Strange Days

ついに麦草に

2002年08月03日(土曜日) 23時55分 自転車 ( 自転車旅行記 ) ,

 予定通り、朝4:00に起床。慌ただしく朝食を摂り、MR-4Fの点検をして、荷物を背負って立場駅へと出発。しかし急ぎすぎたのか、立場駅はまだ閉まっていた(爆)。MR-4Fを輪行態勢にした頃、ようやくシャッターが開き始めた。
 戸塚からJRに乗り換え、新宿まで、新宿で中央線特急のホームに到着すると、既にこぐ氏を初めとするかな支部の面々+αが待っていた。僕が挨拶していると、@nak家も姿を現した。
 程なくホームに入ってきた特急あずさ81号に乗り込み、一行は車中の人々となった。ところでおの氏は? 不安を感じた誰かが電話してみたところ、「今起きた」とか。間に合わないぞ、こりゃ。
 車中、少々寝ておこうとも思っていたのだが、結局はちょっとウトウトした程度だった。
 9:20頃、目的地茅野に到着。駅の東に出ると、自転車を組み立てている人々がちらほら。それがBD-MLの麦草アタック隊だった。合流して、各々の自転車を展開する。
 おの氏はやはり1時間以上遅れそうだということで、速攻で見捨てていくことになった(笑)。
 一行はかれこれ15人以上だろうか。とても2000m超級の峠を攻める連中とは思えない人数だ。それがズラズラと連なって登って行く様は壮観だ。
 何度かの小休止を取る。上りはまだ序の口。出発点が1000m前後で、今は1300mくらいだろうか。(た)女史が土地の農家の人にいろいろ話しかけられ、お土産にじゃがいもをもらってしまった。今から1000m近くも登るんですけど。かわいそうに、夫君の(あ)氏が運ぶことに。
 まだまだ序の口で、この辺までは元気があった。この程度の斜度なら、なんとかいいペースで登って行けると思えた。ところが、これからいよいよ斜度が上がり始めるのである。
 別荘地を過ぎ、人家もまばらな中を上がって行く。この辺でもかなりきつい。もう一番軽いギアを踏んでいる状況だ。それでもペダルを回すというには程遠く、一歩一歩踏む感じなのだ。それなのに、まだまだ本当にきついのはこの先だという。
 ずっと下を見て進んで行く。もう最後尾だったので、臨時幹事に就任したミキ氏が後ろに付き、なにかと話しかけてくる。それさえほとんど耳に入らない。一度、あまりにつらくて立ち止まったところで、ミキ氏が手持ちの非常食を恵んでくれた。親切が身に染みる。というのも、その後、少しだけ足が回るようになったからだ。その隙に、いつの間にか後退してきた吉田氏をパスし、ついにゲートまで進んだ。そこで自転車を降りたことは憶えているのだが、気がつくと寝転がって空を見上げている自分がいた。けっこうやばい......。そう自分で気づいた時、『ここで引き返そう』と決断しかかっていた。死にそうになるまで自転車のペダルを漕いで漕いで登って行くなんて、なにかが間違っている。自転車には楽しく乗りたいのに......。見たところ、周りにこんな危機的な状態に陥っている人はいない。それぞれ苦しげな顔は見せるが、基本的に顔はまっすぐ前を向き、僕のように下を向きっぱなしというわけではない。どうも、僕と周りの人々との間に、なにか大きな違いがあるようだ。直感的に、僕の苦しさは分かってもらえないのではないかと思った。
 止めようか、どうしようか。いつの間にかおの氏がやって来ていて(そういえばさっき見た気もする)、17人にもなったメンバーの楽しげな表情を見ているうちに、やはり苦しくても登っておこうと思った。いまだかつて、BD-MLのこの麦草アタックで、途中で引き返した者はいないはずだ。その最初の一人になる屈辱には耐えられそうにない。
 やがて、このゲートから一斉にアタックが開始された。いっとく氏はもう先にいっているという。その他のメンバーが、勇躍上りに飛び出して行く。僕は内心忸怩たるものを抱えて、その後をのそのそと上りはじめた。
