朝、8:00前に起床。昨日、宿に着いた途端に爆睡したためもあり、目覚めは割とすっきりしている。窓を開けると、相変わらず雄大な来島海峡大橋が目に入ってくる(当たり前だ、寝てる間になくなっていたら怖いぞ)。
朝食は7:00~9:00なので、すぐに1F食堂に向かう。朝食はバイキング形式で、既に満員に近い有り様だ。ちょっと時間を置いて席を取り、適当な品を取って食した。相変わらず食欲が無い。が、冷やしたうどんがうまい。讃岐が近いせいか、うどんのレベルが高いのか。
食後にコーヒーで一服。走っているときはコーヒーなどの糖分が多いものはあまり飲まないので、朝一のカフェインは心地よいものだ。
9:00頃にチェックアウト。ちょっと制限はあるが、ロケーションも内容も良い、お得な宿でした。
BD-1で、昨夜ちょっと放浪した海岸沿いの道に降りていった。当たり前のことだが、歩いて15分くらいかかった所を、自転車だとあっという間に通り過ぎてしまう。
今治の市街まで、海岸沿いに走ってゆく。漁港と岸壁が交互に現れ、消えてゆく。人通りも店も少ない。やがて遠くに高いビル群が見え始めた。あれが今治の市街地だろう。自転車をちょっと内陸に向ける。
運河のような川沿いを走り、碁盤の目のような通りに沿って、民家が建ち並んでいる辺りに差し掛かった。おや、この辺は......。なんとなく見覚えがある。実は僕の母方の祖父が、亡くなる前に住んでいたのがこの辺のはずなのだ。しかし、ここだという確証は無い。さらに走って商店街に出た。ここも見覚えあり。
港に走り、自販機で冷たいものを買い、急激に上がり始めている気温にうんざりしながら、しばし小休止。ふと思いついて実家に電話を入れた。住所がどこだったかを聞き出そうと思ったのだ。が、誰も出ない。
少し考えて、そういえば四辻の角に蕎麦屋(更級)があり、そこでよく素麺を食っていたことを思い出した。更科、更科、と呪文のように唱えつつ探し始める。
走ってゆくと、また見覚えのある家並みに出た。そしてこれも記憶にある寺の門も発見。ここから東に一本くらいずれているはずだ。通りを一本分東に走り、また南下してゆくと、ほらあった、更科だ。そしてそこからちょっと進むと、見覚えがある祖父宅の、いやもう人手に渡っているから元祖父宅か、への細い路地が見えた。ちょと入ってみると、そこには確かにかつての祖父宅が建っていた。懐かしいなあ。ちょっと改装されて、かつての玄関は塞がれ、別の位置に新設されているようだ。
懐かしさに浸りながら立っていると、通りすがり風のおじさんが急に声をかけ、「あなたが悩んでいるのなら......」などと始めた。宗教の勧誘だな。「結構です」ときっぱり断ると、あっさり引き下がった。まあ悪い人ではなさそうだが。なにか家出中年にでも見えたか。
さて、次は港だ。子供の頃、夏休みは祖父の所に遊びに行く習慣だった。そして港に出かけ、長い防波堤で釣り糸を垂れるのが楽しみだった。しかし、しばらくぐるぐる走り回っても、ピンと来る場所が無い。適当なところで腰を下ろし、コンビニで買ったおやつを食った。
次は松山に行こう。しかし松山の地理がとんと分からない。今治は漠然とした記憶があったのだが、松山はどうも路面電車に乗った記憶しか残ってない。そこで本屋に入り、地図をあさってみた。なんとなく位置関係は分かったが......。まあ詳細は観光案内所かどっかで地図をもらおう。そう思った僕は、輪行すべく今治駅に向かった。
今治駅は長い編成の特急も停まるが、基本はごく短いホームがあるだけで、のどかなローカル駅だ。港湾設備の発達振りに比べると、落差が大きい。
松山行きの列車に乗り込んだ。これがワンマン運行の1両編成で、整理券を取る方式だった。整理券が要る電車にははじめて乗ったよ。いや、広島の路面電車もそうだったか。
このワンマン号で、ひたすら単線な線路を走る。のどかな風景が外に続いている。線路は海岸線に出たり、山中を走ったりしながら、松山を目指した。
車中、荷物の関係で最後部に乗ったのだが、僕の近くにはねーちゃん二人組みが、後部ドアの近くには髪も髭もぼさぼさの爺さんが立っていた。この爺さんが、めったやたらと人に話し掛ける。それも「俺の母ちゃんは中国人だ」とか、「北条市はつまらんところよ」とか、およそ他人には愚にも付かぬことばかり口にする。その上、なにを話しているのか良く聞き取れない。当然のことだが、誰も相手にしていない。しかし、爺さんにとって一番反応が良かったのがさっきのねーちゃん二人組みだったのだろう。爺さんはこの二人にばかり話し掛けるようになった。爺さんの話に内容が無いせいで、会話はほとんど成り立ってない。しかしそれでも、やがて爺さんが松山の手前の駅で降りる事が明らかになり、その事からなんとか会話らしきものが成り立つようになった。といっても「ここはXXか?」、「まだよ」などというレベルではあったが。しかし、無理やりにでもコミュニケートしてしまえたねーちゃんたち、恐るべしである。コミュニケートできなければ凄く変な爺さんだが、コミュニケートすることで変な爺さんというレベルまで、潜在的危険性を緩和してしまえる。いやまあ、変さがちょっと違うくらいではなるけれど。しかし野獣が家畜になるくらいの違いはあった。
やがて列車は松山に着いた。駅前で観光案内版を探したが、構内には無い。ちょっと外れた場所にあった。ふむふむ、路面電車の線路を伝ってゆけば、道後温泉に簡単に行けそうだ。そこまで、BD-1を走らせた。
