大体、会社に出勤する時刻に起床。荷物をまとめ、羽田空港にレッツゴーだ。
羽田空港から米子空港までは1時間強。羽田空港では果ての果てにあるようなゲートまで延々と歩く。乗機は737でも最新の800シリーズ。天井からLCDが展開されてくる、面白い機内装備だ。とはいえ、窓は狭くて通路のレイアウトも良くないので、乗り降りにえらい時間が掛かった。
米子空港に降り立ち、さてどうしようと考える。体の休息的にはさっさと松江に移動して投宿したいのだが、今後のことを考えると中海南岸のルートを見ておきたい。走ろう。
ターミナル前でMR-4F改を組み立て、弓ヶ浜に沿って南下していった。弓ヶ浜は日本最大の砂州だそうだが、この辺にこんな膨大に砂を堆積させるような川があったっけ。
弓ヶ浜のそこここに自転車を止め、
記念写真と決め込む。R431は走りやすいのだが、防砂林のせいで海がちっとも見えない。
米子市内で西に進路を取り、そこからは出来るだけ海沿いを走った。R9を避けるつもりだった。この辺は干拓と埋め立てが進行しており、そこここに工業団地が広がる。その一角に立つ、
震災復興記念碑。
途中で
大きな風車を見た。この辺の工場群に対し、たった一基の風車がどれほどの意味を持つことだろうか。
安来から東出雲に入ると、途端に
風景が荒涼としてくる。これで冷たい雨でも降っていれば、気分は盛り上がったのだが。いや、やっぱりイヤん。
東松江の南方に国分寺跡と国府跡があるのを思い出し、探してうろつく。国分寺跡はその前の道路が工事中で近づけず。ずっと、回り込めば行けそうだが。国分寺跡は神社の裏手に柵で仕切ってあるのが見えた。たぶん、碑が一つ立っているくらいだろう。
松江駅を目指して国府跡近くの田園風景を移動しているとき、
日が山に掛かった。それに見とれつつ、田んぼのなかに走るあぜ道とも遊歩道とも言いかねる道を走っていたら、その田園風景の向こうで、
素晴らしい夕焼けが始まった。今日は、拾いものをした気分だ。
この辺で、同日に松江入りしていたまき&あさこ夫妻より、別々の経路で夕食の誘いをいただいた。この時は疲労を感じていたので、先にチェックインして考える旨返答し、松江駅へと急いだ。
投宿したのはアルファーワン駅南。チェックインして荷物を部屋に置くと、途端に空腹が募ってきた。そこであさこ女史に電話し、夕食を共にしたい旨伝えると、京町という界隈に来るよう指示された。自転車で合流し、さらに同日松江入りしている小十郎氏、つっしーを呼び寄せ、蜆丼などを食した。早速、海鮮ゲットだぜ。
ホテルに戻り、LOOX U+イーモバイルで快適アクセスしながら、明日の行程を考えた。結論:行き当たりばったりでいーじゃん。まあ、明日みんなの顔を見て決めよう。