のCrusoeは、マモル氏が乗ってきたPocketRocketと一目では区別がつかない(そりゃデカールには"Crusoe"ってでっかく書いてあるが)。しかし良く見ると、フォークやシートステイに違いがあるなど、細かな相違点を見つけ出すのは容易だ。輪行も簡単そうだし、BS-Moultonとどちらが小径スポーツ車として楽しめるか、なかなか選択に迷うところだ(って買うのかよ)。
 まずは柏尾川沿いに下ってゆく。BikeEでの出動をためらった理由の一つが、柏尾川サイクリングロードに散在する車止め。どうもリカンベントでは通り抜けに苦労しそうな気がするのだ。まあ、気楽(安楽ではなくて)に走るには、機敏に重心移動できるアップライトの方が好きなのだ。
 途中、藤沢を過ぎた辺りにあるパン屋で昼食を仕入れ、裏道経由で江ノ島へと抜けた。ヨットハーバーに出る。風が強いので、突端のひな壇(?)はやめて、ハーバー根元にある東屋で食事する事にした。ここは自販機があり、トイレも水場もあるので、休憩するには非常にいいところだ。また冬季は窓が密閉されるので、風も完全に防げるのだ。今日はかなり風邪気味(いや明らかにインフルエンザだ)なので、風を凌げるのは助かる。
 パンを食べながら、2台のBikeFridayを持ち込んで、あれこれいじったり比較してみたりした。ここに来るまでに、オオタ氏のCrusoeはハンドルの位置を上げたり、前変速機を調整したりと、細かく調整していた。さらに細かい調整を試みたりもした。
 大きな違いとしては、シートステー(ポケロケ:ウィッシュボーン、Crusoe:ストレート)、折り畳み時のリアフレーム挿入方向(右、左)、シートパイプ折り畳み角度(Crusoeの方がより大きく右に倒れる)、フロントフォークの形状、などがある。シートステイ、フロントフォークの相違点以外は、全て最近のBikeFriday共通の改良かもしれない。
 自転車を眺めて楽しんだ後は、来た道とは違うルートで境川を遡っていった。途中、飯田牧場に立ち寄った。いつの間にかホットのカフェオレなんか始めていた。冬場はいいかも。
 オオタ氏は奥方が相模原市に来ているとかで、合流のために湘南台で輪行することになった。僕とマモル氏はそれを見送り、ダイエーに立ち寄るためにマモル氏とも別れ、ダイエーの88円均一コーナーでドリップ式コーヒーを買って帰宅した。
 ううむ、買うならポケロケで決まりかと思っていたのだが、Crusoeでも十分かもしれないなあ。
オリンピック記念碑の前にて

2004年02月04日(水曜日)

今夜もローラー台

00時00分 自転車 天気:晴れてますね

 やや暖かな日だった。今夜くらいはナイトランしようかと思いつつ帰宅したが、帰ると出るのが億劫で、結局はローラー台で汗をかく夜になった。タイヤが温まるまではかなりでかい音を立てるので、あんまり早くは回せないのだが。
 風呂に入って頭を洗うと、最近取り付かれている目のかゆみが嘘のように取れた。やはり花粉症が始まっているようだ。土日と元気良く走り回ったツケが回ってきたのだろうか。甜茶を毎日飲んでいるので、あんまりひどくならない、といいな(希望)。そろそろ、外を走るときに使えるマスクが欲しくなってきた。

2004年02月01日(日曜日)

みなとみらい線開通記念ポタ

00時00分 自転車 天気:いいんじゃないか

 金曜日に東急の横浜~桜木町間が廃止され、土曜日に切り替え工事、そして本日2/1に、地下鉄みなとみらい線が開通した。そこで、このみなとみらい線の各駅を回るポタをやろうではないか、ということになり、にち氏、hai氏と横浜で落ち合うことになっていた。ところが、9:00起きのはずが、目覚めると既に10:00前。これでは集合時間に間に合わないと思い、神奈川支部の掲示板にその旨書いておいた。
 輪行の可能性を考慮して、乗車はBD-1に決定。最近、稼働率が高いな。メッセンジャーバッグを背負って、立場駅へと急いだ。
 立場駅で輪行準備をしていたところ、携帯電話に入電があった。相手はマモル氏だった。なんでも、今日の本来の予定をキャンセルしたので、ポタに合流したいとか。それで、どうせ遅れてゆくなら、一緒に自走で行こうと誘われた。が、なにせ昨日の階段降りの疲労が膝にたまっており、あまり走りたくは無かったので、それは断った。マモル氏とは現地で適当に合流しようということになった。
 横浜に着き、既に集合時間を過ぎていたので、にち氏に電話してみたところ、既にMyxに移動しているとの事だった。では、次の新高島駅で合流しようということにした。
 平沼橋を越え、廃止となった東急桜木方面の線路を潜り、おぼろげに記憶していた新高島駅の辺りに出ると、にち氏とhai氏が待っていた。新高島駅の入り口を記念撮影。なにせ地下鉄ゆえ、地下への降り口があるきりなので、いまいち感動が無い。
 線路はみなとみらい(の地下)を走り、次はその名もみなとみらい駅だ。これはQueen's Squareの地下に設けられており、深い吹き抜けを通して、列車が発着する様が見えるというデザイン。印象的な光景だ。しかし、ものすごく深くまで降りなきゃならないのも、一目で分かる。確か新型車両は6編成程度しかないとかで、ほとんどは東急の車両が直接乗り入れているもののようだ。事実上、東急の延長路線というべきか。
 ここでお昼にしようということになり、ワールドポーターズに入っているパン屋で何がしかの買い物をする。実は、地下鉄で横浜に向かう間、やはりパン食で遅い朝食を済ませていたので、ここではソーセージを巻き込んだ揚げ物、クロワッサンだけを買った。飲み物はポーターズ前の観覧車の足元で買い、臨港パークの芝生の上で食べた。なにせ少し小高い丘の上だったので、少々風が堪えた。
 次に目指すのは、馬車道駅。これも出口だけではなんなので、降りてみると、ちょうど改札の前で音楽イベントが開かれていた。
 次に日本大通り駅。山下公園の間近なので、東京方面からこの辺に来るときには便利そうだ。が、横浜西部在住の僕には、ほとんど縁が無さそう。
 終点の元町・中華街駅は、かなり長い地下通路で繋がれているようで、駅名通りに中華街から元町まで出口が分散している。どの口も人が激多で、特に元町のそれは、見物がてらに入り込むのさえはばかられる状況だった。
 その後、にち氏の案内で、ここがお気に入りというイタリア山公園へと向かった。良く手入れされた、小高い山の上にある公園だ。コーヒーハウスで一息つける。住宅地にあるため、規制により閉店、閉園共に早いようだ。
 この後はどうしようかと考えながら、また元町へと下り、横浜方面へと走っていった。伊勢佐木長者町か関内で地下鉄で帰ろうかと思っていたのだが、なんとなく自走帰還する気になって横浜駅まで着いていった。しかし、やはり膝へのストレスが気になるのと、踊場の坂を越えるのは嫌だなと思い直し、ここから輪行で帰宅することにした。これは正解で、人通りの多さから、関内辺りで自転車を抱えて乗り込むのは、かなり顰蹙を買ったものと思われた。
 暗くなりきった頃に帰宅した。そういえばみなとみらい線の横浜駅を見損ねたので、機会があったら見るだけ見てみようと思う。