Strange Days

2000年10月29日(日曜日)

NHKスペシャル

23時37分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルはボスニア紛争(ユーゴ内戦というべきか)に暗躍した米情報コンサルタント会社の話題。
 '93年、ユーゴ連邦からの離脱を宣言したボスニアに、セルビア軍が介入した。恫喝により、できればボスニアの離脱を阻止したかったのだろう。しかしボスニアの抵抗で、介入は本格的な内戦の様相を呈し、セルビアによる更なる攻撃を誘発することになった。これは独裁的な体質を持つといわれるミロシェビッチも、本心では望んでなかった事態のはずだ。しかし資源にも産業にも人口にも恵まれてないボスニアは、軍事的な圧迫に窮地に追い込まれる。
 内戦勃発から3ヵ月、事態打開のために就任したばかりのボスニアの外務大臣が渡米した。ボスニアは「世界全体から見れば取るに足らない地域」と自ら認めるだけに、国力の乏しい小国家だ。外務大臣も単独での渡航だった。彼は強大で、なおかつ正義なるものに乗せられやすいアメリカの力を利用しようとした節がある。もちろん、ニューヨークには国連本部があるので、国連での活動をも睨んだものであるのも間違いないだろう。しかし最終的には、最大の狙いはアメリカ政府を動かすことだった。
 ボスニア政府はまずボスニアがこの世のどこにあるのかをアメリカ人に知らしめなければならなかった。ボスニアでオリンピックが開かれたことをおぼえている人は多かったろうが、そのボスニアがバルカン半島に位置することを知っている人は少なかったようだ。僕も、マケドニアの位置をイタリア側にあると間違えておぼえているのに気づいた。
 こんな頼りない状況を打開するために、渡米した外相が契約を結んだのが大手情報コンサルタントだった。情報コンサルタントは世論形成に大きな力を持ち、クライアントが情報発信の過程で有利に立つようにアドバイスする立場にある企業だ。この件を担当したコンサルタントは、早速記者会見を開いて外相自らボスニアの存在と、そこで起きている事態をアピールし始めた。
 最初は"つかみ"が悪く、記者会見にも人が集まらない状況だった。しかしコンサルタントはボスニア政府が主張する非セルビア系住民への虐待行為をアピールするために、ある言葉を借用した。いまや新聞の国際面にこの字が躍らぬ日は無いとさえいえる「民族浄化」だ。元々はナチスの非アーリア系住民根絶政策で用いられた用語だ。cleansingという肯定的な響きを持つ言葉を"虐殺"に用いることは、大きなインパクトがあった。
 狙いは当たった。Esnic Cleansingはアメリカの世論に大きな衝撃を与え、アメリカによる対ユーゴスラビア経済封鎖へとつながった。この結果、ユーゴスラビア政府がアメリカ国内で同様の活動を繰り広げることが困難になり、この"情報戦争"で小国ボスニアが優位に立つ下地を作った。この劣勢はユーゴにとって最後まで堪えた。ユーゴが免れたいと思っていた国連からの追放へと事態が進行してしまったのだ。そのように広範なユーゴ非難の世論を形成したという点で、"Esnic Cleansing"という借語を見出した情報コンサルタントの手腕には、目を瞠るものがある。小国ボスニアを守るためにNATOが介入するという事態は、このようにして形成された国際世論の後押しがなければ生まれなかったはずだ。
 しかし情報戦争には負の面もある。なぜならばこれは戦争だからだ、と言ってしまえるだろう。敗者となったユーゴは「ボスニア側もセルビア人の強制収容所を作った」と主張し、それはハーグの戦争犯罪法廷でも事実とされたことだ。しかし圧倒的なセルビア=悪のイメージを前に、そうした事実はほとんど意味を持たない。ある単純な図式を認識するだけで、国際世論は満足してしまうのだ。そこには正負双方の価値があるが、いずれにせよ充分な資金とタイミングに恵まれれば、個人にも国際世論を左右する力があるということを意味するのだろう。

