Strange Days

戦争ショーの始まりだ

2001年10月09日(火曜日) 21時07分 思考 天気:晴れ

 アメリカによるアフガン空爆が始まった。当然と言うべきか、最初はリーチの長い火力で叩こうというわけだろう、空軍による爆撃に終始しているようだ。地上軍の投入はまだ先だろうと言われている。ゲリラ戦に関しては長い経験と実績を持つアフガン人に対して、アメリカが慎重すぎるほど慎重に当たるのも当然のことだろう。アメリカもベトナム戦争では痛い目にあったわけだし、ゲリラ戦に対する戦備が過小だとは考えにくい。面白い戦いになるだろう。実際、ほとんどの日本人にとってアフガニスタンは遠すぎる。彼の地の戦争も、なんら痛みを伴ったものではなく、一つの物語りに過ぎないように感じられる。アフガン人というものも、敵によって親近感を感じたり(旧ソ連と戦っていた間)、憎悪を感じたり(米同時多発テロへの関与が明らかになって以降)する程度の人間集団であるはずだ。当のアメリカだってそうだったんだから。もしも純粋な傍観者で居られるのなら、僕らはただ単に個人個人の好みでアメリカを諫めて人格者ぶったり(もちろんテロが続いてさらに多くのアメリカ人が死傷する可能性には目をつぶって)、戦争の必然を説いて識者ぶったり(もちろん無関係の民間人が多数死傷することになどなんの痛みも感じることなく)することも出来るわけだ。
 ところが、この戦争に対する日本の関与のあり方は、今までの世界紛争に対するそれとはやや趣が異なっている。それも二つの方向からだ。
 ベトナム戦争と比較すれば明らかだろう。ベトナム戦争において日本はアメリカの戦争遂行に大きな役割を果たし、むしろ日本抜きにはベトナム戦争を遂行できなかったと言えるほどだ。それほどの関与のあり方だったのに、北ベトナムが日本を攻撃する可能性は皆無だった。北ベトナムにその能力がなかったというのが最大の原因だが、下手に日本を攻撃すれば、それは米同盟国連合対北ベトナムというより危険な図式に発展し、なにも得るものがなかったからというのも大きいだろう。むしろ、当時盛り上がっていた反戦運動(ベ平連など)が後押しをして、結局アメリカの足を引っ張ってくれるのを待てばよかったのだ。一方、日本から見ても、ベトナムへの関与はあくまでも限定的なものだった。当時、日本の自衛隊が海を越えることなど考えられなかったし(後藤田正晴などは意識的に「(自衛隊は)オーバーシー(渡洋能力)の軍隊にしなかった」といっている)、当時の閣僚や、官僚の意識として、戦争はまず経済的な事態だったのだ。結局、日本とベトナムの関係は非常に限定的なものにとどまり、だからこそ上では知らぬ間の戦争関与、下ではべ平連だのと言っていられたのだ。もしもベトナムが日本の隣国だったなら、上も下も能天気に構えてはいられなかったろう。日本にとってベトナムは遠い地だったからこそ、一億総無責任体制で居られたのだ。
 しかし今度の戦争は、基本的には国際テロリスト集団+狂信的宗教国家 v.s. 世界帝国アメリカだ。テロリストからみれば、日本は十分に攻撃の対象になりうる。彼らは非イスラムでなおかつ自らと相容れない自由主義的な国家ならば、自分たちを決して受け容れないことを分かっているはずだ。ラディンの一派からすれば、自分たちの宗教を守ることが第一の大義であるはずだ。本音はどうか知らないが、大義という奴はたいていの場合、それを掲げた瞬間から縛られるものだ。看板を掲げたつもりが、中身まで看板に縛られてしまうのだ。ラディンの一派だってそうかもしれない。しかし、ラディン一派がイスラム原理主義的な教義を守るために、手段を選ばない段階に入っているのは、国際貿易センタービルの件で明らかだ。イスラム原理主義は、イスラム至上主義とほぼ等しく、他の価値観を否定するものだ。世界中に広まりつつある多価値観主義的な風潮と、決して相容れない。そして日本も、数多くの価値観の共存を目指す多価値観的世界を受け容れている。日本という国の成り立ち自体が、単価値観的なイスラム原理主義と相いれ得ず、そのような価値観の強迫を断固として退けることが、まあ大体の国民が支持する方針だと考えていいだろう。日本にとっても、ラディンが掲げる行きすぎたイスラム原理主義は、絶対に退けなければならない価値観なのだ。妥協はあり得ないのではないだろうか。ラディン一派にとって、日本は攻撃しがいのある目標の一つなのだ。
 一方、今度の戦争に日本が直接関与しないで済むかどうかも微妙だ。アメリカは日本に"貢献"をますます求めてくるだろう。そして、日本の政府も後方支援は既に拒めない。直接派兵もどうだろう。政府は自衛隊の長距離投入能力を段階的に高めてきたから、その行使を求められる可能性もある。オーバーシーの兵力ではないという事実が阻むかもしれないが、米軍の兵站を使えることになったら......。自業自得もいいところだ。
 いずれにせよ、日本の関与は、従来の戦争とは一線を画すものにならざるを得ないだろう。しかも日本人自身の意思はほとんど顧みられることが無さそうだ。今までと同じく状況に受動的に関わらざるを得ない。テレビで戦争ショーを楽しむことにしよう。そのくせに、今度は僕たち自身がテロの対象になり、あるいは兵士を送り込まざるを得ないかもしれないのだ。なんという馬鹿げた話だろう。もっとうまく立ち回ることは出来なかったのだろうか。


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