Strange Days

2001年12月30日(日曜日)

NHKスペシャル「宇宙」"宇宙は生命に満ちているのか"

23時00分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは「宇宙 未知への大紀行」最終回第9夜"宇宙は生命に満ちているか"。
 宇宙の、この地球以外のどこかに、僕たち地球の生命とは別の生命は存在しているのだろうか。それは人類が宇宙の広大さを認識し始めた当初からの、大きな疑問だった。そしてその疑問の先には、僕たち地球の生命とは何者なのか、そしてこの先どこへ向かうのかという、また別の大きな問いが待ち受けている。
 生命が想像以上にしぶとい存在であることを、人類は徐々に悟り始めている。地球の地下深く、太陽の影響などその重力以外にはありえないような深所に、しかし豊かな生命圏が築かれていることが、最近になって明らかになった。スウェーデンの鉱山跡深くの岩中に、奇妙な生命が大量に発見されたのだ。それらの生命の糧はなんなのだろう。それは地球深くから浸透してくる水素、炭酸ガスなどだった。それらを化学合成してエネルギーを得る微生物を底に、その微生物を捕食する別の微生物が生きるという生態系が築かれていたのだ。同じように、大洋の深海底にも孤独な生態系が築かれていることが知られているが、この深地中の生態系は地表の植物群に数倍するバイオマスに達するともいわれている。科学者たちの言葉を借りれば「地球を食べている生き物」なのである。
 最新の深宇宙探査の成果を一覧すれば、宇宙にはこれら地球の過酷環境よりよほど安穏な環境があるとわかる。例えば、太陽系外縁部から飛来する彗星は、その表層は意外に温潤で生命の生育が不可能でないといわれる。また恒星間を漂う星間物質の濃厚な場所にも、生命の生き延びうる場所があるとする学者もいる。これらを信じるのならば、少なくとも微生物の類が繁茂している場所が、宇宙には意外にたくさん見つかるのかもしれない。しかし、それらが僕たち人類のような"知性"を持つに至るかどうか。
 地球の生命に知性が宿るに至ったのは、安定した環境が数十億年も継続するという"偶然"が働いた結果だと、惑星学者の松井教授は指摘する。偶然、いや奇蹟とも言える長き安定は、どのようにしてもたらされたのだろうか。
 松井は、地球環境の安定は、まず第一に海の存在があったからである、と指摘する。海は惑星表面の安定化に大きな役割を果たす。特に恒温化という意味では不可欠な存在だった。だがその海も、もしも地球環境が太古のままならば、すなわち濃密な二酸化炭素の大気を持ったままならば、やがて温室効果の昂進で干上がり、金星のような死の惑星になっただろう。それを防ぐためには、意外にも陸地の存在も不可欠だった。広い陸地があったから、そこに降り注ぐ雨を通して様々な物質(例えばカルシウムなど)が海に溶け込み、海は余剰な二酸化炭素を石灰質にして沈殿させることができたのだ。そして、その多様な物質群は、多様で複雑な反応を生み、やがて生命の誕生を見たのだろう。これらのことから、地球全体の組成として、適正な厚さの地殻と広い大洋を生み出す絶妙な比率である必要があったのだと推測できる。
 次に、太陽からの距離が適切であることも必要な条件だった。地球より太陽に近い金星は、今は灼熱の地表と濃厚な腐蝕性の大気を持つ、地球生命から見れば地獄としかいえないような星だ。しかし、惑星の進化史の最初の頃、地球と金星は良く似た道をたどっていたと考えられている。金星にもやはり海が生まれ、ある時代まではそれが地表を潤していたのだ。ところが、その海はある時に干上がってしまった。その原因は、単純に言えば太陽に近すぎたからだと考えられている。金星から見た太陽の視直径は地球のそれより大きく、単位面積辺りの入射量が大きく違う。そのため、大気の温室効果を和らげる前に海が干上がり、それがさらに温室効果を高めてしまったのだと考えられている。一方、火星に海があったことも既に確実視されている。それは逆に太陽から遠すぎて、地殻内に永久凍土として封じ込まれていると考えられている。地球環境は、今より太陽に近すぎても遠すぎても生まれなかっただろう。
 しかし、地球環境が安定するためには、これ以外にも条件があるのだ。
 その一つは、意外にも太陽系外周部に木星、土星などのガス巨星が存在することなのだ。太陽系の周縁部には、オールトの雲と呼ばれる微小天体の存在する領域がある。これらの天体は、いわば太陽系創建時の資材の使い残しだ。そしてこのオールトの雲から、時折微小天体が流れ出し、太陽に向かって落ちて行くことがある。これが彗星発生のメカニズムだ。彗星は微小天体といえど、直径数十キロに達するものがある。それがもしも地球に衝突すれば、地球生命にとって大惨事となる。実際、地球には比較的大型の天体が何度も降り注ぎ、そのたびに生態系が大ダメージを受けてきたという歴史がある。しかし、その間隔は6000万年程度と、哺乳類の先祖から現世人類が出現するのに必要な時間を満たしている。これが1/100だったらどうだろう。アウストラロピテクスから60万年後といえば、かろうじて原人の類が現れ始めた頃だ。文字通り身に寸鉄も帯びず、原始的な石器の他には何も持たないか弱い原人に、彗星衝突後の激変期を生き延びられるとは思えない。そもそも、僕たち現世人類を生み出した真猿類の枝は、途中で断ち切られていたかもしれない。そして彗星の衝突頻度が100倍になりうる条件はあった。地球より外周にガス巨星が無ければ、その大重力により彗星が吸収されたり、あるいは軌道を変えたりすることもなく、地球への衝突頻度が大きく上昇したという試算があるのだ。