2000年10月22日(日曜日)

Linuxの台頭

23時21分 テレビ 天気:くもり

 前日、ドラクエ2をやっているうちに夜が明けてしまい、それから眠ろうにも目が妙に冴えて眠れない。6時間弱うとうとしただけで起きださざるを得なかった。
 ドラクエ2は上の世界に一気に上ってしまったので、後は聖なる祠を拠点にじっくりレベル上げをやっている。アークデーモンの強いこと強いこと、1戦交えると必ず誰かが戦死している(笑)。泣きながらプレーするハードさよ。この世代のドラクエまでは妥協が無いなあ。SFC版なのでふっかつのじゅもん制では無い。それが優しくなった点だ(笑)。
 さて、夕方になって眠くなってきたので一眠りしたら、NHKスペシャル「世紀を越えて」が始まった。今回は公開技術の衝撃と題し、Linuxの普及を追う。
 中国ではインターネットの普及が急激に進み始めている。まだ人口の一部だけしかカバーしてないが、全人口を先進諸国並みのカバレージで普及すれば、世界最大のインターネット市場が出来上がる。中国はその膨大な人口をどうやってまとめて行くかという難題を抱えている。従来型のトップダウン式情報網では"中央"の負荷が高くなりすぎるのは明らかだ。中央で処理するまでも無い情報は当事者のうちで処理するのが、為政者から見ても得策だといえる。
 これまで、中国でクライアントOSとして普及してきたのはWindowsだった。しかしもしもこのままWindowsクライアントが増大してゆけば、莫大な富が国外(アメリカ)へと流出することになる。これを嫌う中国政府が、無償で使用しうるLinuxの普及を後押しするのも、やはり当然の施策と思う。
 中国では大手から中小の企業までがしのぎを削りあい、Linuxの中国語ローカライズを進めている。元々、Li18nuxなんて言葉があるくらい(真中の18はinternationalizationから最初のiとnをのぞいた18文字を意味する)で、Linuxはマルチリンガル、マルチロケールを強く指向している。この点は、Linuxカーネルがフィンランド人のLinus Torvalsによって開発され、日本を含む非英語圏にもメインテナが豊富に存在したことが大きい。まだ完璧とはいえないが、ロケールに従って言語環境を切り替えるという事が、OS、アプリケーションを含む包括的なレベルで可能になっているのだ。
 自国のOSを持ちたいという心理は、日本人がTRONを推したがることを思えば不思議でもなんでもない。いかに従来のLinux開発者たちがi18nに傾注してきたとはいえ、中国語特有の事情に精通しているのは、やはり中国人自身だろう。中国人にとって最適のOSを作るという事業は、オープンソースのLinuxが登場しなければ出来なかったことだと彼ら自身も言う。
 たぶん、MINIXを改造するなどしてマイナーな中国語OSの開発は幾度か試されたのだろうが、OSに関わる全ての機能を持つ大規模OSを自家薬籠中の物にするという経験は初めてのはずで、中国の人々の舞い上がりぶりも分かる気がする。またマイクロソフトのおこぼれに細々と与ってきただけの業界人たちが、Linuxという格好のビジネスチャンスに飛びついたという側面もありそうだ。
 もともとLinuxはGNUが主張するGPLというライセンス条項に従っている。開発した結果をオープンにすることを強く促すこのライセンスに従ったLinuxの開発モデルが、オープンソースというGNUの主張するフリーソフトウェアとは微妙に異なるモデルに同定されているのは不思議な話だ。たぶん、GPLはあまりに「強すぎ」て、より緩やかなライセンスが必要とされたという事情があるのだろう。
 さて、巨大市場中国でのクライアントOSの座を占めるのはWindowsか、Linuxか、あるいは思いもよらず他の何かが普及するのか。忘れられた巨大市場インドの動向も含めて興味は尽きない。

2000年10月21日(土曜日)

