Strange Days

2001年08月26日(日曜日)

NHKスペシャル「宇宙 未知への大紀行」

23時42分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは「宇宙 未知への大紀行」シリーズ5回目、「150億年の遺産」。
 金はその安定性と希少性から、長らく人類の富の象徴として扱われてきた。その金を、もしも他のありふれた金属から作り出せれば、莫大な富を得ることが出来る。そう考えた人々は、金を生み出す技術、錬金術を追求した。錬金術は現代に連なる近代科学の嚆矢であり、経験主義的な知識体系の夜明けを告げるものだった。が、錬金術自体はその最終的成果を経験することは無かった。
 金のような重い元素を作り出すには、莫大なエネルギーが必要であることが分かっている。元素から別の元素を作り出すには、元素同士を核融合させるか、金より重い元素を核分裂させるかするしかない。しかし、最も軽い水素同士を核融合させるのにも、莫大なエネルギーが必要になる。核融合炉は人類が長年追求してきた夢だが、今に至るまで実用化の目処は立ってない。ましてや、遥かに重い金を生み出すことなど、実験室レベルの技術でしかない。
 そもそも、金はどこで生み出されたのだろう。
 19世紀、あるドイツのレンズ職人は、後に吸収線として知られる現象を発見した。白色光を特定の元素のエアロゾルなどに通過させると、その元素固有の波長の光を吸収し、その結果としてスペクトルに黒い線が現れる。これを利用すれば、遥かに離れた恒星の組成を知ることが可能だ。
 宇宙黎明期の天体(つまり地球から遥かに離れた天体)を観測すると、重い元素が極端に少なく、ほとんど水素とヘリウムのみで構成されてることが分かった。50億年程前に誕生した太陽が重い元素をふんだんに含んでいるのに対し、宇宙の黎明期にはほぼ水素とヘリウムしか無かったのだ。
 宇宙を探査してゆくと、惑星状星雲という奇妙な天体が散見される。これは明るく輝くガスの広がりで、中心に燃え尽きた矮星があることから、太陽の8倍程度の質量までの星が死を迎えた姿だと考えられている。太陽のような主系列星は、その中心部は巨大な圧力と温度になる。この環境で、水素は核融合を起こし、ヘリウムへと変化する。こうしたサイクルは水素の供給がある限り続くが、末期には水素を燃やし尽くし、今度はヘリウム同士、ヘリウムと水素とが核融合して、ベリリウムや炭素などのより重い元素が生成される。ヘリウムによる核融合はより高温を生み出すので、恒星中心部の圧力は上がり、結果的に外層部をさらに遠くに持ち上げることになる。これが赤色巨星と呼ばれる状況だ。こうして、水素から比較的軽い元素(確かNaくらいまで?)までを生み出した後、ついに中心部の核融合は限界に達し、停止する。すると恒星は中心部が収縮し、逆に外層は中心部からの重力による束縛が無くなるので、急激に拡散してしまう。これが惑星状星雲の正体なのだ。このとき、拡散してゆくガスに、この星が生み出した元素たちも混ざって拡がってゆく。
