Strange Days

2004年07月31日(土曜日)

サガミのバーゲンに行ったはずが、気がつけばお好みハウスでうはうは

22時07分 自転車 天気:台風のおかげで不安定

 今日は関内でサガミの展示販売会がある。特に欲しい物は無かったが、小物を買っておくつもりで顔を出した。
 出るのが遅れた事もあり、会場着は14:00前頃だった。途中、保土ヶ谷の坂で驟雨に降られたが、あっという間に上がり、その後はいい天気になる。微妙な天気だ。
 にち氏、すずきなおし氏らと会場前で会った。また会場内ではhai氏、たか氏、マモル氏らとも遭遇した。なんでも@nak夫妻やかぜはるか氏もいたとか。
 目に付いたブツとしては、エミネンザブランドで出ていた、PCD110(流行のコンパクトクランク)なカーボンクランク。オクタリンク対応だったので食指が動いたが、165mmで48/34という設定のものが無かったし、値段も28000円とかなりのものだった、買うには躊躇した。もっと安いスギノのもので十分だと思ったこともある。が、帰宅してからそのスギノのクランクを調べてみると、やっぱり2万円を越えていることが分かった。買っても良かったかなあ。
 会場をざっと見て回った後は、なんでもTVKのイベントを見に行くとか。しかし会場の物凄い待ち行列を見た途端、入る気がうせた。結局、入場時間内に入場することは無理と諦めてしまった。hai氏は歩きだったこともあり、ここでお別れ。マモル氏も用があるとかで途中で分かれた。にち氏、すずき氏ともども、アウトドアショップを見て回った。
 ワールドポーターズのL-Breathで、にち氏がKarrimor KIMM AR35を購入した。僕は買うならAR25と思っていたのだが、実物を見るとさほど大きくは無い。ちょうど30l超クラスの背嚢が欲しかったので、やはりAR35を買う気になった。しかし通販で調べればもっと安い店があるに違いないと、その場では買わなかった。しかし帰宅して調べると、同じ価格の店ばかり。クランクといいザックといい、こんなんばっかりだ。
 その後、適当に飲み物を持って新港パークでうだうだした後、お好みハウスでウハウハとあいなった。今日は早々に帰宅するつもりだったので、意外な運びになった。久しぶりのカウンター席で、マスターとの会話を楽しめた。楽しい店だな、ここは。夏場に必要なスタミナもつけておいた。もう少し薄味にして欲しい気持ちもあるのだが。
 明日はカキ氷オフがあるので、早め(といっても21:00)には切り上げた。かなりの激食いだったのだが、その割に一人3000円弱で収まってしまった。安く上がる店だ。マスターは『安いって言うお客さんは多いね』といってたが、意識的に安値にしているというつもりではないような口ぶりだった。
 久しぶりに夜のR1を走り、家に向かった。何度も登っては下りを繰り返してきたせいか、もはや保土ヶ谷越えも苦ではない……なんてことはないな。やっぱりこの坂は嫌。
 帰宅して、自転車をラックに掛けた途端、腹具合がおかしくなってきた。水を飲みすぎたかなと思いつつ、トイレに入ると……。
 (放送禁止気味な展開があったと思いねえ)。凄かったなあ。こんなに下ったのは久しぶりだ。最初の一発(笑)を放った途端、お好みハウスで食べたイカのモツの臭いが広がった。当たったような気がする。マスターも『今日のイカは台風の影響でいつもと仕入れ元が違うんじゃないかな』と心配していたのだが。幸い、腹の調子はたちまち回復してくれたのだが、夏の魚介類には要注意だと思った。

2004年07月30日(金曜日)

