Strange Days

魂の故郷に帰れ(by デロリンマン)

2000年06月21日(水曜日) 17時42分 思考 天気:薄曇

 夏場なので怪談サイトをうろついているのだが(って眠れなくなるからやめろって)、少しリンクをたどるとオカルト系のサイトに行き当たってしまう。おかげでリーディングだのチャネリングだのヒーリングだのといった代物に少し詳しくなってしまった。リーディングは宇宙のどこぞにある「アカシック・レコード」なる、宇宙開闢以来今までの、そして今からの全ての出来事や"真理"を記録した媒体を自由に読み取ることができる、と主張するものだ。チャネリングはどこぞの親切な宇宙人が頭の中にいろんな事を直接吹き込んでくれる、というものだ。ヒーリングは単に癒すという意味でも使われるが、例によって大変安易そうに"宇宙の真理"やら"隠されたエネルギー"とかいった代物と結び付けられてしまっている。いずれにせよ、なにか「とてつもないもの」が我々の既知の世界の外にあって、それを自由に扱える方法を心得ている、と主張している点では共通している。そしてこれらの能力を持つと主張する人々は、一様に「訓練すれば誰にでもこの能力を持てること」を主張し、「物質文明からの脱却」を叫ぶ。
 奇妙な事実がある。その「物質文明からの脱却」を主張し、かつ自らは脱却していると主張してもいる人々が、それらの能力を他者に使用したり教授したりするときには金を取るのだ。それもたかが1時間のセッションで数万円という、決して安くはない(僕の主観では絶望的に高い)金を取るのだ。この金は何のための取るのか。
 そんな素朴で本質的な質問があるチャネラーのサイトに寄せられていた。開示するだけサイトの責任者は誠実だったといえる。それに対して同調する意見もあったが、サイトの性格もあってなんとかこの矛盾を説明しようとする意見が多かったように思う。すまん、どこのサイトだったか再検索しても見つからないのだ。
 金を取るという行為を合理化しようとする手法には共通点があった。金は「中立的」であると定義するものだ。金額が高かろうが低かろうが修行や各能力の正否には無関係だというものだ。
 だがこのような理屈ではなぜ金を取るのかということをまったく説明できない。単に金が好きだから、と受け取らざるを得ない。もしも真に物質文明を脱却していると主張しているのなら、その物質文明の中枢にある資本という概念そのものを否定しなければならないはずだ。取った金を何に使うのか。他の困っている人を救ったりするという意向は全く見られない。それとも「親切な異星人」が金儲け大好きなのだろうか。そんな馬鹿な。彼らが自らの欲望を満たすために使うのだと考えることに、ほぼ無理はないだろう。彼らは、自らが物質文明(とやら)のしくみにどっぷり漬かり、あまつさえその中での快楽を追い求めているのに、口ではそこからの脱却を主張する。まるで自らは快楽をむさぼりつつ、信者には清貧と喜捨を説いた中世の堕落した僧侶たちのようなものだ。
 これらの人々は明らかに嘘をついている、と僕の直感は告げている。それも悪質な嘘だ。直感だけでなく、上記のように考えれば理屈も通らないことが分かるはずだ。ひどく不誠実な人々だと思う。
 僕の実家が真宗だからこう思うのではないのだが、こうした人々に比べて法然や親鸞といった人々はなんと清廉で壮烈な生き方をしたのだろう。それぞれの信念を通すために時の権力の弾圧を被り、物質的な栄華はまったく手にできなかった。だがその思想は後世に巨大な影響を与えたのだ。精神的な栄華というものがもしあるのなら、これらの先達たちのそれが当たるのではないか。だがかれらの精神を中心に成立していたはずの浄土宗や浄土真宗が、後世にいたって物質的な栄華の中に堕落してしまったことも忘れてはならないと思う。清貧を通すのは難しい。
 少し僕の考えを書いておくと、「アカシック・レコード」なるものの実在はもちろん疑わしい。宇宙は偶然に生まれ、偶然により今の姿ができたに過ぎないだろう。未来も過去も、ランダムな数列が作り出しているに過ぎない。したがってリーディングなるものが成り立つとは思えない。また親切な宇宙人がいていろいろ吹き込んでくれるとも思えない。異星人の存在は疑わしいし(そういう意味で僕はSETIにも懐疑的だ)、たとえいても人間と意思疎通ができるとも思えないのだ。この広い宇宙の、それも地球のごく近くに、人間と様々な論理の通じあえる異星人がいるかどうか、大変疑わしいと思わざるを得ない。例えば人間のごく近い場所にいる犬や猫に、人間の神学や経済学を理解させられるだろうか。まず不可能だ。犬や猫は人間と同じ生命圏に住み、その行動様式や素朴な経済観念(例えば山を登るより脇道を迂回したほうが楽、など)も通じている。その犬猫との意思疎通ができないのに、共通したバックグラウンドをなにも持たないであろう異星人と意思疎通するなど、まずもって不可能に思えるのだ。
 それでもビリーバーたちは信じつづけるだろう。それは問題ない。彼らが何を信じようと、世の中は相変わらず科学主義のイデオロギーを享受しつづけるだろうからだ。だがその物質文明のグラウンドでは、それをいくらかでも良くしようという無数の試行が続いている。破綻をぎりぎりで逃れようと苦闘している人々がいるのだ。その物質文明のグラウンドにありながら、口だけで否定してみせる行為はひどい背信行為ではないだろうか。僕がチャネラーたちに感じるのは、実はそういう部分での怒りなのだ。


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