Strange Days

2000年09月09日(土曜日)

寝過ぎですよあなた

22時03分 テレビ 天気:晴れ

 前日寝たのが4:00頃だったろうか。目が覚めたのはなんと17:00。それ以前に14:00頃に起きだした記憶は在るのだが、どうもまた寝床に逆戻りしたらしい。これでは日記に「今朝起きたら夜だったので寝た」くらいしか書けないではないか。それにしても、二度寝の快感は捨てがたい。
 スーパーに出かけた。盛んに「食欲の秋」を連呼していたので、思わずキノコだの野菜だのを買い集めて鍋をすることに決定した。季節的にまだ暑かったが、うむ、美味なり。
 思ったより大量になった寄せ鍋を片付けていると、ETVの「国宝探訪」が始まった。今夜は京都の東寺講堂にある立体曼陀羅の話題。
 東寺は京の守りの一角として建立された寺で、空海が責任者に任命された後は真言宗の中心となった。高野山が総本山なら東寺は朝廷との外交機関だったのだろうか。空海と言えば辞を低くして教えを請うた最澄を追い返した鼻持ちならない奴というイメージがあるが、同時に現実的な感覚に優れた活動的な人というイメージも在る。最澄のような(言い方は悪いが)学者バカと異なり、政治的な感覚をふんだんに備えた事業者という側面が非常に強い。日本中あちこちの残る(全部が空海自身の仕業とは思えないが)土木事業者としての彼の足跡を見てもわかるように、なにかの概念に現実的な形を与えるのが得意だったように思う。
 その空海を責任者にしたのだから、東寺に大掛かりな建造物が次々に建立されるのも必然だったろう。意味付けはいろいろ在るのだろうが、とにかく作りたかったというのが本音だったのではないだろうか。その空海が最後に情熱を傾けたのが、唐より持ち帰った曼陀羅を仏像で表現しようという立体曼陀羅だ。これは密教で世界の中心に位置し世界を理解する智慧を表す大日如来を置き、向かって右手に5体の菩薩、左手には同じく5体の明王を配したものだ。1体でも古刹の本尊足りうる程の仏像をこれだけ配したものだから、そのマスの迫力は相当なものだと思われる。当時の人々は、マンハッタンを目にした移民くらいのインパクトを感じたのではないだろうか。
 これらの仏像群には、内部に仏舎利が収められていることが分かっている。唐から持ち帰った貴重な仏舎利を封じたことからも、空海の思い入れの強さが分かる。先に書いたように空海は概念に形を与えることを追求してきた人だったのだから、密教の本質を大掛かりな立体曼陀羅に顕す事はその生涯の集大成のように思えたのだろう。事実、空海は完成を見ずして亡くなったので、結果的にも集大成となった。
 曼陀羅というものが人間の世界認識の根底に関わっているというユングや仏教の主張は怪しいものだと思うが、図形としての曼陀羅には確かにあらがい難い魅力が秘められているようにも思える。空海という人は、その曼陀羅から様々な啓示を受けて形にしていった人だ。そのような定義付けをしたくもなる。