BikeE完全外装化を構想中

13時32分 自転車 天気:雨やら陽射しやら

 困ったなあ。
 いや、BikeEたんのことなんだが。どうにも走りが重くてかなわない。HARDROCK号があれだけ重くても、走りそのものはBikeEたんより軽いので、なおさらそう感じてしまう。リアのSACS3*7が元凶ではないかと睨んでいる。内装ギアのフリクションが大きいのだ。これはシマノの内装3段を付けたMobillyたんでも感じたことだったので、内装ギアの宿命なんだろう。そこで、改造だっ(またかよ)。
 SACSを買収したSRAMの3*9や、シマノが出したIntego(3*8)に換えることも考えたが、前者は高価で手が出ないし、後者はグレードが低いのでMobillyたんの内装3速と同等と思われた。フリクション解消という意味では、もう完全外装化しか無いか。
 完全外装化のためには、リアホイールを組み直す必要がある。どうせなら、自分で組んでみよう。やるなら9段化したい。確かRDはティアグラのものあったはずだし、12-25のスプロケもあったはずなので、ハブとスポークさえあれば、組みなおせそうだ。
 シフターとVブレーキレバーもある。ただしLXの。中途半端なパーツばかりやんけ。
 手持ちのパーツを集めても、すっきりした構成には出来そうに無い。まずFDはどうするか。シングルでもいい気もするが、走りが軽くなればBikeEの位置付けも変わるかもしれない。シフターは別途入手する必要がある。どうせならMTB用の前3枚クランクでもいいだろうか。悩む。
 ということで、実用としてはあんまり困ってない気もするが、外向きには困っていることになっているのだ(意味不明)。

2004年07月26日(月曜日)

アルテグラ10速

15時57分 自転車 天気:晴れてきた

 シマノのウェブサイトで、10速アルテグラの正式アナウンスがあった。前3枚モデルも用意されるので、30速が実現されるのか。
 大いに興味あるのが、リアに16~27のスプロケが用意されるということだ。小径車なら、クランクセットが52+38のままでも、かなり軽く、かつクロスしたギア比を確保できるだろう。
 実質は来年からの出荷になるだろうから、次のロードフレームはこいつでいいかな。デュラエースは高すぎるから。

2004年07月21日(水曜日)

Linearが欲しい

19時52分 自転車 天気:夕立あり

 本来ならTarmacを買う予定だったのだが、あまりの出荷の遅さにキャンセルしてしまい、ロードフレームの更新は未了のままだ。秋に来年のモデルが出回ったら考えよう。
 さすがに9台(さらに忘れてしまいたいシークレットチャリが1台)も自転車があると、新しく増やすという気にはなれない。だがロードフレームは乗り心地のいいものに替えたい。
 もう一台、折り畳めるリカンベントも欲しいのだ。折り畳めて、なおかつアンダーハンドルという構成で。アッパーハンドルのリカンベントはBikeEがあるし。そんな街乗りには辛そうなリカンベントを、遠く(沖縄とか北海道とか)に持ち出して、長駆ツーリングなんてのにあこがれる。すると最右翼にあるのがSatRDayなのだが……。
 多すぎる。いくら狭くて特殊なコミュニティとはいえ、ざっと思い浮かぶ顔の1/3ほども持っている車両となると、あまりに多すぎると思ってしまうのが俺様。それを手にしても、感動は薄いだろうと予測できてしまうのだ。きっと実用性は高いのだろう。ノウハウも蓄積され、情報も得やすいに違いない。だが心を湧き立たせるものがないのだ。
 それで、というわけでもないのだが、前から狙っているのが、Linearだ。長大なホイールベースだが、前端、後端で折り畳める。そんなに小さくはならなさそうだが、なんとか輪行に耐えられそうな大きさにはなるようだ。
 このLinear、メーカーが倒産してしまったのだが、販社が冶具を引き取って製造を続けている。その時点でブレーキをVブレーキ化したり、リアを26インチにサイズダウンしたりして、構成にも手を入れている。意外にやる気ありそう。
 基本構成での価格は、それほど高価でもない。$1900程度。これにD2Dでの運送費用、関税、オプション(実は旧型の700Cキャリパー仕様が欲しい)込みだと、結局はSatRDay並みになってしまうだろう。でも、それが届いたときの感動は、きっと大きいに違いない。たぶん、きっと、おそらく。
 問題は、本当に日本まで発送してくれるかという点だ。いちおう、『米本土外への発送は問い合わせてくれ』なんて一文もあったように思うし、米国外への発送なんて運送会社任せで同じだろうから、やってくれるとは思うのだが。

2004年07月18日(日曜日)

今月の荒川サイクリングはバーベキュー気分(いや僕が)