 しかし、これだけではより重い元素を生み出すことは出来ない。より重い元素の生成には、より重い天体が必要になる。
 太陽より8倍以上重い恒星では、中心部の温度と圧力もさらに上昇する。この種の天体でも最初は水素の核融合により輝く。そしてそれが燃え尽きると、さらに重い元素を融合させてゆくのも同様だ。しかし、内部の圧力が非常に高いため、軽い星の場合と異なり、重い元素をも次々に融合させてゆく。そのサイクルは、鉄を生み出すまで継続してゆく。
 鉄は、さらに核融合させるのに必要なエネルギーが非常に高く、また入力された以下のエネルギーしか戻さない(つまり常にエネルギーを吸収する一方になる)ため、ここでついに核融合は停止する。この時、非常に高圧で、大きく広がった中心部が、圧力を失ったため、中心に向けて一気になだれ落ちる。そしてその時、燃え残った軽い元素などが一気に核融合するのだ。それにより多量のエネルギーが、一瞬のうちに生み出される。超新星爆発だ。定常的な核融合反応など比較にならないほどの莫大なエネルギーが、この瞬間に解放される。そこに生み出される超高温、高圧の中で、ウラニウムに至る非常に重い元素も生み出される。そして超新星爆発の爆風で、周囲に拡散されるのだ。
 こうして宇宙空間に次第に蓄積された重い元素は、星間物質が収縮して新しい星が生み出される際にも含有される。こうして、太陽など比較的若い星には重い元素がふんだんに含まれることになるのだ。そして我々生命の構成物質としても利用されるのだ。
 しかし、これだけでは十分に説明できているとはいえないという意見もある。超新星爆発だけで生み出されたにしては、金などの重い元素が多すぎる。宇宙にはより巨大なエネルギーを生み出す場所があるに違いない。
 天体物理学者の中には、中性子星同士が融合する際に、莫大なエネルギーが解放されるという可能性を指摘する者もある。超新星爆発の結果、その中心部に中性子星という星が残される場合がある。この中性子星は、あまりもの高圧のために原子と原子の間の隙間が無くなり、電子は陽子に吸収されて中性子となり、結果的に中性子のみで構成されるにいたった異様な世界だ。この中性子星同士の出会いは極めて稀だろうが、その際に解放される巨大なエネルギーの中で、金などの重い元素が多量に生み出されると考えられている。
 超新星爆発は、星の誕生をも促進する。宇宙空間には希薄な星間物質が存在しているが、超新星爆発があると、その圧力波の先端で物質が圧縮される。これが何回か繰り返されると、やがて自律的に収縮するほどの濃度に達するのだ。銀河系には、こうした超新星爆発により生じた、いわば星の鍛冶場とでも言うべき球形の星の揺りかごが、いくつも発見されている。僕たちの太陽系も、あるいはそうして別の星の死によって生み出されたのかもしれない。
 宇宙には水素もヘリウムも大量に残されているが、理論的にはそれは徐々に消費され、重い元素で満たされてゆくことになる。これは宇宙の加齢というものなのだろうか。