テレビ見た

23時55分 テレビ

 ということでテレビを見た。ビデオに撮っていた番組をしばし眺める。見たのはNHKで火曜日にやっている「プロジェクトX」。難題に挑戦する人々の姿を描き出そうという趣旨の番組だ。今回は飛鳥寺金堂再建に挑んだ硬骨の宮大工たちの話題。飛鳥寺は奈良時代以来の歴史ある寺院だが、その本堂である金堂は戦国時代に焼け落ち、昭和に至るまで仮の本堂で凌いできた。これを再建しようという気運が、昭和30年代に入って最高潮に達した。しかし資金面を別にしても、大きな難題があった。再建の担い手である宮大工がいないのだ。宮大工は高い技術を持っているので、需要が急増していた都市部での建築現場に引っ張りだこだったのだ。金堂の再建は東大寺の鬼と呼ばれた宮大工が請け負ったが、その手足となる宮大工が集まらない。しかし思いもよらないことに、ふつうの大工仕事に飽き足らない若い大工たちが数多く集まってきたという。まあどこにでも高い技術を持つことにあこがれる者がいるのだ。
 ボーっとしている間にNHKスペシャルが始まった。今日はカナダはバンクーバー島の湾内に形作られた不思議な生態系の話題。
 バンクーバー島は北米大陸本土の近傍に浮かぶ細長い島だ。その地形は氷河に削り取られた複雑なもので、海の底までそんな地形が続いている。このバンクーバー島と大陸の間にある袋状の細長い湾は、多くのイルカやシャチ、そして数多くの海の生き物を育む豊かな海だ。海中にはイソギンチャクやナマコ、カニなどが生息しているが、いずれも他の海域では見られない生態を見せる。また非常に大型化するのも特徴だ。
 大型化するのはこの海が養分に富み、餌が豊富で、かつまた危険を逃れられる隠れ家に事欠かない点に由来する。哺乳類などの複雑な生物を除き、軟体動物や魚類などは生涯に渡って成長しつづける。この海の生き物たちはその寿命をまっとう出来るほど長生きするので、その間成長しつづけるというわけだ。
 この海域の養分は湧昇海流にその源がある。湧昇海流とは深海底から湧き上がってくる海流のことで、窒素、カリウムなどの養分に飛んでいる。深海底は生命の総量から言えば寂しい世界だが、実は表層から沈んでくる生命の死骸や様々な有機物が沈殿する、養分に富んだ世界でもあるのだ。湧昇海流の基本パターンは、地球の自転により生じる気流とコリオリの力で海岸近くの表層水が沖に押しやられ、それを補う形で深層から海水が湧きあがってくるというものだ。
 しかしバンクーバー島のそれはやや様相を異にしている。バンクーバー島と大陸との間にある狭い湾には、大陸に降り積もった膨大な積雪がもたらす真水が注ぎ込んでいる。真水は海水より軽いので、表層の海水を沖へと押しやる。そのときにその海水の流出を補う力が働き、海底から海水がせりあがってくる、ということらしい。しかしこの説明をなんとなく納得できなかったのは僕だけだろうか。真水の流入が止まれば湧昇海流が生じるのも分かる気がするが、常に流入しつづけていたらそんな力は働かないのではないだろうか。まあこれは大海嘯(アマゾンにおけるポロロッカね)と同じように、自然は必ずしも人間の直感に従わないということなのかもしれない。