18時49分 自転車 天気:晴れまくり

 前夜、岡山氏と『戸塚で待ち合わせて、車で臨海公園まで』という計画を立てていた。待ち合わせの時刻は5:00。ゆえに、起床は3:30頃だった。
 床には早めに入ったのだが、なぜかまんじりともせずに起床時刻を迎えた。ところが、外に出てみると、外は見事に雨。このタイミングでかよ。岡山氏と連絡を取り合い、今回'も'延期となった。なんというか、運命の神が我々の邪魔をしているようにさえ感じる。
 ともかく、気が抜けたので、一眠りして、6:00に飛び起きた。既に雨は上がり、路面も乾き始めていた。BD-1を抱えると、浮間舟渡駅へと急いだ。
 夏、好天が続きそうな時期ということもあり、今回の参加者は多かった。岡山氏も結局はトレンクルで参加。みはる、くいくいの両女史もやってきた。hai氏、@nak(あ)氏も久しぶりに顔を出していた。
 適当に時間を費やしたところで、出発。今回はD70で、参加者の出発シーンに拘って撮ってみた。
 最初の青い水門まで走る間にも、背嚢のハイドレートシステムの水を景気良く消費していた。暑い。この暑さに対抗するには、給水をきちんとするのが一番だ。
 2番目の休憩場所、虹の広場で、なんとアイスキャンデー売りが待っていた。あっという間に人だかり(笑)。一本200円。原価10円、いやそれ以下だろう。ぼろ儲けだな。でもこういう商売は、こういう好適な売り場を見抜く売り子の人件費が大きいだろうから、これでも適正なのかもしれない。
 次の中川水門では、日差しを避けて、高架の真下で休憩を取った。と、そこにマモル氏から電話が。なんでも道に迷い、復帰するのに手間取ったため、くいくい女史ともども遅れている。が、追いつくので先に出発して欲しいとの事。幹事にそのまま伝えた。
 やがて炎天下を走り続け、葛西橋を渡り、コンビニを経て臨海公園へとたどり着いた。あまりに暑かったからか、食欲が湧かない。
 そういやあ、マモル氏が来ないね、などと思っていたら、ようやく幹事団と共に到着した。なんと前輪が溝にはまり、ジャックナイフ風に前転してしまったのだそうだ。その時、なぜかリアディレイラーを破損し、やむなくシングルギア状態に直結して走ってきたとか。エンドが曲がってしまったのだが、乗車のポケロケは鉄フレームなので、容易に修正できそうだ。
 適当に過ごした後、解散が宣言された。幹事のきのした氏は関西に帰るので、しばらくは荒川サイクリングに参加できないという。
 参加者の多くは、この後で別の行事に流れてゆくことになっていた。僕は睡眠不足が深刻だったので、ここで少し寝て帰ることにした。なんというか、気力が萎え萎えで、走る気になれないのだ。
 15分ほど、瞬間的な睡眠をとると、ようやく走り出す気になれた。東京駅まで走り、輪行で帰宅した。金曜日に続き、意外に消耗してしまった日になった。明日は大山登山の予定だったが、ごめんなさいのメールを打って休むことにしようと思った。

2004年07月16日(金曜日)