2001年08月19日(日曜日)

NHKスペシャル 「日本人はるかな旅」

23時31分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは、日本人の源流を探るという新シリーズ第一回。
 "日本人"と通常僕たちが簡潔に表現する集団について、ふつうは単一民族だと考えられている。これは民族という概念の曖昧さにも原因があるのだが、有史以来の移住者を"渡来者"として簡単に識別できてきた事情もあるのだろう。だが、日本人は有史以前から"単一民族"だったのだろうか?
 従来、日本人の源流のうち、最大の集団は南方から来たとされていた。南方や中国大陸から数次に渡る移民の波があり、縄文人の源流が醸し出されたのだとされてきた。ところが、最新の遺伝子解析は、全く予想もしなかった結果を提示した。現代日本人の遺伝子をサンプルし、それを世界中の諸民族と比較した結果、その最大のルーツが南方ではないことが分かったのだ。北方、それも極寒の地であるシベリアに、そのルーツがあったのだ。シベリアはバイカル湖の周辺に暮らす少数民族と、日本人の遺伝子が、もっともよく一致したのだ。
 そのことは考古学的にも裏づけられている。2万年も前、バイカル湖周辺にはマンモスを狩る狩猟民が暮らしていた。極寒の地ではあったが、短い春にはたくさんの植物が芽吹き、それを求めて大型動物が集まることもあり、獲物には事欠かなかったと思われる。彼らが大型動物、特にマンモスを狩るのに用いたのが、細石刃と呼ばれる特異な様式の石器だった。これは黒曜石など剥離性の高い鉱石から、細く鋭い刃を押圧式に取り出し、動物の骨で作った穂先にはめ込むというものだ。これにより、分厚いマンモスの毛皮を貫いて、狩りをすることが可能になったのだ。そしてその細石刃は、日本でも見つかっている。このことから、バイカル湖周辺に暮らしていた集団が、あるときに日本にまで移動してきたことがうかがえる。
 バイカル湖周辺の集団は、ある時に突然居住の痕跡が途絶えてしまう。その頃、地球全体を大きな気候変動が襲っていた。氷河期の極寒期に入ったのだ。大型動物は、緑を求めてシベリアを去ってしまった。狩猟の対象を失った人々は、新たな獲物を求めて移動を開始した。それが原日本人誕生の背景だった。
 その頃、極端な低温に極地や高山の氷層が分厚くなり、その分海面が低下した。その結果、日本列島には歩いて渡れる状況だったのだ。そして人々は徒歩で北海道までやって来たと推測される。しかし、津軽海峡は狭い割りに水深が深く、この時期にも干上がらなかったと思われる。しかし、氷河期の低温はこの海峡をも凍結させていた。人々は歩いて本土に渡った。本土に渡った人々は、あっと言う間に九州最南端にまで達したと思われる。
 その頃、本土は氷河期の低温により亜寒帯気候下にあり、大型動物の生息に適した針葉樹林のステップが広がっていた。狩りの獲物には事欠かなかったと思われる。ところが、やがて氷河期が終わりを告げた。すると再び急激な気候変動が始まったのだ。50年ほどで7度も気温が上昇したという。この大変動は、大型動物の多くを絶滅に追いやった。人々は、今度こそ本当に狩りの対象を失ってしまったのだ。新しい気候に適応しようとする戦いが始まった。人々は大型動物しか狩れない細石刃式の槍を捨て、小型の矢尻を備えた弓矢を生み出した。これで小型ですばしこい動物を狩り、食料としたのだ。しかし小形動物では食料の全てを賄えない。人々は、豊富な木の実に目をつけた。
 当時、森に多量にあるのは、ドングリや栃の実だった。これらは炭水化物に富み、主食とするには栄養的には十分だった。ところが、渋みが強く、そのままでは食料に出来ない。それを解決するために生み出されたのが、煮炊きのための土器だった。
 土器は、中国は東北省周辺で1万数千年前に生み出されたとされている。この辺りでは、豊富に取れる魚の油などを貯めておくための、いわば貯蔵のための土器だった。それが日本に伝わると、必要に応じて煮炊きに適した構造に作り替えられたのだ。器を極限まで薄くし、火で炙るのに適するように形を整えられたこの土器は、日本独自のものだ。世界的に見ても、これほど古くにこれほど完成された土器を生み出した土地はない。文明圏、メソポタミアやインダスで土器が用いられるようになるのは、はるか未来のことだ。日本人の創意工夫は、このころから始まっていたようだ。そしてこの土器は、縄文式土器という世界的に見ても特異な文化様式を生み出して行くのである。
 この番組、もしかして遺跡捏造事件に対する回答として作られたのかとも思える。日本人のアイデンティティが問われている今、はるか過去の出来事に目を向けることは、有意義に違いない。

2001年08月18日(土曜日)