 この湧昇海流がもたらす養分は、雨季が明けた5月に植物性プランクトンの大繁殖を促す。そしてその植物性プランクトンは動物性プランクトンを、動物性プランクトンはさらに大型の生物を養うというわけだ。
 この海域はこのようにして莫大なバイオマスを保持している。そしてそれは、この海域での熾烈な生存競争をももたらしている。番組中、座布団くらいありそうなヒトデに対し、様々な生き物が対抗する様子が撮影されていた。この海域に密集している二枚貝の一種は、ヒトデが触れると海水を噴出して逃げ去る。日本など他の海域に住む近縁種はこうした行動をとらないそうだ。またナマコも活発に動いて逃げてしまう。そしてなんと、一般的には定着して動かないと思われているイソギンチャクまで、ヒトデに襲われると岩場を離れ、泳ぎだしてしまうのだ! 今回の仰天画像といえよう(笑)。泳ぐイソギンチャクなど、本邦初公開ではないだろうか。
 この爆発的なバイオマスの増大も、日照時間が短くなる冬季には退勢に転じる。そしてまた次の春を待つのだ。
 23:00からの国宝探訪。今回は縄文遺跡からの出土品2点。
 一つは縄文のビーナス(ぱちもん臭い名前だと感じるのは僕だけだろうか)と呼ばれる高さ30センチほどの地母神像。縄文の土偶の多くは、その全身に刺青を施していることを表す修飾が施されている。しかしこの像ではそうした修飾を省かれ、面を強調したマッシブな造型が施されている。縄文土偶の多くは、不思議なことに手足などをバラバラにされた状態で出土する。これは呪い師が依頼主の悪い部分に相当する部分をもぎ取り、呪術を施していたことを表わすと考えられている。しかしこのビーナス像などの大型のものでは、不思議なことにそうした扱いを免れているものが多い。これは大型の土偶が公共の、祭りなどで据えられる礼拝の対象であったことを表わしていると解釈しうる。
 このビーナス像よりも強烈な印象を受けるのが、もう一つの国宝、有名な火焔土器だ。ビーナス像が祭祀に用いる非実用品なのに対し、火焔土器は煮炊きに用いる実用品だ。それなのに、おおよそ現代では考えられないほど過剰な修飾が施されている。その修飾がもたらす印象は強烈で、見るものの精神に訴えかけてくる衝撃力を持っているように思える。それも、精神の暗部、光の届かない部分に。暗部、というとネガティブな価値をもっていそうに思えるが、この造型が与えるインパクトはそうした既存の価値観を土台から揺さぶるような、精神世界のあり方を覆すような力を秘めているように感じる。ぜひとも、この目で見てみたいと思った。
 火焔土器の複雑極まりない造型は、実は数種類のモチーフの組み合わせで構成されている。そして越後近辺に散在する他の火焔土器も、同じモチーフを使用している。これは製作者集団が参照すべき原器を共有していたと考えるより、その描くべきモチーフを共有していたと考えるべきだという事らしい。モチーフの一つは"S"字型の曲線だが、これは宇宙が広がっていく様と、それが一点に集中する様とを併記したモチーフだという。つまり、火焔土器のモチーフは具象ではなく、抽象なのだ。火焔土器は縄文人の豊かな精神世界をうかがわせる、ホンの小さなのぞき穴でもあるのだろうか。