松山市内は道幅が広く、歩道も広いので自転車で快適に移動できる。30分程度で道後温泉に到着した。商店街の入り口にBD-1を止め、歩いて道後温泉本館まで向かった。
本館の写真をとり、しかしこの暑さでは温泉に入る気になれず、結局そのまま引き返した。もう少し涼しい季節に来たならば。
近くの喫茶店に入り、カウンターにいるご婦人に松山港までの道を聞いてみた。すると、道後温泉の前から、概ねまっすぐ走ってゆけば良いのだと分かった。また自転車を止めている辺りに、観光案内所があることも分かった。早速、地図をもらいにいった。ついでにフェリーの便も調べた。松山近郊には、松山観光港、堀江という二つの港があるが、呉経由のフェリーがあるのは観光港の方だ。そこまでBD-1を走らせる。
もらった地図を見る限り、国道をずっと走ってゆけばいいらしい。走ってゆくと、ほとんど下りで、時々上りがある。しかし体力はかなり回復しているので、そんなにきつくはない。快調に飛ばし、長い下りでは一番重い8速ギアを踏んだりした。45km/h以上出ていただろうか。BD-1では、ちょっと飛ばしすぎ。
国道の案内表示に松山観光港の表示が常に出ていたので、道に迷うことは無かった。しかし次第に道が細くなり、しまいにはちょっと山寄りかなという場所を走り始めた時には、正直心配になった(笑)。
しかし、やがて無事に松山観光港に到着。ロビーで呉行きのフェリーを尋ねると、どうやら200mも離れた場所に券を買いにいかなきゃならないとか(車両つきだとそうなのか)。そこでそこまで走ると、妙に急いだ雰囲気で車両ゲートを案内された。どうも次の便の出港時刻が近いようだ。BD-1を走らせ、フェリーに滑り込んだ。ほどなく、出港。
客室に上がり、周囲に見える島々を18*50ISで眺めつつ、ビールで一杯。くぅ、たまらんっす。しかし、周囲の島のどこにもギャルの群れはいなかった......。
やがて16:00前に呉港着。そのまま自走して帰宅した。ああ、楽しかった。
前日、一睡しか出来ず(1時間程度かな)、まるで遠足に出かける寝不足小学生のような気分で起きだした。朝5:00過ぎ。眠気を抑えつつ、出立準備をした。母が起きてしまったので、タオルをひとつもらっておいた。
5:45頃出立。駅に着き、さっと輪行準備をして、改札口をくぐるも、電車は行ったばかり。30分ほど待つ破目に。その間、途中のコンビニで買ったおにぎり弁当をぱくついた。
やがて電車に乗り込み、尾道まで1時間半かけて走る。窓の外には鄙びた風景が流れて行く。この辺も、海岸沿いに走ると、それなりに気持ちよさそうだ。
やがて尾道に到着。時刻は8:00をちょっと過ぎた辺り。さて、どこかでルートマップを入手せねば、と思いつつ駅前でBD-1を展開した。周りを見ると、やはり輪行組らしい人々が、同じように自転車を組んでいる。ロードバイク、あるいはスポルティーフが多いようだ。どうやら同好の士で集合している模様。僕は一人旅で、BD-1があっと言う間に組み上がったので(そりゃそうだ)、さっさと走り出す。
まずは観光案内所に行ってルートマップをもらおう。そう思って走り出したはいいが、観光案内所の類が見つからない。駅の西側にあったのだが、まだ開いてないようだ。しばらくぐるぐる走り回り、困り果てて交番で尋ねてみた。すると、やはりまだどこも開いてないみたいだ。交番の裏にもあるそうなのだが。しかし、親切な警官は、そこにあったしまなみ海道のパンフレットを一部くれた。これでようやく詳細なルートを確認できたのだ(というか、事前調査が杜撰すぎ)。
・向島(海路、平坦な道、因島大橋)
尾道駅の真正面から向島へのフェリーが出ている。海峡の幅は1kmも無いくらいで、運賃は大人100円+自転車10円。折り畳むのもあほらしいほどの安さだ。フェリーは操舵手と甲板員の二人で運行されている。僕が乗ったフェリーは、小さな入り江(運河にも見える)の奥まで入って行く便だったが、おかげで走行距離が多少短縮された。
上陸すると、鉄工所やら倉庫やらが立ち並ぶ、地方の工業区画という趣の場所だった。さてさて、たぶん、どこかにサイクリングロードを示す標識があるのだろう。桟橋からまっすぐ内陸に走って行くと、交通量の多そうな幹線と行き会った。その両脇の歩道は、自転車でもそれなりに走れそうな広さだ。とりあえず車道の脇を進んで行くと、すぐに歩道に緑でペイントされた標識に気づいた。いわく、「↑今治 しまなみサイクリングロード」。これに従えばいいのだな。楽勝じゃないか。この時はそう思った。
ところが、この標識があまり多くないのだ。結構長い間、これを目に出来ない状態が続くので、「この道で合ってるのか?」と、凄く不安な状態になることもある。人間の心理を突いた的確な攻撃だ(なにがだ)。結論からいえば、「出来るだけ歩道を走り標識を確実に拾うようにして走れば問題ない」という事になった。標識を見逃したことは無かったので、確実なルートではあるのだろう。かえって気を回しすぎて、わき道を行ってしまったりしたことがあるくらいだ。標識の指示に従えば問題はないみたい。
道は平坦で走り易いが、日影が全くないのには参った。体がジリジリとあぶられている感じだ。
