Strange Days

なんとなくBEE GEESが

2003年01月23日(木曜日) 00時00分 音楽 天気:雨の一日であつた

 今日も残業で遅く、しかも雨なので夜トレ出来ずであった。欲求不満が募る今日この頃。ああ、ランスペダルが泣いてるぜ。土日とおとなしくしてようかと思っていたのだが、土曜日は津久井湖辺りまで遠乗りに出かけようかと思ったりして。
 そんな欲求不満と疲労が溜まっているせいか、このところ軽い音楽ばかり聴いている。普段、日本の古めのロック/ポップスを除いて、海外のスラッシュだのハードだのを聞いているのだが、疲れた体にはチト厳しい。そこでビージーズだ(なぜだ)。
 とまあ、そんなに深く考えているわけではないけれど、ビージーズの曲がヘビーローテーションされているのは事実。なぜかと考えると、ビージーズって大音量で聴かなくても気持ちいいんだよね。ヘビーなビージーズ野郎どもは、アパートが振動疲労で解体しそうなくらいの大音量でなきゃ、と主張するかもしれない。でも、'70年代終わりのディスコシーンを、金の無い子供時代に体験した僕には、ビージーズというのはラジカセの安っぽいスピーカーからタラタラと流れてくるモノだったのだ。
 それに、よほど優れたエンジニアの仕事だったのだろうか、ビージーズの曲って大音量で聴いても小音量でも気持ちがいい。『どんな大音量でもバランスが崩れない』というのは、特にハードロックでは誉め言葉だけど、その逆もまた然りではないだろうか。そのバランスのよさを支えているのは、一つには妙に変態的(爆)なボーカル。器楽の音域から飛び離れているので、割と通りやすいのだ。それと、多用されるストリングスでは無いだろうか。Saturday Night Feverがディスコミュージックの割に(これは偏見か)下品じゃないのは、控えめなストリングス・ワークの賜物だと思うのだが、どうだろう。考えてみれば、アルバムの通算出荷枚数が1億枚を遥かに越えるぐらいなのだから、単に時流に乗っただけではなく、もともと優れた音楽センスを持っていたのだろう。などと今さら僕が偉そうに分析してみせる要も無いよな。
 そのビージーズも、モーリス・ギブの死で揺れ動いている。活動を継続するとはいうが、名前を変えるともいう。ソロだった末弟も'80年代に亡くなっているのだが、なにかに祟られているのだろうか、この一族。
 BEE GEESと共にローテーションされている曲には、癒し系のものが多い。"癒し系"という言葉には、"癒して、癒して"というさもしい求め、"癒してやろう"という卑しい傲慢さを感じてしまって嫌なのだが、聞いている時の心情を自己分析すると、まさに癒しをさもしく求めているとしかいいようがない。癒しは卑しい。でも疲れた体は、まさにそんな卑しい癒しを欲しているのだな。こんな心情が霊感商法に安易に走らせたりするのだろう。卑しい癒しを求める相手は、音楽ぐらいに留めよう。
 今、一番癒されている曲は、DEEP PURPLEの俺的ベストであるAviatorだ。この曲は、初めて耳にして以来、ローテーションから落ちたことが一度もない。音楽産業から身を引いていた間は、航空会社のパイロットとして働いていたスティーブ・モーズらしい、しみじみとした叙情を感じさせる名曲だと思う。リッチーのいないパープルなんて......といわず、一度聴いて欲しい。モーズは、今でも自家用機と共に、小さな自家用(!)滑走路の側に暮らしているのだとか。そういう経歴が、優れたギターワークにつながっているのだろう。
 そのPURPLEも、去年の頭、ジョン・ロードの脱退という最大の危機を迎え、揺れ動いている。いちおう、これも優れたキーボード奏者であるドン・エイリー(ex.Rainbow)の加入という形でけりはついたが、ブラックモアはともかくロードまで抜けてしまったPURPLEに、その音楽性を維持できるのだろうか。Aviatorの叙情性を支えたのがロードの優れた音のセンスだと思っている僕には、どっちかというとプロっぽい無機質な音造りを得意とするエイリーの加入は、かなり心配だ。BURRNのインタビューで『リッチーとまた仕事するかも』なんて軽くいってたロードの動向も含めて、PURPLEの動きから目を離せない(などといいつつ数カ月くらい平気で忘れてたりするが)。
 とまあ、見事に取りとめの無い日記になってしまった。日記性皆無なので、むしろ随筆というべきもんか。


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