Strange Days

2004年06月26日(土曜日)

NHKスペシャル『地球大進化』第3夜「大海からの離脱」~そして手が生まれた~

23時52分 テレビ 天気:雲多し

 毎月、山崎努の顔を拝める(いや別にそれを楽しみにしているわけでは)このシリーズも3回目。今夜は遂に、動物たちが上陸するのだ。
 今から4億年5千万年以上前、三つの大陸が集合して、一つの巨大大陸が生まれようとしていた。どうもローラシア大陸の誕生前夜のことらしいのだが、ローラシア大陸がパンゲア大陸から分かれたのは2億年前くらいじゃなかったっけ? あ、一度形成された後、パンゲアへと集合して、それから再度分裂したのかな。よく分からないな。
 まあとにかく、でっかい大陸が形成されつつあったと思いねえ。この大陸の形成域の中心には、生物の生育に適した広い浅海が広がっていた。当時、海域の住民は、定着性の生物の他、三葉虫、オウムガイの祖先、そして我々の祖先に当たる魚の一種も生息していた。これらの生物は、広大な内海の微温的な環境で繁栄していた。
 従来のプレートテクトニクスは、最近のプルームテクトニクスへと取って代わられつつある。というか、従来のプレート*1の動きにのみ着目したプレートテクトニクスに対し、プレートを駆動するエンジンであるプルーム*2の存在までも組み込んだのがプルームテクトニクス、というべきか。
 このプルームテクトニクスによれば、下降する冷たいプルームは、地殻を強力に引き寄せるので、そこに多数の大陸が集結して、超大陸が形成されるという事件が繰り返し起きてきた。ローラシアの形成もその一環だった。
 先の内海が存在していた時期は長かったが、永続はしなかった。というのは、ローラシアが形成されてしまうと、当然のことながら内海は消滅してしまうからだ。次第に狭くなる内海では、生物の生存競争が激化し、進化圧はより攻撃的な生物の出現を促した。板皮類*3が生物層の頂点に立ったのはこの頃だ。強力な顎を持ち、板皮によって防護力も持つこの類は、現代の魚類の大半の祖先である硬骨魚類に対し、捕食者としての位置に立った。また硬骨魚の多くが依存していた定着性の生物たちは、内海の消滅によりほとんど絶滅してしまう。巨大大陸では、浅海はその周囲のごく狭い範囲にしか存在しないので、面積的にはごく限られていた。
 ヒエラルキーの下層に追いやられた硬骨魚類は、新しい環境への適応拡散を図った。川への進出だった。
 巨大大陸の中央、かつての浅海の跡には、継続されるプレート運動により、巨大な山脈が形成されていった。この山脈に、湿度の高い風が当たると、雲が生まれ、雨が降り始める。このようにして、乾燥した大地から、一転して多雨多湿地帯となった高山沿いの地域には、大きな川がいくつも生まれていった。こうした川に、魚たちは進出して行ったのだ。
 魚たちには先達がいた。植物は、既に陸地への進出を始めていた。そして、昆虫たちも、それに着いて陸地に生息域を広げつつあった。この頃、陸地には、最初期の樹木が森を形成し始めていた。アーキオプテリスという木は、ライバルがいないこともあり、瞬く間に大繁栄を築き上げていった。それ以前の陸地は、日を遮り、水分をためる植物が存在しないことから、ほとんど砂漠化していたと考えられている。ところが、アーキオプテリスが森を作るようになると、強力な直射日光から生き物を守り、適度な湿度も提供してくれる、結構な環境が生まれることになったわけだ。水中生物にとっても事情は同じだったろう。またアーキオプテリスが落とす葉は微生物の活動を活発化し、川に進出した魚を頂点とするヒエラルキーに、しっかりとした基盤をも提供してくれる役割を果たしたのだった。
 ところが、このアーキオプテリスの落とす葉が、魚類に別種の災厄をももたらした。先に書いたように葉は微生物によって分解される。ところがこの時に、水に溶けている酸素をも大量に消費するのだ。水量が豊富で流れているときならば問題は無いが、乾季で水量が激減している時期には、深刻な酸素不足に見舞われることになったのだ。
 これに対し、魚たちが打ち出した対策の一つが、肺を発達させることだった。肺は食道の一部が膨らみ、空気から酸素を取り込めるように発達したものらしい。浅海の激減と比して河川域が長大化したこの時期、肺魚類は急激に発達して行ったようだ。やがて全長5mもの捕食者まで現れるようになった。すると、川という新環境の中にも、改めて生存競争が激化していく結果になったのだ。いやはや、世知辛いもんだ。
 肺魚の一部は、捕食者の脅威から身を隠すべく、アーキオプテリスが落とした枝の影や、川岸に近い物陰に暮らすようになった。こうした場所では、水中を自由に泳ぎまわるのとは別のスキルが必要とされる。
 アカンソステガというこの時代の肺魚には、奇妙な特徴がある。骨で支持された鰭、言い換えれば手足を持っているのだ。この手足には、指もある。しかし、あまりにひ弱で、可動範囲も狭いこの手足では、陸地を移動することは不可能だったはずだ。恐らく、先ほど挙げた川底の狭い環境を移動するのに適した形態だったのだろう。
 最初期の両生類、イクチオステガともなると、手足の造りはより強固になり、また空気中で肺を保持するために肋骨も発達している。イクチオステガは、最初に上陸した両生類の一派だろうと考えられている。そして、重力を浮力で相殺できない新環境の中で、両生類は爬虫類へと発達してゆくのだ。
 40億年も海の中でのほほんと暮らしてきた生物は、陸地という変化の激しい環境の中で、急激に進化の速度を上げてゆくのだ。次回は、どんな大絶滅が待っているだろう!(たぶん愉しみどころが違うと思うな)

2004年06月12日(土曜日)

NHKスペシャル「永平寺/104歳の禅師」

23時33分 テレビ 天気:雨らしいが、まだ

 夜、NHKスペシャル「永平寺/104歳の禅師」を見た。あんまり語るような内容はなかったが、一つだけ。この老禅師の語りに満ちる確信が良い。「~だ」と断言する口調には、確かに迷いは感じられない。ある事柄に関して思考することすらやめるという禅の教義に対する疑義はともかく、老僧がそれを確信し、常に実行あるのみという姿勢を貫いてきたであろう事は、その語り口から容易に想像できる。
 思えば、僕たちは悪しき相対主義に毒されるあまり、あらゆることに対して確信を失いつつあるのではないか。たいていの注意深い人は、一流の知識人と目される人々が語るときに、その言葉に添えられる「~と思います」とか「~ではないでしょうか」という確信の存在を疑わせるような一言に気づくだろう。僕はその度に、ああ、確かに相対主義は言論の世界を制圧してしまったのだなと考える。誰一人絶対的な確信をもち得ない言論の世界の現状は、自由度が高い反面、混迷にも溢れた現実世界にはふさわしいものだ。だが、老禅師の確信に満ちた姿勢を見るとき、迷いの無いことが懐かしい。迷いが自由の必然の代償だとすれば、なんとも不自由な世界に生きているとも思えるのだが。