Strange Days

2000年05月28日(日曜日)

今夜のテレビ

23時21分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは「世紀を越えて」、"心の病"。近年、続発する巨大事故やテロ、幼児虐待などにより、深い後遺症に悩む人が増えている。なかんずく心の傷は、外からは容易にうかがえないだけに深刻化する傾向にあるという。
 人間は、大きな衝撃を受けると心が変形してしまい、元に戻るのに時間を要する。人間の心は柔軟で、十分な時間をかければ原状に復旧できる。しかしあまりに強い衝撃を受けたり、あるいは回復する暇がないほど続けて衝撃を受けると、回復不能に塑性変形してしまう。これを心的外傷、トラウマという。そしてこのトラウマが引き起こす心の異常な反応をPTSD、心的外傷後ストレス障害という。
 PTSDが引き金となって現れる異常行動の一つが多重人格だ。一人の人間にあたかもスイッチで切り替わるように複数の人格が入れ替わり立ち代わり現れる。多重人格の要因の一つが、個人では対処しきれない衝撃から心を守りたいという欲求だという。『この状況にあるのは自分ではない』と、あたかも傍観するような別の人格を想定することで、自分の心がこれ以上のストレスにさらされるのを防ごうとするのだ。その結果、個人の内部で別の人格が際限なく生成されて行くことになる。
 PTSDは肉体にも強い反応を引き出す。テロによる爆破で強い恐怖を与えられたある女性は、いまでも大きな音に対して押さえがたい恐怖を感じてしまうという。それだけではなく、心拍や血圧の上昇が現われ、理性的な判断が困難になってしまう。
 こうした生理的な反応の原因は、人の恐怖体験の記憶の仕方、そして感情を抑制する脳のメカニズムにあるのではないかと考えられている。人間の脳では興奮を促す機構とそれを抑制しようとする機構がせめぎあっている。前者を扁桃体が、後者を前頭葉が担っている。人は恐怖を感じると扁桃体の活動が活発になる。これが現実の恐怖ならば問題はないが、例えば映画などによる偽の恐怖でも活発になりつづけることは、心に大きな負担を与えてしまい良いことではない。そこでその恐怖が真に存在するかどうかを前頭葉で理性的に判断し、しかるべき抑制を加える。ところが、あまりに強烈な恐怖体験は、脈絡の無い体験の固まりとして記憶されてしまうため、前頭葉で処理できなくなってしまうというのだ。
 PTSDによるストレスは、脳の機能にも障害をもたらす。人間の脳はあちこちの部分がそれぞれの機能に沿って処理した情報を統合して活用する超並列マシンだ。この情報の統合を行うのが海馬という部分だ。ところが海馬はPTSDによるストレスに弱く、長期間にわたってストレスが加えられると、萎縮して機能を減退させてしまうことが知られている。その結果、人の心の統合が緩み、人格乖離や、PTSDが顕著になってしまう。
 これを克服する手段の一つが、かつて受けた強い衝撃の原因となった出来事を言語化することだ。言語化することで前頭葉での判断が可能になり、抑制できるようになる。しかし恐怖体験を思い出すこと事体が苦痛なので、それを克服する作業は容易ではない。
 一方、萎縮した海馬を修復する手段として注目されているのが、セロトニンという物質を投与することだ。セロトニンは人間の情動を平静にする作用があり、海馬にダメージを与えるストレスを抑制することができる。すると海馬の神経組織が回復し始めるのだという。人間の不思議な、しかしすばらしい機能の一つだ。
 セロトニンは投与しなくても人間の脳に自然に存在する。その分泌を促すには、人の心を落ち着かせて平静にしてやることだ。そのことによってセロトニンが分泌され、ますます平静になってゆく。従って心的外傷を負った人の心を癒すには、その平静を取り戻してやるという伝統的で直感的な治療法が正しいことになる。