久しぶりに三浦半島周回(ただし新ルート)+夏=疲れた

22時22分 自転車 天気:実に暑い

 うちの会社(正確には親会社)の創立記念日で、今日は休日なのだ。月曜日もハッピーマンデーとやらで翌海の日の休みが移動しているので、要するに4連休なのだ。ちょっと嬉しい。
 とりあえず、ずっとやってなかった三浦半島周回の旅に出かけることにした。そういうわけで、朝早く起きるつもりだったのだが……。
 昨夜、例によって夜更かししてしまったためか、起きたのは9:00。外は既に熱波の真っ只中だ。なんだか出かける気力が失せる。しかしTCR-2の調子を見たいこともあり、11:00過ぎと、遅めの出発となった。
 TCR-2の調子を見たい部分というのが、ハンドル周りだ。スペシャのゲル入りシートをバーテープの下に巻き込んで、衝撃吸収性の向上を目論んだのだった。それが当たっているかどうか。併せて、やはり全交換したケーブルの具合も見るつもりだった。
 時刻的に遅めなので、少しショートカットする気になった。今までは反時計回りに、すなわち境川~鎌倉~三崎~横須賀~横浜と走ってきた。今日はそれを逆に、環状2号線からR16に抜けて、そこから横須賀方面に走ろうと思っていた。しかし、この時刻から走り出して、到着はかなり遅れてしまいそうだ。そこで境川を俣野まで下り、原宿交差点方面、北鎌倉と走り、環状4号線経由で六浦に抜けるルートを走ることにした。こっちの方がショートカットになるだろうと思ったのだが……。
 走ってみると、こっちの方が遠回りになっていたようだ。意外にアップダウンがあるのと、道が細くて交通量があるのとで、時間が掛かる。無駄足だったな。
 六浦でR16に出てからは、まあそれなりに快調に走ってゆけた。しかし、向かい風がやや堪える。背負っておいたキャメルバックタイプのハイドレーションパック*1から適宜給水しながら、三崎を目指して走った。
 向かい風、陽射しと共にこの身を痛めつけるのが、意外にも改装して快適性が増したはずのハンドル周りだった。手首に凄く負荷がかかるのだ。衝撃を吸収してくれてない。おかしい、ゲルは意味が無いのか。適正なポジションを保つ肝心要の手首が疲労してきたので、道行きがますます辛くなる。
 ひいひいいながら三崎にたどり着いた。今日は鮪チャーシュー入りのラーメンを食べに来たのだが、なんか新しい店を開拓する気分ではない。ではいつものちりとてちんを……休みでした(号泣)。仕方ない、うらりに自転車を停めて、この辺にラーメン屋があったよなという辺りを探すと、港楽亭があった。熱いものを食す気分ではなかったので、冷やし中華を頼んだ。これが意外にいけておりました。麺はしこしこ。スープはすっきり。具は可も無く不可も無く。あまりに暑くて食欲が減退気味な状況では、喉越しもよく量もそこそこのこれが相応しかった。肝心の鮪チャーシューだが、言われなければ柔らかめのチャーシューとしか思わないくらい、違和感の無い出来だった。逆に言えば、わざわざ求めるほどのものでもないと思った。
 すぐに走り出す気にはなれず、うらりの2Fデッキで風を浴びながら、体力を回復させた。このデッキ、海風が吹き抜けるので、日陰に寝転がっているのは快適だ。室内に入るとエアコンも効いている。中学生くらいの男の子、女の子が何組か過ごしていた。お金の無い世代には美味しい環境なのだろう。ってことは僕にもそうなのだが。
 そこそこ体力が回復したので、水を補給してから帰路を走り出した。こちらは三浦半島東岸を北上することになり、南風を背負っていたので、非常に楽に走れる。ただ、風を浴びることが少なくなるので、ちと熱にやられかけたが。
 帰りに飯田牧場に寄ろうかとも考えたが、どこかに立ち寄るのも辛かったので、まっすぐ帰宅した。走行距離は121Km程度だったが、それにしても凄い疲労感だ。この走行距離自体、従来の経路*2とほぼ同じではないか。つまり、全然ショートカットになってない、いや当初の横浜ショートカットコースと較べると、かえって大回りになっていたわけだ。この点を確認できただけでもよしとするか……(しおしお)。
 それにしても、手首周りの疲労感、痛みはひどい。右手などしばらく物を掴むことすら辛い有様だった。ゲルは全然役に立たなかった。それどころか、かえって負荷を増したような観さえある。直接的な衝撃は吸収されているはずなのだが、なぜこういう奇妙な結果に終わったのだろう。要検討だ。

2004年07月09日(金曜日)