走りながら、島のスケール感が全く掴めてないので、果たしてどこまで走ればいいのか不安だった。が、やがて海岸線遠くに、大きな橋が見えてきた。あれが因島大橋だ。
ここまで、僕以外のチャリダーはほとんど見かけない。が、海岸線で休んでいると、何人かの人々が(主にママチャリを駆って)追い抜いて行く。どこからともなく集結しているという感じ。他のルートもあるのか。
さて、橋へのアプローチは、自転車の場合は車とは違うルートを取る。傾斜を出来るだけ緩やかにするためだ。
巨大な因島大橋を頭上にやり過ごし、少し走ると、山に向けてアプローチへの入り口が続いていた。そこにBD-1を乗り入れた。傾斜は10%だそうだが、それでも長いときつく感じる。途中の展望台で一休みしちゃうぞ、もう。
展望台から見上げる因島大橋は迫力十分だ。E950では広角側でも画面に収まりきらない。ワイコンを持ってくればよかった。
展望台で休んでいる間に、男女二人のカップルが、MTB&ママチャリで、軽快に登って行く。ほとんどなにも持たない軽装だ。あれなら楽だろう。
さて、再び上り始めた。10kgを越える装備が足に響く。それでもなんとか、橋の側に上り詰めた。因島大橋は原付き以下の車両と歩行者は、車道の真下にある専用道路を走る。こういう構成の橋は、しまなみ海道では唯一のものだ。
こういう感じ。
この歩道、自転車と歩行者が一緒に通る右側の通路は幅が狭く、やや危険な感じがする。
・因島(ややアップダウンのある平坦な道、生口橋)
考えていたより時間を要しながら駆け抜た。各橋の愛媛県側には、賽銭箱のような塩梅で料金箱と案内板が置かれている。係員はいない。あらかじめ小銭をたっぷり用意しておいたので、特に困ることはなかったが、小銭が無い人は困るかも。対岸では爽快な下りになる。しかし、せっかく高度を稼いだんだから、このまま次の橋まで下らず走れるルートは作れないもんかね。
因島もひたすらこぎ続ける。時間的にどれくらいかかるか不安だったし、また向島に渡るまでのロスが気になっていた。
やがて生口橋に到達。アプローチは、素直に押して上がりましたぜ。ここは車道と並んで歩道があるタイプ。やはり頭上に空が広がっている状況の方が爽快だ。
・生口島(平坦な道、多々羅大橋)
生口島ではルートから外れ、島の南側を走った。多少なりとも短縮になるかと思ったのだ。その代わり、平山郁夫美術館などにはお目にかかれない。また大した短縮にもならないようだ。
この辺りで既に、熱中症の予兆が現れていた。警戒怠るべからず。体がへばる可能性を承知の上で、冷水をがぶ飲みする。少しでも体温を下げたいのだが。
こっちはルート標識がないので、ひたすら海沿いに走るばかりだ。観光とはかけ離れた、鄙びた風景が続く。お日さまもますます燃え盛っている。暑い。脳みそが沸騰し始めている。
ここで道沿いにコンビニを発見、冷たい物を求めて入ってみた。このコンビニには、無料の休憩所も併設されている。単に別区画に椅子を並べただけの物だが、とりあえず日ざしを遮れて、エアコンもまあまあ効いている。この時点で、この休憩は凄く効いた。最後まで走れたのは、ここでかなり休めたからだと思う。ありがたかったよ。おにぎり2個とゼリー食、麦茶を喫しつつ一休み。おにぎりがまずい。死ぬほどまずい。僕は過負荷に曝されると、食欲が一気に減退してしまうのだ。きっと塩味が効いておいしいに違いないシャケお握りも、こんな状況ではもさもさした粘土の塊に等しくなる。それでも食うのだ。この先もこぎ続けるエネルギーが要るのだ。無理やりに一つだけ食い。後はゼリー食で賄う。
再び走り出す。元気一杯、とはいかないが、今にも死にそう状態からは回復している。しかし、すぐに太陽に脳みそを煮られ始める。水ぶっかけで対抗だ。しかし休憩で得たエネルギーは間違った方向に爆発した。やたら怒りが湧いてきて、わけの分からないことをずっとつぶやいている状態になったのだ。いわく、「漕がないと進まないんだよ」。いわく、「人生と同じなんだよ」。いわく、「漕がなきゃ始まらないんだよ!」。こんなところで人生幸朗師になってどうする。それは分かったからさっさと進め、といいたくなるような事をつぶやきつつも、距離は着実に伸びて行く。怒りの一部は、とりあえずペダルに伝わったようだ。
この生口島南ルートを行く間、同じチャリダーには一人として行き会わなかった。観光ルートからは外れているせいだろう。それと、あまり距離も短縮できない。が、その割りにルートとしては走り易かった。急ぎの旅なら、こっちの方がいいかもしれないぞ。
やがて、
彼方に多々羅大橋が見えてきた。生口橋と似たような構造の橋だが、こっちは世界最大の斜張橋だということだ。太い鋼索が橋梁の頂点に向かって集束して行く様は、なんともいえない迫力がある。とても人間の建造物だとは信じられないような迫力だ。
・大三島(平坦な道、大三島橋)
この辺りで中間に達しているくらいだろうか。あと三つの島があるが、大三島、伯方島は通過するルートが短いので、大島だけが問題といえる状況だ。やっと、少しばかりゆとりを感じ始めた。というか、体が重くなり始めてスローダウンしただけなのだが。おかげで妄言垂れ流しは収まったが。しかしまあ、後はゆっくり走っても良かろう。
大三島は本当に短い。他の島に較べれば。しかし、次なる橋まではそれなりに走る。無言で走る(というか独り言いいながらだと気持ち悪くないか?)
