Strange Days

あ~らよ出前一丁

2000年06月01日(木曜日) 17時33分 暮らし 天気:晴れかもくもりかも

 僕が子供の頃は、ラーメンといえばずばり出前一丁のことだった。同じインスタント麺でもチャルメラやサッポロ一番、チキンラーメンではダメだった。近年は新手の商品や、実家の方ではかなり本格的な生麺パックなどが売られるようになったが、相変わらず出前一丁が僕にとってのスタンダードだった。
 理由はいくつかあるが、もっとも大きいのは中学のときに保健体育の教員が力説した「インスタントラーメンは体に悪い説」だ。その先生いわく、「インスタントラーメンのスープにはふつうの食品の絞り粕のような小魚などが使われているのです」。だから体に悪いというわけだ。しかし考えてみれば、絞り粕だからといって体に悪いわけじゃない。おからはどうなる。絞り粕だって立派な食品になるのだ。だから本当に絞り粕を使っていたとしても大して体に悪いわけじゃないだろう。そう考えた僕は、その後はかえってインスタントでも気にせず食べるようになった。要するに生物由来の材料を使っているのなら、そんなに悪くないではないかと思うようになったのだ。実際には化学調味料の多用などの理由もあったのだろうが、あの先生の警告はかえって仇になったのかもしれない。まあインスタントばかり食ってると体に悪いこともあるのだろう。しかし荒俣宏氏があの体躯をインスタント麺の常食で築いたということだから、カロリーそのものは決して低くは無いのだろうと思う。
 話が紀州みかんに化けそうなので戻すと、前述の理由でまずインスタントラーメンへの忌避がほぼ無くなった。その上で出前一丁でなければならない理由というと、これはトッピングに対する無類の鈍感さということになる。
 だいたい、インスタント麺を食すときには、なんらかの具を載せるようにしている。概ねキャベツを炒め、そこにベーコンかチャーシューを炒めて加える。場合によっては禁断の卵も煮込んでしまう。卵まで登場すると大抵のスープでは太刀打ちできず、てきめんに水っぽくなるのだが、出前一丁の強靭なスープはそれに耐えてしまうのだ。そこに大量の葱と炒め野菜を載せるとやはりラーメンが霞んでしまいそうになるのだが、そこにあのごまラー油を入れると、最終的にはやっぱり出前一丁としか形容しようの無いものに仕上がってしまう。あのごまラー油の強烈さは、何を載せようがその香りが消し飛んでしまう点にある。ごまラー油、恐るべしである。
 かくして数あるインスタント麺の中でも出前一丁が生き残ってきたのは、あのふてぶてしいまでの強靭さにあると考えている。インスタントラーメンはラーメンではなく、何か別種の食品なのだ。
 こんなにも愛している出前一丁なのに、横浜ではなぜかなかなか手に入らない。本格的中華圏の矜持が似非中華の存在を許さないのだろうか。どこかの通販で扱ってないかな。あの味を口にしたいのです。


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