 以前、自分はPTSDだと主張する人とメールをやり取りしたことがある。以前、NIFTYにいた頃、そのフォーラムの一つで知り合った人だ。その人は周囲と軋轢を起こしやすく、その原因は自分には無いと主張していた。当時の僕は見るところ、その人自身の支離滅裂な主張に周囲が振り回され、当然の帰結として拒絶に遭っただけだと考えていた。自らがどれほど論理的に破綻していても気づかない末期的状況だった。しかしそんな暴走の果てにあったのは、自分を受け入れてくれなかった周囲(主にフォーラムの運営陣)を告訴するという恫喝だった。これでは多くの人が見放してしまうはずだ。僕は多少なりとも説得を試みたのだが、結局手におえなくて引き下がらざるを得なかった。未だに尾を引いている、苦い体験だ。
 僕はフォーラム制というものを憎みつつも、この事態に巻き込まれた運営陣には同情せざるを得なかった。彼ら自身は概ね善意の人々だったからだ。
 しかし、この時どうすれば良かったのだろう。他に道はあったのだろうか。決裂を回避しつつ一人の人間のために他のすべての人々を犠牲にすることも、逆に一人の人間を切り捨ててしまうこともしないで済む道は無かったのだろうか。経済効率とか社会正義というものがそれぞれ登場してくると「無い」という事になってしまうのだろう。しかし粘り強く対話を続けていけば、何かしらの進展があったのではないか。
 その時、一番いけなかったのはフォーラム制の官僚主義と経済効率を押し付けたNIFTY自身、そしてそれを求めて一連の事件を黙殺し早く無いものにしたいと無言の圧力をかけた一般会員ではなかっただろうか。それぞれが当事者同士の解決に時間を与えなかったことが、無惨な決裂へと至ったように思えてならない。せめて周囲の人々が双方の対話継続に好意的な反応を示していたらと思う。彼らに時間を貸してあげられたならば。こんな風に責任が運営陣に集中してしまうことがフォーラムという官僚制度の限界であり、それを越え得なかったことがそのフォーラムを構成していた人々の限界だったのだろう。
 しかしなぜ対話の継続というサインを出せず、むしろ阻害する方向へとサイレント・マジョリティは動いたのだろうか。僕はそこに心の病への根強い無理解があると思う。先のPTSD(と主張している)の人は、元々論理的に支離滅裂なのではなく、感情をまったくコントロールできないのだ。だからこそ大量の感情的記号を含有した文書ばかり書いていたのだと推測する。従ってその人に対して必要だったのは受入れること、それが不可能ならば好意的に中立する事だったと思う。心の平静を取り戻す時間を与えてやるのだ。この両者が困難なのは言うまでもない。支離滅裂な主張を繰り返し、論理的な矛盾を指摘しただけで攻撃してくる相手には、中立でいる事さえも難しい。しかし精神の病とはそういうものだ。バランスを失った精神は退行するか、攻撃的になってしまう。そして僕たちは大なり小なり同じ病を抱えている。それが顕在化しやすいかどうかの違いでしかない。だから拒絶は、その場に心の病への拒絶という負の遺産ばかりを残してしまい、僕たち自身に病の顕在化への恐怖という新たなストレスを付け加えてしまう。
 継続する事は重要だ。しかし支離滅裂な要求は拒絶しなければならない。受入れつつはね付けるという態度をじっと我慢しながら続けなければならない。聖職者以外には不可能そうに思える。
 しかし多くの人が少しずつ分け合えばどうだったろう。何万人も要らない。せいぜい10人ほどが参加すれば事足りたのだろうと思う。それには心の病に関する深い理解までは不要だ。自分もその一人かもしれないという共犯関係への認識と、少しばかりの同情が必要だったのではないだろうか。もしもそんな事が可能だったならば、フォーラム制にだって少しは価値があったのにと残念に思えてならない。

2000年05月27日(土曜日)

