Strange Days

2000年07月30日(日曜日)

地震ですよ

22時22分 テレビ 天気:晴れました

 今夜のNHKスペシャルは「4大文明」第4週の古代中国編だった。中国の古代王朝といえば殷、そして伝説上はその前に存在したとされる夏がそれに当たる。殷などは2000年は続いたとされているので、随分息の長い王朝だったようだ。
 殷の遺跡として今世紀に発掘されたのが殷墟だ。殷墟は古くから殷の遺跡と言われてきたのだが、それが実証されたのは今世紀に入ってから、発掘調査が行われたときだった。
 殷墟は殷の歴代王の墳墓だった。黄土の大地を掘り下ろし、地下深くに棺室を置き、その上に墳墓の構造物を構築してゆく。棺室を奥底に置くのは、人は死ねば黄泉という地下世界に行くという伝説に基づいているといわれている。黄泉への道行きを少しでも楽にしようということらしい。
 地下に豪華な墳墓を築くのは、後世の始皇帝陵においても受け継がれている伝統だ。巨大な始皇帝陵の地下には地下宮殿が眠っているとされる。また周囲からはいわゆる兵馬俑が発掘されている。これは8000人もの兵力で構成される始皇帝の近衛兵を、そのまま「生き写し」にしたものだ。この地下の軍団は始皇帝の身を永遠に守る事を願い、兵器の材質に至るまで吟味されたものだった。余剰資本の乏しかったろう古代中国で、このような巨大で贅沢な墳墓の建設にどれほどの血が流されたのか、考えてみると慄然とするものがある。
 殷の育まれた地がそうだったからだろうか、古代中国は黄土に依存した文明形態を持っていた。黄土は湿らせてつき固めると鋳型に使えるほど硬くなる、工業製品や建築材に用いるには絶好の特質をもった資源だった。この黄土の鋳型で武器を作り、黄土の防壁を巡らせた都市を築くことで周囲の他民族を圧倒し、古代中国文明は伸張していったのだ。
 という辺りだったろうか。布団に腹ばいになって、Portable Palm Keyboardで雑文を打ちながら見ていたのだが、かなり強い揺れを感じた。振動は体感的には20秒近く続いた。緊張しながら揺れる蛍光灯を見ていたが、やがて収まった。ややほっとしながらテレビに目を戻し、しばらく進行したところで、いきなり臨時ニュースが入った。テロップではなく、ニューススタジオからの本格的な臨時ニュースだ。地震が続いている伊豆諸島を震源地としたM6.2規模の地震があったという速報だった。公共媒体という性格からしてやむを得ないが、なんとも間の悪い話だ。結局、NHKスペシャルは再開されないままだった。また日を改めて放送してくれるんだろうな?

2000年07月29日(土曜日)