2000年10月15日(日曜日)

世紀を越えて

23時07分 テレビ

 帰宅してさらにドラクエ2を進めていると、NHKスペシャルが始まった。今日は夢のテクノロジー、人間型ロボットの話題。
 本田技研では2足歩行型ロボットPシリーズの開発を続けている。Pシリーズの最新型P3では、速度こそ遅いものの、人間のそれにかなり近づいた歩行を実現している。最大の特徴は、電源や外部の認識という点でかなり自立している点だ。
 Pシリーズの初期コンセプトは、人間の歩行という動作をどれだけ少ない関節数で実現できるかを追求していた。最低限必要な関節は股関節、膝、足首の3点なのだそうだ。なんとなく直感的にも理解できる気がする。そしてこの試作機は、平らな場所なら2足歩行で移動できる。ところがこの試作機は地面の凹凸にあまりにも敏感で、階段はもとより、ホンの数センチの段差があってもバランスを崩してしまう。
 技術陣、特に制御用プログラムのチームはこの点で苦戦したが、やがて体操競技会の演技をヒントに乗り越えることが出来た。従来の制御では、バランスを崩しかけたときにはぐっと踏ん張るようにされていた。しかし実際の人間の動作を見ると、バランスが崩れたときには倒れかける方向へと足を踏み出し、慣性で上体が起きあがるのを利用して踏みこたえるという動きをしている。これに気づいた技術者たちは、制御プログラムに同様のアルゴリズムを組み込むことで、バランスに関しては飛躍的に改善できたという。
 最新のP3はさらに腰椎部での回転機構を組み込み、上体を回転することでさらに複雑な動作、開いたドアを支えたままくぐりぬける、などが可能になった。重量も実に80kgにまで軽量化された。実用化まであとわずかだ。
 人間型ロボットはどういう用途に使われるのだろう。直感的には、人間と同じ行動能力を持っているのだから、人間の活動範囲での補助ということになるだろう。しかし現状ではまだまだ人間の行動能力を下回っているので、当面は病院などの介護に当たるのではないだろうか。家庭に入るのはその先だろう。
 潜在的には人間以上の大重量を運搬できるだろうから、軍事用途にも使われるかもしれない。人件費の高さに兵員数を揃えられず、結果的に火力が手薄になっている自衛隊にはうってつけかもしれない。

2000年10月14日(土曜日)

深夜のETV

23時45分 テレビ

 23:00からは国宝探訪。今日は奈良唐招提寺の鑑真和上像の話題。この像は歴史の教科書には必ず載っていた有名なものだ。最晩年の鑑真の死を予感した弟子たちが作らせたものだという。
 鑑真は唐で高位の受戒僧として名高い人物だったが、日本にも受戒制度を伝えて欲しいという日本から渡来した僧侶の願いに動かされ、渡海を決意する。しかし5回に渡る企てはことごとく頓挫し、苦楽を共にしてきた弟子を失い、自らは失明するという苦難に遭う。しかし6度目にしてようやく来日を果たし、日本に初めて正式に受戒制度をもたらした。日本の仏教界にはじめて権威が伴ったといっていいだろう。
 鑑真来日のタイミングは良かった。当時、奈良東大寺の大仏開眼から2年、国中が仏教受容の熱気に溢れていた。そこにちょうど開いていた権威付けという間隙を埋める人物が来日したのだから、鑑真が熱烈に歓迎されたのも当然の話だ。
 しかし鑑真を取り囲む空気は大きく変転する。鑑真が担った役割は、いわばその瞬間だけ存在すればよいような性質のものだった。日本最初の受戒僧は、受戒僧足りうる僧を量産すれば、もう必要とされなくなったのだ。鑑真は国の中枢を追われ、弟子と共に小さな学問寺を築き、そこで残りの人生を過ごした。しかし僕は想像するのだが、こうした日本の公の仕打ちに対し、鑑真はさして気にもとめなかったのではないだろうか。彼は確かに学識高い受戒僧として来日し、その役目を担わされたが、一人の僧としては朝廷の奥深くに鎮座するような役目を喜んでいただろうか。それより彼を慕って集まってくる民衆や、熱心な若い僧侶たちに彼の知識を伝える仕事のほうが、はるかに実り多いと感じていたのではないだろうか。朝廷など、彼からすれば日本の野に仏教を伝えるために通らねばならない、厄介な関門程度の認識に過ぎなかったのかもしれない、と。