じっとしている週末

22時17分 テレビ 天気:雨

 昨日から天候が悪く、せっかくの週末だというのに星空観望できない。かなり欲求不満気味。
 こういうときに秋葉に出かけると馬鹿買いしてしまうので、自宅でじっと我慢。とりあえず少したまり気味だったビデオ録画分を見る。
 C.C.さくら。さくらの学級の学芸会を前後編で。小狼め、ますます色気づきやがって(笑)。りりしい王子様のさくらとキュートなお姫様の小狼......ケロじゃないが男の子と女の子の役ぐらい分けとけ~! さくらのこととなるとすぐ妄想に走る知世様もよいですわっ☆
 グルグル。ククリの出生の秘密が、今暴かれる! ククリへの遺産を豪快に売り払ってしまった一行の運命や如何に? 幼児退行するククリがそそる(なにをだ(笑))。キタキタ親爺はますます妖怪じみてきたぞ。
 「東寺平成の大改修」。これは先週撮っておいたNHKの番組。空海建立の東寺が大改修されることになり、その仏像たちが修復される過程を追ったドキュメンタリー。これら平安初期に中国の強い影響下に作られた仏像たちは、過去何度かの改修により本来の姿を失っているという。今回の修復ではそれらの改修の悪影響を除去し、本来の姿に戻すことが目論まれた。例えば明王像の一つは表面に塗られた漆のために、平安期の表情を失ってしまっているのだという。厚さ1mm程度というのだからそんなに厚くなさそうだが、それでもその下の表情を塗りこめてしまう。逆にいえば、本来の表情がいかに微妙な凹凸で表現されていたかが分かるというものだ。
 NHKスペシャル、「密輸オランウータン故郷に帰る」。オランウータンはワシントン条約で輸出入が禁止されているが、そのことが闇市場での価格を吊り上げ、密輸出入が絶えない。最近、日本でも大阪のペットショップでも4頭のオランウータンが保護された。このペットショップ、広告にご禁制のオランウータンを堂々と載せていたというのだから、まったく神経を疑う。しかしこのことを裏返せば根強いニーズがあるということでもある。こんな高価なペットを買う方も、ワシントン条約に関して無知であるとは思えない。確信犯だろう。まったく、頭がどうかしているのではないだろうか。
 一度人に馴れたオランウータンを野生環境に帰すのは容易ではない。一つにはこうしたオランウータンたちが幼い頃に母親と引き離され、生きるために必要な知識を学べなかったという点がある。恐らく、母親は密猟者に殺されたのだろう。一匹の密輸オランウータンには、必ず一匹の母猿の死が付きまとっている。つまり、日本で密輸オランウータンを購入した人は、最低でも一匹の死に関与していることになる。この場合、無知であることは許されないことだ。多くの無知は罪ではないと思うが(つまり価値中立的)、この場合の無知は明白に罪だ。一人の満足感が、それ以外全てにネガティブな影響をもたらしているのだから。と、ここで僕が怒っていても仕方ないが、なんともやりきれない話だと正直に思う。オランウータンがここ数年で半減するほど生息状況が悪化していると聞けば、なおさらのことだ。
 さて、こうして生きる術を学ぶことが出来なかったオランウータンに、森で生きていく術を教える施設がある。元々は年々減少する森から追われた猿たちを保護する施設だったのだが、近年は密輸されたオランウータンを再教育することが多い。以前この施設のレポートを見たときは、確かに森林火災で云々というところに主眼が置かれていたと思う。
 猿たちは木登り、食餌の確保だけではなく、猿同士の付き合い方も学ばなければならない。例えば、Play Fightという行動は、模擬的な喧嘩を通じて猿同士の社会的地位を確認しあう行動だ。しかし一匹で育ってきた密輸オランウータンにはこれを学ぶ機会が無かった。猿同士のぶっつけ本番の付き合いの中で学んでいくより他に無い。また幼少時の生育環境から、木に触れることを怖がったり、神経症を患ったりする猿も多い。オランウータンが人間に近く、かなり社会的で精神的な生き物であることが良く分かる。これらの障害を乗り越えてオランウータンを森に帰す地道な作業が続いてはいるが、生育環境の悪化という大原因が手付かずである以上、焼け石に水というのが正確なところだろう。このままオランウータンが消えてしまうのだとすれば、人類が犯した大罪リストにまた一つ、大きな項目が付け加えられることになるだろう。やがて悲しい結末を迎えてしまうのだろうか。