大三島橋への上りで、向こうから下ってきた女性に「こんにちはー!」と声をかけられた。とてもさわやかな気分で手を振り返した。そのエネルギーをちょいと分けてもらった感じ。ああ、僕もああやって自然に声を出せれば。
大三島橋はアーチ橋で、幾何学的な造形が美しい。この橋では右半分がまるまるバイク、歩行者専用で、とても走り易かった。
・伯方島(アップダウンあり、伯方・大島大橋)
伯方島も行く距離は短い。少し丘を越える塩梅ではあったが、ここも割と順調に通りすぎた。しかしながら、後で伯方の塩ソフトクリームを試してみればよかったと思った。次の機会は途中で一泊するつもりで、ゆっくり見て回りたいもんだ。
ここで印象的な出来事があった。
ちょうど伯方・大島大橋の真下辺りに差しかかった頃だった。大三島橋からの下りを抜けた辺りで、自販機が数台並んでいる一角。そこからちょっと離れて、20代くらいの男性が、自転車をそこに転がしたまま休んでいる風だった。僕は気にせずその前を駆け抜け、道路の対面に渡り、ちょっと一休みしようとBD-1を停め、その自販機で水を買い、一息入れた。ここを登りきれば大島だけなので、もう間違いなく完走できる。そう思っていた。
しばらく体温が下がるのを待っていたら、その男性がやってきて、「なにか先のとがった物を貸していただけませんか」と声をかけてきた。とがった物? なんでも、足にマメが出来てしまったので、潰したいのだとか。あるとすれば、Palmのスタイラスペンに内蔵しているリセットピンだけだ。それを貸してあげると、その男性は両足に出来た巨大なマメを潰した。これじゃ走るのは無理そうだ。「大丈夫ですか?」と声をかけると、「せっかくここまで走ってきたんですが......」と、残念そうだがリタイヤすることにした、と答えた。なんでも、青春18切符で尾道まで来て、僕と同様に自走で今治を目指していたんだとか。僕のBD-1を見て、「その自転車だとどこでも持っていけていいですね。家にはMTBがあるんですが......」と、とても残念そうだ。そうだろうなあ、ここまで来て。ここからバスなどで帰るつもりだという。
その男性と別れ、僕は伯方・大島大橋へのアプローチを上り始めた。この時点で上りは辛いが、さっきの男性のことを思えば走れるだけましだ。そういえば、僕の場合、足の裏にだけは負担がかかってない。いかに踏んでないかが分かるってもんだ。
伯方・大島大橋は、ふつうのつり橋だった。しかし島を一つ踏みつけているような塩梅だ。
・大島(かなりの丘越え、久留島海峡大橋)
最後の大物、大島に到達した。ここは島の真ん中を道が突っ切っている。距離的には楽そうだった。が、この突っ切りがくせ者だった。そう、本四架橋公団の攻撃は、ますます激しくなってきたのだ。やつらもここを越えられると後がないと知っているのだろう(いや別に越えられてもかまわんだろう)。その攻撃は、今までになく熾烈な物になった。
まず、日ざしが最強に強まった(それは公団のせいじゃないな)。ジリジリとあぶられ、腕などは徐々にやけどするのを感じるほどだ。また、この大島のルートは、なんとかなり長い丘越えをしなければならない。ここに来て体力が、いやむしろ生命力が落ち始めているので、この丘越え攻撃は辛い。それでも押したり、走ったりしながら、なんとか丘を越えていった。前方から、ロードバイクやMTB、果てやママチャリに乗ったおばあさんまでが、軽快に駆け降りてくる。恨めしい限りだ。っていうか、下りを押して歩いてたらそれは怖いぞ。
もう僅かな上りでさえ辛いのだ。おのれ公団、許すべからず(それは逆恨みだよ)。日なたで日干しになっているミミズたちの骸を横目に、その仲間入りしかねない状況で坂を越えた。今度来たときは、遠回りになっても海岸沿いに行こう。
坂を越えればこっちの物だ。全速で重いギアを踏みまくる、という体力は、しかしもう底を突いていた。それでも、来島海峡大橋へのアプローチに、遂に取り付いた。
来島海峡大橋は、しまなみ海道中最長の橋なので、そこへのアプローチも雄大なものだった。これで終わりかと思ったところで、さらにループが続いている。その手前、最後の展望台に停め、そこにある自販機で喉を潤した。ここを越えればサンライズ糸山だ。長かったなあ。
僕は最後のループを回り、遂に橋の上に到達した。そうだ、遂に公団に勝ったのだ、と、その瞬間は愚かにも感動したものだ。だが公団の最後の抵抗は、僕の予想を超えて熾烈だった。
なんと、橋そのものが上りになっている!(愕然) 3連の吊り橋という性格故か、橋の真ん中に向けて明らかに盛り上がっているのだ。体力の落ちまくった現状ではこれはきつい。3速でもきついくらいで、のろのろとあがくようにして進んで行くのみだ。だがここに及んで挫折することは決して許されることではない。日本の男の子は潔く腹を切って汚名をそそぐより他にない。腹を切るのは痛そうなので、ここは断固として公団に泣いてもらうぞ。踏め、踏むのだ。死ぬまで踏むのだ。
