Strange Days

2001年06月10日(日曜日)

NHKスペシャル「宇宙 未知への大紀行」

23時25分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは「宇宙 未知への大紀行」第3週、火星探査の巻だ。
 20世紀が始まる頃、パーシバル・ローウェルが「火星には運河がある」という観測を発表して以来、火星は人類の関心を惹きつづけてきた。
 1969年、アポロ計画が人類の月着陸という形で結実した頃、フォン・ブラウンは既に火星探査の青写真を提示していた。しかし、月探査は2週間程度、それに対して火星探査は1年以上の長期計画になると見られていた。それほどの長期宇宙滞在が、人体にどんな影響を及ぼすのか、当時はまったく未知の世界だった。
 宇宙開発競争の一方の雄、旧ソ連邦も、独自に火星探査を目指して実績を積み始めた。彼らはサリュート、ミールなどの宇宙ステーションに置いて、実際に長期滞在の経験をつみ始めたのだ。すると驚くべき事実が明らかになった。宇宙では人体の筋肉、骨の強さが急激に低下してしまうのだ。これはアポロ計画でもある程度顕在化しつつあった問題だが、年単位で実施される火星探査では深刻な問題に発展する可能性があった。そこで科学者たちは、適正な運動メニューを日常的に組み込むことで、かなり防止できることを確認した。
 しかし、肉体の問題よりも深刻な問題が明らかになっている。
 ロシアでは地上に準閉鎖系を作り、そこでも火星探査のための課題を追求している。ここで長期間の模擬実験を行ったところ、30日辺りから心理的な変化が見られるようになった。ミスが増え、注意力が散漫になった。ノイローゼ的な症状もあらわれた。閉鎖環境が人間心理に悪影響を与えているのだ。これは、ミールでの長期滞在実験でも見られた現象だった。
 ミールでは、地上に残した家族との交信などの時間を取ることで、心理的な問題をある程度克服できた。しかし、地球を遠く離れ、通信遅延が大きくなる火星探査では、こうした方法は難しい。そこで、小さな植物プラントが持ち込まれた。するとテスト要員たちは、この植物の世話に次第に熱中するようになり、同時に心理的な圧力の低下も見られるようになった。
 NASAでは、既に火星有人探査計画の精密なプランを立てている。それは近年の洗練された閉鎖系技術などを反映し、フォン・ブラウンが提示した計画よりはるかに軽量化されている。実施は2015年になるという。はたして実施されるか否か、楽しみである。

2001年06月09日(土曜日)

NHKスペシャル

22時32分 テレビ 天気:くもり時々雨

 昼の間はぼんやりしておったそうじゃ(日本昔話風)。夕方になって、自転車でご近所を散歩。前のようなオデッセイではなく、いつものようにしらゆり公園に上り、立場界隈をうろついただけ。しかし、一周6km弱なのだが、丘を二つ上り下りするせいで思ったより歯ごたえがある。帰宅した頃には汗だくだ。
 夜、NHKスペシャルを見る。「飛鳥京発掘」。奈良の前に飛鳥に置かれた飛鳥京発掘の最新情報だ。
 飛鳥京は孝徳帝の代に飛鳥に置かれていた宮廷で、大化の改新直後、中大兄皇子らが新政策を画策する震源地となった場所だ。従来、飛鳥京跡とだけ伝承されていたこの地に、発掘のメスが入って以来、新発見が相次いでいる。既に主な建物の発掘は進んでいる。最近、大きな池の跡と見られる場所の発掘が進み、またしても新発見が相次いだ。
 飛鳥京に大きな庭園と池があったことは、日本書紀の記述などから分かっていた。また以前の発掘作業などから、池を囲んでいた石垣も見つかっており、その概要はおぼろげに知られていた。今回、その池周辺の9箇所を発掘調査することになったのだ。
 池は南北に100mもある大きなもので、中に島が作られていると考えられていた。中国で作られていた同趣向のものは、島と岸とが完全に独立し、そこに木橋が掛けられている。ところが、発掘が始まって、思わぬ場所に石垣が見つかってしまった。池の中と見られていた場所に、石垣で囲いハン築(字が思い出せない)で固められた土橋が現れたのだ。中の島は、いわば半島のように陸とつながっていたのだ。中国様式からは考えられない構造だった。そしてここで環状の池は区切られ、いわば"C"の字のような形になっていたのだ。
 さらに意外な事実が明らかになった。土橋の一方では池は60cm程度と予測された水深だったのだが、もう一方では同じくらい掘り下げても池の底が見えなかった。辛抱強く掘り下げて、ようやく2m下に底が現れた。つまり、トポロジー的には棒状といえる池の一方は60cm、もう一方は2mと奇妙に不釣合いな水深だったのだ。その深い方の池底からは、地下水が滾々と湧き出ている。この事から、池には地下水位を利用した水位調節機構があったと推定されている。池に大量の水が流れ込むと、水圧が掛かって水は下向きに流れ去る。逆に渇水などで水位が下がると、水底から新しい水が供給されるというわけだ。飛鳥周辺の地下水脈を算出してみると、ちょうど池の周辺にそれらが集まってくることが分かった。古代人はどうやって見えない地下水脈を見つけたのだろう。トライ・アンド・エラーだけでなく、予め地勢を"読む"技術もあったに違いない。今はすっかり失われてしまった、古代の叡智だ。
 池の沈殿物を調べたところ、植物の種子が多数発見された。主に桃、柘榴など、当時は薬として珍重された果物類が、池を囲むようにして植えられていたらしい。
 既に明らかになっていた建物の外観とあわせてみると、"水の都"飛鳥京の姿が顕になる。飛鳥京では、全ての建物の周囲に水路がめぐらされていた。そしてそれらが最終的に収束するのが、今回発掘された池だったのだ。水路周辺からは奇妙な形の石像が大量に発掘されている。それらは水の噴出口を持っており、水の都を演出していたものと思われる。天皇は神聖な新しい水を取り、これらの水を支配する権力者という立場を演出していたと考えられている。古代天皇の意外な一面だ。