NHKスペシャル 「いのちの言葉」

23時27分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは、ALS(筋委縮症)に冒されて、全ての表現の術を失った男性が、それでも脳波を介した"声"で周囲の人々と語り合うというレポート。
 ALSは、全身の筋肉が突然無力化するという恐ろしい病気だ。海外では車椅子の物理学者、スティーブン・ホーキングがその患者として著名だ。マイケル・フォックスもそうだったろうか。いずれにせよ、国の内外とも相当数の患者が存在している。その原因は不明で、治療の可能性は未だにゼロに近い。
 筋肉が無力化するということは、言葉を発したり、文字を書いたり、目くばせしたりという、人間のもっとも単純なコミュニケーション手段が行使できなくなるということだ。ホーキングは比較的幸運にも(といっても程度の問題ではあるが)指先の筋肉が使えたので、最初の頃はキーボードを介してコミュニケートしていた。しかし症状が進むと、視線を使った入力しか用い得なくなってしまった。このように、症状が進むに従ってコミュニケートがどんどん困難になってしまう。
 番組で取り上げられた男性は、そうした症状がもっとも進んだ例だ。指先はおろか、まぶたの筋肉すら弛緩してしまっているので、もはやあらゆるコミュニケート手段を失ってしまったのだ。それではどうやって外部とコミュニケートするのか。
 ALS患者は、しかし大脳を中心とした思考能力だけは全く損なわれることがない。そのことは、意識を集中した際に起こる脳波の変化は健常者と変わりないことを意味する。そこでこの脳波のピークを捕らえ、それを"ピッ"という音声信号に変える装置が考案された。これにより、少なくともその瞬間、質問者に対して同意したか否か程度の意思は表明できる。これにより、この男性は、「暑いか」とか「XXが見えるか」という程度の質問には答えることが出来るようになった。
 それにしても、思考能力が衰えないという点が、ALSの悲劇性をより強調しているように思う。肉体が生命維持や表現のためのものではなく、いわば精神の牢獄と化してしまうのだ。自分からはいかなる働きかけも出来なくなる。そしてそれを眺めているだけの"意識"......。なんという恐怖だろう。これほどの重い十字架を背負ってしまった人というのは、他にはあまりないだろう。もしも僕がそうなったのなら、むしろ発狂してしまうかもしれない。
 しかし、ALSは自殺する能力すら奪ってしまう。ALS患者は、あらゆる能動的な能力を失うという点で、際だった特徴を持っているといえるだろう。その生命の維持もなにもかも、他の誰かに委ねなければならないのだ。
 この男性は、先の装置が取り付けられるまでの数年ほど、外部にいかなる意思表示も出来ない状況が続いた。それ以前、無力化の進行に伴い、人工呼吸器の取りつけが必要になり、声を失うという経験をしていた。その時、この男性は呼吸器の取り付けに難色を示していた。これ以上、家族の重荷になりたくないと思ったのだ。しかし妻は呼吸器取りつけを望み、結局その通りになった。その前後から男性の"言葉"が荒れ始めた。周囲の医師、看護婦、そして家族に当たり散らしたのは、次第に失われて行く能力への恐怖だったのだろうか。しかし、視線を介したコミュニケートすら不可能になることで、遂にそれさえも失われてしまった。
 "声"が失われていた数年の間、妻は独りで怖かったという。果たして今していることが夫にとって良いことなのだろうか......。そういう疑問に悩まされたのだ。脳波を使った"声"は、それを解消してくれた。
 この装置を使って、より積極的な意思表示が出来るようにもなった。側で50音を順に読み上げ、目当てのところに差しかかったところで男性が意識を集中、"ピッ"という音を出す。それを拾って行くことで、文章を組み立てることが出来る。YES/NOどころか、"言葉"さえも取り戻したのだ。男性は、ごく単文で表現できる創作として、俳句を作るようになった。そして最近、その作品集を出版するに至った。
 言葉を取り戻す事は、男性と周囲の関係を再構築するのにも役だった。
 夫婦の次男は、子供の頃に父が周囲、特に看護婦に当たり散らす様を目撃して以来、この「嫌な男」をほとんど無視して過ごすようになった。彼には父の反応が理不尽なものに見えたのだ。彼は父が、これほどになってまで果たして生きていたいのかどうかが疑問だった。ところが、"声"を取り戻してしばらく経って語った父の言葉が、彼に衝撃を与えたのだ。長い沈黙の果て、父は「生きたい」と語り始めたのだ。「これほどになってまで生きたいなんて」と、次男は素直に驚きを感じたという。それから、彼は父に興味を持って接するようになった。
 長女は逆に、父が周囲に当たり散らす様を見て、医療の現場での至らなさを感じたという。彼女は現在、看護婦を目指している。
 このように、ALSの恐ろしさは、"声"を奪ってしまうことだと思う。他の病気やケガならば、他の手段で補うことも可能だろう。ところがALSは、あらゆる能動的な能力を奪ってしまうので、それが困難なのだ。脳波を使った"声"は、それを乗り越える数少ない可能性の一つだ。ホーキングがいうように、「ALSでできなくなることはそんなにない」が、それもなんらかの表現手段があってこそだと思う。ALSの治療を可能にする遺伝子医療がどれほど急進展するか分からないが、それまではこうした機器が患者の精神を救うことになるのだろうか。