アーチ状に傾斜している関係で、進むに従って徐々に傾斜は緩くなり始める。漕ぐのをやめると、橋の差しかかりではものの2m程で停止したものだが、それが3mになり、4mになるに従って、幾何級数的にペダリングが楽になって行く。わはは、わははははははは、勝利の時は目前だ。もはや公団に打つ手はない。あの鋼索が一番下がる地点、すなわちこの橋の中央を越えたときこそ、我が勝利の時なのだ。チャイコフスキーの"1812"のクライマックスのように、勝利の砲声がとどろき渡るのだ。それが公団崩壊の時だ(いや、そんな目の敵にする理由あるのか?) 様々な人々の人々の顔が浮かぶ。軽快に下りながら元気を分けてくれたお姉さん(お兄さんも続いていたが目に入らなかった模様)、志半ばで挫折した18切符の彼、そして軽やかに行き違った多くのチャリダーたち。そしてルドルフ・シェンカー、永山則夫、小野小町ら、強敵(おとこ)たちの顔も脳裏をよぎった(ってなんでじゃ。知り合いでもなんでもないじゃん。だいたい小野小町は女子じゃ)。もう半分位妄想に満たされた頭で、遂に橋の中心を越えた。後は放っておいても下って行くだけだ。そうだ、僕はヴィクトリーロードを進んでいるのだ。この橋の後半は、我が勝利をたたえるためにある(今そう決めた)。この苦難に満ちた旅を終えた僕の前に、もはや恐れるものなど何一つないのだ。
・糸山展望台~サンライズ糸山
アプローチを抜けると、糸山展望台への道があった。上りです。もう勘弁してください(身も世も無く泣き崩れ中)。ゲロを吐きそうになりながら、それでも上り気味のトンネルを越えた。ああ、坂さえなければ、100kmなんて楽勝なのに。坂が、坂が怖い。幸い、上りはあっと言う間に終わった。
展望台に向かい、エアコンの効いた案内所でしばらくクールダウン。はあ、本当に体がどうにかなりそう。時刻は16:00前というところ。今からサンライズ糸山に入っても、16:00過ぎというところか。
展望台にある案内板でサンライズ糸山の位置を確認し、またしてもさっきのトンネルを越え(もううんざり)、そこからは下り一本でサンライズ糸山に到着した。走行時間は7時間。実質は5時間半くらいか。良く走ったもんだ......。さすがのVAAMにも全身の倦怠感はぬぐえない。
チェックインし、自転車をロッカールーム(自転車用のロッカールーム)に入れ、部屋に入る。ここ、4人部屋なんだね。それを一人で占有するのか。ちょっと罪悪感が。しかし素泊まりで4000円という設定は安すぎる。今度は誰かと来よう。
ここでうっかり爆睡してしまい、気がつくと20:30を過ぎていた。ああ、レストランのラストオーダーが終わってる。このままでは飯を食えない羽目になるぞ。そこでちょっと外に散歩がてら、出かけてみた。しかしまあ、周囲になにもないこと。どうも市街地から外れているようで、自販機以外にはなにも見つからなかった。焼き鳥食いたかった。
まあ、食欲もあまりないことだし。ここはビールでカロリー補給だ。ミネラルウォーターをつまみに、ビールで喉を潤す。くぅ、うますぎ。風呂は大浴場があるのでそちらに。大きな風呂ではなかったが、足を伸ばせるのでユニットバスより遙かに快適。
やがて夜も更けてみたので、しばらく警告灯に彩られた来島海峡大橋を愛で、長かった一日を終えた。寝るぞ~。
帰宅して、しばらくすると、サイクルベースあさひに発注していたブツが届いた。着脱式のフロントバッグ、リアキャリアバッグ、ワイヤー錠、ハンドルバーに着けるタイプのボトルケージ、などなど。早速取り付ける。
フロントバッグはBD-1に着けるつもりだった。が、このバッグの着脱部、どうもアヘッドステムしか考えてないようだ。BD-1には着かない。ではMTBに着けるか。こっちはステムが起き気味なので、フロントバッグを着けるとバッグが天を向いてしまう......。ダメじゃん。まあ、実用的には問題はないが......。なんだか、フロントバッグは負けっぽい。
さらにボトルケージも今のハンドル部大混雑状態では着きそうにない。ぐはぁ、また負け。負け王への道まっしぐらである。
リアキャリアバッグはさほど問題ない。しかし、BD-1に着けると、サドル背後のリフレクタが隠れてしまう。とりあえず、キャリアの後端にパッシブ型(ちゅうのか?)のリフレクタをガムテープで貼っておいた。もう少しまともな止め方を考えないとな。
ワイヤー錠は、BD-1のハンドルバーに、前向きに取り付けた。こうしか着きそうにない。ううむ、どいつもこいつも今ひとつだ。ハンズで適当な材料を集めて、もっと収まりよくしてやろう。
この後で、不調だったサイクロコンピュータを修理した。前に延長したワイヤのはんだづけ部分を押すと、出鱈目な数値が表示されるので、たぶんケーブルの問題だろうとにらんだ。熱収縮チューブを切開し、はんだづけした部分を開く。あれ、そういえば、この部分はむき出しの導線が、露出したまま平行している。もう一か所の方は、ショートしないようにちゃんと段差をつけている。なんだかしらんが、こっちはそれを怠っていたらしい。早速、片方のワイヤを切り詰め、段差をつけてはんだづけし直した。これで問題はないだろう。
ぐっすり十時間ほども眠り、起きたのは14:00過ぎだった。ううむ、早起きできたら輪行して横浜~みなとみらい、あるいは秋葉~新宿を走ろうかと思っていたのだが。
ざっと地図を眺め、また市の交通局がまとめたお散歩手帖を参考に、今日は舞岡公園に行ってみることにした。
舞岡の地下鉄駅まで行き、そこから南下すればよいはずだ。MTBで出発した。
MTBにはバッグ類をほとんど着けてない(サドルバッグだけ)ので、カメラなどはメッセンジャーバッグに入れて背負った。をを、なんかかっこいいぞ>俺(馬鹿)