 やはり、きつい。今までの上りなんか楽なものだった。斜度が上がり、いよいよ本格的な峠越えの雰囲気だ。みんな、あっと言う間に見えなくなる。初参加の人々さえ、ずっと先の方を進み、二度とその後ろ姿を見ることが無かった。ああ、あれが世間の標準なんだな。やっぱり、僕はなにかがおかしいのだ。いやおかしいのは、そもそもこんな峠を自転車で越えようなどと思った人間の頭の方だ。と、いい加減、八つ当たりモードに突入しつつあった。しかしそれも長続きせず、むしろ中に落ち込むような怒りがくすぶっている。力になるような怒りさえ湧いてこないのだ。全く顔は上がらず、下を流れる白線を見つめるばかりだ。時々顔を上げては、スピードメーターの表示が7km/hから4km/hをふらつくのを見て、下がりすぎないように必死にこらえる。
 つらい。たかが坂を上ることが、こんなにつらいだなんて。いくらなんでもつらすぎる。自転車の選択を誤ったのだろうか。そもそも、足が全然鍛えられてないようだ。なんという疎外感だろう。自分だけがこれほど劣っているとは......。もう自転車に乗るのは止めようかとさえ思い始めた。それは大げさにしても、峠を人とともに越えるのはごめんだ。二度とやりたくない。
 一度、立ち止まって、前方を呆然と眺めていると、後ろからなぜか一人で登ってくる人が。ああ、平野氏だ。そういえば、ゲートを出たとき、まだなにかやってる雰囲気だった。立ち止まっているので、平野氏は先に進んでいってしまう。ものすごくゆっくりだが、着実に登って行く。よし、僕も、どれほど時間がかかっても、ペダルを踏み続けるぞ。
 再び、ペダルをじわりと踏み、白線が苦痛なほどゆっくり視界を流れて行くだけの時間が戻ってきた。が、気がつくと、すぐ前に平野氏の後ろ姿が見えている。ゆっくり、ゆっくり追いついて、しかし追い抜く気力はないので、そのまま後続して走り出した。時速5km/h。自転車って、こんな速さでも走れるんだ。結成、チーム5km/h!(爆)
 5km/hをキープしながら、ペダルを一歩一歩(もう一回一回という踏み方ではない)踏みながら登って行く。すると、なんとか続けて行けるような気がしてきた。これなら上まで上がれそうだ。はじめてそういう気になった。それでも、カーブはあまりにも苦痛だった。斜度が一気に上がるからだ。できるだけ緩やかなアウトコース寄りに出たり、さらには蛇行したりしながら、なんとかカーブを一つ、また一つパスして行く。平野氏との間に、会話する余裕さえ生まれた。高度2000mの看板を確認。まだ200mも登るのかよ! 頭がトビそうになる。
 また一つカーブをパスした。すると、急に道がなだらかになる。しかし気を抜かない。最後の最後に、一番急な斜面を通ると聞いていたからだ。案の定、まもなく最後の上りに突入。これは、厳しい......! 頭がトビそうになる。時速4km/hに落ちつつも、なんとか坂を登って行く。そして、再びなだらかな直線に出た。今度こそ最後の直線だ! 僕は平野氏をさっさと見捨てて(笑)、再び回せるようになったペダルをくるくる回しつつ、最後の直線を突っ走った。平野氏、ごめん。
 そして、ふと右を見ると、先行していた面々が固まっている。そこがとりあえずのゴールらしい。もう走らなくていいんだな。もう坂を上らなくていいんだな。そう自分に確認しつつ、僕はその一団に歩み寄った。
 自転車を降り、本当の頂上(それはまだ先にあるが、もうなだらかな坂だ)に目をやり、それから衝動的にミキ氏にカメラを差し出して、撮影のお願いをした。そして、登頂記念のスナップをパチリ。これは確かに麦草峠を極めた証として、そして再びこんな暴挙に乗り出す前に考え直す戒めとして......。