2000年05月21日(日曜日)

世紀を越えて

23時04分 テレビ

 今夜の「世紀を越えて」は脳死患者からの臓器移植をめぐる話題。
 脳死患者からの臓器移植は日本でこそ始まったばかりだが、欧米では既に日常化しており、毎年数千人の患者が臓器の提供を受けている。
 冒頭、脳死した男性から臓器を次々に摘出する現場が映し出されたが、まさに人間の部品取り、いや解体工場という感じだった。今や臓器だけでなく骨や皮膚まで利用されている。
 欧米では肉親の同意があれば臓器提供が可能なため、このように臓器移植が盛んになり、それが医療技術の発展につながってきたのだ。
 しかしこうした臓器移植の普及の陰で、提供する側と提供される側ぞれぞれの問題点も浮き彫りにされつつある。
 アメリカに住むある外科医は、重い心臓疾患に苦しめられた末、臓器提供を受ける事を決意した。そして提供を待つ間、彼には奇妙な性癖が現れたという。強盗や事故、火災といった悲惨な記事を追い、肉体は健康でも脳死を迎えた人を探すようになったのだ。それは彼には「ごく当然のこと」だと思っていたという。
 やがて心臓の提供者が現れ、彼は死の時期と宣告された3ヵ月前に移植を受け、そしてかなりの健康を取り戻すことが出来たという。
 しかし移植された心臓は彼に健康をもたらすと同時に、心の問題をももたらすことになった。
 移植された心臓は血管などの接続はされているものの、収縮パルス自身はペースメーカーで作り出しているようだ。そのため、心臓の鼓動は彼の心の動きとは独立して常に一定だ。奇妙なことだが、まるで一体感が感じられないという。「まるで体の中にエイリアンがいて、自分の生死を支配しているようだ」と彼は語る。
 さらに、自分が生きているのが正しいことなのだろうか問う疑問も拭いがたいものになる。一人の人間が死んで、一人の人間が生き長らえる。しかしなぜ提供者が死に、彼が生き延びることになったのだろう。そういういささか抽象的な悩みにも苦しめられた。彼は同じ悩みを抱いているだろう受領者の相談に乗るカウンセリングのボランティアにも関わっている。
 臓器移植は盛んになってはいるが、需給のバランスはいまだ需要の側に大きく傾いたままだ。脳死という概念を受け入れてきた西欧諸国では、もっとも大きな供給を見込める提供者、すなわち脳死者のうち、臓器提供に同意した割合を増やすためにあの手この手を尽くしている。
 オランダでは18歳以上の国民すべてに同意書を送付し、同意、拒否、同意の形態、そして提供する臓器などを決めさせる試みを続けている。国民はこの同意書をいつまででも保留できるのだが、それが大きな誤算を生んだ。いつまでも提出しない人が多いのだ。そのため、イタリアなどでは3ヵ月以内に提出することを義務付けている。しかもイタリアの場合、その後の同意内容の変更はかなり難しく、なおかつ一度提供を決めたらどの臓器を提供するか本人には決定権がない。これはイタリア憲法で国民は公共に尽くすこと、国家は国民の健康を国益として重視することが謳われているからだ。それにしても、これほど強制力を持つ法律を、しかも臓器提供という議論の余地が大きい分野で成立させるというのがすごい。