まず戸塚まで走り、一号線の踏み切りからユニー方面に曲がる。ここでちょいと川沿いに進んでしまったが、実はそのままユニー方面に入るといいみたいだ。しかし、この先が相当の坂。坂が嫌いな僕は、狭い歩道に辟易しながら、ほとんど押して上がった(ダメじゃん)。しかし坂を越えると、爽快な下りが待っているぞ。と、その前に、近くのコンビニでおやつと飲み物の調達だ。
長い坂道を下る。実はスピードメーターが壊れていたので、スピードも距離も分からないでやんの。
坂道の先に、舞岡の駅がある。そこで南に曲がる。だいたい南の方にあるはずだ。その通り、大きな木々の塊が見える。だがどこから入ればいいのだ......。
しばし迷いながら走り、団地らしきところに出た。お散歩手帖("横浜散歩大好き"という)によれば、なんとなく公園は北西にありそうだ。そこでなんとなくそっちに行きそうな道をいったら、やがて公園の門にたどり着いた。後で分かったのだが、実は走り回っている間に、公園への入り口の前を通りすぎていたらしい。ちゃんと標識が立っているのだが、見逃してしまったのだ。
そこは舞岡公園の北東の入り口で、旧民家風のトイレと東屋がある。高い鉄塔が建っているが、説明によれば櫓に似せたスピーカー塔だという。東屋の奥には道が続いていて、脇に水田が作られている。市民が稲作を体験できるように作られたものらしい。MTBを入り口前に停めて、中に入った。
人気はほとんどない。僕が入り口をくぐったとき、東屋で休憩している男性がいただけだ。ずっと遠くから話し声も聞こえるが、姿は見えない。静かだ。
休憩所の看板を見て、小山の上に続いている階段を登った。頂上には、確かに休憩所らしき簡素な東屋があった。そのベンチに腰かけて、買ってきたみかんゼリーとカフェオレを取り出した。静かだ......いや、なんか騒がしいぞ。どうも、今夜辺りに盆踊りでもあるらしく、なんちゃら音頭の類がガンガンかかっている。俺様にふさわしい、情けなくも笑える状況だ。
しかし、
こんな光景が横浜市内で見られるとは。向こうの山まで人工物がほとんど見えない。ちょっとしたオアシスという感じ。眺めが気持ちよい。そのせいか、ただのみかんゼリーがおいしく感じられた。日はまったりと暮れて行く。ベンチに、足を投げ出して座り、遠くで鳴いている蝉の声に耳を澄ませた。
帰路はまた坂道をのろのろ登り、戸塚経由で帰宅した。その道すがら、中田の方や立場駅の近くで、盆踊りの準備をしているのを目撃した。そういう時期なのだ。
朝方、猛烈にだるかったので会社に「休むね(はーと)」と電話を入れ、継続して爆睡。14:00くらいまで昏々と眠りつづける。起きて、遅い昼食を取り、ちょっと体を外気に当てていたら、なんとか回復してきた。
BD-1をアパートの前に出し、大々的に整備した。この間買ったチェーンクリーナなどで、ディレイラ周りにたまった金属粉などをきれいに取るつもりだ。
見ると、後輪がほぼ完全に坊主になっている。センターリッジタイヤという奴なのだが、パターン中央の直線が完全に無くなっている。これでも走れなくは無いだろうが、換えどきサインだとみて、タイヤ交換することにした。
替えのタイヤは、この間買っておいた、パナソニックの赤い18*1.5。包装を解いて、スペックを見てはじめて分かったのだが、このタイヤは最高40PSIまでしか入らないのだ。センターリッジタイヤは80PSIで、しかも常に5kg/cm^2くらい入れていたので、走りが重くならないか心配だ。
まあ心配しても仕方ない。入れてみよう。まずは前後のホイールを外す。Vブレーキをリリースし(これはスペシャライズドのMTBを買ったマルシュで教えてもらった)、クイックリリースを開放、クイックリリースのつまみを回して車輪が完全に外れるよう緩め、車体を持ち上げたらホイールは外れる。後ろはディレイラ付なので多少のコツが要る。外したら車体はさかさまにしておいた。
次にタイヤ交換。まずは前輪側。こっちはあまり減ってないので、次にまたセンターリッジに交換するならば、十分使えそうだ。まず空気を抜き、片方のビードを外す。が、これが簡単には外れない。手では無理だ。買ってあったタイヤレバーを探してきて、これを使うとあっさり外れる。なるほど、便利なもんだ。次にチューブを引き出す。これはスルスルという感じで外せる。そして最後にもう片方のビードを抜くのだ。単独になったホイールを中性洗剤をつけた雑巾で拭き、きれいに磨く。
今度はタイヤを着ける番。新しいタイヤを用意して、まず片方のビードをはめてゆく。これがもう、固い固い。ビードを補強しているワイヤがリムのサイズ一杯らしく、かなり強引に押し込まなければならない。この局面でもタイヤレバーが活躍する。タイヤとチューブの納まりを確認し、空気を3kg/cm^2入れておいた。これはタイヤに注意書きされていた推奨圧より上だが、このくらい入れておかないとリム打ちパンクが怖い(特に小径では)。
前輪分があっさり終わったので、自信をつけた僕は、より複雑そうな後輪に挑んだ。複雑というのは、こっちにはディレイラがついていて、ハンドリングが難しそうだったからだ。しかし、それはたいした違いではなかった。それでも罠が待ち構えていたのだが。
前輪と同じようにタイヤを外すと、ディレイラーを中性洗剤とチェーンクリーナで掃除した。走行距離は500kmくらいだろうか。しかしディレイラが真っ黒になるくらい汚れていた。きっと、境川グリーンロードのダートが効いたのだろう。ブラシも動員して、こびりついたゴミを取り除いた。中性洗剤を溶いたバケツが、あっという間に真っ黒になる。