バーテープ(with gel)交換

23時12分 自転車 天気:相変わらずな好天

 今日もLinux教育な一日。しかし定時後に職場に戻ってからも仕事は続く。商売繁盛である。
 帰宅してから、TCR-2の最終調整した。ブレーキ系統の調節のため、レバーをにぎにぎと開閉してみた。するとキツキツだと思っていた補助ブレーキレバー~STI間のアウター配線が、実は少し足りないくらいだと判明した。少し腐りながら、アウターケーブルを切りなおした。
 ブレーキを調整する。フロントはSTIを引いた場合でも、補助ブレーキレバーを引いた場合でも、かっちりした操作感だ。しかしリアは、STIは問題ないが、補助ブレーキを引いた後、元に戻らなくなる。単純に、ブレーキ系統全体のフリクションに、ブレーキアーチのターンスプリングが負けている状態では無さそうだ。もしそうならSTIの場合でも同じことが起きるはずだ。補助ブレーキレバー~トップチューブ前方のアウター受けの間に張ったアウターケーブルが、補助ブレーキを引かれて変形した(補助ブレーキレバーはアウターだけをリア側に押す動作をする)後での、アウターケーブルの反発力が足りないせいではないだろうか。その原因として、やや窮屈な取り回しを強いられているが故の、馴染みの足りなさがあるのかもしれない。なら馴染むまで待つか。HARDROCK号のリア側も、やはりアウターケーブルが馴染むまで、しばらくブレーキレバーの戻り不足が発生していた。まあSTI側を使う限りは問題ないし、ブレーキアーチのクリアランスは十分なだけ戻るので、実用には問題ないのだけど。
 さらにバーテープを巻く。スペシャライズドから出ているゲル入りパック付きの物からそのゲルパックだけ使い、バーテープは別のメーカーのコルク製のものを巻いた。このパックが破れたという記事をどこかで見たので、ビニールテープで数個に分断する形で巻き、一箇所にゲルが集中するのを防いでみた。握るとコルクバーテープの下で「ふに」とへこむのが分かる。効果あるかな。

2004年07月04日(日曜日)

キャンプツーリング2日目

22時51分 自転車 天気:かなり晴れた

 朝早く、あゆ嬢の人恋しげな鳴き声で目覚める。もう明るくなってはいるようだが、まだ眠いので、しばしそのまま寝転がっていた。やがて他のテントから話し声が聞こえ始め、そろそろ頃合いだなと思ったので、やおらテントを出た。6:00過ぎだったろうか。既にこぐ氏は起きていて、あゆ嬢に朝一の(ただし一日一食だげな)餌を与えていた。朝の挨拶を交わしながら、各々起きあがってくる。空には雲が多いのだが、その雲を通して熱線が降り注いでくる感じだった。今日も暑い一日になりそうだ。
 タープの下に避難していた自転車類を除け、空いたスペースで朝食を作り始めた。昨日の残り物と、フレンチトーストだった。フレンチトーストは焼き加減も絶妙だった。自走帰還するつもりだったので、出来るだけ腹に詰め込んでおいた。
 テント類を片づけ、撤収準備を進める。
 天気は良くなりそうだ。雨の中を走るのは鬱なので、助かる。僕以外の自転車隊は、沼津方面に下って輪行するつもりらしい。今日は単独行だ。
 全ての荷物を片づけ、11:00頃に出立した。今回は自転車隊だけではなくて車隊がいたから大いに助かった。またやりたいね。
 さて、キャンプ場の入り口で、にち氏らと別れを告げ、来た道を戻っていった。R246を走って、山北に抜けるつもりだった。
 R246に出て、山北方面に走っていった。市街地を抜けると、トンネルを潜る本格的山岳戦の様相を呈してきた。下る一方なので楽なものだが、逆に上るのはつらいだろうな。交通量はそれほどでもなかったが、それでもトンネルを抜けるのは怖かった。歩道はないし、路面は荒れているしで、サス付きのHARDROCK号でなければもっと苦労しただろう。
 ここまで順調に来れたのは、GPSを参照しながら走れたおかげだった。あれ、マウントにつかないんじゃなかったっけ。そうなのだが、ガムテープでフロントバッグ台座に着けておいたのだ。無理矢理っぽいが、帰宅するまで問題はなかった。
 山北からはほとんど走った事のある道だったので、迷う恐れはほとんどなかった。しかし持病のシート下がり病が悪化してきた。シートピンをきつく締めようにも、供回りしてしまう始末。なんとか出来るだけ締めて、走った。
 R1に合流し、大磯からはR134を走った。この辺、車がかなり飛ばすので、歩道をたらたら走っていった。元MTBなHARDROCK号には、こういう道行きの方が向いているかも知れない。しかし、この自転車、リアの変速がいまいち決まらない。なんと、スプロケのロックリングが緩んでいやがる。いやがるって、単に僕の整備不良なのだが。帰ったら全整備しようと思いつつ、境川を遡っていった。
 18:00頃、まだ日のあるうちに帰宅。