 ほどなく、平野氏も登ってきて、全員がそろった。ようやく、なにがしかの余裕を取り戻した僕は、周りと和気あいあいと会話しながら、フュッテでの昼食になだれ込んだ。しかしながら、内心はどうしようも無い屈辱感に苛まれてもいた。なんでみんなが平気でできることを、僕だけはこんなに苦しんでしまうのだ。いわく言いようのない疎外感も感じていた。しかしまあ、冒険は終わった。後は楽しむだけだ。
 フュッテでは、遅刻したおの氏が全員におごるという話も出たのだが、金額のでかさに驚いたおの氏が日和、なぜか吉田氏のみにおごることになったそうだ。吉田氏に対しては、前に遅刻をネタにおごらせた手前、勘弁してくれとはいえなかったようだ。
 フュッテでの休息もそこそこに、今度は反対側へのダウンヒルだ。高速組と低速組に分かれ、それぞれ隊列を組んで降りて行く。これがもう、爽快で爽快で。各カーブで速度を少し落とし、また速度が上がるまでの間、周囲の風景が目に入る。こんな植生のところにいたんだ、ああ、もう木立が増えてきた、などといちいち感慨にふけりながら降りて行くのだ。風で体が冷えるが、日差しもあるので寒くなるほどではない。念のためにウィンドブレーカーを着ていたのだが、今回は不要だったかもしれない。
 途中、低速組の先頭を追い越してしまい、高速組を追いかけて突っ走る間、完全な単独行になった。誰にも合わせる必要がなく、自分のペースで突っ走る。ああ、これだと思った。これがいいのだ。
 と、道が三叉路になり、その近くで先行組が待っているのが目に入った。合流して、低速組を待つ。なんか、けっこうおいしいポジションにはまったな。
 合流して、さらに下って行く。小海線の駅近くまで下り、さてこれからどうしようということになった。今回は、夏ということもあって消耗した人が多く、自走して宿泊地の野辺山まで行こうという人が少なかった。おの氏ら数名だけが自走で出発する。草津のkei氏もここでお別れということで去り、残りは少し話し合い、結局すぐ輪行ということになった。駅まで降りると、先に輪行するつもりで降りていたkei氏がポカンとしていた(笑)。
 小海線は、四国の予讃線以来乗ったワンマン車で、バスのように降り口が一つしかない。野辺山で降りるときは大変な混雑になるぞと思った。過ぎて行く車外の風景が美しい。車内の女子学生のスカートが、関東ではここ10年もお目にかかってないような長さだった。これが本来の標準なんだろうが。
 やがて野辺山駅着。駅員がいるので、結局全ドアが開き、スムーズに降車できた。
 駅前で本当にkei氏とお別れとなる。残ったメンバーで話し合い、適当に分かれて近くの温泉で汗を流す組、その前に宿に荷物を置いてくる組に別れた。僕は直行組。宿に行く途中の旅館で温泉に浸かり(といっても銭湯と変わらない)、ようやく一日の疲れを癒した。
 温泉を出て、酒を買おうということになり、まずは駅近くに引き返した。自販機で酒を買い、さらに駅前のみやげ物屋で酒やつまみを買い揃え、今夜の宿、こっつぁんちを目指す。
 こっつぁんちに着くと、もじゃもじゃした白髪頭のおじさんが出迎えてくれた。これがこっつぁんか。人なつっこい感じのおじさんである。
 宿はまさにユース的で、家構えは民家そのもの。ユーティリティスペースに、客室がいくつか。その一つに適当に荷物を置き、ベッドメークなどしているうちにもう夕食である。
 夕食はここで取れた野菜を中心に、シチューやサラダ、揚げ物など。なぜかシチュー食いたい欲が最強に強まっていた僕は、一も二もなくシチューに飛びつく。うまい。欲を言えば、シチューのお代わりしたかったな。
 その後はビールを取り出し、酒盛りの始まりだ。昼間の疲れに舟を漕ぐメンバーもいたが、概ね盛り上がりながら23:00までバカ話に耽る。いいねえ、こういうわけの分からん状況は。
 そして各々のベッドに入り、明日の起床時間に携帯電話のアラームをセットした途端、ストンと意識が途切れた。
 ずいぶん長かった一日も、ようやく終わったのだ。


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