ホイールをそれなりに磨き上げ、続いて新タイヤの装着だ。これがものすごく難航した。ビードが異様に固く、最後の10cmがはまらないのだ。なぜかは分からない。とにかく、最後はリムレバーをプラスチックハンマーでたたき、すこぶる強引に叩き込んだ。ビード部のゴムが傷んでしまった。が、見た目影響はなさそうだ。
前後のタイヤが済んだので、車体の細かな掃除をする。タイヤを外さなければ手が届かない部分や、ディレイラー回り、チェーンを掃除する。チェーンクリーナをそっと使い、頑固な汚れはブラシでこそげ取る。スプロケットの歯に、結構こびりついている。かなりきれいになった。これなら走行感に影響するだろうと思えるくらいのゴミを除けたので、気分的に気持ちよい。さらにワックスで隅々まで磨き上げる。
最後にタイヤを装着する。ピカピカになったぜい。タイヤが赤くなってかわいい感じになったが、ボディが渋いグラファイトなのでややそぐわない感じもする。ううむ、その他の装備品をカラフルにしてバランスを取るか。
整備が終わったBD-1で試走してみたが、懸念したような走りの重さは感じられない。荒れたアスファルトを走るときに、もしかしたら乗り心地がよくなるかもしれない。しかしパンクする可能性も増大するだろう。
これからは、500kmくらい毎に整備するようにしよう。
今日はBD-1メーリングリストの荒川サイクリングオフなので、朝は6:00起きの予定だった。しかし、前日の夜3:00くらいまで自転車のメンテをやり、その後は一睡も出来ず朝を迎える始末。完徹モードで出撃だ!(ヤケ)
立場駅までBD-1で走り、サドルポストにくくりつけてあるちび輪バッグで即輪行。BD-1イージーカバーに較べると、BD-1本体にベルトをくくりつける方式なので、持ち歩くのは楽だ。が、このベルト、もう少し幅が広くならんもんかね。ハンズでもっと良いベルトを探してみようと思う。このベルトが滑りやすいせいで、改札口に入った途端、BD-1がずるっと滑って轟音を立ててしまった。びびりながら、ホームに降りる。
今日は、新しいサイクリング装備で武装している。パールイズミのパッド入りインナーパンツ、ユニクロの速乾性シャツとチノパン、そしてサイクリング用バックパック。これらの効果を見る意味でも、今日のサイクリングは興味深いものになるだろう。
さて、集合場所は浮間舟渡なる、「この世のどこにあるのだ」という謎駅だ。前日、乗り換え案内オンラインとプロアトラス2000で経路と位置を確認してはいたのだが、なにせ未踏の地故に色々不手際が重なる。一番でかかったのが、渋谷で東急東横線からJR埼京線まで、ざっと数百メートル歩かされたことだ。重いBD-1を持って歩かされるのは拷問だ。たっぷり時間がかかってしまった。いや、実はそれを回避する必殺技があったのだが、それを会得できたのは帰路のことだった。
なんやかんやで、浮間舟渡駅に到着したのは、集合時刻9:00を15分ほども過ぎた頃だった。とりあえずお腹が不穏だったのでトイレを済ませ、改札口を出ると、すぐそこでBD-1を必死に展開している人がいた。話しかけると、やはり今日のオフの参加者だった。にち、と名乗る男性は、ポリッシュの新しげなBD-1に乗っている。この時は気づかなかったが、実はBD-1Wだった。肩を並べて我がBD-1(グラファイト)を展開し、集合場所に急いだ。
集合場所は、駅近くの公園。近づくと、いかにも怪しげな集団が、ミーティングらしきものをやっている。そっと参加すると、にち氏も加わっていた。既に今日の予定、走行中の行動指針などが訓示されているようだ。見回すと、いろんな自転車があるある。BD-1がやはり圧倒的に多い。
「後から来た方は自己紹介を」といわれたので、「マイBD-1の後輪が丸坊主になりそうなので、今日はその止めを刺しに来た」と話した。反応ゼロ(笑)。にち氏はもっと簡潔に自己紹介だけする。これでよかったかも。
さて、「9:30出発」という方針が示されたので、それまでは人の自転車を見て回る。多くのBD-1は、いろんな工夫が成されて、走り易そうになっている。ボトルの取り付け方も様々。一番目立つのが、ML主催者のおのひろき氏のViewPoint。タンデムで、しかも前はリカンベントポジションでストーカー側(操舵不能)、後ろはサドルポジションでキャプテン(操縦側)というキメラな代物。全長が長く、まともに操縦できるんかいなと思っていたが、走っているところを見ると案外に取り回しは楽そうだ。前席側は操舵できないしリカンベントだしで、実は物凄く怖いのではないだろうか。
BD-1勢に次いで多いのが、案外にトレンクルだった。しかもいずれも外付けディレイラー付加改造済みというすさまじい代物。そのうち1台のオーナーは......ああ、あの加藤直之氏が目の前に。中学生の頃からSF小説の挿絵で親しんできた加藤氏が、当たり前のように自転車の話をしているというのは、新鮮な印象があった。ある意味、SF小説家を目の前にするよりインパクトがあった。気後れして話しかけられない。だって「楽園宇宙の伝説」の、初期「グインサーガ」の、「バーサーカー赤方偏移の仮面」のイラストレーターが、目の前にいるんだぜ。
他にもいろんな自転車がいる。折り畳みリカンベント車Sat'R'Dayを駆る外人女性は、本オフの主催者カネギ・ルースさんだ。ステアリングがひざ下にあるこの自転車、慣れるのが大変そうだ。
