Strange Days
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NHKスペシャル『論文捏造 夢の治療はなぜ潰えたのか』
2006年08月20日(日曜日) 23時55分
科学
天気:晴れ
今夜のNHKスペシャルは、今年の頭、科学界を騒がせた、韓国のファン教授による論文捏造事件の経緯を追うものだった。
この捏造されたという論文のターゲットになっているのが、人のES細胞をクローニングで作り出すという技術だった。ES細胞は、生物が成長する過程で、様々な機能を持つ細胞へと分化する前の段階、つまりどんな細胞へも分化させられる、いわば万能の細胞を意味している。他にも人体には普通にこうした未分化の細胞が存在しているが、分化できる細胞の種類が決まっていたり、分裂の回数にも限界があったりで、ES細胞の万能性には及ばない。このES細胞があれば、神経や骨髄の損傷など、現代の医療では完治が難しい傷害も修復できるといわれている。
従来、分裂初期の胎児から取り出したものが知られていたが、これは他人の細胞なので、どうしても拒絶反応を抑制する必要がある。使いにくいわけだ。しかし、治療を受ける本人の細胞からES細胞を作り出せばどうだろう。少なくとも、拒絶反応という点では申し分ない。しかし、成長したヒトの体にある肝細胞は、前述のようにES細胞ほどには使い勝手がよくない。
そこで、ES細胞の核を被治療者の細胞のそれと取り替え、拒絶反応を起こさないES細胞を作り出すクローニングの手法が追及された。このクローニングの分野で有名なプレイヤーの一人が、今回捏造論文で指弾された、ソウル大学のファン教授だった。
ファン教授は獣医学部に所属している。難易度が高いといわれる犬のクローニングに成功するなど、韓国獣医学会のみならず、韓国科学界のエースと見なされていた。事実、その業績を事実と受け止めた場合、医学分野でのノーベル賞有力候補といえただろう。しかし、強引な手法と、どうやら思い込みの強い性格が災いして、動物実験段階から数多くの捏造を繰り返してきたことが判明している。
番組では、事件の経緯を追う。
まず、獣医学の分野ではクローニングの第一人者と言われていたファン教授は、いよいよ人間への応用を目指し、人の卵子を豊富に準備できる大病院と手を組んだ。そして人の卵子に、獣医学で培ったクローニングの手法を適用しようとしたのだ。当初は、ほんの少しの卵子で成功するだろうと楽観していたという。ところが、数カ月を経ても、一向に成功しない。さらに大量の卵子を用い、さらには研究員自身の卵子すら研究に用いたらしい。後の調査では、一種のアカデミック・ハラスメントが行われていたようなのだ。
それほどの犠牲を払ったのに、実験の状況は、相変わらず捗々しくない。ES細胞化の兆しを見せるものもあったが、いずれも分裂を止め、次々に死滅して行ったのだ。だが、一つだけ分裂を続ける個体があった。ファン教授は期待を込めて、その個体の分析を、とある中堅研究者に任せた。ところが、その研究者のミスで、ES細胞の判別に必須の部分を紛失してしまったのだ。
通常ならば、再実験、再検査だ。しかし、報告を受けたファン教授は『成功は確実なのだから』と、その個体が確かにES細胞だった見なして論文を纏め上げた。後の再検査では、細胞核入れ替えの際のミスで、通常の卵細胞のまま残されていたものと判明した。
この論文はアメリカの科学誌Sienceに掲載され、大きな反響を呼んだ。夢のES細胞、などともてはやされたものだ。ファン教授は、一躍韓国のトップグループから、世界のトップへと立った。形だけは。
この『成功』を足がかりに、ファン教授のグループは更なるES細胞の『生産』に着手した。もっと多くのES細胞を生み出し、さらには臨床に応用しようという目論見だ。最初の『成功』では、生み出せたES細胞は1例だけであり、これでは実利を生み出す特許出願には値しないという、共同研究者たちの後押しもあったという。
臨床に応用しようというのだ。実際に難病を抱える人々の協力を依頼したところ、ES細胞による治療を希望する難病患者が殺到したという。そして提供を受けた細胞を基に、ES細胞の作成作業が開始された。だが、華々しいスタートと相反し、実験の経緯は絶望的なものだった。前回と同じく、多数の卵子を使用して実験していたにも関わらず、それらの実験体は次々に死滅してゆく。数少ない生き残りの培養を任されたのが、前回ES細胞の分析に失敗した研究員だった。よくよく考えると、重要な実験の『失敗』に責任を負うべき人物を、また登用するというのは、いささか異常な組織運営ではないか。多分に、組織の論理を優先してしまった面があったのだろう。日本でも欧米でも、モラルハザードに陥った組織を待ち受ける陥穽だ。
だが、この研究員の努力にも関わらず、数少ない細胞体にも死滅の兆候が現れる。その時、この研究員は異常な行動に出る。彼のホームベースである病院に戻り、通常の卵細胞とすり替えたのだ。この経緯を知らなかった周囲の研究者たちは、はたして怪しんだのかどうかは知らないが『この人(研究員)には超能力があるのでは』などと思ったという。
ハイ、出ましたね、キーワード『超能力』。日本でもそのパラフレーズ『神の手』が有名になった捏造事件があった。あの藤村氏と同じく、この研究員も周囲の高い期待に負け、それに応える安易な手段に走ってしまったのだ。そして期待している側は、それを受け入れてしまった。