犯罪被害者は訴える

22時02分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは、犯罪被害からの救済に自ら立ち上がり始めた被害者の話題。
 特に'90年代に入ってから、犯罪被害者の救済という観点から法律のあり方が論じられるようになってきた。死刑廃止に関する論争でも感じられることだが、犯罪者をどう処分するかという観点からは熱心に論じられるのだが、その被害に遭った人々に対する処置は往々にしてなおざりにされてきた。被害によって肉親を失い、あるいは心身ともにダメージを受け、精神的にも経済的にも困窮しがちな被害者に対しては、人権保護に熱心なはずのNGOも結果的にはほぼ無関心に見過ごしてきた。
 こうした境遇に貶められてきた犯罪被害者たちが、ついに立ち上がり始めた。今年、被害者たちが全国的に大同団結した組織が設立され、各政党への働きかけを開始したのだ。会長を務めるのは、自らも妻を殺害された犯罪被害者である老弁護士だ。
 老弁護士は、これまで三十数年にわたって法廷での弁護に参加し、もっぱら犯罪者の権利保護に尽力してきた経験をもつ。老弁護士は、その過程で犯罪被害者の気持ちを踏みにじってきたかもしれないと回顧する。「泣く泣く示談に応じた被害者もあったでしょう」と。彼はそんな被害者の立場の弱さを、自らが犯罪被害者になってやっと分かったという。
 刑事裁判は、被害者による犯罪者への報復という機能を極力排除することを狙っている。刑事裁判の目的は、実は犯罪者による国権侵害、あるいは治安撹乱を罰することに他ならない。また刑罰の内容も報復を目的としたものではなく、あくまでも犯罪者の更生を目的とした教育主義的な機能を担っている。この辺は死刑制度の特異さとの関連でよく語られる部分ではある(死者をどう教育するというのか)。
 では被害者が立つ位置はどこなのだろう。実は被害者の立場はどこにも無いのだ。刑事裁判においては犯罪者と国家という立場のみが存在し、被害者の立つ場はどこにも無い。刑事裁判において、国家、あるいは犯罪者(こっちは滅多に無いだろうが)が求めない限り、被害者が法廷に立つことはありえない。目の前で被害者が辱められても、一言の反論も許されないのだ。またそもそも損害賠償を請求することも出来ない。
 こうした日本での刑事裁判のあり方に対し、諸外国はどうだろう。実は欧州では被害者(あるいはその代理人もありうるだろう)が検事と同席するという形態が広く見られるという。被害者は事実認定の過程で意見を陳述する権利を認められ、さらに損害賠償をも併せて求める権利が認められている。この制度は日本にも導入されるべきだとの意見があり、自民党などの後押しにより、法務省での検討が進められている。また犯罪被害者への裁判記録の開示などを盛り込んだ初めての指針も示されている。
 被害者が裁判に参加する権利を積極的に認めることは、その心理的な窮状を救済するのに役立つだろう。しかしそこには犯罪者対被害者という構図が再度生じ、近代的な法制度が否定してきた私刑的な意味合いが復活しないだろうか。特に陪審員制が導入されるとなると、ますます私刑的な意味合いが濃くなるのは否定できないように思う。それを検事のコントロールによって払拭しようというのだろうが。
 そもそも、被害者たちがもっとも困窮しているのは、経済的な意味合いにおいてである。被害者たちは公共的な救済制度が欲しいと願っているのである。
 犯罪被害者への視線が、せいぜいその憤りという観点(だいたいは殺人者が存在するのに死刑を廃止してよいのか、といった類の論議で見られる)にとどまっていたのは、犯罪の多様さに対し、その被害者の困窮のあり方も実に様々だという事実に拠っていると思う。それ以上に、被害者への眼差しに、その根源にあるべき共感と想像力が欠如していたのだと思う。僕自身、被害者は悲しみに暮れながらも日常をまた送っていくという、あまり根拠の無い漠然とした予想を持っていた。しかし事実は元のような日常を二度と送れなくなり、また時にはいわれなき中傷にも傷つけられるというふうに、精神的にも経済的にも困窮してゆくのだ。これを救済する公共の制度が望まれるのは当然ではないだろうか。自己責任において破綻した私企業を救済するのに何千億円も使うよりも、僕たち自身がいつか同じ立場に立つかも知れない被害者を救済し、その本来の能力を社会に生かせる方向に使う方が、よほど実りある金の使い道というものではないだろうか。それは、僕たちが漠然と抱え始めている、不条理な犯罪に対する恐怖感を、いくらかでも軽減してくれることだろう。

2000年10月08日(日曜日)

