Strange Days

第3回東京・南会津サイクルトレイン1日目

2003年09月27日(土曜日) 00時00分 自転車 天気:いいね

集合、そして出発


 いよいよ当日。3:30には起き、簡単な朝食と身支度を済ませる。4:30頃に家を出て、EPICで戸塚駅まで走った。夜明け前の空には、もうオリオン座が掛かっていた。
 戸塚駅前でEPICを輪行体勢にする。多量の紐でしっかり固定すると輪行が楽なので、輪行袋付属の3本のほか、適当な長さのビニールテープを3本用意してきたのだ。が、この長さが適当すぎて、フレームにホイールをくくりつけるには微妙に短い。なんとかくくりつけたものの、次回への課題として残ってしまった。
 一度輪行体制にしてしまえば、EPICはセキサイダー付BD-1とさほど変わらない重さなので、楽に担いで行ける。東海道線のホームに立って、5:15の東京行きを待つ。ホームにはゴルフバッグを担いだ人が結構多い。意外に人気の多い、早朝のホームだった。
 東京行きに乗り込む。ガラガラの車内で、だんだん明けてゆく空を眺めていた。睡眠時間は、とりあえず十分なようだ。
 新橋で地下鉄浅草線に乗り換え、やがて浅草に到着。地上に出たところでEPICを組み立て、再び車上の人となって墨田公園に向かった。
 前回と同じ受付場所に到着すると、すでに受付は開始されていた。今回もCコース担当らしいクリキン氏(いつも楽しい人)、山アドのQ女史、第1回で御世話になった和田御夫妻、そして事務局長の野田氏らの姿が見える。受付を済ませて振り向くと、同じBコースに参加するBD-MLのねず吉氏と目が合った。さらに同コースのhai氏、田原氏、Cコースのにち氏、すずきなおし氏らが続々と到着する。慌しい中にも、また初秋の南会津に再会できる期待に、胸が膨らむ思いだ。
 たか氏ら、大物トライクに乗ったおのひろき氏らが到着し、他にもBD-MLやRecumbent-MLで見知った顔が多く見られ、賑やかだ。しかし今回は、あえてBコースを選んだ。さすがに参加の度に同じ顔ぶれとばかり、という事態は避けたかった。それに、あまりブロックタイヤを履く機会の無いEPICに、その機会を与えてやりたかった。ごめんな、こんなオーナーで。
 時間になり、駅のホームまで移動する。去年より心持スムーズに進んでくれた気がする。その後、節目節目で感じたことだが、スタッフのそれはもとより、繰り返し参加している常連参加者の経験値も上がっているので、どう動けばよいかという局面で、流れが読みやすかった。
 やがて入線した列車(春と同じたびじ号)に、慌しく自転車と人を積み込む。これもスムーズに進んだ。やがて列車は出発。北千住でさらに参加者を乗車させ、一路南会津へと走り出した。
 車内では、バラバラに申し込んだにも関わらず、hai氏と隣り合った席だった。同じボックスの向かいは、関という親子だった。関jr.は、あまりに年齢的にかけ離れた集団の中に放り込まれたせいか、内気な印象だった。