日本ではまず成立しないだろう。しかも、これらの法律が成立している地域は復活の奇蹟を重視するカソリック圏なのだ。死体損壊に対する抵抗は、日本などよりもむしろ大きかったのではないか。これらの地域の政治にキリスト教が大きな影を落としているのは間違いないが、それを超克して新しい認識を切り開いていこうという西欧諸国の姿勢には、日本は学ぶところはあっても教えるものは何もないような気さえする。
 その西欧圏でも、脳死者からの臓器移植が一般化するにつれ、提供者の家族の提供を受けた人たちの事を知りたいという願いが顕在化してきた。
 元々、臓器移植では提供者と受領者のそれぞれが秘密にされる原則があった。臓器提供はあくまでも人の善意によるものであり、それがビジネスや他の関係を生み出してはならないと考えられている。だから双方に深い関係を築かないほうが良いだろうと考えられてきたのだ。しかし提供者の家族の「知りたい」という願いを無視しつづけるわけには行かない。提供者の脳死という最期をどうしても受容できない家族は数多くいるからだ。
 次男の臓器提供に同意したある家族も、それ以来次男の臓器の行き先を知りたいと願い、コーディネータに働きかけるようになった。当初、コーディネータからは、それぞれの臓器の提供を受けた人々の簡単なプロファイルが伝えられただけだった。しかし家族の方は次男の"死"にどうしても納得できないものを抱きつづけざるを得なかった。
 増えつづけるこうした声に、コーディネータたちも従来の方針を転換せざるを得なかった。様々な問題は考えられるものの、心の問題を放っておくことは、臓器提供という行為自身に悪影響を与えかねないと考えられたようだ。結局、双方に念書を取ることで対面を実現することにしたのだ。
 先の家族は、何人かの受領者の中から一人の女性に会うことができた。心臓の提供を受けたその女性も対面を希望したことから、ついに対面が実現することになった。
 提供者の母親は、感動的な対面の場面でその女性と抱き合った。「心臓が脈打っているのが感じられた」と母親は喜ぶ。彼女の息子の心臓は、別の生命を確かに支えている。
 ところが対面を果たした母親の認識は、ある部分で変化を遂げた。彼女が会ったのは他人に渡った息子の心臓なのではなく、息子の心臓を受け継いだ一人の女性なのだ。そのことを感じた母親は、ようやく息子の"死"を受け入れることができそうだという。
 僕が思うに、一人の個人から肉体の一部を部品のようにして取り出すというやり方は、今だけの一時的な方便に過ぎないように思える。クローニングや遺伝子改変技術のおかげで、別の動物から部品取りをするという技術が登場するのも、もう間もなくのことだと思える。恐らく、人間からの部品取りという抵抗の大きい方法にとった変わるのも、そう遠くない日のことだと思える。
 しかしたとえそうであっても、一人の人間の"部品"で別の人間が生き長らえるという事実が今あることに変わりない。それを一時の異常な現象ではなく、人間の生命をめぐる紛れもない一つの真実として考えることを怠りたくはないのだ。