2004年07月03日(土曜日)

富士裾野キャンプツーリング初日

08時46分 自転車 天気:山の天気は変わりやすい

 割とゆっくり目に起床。昨晩のうちに出しておいたHARDROCK号(なんちゃってキャンピー化中)に荷物を積み込んだ。リアキャリアに左右のサイドバッグを着け、その上に跨るようにしてテントこと天幕、シェラフ(世間一般ではシュラフと表記するらしいぞ)こと寝袋、自己吸気式敷物をまとめて入れた3Wayバッグいや三様式袋(いやなにも擬似漢語化に拘らなくても)を固定する。輪行が不安だが、この状態でも走るのに苦労は無い。しかしバランスが悪いな。フロントにもキャリアをつけて、そちらにサイドバッグをつけたい。
 戸塚まで走り、駅前で輪行準備する。ここで早くも問題点発覚。持っていったL-100輪行袋には、自転車はサドルとリアエンドで立った状態で入れるのだが、キャリアがついた状態では立てられないのだ。むしろ、完全にキャリアで立てなければならない。縦長の状態で収めることが出来たが、30分近くも掛かってしまい、予定していた便を逃がしてしまった。到着が遅れそう。
 この状態で自転車+サイドバッグ*2+3Wayバッグ(重)を持ち運ぶのだ。苦しかった。自転車が縦長になっているので、階段で下に当たってしまうのだ。帰りは、なにが何でも自走で帰ろうと決意した。
 次に来た東海道線に乗っていると、なぜか大船でマモル氏が乗り込んできた。ここまで走ってきたのか。
 やがて国府津に着いたが、御殿場線は便数がごく少なく、次はほぼ1時間後だ。それまでのべーっと待つのもなんなので、駅弁を腹に収めておいた。
 やってきた便に乗り込む。国府津始発なので座れたが、発車時間間近には結構な乗車率になっていた。
 御殿場に着き、駅前で自転車を組み立て、荷物を載せる。ここで問題点その2発覚。GPSの裏蓋をハンドルバーマウントのものに変えてなかったので、せっかく着けてあるハンドルバーマウントに載せられない。帰路は自走するつもりだったので、これはちょっと困って。
 集合場所のダイエーは、そこからすぐだった。誰かが自転車を見てなければならないだろうと思い、外でボーっと待っていた。やがてにち氏らが出てくる。きさ家組は逆側に駐車場がある関係で、もう出発したとか。こぐ家組は現地に直接向かっているようだ。
 にち氏、hai氏、マモル氏、僕の自転車隊は、緩いアップダウンのある道を走り、ながおねキャンプ場へと向かった。
 市街地を出ると、そこは広大な草原を望める、富士山麓の風景が広がっていた。自衛隊の演習地をかすめる時、高機動車を目撃した。演習シーズンたけなわの時には、もっといろんな車両を拝めるのだろう。
 やがて、演習地を突っ切ったところで東に曲がり、さらに大きなアップダウンのある道を走っていった。ほとんど下りで、とても爽快な道行だ。あんまり気持ちいいので、調子に乗って突っ走っていたところ、hai氏に後ろから呼び止められてしまった。そういえば、後ろが着いてきてない気がしてたんだ。それと、目的のキャンプ場の近くに出来たという温泉施設の標識も目撃していたのだ。そこからすぐだろうと思いつつ降っていたのだが、物凄く行き過ぎてしまったようだ。そこからキャンプ場の本当の入り口に戻るまでは、ずいぶんしんどい思いをしなければならなかった。
 ながおねキャンプ場は、芝生が綺麗に張られた、良く整備されたキャンプ場だった。客は3組だけで、我々は奥の方に陣取った。既にきさ家、こぐ家が車を並べ、タープも張られていた。きさ女史曰く、『目の前の道*1を凄い勢いで走っていったのが見えた』とのこと。後で登り返したことを考えると、要するに借金生活をしただけだったのだが。
