Strange Days

死刑廃止論の背後にあるもの

2001年06月05日(火曜日) 23時23分 思考

 前に死刑廃止論に関して考察したようなしてないような、忘れようとしても思い出せない状況なのだが、何度か関連する話題は考察(というか妄想)したような気がする。
 死刑廃止論議の争点を洗い出すと、結局、

・死刑制度による犯罪抑止効果
・被害者への補償(の一環としての"命")

という2点が浮かび上がる。
 まず犯罪抑止効果だが、これははっきりしないようだ。「ある」とするのはもちろん存続論者だが、彼らは「きっと~だろう」という希望的観測に基づいている場合が大半で、はっきりした統計的な根拠を示した例はないと思う。それがあるのは廃止論者で、例えばアメリカにおける事例をケーススタディとして挙げているものが散見される。しかしそれらはいくつかの変数(例えば"重犯罪"の定義)を内蔵しており、恣意的に解釈されている可能性も捨てきれない印象がある。また相反する結論を出している研究もあるようだ。いずれにせよ、死刑制度に対する反応は人によってまちまちだろうし、民族的国家的文化的な影響も大きいに違いない。犯罪抑止効果を焦点に置くのは、廃止論にせよ存続論にせよ意味が無いのではないだろうか。やってみなければ分からない、というのが実際のところだろう。
 後者は効果という点では無意義という一言で片付くかもしれない。殺人犯の命を奪ったところで、被害者は決して生き返らないからだ。しかし、存続論者はまず遺族への慰撫という意味付けを強調し、さらには社会への影響(反社会的存在の抹殺による清涼感?)も強調するわけだ。しかし、全ての遺族が殺人犯の抹殺を一律に望むかといえば明らかにそうではない。日本でも、遺族が殺人犯と交流している例はいくつもある。また社会への影響も一律ではありえないだろう。犯罪抑止効果があるか、という論点と同じだ。
 しかしながら、弁護士会やNGOが無邪気に「(死刑囚)XX君を応援する会」などというものを組織しているのを見ると、暗澹たる思いになる。あれらは被害者の遺族をどう考えているのだろう。無邪気に「分かってくれるさ」で片付けているのではないか、と疑ってしまうくらい無神経なネーミングではないか。社会的な反応を考慮するならば、死刑廃止論者は顔の無い死刑囚という無人格の個人を念頭に置くべきだろう。あの種の組織は、死刑廃止論にとって逆風以外の何者でもないと思う。
 いずれにせよ、これらの論点はすっきりとは割り切れないもので、存/廃両論に対しては十分注意して耳を傾ける必要があるだろう。さもないと、一種の宗教対立に発展してしまう。
 僕が面白いと思うのは、廃止論の中に「人間には決して奪われてはならない権利がある」という主張が背後にあることだ。いうまでも無く、「人権」というものを意識したものだ。人権は何者にも、他者にも国家にも奪うことが出来ないものだ、とする主張だ。しかしそれを奪った"他者"はどうなのか、という存続論者の指摘はもっともなものに思える。この両者のうちどちらが真実かという問いに答えることなど、たいていの人の手に余るのではないだろうか。少なくとも僕にはその自信は無い。しかし、「奪われない権利」を蹂躙したのなら「奪われない権利」は失効するという見解の方が受け容れやすいように思える。というのは、もしも「奪った者」からすら「奪えない」とするなら、それを保証する別の実体が必要になるはずだからだ。例えば国家にも他の人間にも奪えないとすれば、それをこの世のどことも知れない超越的な存在が保証しなければならなくなる。超ルール的ルールとでもいうのだろうか。そんな思想は、どうにも気持ち悪いものに思えるのだ。結局、社会というものはその構成員同士が、それぞれの権利を切り売りしたり尊重しあったりして成立している、という見方の方がすっきりしていて好みだ。全ての権利は別の権利を尊重することで成立する(つまり無前提の権利は存在しない)という思想のほうが、世の中うまく回るのではないかと思うのだ。
 そんな風に人権絶対主義に疑問を抱く僕ではあるが、しかし死刑制度に対しては廃止論に組する。
 僕が思うに、二つの論点のそれぞれが収束しない状況では、実験的に死刑を廃止して効果を見るしかないのではないかと思うのだ。今、死刑制度を廃止しても、直接的に赦免される死刑囚の数はごくわずかだ。しかもその大半は、世間から忘れ去られている。死刑囚が死刑にならないことで社会が重大な影響を受けるとは考え難い。残るは、死刑制度がどんな影響を与えるかという点で、これは実験の結果を見るよりあるまいと思う。もっとも、死刑廃止論議の焦点は実効果というより、観念論に終始している観はあるのだが......。
 もう一点、たとえ人権論的な見地に立たなくても、死刑囚には固有の価値があると思う。彼/彼女からはなぜそこに至ったかという貴重な教訓をくみ出すことが出来るのではないだろうか。そして彼らが確かに罪を悔いているという確信が得られれば、遺族感情も随分慰撫されるのではないだろうか。もしかしたら、死など望まないくらいに。それらは、彼らを処刑して無言の存在にしてしまえば、もはや達成できないだろう。そんなわけで、僕は一応、フラフラと死刑廃止側に立っているのだ。


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