旧中山峠越え


 列車から見える風景は、次第に山のそれに変わってゆく。川は細く、急になり、水は清く、青くなってゆく。都会の会社人から、田舎の遊び人にクラスチェンジしてゆく時間だ。
 列車は会津高原駅へと滑り込んだ。今回、Bコース、Cコースは、共にこの駅からスタートするのだ。そして最初の峠は、共に越えてゆくらしい。
 会津高原駅は、会津田島駅より小振りな駅だった。駅前の駐車スペースで、各自の装備を整える。駅の自販機で水を買い、ボトルにCCDドリンクを作っておいた。今回、2日目に800mの峠越えが待っているので、ボトル2本体勢で望んでいた。しかし、1本でも問題なかったかもしれない。
 簡単なブリーフィングの後、まずは舗装路の上りだ。旧中山峠の頂上手前、林道の分岐点まで、Cコースの参加者と共に上ってゆく。僕は自分のペースで上ってゆきたかったので、ほとんど単独行だった。先導する野田氏の健脚にびっくり。
 400m弱程度ののぼりを、先頭グループを意識しつつ上ってゆく。最初のうちは、山間部の森を横目に上ってゆく感じだったが、次第に木立が途切れ始めた。いかにも峠という眺めだ。しかし、僕当人は、心拍数を上げすぎて、次第に気分が悪くなり始めていた。やはり、比較的低圧のブロックタイヤを履いているせいだろうか。いつものペースで上がると余計に体力を使ってしまうようだ。それと、MTB用の11-34Tのスプロケに、いまいちペースがあってくれない。考えてみれば、いつもロードか、ロードスプロケの着いたBD-1ばかりに乗っているのだ。
 それでも、体と相談しつつ上り続け、やがて道が二股に分かれた場所に出た。ここがCコースとのお別れポイントだ。Bコースでは、かなり先頭に近いあたりに居たようだ。
 Cコースにはリピーターが多いそうで、そういわれれば見覚えのある顔が多い。それぞれの参加者が続々と上り切り、最後に自力登頂を諦めた人々を積んだサポートカーが上ってきた。
 二つのコースは、ここで分離される。下りにかかるCコースの参加者に別れを告げ、Bコースは更に上ってゆくことになる。なんだか、このBコースは、「死ぬまで上り堪能コース」というのが実態に合っていたんじゃないだろうか?
 幸い、さほど上ることも無く、旧中山峠の真頂上に到達した。ここで記念写真。竹谷選手のことを思い出して、EPIC号を掲げて見せた。バイクも持ち上げている人間も安いが。振り向くと、上ってきた山肌と、出発地とが見渡せる絶景だ。
 ここからは下りに掛かる。こちらの下りは、道がかなりガレているそうで、慎重に下るようにとのお達しがあった。下りでは和田(夫)氏の出番。先頭を高速で降りてゆく氏にくっついて、こちらも快調に駆け下りてゆく。いやあ、EPICは下りでは最強だ。ギャップもホールも、ほとんど躊躇せずに突っ込んで行ける。上りでもリアサスが苦にならないし(やっぱりリアが重い感じはあるが)、買ってよかったと思う瞬間だ。が、そんな俺様に冷や水を浴びせるような追撃者が。なんと関jr.がぴったり張り付いてくるのだ。乗っているのはHARDROCK。体重が軽いほうが、ダウンヒルでは有利なのだろうか。
 ギャップはともかく、砂の浮いたコーナーは怖いので、要所要所でスピードを落としつつ、楽しい下りを満喫した。下りはいいなあ。上りさえなければ。
 やがて整った舗装路に合流したところで停止し、後続を待つ。リカンベントの田原氏はガレた路面に苦労しただろうが、無事にやってきた。これで第一のヤマは超えた。

鱒沢渓谷


 再集合して、次なるご馳走(一部の人にとっては)、鱒沢渓谷へと向かった。村の風景の中を通り過ぎ、途中で休憩を挟みながら走る。収穫の時期故にか、トイレ休憩の際にリンゴが振舞われた。どういう品種なのか、芯までやわらかくて、しゃっくりとかぶりつける。激ウマ。
 山間の盆地、収穫直前の金の稲穂を横目に、MTB含有率の高い集団は、ゆっくり走っていった。目に優しい風景だ。
 やがて、いかにも山道への入り口、という分岐へと入った。ここから、鱒沢渓谷への上りになる。ほとんど全てが未舗装路で、ブロックタイヤのMTBなら真価を発揮できるだろう。
 これも各自のペースで、好きなだけ上り、1時間後に来た道を戻るように言われた。さあ、どこまで行けるか。
 今回も野田氏にコバンザメのようにくっついて上って行った。道は程度の良い、未舗装の林道だが、ところどころガレている。また先週降った雨の残りか、ところどころ水っぽくもなっている。泥を跳ねながら、黙々と上っていった。
 のぼりといえば、スリックを履いたロード系でのそればかり経験してきたので、ブロックタイヤのこいつでのスキルは、全然掴んでいない。トラクションを維持しながら上って行く。しかし、無用な体力を使っているせいか、疲労度は高い。でも楽しい。ロードならライン取りなんてコーナーのことさえ考えておけばいいのだが、MTBでは細かく路面状況を見ながらのそれが要求されるのだ。
 野田氏を含む先頭集団にくっついて上って行く。すぐ傍を流れる川は、いかにも谷あいの渓谷という観があり、清清しい青い川面が見え隠れする。川は時に激しく下り、時には木立の中を穏やかに縫ってゆく。なんか、あの辺でお弁当持って一休みしたらいいだろうな、そう思えるポイントがたくさんあった。
 上り続けること小一時間、次第に足が回らなくなってきた。なんか、だんだんスピードアップしてないか? サバイバルレースの観を呈してきた。制限時間5分前。とうとう着いてゆけなくなって、足を止めた。ここから、写真を撮りながら、のんびり下ってゆこう。ProTrekによれば、高度は985mだった。
 少しの休憩を挟んで、来た道を下ってゆく。サバイバルレースへの参戦は結構足にキていたようで、なかなか足が回ってくれない。休み休み、下ってゆく。途中でhai氏らと合流し、大量のダウンと、少しのアップを満喫した。
 出発地点=集合地点に戻り、全員揃うのを待つ。Challengeを駆る田原氏は、さすがにこの上りは諦めたそうだ。ねず吉氏らと雑談しながら後続、特に先頭集団の下山を待つが、一向に現れない。やがてサポートカーと共に下ってきた野田氏らによって、事情が明らかになる。先頭集団が下り始めてすぐ、一人が転倒して負傷してしまったのだという。その人はサポートカーで病院送りになった。足をざっくり切ったものの、骨折などのシビアな怪我ではなかったそうだ。不幸中の幸いでだった。
 負傷者以外のメンバーは集合すると、いよいよ今夜の宿へと向かった。