2000年05月07日(日曜日)

NHKスペシャル

23時51分 テレビ

 連休の終わりゆえか、NHKスペシャルは昨夜に続いて面白そうなものだった。今夜は村上龍が"インターネット・エッセー"と題して、バブル崩壊後の日本のあり方に思考を巡らす。
 最近、村上は経済に興味を持ち、メールマガジンを主催して読者の意見を募ることを始めている。彼は'90年バブル経済崩壊後の『失われた10年』とはなんだった(あるいはなんなの)だろうかという問いを読者に投げてみた。
 村上は、まず「バブルの原因はなんだったのか」という問いをMLに投げてみた。それに対する読者の回答は様々だった。
 単に官僚や不動産、銀行関係者に原因を求める意見も多かったと推測するが、いくつか新しい知見をもたらしてくれる意見もあった。
 イギリスの経済アナリストは「欲が無かったからだ」と逆説的な意見を述べた。バブル当時にありあまる資金の投下先を見つけることが出来ず、結局土地神話にしがみついて『確実な回収』を怠ったというのがそのアナリストの意見だ。あるいは土地神話から目覚めていれば、このアナリストの言うとおりに確実な回収を心がけることも重視されたに違いない。今なら確実にそういう思考が働くはずだ(今もそうでないのなら銀行関係者の無能さに絶望するしかない)。しかし当時は地価が下がるなどという事態は想像の外にあり(このこと自体は官僚、銀行関係者の想像力の貧困さを反映したものではある)、土地を担保に取ることが『確実な回収』と等号で結べるとされていたのだ。このアナリストの意見は正鵠を射たものではあると思うが、同時に局外に立ちすぎて"なぜ"(つまり"犯行動機")を見失っているのではないかと思った。
 「バブルのときに何に金を使えばよかったか」という問いとも密接に関係するだろう。その中には「ベンチャー企業に投資すればいい」という意見が散見された。しかしベンチャー企業に投じることが出来る資金は多くなく、また回収率にも問題がある。日長銀の元行員の「かつてベンチャーに大量の資金を投じたことがあったが、回収率は惨憺たるものだった」という指摘を知れば、ベンチャーに投資されなかったことを一概に非難は出来ない。残念ながら、日本ではベンチャーが育つ土壌が醸成されていないように思われる。
 村上は、これらの結果を踏まえ、バブル当時には土地以外に大量の余剰資本を吸収できる物件は無かったとする。銀行員たちは儲けに走ってバブルを引き起こしたのではなく、資金を消化するためにやむなく土地に走ったのだ、と。バブルの悲喜劇が銀行マンたちのまじめさによるものだとすれば、まことに日本的な状況だといわざるを得ない。
 銀行内部でも土地神話の危うさは盛んに指摘されていた。「土地が下がったらおしまいだ」という指摘は、既にバブル当時から散見されていた記憶がある。しかし銀行のノルマ主義という現実を前に、そういった市場の現実は無視されてしまった。一線の銀行マンたちの懸念の声は、ノルマ消化のための軍事機構とでも言うべき銀行組織の内部で消滅する運命にあったのだ。
 そう、バブルは'80年代という特殊な状況で用意されたものではなく、実は日本的な組織運営が抱えてきた時限爆弾が、あの日あの時に炸裂したものに過ぎないのだ。
 日本的組織の限界、あるいはその崩壊というものを白日の下に曝したのが、海外での日本金融機関の不祥事、そして海外企業による日本企業の買収だった。前者は海外の、つまり世界デファクトのモラルと日本的モラルの深刻なズレを、後者は日本型組織の自己浄化機能の低さを暴き立てる結果になった。日産、マツダのトップ人事は、日本型組織の限界を確かに示している。
 バブルの原因はどこに求められるだろう。村上は、'60年代も終わりに入り、日本の高度成長期が終わりを告げた時期に求められるのではないかという。日本はその時期に"大人"になったのだ。しかしその新しい経済的現実に見合った体制を作ることを怠ってしまった。これは社会のすべての階層、すべての人々に当てはまることだ。当時の人々は未来に関してのビジョンを持つことなく、ただ過去の継承という形でしか未来を生きることが出来なかったのだ。そしてビジョン無き社会が一気に破綻したのがバブル(バブルそのものが破綻だったといっていいだろう)であり、その後の荒涼とした焼け野原のような日本だったのだ。
 村上は「高度成長期の日本を心の拠り所にしてもいいのではないだろうか」という。あの時代、確かに奇跡のような経済成長を達成できたことを、日本人はもっと誇りにしてもいいのかもしれない。しかしあの時代の再現はもはや出来ない。日本は質的に違ってしまったのだ。
 村上が20代の読者を対象にした簡単な実験が面白い。'60年代に多い白黒画像の中の"日本"を見せ、感想を求めたのだ。彼らの感想は「同じ日本とは思えない」というものだった。そして同時代、あるいは直後に多いカラー映像に関しては、なんとなく今との均質性を感じているようだ。'60年代に巨大な断層があるという村上の感想は当たっているのだろうか。
 最後に村上は「生まれ変われるとしたらいつの時代がいいか」と問うた。答えは圧倒的多数の「現在」だった。このことは人間の本能的な保守性にのみ求めうるものではなく、恐らく現在ただいまがやはり住み良いという認識を反映したものだと考えて良さそうだ。そんな時代を築いたこと、そんな時代に生きていることを、もっと誇りにして良いのではないだろうか。村上はそういう。
 確かに、過去に戻ることだけは出来ない。昨日、「後退する勇気をもつべきだ」と書いたけれど、実際に実現可能なのは、過去を参考にした未来に過ぎないのではないか。
 我々は誰でも過去の苦さを感じている。アメリカはベトナム戦争に、イギリスは植民地経済に翻弄され、そこからようやく這い上がったのだ。そしてそれぞれの経験は貴重な知識につながったと思う。
 僕たちがやるべきことは、バブルという過去を忘れることではなく、その苦味を思い返しつつ新しい知識を創出することだと思う。そのとき、バブルは決して無益で有害な経験ではなく、いずれ通らねばならなかった道だと思い返せることだろう。