ファン教授は、この第二の『成功』を論文にし、それもまたSience誌に投稿した。掲載されれた論文は、この年の最重要論文の一つに選ばれ、ファン教授の名声は絶頂期を迎えた。
しかし2005年の年末、強引な卵子確保の方法に対し、韓国MBC放送が疑問を呈する報道を行った。この報道は、しかしファン教授を擁護する政財界、さらには一般国民のすさまじい非難の前に立ち消えになった。だが、この報道は、以前からファン教授の業績に対して示されていた疑問の存在を、改めて明らかにするものになった。その強引な手法、倫理観の無さ、そしてなにより、科学的に十分検証されてないこと。それらの疑問点に対し、数多くの人が着目し、改めて追及し始めたことが、ファン教授(と、そのグループ)にとっては命取りになったのだ。
MBCバッシングが一段落した頃、今度は第2の論文そのものへの疑義が呈された。韓国のバイオ系研究者たちのコミュニティや、日本のBBSで、論文の検証の薄さが指摘され始めたのだ。そして決定的な証拠が突きつけられた。論文に掲載された細胞の画像のいくつかが、実は同じ画像を加工したものであることがわかったのだ。もともと、Science誌が論文をアクセプトする過程で、不透明な働きかけがあったことは知られていたようだ。こうした動きに、今まで擁護一辺倒だったソウル大学、当局もとうとう論文、事実関係の検証に乗り出さざるを得なかった。その結論が出るまでの、韓国社会の騒乱ぶりは物悲しい。そして、ソウル大学により、論文が捏造だったこと、ES細胞の作成には一つとして成功していなかったことが公表された。それ以降の動きは、おそらくご存知の通りだろう。ファン教授は、一転して犯罪者に堕したのだ。
番組の最後では、いかにもNHK的だが、紋切り型に『科学の信頼性が問われている』と落としていた。でも、この問題が問うているのは『科学の信頼性』なのだろうか。確かにある期間、虚偽が事実として認められてしまったことは問題だ。だが、科学という営為の性質からして、ある程度の虚偽を一定期間でも事実として認定してしまうのは仕方ない。科学的事実というのは、今現在最も信頼性の高い仮説に過ぎないからだ。無数の仮説の中からより事実らしいものを振り分けてゆく、その手続きの集合体のことを、我々は科学と呼んでいるのだ。だから、手続きが向上してゆく過程で、ある程度の虚偽が含まれてしまうのは、そもそもはそれが科学の本質だからとしか言いようが無い。真宗門徒が極楽浄土の存在を、ローマンカソリックがキリストの復活を"絶対的真実"と信じるようには、科学的事実というものは絶対視できない。そこが科学と宗教の違いなのだから。
実際、ファン教授の疑惑が浮上した背景には、その実験に再現性が無いことへの指摘が多かったという事情があるようだ。誰にでも、実験結果を再現できるというのが、科学的手法の特徴だ。再現できないなら、公表されてない要素が存在するのか、実験そのものが間違っていると判断するしかないのだ。そしてファン教授らの論文が科学的な手続きを満たしてないという重大な誤りが指摘され、結果としてファン教授の主張は、科学的事実でないと認定されたわけだ。すべて、"科学的"な手続きを踏んでいるかどうかで判断されたわけで、つまりは"科学的"な根拠により捏造が暴露されたわけだ。
先の『神の手』藤村氏による旧石器捏造の場合、発覚したのはTBSによる隠し撮りだった。これが論文を対象にした検証だったら救われたのだが、そもそも藤村氏らは論文を提出する立場に無かったので、そうした検証自体が不可能だった。石器と埋没状況を概覧すれば、実は捏造の事実は明らかだったのだが、考古学学会にはそれができなかったのだ。当時は、そもそも日本の考古学界の一部、少なくとも旧石器時代を対象としたものは本当の意味での学会ではないし、その手法も科学的ではない、という極論さえ散見された。つまり、日本での旧石器捏造事件での問題点は、科学的手法を促進する立場にあるはずの考古学会が、それを十分に実行できなかったという点にある。
それに比べれば、ファン教授の場合は、とにかくも論文に記載された科学的事実への再検証により、捏造が確定したという点で、まだ科学的手法の範疇にとどまっていた。なんにせよ、科学界で業績を上げるには、論文を書いてナンボということなのだろう。
どちらの捏造にせよ、問題は"科学的手法"そのものではなくて、それが確実に適用されたかどうかという運営論に属するということは分かるだろうか。つまり問われているのは、ファン教授の場合は教授のチームとその論文をアクセプトした雑誌、そしてファン教授の捏造を見抜けなかった協力者たちの倫理観だ。また藤村氏の捏造を、やはり見抜けなかった、日本の考古学界の科学的手順への忠誠度なのだ。どちらの場合も、科学的手順を厳密に踏めば、高い確率で発覚した捏造のはずなのだ。そういう問題なのに、安易に『科学そのもの』が問われているとするNHK取材班に、いささか腑に落ちないものを感じる。本来ならば安易に混同してしまってはならない問題ではないだろうか。
さらっと書くつもりが、なんだか長くなっちゃった。日韓のナショナリズムの問題とかと絡めるつもりは無いので、その辺は濾し取りよろしく。
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