Strange Days

横浜美術館にも行ってきた

2005年08月28日(日曜日) 20時15分 思考 天気:やや不安定

 さて、昨日に続いて美術館だ。慌しいが、美術館の企画展が8月一杯というところが多いので、仕方ない。
 本当は神奈川県近代美術館本館に行きたかったのだが、横浜美術館の今の企画展が8月中ということだった。来週末までの近代美術館本館を来週に見送り、横浜美術館に行ってきた。
 最初は自転車で自走しようと思っていたのだが、R1を行くのも環状2号を行くのもイヤンな時期だ。トレンクルを担いで、地下鉄輪行することにした。こういう時、トレンクルは楽だわ。
 桜木町で降り、横浜美術館まで走る。事前に問い合わせ、駐輪場があると聞いていた。が、周囲を一周しても、駐輪場らしき場所が分からん。裏手かなとは思うのだが。面倒になったので、ランドマークタワーに渡る跨道橋の脇に、トレンクルを貼り付けにした。
 企画展のチケットは700円。常設展500円とは別に買わなければならないのかと思っていたのだが、これで全館閲覧できるという。安いなあ。
 企画展は「わたしの美術館」ということで、横浜美術館の収蔵品のうち、人気の高いものを集めたもののようだ。展示室を6つ使い、それぞれにテーマを設定して見せている。
 順路に沿って最初の部屋のテーマは『はぐくむ』。日本における近代美術の発展と、横浜のかかわりをテーマとしたものらしい。東山魁夷『樹』。ほの暗い中、奇怪でありながら秩序を感じさせる梢が、あらゆる方向に伸びている。今しもカラスたちがここに集まり、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てそうな、そんな破局の予感を孕んだ静けさと緊張感を感じさせる。下村観山『小倉山』。一人の公卿が、紅葉の舞い散る森の中に、茫洋とした顔で腰を下ろしている。秋の豊穣に満ちた森の中では、しかし滅びの兆しを覗かせる紅葉が、今しもはらりと舞い落ちようとしている。公卿の内面を感じさせる。この迫力には息を呑むばかり。横山大観『霊峰不二』。黎明、今まさに富士の峻峰が、明け方のほの明かりに浮かび出している。駿河の方から見ているのか、富士の右手は明るくなりつつあるのだが、左手には暗闇がわだかまっている。それは観測者の立つ手前の方にも名残を見せている。不二、の字を当てた辺りに、大観の思いが見えるようだ。
 次が『はばたく』。横浜所縁の芸術家たちを集めたようだ。石渡江逸『横浜萬国橋』。昔の万国橋ってこうだったのか。川上澄生『南蛮船図』。南蛮船が盛んに来訪していた時代、横浜は単なる寒村だったわけだが。清水登之『ヨコハマ・ナイト』。かつての横浜の暗さが感じられる。
 次は『出会う』。開港以来、横浜では洋の東西の交流が盛んとなり、芸術もまたそれに倣った。五姓田義松『外国人男性和装図』。西洋の技法を取り入れた絹絵師。フェリックス・ベアト『戸塚、東海道』。開国直後の日本を写した写真家。これが戸塚といわれても当惑する田舎ぶり。ヘレン・ハイド『かたこと』。作者は浮世絵に魅せられて来日し、新しい版画技法の誕生に貢献した女性芸術家。女性らしい、子供に主眼を置いた構図が楽しい。
 次に『見つめる』。開国~産業革命と日本が進展して行った19世紀後半から20世紀に掛けて、西洋の芸術技法も大きな変革期を迎えていた。ポール・セザンヌ『縞模様の服を着たセザンヌ夫人』。セザンヌの人物画は珍しいそうな。少し退屈そうなセザンヌ夫人の表情が面白い。ジョージ・グロッス『エドガー・アラン・ポーに捧ぐ』。その通り、ポーのミステリーを連想させる、妙にドラマチックな構成が面白い。パブロ・ピカソ『肘掛け椅子で眠る女』。キュビズム最大の存在意義は、横でもみじ饅頭を食いながらペプシを飲んでいても気にならない点にあると思うんだ(すげえ暴論だ)。ギュスターブ・モロー『岩の上の女神』。モロー初体験。耽美だな、メルヘンだな。気の強そうな女神様の横顔に萌え。これに票を投じた人の『嫁にしてえぇぇ』*1というコメントに笑った。青ざめたキャンバスに浮かび上がる女神の裸身はエロい。
 次が『ゆめみる』。横浜美術館は、シュールレアリスム関連のコレクションで知られているそうな。マックス・エルンスト『少女が見た湖の夢』。禍々しい怪樹に囲まれた、山中の湖。怪樹たちは人や、別の何かのように見える。超自然的な現象を感じさせる。サルバドール・ダリ『ガラの測地学的肖像』。超精密な筆致に息を呑む。ダリの絵筆には、毛が3本しかないものすらあったという。超絶技巧を目の当たりにする思い。しかし並べられた同画のための素描を見ると、ガラ夫人が実は何らかの建築物(鐘楼?)に見立てられているのがわかる。まさに測地学的肖像。同じく『幻想的風景 暁、英雄的昼、夕暮れ』。ダリがアメリカの滞在していた時、さる富豪の依頼で製作されたという大作。三枚の絵で構成されているのだが、それぞれがでかくて圧倒される。この絵に関しては、どこから鑑賞すればいいのか、距離を掴むのが難しかった。左手の暁、右手の夕暮れは、同じ風景の裏返しとも、左右一対のものとも思える。左手では鍵穴に蟻が群がり、右手では同位置に大柄な蟻がうずくまっている。中央の絵に描かれている人物は、背景の雲に上半身が溶け込み、顔は雁行する鳥たちにも見える。英雄的と題しているのに、この人物は明らかに女性だ。そして右手の絵では、この人物は今にも消えそうで、遠くに飛び去る鳥たちに名残が見える顔と、消えつつある足元だけが残されたものだ。丹念に見て行くと、様々な表象に仕掛けられたものが見えてきそうだ。
 最後が『生きる』。最新のポップアートを中心として、現代の美術を俯瞰しようというもの。遠藤彰子『街(Street)』。ごちゃごちゃした構図に力を感じる。奈良美智『ランプ・フラワー・ガール』。この人は、マンガチックな女の子をモチーフに作品を作り続けているようだ。マンガ世代の芸術。
 一通り見て、常設展を回ってから帰った。もう少し見て回りたかったのだが、集中しすぎたのか、頭がずきずき痛み、疲労を感じるようになっていた。しまったなあ、ここ、朝からくれば良かった。一日で見て回るには、惜しいくらいの作品群だった。


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