ほどなく、各車南へと走り出した。
最初は公園の中を走り、すぐに荒川土手のサイクリングロードに出た。広くて走り易い道だ。なにも考えず、ゆっくりペースで走った。
最初の大休憩。特に疲れてなかったが、やはり前夜の徹夜が響いているのか、いまいち意気が挙がらない。しかし、12台のBD-1が並んでいる様は壮観だ。
ここでおの氏がViewPointの前席にミキ氏(だったかな)を乗せて走り出した。両者が踏むと、相当のスピードで加速して行く。ロードバイクをちぎれそうな速さだ。
この辺までは空が曇っていたのだが、そろそろと晴れ始めた。それに伴って気温も上昇してきた。再び走り始める。
今日の新装備、インナーパンツはどうか。果たして効果があるのかどうか疑問だ。締めつける力が強くて、案外に厳しい(笑)。BD-1では元々股間が痛くなることは無かったので、MTBの方で使うのが良さそうだ。
意外だったのはバックパックが快適だったこと。このバックパック、背中との接触面に空気の流路があり、快適なことが売りなのだが、あまり信用してなかった。ところがそのうたい文句通りに快適なのだ。確かに空気が流れることを感じ、汗があまり出ない。非常に快適だ。これはしまなみ海道制覇の大きな助けになってくれそうだ。
この辺から、にち氏と肩を並べて走るようになった。にち氏は元々ママチャリに乗っていたのだが、数ヶ月前にBD-1Wを購入したのだという。あれこれ話しながら走る。いつもの孤独な走りではなかったので、ずいぶん助けられた気がする。
2度目の大休止は、危うく過ぎかかった土手の上。前を行く人が気づいてくれたので、行きすぎずに済んだ。
次は荒川の対岸へと渡る。葛西橋という橋を渡るのだが、歩道が狭く、しかも対向車も多い。危険な場所だ。単独行なら、躊躇無く押して歩いただろう。対向車にすれ違う度に冷や冷やしながら進んだ。しかし中洲に降りれそうなわき道がある、少し太くなった区画で、対抗車を避けようとして段差に車輪を取られてしまった。結果、バックミラー破損。根元からポッキリ逝ってしまった。短い命だったな。しかし、このミラーはあまり役に立たないし、振り返るのはそれほど難しくないと分かったので、もう不要かも。
橋を渡った小さな広場で、ジャスコで昼食を買い、臨海公園に向かうという方針が示された。今度は一般道を通ってジャスコに向かう。
ジャスコの裏手に自転車を停め、昼食の買い出しだ。おにぎりとパックジュースで済ませた。買い物を済ませ、後続車を待ちながら休憩していると、加藤氏から「そのカスク(僕の被っていたカラパッチョを指す)涼しいですか?」と聞かれた。緊張する暇もなく、口はべらべらと「いえ、設置面積が広いので案外に暑いですよ」などと喋りまくる。ああ、あの加藤直之氏と話した。今日はある意味、記念日になりそう......。
一団は、やがて高架下を突っ走り、臨海公園へと至った。そして沖の人工島にわたる橋の下に集合し、昼食タイム。日ざしを避け、潮風が心地よい場所だった。持っていた18*50ISで対岸を見ると、下は小学生くらい、上はマダムクラスのおいしそうな水着姿が(爆)。目の保養である。さらに、沖合いには蜃気楼が出ていた。ここ数日の低温で冷やされていた海水が、今日の日ざしで温められたせいだろう。船が浮き上がったように見え、対岸の巨大構造物(コンビナート? 橋?)が、崖のように立ち上がって見えた。滅多にない見ものだった。
この辺でちらほらと帰る人が。僕もにち氏とともにこの辺でお分かれだ。にち氏共々、臨海公園駅に急いだ。
東京駅の乗り換えではずっと歩かねばならないという話だが、にち氏の提案で新方式を試すことにした。長い距離を移動するときは、前輪とハンドルを出し、サドルを持って歩こうというのだ。これが非常に楽だった。これからは、輪行時に有効なテクニックになりそうだ。
にち氏とは横浜駅でお別れ。また一緒に走りましょう。ちょっと走り足りなかった僕は、戸塚で降り、地下鉄ではなく自走で帰宅した。今日も凄く楽しかったな。
夜、あさひサイクルショップに発注していたもろもろの品が届いた。早速、それらを自転車にインストールする。モノはMTB用にバーエンド、リアリフレクター&フラッシュ。BD-1用には折り畳み式リアキャリアとちび輪バッグ。MTBにバーエンドとリアフラッシュを取り付けると、なんだか頼もしくなるぜ。BD-1のリアキャリアは、丈夫だが無骨なローラ付きタイプを持っているが、ちょっと常用するにはルックスが悪すぎる。こいつはツアーに出かけるときのために取っておいて、柔だが見た目がよい折り畳みタイプを買うことにしたのだ。要するに双眼鏡とかリアバッグが乗ればいいので、こんなのでも十分だ。このキャリア、取り付け説明書がないのでどう着けるのか分からなかったが、形状から推測してキャリアをサドル部のクイックリリースにかませ、別の支柱で支えてやるものだと分かった。うん、これならBD-1のすばらしいルックスを損なうことはないぜ。
ちび輪バッグは、その名の通りボトルサイズに畳める輪行バッグだ。これなら車体にくくりつけておけるので、輪行バッグがなくて泣くことがなくなるだろう。
残りのブツはインナータイプのパッド入りパンツ、サイクリング用のバックパック、MTB整備マニュアル本など。いずれも役に立ちそう、というか立ってくれ。