 さっそく、我輩のテントを披露しようぞ。モノはシエラ・デザインのクリップフラッシュライトCD。あゆこ女史らの評に拠れば『あざらし型』だげな。そう思えば愛嬌が無くも無い形ではある。ペグ打ち必須のタイプなので苦戦を予想したが、意外にあっという間に設置完了した。中は想像したぐらいの広さだった。持っていった荷物を全て(除自転車)置いても、まだゆっくり眠れるスペースがあった。フライは要らないかなと思っていたのだが、夜露が出るよとの事なので、張っておいた。上に寝袋を広げ、乾かしておいた。
 各自の寝所を確保した後は、食の確保である。車隊に運搬していただいた食材を元に、きさ総監督の指示の下、各自製作作業に乗り出した。僕も洗い物、切り物を分担した。水場は良く整備されていて、地下水をくみ上げて供しているとかで、大層美味い水であった。
 食事の準備が進む間、手が空いたところで本日のゲストをもてなす。っつうか構う。ゲストというのは、こぐ家の愛犬あゆ嬢*2のこと。いつもと異質な環境、異様な風体の輩どもに取り囲まれたせいか、かなりナーバスになっていたようだ。しかし、まったく吠えない、大人しい令嬢であった。癒し系だな。何度も接しているうちに落ち着いたのか、機嫌が良いときは手を舐めてくれるようになった。僕は猫より犬が好きな人間だが、犬には好かれないが猫には好かれる謎な人間でもある。
 やがて夕食メニューが出来上がる。カレー2種(キーマ、洋風カリー)、ご飯とナン、バーベキュー各種、サラダ、御殿場高原ビール(明るいのに、もうですか)、デザートに手作り杏仁豆腐、スイカ、そしてこぐ氏専用特殊食材の数々、など。とてもキャンプとは思えないほど豪華な夕食だった。きさ家がいれば食に関して心配無用だ(笑)。いやほんと、今回車隊のおかげでかなり楽が出来ました。ありがとうございました。
 食後は、近くの温泉施設に入浴。ますますキャンプとは思えない状態だ。単に宿がキャンプになるというだけの話か。
 各々入浴してきた後は、ランタンの明かりの下、酒を飲みながら語り明かす。キャンプらしいいい雰囲気だ。他に客が少なくて、なおかつ離れていたのも幸いした。
 いい頃合になったので、寝ることにした。その頃には空気が冷えてきたので、それぞれに上着を羽織っていた。僕もウィンドブレーカーを着ていた。それと湿気が増えてきた。水滴がパラパラと降って来た。雲も多いし、もしかして雨になるのかな? 自転車類などをタープの下に移動しておいた。その真ん中に取り残されたあゆ嬢は、不安そうな目つきだった。頑張れ、明けない夜はない(意味不明)。
 テントにもぐりこみ、寝袋に入る。やっぱ、暑い気がしたので、ジッパーは閉じないで置いた。このシェラフ、さかいやの安売りのときに買ったさかいや3シーズン用のものなのだが、かなり重くてかさばる。3シーズン用なので仕方ないが。
 などと考える間も無く、寝つきの悪い僕にしてはあっという間に眠りに落ちていった。

2004年07月02日(金曜日)

キャンプツーリング考察2

09時04分 自転車 天気:快晴過ぎ(でも涼しい)

 まああれだ、近所(というにはちと遠いが)にスーパーの類もあることだし、最悪は金で解決と(爆)。いやほんと、今回はなにがなんでも荷物を減らさねば、という気になってるのだ。サイドバッグは出来れば一つに減らしたい。着替えがかさばりそうだが無いと困るので、クッカーの類は持っていかないとか、武器は使い捨ての割り箸やスプーンで代行とか、考えている。そうしないと、輪行が不可能になる。出来なくは無いが、輪行自体が目的という、極端に本末転倒な事態に陥りそうだ。
 本格的な、一式持って行くような機会は、また別に作ろう。近所の野島公園だとか、泉の森でだってキャンプできるんだし。
 夏場、道志辺りのキャンプ場に、一人で行ってこようかなとか考えている。