NHKスペシャル

22時18分 テレビ

 ちょっと星を見て寝ころんでいたら、NHKスペシャルが始まった。今週は以前選挙関係で潰された室生寺五重の塔再建の話題をやってくれた。
 室生寺は奈良の山中にある。国宝に指定されているのは、境内にある五重の塔だ。戦後最初に国宝に指定されたものだという。室生寺は女人高野と呼ばれ、古くから高貴な女性の信仰を集めてきた。江戸幕府の5代将軍綱吉の母も入れ込んでいたらしい。
 その室生寺の境内に立つ五重の塔は、その優美な姿から人々に愛されてきた。この塔は奈良の寺院に立つ塔の中では最小のものだという。その小さくまとまった姿は、女人高野にふさわしく優しげである。
 '98年の夏、その5重の塔が、近くにあった神木の倒壊に直撃され、大きく傷ついてしまった。檜皮葺きの屋根が大きく削り取られ、特に上二層は半壊に近い状態となってしまった。
 文化庁はこの塔の再建を検討し、無事な部分へも影響を残す解体修復ではなく、上二層だけを解体し、その他の層はジャッキアップして分離、修復するという手段を取った。これは室生寺の塔が小さく、軽いことから取られた手段だった。小さいために内部に人が入って修復するのは難しい。だが軽いためにジャッキアップするという道が開けたのだ。
 修復の過程で様々な事実が明らかになった。この塔は鎌倉、江戸、そして明治期にそれぞれ修復を受けている。そしてその度に、修理を担当した宮大工たちは、痛んだ部材をも出来るだけ再利用しようとしていたのがわかった。痛んだ部分は修復するなり切り捨てるなりして、出来るだけ残そうとした形跡がある。
 また檜皮葺きの姿は創建当時のものではなく、檜皮葺きそのものは江戸期の改修で取り入れられたことがわかった。しかも明治期の修復では、江戸期に変えられた檜皮葺きの線を優美にするため、屋根の曲線に手を加えられたこともわかった。今回の修復を担当した宮大工は熟慮の末、この低められた稜線をやや戻すことにした。
 このように文化財の修復は「原状に戻す」という単純な方針では立ち行かないもののようだ。塔を愛でてきた人々の美の意識が変遷するに連れ、塔の形も変えられてきたのだ。しかしこのような建築物を千年以上も守ってきた日本人というのは、どうしてなかなか立派なところがあるじゃないかと思う。

2000年07月23日(日曜日)

NHKスペシャル

22時57分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは4大文明その3、インダス文明の巻だ。
 インダス文明の遺跡として有名なのはモヘンジョダーロ、ハラッパーなどの教科書もの遺跡だろう。これらの遺跡の特徴を挙げれば、まず計画都市であること、そして非常に水にこだわった都市設計であることがある。計画都市ということは、ここにそれなりに強力な権力の裏づけを持った政治機構が存在したことを示唆する。水にこだわった都市設計は、その権力が水資源の配分に強く関与していたことを示唆するのではないかと思う。
 インド亜大陸のパキスタン近辺にあった上記の遺跡に対し、海に近い辺りにある新しい遺跡が注目を集めている。この遺跡はさらに水にこだわった設計をされている。都市全体を整然としたプールで取り囲み、わずかな雨季に氾濫する川の水を引き込み、1年中農業を営めるように工夫していたのだ。これが都市の住民に富をもたらしていたと思われる。
 都市の住民たちはどんな人々だったのだろう。考古学者によれば、インダス文明の遺跡からは戦争の痕跡がうかがえず、また王権のような強大な権力の存在も見出せない。権力の中枢にいた人々は、街の有力者といった役どころだったようだ。彼らが権力の背景としていたのは、富や神聖といったものだったらしい。その代わりに子供の遊び道具は豊富で、平和な文明だったことが分かる。
 モヘンジョダーロというと山田正紀の「神々の埋葬」が頭に浮かんで戦争で滅んだというイメージがあったのだが、実際にはインダス川の遷移によって放棄されたというのが実情らしい。甚だしいのはインダス、ガンジスに並ぶ第3の川で、紀元前1600年ごろ、なにがあったかは知らないが消滅して潜行するようになってしまったらしい。その結果、それぞれ数万の人々を養っていた都市国家が放棄されるようになったのだ。消滅にはインド亜大陸の地形が影響しているのかもしれない。文明を育てるのも、滅ぼすのも、地球の大いなる力だったのだ。

2000年07月15日(土曜日)

NHKスペシャル

22時34分 テレビ

 寝床でうんうんうなりながら見たのが、今夜のNHKスペシャル、「さよなら映画のふるさと・大船撮影所」だった。「フーテンの寅さん」との絡みでとかくその名が知られてはいたが、さほど映画を見ない僕にはやや縁遠い世界でもある。
 大船撮影所の巨大カマボコ型建屋は戦前の1936年に落成したものだったという。時期的に、なんらかの国策に沿ったものと思う。
 しかし大船には東海道線の乗客を一度はギョッとさせる大船観音もあるんだったっけ。なにか巨大なものが集まりやすい土地なのかも。