2000年05月06日(土曜日)

NHKスペシャル

22時47分 テレビ

 帰宅して、夕食を作ったらNHKスペシャルが始まった。今夜はツキノワグマの生態を追うという内容。
 舞台は広島県の山中、中国山地。なんでも中国山地には数多くのツキノワグマが生息しているとか。しかしその数も年々減少しつつある。
 取材班は冬眠中の親子を発見、その近くの窪地を見下ろす場所に観測小屋を設置した。その親子が冬眠から目覚めると、まっすぐここにやってくるだろうという目論見だった。しかし春がきてもその親子は姿を見せず、また他の熊たちもほとんど姿を見せなかった。動物を自然の状況で観察しようとすると、時々こういうことが起きるようだ。
 取材班はリモートカメラをあちこちに設置して、ツキノワグマの動静を探った。その結果、ツキノワグマが非常に広い範囲を移動していることがわかった。
 このことはツキノワグマの減少傾向と関係がある。ツキノワグマ同士が交尾できる期間は限られているのだが、この間に異性に出会える可能性は元々高くは無い。しかも森の奥深くに入り込んだ林道などにより、森は次第に分断されつつある。林道は動物の移動を妨げるので、その内外にいる個体同士が交流できる可能性も低くなってしまうのだ。
 中国山地といえば、それが瀬戸内に流れ落ちる辺りが僕の故郷なので、多少なりとも親しみのある地勢ではある。故郷の呉市の山間には「熊野」とか「焼山」とかいう地名が散見される。熊野はいうまでも無いだろう。焼山も熊が出没するたびに山焼きをして追い払ったという故事に基づいているらしい。かつては僕が住んでいたような、海が見える傾斜地にまで熊が日常的に出没したものだという。しかし人間社会の拡大は、共存していた多くの生き物たちを追い払ってしまった。人間にとって快適な環境と、他の生き物たちにとって危険な環境とは、それぞれ等号で結んでしまってもいいだろう。
 人間は少し、というか、かなりやりすぎてしまった。人とその愛玩動物だけがぽつんと存在する世界というものは味気ないものだ。
 僕たちはもう少し後退する勇気を持っていいのではないだろうか。例えば山間地を縦横に走る林道や道路網を統合し、森を分断する部分を少なくするとか、今あるインフラを放棄してでも森を守る処置を講じなければならないのではないだろうか。山で暮らす人たちには悪いけど、しかし山を見たことも無い役人たちが計画した林道が、地域経済に本当に貢献できているとも思えないのだ。