真の闇を垣間見る


 今夜の宿は、湯の花温泉にある旅館だった。入ると、まず二匹の犬たちからなる歓迎委員会のもてなしを受けた。入っていったのは、正面駐車場に入る裏手からの道だったのだが、そこが不正規なルート故か、犬たちの警戒心をあおったようだ。しかし、宿の玄関脇につながれた大型犬(グレートピレネーズだろうか)は、まったく吠えることも無く、非常に人懐っこい犬だった。大きな檻に入れられているのだが、近づくとお気に入りの犬のぬいぐるみを咥え、撫でてくれといわんばかりに体を寄せてくる。撫でてやると、気持ち良さそうに尻をペタンとついて、おとなしくしている。癒し系の犬だな。参加者一同に大人気だった。
 荷物を部屋に運び込む。4人部屋で、hai氏、初対面の高年世代のお二人と同室だった。普段、山を歩いておられるとか。
 食事は18:30からと言われていたので、それまでは部屋でごろ寝したり、宿の全景を写真に収めたりして過ごした。おっと、風呂にも入っておこう。内湯を使い、全身の汗を流した。温泉の効能か、入っていた時間の割りに、とてもよく温まった。~
 18:30から食事。ビールが着いて、山菜を中心にした会津的な夕餉だった。ご飯の香りが良く、それだけで3杯は行けそうな按配だ。ビールも着いていたので、食事の終わった頃には、少々気持ち良くなっていた。
 いったん大広間を空け、その後にまた集まって懇親会が開かれることになった。その前に、空が晴れていたら星を見に行こうという事になった。が、あいにく雲が掛かり始めている。諦めて部屋に戻ったら、野田氏がすぐに呼びに来た。晴れてきたので、やはり星を見に行こうということ。こんなこともあろうかと、ワイドビノを持ってきていたのだ。それを手に、玄関前に集合した。
 そこからですら、空の暗さが良くわかった。横浜のそれとはまったく違う。ふともやのようなものが見える気がして、ワイドビノを天頂近く、やや北寄りの辺りに向けてみた。そこに見えたのは、無数の星が雲のように群れている様だった。ちょうど天の川を見ていたのだ。いやはや、こんなものが見えるなんて。もう横浜の夜空には、二度と満足できないんだろうな。しかし、雲が薄く掛かり、しかもだんだん広がってきている。
 ここではなく、集落の外れまで見に行こうということで、一団はぞろぞろと歩いてゆく。やがて、駐車場らしきスペースに到着。らしき、というのは、そこがどういう場所なのか、全く見渡せなかったからだ。都会なら必ず近くに明かりがあるし、空に雲があればその照り返しで足元もほんのりと明るいものだ。ところが、ここでは明かりが全く無い上、空も非常に暗いので、本当に周りを見渡せないのだ。辛うじて足元の判別がつくだけ。それも、舗装路なのかダートなのかの判別もつかない程度のものだ。
 南西に明るい星があり、それは火星だとすぐに分かった。ずっと西空に目をやると、低くにいて座らしき星の並びが見分けられた。そうか、もうあんなに早く沈んでしまうんだ。そのいて座の辺りから掛かっている天の川が、頭上を横切っている、はずだ。生憎、雲が急激に増えていた。その隙間に、辛うじて見える星空は、こんな状況でも横浜では望めないくらい良く見えていた。星が見えすぎて、星座を見分けるのが困難なくらいだ。
 しばらくその場で星を眺めていたが、残念なことに雲がさらにかかり、星見は絶望という状況になった。火星ですら、雲に覆われて見え隠れしている。残念ながら、ということで、宿に戻っていった。東天低く見えていたのは、あるいは木星だったろうか。
 部屋に戻ると、すでに布団が敷かれていた。その吸引力に逆らえず、フラフラと横になると、そのままスッと意識を失った。


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