テレビでも見るか

14時13分 テレビ 天気:くもりのち雨

 休みの中日ともなると外に出かけたい気もするが、今日はさぞかし人出が多かろうと思った。よって家でゴロゴロすることに決定。
 昨日録画しておいたNHKスペシャルを見た。アメリカはフロリダ半島の地下に広がる、広大な地下水脈を探検する人々の話題。
 フロリダ半島は地下水に恵まれた土地で、飲料水の90%を地下水で賄っているという。半島のあちこちには多くの泉があり、澄んだ水が滾々と湧き出ている。そうした泉は、その底で地下深く走る地下水脈とつながっている。
 地下水脈の形成には、フロリダ半島の成り立ちが関わっている。フロリダ半島はかつて水面下にあった。地球が温暖な時期に水に覆われていたフロリダ半島では、サンゴ礁が発達し、膨大な石灰質が堆積していった。やがて氷河期に入り海面が下がると、石灰石の塊が地上に現れた。それが長い間に侵食されて鍾乳洞となり、フロリダ半島に降り注ぐ雨が地下水となって流れるようになったというわけだ。
 この地下水路を潜水調査しているのは、厳しく訓練されたダイバーたちだ。かれらはボランティアとして実地調査を任されている。調査は10年以上にわたって続いているが、9年前にメンバーの一人が事故に遭い、水路内で亡くなっている。この事故をきっかけに徹底した安全対策がとられた。流れのきつい水路内の探査に適した装備を自力で開発する。また実際に潜水するダイバーを多数のサポートダイバーがバックアップする体制などなど。一般ダイバーが300名も命を落としているというのだから、こんな対策が必要になるのだろう。
 泉の多くは水路で連絡しあっていることが確認されている。調査した中では最も南のワクラ泉の場合、南方に実に5km以上も延びていることがわかっている。そしてこれらの地下水脈は、はるか北方から連なっていると考えられている。状況証拠があるのだ。
 '99年、調査範囲のはるか北方にある湖が、ホンの二晩で干上がるという椿事があった。調査の結果、この湖の地下にも地下水路があり、旱魃によって地下水位が下がったために湖の底が抜け、水が一気に流れ出してしまったためと判明した。一月後、今度はワクラ泉の水位が急上昇し、かつ透明度が下がるという事件が起こった。この二つの事件は密接にかかわっていると考えられた。すなわち、北方の湖から流れ出した水が、未知の地下水路を通ってワクラ泉から流れ出したのだと推測されている。
 水路ははるか南にも続いていると考えられている。メキシコ湾には真水が湧き出す海中泉がいくつもある。それらはフロリダ半島の地下水脈の終端だと考えられている。
 このプロジェクトを引率するのは、地元で証券会社に勤めているダイバーだ。完全にボランティアでこうした科学的調査が進められるというのが、アメリカという国家の面白いところだ。このダイバーは、「丘を越えると何が見えるのだろう。角を曲がると何が見えるのだろう。そういう好奇心がプロジェクトの原動力になっている」という。実際、地下深くに広がる大洞窟、パワーケイブを目にする人はごく少ないはずで、なんともうらやましい趣味だと思う。しかし14時間も潜水しているなんて。

2000年10月01日(日曜日)

NHKスペシャル

23時32分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは北極海の横断に挑んだ人たちの話題。ある冒険家の呼びかけに集まった市井の人たちが、徒歩で北磁極への横断に挑んだのだ。60kgのそりを引いての旅は想像以上に過酷で、体力に自信がある人でもうまく環境と折り合えなければ挫折することになる。むしろ己の限界をわきまえて自然と折り合えば、多少体力に自信が無くともやっていけるものらしい。この旅に参加したのはそれぞれ人生にアクセントをつけたいとか、何か日常では得られないものを求めている人が多いようだ。そういう意味では、山にこもって山岳修行に励む人々に似ている。しかし僕ほどなまりきった肉体の持ち主には、どうあがいても達成できそうに無いな。