 また宇宙空間には、恒星の死や特異な活動によって生じる銀河宇宙線という、きわめて強力な宇宙線が飛び交っている。この宇宙線は、生命の核である遺伝子や重要なたんぱく質を破壊し、その活動をしばしば狂わせる。時には死をももたらすこの銀河宇宙線は、地球の表面では大気の存在により和らげられている。しかしそれも、今より強度が上ならば、やはり無視できないものになっていただろう。もしかしたら、ある程度の大きさまでの生命しか存在できなかったかもしれない。そうならなかったのは、実は地球大気の外に、さらに銀河宇宙線を和らげる存在があったからなのだ。
 今、人類が送った探査機の一部は、太陽系を脱出して恒星間へと入り込みつつある。ボイジャー1号は、今のところ人類がもっとも遠所に送った探査機の一つだ。ボイジャー1号が太陽系の果てへと近づいたときだった。強力な電波源を間近に発見したのだ。それもボイジャー1号の進行方向に。その正体は、太陽風と星間物質の衝突する現場だった。太陽系は、銀河系の核を中心に、大きな円軌道を巡っている。その際、星間物質と衝突しながら進んでいる。その結果、星間物質は太陽系に対して大きな相対速度を持つことになる。その星間物質は、太陽系の中心からやってくる別種の物質流と衝突し、その結果電波を発することになったのだ。太陽系の奥底からやってくるもの、それは太陽からの風、太陽風だ。太陽風が意外に強く、なおかつ遠方まで影響を及ぼしていることは、これで明確になった。この太陽からの風は、太陽系を繭のようにすっぽり包んでいる。そして太陽系はこの繭に包まれて、まるで宇宙船のように銀河系を旅しているのだ。宇宙船地球号ならぬ、宇宙船太陽系号だ。この繭が無ければ、銀河宇宙線はその強度を確実に保ったまま、地球へと降り注いでいただろう。
 このように、地球に生命が生まれたのはある種の必然だったといえるが、そこに知性が宿ったのはある種の奇蹟といえるかもしれないのだ。
 近年、太陽系外に惑星が相次いで発見されている。その多くは恒星に近接した軌道を持ち、生命の生育に適さないと思われるものだ。しかし、中にはあるいはと思えるものもある。最近、ある恒星の周囲に、二つのガス巨星が発見された。これらの惑星は、その位置を太陽系と比較すると火星より遠方で、木星よりは内側に存在している。そのことから、さらに内側、地球軌道にまさしく地球型惑星があるはずだと夢想する学者もいる。もしもそうならば、彗星の脅威を緩和するという点では、我らが地球に近い恒星系があることになる。だがその他の条件はどうか。それらはこの恒星をさらに詳しく調べ、夢想の地球型惑星が実在するかを明らかにしなければ、判明しないだろう。
 人類の地球外生命への思いは、奇怪なことに時間がたつにつれ悲観的になってきたという歴史がある。なにせ、最初は月にすら生命があるに違いないと思い込んでいたのだ。それが'60年代に完全に否定され、続いて火星と金星も分が悪くなり、今は木星のエウロパの内部にいるかも、という状況だ。エウロパの生命圏も、観測手段の確立によりその非在が確認される日が来ないとも限らない。次はタイタンか。一方、太陽系外でも、生命の存在し得る領域は、徐々に狭まりつつある。生命の成立条件が明らかになる一方、星たちの環境もまた明らかになるのだから、不適合領域が増えて行くのはある種の必然だろう。だが今や、生命の中に知性が芽生える可能性は、限りなく低いものだったということも明らかになりつつある。例え生命圏が宇宙に広く存在していたとしても、僕たち人類の稚拙な通信文に応え、懇切丁寧に知恵ある言葉を返してくれるような存在は、もうほとんど望む余地が無くなっているのだ。もしもそんな存在が間近にあるのなら、僕たち人類は既に彼らと知り合えているはずだ。この先、彼らを見出すことができるとしても、お互いに何らの影響も及ぼすことのできない超遠所においてだろう。このことをもう少し詩的に述べれば、僕たち人類は2度にわたって神の不在を知りつつあるのだ。一度は地球(と哲学的領域)において、そして次は宇宙においてだ。そしていずれも、その告発者は科学だった。我々は絶対者としての神も、クラークが書くような上位の知性としての神も、もはや見出すことができないのかもしれない。

2001年12月09日(日曜日)

NHKスペシャル「日本人遙かな旅」"そして日本人が生まれた"

23時00分 テレビ

(書いてます)